エミュレーター






 それは、僕が6歳の誕生日を迎える前の出来事だった。


 僕には……近所に住む幼馴染がいたのだが、 
 その子が僕らの住む火星から、地球へと移ることになった。

 手のかかる幼馴染だった。

 二言目には僕の名前を呼び、無理難題を吹っかけてくる。
 いたずらに作業クレーンを作動させ、大泣きしながら僕に助けを求めてきたことすらあった。
 何故、そんなところで遊ぶのだろうか。危険だから、工事現場に子供は入ってはいけないというのに。

 単なる好奇心で勝手に危険な目にあい、そして僕の助けを求めてくる。しかも毎日のように。

 僕は、彼女の面倒を見るのが嫌いだった。

 その子の方が、僕よりの誕生日が早いはずであるのだが、しかしその子の方が、僕より精神的に幼かった。

 だから嫌いだった。

 たまになら、まだいいとも思える。
 しかし、毎日だ。いい加減、うんざりしても仕方がない。


 でも、その子とはいつも一緒だった。


 僕は、何だかんだと言いつつ、その子とともに遊んで、毎日を過ごしていたのだから。

 僕の親は研究者で、その子の家も似たようなものだった。そして両親も、それなりに仲がよかった。
 お互いの家が頼りあうのだから、自然と生活のリズムまで似ていた。


 だから、その子が地球に行ってしまい、僕はそれなりに悲しかった。

 明日から、あのうるさいのがいない。
 でも、開放感よりも寂寥感が大きかった。つまりは、寂しい。

 なんだかんだと言いつつ、同じときを過ごしたのだ。
 幼馴染と言う存在に、僕は大きな愛着心なり何なりを抱いていたのだろう。


 僕がステーションに見送りに行ったとき、その子は泣かなかった。
 でも、分かれる寸前には、結局涙を浮かべていた。

 そして姿が見えなくなってから、僕の耳に大きな子供の泣き声が聞こえた。

 一応、我慢したことになるのだろうか? 
 あの子の両親は、機内でわが子の泣き声に、おそらく頭を抱えることだろう。


 僕は幼馴染と別れた。そしてしばらくして、6歳の誕生日を迎えた。


 それからしばらくして、僕は両親も失うことになった。
 両親は研究所に勤めていたのだが、その研究所から帰ってこなくなった。

 テロか、実験ミスか、なんなのか。

 僕は当時、両親がどんな研究をしているかさえ、知らなかった。
 まぁ、今も知らないけれど。

 だが、とにかく両親が帰ってこないことだけは、大人から聞かされた。

 父はどうなるか分からないが、母は間違いなくこの世から姿を消した。そう大人は僕に言った。
 父は生きているらしいが、とにかく帰ってこないらしい。
 その大人の言葉を、僕は大きな不安とともに、理解した。


 僕に残されたのは、母からもらった美しい宝石のペンダントのみだった。


 その後、僕は孤児院に入った。

 父は生きていた。でも、僕の世話をするだけの余裕がなかったそうだ。
 父には父の都合や理由があったのだろう。
 でも、子供の僕としては父に見捨てられたのと、それは同義だった。


 そして、いじめられた。

 毎日が辛かった。

 自分からは死にたいとは思わない。

 でも、いつ死んでもいいと思って、生活していた。


 しかし、僕は夢を見つけた。


 僕はその孤児院で、分担制であるはずの家事を押し付けられていた。

 そして僕は毎日食事を作った。洗濯をした。掃除もした。

 そのうち、みんなが僕を必要とするようになった。

 僕には、そこそこの料理の才があったらしい。
 それでいて毎日作っていれば、自然と美味くもなる。

 家庭においては、食事を握るものが……つまり台所を握るものが、真の権力者である。
 そんな馬鹿げた言葉のとおりに、僕はいつの間にやら孤児院でそれなりの地位にいた。

 僕の機嫌を損ねると、おいしい食事にありつけないのだから、いじめもなくなると言うものだ。
 
 たとえば僕の腕を折る。怪我をさせる。痛い目を見させる。
 すると、その日からしばらくは、僕の料理にありつけない。
 だから、暴力は震えない。簡単なことだよね。

 僕は、そのうちコックになろうと考えた。

 火星はテラフォーミング上の都合で、土壌がまだ恵まれた環境であるとは言えない。

 そのため野菜などは基本的に水分量が少なく、甘みもない。 

 僕はそれを美味しくすることが出来る。美味しくすれば、みんなが喜び、僕を必要とする。

 僕はもっとみんなに喜んでもらいたいし、必要とされたい。

 だから、コックになる。


 僕の料理を食べる人たちから、優しい笑顔と『美味しい』という言葉をもらいたいから。

 僕は農場で働きながら、料理の勉強した。
 そして、それはずっと続いている。


 僕は今日、孤児院の自室でいつもの朝を迎えて、そして農場に向かった。

 トラクターを操作し、収穫された農作物を運搬する。
 
 中身はミカンだった。

 太陽の恵みを受けて育つ、地球の天然ミカンには劣るだろうけれど、人工ファームにしては、ここのはいい出来だと有名。


 「・・・・・・え?」


 トラクターを操作していると、大きな電子音が僕の耳朶を打った。

 トラクターに取り付けられている端末を操作すると、火星駐留軍からの非常事態宣言が発令されたということだった。


 「せ、戦争? とは言え、どこと?」


 戦う相手がいない。軍は火星の統治・治安を維持するために、地球から派遣されている。

 別に地球からの独立を勝ち取るための軍、などと言うわけではないのだ。

 それに軍内部のクーデターなら、こんな風に非常事態宣言なんで、出ないだろうし。

 僕は眉を寄せて画面を見ていたが、とりあえず自分の住むコロニーのシェルターへと、トラクターの進路を取る。

 素人でしかない僕が、こんなところで考えて分かるものではないだろう。
 今はとにかく、避難するべきだ。


 僕がふと空を見上げると、普段はあまり気にならない軍用機が、うっとうしいほどに飛んでいた。





                  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 シェルター内は、喧騒に包まれていた。

 地面に引かれたシートの上に、人々が座り込んで時間が過ぎるのを待っている。

 さっさと非常事態宣言が解除されないだろうか。
 地上では、あれから何が起こっているのだろうか。
 そもそも、何が起こって、軍が動いているのだろうか。 

 今この場にある喧騒は、そんな不安から生まれたものだった。

 シェルター内は、先ほどから断続的に振動しており、それがさらに人々を不安にさせている。

 普通、コロニーの最深度に作られたシェルターが、揺れるはずないのだ。

 シェルターはその内部で、さまざまなブロックに分かれている。
 それは空間を分割することで、天井の落盤や何らかの爆発によって、
 中の人が一度に死んでしまわないようにするためらしい。

 本当かどうかは知らないけれど、いつだったか孤児院の誰かが言っていた。

 僕は視線を周囲に向けるけれど、見知った顔はいなかった。
 孤児院のみんなは、他のブロックに避難したのだろうか? 

 逃げ遅れてないといいのだけれど。


 「? どうかしたの? お兄ちゃん」


 ふと、視線が小さな女の子とぶつかった。

 自分の顔に何かついているとでも思ったのか、
 その女の子はその小さな手で、自身の顔に触れた。

 可愛らしい女の子だった。

 白と黒の小さな猫のぬいぐるみを、その胸に抱いている。
 女の子が首を傾げると、そのつややかな黒髪も揺れた。


 「いや、なんでもないよ」

 「早くお外に出られるといいのにね」


 女の子はぬいぐるみを抱く力を強めながら、天井を見上げる。

 その表情は、一言で言って曇っていた。

 大人たちすら不安なのだ。

 この女の子は、もう少し外的な圧力が加われば、泣いてしまうことだろう。
 僕だって、胸を占める不安は巨大なものだった。


 「・・・・・・そうだね。ああ、これ、食べるかな?」


 僕は運搬品のミカンを、自分のバッグの中から取り出した。

 シェルターに押し込まれたら、しばらく果物なんて食べられない。
 いつ出られるのか、分からないのだから。
 そんなことを考えて、荷物から失敬してきたものだ。

 小さな女の子が泣いてしまわないように、僕は笑顔とともにミカンを手渡した。

 何かに興味がそれれば、これくらいの子供はすぐに機嫌がよくなる。
 そして身近な人間の機嫌がいいと、その周囲もそれにつられる。


 「ありがとう、お兄ちゃん」


 女の子はうれしそうにミカンを受け取った。

 その後ろにいた保護者らしきおばあさんが、『すみません』と小さく頭を下げる。

 女の子の顔には笑顔が溢れ、保護者の方に苦笑が湧き、そして僕には微笑が浮かんだ。


 「お礼にデートしてあげるね!」

 「え? ははは。そうだね。楽しみにしてるよ」

 「約束だよ!」


 ずいぶんとおマセな女の子だった。

 僕は女の子と一緒に、くすくすと笑った。


 「はっ、のんきなもんだな」


 そんな僕たちが気に食わなかったのか、近くにいた男性が言葉を漏らす。

 お酒を手に持ち、その人はずいぶんと飲んだくれていた。 


 「地上はもうすぐ、全滅だ。軍が何をしていると思う? 答えは何もさ」

 「・・・・・・どういうことですか?」


 僕は少しばかり気になり、質問した。

 その人のことを、最初はただの酔っ払いだと感じた。
 しかし、頭のどこかが、すぐに『そうではないかもしれない』と反論していた。

 いうなれば、雰囲気だ。
 この男の人は『アルコール依存症だから、お酒を飲んでいる』という風情ではない。

 何と言うか、そう……なんだか自棄酒のような気がした。
 地上で軍が何をしているか、知っているからこそ、こういう態度なのだろうか。


 「今の軍で、あれが抑えられるわけがねえってことさ。みんな終わりだよ」

 「・・・・・・そう言うことを言わないでくださいよ。小さい子もいるんですから」

 「事実だよ。さっきからなんとなく揺れてるだろ? 地上が壊滅してる証拠だぜ、こりゃ」

 「・・・・・・」


 僕は、何も言えなかった。

 ここにいる誰もが、心の片隅で少しは思っていたことだろう。

 ここが揺れると言うことは、もしかして地上は・・・・・・・・・・・・・と。



 ドォオオオン。



 擬音にしたら、そんな音だろうか。

 文字にしてしまえば何と言うことはないが、しかしその轟音は人々を錯乱させるに十分だった。

 シェルター内に響くその音に、人々の悲鳴が重なっていく。


 何が起こったのかは分からなかったが、
 とにかく大きな音と振動がシェルターを襲ったことだけは、確かだと言えた。


 「・・・・・・う、うわぁ!?」


 それに対し、僕が発した悲鳴と言えば、そんなものだ。

 きゃぁぁぁ、という女性の悲鳴もあったが、
 あいにく僕はそんな悲鳴を上げられるほど、多く息を吸い込んでいなかった。

 僕は名前も知らない少女の頭を抑え、
 そしてその子の保護者らしきおばあさんに身を寄せ、その振動に耐えた。




 そして、そいつは姿を現した。




 いったい、どうやって僕たちにその姿を垣間見せているのだろうか。
 コロニー表層を破壊し、
 さらにはシェルターまでの人工堆積層を消滅させ、そして僕たちのところまで来たのだろうか?

 何にしろ、シェルターの天井部分は破壊され、大きなケーブルなどが、人々の上に降り注ぐ。 
 そして壊れた天井部分の隙間から、太陽や人工照明ではない、もっと他の光が差し込んだ。

 神が都市を滅ぼすために使用した火を、メキドといっただろうか。 

 あいまいな記憶の中から、僕は現状にふさわしい言葉を選び出す。

 軍が非常事態宣言を出し、多くの機体が空を舞い、それを見ながら避難した。
 そして避難した先では、地下であるにもかかわらず地面が揺れ、そして天井が破壊される。
 さらに、これまで感じたことのない光が、天井の隙間から見え隠れする。

 バカバカしくも、神々しく……いや……なんと言えばいいのだろう?

 結局、ふさわしい言葉や台詞など、思いつきはしなかった。

 思いついたところで、何の役にも立たないだろうけれど。


 「お、お兄ちゃん!」


 僕の腕の中で、女の子が嗚咽を漏らす。
 大丈夫だ、という一言すら言えず、僕は固まっていた。


 『みんな終わりだよ』


 先ほどの酔っ払いの言葉が、僕の中で何度も再生される。

 視線を動かせば、その言葉を発した本人は、瓦礫に体を押しつぶされ、無残に死んでいた。

 血が、流れていく。

 僕たちは運がいい。
 運の悪い人は、酔っ払いの人と同様に、
 落下物に押しつぶされ、人としての形を失っている。

 その周囲で人々は泣き叫び、そして神に助けをこうている。

 しかし、神はこの場にはいないらしい。

 天井から差し込む光はさらに強さを増し、そしてそれにより天井そのモノの破壊も押し進む。

 いったい、地上では何が起こっているのだろうか。



 『みんな終わりだよ』



 終わり?

 死ぬの?


 僕は死ぬのか?

 ここから生きて出られないのか?


 生きてはいるらしいけれど、
 一向に連絡もよこさない父親に会うこともなく、死ぬ?

 その昔に分かれた幼馴染に会うこともなく、死ぬ?

 僕の手の中で泣いているこの子を助けることも出来ず、死ぬ?

 まだ20年にすら足りぬ時間しか刻まずに、この世界から退場する?






 いやだ。






 まだ、死にたくない。

 コックにもなっていない。

 まだ、食べたことのない料理もある。

 まだ、作ったことのない料理もだ。

 恋人だって、まだいない。



 なのに、死ぬ?



 いやだ、いやだ、いやだ!

 まだ、死にたくない!


 誰か助けて欲しい。

 誰でもいい。



 僕をいじめた、しかし今は友人でもある仲間たち。

 いじめられていた僕を見てみぬ振りした、きらいな先生でもいい。

 誰でもいい。


 父さん、母さん・・・・・・誰か、僕を助けて。




 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」




 気がつけば、僕の胸から光がこぼれていた。

 母の形見であるペンダントから、
 網膜を焼くような強烈な光がこぼれ、そして僕の意識を奪っていく。

 なんなんだろう、天井からこぼれる光は怖いのに、この光はまったく怖くない。


 宝石が光るなんて、絶対におかしいのに。

 だって、ありえない。希少鉱物の結晶が発光するなんて、ありえない。
 でも、光が僕の胸から広がって、体を包み込んでいく。

 なんで・・・・・・このペンダントは・・・光って・・・・・・・・・・・・・・・・






 光が広がり、視界を焼く。何もかもが一度白くなり、そして反転。

 いや、暗転か。

 一瞬後には、僕の視界は暗く閉ざされた。








                  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






 また光る。

 小さな砂の粒のようなものが、多く、数え切れないほどに光る。




 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」







 星が、瞬いた。







 夜の帳に覆われた空に、小さな光の粒として、星が息づいていた。



 「・・・・・・・・・・・・・え?」



 間の抜けた声が、僕の口から漏れた。




 「星? な、何で星が?」




 何故、僕は空を見上げているのか、それが分からなかった。

 僕はシェルターにいたのではなかっただろうか?



 「いたっ」



 頬を、何かがこすれる。
 身を起こしてみると・・・・・・僕は草原に大の字で寝ていたようだ。

 頬を掠めたのは、生え茂った草の中の一本なのだろう。

 どこだろうか、ここは。


 ぐるりと周囲を見回してみるが、そこは僕の記憶にある場所ではなかった。


 何なんだ?

 光った。暗くなった。そして気がついたら、草原?

 わけが分からない。

 夢?

 それとも、今が夢?

 あるいは、僕という存在は、蝶が見ている夢?

 そんな話が、地球の古代中国の話であった気がするけど・・・・・・。

 いや、今はそんな話を思い出している場合じゃなくて・・・・・・。

 ? では、どういう場合なのだろう?


 何なんだ? 何なんだ? ここまでわけが分からないのは、生まれて初めてだ。


 「なん、なんだろ・・・・・・本当に・・・・・・」



 再び草原に寝転び、僕は星を見やる。

 考えることを放棄し、ただただ呆然としていたのだ。

 先ほどまで見ていたのは、夢だったのだろうか。しかし、どこまでが夢なのだ?

 そもそも、ここはどこだ?

 なぜ、じぶんはここにいる?

 もしかして、僕はあそこで死んで、ここは天国なのだろうか?

 天国にも、夜があるのだろうか?


 「おい、にいちゃん。あんた、こんなところで寝てると、風邪引くぜ?」


 そんな分からないことだらけの僕に、遠くから声がかけられた。

 身を起こしてみると、自転車に乗ってこちらを伺っている男性がいた。

 中年・・・・・・40歳か、あるいは50歳かという雰囲気の人だった。


 僕は、天使にしてはあまりに俗っぽいその人に、質問を投げかけた。


 「ここは・・・・・・・どこですか? 僕は死んで、ここは天国でしょうか」

 「・・・・・・そうか、うん、何も言うな。分かった。
 お前さんもその年で大変だな。いい病院を紹介してやる。待ってろ」


 僕の質問に、その男性は一人納得して、うんうんとうなずいた。

 なにやら激しく誤解されている気がした。


 「違うんです。ちょっと記憶が混乱してて! 
 決して精神的な何かを抱えているわけじゃありません!」

 
 自分で言っていて、ある意味自信のもてない台詞だった。

 僕が先ほどまで見ていたのが夢や幻だと言うなら、僕は立派な妄想癖のあるアブナイ人間だ。


 「・・・・・・まぁいい。とりあえず、こっち来い。
 自分の町会の原っぱに変な子供が寝てちゃ、気になって帰れねぇ」

 「は、はい。・・・・・・・あの、ここは本当にどこなんですか? それだけは確認したいんです」

 「お前、本当に夢遊病とかで、知らないうちに、ここに来たんじゃねぇだろうな?」

 「・・・・・・分かりません。記憶が、ちょっと」


 その男性が言うことを否定する材料が、僕にはなかった。

 夢遊病? 寝ているうちに場所を移動するあれだよね?

 僕は変な夢を見ながら、ここまで自分で歩いたってこと?

 そうだとしたら、どれだけ歩いたのだろう。

 僕の住んでいたコロニー内で、こんな草原のある場所は・・・・・・どこにあっただろうか。

 昔、幼馴染のあの子がいたころには多かったが、最近は開発が進んで、近所にはないし・・・。


 「ここはサセボだよ。細かく言えば、サセボの2−32地区。第5町会のサクラ公園となりの原っぱだよ」

 「・・・・・・あの、どこですか? サセボ?」

 「はぁ? サセボはサセボだろうが。九州の。日本の。もっと言えば地球のサセボ」




 「・・・・・・・・・・は?」





 地球。






 チキュウ?


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい? なんで?


 僕は本気でその場に固まった。







                  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 

 



 木星方面より、突如として巨大な質量が火星宙域に飛来した。


 それは調べれば調べるほど、単なる『未確認飛行物体』で終わらなかった。

 まず、木星の重力を無視し、その周辺から物体が自然に火星に向けて飛来することなど、ない。

 その質量は、慣性に任せずに自らの意思で、火星へと進路をとった。
 これは明らかに、何らかの『意思』を感じさせるものだった。

 火星駐留軍は、火星軌道上の衛星や、その他観測機器を使用し、すぐさま質量を計測した。
 
 それらから得られた姿からして、間違いなくその質量は『人工物』であった。
 ただちに火星政府と地球の連邦政府は、迎撃に打って出るという決定を下した。

 火星にその人工物が直撃すれば、火星は200年前の、人の住めない環境に逆戻りするだろう。
 人工物直撃による火星全域での死者数の推測は・・・・・・すでに表記する意味を成さないものだった。


 全滅。その一言で事足りる。


 火星を捨て、全住民を退避させることなど、まず不可能なのだから。
 10万人単位で人が乗り込める宇宙船など、
 本格的な移民政策が終了した現在、製造されていないのだから。

 避難しようとしても、100年近く前の超大型運搬船を、
 現代で使用できるよう調整しているうちに、人工物は火星圏に突入することだろう。


 飛来する質量が、火星に近づき次第、減速する可能性もないわけではない。

 飛来してくるものは、小惑星ではなく、人工物なのだから。

 しかし、人工物であるという理由だけで、事態を楽観視は出来ない。
 むしろ人工物であるからこそ、警戒が必要だった。

 小惑星は意思を持たない。しかし、人工物とは何らかの意思を込められて作られたものだ。

 その意思とは、なんだろうか? 侵略? それとも、もっと他の何かか?

 歴史上例がないため、火星駐留軍はもてるすべての戦力を費やすことにした。

 地球からの援軍は、残念ながらその人工物飛来予測時間までに、間に合いそうにはなかった。

 何しろ、木星から火星まで、その飛来物は3日程度という速度を維持していた。
 地球軍の所属艦隊で、地球から火星まで、2日以内に到着し、作戦実行の準備を行えるものは存在しなかった。


 そして、火星は宇宙に展開した戦力で、その人工物の迎撃を始める。
 人工物は火星に近づくにつれ減速していたが、それでも止まる気配はまったくなかった。

 もしかすればこの人工物は、異星人・・・この場合は木星人か・・・からの友好を示す使者なのかも知れない。
 しかし、それは憶測に過ぎず、
 そんな希望でしかない考えで、火星内部に人工物を進入させるわけには行かなかった。

 通常の戦艦で出せなくもない速度にまで減速した人工物に、火星軍の艦隊は攻撃をする。


 しかし、まったく通用しなかった。


 未知の技術。これはあくまで推測だが、
 どうやらその人工物は空間を歪曲させ、光学兵器を無理なく逸らせてしまうらしい。

 しかも実弾兵器にもそれは効果があり、弾幕の衝撃や熱も緩和し、問題ないものにしていた。

 それは暫定的に「フィールド」と呼ばれた。そう。それは人工物だけの、独自の領域なのだ。

 いや、名前などどうでもいい。
 とにかく、人類の攻撃はその人工物にまったく通用しなかった。

 人工物は、艦隊を自らの質量で押しつぶしていった。

 人類の兵器は全く役に立たず、そして火星の列強の部隊が、その雄姿を無残な塵へと返された。
 文字通りに押しつぶされて、である。


 そして、その質量は火星に侵入を果たした。


 今後どのような行動を取るかは分からないが、
 おそらく、その人工物は我が物顔で火星内部をうろつくのだろう。

 やがては、地球に侵攻するかもしれない。


 しかし、どうすることも出来ない。


 結果・・・・・・火星は、木星より飛来した人工物によって、陥落した。
 この戦い・・・戦いと呼べるのかどうか分からないが・・・での死傷者の数は、人類の有史史上最悪の数にまで昇った。



 


                  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





 「・・・・・・・・・・」


 以上が、僕が草原で目覚め、
 見知らぬおじさんの付き添いで警察に連れて行かれ、そこで知った『現在の世界の流れ』だった。


 火星が滅んだ?

 じゃあ、何故僕はここにいる?

 あの子はどうなった?

 何故、僕は地球にいる?

 どうやって、ここまで来た?

 母さんのペンダントが光っていたが、あれと何か関係があるのか?

 そう言えば、ペンダントは、どこに行ったのだろうか?


 疑問だけが膨れ上がり、僕は抜け殻になった。

 記憶も混乱していた。

 警察で調べてもらった限りでは、確かに僕は火星陥落時に、火星にいたはずだった。

 惑星間の出国手続きも、入国手続きもなかった。
 DNA情報監視システムをごまかすことなど、事実上不可能である。


 S級のハッカーならば、あるいは可能だろう。
 
 しかし、僕は満足に情報管理技術すら学んでいない。

 IFSはあるものの、それは情報処理用でもない。あくまで、ただトラクターなどを運転するだけのものだ。


 警察は、不思議な存在である僕のことを調べた。

 警察の、結構上層部まで出てきたみたいだった。僕にはよく分からないけれど。

 しかし、どれだけ調べても、僕から犯罪暦は出ず、ハッキング能力も見つからなかった。

 身体検査も徹底してやられた。それこそ、細胞の一つ一つまで調べられた。 

 IFSを通して、脳みその中身まで見られた。
 深層心理にある、僕と言う自我を構成している重要な記憶情報以外は、外部記憶に吸い出された。

 つまりはまぁ、魂以外は、すべからく観察されたと言うことだ。

 知能テストもやられた。
 古来より続けられる『天井から吊るされるバナナを、道具を使ってキャッチ』もした。

 結果、僕の知能レベルはDのAAAクラスらしい。つまりは高校生程度だそうだ。

 ちなみに、知識レベルはHのBBBクラス。小学生の高学年程度らしい。

 足し算、引き算、掛け算、割り算が出来れば、それでいいじゃないかと思う。

 調味料の計測に、微分積分は使わない。
 波動の方程式だって、使わない。特殊相対性理論だって、多分要らない。

 ホテルの料理長は使うのか? 使わないだろう?

 知識レベルのテスト結果を言い渡した警察官が、微妙に見下していたのに、腹が立った。

 じゃあ、あなたは僕に料理で勝てるのか、とか胸中で呟いたりした。

 意味がないことだったけれど。


 2週間ほどの時間を、僕はそのまま警察と病院で過した。

 最終的に、僕は解放された。
 犯罪性もなく、僕自身に危険性も見当たらなかったから、だそうだ。

 それに過去の歴史を見るに、
 ロシア在住の少女が一時間という時間内に、ブラジルまで移動したことがあったらしい。

 200年以上前の出来事である。

 いや、100年前、50年前にも、
 そう言う『神隠し』と呼ばれるような不可思議な移動が、あるにはあるらしいのだ。 

 納得のいく説明が出来ない以上、
 つまり書類に物証を合わせて、公式なものとして残せない以上、僕の移動は『不思議なもの』で片付けられるらしい。


 そして『しばらくは、警察が君を監視する』などという言葉とともに、僕は警察から放り出された。


 監視だって?

 『不思議なもの』なんて言葉で、ぜんぜん片付いていないじゃないか。

 ・・・・・・とも思ったが、まぁ仕方のないことだろう。

 僕と言う存在は、不可思議なものでしかないのだから。


 警察から放り出された僕には、何も無かった。

 仕事も、家も、お金も。

 
 そんな記憶すら一部分あやふやな僕を引き取ってくれたのは、あのおじさんだった。

 なんでも、身元引受人に自分からなってくれたらしい。


 『知ってしまった以上、見て見ぬフリは、人として嫌だろ? そうは思わんか?』


 僕を家に招いてくれたとき、おじさんが僕にかけた言葉がそれだった。


 おじさんの家は、町の小さな洋食屋さんだった。

 いや、洋食と名乗りつつも、メインは中華だったけれども。


 僕はそこで手伝いをしながら、毎日を過した。警察に監視されながら。

 警察は僕を監視して、それを誰に報告しているんだろう?

 そんな疑問が沸かないでもなかったが、答えが出るわけでもない。 

 いつしか、人に観察されることにもなれていた。


 そして、半年が過ぎた。





                  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





 「出て行け。坊主」

 
 営業時間が終了した食堂の厨房で、僕はおじさんにそう言い渡された。

 そしておじさんは、僕に一枚のカードと紙ベースの資料を渡してきた。

 僕は、それを当然のことだと思った。


 僕はおじさんの家にお邪魔してから、食堂を一生懸命に手伝った。

 僕はコックになりたいと思っていたので、ここはある意味、理想的な場所だった。

 朝早くからの仕込みも、それほど苦じゃなかった。

 僕は孤児院で朝餉を作ってから、早朝の農場に向かって仕事をしていたのだ。

 早起きが辛いような生活リズムは、それこそ10歳になる前に無縁のものだった。 


 でも、僕には大きなトラウマがあった。

 そう。

 僕は早起きで、料理が好きで、店の手伝いには持って来いの人種だったけれども、

 トラウマと言う名の、致命的な欠陥があったのだ。


 木星からの来訪者のせいで、地球軍は新しい兵器を開発したり、演習を増やしたりと、戦争ムードが満載。

 当然、食堂の屋根の上を、戦闘機が飛んでいくこともある。

 僕はその戦闘機の音を聞くたびに、足が震えてしまう。

 戦闘機の音が、僕にあのときのことを思い出させるから。


 戦闘機の音を聞きながら、僕はトラクターを操作して、シェルターに入った。避難した。

 そして、そこで女の子とお話していた。

 そして、そして、そして・・・・・・シェルターは・・・・・・。


 連想ゲームのように、僕はあのシェルターでの出来事を思い出し、そして恐怖する。

 周りが見えなくなって、足が震えて、立っていられなくて、そして声を上げて泣き叫ぶ。

 そのせいで、お客の・・・しかも常連さんの足が少しずつ、遠のいていった。

 特にここを気に入っていた常連さんからは、直接『あんたが辞めれば、またここにも来るのに』とまで言われた。

 
 店の売り上げはがた落ちだった。


 僕の保護をしているおじさんには、
 いくらかの援助金が出ていたみたいだったけれど、それでも駄目だった。

 だから、出て行けと言われても仕方がなかった。

 むしろ、半年もよく我慢して、僕をおいてくれたと思う。


 「ここ半年の給料と、次の仕事場の案内だ」


 おじさんは、一応僕を着の身着のまま追い出す気はないらしい。

 仕事なんてまともにしていない日も多いのに、おじさんは僕にお金を渡してくれた。

 そして、僕のために揃えてくれた調理器具も、餞別に渡された。

 移動用にと、少しだけ型の古いマウンテンバイクも渡された。


 「坊主。お前に言っておくが、逃げてちゃ何にもならないぞ」

 「・・・・・・・・・・分かってます」

 「分かってない。分かってるなら、逃げてんじゃねぇよ」

 「・・・・・・」

 「・・・・・・だんまりか。まぁ、そう言う軟弱者だから、置いておけねぇんだがよ。ほら、出てけ!」

 「はい・・・・・・お世話に・・・なりました」


 僕は荷物をまとめて、おじさんの家を出た。

 おじさんは自転車を押しながら、それこそ逃げるように道を進む僕に、最後に声をかけた。


 「根性をちゃんとつけたら、また顔を出しに来やがれ! 逃げんじゃねぇぞ!」


 僕はその声に『はい』とは言えなかった。

 だって、怖いから。

 僕は、自分が何かと戦う、正面から向き合うイメージというものが湧かなかった。


 コックになりたい。

 そう。

 ぼくには、なりたいものが、やりたいものがあった。

 でも、それをすることも出来なかった。

 やりたいことだけをやることすら、出来なかった。

 おじさんは腕のいい料理人だった。

 その人の家に、住み込みで働くことになった。

 農場にバイトに行く必要もない。孤児院のみんなの世話をする必要もない。

 毎日が修行だ。僕は、料理ばかりをしていればいい。

 したいことをしていればいい。


 でも、それすら出来なかった。


 ただ、空の上を戦闘機が駆け抜けるだけで。

 いや、それだけじゃない。実は車も少し怖い。車のエンジン音が怖い。

 電子レンジの暖めるときの、かすかな駆動音もエンジン音に聞こえて、怖い。

 洗濯機の聞こえないほど小さな駆動音も、怖い。

 雨の音も、雷の音も。

 白い蛍光灯も嫌いだ。

 太陽も、苦手だ。

 強い光が怖い。

 でも、自身を飲み込んでしまいそうな暗闇も怖い。


 すべて、怖い。


 やりたいことをするために、僕が怖いものをすべて捨てたら、この世に何が残るんだろう。

 答え。何も残らない。

 いじめられていたときみたいに、両親がいなくなったときみたいに、僕は自棄になるだろう。

 そこに、何かが形として残るはずがない。


 実際、今の僕の抜け殻なのだから。

 何もかもから、逃げ出しているから。



                  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 僕は泣きながら、自転車をこぐ。

 口からは荒い息とともに、わけの分からない文句がこぼれる。


 「だって怖いんだ。逃げたっていいじゃないか・・・!」


 苦難は克服することが重要だ。
 そんなことは他人に言われなくても、重々承知している。

 でも、それが出来ないから辛いんだ。

 出来ないから、怖いことが増えていくんだ。

 だから、また逃げるんだ。


 でも、仕方ないじゃないか。

 僕は、あんなに怖い思いをしたんだもの。

 あんなことさえなければ、僕は普通だったはずなんだ。

 あんな目に会って、怖がりになってしまったのは、僕が悪いの? 僕に責任があるの?

 僕は泣きながら、自転車をこいでいく。

 目的地は特に決めていない。おじさんからもらった紙には、次の仕事場が乗っていた。


 でも、そこは軍関係の施設の炊き出し補助だった。しかも、住み込みだ。

 客観的に考えれば、食事と寝る場所を確保できて、打ってつけかも知れない。

 僕は住所がないけれど、火星にいたころのデータを下に、特殊な身分証名称を警察に発行してもらった。

 ちなみに、悪用しないように、オンライン上では常に監視されているらしい。


 ああ、よくよく考えれば、それだけじゃない。
 
 半年前からずっと、僕の身も定期的に監視されている。

 だから、このカードにはそれなりの信頼性があるということだ。

 よって、これを見せれば、多分問題なく採用されるだろう。


 でも、怖い。

 軍関係施設なんて、怖くて近寄れない。

 戦闘機が、僕に嫌な思い出を湧き上がらせるから。


「? うわっ!」


 そんなことを考えながら道を進んでいると、僕の隣を猛スピードの車が通り過ぎていく。

 危ないなぁ、と思っていると、本当の危機はそれからだった。


 車のトランクに積まれていたスーツケースが、落下してきたのだ。


 トランクには落下したスーツケース以外にも、

 他にも大きなリュックだとか、色々とロープで強引に詰め込まれていたので、それも当然と言えば当然だろう。

 むしろ、あんな状態でよくここまで荷物を落とさずに、走ってこれたものだ。


 なんにしろ、ケースは僕めがけてやって来る。


 「はわぁぁっ!」


 ケースは自転車のハンドル部分にぶつかり、そのせいで僕はバランスを崩した。

 ケースと自転車と一緒に、僕はごろごろと数メートルは地面を転がっただろう。

 そのせいでスーツはロックを解除され、中身を周囲にぶちまけた。


 数秒後、ようやく回転を止めた僕だったが、視界は真っ暗だった。

 怪訝に思ったが、すぐに合点がいった。

 どうやら開いたスーツケースが、僕の視界をふさいでいるらしい。


 今日は厄日なんだろうな。

 追い出されて、こんな追い討ちをかけられているんだから。

 逃げ惑う僕には、お似合いなのかもしれない。


 「ん・・・」


 キキッというタイヤのゴムがこすれる音がしたかと思うと、誰かの足音がこちらへと近づいてくる。

 僕は視界を覆っていたスーツケースや、あるいはその中身を取り除きながら、とりあえず体を起こした。


 「ごめんなさいね? 大丈夫だった?」


 黒髪・・・いや、深い紫の光沢を持つ、長い髪の綺麗な女性だった。

 僕はあまり詳しくないので分からないけれど、おそらくこの女性は軍人か何かだろう。

 タイトなスーツの上から、ジャケットを着込んでいる。

 まぁ、こんな服装の蕎麦屋がいたら、それはそれで面白いかもしれない。


 年齢は僕に10年分の年月を足したぐらいだろうか。

 大人な雰囲気のある、綺麗なお姉さんだった。


 「だ、大丈夫ですけど・・・・・・それにしても、乗せすぎですよ」


 僕はしばらく沈黙してから、ようやくそんなことを口にした。

 その言葉には怒気が篭っていたが、しかし大したものではなかった。

 相手が美人だったから? どうだろう。もしかするとそうかもしれない。

 あるいは、怖い人でいちゃもんをつけられなくてよかった、何て言う安堵があったのかもしれない。


 「これでも、かなり削ったんだけれどね・・・」


 乗せすぎ、という僕の言葉に、その人は苦笑で答えた。


 「荷物の整理の仕方に問題があるんじゃないですか?」


 僕は自転車を道路わきに退かしてから、お姉さんの荷物の整理を手伝った。

 怒りに任して文句を言い、その場を後にしないのは何故だろう。

 やはり、相手が美人だから?

 ううん。違う。今の僕は、怒ることも面倒なんだ。

 相手は謝っている。なら、それでいいじゃないか。


 それ以上、何を求める? お金? 

 それとも美人なこの女性の、体を使用した奉仕?


 どうでもいい。そんなもの、欲しいとも思わない。

 物欲も性欲も、僕の今の心には沸いてこない。

 つまりは、どうでもいいんだ。波風だけを、立てたくないと思っているんだ。


 嘆息交じりに、スーツケース内に物を収めていく。

 スーツケースや、まだトランクに入っていたリュック・・・中身は小物類だった・・・の荷物総量は、それほどのものではない。

 しっかりと収めていけば、トランクにすべての荷物を押し込むのは、おそらく不可能ではないと思う。

 スーツケースを最初に乗せて、その後で他の物を押し込むなり何なりすればいいのだ。

 スーツケース内に多くのものを押し込めれば、リュックは半分に折りたたむことが出来る。


 「・・・・・・? なんですか?」


 僕が荷物の整理をしていると、お姉さんはこちらの顔を凝視していた。

 怪訝に思って尋ねると、お姉さんは首をかしげて、さらにこちらの瞳に視線を合わせた。


 「君の顔、どこかで見た気がするんだけれど、前に会わなかったかしら?」

 
 火星ならともかく、今の地球に僕の知り合いはいない。

 いや・・・・・・。

 幼馴染のあの子が今の地球にいるなら、知り合いがいることになる。

 そう言えば、警察ではこの事実を言っていない。

 あのときは本当に呆然としていたし、思考も直線的で、そんなことを思いもつかなかった。

 今頃になって、何を思い出しているんだろうな、僕は。


 あのとき言っていれば、幼馴染のあの子に連絡がついただろうか?

 いや、警察は僕の頭の中身すら、保存している。

 むしろ何かあったなら、向こうから連絡してきただろう。

 つまりあの子は今、サセボから遠すぎるところにいるのだろう。


 「すみません。多分、あなたの勘違いだと思います。僕には、知り合いがいませんから・・・」

 「そう? ごめんなさいね」

 「いえ・・・」

 「終わりましたか? そろそろ行かないと、本気で遅刻に・・・」


 僕が荷物を積み終え、トランクを閉めると同時に、運転席から男性が顔を出した。 

 運転しているということは、お姉さんの部下だろうか? あるいは、同僚か。

 何だか、まじめな雰囲気をまとう人だった。

 お姉さんとは違うタイプだけれど、やはり軍服らしいデザインの服装だった。

 
 「ええ、すんだわ。それにもうすぐなんだし、遅刻はしないわよ」


 心配性なのか、やはりまじめなのか。あるいは、お姉さんが時間にアバウトなのか。

 意見する男性に、お姉さんは苦笑した。それにつられ、男性も苦笑する。

 それで引き下がったところを見ると、お姉さんの意見のほうが正しいのだろう。


 「それじゃ君、ありがとう。そしてごめんなさい」

 
 お姉さんは荷物の後片付けを手伝ったことへ謝礼を、ぶつけたことに謝罪を、改めて述べた。

 僕は愛想笑いにそれで答えた。

 少し顔や肘や膝や・・・その他関節も痛かったが、目立った外傷はない。

 だから、謝ってもらえればそれで十分だった。それ以上、僕は何も求めないから。





                  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 「・・・・・・はぁ。さてと」


 お姉さんの車が立ち去った後、僕は自分の自転車へと戻った。

 どこに行くかも決めていないけれど、とにかくここからは移動しなければいけない。

 夏だとは言え、こんな道の真ん中で野宿をする気はない。

 一応は『お金はあるのだから、この道を進んで、最初の町で宿をとり、バイトを探す』という予定を立ててある。

 ・・・・・・それを予定と言っていいものか、少々迷うけれども。


 「あれ?」


 自転車を発進させようとして、そこで僕はちょっとした事に気づいた。

 ハンドル部分に、何かが垂れ下がっていた。

 それはよく見てみれば、見知らぬペンダントだった。

 おそらく、スーツケースが中身をばら撒いたときに、ここに引っかかって、僕たちが気づかなかったのだろう。

 僕のものではないのだから、お姉さんのもの。それ以外考えられない。


 ペンダント。


 別に何か意味のあるものではなく、お気に入りのアクセサリーの一つかもしれない。 

 あるいは、それこそ恋人にもらった大切なものかもしれない。

 僕には、その価値が分からない。


 どうしよう。


 この道を進んだら、軍施設があるかもしれない。

 どう見ても、もうしばらく一本道が続きそうだし。

 そもそもお姉さんも『もうすぐだ』と言っていた。

 ならば、50キロだとか、100キロ離れているはずもない。

 つまり、届けてあげようと思えば、届けてあげることが出来るはずだ。


 でも、軍の関係施設になんて、近寄りたくない。

 夜間演習なんかしてたら、その場で僕は泣き倒れてしまうかもしれない。 


 なら、このまま見て見ぬ振りして、捨てるか?


 『知ってしまった以上、見て見ぬフリは、人として嫌だろ? そうは思わんか?』


 おじさんは、そう言って僕は預かってくれた。

 何の義理もないし、お金にもならないのに、半年も面倒を見てくれた。

 僕は助けられた。

 あの時、おじさんにも見て見ぬ振りされたら、僕はどこかの施設に入れられたのだろうか。


 自分は助けられたことがあるのに、自分は助けられそうなものを見捨てる?

 また逃げる?

 僕は、被害者だ。荷物をぶつけられたのだから。

 それに怒り、ペンダントを投げ捨ててしまっても、いいんじゃないのか?


 さぁ、質問です。選択しなさい。

 どうしますか?

 届けますか? それとも、これを捨てますか?

 捨てた場合は、怖いものから逃れることが出来ます。

 でも、届ければ感謝されるかもしれません。


 さぁ、どうしますか、僕?


 「・・・・・・・進もう」


 僕はとりあえず、自転車にまたがった。

 この先に進んで、軍施設があれば、そのときまた考えよう。

 もし軍施設がなければ、それはもう仕方がない。警察に届けて、任せてしまえばいい。

 しかし警察より先に軍施設があるような場合は、その軍施設に進路を向けてみよう。


 「大丈夫。落し物のペンダントを届けるなんて、小さい子にも出来るんだから」


 僕は独白した。
 
 その声は、お世辞にもはっきりしたものだとは言えなかった。





                  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 白を基調とした、落ち着いた空気の横たわるブリッジ。

 人類が木星からの来訪者に対抗するために建設した、最後の砦とも表現できる最新鋭の設備が並んだその場所に、

 少しばかり場違いとも言える報告がなされた。


 「おかしな少年がいる?」


 口元に生えたひげをさすりながら、周囲に自身を『プロスペクター』と呼ばせる男性が首を傾げる。

 それはおかしな報告だった。

 今から数分前、自転車に乗った少年が、中にいる女性に届け物があるといい、基地の受付に顔を出したらしい。

 少年の話によると、ある意味で接触事故のような出来事があったらしいのだ。


 簡単に言ってしまえば、

 基地関係者と考えられる女性を乗せた車に、少年がぶつかった・・・らしい。


 少年はさらに、その届け物というペンダントを見せた。

 ペンダントを簡易的にスキャンしたが、盗聴機などの『有害』と言えるものはなかった。


 とりあえず、少しお待ちください。

 そう係りの者が言い、少年は受付の中の応接椅子に腰を下ろした。


 そこまではいい。


 しかし、その後すぐ、少年はその場に泣き崩れたらしい。

 耳を押さえ、目を閉じ、何かから逃げるように。

 何故、少年が泣いたのかが分からない。恐ろしいことなど、何もないだろうに。


 確かに基地内であるため、その受け付け内もかなりの騒音がある。

 大型トラックがコンテナを運ぶ音は、慣れない一般人は少し驚くだろう。

 まるで間近を戦闘機が通ったかのような、騒音が鳴るのだから。


 だが、泣くほどは驚かないだろう。

 あるいは少年は、受付の目を引き付け、基地に侵入するための陽動担当者だろうか?

 いや、そんなことで陽動されてしまうような馬鹿はいない。


 何にしろ・・・・・・確かに、おかしな少年だ。

 少し様子を見に行ったほうがいいかもしれない。

 自分は、本社よりそれなりの権限を持たされている『プロスペクター』なのだから。


 「・・・・・・どうしたのかね、プロスペクター・・・」


 通信で報告を受けるプロスペクターに、これまたひげを生やした男性が問いかけた。

 もっとも、この男性のひげの量は、プロスペクターをかなり圧倒する量だったが。


 「ああ、いえいえ、何でもありません。すみませんが提督。少しばかり出てきますので」

 「かまわん。……プロス」

 「はい?」

 「ことは予定通りに進められている」

 「……はい?」


 なにやら、提督は知っているらしい。

 いや『ただ大事の前に、小事に気を割くな』という忠告だったのかもしれないが。


 なんにしろ、プロスペクターは提督に返事を返してから、

 ブリッジ上段よりおり、そして基地表層を目指した。


 このブリッジは・・・というか、ブリッジを中に含む建設物そのものが・・・軍施設の最深部にある。

 よって、地上に出るまでには少しばかりの時間がかかるのだ。


 「さてさて、どんな少年なのやら・・・」


 出来ることなら、自分が行くまでの数分で、せめて話し合える程度には落ち着いていて欲しい。

 そうプロスペクターは思った。






                  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





 僕は受付で泣いた後、暗い部屋へとつれてこられた。

 背後の灯る大きなディスプレイ以外の光源は、ない。

 光と音が苦手だという事を伝えたら、ここに通されたのだ。

 僕はそのくらい部屋の中、静かに揺れ震える体を抑える。


 途中までは、うまく行っていたのに。
 
 やはり、今の僕がこんなところに来るのは、間違いだったのかもしれない。

 がくがくと震える体を見下ろし、僕は自分の情けなさに嘆息するしかなった。


 しばらくすると、僕のいる暗い部屋の扉が開き、一人の男の人が入ってきた。

 僕の前に現れたその人は、なんだか軽い空気をまとった人だった。

 何だろうか。その心の表層すら、僕には曖昧過ぎて、よく分からない。

 人の顔色をうかがうのは、孤児院で身につけた後ろ向きな特技の一つなのだけれど。


 「ははは。はじめまして。まぁ、そうかたくならずに、ね?」

 「は、はい」


 戸惑う僕に、その人はにこやかに自己紹介を始めた。

 ずいぶんと口の動きが活発な人だったけれど、
 要約すると、名前はプロスペクターといい、ここでは『それなりに偉い人』だそうだ。

 プロスペクターと名乗ったその人は、僕に笑顔を向ける。

 不自然さはないけれど、安心が出来ない。

 こちらを探っているわけではないのに、見透かされる気がする。

 そんな印象を受ける笑みだった。僕は少しだけ頭を垂れて、視線をずらした。


 「すみません、あの、泣いて迷惑をかけて。本当にごめんなさい」

 
 そう言いながら、僕はプロスペクターさん・・・本人はプロスでよいと言っていた・・・に、ペンダントを渡す。


 「あの、僕、騒音とか怖くて。でも、これ、届けに来たんです・・・」

 「ふむふむ……って、これは……」

 「あの、知ってるんですか? きれいなお姉さんが、落としていったんですけど」

 「きれいなお姉さん、か。ふむ。彼女が聞いたら、さぞ喜ぶ……」 


 プロスさんはペンダントを見やりながら、なにやら呟いていた。

 僕には最後まで聞き取れなかったけれど、やはりお姉さんはここに来ていて、

 プロスさんとも知り合いらしい様子だった。

 
 「じゃあ、僕はこれで……」

 「こんな時間に帰るのかい? 家はどこなのかな?」

 僕が大泣きしてしまったからだろうか。

 プロスさんは、まるで小学生をあやすかのような口調で、僕に話しかけてくる。

 「ありません」

 「家がない? う〜ん。悪いけれど、簡易スキャン以上のことをしても、いいかな?」


 すでに受付で、僕の個人情報の表層は読み取られていた。

 しかし、僕の今の発言に疑問を感じたプロスさんは、さらに深い情報を欲したらしい。


 「いいですよ、別に」

 
 僕は手を差し出し、プロスさんの用意している情報端末に触れた。

 端末は僕の皮膚表層からDNAデータをスキャンし、かなり深い情報までをプロスさんに渡していく。

 普通なら、嫌がるんだろうな。

 犯罪暦だとか、学歴だとか、病院に通った回数まで知られるんだから。

 でも、僕はすでにすべての情報を覗かれたことのある身だ。

 魂。ゴーストと呼べるもの以外は、すべて晒されてしまった。

 記憶を見られるのだって、今さらと言えば今さらだ。

 僕を構成する魂は、覗かれることを嫌わない。

 何故なら、すでに諦めているから。


 「なっ、火星から……? しかも、これは……」

 「先に言っておきますけど、火星からどうやって地球まで来たのかは、知りません。

  もし、詳しく知りたいなら、警察機構に聞いてください。僕を監視しているはずですから」


 絶句しているプロスさんに、僕はそう言い放つ。

 
 「・・・・・・? どうかしましたか?」


 僕の経歴……火星から地球への不可解な移動……を見て驚いていると思ったのだが、

 プロスさんはもっと他のことに驚いているらしかった。

 
 「いやはや、そういうことですか、提督」

 「どうか、しました?」

 「ん? ああ、いやいや、別に何でも」


 プロスさんはへらへらと笑って、僕の疑問を受け流した。


 「この情報を見る限り、あなたは今、無職でお金も無く、住む場所も無いそうな?」

 「はい。役立たずなんで、前の職場から追い出されました」

 「そんなあなたに朗報! 今、この基地の下には大きなチャンスが眠っていて、その名は……」

 「……あの、もしかして、それって仕事の勧誘、ですか? なら、いいです。好意は、うれしいですけど」

 「ふむ? 何故?」

 「軍は、怖くて……」

 「しかし、勧誘先は民間会社だ、と言ったら?」

 「……え?」


 僕はプロスさんの言葉が、理解できなかった。

 
 プロスさんは軍の人じゃない?

 そしてプロスさんの所属しているのも、軍じゃない?

 ここは軍施設なのに?

 じゃあ、あのお姉さんは?

 いや、そもそも何故、プロスさんは僕なんかを勧誘しているのだろう?


 一瞬のうちに、疑問が僕の頭を通り過ぎて行った。

 僕は無意識のうちに首をかしげ、プロスさんの瞳を見やった。

 プロスさんは僕の視線に気づき、微笑を強いものにした。


 「まず、詳しい話を聞いてみないかい?」


 ニコニコとした笑みを浮かべたプロスさんに、

 僕は数十秒間しっかりと悩んでから、首を縦に振った。


 軍じゃないというプロスさんに、好奇心が沸いたわけじゃない。

 正直、プロスさんが軍人だろうが民間人だろうが、僕としてはどうでもいいのだから。


 軍施設内にいるのが、怖くなくなったわけでもない。

 ここは暗いからいいけれど、この外に出たら、また騒音が鳴り響いているのだろうから。 


 じゃあ、何故?


 よく、分からない。

 ただ、気がついたら、首を振って、プロスさんにつれられて部屋を出ていた。


 ただ、流されただけ。

 実はそれが、そのときの僕の行動の答え・・・・・・だったのかもしれない。





                  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






 プロスさんに連れられて、僕は軍施設の最下層へと進んでいく。

 乗っているエレベーターは起動音が本当に微かなもので、僕も落ち着いて乗っていられた。
 
 そのエレベーターが、基地最下層のドッグへと到着する。

 ちん、という金属音とともに扉が開き、それに連動するように僕の視界も開かれた。


 そこには、2本の大きな剣を携えた、巨大な何か、があった。

 何なのだろう。

 白く、そして有機的なデザインのそれは、僕の目には美しく見えた。


 「これが、わが社が威信をかけて製作している、ナデシコ」

 「なでしこ・・・」

 「そう、ナデシコ。一言で言えば、まぁ……戦艦」

 「民間会社が、戦艦を? 戦争するつもりなんですか?

  それとも・・・・・・この艦を飛ばすことで、社名を売る、とか?」

 「ははは、まぁ、後者の意味合いが強いかな。これ一隻で戦況が覆ることは、難しいだろうしねぇ」

 「ですよね・・・」


 静かなドッグにその身を委ねるナデシコを見やりながら、僕はプロスさんと呟きあう。

 軍施設の下で、民間会社が何をやってるのだろう、と思ったものの……

 何のことは無い。軍とそう変ることの無いことをしていたのだ。


 「僕なんかを勧誘していただいたのは嬉しいですけど、僕は軍とか、戦争とか嫌いです

  だから、このナデシコに関係することなら、僕はお誘いに乗ることが出来ません」

 「今、ナデシコの中の食堂は女手ばかり。男でも少しばかり欲しかったんだが・・・」

 「お誘いには、感謝します。でも、僕なんかには、無理です

  僕は、怖いんです。軍とか戦争とか。こんな戦艦の中の厨房になんて、怖くて立てません」


 「そうか、残念だな。君の経歴を考えると、ちょうどいいと思ったのだけれど?

  これは社内でも機密なんだが……ナデシコの目的が、火星到達とか……」


 すでにナデシコへの興味を薄れ始め、早くこの基地から抜け出したいと考え始めていた僕の耳に、

 プロスさんの囁くような台詞が突き刺さった。

 
 「今、なんていいました?」

 「いやいや、ただ、ナデシコは火星に向かう、と……」

 「それ、本当ですか!?」


 僕は、声を荒げた。

 トラウマによって泣き叫ぶ以外で、こういう風に感情を表に出したのは、久しぶりだった。


 僕は、火星のことを忘れた日なんて、ない。

 あの日のことを。

 僕の心に傷をつけ、世界を一変させ、僕を構成するすべてを壊したと言える、あの日のことを。


 どうして忘れられる?

 あの日さえなければ、僕はまだ孤児院でそれなりに幸せな日々を送っていられた。

 それなのに・・・・・・。

 そう考えて、眠れない日が、これまでなかったはずがあるだろうか?


 火星はどうなっているのか。 

 あの女の子は?

 孤児院の皆は?

 農場の管理者のおじさんは?

 僕の知る人すべてが、どうなったのか。

 それを知りたいと思わなかった日が、あるとでも?


 「これに乗れば、ここの厨房に勤めれば、僕は火星にいける?」


 少なくとも、地球の表面で無職の生活をしているよりは、その可能性は高いだろう。

 ここまでお膳立てしておいて、実はうそだ……などとプロスさんは言わないだろう。

 火星の大地を、もう一回踏める・・・・・・。

 それは、僕が地球に来てから何度も夢見たことだ。


 もちろん、今火星に行っても、僕の知る火星ではないだろう。

 でも、ぼくは、それでも・・・・・・。


 「火星に、行けるかも知れない。問題があるとすれば・・・・・・」


 火星に行くとして、問題があるとすれば、それは僕の心だけだ。

 目の前には、力強い戦艦が鎮座している。

 一種、芸術的でさえあるその外観は、

 たとえそれが民間会社が作った戦艦だとしても、十分に信頼出来そうな印象を秘めている。


 そんな戦艦の行き先は、火星。僕の行きたい土地。

 だが、その火星に行くまで、この戦艦は危ない場所を通るだろう。

 僕はそれに振るえ、泣き、そしてまた立っていられなくなるだろう。


 そう、つまり、この戦艦に乗るならば、自分の中のトラウマとか、恐怖と向き合わなければならない。


 また、僕は選択しなきゃならない。

 先の軍施設に行くかどうか、などというものより、ずっと困難な選択を。


 このチャンスを逃せば、僕のような人間が火星に行く機会は多分ない。

 でも、このチャンスに乗っかれば、代償として自分の恐怖心と戦わなければならない。



 どうする?

 どう、すればいい?


 僕は、僕は、僕は、僕は……。


 火星にいる孤児院の皆なんて、所詮は他人だ。

 見捨ててしまえばいい。

 この基地からのさっさと逃げ出して、何もかも忘れてしまえばいい。

 町に出て、事務系のバイトを探して、アパートを借りて。

 住んでいるところの戦争ムードが高まれば、人気のない土地に逃げていけばいい。


 目を閉じ、耳をふさぎ、口を覆い。

 そこにいないかのように振舞って、現実から逃げ出せばいい。

 そうすれば、怖くないのだから。


 でも。

 でもそうしたら……そこに『僕』はいない。

 逃げて、そして戦うことをやめ、人形のように毎日を過ごすことに、どれだけの意味がある?

 自我を放棄すれば、それは肉の塊。生ける屍。

 人の目を楽しませ、喜劇を演じる人形以下かもしれない。


 だが、しかし。

 自分で決めて、戦うことを選択するのは、やはり辛い。

 だって、怖いんだ。


 じゃあ、どうするの?

 どうしよう?

 どうすればいい?


 「あの、プロスさん……」


 うつむき、胸中で様々なことを考えていた僕は、ようやく顔を上げた。

 それを律儀に待っていてくれたプロスさんは、そんな僕に視線で『何?』と問いかけてきた。

 だから僕は選択した答えを、プロスさんに伝えた。



 「僕を、ナデシコに乗せてください」



 僕は選択した。

 怖いけれども、チャンスを逃すわけには行かないから。

 多分、ここで逃げたら、一生後悔するだろうから。


 ここにおじさんがいれば、少しは僕のことを見直してくれたかな?


 胸中で『仮想のおじさん』を作り出し、聞いてみる。

 するとおじさんは、苦笑交じりにこう言った。


 『まだまだだ! 精進を忘れんじゃねえぞ』


 僕はそんなおじさんの言葉を聴きつつ、プロスさんとともに、ナデシコに乗艦した。




                  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 登る、というのは、自分の意思でやめることが出来る。

 その場に足を止め、腰を下ろし、一息つくことが出来る。何しろ地面に足がついているのだから。

 でも、落ちるのは自分の意思では止めることが出来ない。

 人は、生身で重力というものを、制御することが出来なのだから。

 落ちたら、落ちっぱなし。

 もう、後戻りは出来ない。

 今日は、そういう日なのかも知れない。落ちる日なのかも知れない。


 僕はプロスさんの後ろを歩きながら、そんなことを考える。

 別に、もうナデシコから下りたくなったわけじゃないけれど。


 ただ、決心というか、何かそういった類の心構えをしただけだ。

 僕は落ちだした。今、落ち始めている。

 いや、火星から地球に飛んだあの日から、すでに落ちていたのかもしれない。

 どうにしろ、事態はどんどん動いていく。

 そしてその事態から逃げないという選択を、僕は先ほど下した。

 だからまぁ、頑張らなきゃならない。

 もう、後戻りは出来ないのだから。 


 そんなことを考えつつ歩いていると、ナデシコ内部の格納庫へと、僕はやってきていた。

 まぁ、人の物資も、すべからく搭乗口というものを通り、ここに行き着き、

 それから艦内の目的地へと足を進めるものらしいので、当然だ。


 「あれこそが、エステバリスという名の、わが社の開発した決戦兵器」

 「えすてばりす?」


 プロスさんの声につられ、格納庫で僕が見たものは、人の形をした機械だった。

 いつだったか、戦闘機が人型兵器に変身するアニメを見たことがあったけれど、

 エステバリスは、そんなものよりもずっと人間的なフォルムだった。

 そのエステバリスは漆黒をしており、肩につけられた装甲に、大きく『V』とマーキングされている。

 おそらく、3番目の機体という意味だろう。


 『く〜、手があって、足があって! これこそまさに男のロマン!』


 エステバリスが何で動いているのか知らないけれど、

 ことさら耳につく様な、やかましい起動音はなかった。

 そのおかげで僕はぼんやりとエステバリスを……それこそ夢でも見るように見ていたんだけれど……

 そこで突然、エステバリスが大声でうなりだした。

 もっとも、それはエステバリスの意思によるものではなく、中のパイロットのものだろうけれど。


 声は男の人のもので、ずいぶんと暑っ苦しいタイプだった。

 多分、僕とは正反対の感情ベクトルを有しているんだろう、なんて思った。


 『ええーい、さっさと降りろ! エステちゃんに傷がつくだろ!』

 
 格納庫内に置かれた漆黒のエステバリス。

 それに乗ってただただ感動する、僕からは顔も見えないパイロット。

 そのパイロットに、メガフォンで怒鳴り散らしている人がいた。


 整備員らしいつなぎ服を着込み、右手にメガフォン、左手にスパナを持っている。
 
 その顔にはメガネが装着されており……その人は、なんだか少し怪しい雰囲気が漂う男の人だった。

 なお、エステちゃんというのは、おそらくエステバリスの略称だろう。

 ちゃん付けにするほど、可愛らしい外見ではないと思うんだけれど。


 「思い通りに動くってーのは、もう感動モンつーか、何ちゅーか」 


 僕からはよく見えなかったけれど、いつ間のにやら、エステバリスから人が這い出てきていた。

 エステバリスは、どこが搭乗場所なんだろうか。まぁ、僕にはどうでもいいことか。

 なんにしろ、出てきた暑苦しそうな男の人……僕と同じ年頃かな……は、

 ずいぶんと嬉しそうにそう言い放った後に、空中へと跳躍する。

 そして『ずばん』という大きな音を格納庫に響かせて、パイロットの男の人は着地した。


 「思考制御なんだし、誰でも動かせるのは当然だろ! 資格さえあればな!」

 「ははははは、そりゃそーか!」

 「笑い事じゃない! 何でいきなり勝手に乗ってるんだ!」

 「そりゃ、待ちきれへんというか……」

 「ええい、似非くさい関西弁を使ってごまかすな!」

 
 着地したパイロットに、整備員さんはかなり怒っているみたいだ。

 会話から察するに、パイロットは無断でなにやら機体を動かしているらしい。


 「アレが、このナデシコを護衛する機体のパイロット?」

 「あ、ああ。まぁ……」

 「馬鹿?」

 「それは少し辛辣過ぎる気も……しないか、あれじゃ」


 僕の呟きに、プロスさんはただただ苦笑した。

 そのプロスさんの苦笑に合わせて、パイロットは更なる騒ぎを引き起こす。

 
 「いたたたたた!?」

 「ん、どうしたんだ、おい!?」

 「いや、足が、な?」

 「お、おい。折れてるぞ、この左足!」

 「マジか!?」

 「マジだよ!」


 足を抱えて、整備員に泣きつくパイロット。
 
 先ほどの着地が原因だと思われます。


 「これ以上ない馬鹿?」

 「度し難いな、アレはさすがに」


 格納庫の中心で痛みを訴えるパイロット。

 それに僕たちは冷ややかな視線を浴びせる。

 仮に、彼が足の調子が悪いままに戦い、ナデシコを守り抜いたとしても、

 僕たちは『痛みに耐えてよく頑張った、感動した』とは言えない気がする。

 自業自得だし。


 世の中には、いろんな人がいるんだなぁ。

 僕はこれまで逃げてばかりだったけれど、これまで馬鹿ばかりやってた人とかもいっぱいいるんだなぁ。
 
 タンカに運ばれ、医務室へと向かうパイロットを見ながら、僕はそんなことを考えていた。


 すると……

 ビー、ビー、ビー……なんていう、シンプルで単調な音が格納庫に響き渡る。

 さらには、赤いランプが点灯し始めた。


 「な、何なんだ?」

 「どうやら、敵襲か……」

 「て、敵襲?」

 

 ポツリと言葉を発したプロスさんに、僕は裏返った声を上げる。

 今までお馬鹿なパイロットを見ていて、少しだけ忘れられていた。

 でも、ナデシコは戦艦で、戦う兵器を搭載してて。


 間違いなく、戦場となりえる、僕にしては地獄と同義とも言える場所だった。






                  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






 「どうやら、木星よりの来訪者です。艦内、第1種戦闘態勢に移行します」


 警報が鳴るとともに、私はコンソールを操作して、ナデシコのメインコンピューターをリンクを開始する。

 脳内に情報の波が押し寄せ、私の自我に触れる。

 私の自我に触れた部分から情報は再構成され、私にとって扱いやすい物に整理されていく。


 私は淡々と、作業をこなす。

 私は、こうするために生み出された存在。

 そうすることが、私の価値。

 だから私は、誰に言われるまでもなく、情報を扱っていく。


 「このままでは、ドッグで生き埋めだな。地上の基地は?」


 私に、ブリッジ上段にいる提督が質問を投げかけてくる。

 私は自分の視界を少しばかり遮る蒼銀の髪を鬱陶しく感じながら、答えた。


 「絶対防衛線、機能していません。1時間もせずに、目標はゼロエリアに侵入します」

 「足止めも出来んか。まぁ、当然だな」


 提督がそう呟くのと時を同じくして、提督の隣に壮年の男性がやってくる。

 それは提督の隣に常時立つことから、キノコなんていうあだ名をいただくこともある副提督。 

 副提督は、提督になにやら小さく耳打ちした。

 提督はそれにうなずくと、
 

 「後は頼む」


 とだけ言い、何故かブリッジを後にした。

 
 何なんだろう、と疑問が沸かないでもなかったが、私は艦内で情報だけを扱う人間。

 今は、襲来している敵の情報を収集し、それを活用するのが義務。

 提督の考え、などという情報は、私の守備範囲外だ。


 私は淡々と、作業をこなす。


 私は、こうするために生み出された存在だから。

 そうすることが、私の価値だから。





                  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





 「エステバリスに、乗ってくれないかな?」


 それはプロスさんからの、突然の申し出だった。

 その言葉を聴いた瞬間、僕はプロスさんが何を言っているのか、理解できなかった。

 プロスさんの言葉にこういう風に驚かされるのは、これで何回目だろうか。


 「今、ナデシコは敵襲を受けている」


 呆然とする僕に、プロスさんはどんどんと言葉をつむいできた。


 「しかし敵の力は大きく、迎撃することは難しい。しかも、パイロットは今しがた怪我で入院した」

 「ほ、他にいないんですか!」


 ナデシコは戦艦で、何体か機動兵器だったあるはずだ。

 現に、先ほどお馬鹿なパイロットが作動させていた機体には、Vとかかれていた。

 それから考えれば、少なくとも、後2体は機動兵器があるはずだった。


 「ああ。残念ながら、他のパイロットはまだ……ここにはいない」


 しかし、プロスさんは僕の反論を一つの事実で潰した。

 先ほど足を折ったパオロット以外に、ここにはパイロットがいない。そんな、洒落にならない事実。

 こんな場面で嘘をつくはずもないのだから、それは多分本当のことなのだろう。


 「何で、僕なんですか!」

 「君の情報は、先ほどスキャンさせてもらった。それによると、君はエステバリスを操作する資格がある」

 「……僕は勧誘した本当の理由は、それ、ですか…」

 「まぁ、否定はしないさ」


 住所不定、無職の、何のスキルもない少年。

 確かに火星から地球まで瞬間的に移動したことは事実だが、それを自由に行えるわけでもない。

 僕なんかを雇っても、何のメリットもない。

 なのに、プロスさんが僕を勧誘した理由。

 何のことはない。非常時の鉄砲玉だったということか。



 「乗るなら早くしろ! 出なければ、帰れ!」



 プロスさんから顔を背け、俯いていた僕の耳に、大きな声が突き刺さる。

 顔を上げてみれば、遠くのほうにひげを生やした男の人が立っていた。


 誰だろうか。

 どこかで見たことのあるような気がする顔だ。

 どこかで聞いたことのあるような気がする声だ。

 誰だろうか、あれは……。



 「久しぶりだな、シンジ!」

 「父さん!?」



 誰なんだろう。そんな疑問は、名前を飛ばれた瞬間に吹き飛んだ。

 そして僕は、これまでの人生でもっとも大きな声を上げた。


 「事態は聞き及んでいるだろう! すでに、貴様以外戦えるものはいない。

  今すぐエステバリスに乗り、木星よりの来訪者である『使徒』を迎撃しろ!」

 「何で僕なのさ!」

 「お前以外には無理だからだ!」

 「本当に僕以外いないの!?」


 いつの間にか浮かんだ目じりの涙をぬぐいながら、僕は最後の抵抗を発した。

 それに対し、父さんは小さく呟く。

 すると父さんの眼前には、小さなCGウインドウが表示された。


 「……冬月、レイのウインドウをよこせ」

 『親子の対面は失敗かね?』

 「ああ。まぁ、当然だな。だが、シナリオどおりだ」

 『そのために、跳躍以前から監視をつけていたのだからな』

 「そのとおりだ」


 CGウインドウに表示されていたのは、父さんよりも年のいった男の人だった。

 そしてその男の人が消え、ウインドウの中には、小さな青い髪をした少女が浮かび上がる。


 『何でしょうか、提督……』


 それは、6歳か、7歳くらいの、小さな女の子。


 「彼女の名前は、綾波レイ。エステバリスを起動させることの出来る存在だ。

  しかし、彼女はナデシコのオペレーターでもある。

  彼女が出撃すれば、ナデシコは動かず、結果としてここにいるものの生存確率は低下する」


 「……僕が出ないと、皆が、死ぬ?」

 「そうだ」

 「………………………………………脅迫だよ、そんなの」

 「もう一度言う。乗るなら早くしろ!」




 僕は、どう答えればいいのか、分からなかった。

 しかし、答えなければならなかった。


 どうすればいい、なんて言葉に意味はない。

 どうしようもないんだ。


 だって、僕しか乗れないんだろ?

 乗らないなら、帰れ……なんて言ってるけど、本当に帰してくれるかは、怪しいものだ。


 本当に、僕はこの基地から帰れる?

 でも、ここから出されれば外は戦場で、僕は死んじゃうんじゃ?


 結局、選択の余地なんてないんでしょう?


 僕に選択出来ることと言えば、

 素直に乗るか、それともコクピットに無理やり詰め込まれて乗るか、そのどちらかぐらいじゃないだろうか。
 


 「……………乗るよ」



 そして僕は、この日……いや、人生で一番大きな選択を、することになる。

 納得は出来ない。


 でも……。


 「乗ればいいんでしょ? そうじゃないと、人が死ぬんだから」


 でも。


 「乗ります、僕が……エステに乗ります……」


 僕は宣言した。

 それは、宣言と言えるほど、大きな声ではなかった。













あとがき。
ふと思いついたネタ。多分、ネットで探せば、誰かがやってるはずのネタ。

ネタ的に使い古されてると思ったので、ここまでしか書いてません。

設定的には、かなり深く考えてますけどね。
オチまでがやたら長い作品。途中で飽きた人も多いかと。

配役としては、

アキト→シンジ
ユリカ→ミサト
提督 →ゲンドウ
副提督→冬月
山田 →トウジ
ウリ →ケンスケ
ルリ →レイ
プロス→加持
スバル→アスカ
イネス→リツコ

………………こんな感じ?

いずれはシンジ君に、金髪になったリツコさん見せて、
『あのリッちゃんが、こんなおばさんになって〜』とか言わせたかった……。


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