プロローグ





 すでに夜の帳は下りていた。

 よってサバの屋敷内も相応に暗かったのだが……しかし電灯が灯ることはない。

 私と来客者は、薄暗い部屋の中、月の明かりだけを頼りに座っていた。

 サバは屋敷を見つめていた男が私の関係者と知ったからか……

 あるいは、私が怯えていたことを察したからか……どうにしろ、何も言ってはこなかった。

 サバは私と同様にただただ沈黙し、男を観察しているらしい。

 それでも一杯の紅茶を用意したのは、紳士としての嗜みだったのだろうか。


「さて、色々と聞きたいことがあるだろう? 何から聞きたい?」


 温かな紅茶を一口楽しんでから、芦優太郎はこちらに向かって呟いた。

 その姿形は整っており……美しいだけの、ただの人間のように見える。

 そう……一目見るだけでは、そう思える。

 魔族である私が本気を出せば、簡単に圧倒できると思えてくる。


 だが、真実は違う。圧倒出来ると思う私の考えは、錯覚なのだ。

 私が牙と爪をあらわに襲い掛かれば、彼もまた人間の姿を捨て、こちらを返り討ちにするのだろう。

 魔王候補すら自称する、現代における最上級悪魔……アシュタロス様。

 芦優太郎と言う姿は、その隠れ蓑に過ぎない。


「何を黙っている、メドーサ?」


 アシュ様は私に発言を促してくるが、私は自身の沈黙を解けないでいた。

 聞きたいこと。知りたいこと。

 色々とあったはずなのだけれど……何を聞けばいいのだろう?

 私は自身の聞きたい事柄を胸中で検索し、そして行き詰る。

 何から、何を、どのように聞けばいいのか。何もかも、分からない。

 混乱した頭は、ただただ無為に時間だけを浪費していく。 


「ふむ? 何もないのか? 私も一企業の責任者なので、相応に忙しい。

 出来れば時間は有効に使いたいのだが……」


 アシュ様は懐から携帯電話を取り出し、そのディスプレイを見やった。

 素早い動作でいくつかのボタンを押し、そして一人頷く。

 恐らくは着信メールの確認をしているのだろう。

 その姿は本当に……若いビジネスマンそのものだった。


「人間の世界で、実際に働いておられるのですか?」

「ああ。それなりにはな」

「何故、そのようなことを?」

「知っているつもりで、何も知らなかったから……だろうか?」

「アシュ様でも、ですか?」

「そうでなければ、人間に出し抜かれて時空を飛ばされはしまい?」


 アシュ様はそう言うと、苦笑した。

 私はその笑みに、少しだけ体の緊張を解く。
 
 少なくとも、この様子から察するに、今すぐ私を滅しようと言う気はないらしい。

 まぁ、そもそもアシュ様が本気で私を消したいのであれば、もう私は消えているか。


「その時代、その地域の人として生きてみなければ、人は分からん。価値観も時代と場所によって変わる」

「…………アシュ様は、何が目的なのですか?」

「ようやく問いが来たかと思えば、これはまた中々どうして……答えづらいな」


 アシュ様はそう言い、再度紅茶を口に含む。


「今日ここに来た理由は、娘のための家を探していたからだ」

「娘……ですか?」

「ああ。3人の姉妹だ。お前も知っているだろう?」


 私の胸中に、蛍と蜂と蝶と言う3匹の虫が思い浮かんだ。

 その虫はアシュ様の使い魔の寄り代候補であり、

 確かその世話は、デミアンが担当していたはずだが……

 その3匹がアシュ様の使い魔として、すでに完成したのだろうか?

 そしてこの屋敷を拠点として、人間界での活動を開始するのだろうか?


「そろそろ上の娘は、高校に通う年齢にまで成長するのでね。それにあわせて、人間界に降ろすつもりだ。

 よって通学に便利で、かつ友人を招きやすく、それなりの外観である屋敷が必要となったのだ。

 さらに言えば、この屋敷は特殊な存在が家主を務めており、中々興味深い」


 アシュ様は、言葉の後半を部屋の天井に向けてはなった。

 するとこれまで沈黙を守っていたサバも、アシュ様の言葉に答える。


『特殊な家主とは、私のことを仰られているのですね?

 では、改めて自己紹介をさせていただきます。私の名前は渋鯖人工幽霊一号と申します』


「ああ、紅茶は美味しく頂いている。ところで、私の娘にこの屋敷を与えたいのだが……どうか?」

『私がこの屋敷の主人として求める人は、霊力の高い人間です。我が屋敷の維持には、多大な霊力が必要となります』


 そこでサバは、私に注意を向けたようだった。

 天井に眼があるわけでもないのだけれど、しかし私はサバの視線を感じる。


『彼女は大きな力の持ち主ですが……しかし、私は魔力を消化することが出来ません』

「問題ない。私の娘だけあって、3人は上質な霊能力の持ち主だ」

『お話を窺っていると、貴方も彼女と同様に魔族であるようですが?』

「いいや。私も娘も人間だよ。少なくとも、今はね」

『変化や擬態と言うものでしょうか? 魔力を偽装して霊力に見せかけているモノを、私は求めておりません』

「まぁ、実際に会ってから決めればいいだろう? なんなら、テストをしてみればいい」


 アシュ様は薄い笑みを浮かべて、そうまとめた。

 サバもアシュ様の言葉に異論はないらしく、特に言葉は返さなかった。

 
 二人の会話はしっかりとまとまったようだが、しかし私は話についていけなかった。

 そもそも……学校とは、何の話だろう……? しかも通学? 友人?

 先に出ていたアシュ様の言葉に、私は疑問符を頭に貼り付ける。

 それに気づいたからだろう。アシュ様は私にちょっとした説明を為してくれた。


「下級魔族が惚れっぽいのは、何故だ?

 答えは簡単だ。上流魔族に与えられる知識と、自身の経験に差があり過ぎるからだ。

 つまりは周知の通り、マセた子供のようであると表現してもよいだろう。

 ならば、その問題をどう解決すればいい?

 簡単なことだ。それなりの経験を積ませてやればいい。私の保護の元でな」


 人間換算年齢で20歳の使い魔を、突然その場に作り出すより、

 12〜5歳の使い間を作り、20歳までゆっくりと成長させた方が、

 個性と価値観がそれぞれ固有のものとして定着しやすい……つまりは、そういうことだろう。


「育成には余計な気を使わなければならないが……土壇場で裏切られるよりはよいだろう?

 すでに一度は裏切られたのだ。同じ失敗は犯さぬように、しっかりと育てたい」


 土壇場で裏切られる。それは間違いなく、メフィストのことを指している。

 アシュ様の口からその話題が出たことで、私は特に聞いてみたかったことを質問する。


「アシュ様は、何故美神令子に対し、何のアクションも起こされないのですか?」

「美神令子か……。彼女はすでに私にとって、瑣末な存在でしかないからだ」

「エネルギー結晶体は、彼女の魂が持っているはずなのに……ですか?」


 アシュ様の答えは、私にとって意外なものだった。
 
 どういうことだろうか?

 少なくとも1000前まで、アシュ様はエネルギー結晶を重要視していたはずだと言うのに……。

 やはり、何らかの方向転換があったのだろうか?

 
「いや、美神令子はすでに結晶体を保有してはいない」


 ………………どういうことだろう? 先ほどから、アシュ様の言葉は予想外なものばかりだ。

 美神令子はメフィストの転生体である。これはまず間違いなどないと考えられる。

 ならば美神令子はメフィストの魂と、メフィストの取り込んだ結晶体を継承しているはずである。

 魂とは、転生時に『つい、うっかりと落としてしまうようなモノ』ではない。

 …………そもそも落としていたら、転生どころの騒ぎではないだろうからね。


「分からないか? よく考えてみるがいい、メドーサ。

 魔族であるメフィストは、どのような経緯で人間へと転生したのか? どうやって美神令子になったのか?

 それについて考えていくと面白いことに、お前がお気に入りの横島忠夫が浮上してくるぞ?」


 何故、そこで横島の名前が出てくるのだろう?

 私はアシュ様に対して緊張することも忘れて、ただただを首をかしげる。

 陰陽師高島とメフィストは、それなりに深い絆があったらしい。

 よって美神令子と横島の縁が深くても、不自然ではないが…………やはり、分からない。

 戸惑う私に対し、アシュ様は実に楽しそうに説明を続けていく。


「菅原道真は、自身の悪しき部分を捨てて神となった。

 それと同じプロセスを踏み、メフィストは自身の魔族の部分を捨てて、人間と転生したのだろう。

 問題は……その『捨てた魔族の部分』だ。エネルギー結晶は、そこに含まれている」


 人間として死に、転生するため、人間の魂には無い部分を捨てる。

 その場合、確かにエネルギー結晶は人間には有り得ない部分に当たるのだから、捨てられるだろう。

 それにしても、魂の大半を捨てて転生したにもかかわらず、

 現代において名を馳せるGSとは、なんと言う規格外だろう。

 まぁ、あの美神令子らしいと言えば、らしいのかも知れないが。


「……その捨てられた部分を、何故横島が受け継いでいるのですか?」


 美神令子に対する苦笑を捨て、再び私は真剣な瞳でアシュ様に問う。


「詳細を明白に説明することは難しい。私はその現場にはいなかったのでね?

 よって、推測も混じることとなるが……まず、陰陽師高島の魂をメフィストは手に入れていた。

 そしてその魂と自身の捨てるべき魔族部分を使用し、子供を作成した。

 それが大いなる陰陽師・安倍清明……であると考えられる」


「あ、あの、それはつまり……」


「分からないか? 横島忠夫は安倍清明の転生体で、エネルギー結晶を内包しており、

 美神令子などより重要な存在であると……そう言っているのだがな?」


 そして最後に、アシュ様は『お前の男を見る目は確かだったよ、メドーサ』と仰られた。

 私はどんな顔をしてその言葉を受け取ればいいのか、分からなかった。

 自分の惚れた男が、アシュタロスに重要視される存在。

 それは嬉しくもあり、そして悲しくもある。

 横島はこの先、どうなるのだろう?


「――――――アシュ様は、私に何をさせたいのですか?」


 しばし黙考した後、私は再び質問した。


「そうだな。何もしなくても……いや、違うか」


 アシュ様は言葉途中で薄く笑って、それから改めて言葉をつむぐ。


「お前に望むことは一つ。これまで以上に、横島忠夫と親密になれるよう、励むことだ」

「何故ですか?」

「不服か?」

「いいえ。ですが、納得が出来ません」


 アシュ様にとって横島が重要な存在である、と言うことは分かった。

 だが、それがどうして『これまで以上に親密になれ』と言う命令に繋がるのだろう?

 そもそも私はアシュ様に消されないことから、納得がいっていないのだ。

 取り敢えず横島が重要なことは分かったが、私は代えのきく存在だ。

 しかも、私はアシュ様をコケにした存在なのだ。

 仮に1000年前への時間移動のせいで、これまで私を殺すことが出来ず、

 仕方なく生かしてきたのだとしても……今生かされている理由はないのだ。


「私にとって、彼は重要な存在だ。それをレベルの高い魔族であるお前が心から守護する。さて、何か私に不都合があるか?」

「ありません。ですが、やはり納得がいきません。それに今の私は彼を守護出来る存在では、ありません」

「どうしてだ?」

「現在の日本社会においても、私は滅せられる対象になっているからです」


 一先ず美神令子は静観の構えを取ってくれたのかも知れないが、

 しかし、GS協会は未だに私を試験会場を破壊した罪で、捜索をしているはずだ。

 また、デミアンたちも同様に私を狙っていることだろう。

 高校生として生きている横島と接することの出来る時間は、短い。

 これまで以上に、どんどん短くなっている。


「それならば、問題ない。近々あの騒動については、各種メディアにて真相解明特集が組まれる。

 この国はテロアレルギーでもあり、ついでに言えば、ここ最近大きな事件がないことも幸いしたな。

 メドーサ。お前についての『誤解』は、少なくとも人間界においては解消される」


「大手を振って街を歩いても、問題ないと?」


「むしろ、事実誤認されてきた悲劇のヒロインだろう。

 また2週間後には神話の世界と言う題の書籍も出版される。

 切々と、メドーサと言う魔物の悲しさを説いた書籍だ。多くの人間が読むだろうな」


 企業的にもかなりの力を入れているのだと、アシュ様は苦笑した。

 それに対して私が『作為的過ぎる』と眉を寄せると、アシュ様はさらに笑った。


「そう思われたところで、どうとなるものでもない。

 何しろ、この国では言論と表現の自由が保障されているのだから。

 メドーサに関する考察を踏まえた悲話を発表すること。

 その発表にあわせて特番を組み、視聴者の購買意欲をあおること。

 どれも合法的で健全なメディアミックスだよ。

 ついでにデミアンだが……今はもう、お前に構っている暇はないだろうな。風水盤の起動にもたついている」


 アシュ様はそうまとめて、紅茶を飲む。、

 それが最後の一口だった。

 アシュ様は空となったティーカップを、音も立てずに元の位置に置いた。


「もう一度言う。お前は束縛されていない。自由なのだ。一言で言えばな。

 デミアンも天界も、この人間界も、私もお前を殺そうとはしないし、あるいは殺せない状況だ。

 横島を守り育て、そして導いてやれ。まぁ、強要はしない。したくなければ、しなければいい。

 もっとも、育てなければ風水盤の起動の際に、命を落とすことになるかも知れんがな」


 アシュ様は、饒舌だった。どこか、楽しそうだった。

 思えば、アシュ様がこのように楽しげに話をしたことは、これまでなかったかもしれない。


「そう言えば、メドーサ。私に何をしたいかと、問うたな?」

「は、はい」

「私は戦って、勝つつもりなのだよ。実に傲慢なことにな」

「……天界の神々相手に、ですか?」





 恐る恐る聞き返すと、アシュ様は首を振った。





「違うな。天界の神々など、今の私の眼中にはない。

 私が戦うのは……宇宙意思などと言うふざけたものに対してだ。

 ――――――そしてその準備が、そろそろ終る。そして始まるのだ。この世界を制御する意思からの独立が!」





 アシュ様は小さく、そして楽しそうに、また笑った。




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