第八話



心踊る夏が、もうそこまでやってきていた。


期末テストを愛子の短期集中的な個人補習により、

悪過ぎない成績でなんとか乗り切った俺は、

海や山に多大な期待を寄せつつ、毎日を過ごしている。

もう学校に来なきゃならない日も、数える程度しかない。

学校が大好きな愛子は不満だろうが、

普通の学生である俺からすれば、夏休みほど魅力的な期間はないとですよ。


去年の夏は、色々と忙しかった……。

何しろ両親の会社の人事が荒れて、

外国行くかどうかの話がすでにあっらからな。

だから海にすら行くことができなかったが、今年は違う。

気ままな一人暮らし……いや、二人暮しか……であり、親の監視の目はない。

愛子の監視の目もあるが、

何だかんだ言いつつ、愛子も好奇心旺盛なので、

海に何度行ったところで、怒りはしないはずだ。

本体の机が、海水で痛まない限りは。


そう言えば、愛子は泳げるのだろうか?

愛子の中の学校に、プールってあったっけ?

まぁ、泳げないなら泳げないで、

俺が体の色んなところを取って、じっくり泳ぎを教えてやるぜ。

『きゃ、どこ触ってるの!?』と言われて『え、あ、ごめん』と、

そう返すのは、もはやアバンチュールでのお約束だからな。


今年はユッキーたちも誘って、

大勢であっちへ行ったりこっちへ行ったりしよう。

…………メドーサさんは、どうだろう。

基本的に人の目に付くのがまずい人だし、やっぱ来ないかなぁ?


ん?


あの修行馬鹿のユッキーが、

海や山に遊びに行くことを認めるのか、という不安はないのか?

頭の一部分が、そんな質問を俺の意識に投げかけてきた。


まぁ、普通ならば、

海へ泳ぎに行ったり、ナンパしに行ったりすることは、遊びの範疇だろう。

しかし、男の熱きロマン回路を回転させることで、霊力を高める俺にすれば、

海へ行って水着のオネーサンたちと戯れる行為は、

それ即ち『超集中猛特訓』に他ならない。


この完璧な理論がある限り、ユッキーも認めるほかあるまい。

そう、海には、あくまで修行に行くのだ。


それに、あいつは硬派を気取ってるが、実は女好きだ。

ちゅーか、そもそもマザコンだ。断じて女嫌いではない。

行けば女の子に気をとられて、鍛錬どころじゃないはず。

つまり、行ったもの勝ちなのだ。



そんなことを考えている俺の耳に聞こえてくるものは、

ジャー…という、何とも面白みのない音だった。



蛇口をひねり、俺はバケツの中に水を注いでいた。

ある程度まで水が溜まったら、

蛇口を閉じて、バケツを気合とともに持ち上げる。

そこまで重いものでもないが、しかし面白いものでもないので、

一連の行動には、それ相応の気合っちゅーモンが必要なんだよな。


廊下をとことこ歩いて教室に入り、

バケツを置くと……さぁ、後は雑巾を濡らして、床を拭くだけだ。



「めんどくせー」


俺は自身の心のうちを、僅か6文字で完全に表現した。

うん、分かりやすい。

誰が聞いても、俺の言葉は理解してくれることだろう。


「駄目よ、横島クン。さぼっちゃ」


そんな俺に、愛子の声が投げかけられた。

俺は素直に返事をして、床拭きを進めていく。


「ういっす」


俺は今、放課後の教室に這いつくばって、雑巾を忙しく動かしている。

何をしているかって聞かれれば、

俺はそいつの頭をハリセンか何かで、ぶん殴ることだろう。

どう見ても、掃除やないかい! ……なんて叫びながらな。


さっさと夏休みにならないもんかなぁ。

ああ、こんな掃除なんかしてる場合じゃないんだ! 

夏はすぐそこに……いや、今ここにあるのだから!



「道場の掃除もあるのに、何で教室まで拭かなきゃならんのだ」



俺は掃除が嫌いだ。

細かいものを作ったり、手先を動かすことは好きだ。

物を作るのも好きだ。

でも、その後片付けは嫌いやねん。

プラモでも、作った後にゴミのプラ破片を拾って片付けるのは、面倒やねん。

プラ破片を踏んだオカンに、

いっつもお仕置きされたけど、やっぱ面倒なもんは面倒なのだ。


これまでは上手いことサボってたけど、今は愛子がいるしなぁ。

注意する愛子のことを抱えて、家まで帰るわけにも行かない。

帰った後、アースクエイクが俺を待っているだろうし。

だからって、学校に放っていくわけにもいかない。

仮に放っておいたら、どうなるだろ?

怒られるならいいけど、もしかすると、泣かれるかもしれない。



ちなみに愛子は、学校ではおおむね好意的に受け取られている。

妖怪とはいえ、外見は普通の女生徒だし、

性格はしっかりしているし、特に先生方からは模範的生徒として嬉しがられている。

まぁ、一部の先生は、いまだに色々受け入れられないみたいだけど。

またクラスの女子からも、

俺の手綱を持つものとして、なんか頼られてるみたいだ。

愛子が怒れば、俺は女子更衣室に忍び込むことも、

風でめくり上がりそうなスカートに対し、地面に這いつつ反応することも、ないし。

まぁ、見つからずにやろうと頑張るのも、さらに萌えるんだけどな!


えーっと、俺の趣味は置いておいて。

愛子の存在が知れ渡って、

しばらくしてから転校生が来たことも、

愛子の存在を好意的に受け取る一つの要因だろう。

何でも、そいつは天然金髪の美男子で、吸血鬼の血を引くやつらしい。

性格は優しくて、女子にかなり人気だそうだ。けっ!



一般の生徒からすれば、

吸血鬼でそれなんだし、机の妖怪がなんだってんだ……という感じなわけだ。

ドラキュラの知名度は高いけれど、机妖怪なんて、誰も知らないしなぁ。

仮に愛子が日本で有名な学校妖怪である『トイレの花子さん』だったとしても、

名前から伝わる強さみたいなものは、やはり吸血鬼のほうが上だろう。


吸血鬼の血統者に、余裕綽々で圧勝する花子さん。

つまり、金髪美少年がなすすべなく、小学生の少女に完敗。

…………うん。どうやっても、そのシーンが想像できないな。


俺はその転校生とは、会っていない。

ほかのクラスに転入してるし、しかも男だしなぁ。

いくら綺麗な奴でも、男には興味ないし。

まぁ、吸血鬼の血を引く人間が、

普通に学校に通えてるって言うのは、すごく嬉しいことだけどな。

これはあれだ。

人に危害を加えない人型の魔の物なら、

人間界でしっかり生活できる証拠だよな。

今度会ってみようか。

でも、やっぱり、俺がわざわざ野郎に会いに行くというのもなぁ。

女の子の吸血鬼なら、献血だってしてもいいけど。


「横島クン、バケツの水変えてきて」


考えにふける俺に、愛子が指示を出した。


「え、またかよ」

「ほらほら、はやく」

「イエス、サー、マム」


ホウキでゴミを集めつつ、愛子は俺を促した。

俺は気だるげに答えて、バケツを持って教室を出る。

教室から水飲み場までは、さしたる距離はない。

ないんだけど、バケツを持っていると、何故か少し遠く感じるんだよな。


「産業廃水を排水、新規エネルギー水、注入〜」


水飲み場の掃除用蛇口の元に着くと、

ざばぁっと、景気よく黒く濁った水を流し捨てる。

そして、小声で下らないことを呟きつつ、

俺は蛇口をごくごく小さな力で動かす。

するとまるで糸のような細さで水が流れ出し、バケツの中に入っていく。


「………………」


沈黙し、ゆっくりと溜まる水を見る俺。


俺はサボってないぞ? 

ただ、ゆっくり水を入れてるだけだ。

『水を変える』っていう仕事は、ちゃんとこなしてるさ!


最大で入れれば、

数秒でいっぱいになるけど、このペースなら数分はかかる。

まぁ、数分かけるとまた愛子に怒られるから、

途中で蛇口は最大にしなきゃいかんだろうけど。


俺は水の注がれるバケツから視線をはずし、ふぅっと息を吐く。


「ん?」


気がつけば、隣に金髪の生徒が立っていた。

花の水を変えに来たのだろう。

その生徒は手に花瓶を持っていた。


(染めた感じじゃないな。こいつ、もしかして?)


その花瓶の中には、ちょっと枯れかかった花が入っていた。

その金髪生徒は、

その中でも特に枯れようとしてる一輪の花を掴み取る。

何をするんだろうと眺めていると、

花に残っている僅かな生気が、

その生徒に向かって流れていく。


生気をすべてなくした花は、

完全に枯れきり、風化し、

チリとなってさらさらと宙に拡散した。


「手品、じゃないよな。やっぱ。

 ……なぁ、お前、最近来た転校生か?」


生気を奪うその瞬間、

普段は押さえ込んでいるのであろう魔力の片鱗が、

目の前の金髪生徒からは感じられた。

俺は一応疑問系で聞いていたが、それはもう、ただの確認だった。


「え?」


俺からは金髪しか見えていなかったのだが、

声をかけて振り返させてみると、

その顔は確かに外国人のそれだった。


そう。

鼻筋がすらりとしており、

ああ、こいつはもてない奴の敵だって思わせる顔だった。


「ええ、僕はピエトロ。ピートって呼んでください」


金髪……ピエトロのピートは、そう自己紹介してきた。


「俺は横島だ。なぁ、いきなり悪いんだけど、

 今さ、花の生気を吸わなかったか?」


「はい、もうほとんど枯れていましたし、残滓を貰いました」


「生気を吸ったのは分かったけど……それで腹、ふくれるんか?」


「はい、花の力を分けてもらえば、僕はそれで……。

 まぁ、1日これ1本だけで、とは行かないですけど。

 それにしても、よく分かりましたね」


「一応、俺にも色々あるんでな。

 まぁ、そうじゃなくても、うわさは聞いてるし、

 そんでもって金髪だし、花は目の前で枯れるし……。

 普通、分かると思うけど」


「普通の人は、僕が生気を吸ったなんて、思わないですよ」


「そうか? うーん、まぁ、そうかもな」


なんか、会話と行為の端々に気品みたいなものが伺える。

花を枯らす行為が絵になるなんて、何て恐ろしい奴なんだ!

俺が愛子の味噌汁をすする姿は、全然絵にならないだろうに!


俺は少し嫉妬交じりに、ピートと言葉を交わした。

ピートは苦笑して、俺の言葉に答えていった。


むぅ、カッコよくて人当たりがよくて、いいやつ。

……ちっ、僻むとこっちが惨めになりそうだし、止めとこう。

そう思うけれど、俺のもてない人間の、

反骨精神みたいな何かは、なかなかに制御しづらかった。


ああ……。

小学校のころ、友達としたスカートめくりで、

何故か俺だけが、終りの会で吊るし上げられた苦い思い出が……。

顔がイイやつは、何で責められないんだ!? 

『横島クンが悪いと思います!』って、なんでだ!? 

あいつもしとったやないかい!


「……あーっと。で? ピートは何で、日本の学校に?」


俺は頭を振って、不穏な思い出を追い払ってから、尋ねた。


「こっちの教会で今、修行しているんです。

 で、将来的にはオカルトGメンに入りたいんですが……」


「あ、そっか。高校卒業の学歴が必要だもんな」

「え? 知っているんですか?」


「俺も将来、Gメンに入る男だからな。

 妖怪と霊に優しいGSになって

 言っただろ? 俺にも色々あるって」


「…………じゃあ、僕のことをいじめないでくださいよ」


「それとこれとは、話が別だ!

 もてそうな奴には、なんかこう、ふつふつと怒りが!

 人間だろうと妖怪だろうと、それこそ差別なく!」


「ぼ、僕はそんなにもててなんか」

「ほほう?

 女の子に『キャー』と言われたことがないと?

 神に誓ってないと?」

「いえ、まぁ…………あ、あります」


「だろ!? くそ〜、いいなぁ」


地団太踏むような俺の背後に、

不意に冷たい空気が流れた気がした。



「いつまでも帰ってこないと思ったら。

 …………何を絡んでるの、横島クン!?」



空気を感じた直後に、

俺の背中には、あきらかに冷たい声がかけられた。

ゆっくりと振り返ってみれば、

そこにいたのは愛子だった。

さほど本体から離れているわけではないので、机を担いでいない。

うん、こうやって見ると、本当に普通の女生徒ですね。

…………って、現実逃避している場合じゃないな。


「いや、転校生のピートが、

 将来的に俺と一緒の進路でな!

 だから話し込んでたんだ! な!」


俺は隣に立つピートの背を叩きつつ、言う。

しかし愛子の視線は懐疑的なそれから、

なかなか変化してくれなかった。


(あ、あの、横島さん?)


(何だ!?

 頼むから話をあわせてくれよ。

 じゃないと、俺はこいつに)


(いえ、そうじゃなくてですね。

 この人、普通の人じゃ……)


(ん? ああ)



こちらに話をあわせてくれず、

自分の疑問を投げかけるピートだったが、

それはそれで都合がよかった。


「ああ。こいつの名前は、愛子って言うんだ。ちなみに妖怪」

「え? あっ…私、机妖怪の愛子です……よろしく」


俺はピートの疑問に答え、愛子の肩をとって彼女を紹介する。

話を振られた愛子は、

その性格から自己紹介をしないわけにはいかないので……。

よし、これで愛子のあの視線は、うやむやにできたぞ。


「…………へぇ、そうなんですか。

 じゃあ、横島さんのさっき言ってたことって、本当だったんですね」


手短な愛子の自己紹介を受け、

またピートも愛子に自己紹介し、

それが終わったあとの第一声が、これだった。


「お前は人の夢を信じとらんかったのか」

「それは横島クンの態度のせいじゃないの?」

「うっ!」


俺の小さなうめきに、ピートは苦笑を漏らした。

愛子さん、ナイスな突っ込みですね。

そう言われると、俺は認めるほかないです。


「じゃあ、お互い来年のGS試験目指して、頑張りましょう」

「は? 俺は今年のGS試験で、受かって見せるぜ?」


俺がそこで胸を張ると、

ピートは視線を宙に上げ、それから呟いた。


「えーっと……今年の試験は、もう終わりましたよ?」

「な、なんだとぉ!?」


「神父もそうおっしゃってましたし。

 あ、ああ! でも、今年度中にはありますよ?」


「今年中にはないけど、今年度中?」


わけが分からん。

あれ? 

メドーサさんは、どう言ってたっけ?


「横島クン、今年って言うのは12月まで。

 そして今年度って言うのは、来年の3月までよ?」

「お、おう……?」

「横島さん。GS試験も、大学などの入試と同じ時期、

 つまり来年の2月になりますから……」


「そ、そうだったのか」


じゃあ、俺が公言していた夢は、

どうやったところで叶わないことだったと?

な、なんてこった! そ、そうだったのか! 

今年中と今年度中という、

そんな些細な差で、何ヶ月も違うなんて!

そうだよな、4月から新学期だもんな! 

ええい、すっかり勘違いしてた!



くそぅ、どうすれば……。



……どうしようもないか。

もう言っちゃった言葉は、引っ込まないし。



………………………まぁ、いいじゃん。

大体、落ちたわけじゃないんだ。



別にそんなに気にすることじゃねぇよな! 

修行して、強くなれる期間がのびたってことじゃないか! 

むしろラッキーじゃん!



「何だ、別に何の問題もないじゃん! あーはっはっ!」



俺はそんな風に自己完結し、二人の前で笑った。



「明るい人なんですね、横島さん」

「よく言えばそうね」

「悪く言うと……いえ、なんでもないです。

 じゃあ、僕はこれで失礼します」



ピートは花瓶を持ち直し、水飲み場から退散していく。

俺と愛子はその姿を見送ってから、

自分たちも教室に戻るため、動き出す。


「さ、私たちも早く掃除を終わらせて帰りましょ?」

「ああ、そうだな」


俺は蛇口を閉じ、水のいっぱい入ったバケツを持ち上げる。

あんなにゆっくりと注いでいたのに、

いつの間にやら溢れんばかりに、水はバケツの中にあった。

かなり長い時間しゃべっていたからな。

そりゃ、どれだけゆっくりでも、出せば溜まるよな。


「掃除をサボろうとして長引かせれば、

 その分修行する時間が減っちゃうのよ?

 ちゃんと真面目にしましょ?」


おもむろに、愛子がそんなことを言い出した。

ううう、その『言うこと聞かない子供をあやす』口調は、

出来れば止めてもらえませんか?

いや、分かってはいるんですよ。

うん。サボってちゃ、話が先に進まんってことはさ。


「大丈夫、分かってるさ」

「本当に?」

「明日からは、真面目にやりますって!」



愛子に宣言しつつ、俺はふと首を傾げる。


……………………うん?



あれ?



俺は今、何を考えたっけ?



ああ、そうそう。



どれだけゆっくりでも、水を出せばバケツに溜まるって……?



出せば、溜まる?



どれだけゆっくりでも、少なくても、出せば溜まる?



「どうかした、横島クン」

「ん、ああ」



突然思考の海に潜り始める俺を、愛子は心配そうに眺めていた。

口には出していないが、

どこか痛むのかと、その視線でたずねてきている。

俺は愛子の心配を払拭するため、明るい口調で返事をした。


「別になんでもないっすよ」

「そう?」


実際、別にどこか痛いわけではない。

ただ、俺の中に何かが閃いたような気がしたのだ。

それが何か、まだ掴みきれていないが、

何か……そう、何か重要なことのような気がする。


溜まる? 最近の俺の性欲ですか? 

いやぁ、体を動かすと心身にいいって言うのは本当だよね。


溜まった煩悩は霊気に転換して、

その霊気を道場で使うことで、最近は処理しているし。

まぁ、溜まる速さが尋常じゃないんで、

完全な健全スポーツ少年には、なれないけどな。


しゃーないやん、だって若い男なんやし。


……て、そうじゃなくて、えーと、なんだったか。



(分からん。何か思いついたような気がしたんだが……)



ま、焦ったところでその閃きが分かるわけじゃないし、後からじっくり考えるか。














          第8話   横島クンのオニ退治















「あら、いいところに来たわね。

 メドーサ様があなたにお話があるそうよ?」


「メドーサさんが?」



道場につくなり、俺はカンクローさんに呼び止められた。

呼び止められた場所が玄関口であったため、

愛子の机を下ろし、胴着に着替え……などと、

そんなことをする暇すらなかった。


何の話だろう、と首を傾げてみるけれど、思いつかない。

メドーサさんは道場で着替えたりしないので、

クラスの女子みたく、俺の覗き行為の対象にはならないし。

うーん、この前飛びついたときに、

調子に乗って胸をもみしだいたことが、今頃?

いやいや。

メドーサさんは、そんなに度量の狭いオネーさまじゃないしなぁ。

いやいやいや。でも、チリが積もって、我慢も仕切れなくなったとか?


考えても、埒がない。

取り敢えずは行ってみることにしよう。

しばし悩んでそう結論付けた俺は、

愛子の机をカンクローさんに道場内に運んでもらうよう頼み、

制服のままメドーサさんの元へ向かう。





メドーサさんは、道場本館の脇にある個室の一つに居た。

ソファに腰掛け、物憂げに窓の外を見やっている。


(うーん、何があったんだ?)


なにやら雰囲気が重そうなので、今日は飛び掛らないほうがイイか?

さすがの俺だって、場の空気くらい読むことはできる。

いくら美人だったとしても、

夫の葬式で泣いてる未亡人に、いきなり飛び掛ったりはしませんよ。

ええ、多分。うん、そのはず。

それと同じです。

物憂げなオネーさまに抱きついたりはしませんとも。


そういうシュチュエーションのビデオを、

借りたことがないわけじゃないですが、現実と仮想は違うしな。

…………って、気づいたら体がうずいているんですけど!

どうしよう!? どうすれば!? 



「来たか、ヨコシマ」



っと……。

くだらない事を考えているうちに、

こちらから話しかけるタイミングを逃してしまった。

もし、今メドーサさんが声をかけてこなかったら、

俺はメドーサさんに向かってダイブしてたね。絶対。



「ういっす、横島忠夫、ただいま参上です!」



まぁ、メドーサさんのことだから……よくよく考えてみれば、

俺がこの道場に来たことも、すでに把握してたんだろうけれど。

正確に言うなら、俺が道場に来たときに、

ちょうどカンクローさんが玄関に来たんじゃなくて、

メドーサさんがカンクローさんを玄関に行くよう、仕向けたんだろうな。


だって、普段から俺のことをよく見てるって、

カンクローさんも前に言ってたしな。


「えーっと、なんの用っすか? 部屋の雰囲気が重いんすけど」

「ああ、重要な用件だね」

「じゃあ、真面目に聞くっす」

「普段は真面目に聞いてくれていないのかい?」

「い、いや! んなことないっすよ!?」

「冗談だよ。まず、そこに座りな」


くすくすと笑うメドーサさんに促され、

俺はメドーサさんの前のソファに座った。

どこか楽しそうなのは、

もしかしていたいけな少年の俺を、からかって楽しんでるからっすか?

うう、なんなんすか? 

重いのか軽いのか、よく分かんないすよ?


もしかして、今は飛び掛っていいシュチュエーションだったのか?


俺はメドーサさんの顔を覗き込む。

……しかし、結局この人が何を考えているかなんて、俺には読みきれなかった。


「さて、ヨコシマ」

「はい」

「お前には今から、迷子になった王子さまを探してもらうよ」

「王子、さま?」


メドーサさんは俺の言葉を受けて、にやりと笑った。

悪女な顔だなぁ、かっこいいなぁ。

本題に入ろうとするメドーサさんを見つつ、

俺が考えたことと言えば、そんなことでした。





      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





「どこだ? 竜気の感触は、霊気や妖気、魔気とも違うって言ってもなぁ」



俺は制服のまま、街中を走りまわる。

可愛い女の子ならもっと鼻も効くんだろうが、相手が男じゃなぁ。

でも、命を狙われてるってんなら、適当に探すわけにもいかんし……。



「そして何より、期待されてるしな!」



そう。

憧れの人物が、俺に期待して仕事を依頼しているのだ。

中途半端なことはできない。



メドーサさんから聞かされた話は、ずいぶんと物騒なものだった。



まず、天界には『天竜』と言う種類の、

メドーサさんなんかより100倍以上は強い神様がいる。

その神様が、

なんか地上の神様との会議だとかで、

ここ数日地上へ降りてきているらしい。


その恩恵でここ数日の日本は、

天気に恵まれてるそうなのだが……。

まぁ、今は余談になるで、それはおいておく。


で、その天竜には子供がいるんだけれど、

その子供……天竜童子……も、

親父について、わざわざ地上に降りてきた。


その天竜童子は、

地上の竜神族の保護下にいたはずなのだけれど、

いつの間にか、その保護地から抜け出していたらしい。


これはまずい。


地上には、メドーサさんみたいにたくさんの魔族がいる。

その中には神族を敵視しているものが多い。

というか、ぶっちゃげた話をすると、

メドーサさんも神族はかなり嫌いらしい。

神は正義、魔は悪という絶対的な固定立場が気に入らないそうだ。

まぁ、確かになぁ、と思う。

魔族に生まれたから悪。

そんな風に決められて、気分がいいはずがない。


俺がピートにむかつくのと同じやね。

うん、まぁ、話のレベルが違うけど。



あ、話が脱線したな。



ええっと、それで……、

さらに同じ竜神の中にも、天竜をよく思わないものもいるらしい。

これはあれだ。

自分は日本国民だけど、

日本の総理をよく思っていない……みたいなものだろう。

指導者というものは、

賛同者とともに反対意見を持つ者も、その配下に置くもんだしな。


そんな状態で、天竜の子供が、一人で地上を歩き回っている。

もし、その無防備な天竜童子を、邪心を持つものが見つけたら?

誘拐、拉致、監禁。

犯人からの要求に、交渉不和。

そして……人質の殺害。


そんな人間界の事件そのままな未来が、起きてしまう可能性はあるのだ。


(メドーサさんが情報を掴んでるってことは、

 他の地上在住魔族とかも、やっぱり察知してんだろうし)


人間の俺は、今日も朝から学校に普通に行ってたが、

朝から……それとも、昼頃からか?……頑張って探してる奴もいるんだろうな。

とにかく早く発見して、保護しなければ。

そういった不穏な存在に、天竜童子はさらわれてしまう。


(任せてくださいよ!

 メドーサさん。この横島忠夫が、

 必ずあなたの下に童子をお届けします!)


メドーサさんがビッグ・イーターを100体ほど造りだし、

町中に放って、人海戦術で見つけるという手もある。

だが、これには早く見つかる代わりに、欠点もある。


第一に、メドーサさんが大々的に動いていることが広まれば、

さらに騒ぎが大きくなり、童子が危険になるってこと。

第二に、童子を見つけたとしても、

童子はビッグ・イーターに心を許さないだろうってこと。


やはり神族である童子を探すのは、

神族か……それが駄目でも、人間が探したほうがいいだろう。

人間なら、童子は種族が違っても、魔族ほどは警戒しないだろうから。


本来なら、まだまだ未熟な俺なんかに任せはしないだろう。

だが、メドーサさんは、

事情を話してGSに協力してもらうことなんて、できない。


では、白竜会の人間を使えばどうか?

ユッキーは……駄目だ。あいつは絶対に子守ができないタイプだ。

『黙ってついてきやがれ!』とか言って……。

……下手すると、ユッキーが誘拐犯としてつかまるな。

目つきが悪いし、

近所のおばさん連中が、即時警察に電話しそうな勢いだな。



じゃあ、カンクローさん。

まぁ、悪くはないんだけど、

口調やら仕草の端々に、怪しさが炸裂してるしなぁ。

童子が『おねぇ系男性タレント』が好きなら問題ないだろうけれど、

その可能性は、かなり薄いと思われるし。

口調は優しいほうだけど、

しかし筋肉質って言うアンバランスが、いかんともしがたいよなぁ。



じゃあ、陰念?

あいつはユッキーよりも子守に向いてなさそうだぞ?

絶対子供を泣かしちゃうな、あいつは。

正直、俺だってあいつがあんまり好きじゃない。

街のチンピラみたいだし。なんか顔も雰囲気も怖いし。



……で、俺というわけなのです。

他にも道場に人はいるのだが、

俺は妖怪との……愛子も一応妖怪だし……戦闘を経験しているってことで。

実戦経験は、何物にも得がたいんだそうだ。



「……って、あれか!?」



考えながら道行く俺の視界に、小さく動く何かが入ってくる。

それは、少年だった。

いや、もしかしたら幼児って言っても、それほど問題はないかも。

とにかく前方から、

角を生やした小学校一年生くらいの子供が、

とことこと走ってきていた。


多分、あれが天竜童子なのだろう、と思う。

どこかの民族系っぽい衣装も着ているし、

仄かに竜気も放ってるので、たぶん間違いないだろう。



その子供は、

きょろきょろと、時折後ろを見返していた。



目的地はある。だが、それがどこなのか明確に分からない。

そんなことを感じさせるその足取りは、

どこからどう見ても迷子っぽいのだが……。

う〜ん、あの服のせいで、

多分誰も話しかけたりしなかったんだろうな。

何と言うか……地方番組の『初めてのオツカイの企画』っぽいぞ?



「おーい、前見て歩けよ? こけるぞ?」


「ええい、余にかまうな! 今、忙しいのじゃ!」



…………よーし、そうか、うん。

これは殴ってもいいよな?

心配してやったのに、このガキは!

……って、いかんいかん。

ユッキーじゃあるまいし、いきなり暴力に訴えちゃいかんよな。


いや、別にあいつがいつも暴力振るってるわけじゃないけど。

うむ、すまんユッキー。


取り敢えずそんな風に心を落ち着けた俺は、

天竜童子にきわめて優しく語り掛ける。


「きょろきょろして、どこ行くんだ? 迷子か?」

「迷子などではない! 余はデジャブーランドに行くのじゃ」


どうやら、天竜童子は遊園地に行きたいらしい。

偉い父親はかまってくれなくて、

地上について来たはいいものの、暇だったってところか?

あるいは、最初から地上の娯楽が楽しみたくて、

わざわざ父親についてきたのか。


どっちにしろ、まだ子供ってことだよな。


「子供一人じゃ無理だって」

「世は今年で700を越えるぞ! 子供扱いするな」


もしかして、他の奴に話しかけられても、この調子だったのだろうか。

うーん、これなら、声をかけてもすぐお暇したくなるな。

俺だって知らなかったら、

変なカッコした、変なガキって認識しかしないだろうし。


それにしても、700才ねぇ。


もしかして、天界と地上の時間の流れって、

違ったりするのだろうか? 愛子の中みたく。

今が2000年だとすると、

こいつが生まれたのは1300年。

平安とか、鎌倉とか、そんなくらいだよな?

あれ? 違うっけ? 

まぁいいや。そんなことは、後で愛子にでも聞こう。



「あー、はいはい。で?

 行き方は分かってんのか?

 つーか、何をそんなに、きょろきょろしてるんだ?」

「余は追われとるのだ!」

「な、なにっ!?」



すでに嗅ぎ付けられ、身の危険にさらされていたのか?

まずい。まずいぞ!?

どうでもいいことを話して、時間を潰している場合じゃない!


俺のことは、ビッグ・イーターがどこか物陰から見ているだろうし、

すでにメドーサさんは、

俺が天竜童子と接触したことを察知しているはず。

となると、メドーサさんが出張ってくれるまで、

俺がこいつをどうにかして守らないと!



「ああ、来よった!」

「なに? あれがそうなのか?」



天竜童子が指差す道の先には、奇妙な二人組みがいた。

まるで宇宙人を捕まえに来た、メン・イン・ブラックだな。

特徴のない同じスーツを、着こなしている。



「は、早く逃げねば!

 それじゃあな! おぬしと話してる時間は……」

「つかまれ! 子供の足で逃げて、どうなるもんじゃないだろ!」

「おぬし、余を逃がしてくれるのか!?」

「人攫いが目の前にいて、ほっとけないだろ!」



俺は天竜童子の腰を引っつかむと、

そのまま抱き上げて回れ右をする。

うん、いい感じに天竜童子を確保できたな。

こっちを信用してくれたみたいだし。


あとは逃げ切ることができれば、御の字なんだが……。



「むぅ、何と情の熱き人間か!

 よかろう! 我が臣下として、おぬしを認めよう!

 名はなんと言う?」


「横島だよ」


「むぅ、よこしまとな?

 何ともまがい物くさい名前じゃの!」

「ええい、耳元で騒ぐな!」

「なんじゃとう!」

「さぁて、重くなったから下ろすかな」

「むっ、すまぬ! 謝るから、見捨てないでくれ!」


意外とノリがいいやつだな、こいつ。

それとも、一応事態の深刻さは把握しているんだろうか?

いやぁ〜、でも、

外に出たら危ないと分かってたら、最初から出ないだろうし、

俺にだって簡単に乗っかったりはしないだろう。

もしかすると、

俺があの二人組みの仲間で、演技してるかもしれないんだし。


「そこまでじゃ! 人間! 我々は怪しいものではない!」

「その通りじゃ! 今すぐそのお子を放し、即刻立ち去れ!」


天竜童子と言い争っている僅かな時間で、

二人組みはしっかりと俺たちに追いついていた。

さすがに速いな。

天竜童子をすぐさらわなかったのは、

傷つけないようにとか、何か考えがあって手が出せなかったからか?

ま、仮にどういう思惑だろうと、俺には関係ないけどね。

人攫いの考えることなんて、知らんっつーの。



「怪しくないって言っても、

 お前ら、自分に説得力があると思ってるのか!?」



俺は相手の隙を誘うため、大声で叫ぶ。

そう、突込みとは、

小声で言っても意味のないものなのだ。

それに大声でまくし立てれば、

何となくこっちのほうが正しいように聞こえることも、あるし。


と言うか、

いきなり『人間!』なんて呼びかける奴らなんて、

マジで怪しすぎです。

言外に『自分たちは異種族です』って、言ってるようなもんだぞ?



「どー見たって、お前ら怪しすぎるやろ!

 何だよ、その黒スーツは! この人攫い!」

「むぅ、それは誤解じゃ! 我々はただ、そのお子の確保を!」



俺は天竜童子に、視線で知り合いなのかと尋ねてみる。

天竜童子は首を横に振り、そして言った。


「知らん! あんな奴は知らんぞ!

 と言うかあいつらに連れて行かれたら、

 余は絶対に恐ろしい目に合わされる!」


「当の本人がこう言ってるぜ?」


俺の問いかけに、二人組みは即答できなかった。


「むぅ、どうしたものかのう、右のほう」

「仕方がない。今は確保するが先決じゃ。だろう、左のほう?」

「むぅ。何も知らぬ人間の子。我らの姿を見れば、逃げていきよるわ」

「ふむ、そうさな。しかし、それは他のものの目を引き付けぬか?」

「素早くやれば、どうと言うことはなかろう」



なにやら相談しだしたので、俺はその隙に行動を開始する。

体を覆っていた霊気を加工し、@−デコイを造りだす。

そしてそれを奴らに向かって射出つつ、距離をとった。


@−デコイが着弾する瞬間、

やつらの体が膨れ上がり、その正体が明らかとなった。

二人は細長い角と硬質な体を持った、鬼だった。

人化を解いたせいか、その体からはかなりの気が零れだしている。


天竜童子が『恐ろしい目にあう』と言っているのだし、

追っ手であることに間違いはないのだろう。

……が、しかし、それにしては邪気があまり感じられなかった。


もしかして、ただ操られている鉄砲玉なのか? 

なら、どうにかして解呪してやりたいけど……。

俺にそんな便利な術も技能も、ないしな。



「ぬお、何だ!」

「これは、幻術か!」



二人組みの男に静かに着弾した@−デコイは、

すぐさま拡散し、奴らを中心としてレイヤーを展開する。

そのレイヤーは外界の光を遮断するので、

あいつらにしてみれば、突然目の前が暗転したようなものだろう。


う〜〜ん。なんかなぁ。

デコイとしての使用方法としては、

かなり間違ってるような気もする。

@−マインとでも改名したほうがいいかな?


ま、取り敢えずどうでもいいか。

これで逃げる時間も、少し稼げただろうし。

@−レイヤーは、

もう多少離れても持続させられるくらいに、俺も成長してる。


「おぬし、奇怪な技を使えるのじゃのう」


超強い竜の子供である天竜童子が、ポツリとそんな呟きを漏らした。

おいおい、ただの我流結界だぞ?

鬼は……とうか、妖怪や霊は、

常日頃から霊視することに慣れているから、

その効果が高いだけであって、実際は別に幻術でも何でもない。


最近、ユッキーにはほとんど通用しないし……。



「俺にできることって、これだけだけどな」



俺は出力強化の鍛錬は日々積んでいるけれど、

まだまだ必殺技となりそうな霊波砲を撃てるには、至っていない。



「うむ。どんな生き物にも、一つくらい特技があるものじゃのう」



…………ムカっ。



「この場で捨てるぞ?」


「い、嫌じゃ!

 ここに置いていかれれば、

 余にはこの世のものとは思えぬ、

 色んな虐待が待っているに違いないのじゃぞ!?」


虐待って……なんだか微妙な表現なんだが……これは子供だからか?

拷問とか何とか、他に何か言いようがないのか?


「とにかく逃げるぞ!」

「異論はないぞ!」


俺の確認に、天竜童子は即座に反応した。

口では何だかんだと言っているけれど、

怯えているのは、やはり確からしい。


「この俺の逃げ足を、とくと見せてやるぜ!」





「待ちなさいっ!」





「ええい! 今度は何やっちゅーねん!」



ようやくこの場を後にできると思った俺に、声がかけられる。

その声に応じ、振り返った俺が見たものは……



「天竜童子の身柄は、この私が預かるわ!

 速やかにその子を下ろしなさい!」



美しい髪を風になびかせ、

仁王立ちしているナイスバディーなオネーさまだった。



ああ、俺はこの人を知っている。

この人の活躍は、TVで何度も見ていたから。

この人のお金への執着は、

たまたま出会った巫女幽霊ちゃんからも、聞き及んでいたから。



「鬼門! 何やってるの!

 さっさと抜け出して、小竜姫をつれてきなさい!

 ここは私に任せて!」



彼女は異彩を放つはずの鬼二体を、その響く声で従える。

鬼たちは彼女の声によって混乱から立ち直ると、

そそくさと何処かに向かった。


ショウリュウキ?

親玉だろうか?

あの鬼の親玉なら、きっとむっさいおっさんなんだろうな。



「さて、そこの高校生!

 我流かしら? 何かかじってるみたいだけれど……」



そして彼女は俺の瞳に視線を合わせて、

声高く自分の名前を名乗った。



「素人が首を突っ込むもんじゃないわ。

 あとはこのGS美神令子に任せなさい!」



俺は彼女に対し、しばしの沈黙の後、呟くように答えた。








「嫌っす」







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