番外



「ほう、魔眼を扱うか」

「人間にしては、しぶといな」



私の言葉に、蝿の王たるベルゼブルが相槌を打った。

ベルゼブルのクローンが、該当島での情報をこちらに寄越してきているのだが、

そのクローンでも、あの人間の姿は捉えられなくなった。

何者だ、あの人間は。

あの状態から試験魔体より逃げ出すとは、思ってもみなかった。



明確な意思を持つクローンですら補足できない以上、

曖昧な行動設定しか持たないあの試作魔体では、人間の隠れ場所を特定できないだろう。



あの人間…………横島といったか。

奴のやったこと自体は、簡単だ。

まず、薄い霊気の霧を結界内に閉じ込め、自身の明確な場所を悟られないようにする。

そしてその結界内にある樹木の多くを、石化させたのだ。

おそらく、石化した樹木の中のどれかに、その身を潜ませているだろう。

あるいは、そう思わせて、いまだに島の中を逃亡しているか。

石化した木々や地面。

その中や下で霊気を自ら遮断し、気配を消す。

そうすると、無機物が周辺に転がっているようにしか、見えない。

言ってしまえばそれだけのことだが、実際にされるとなかなか厄介だ。

私のように広範囲をまとめて破壊できる存在でなければ、

感覚を鋭敏化させつつ、一つ一つ怪しいところを潰していかなければならないだろう。


魔体は2体ある。


1体が主で、もう1体がその補佐だが……

そのどちらの眼でも、こうなっては捕まえることはできないな。

索敵専門の魔体は、霊視機能に特化している。

相手の魂を捉えて、その情報を本体に伝えているのだ。

相手が意図的に霊気を遮断すると、とたんに索敵能力は落ちる。


そもそも、霊力を自ら絶つ相手との戦闘まで、

考慮していないのだから、それも仕方がない。

あくまで実戦用機でなく、試作機なのだ。

……それでも、先ほどまでは、あの魔体の方が優位置にいたのだがな。

最後の最後。

あそこまでの損傷を受けるまで、奥の手を隠していたその心構え。

たかが人間。されど人間と言うことか。



…………いや、何かが引っかかる。



あの結界術は、逃亡初期より使用していた。

その範囲はさほど広くなく、魔体を両方とも包めず、意味を成さなかった。

それを何度か繰り返したので、

あの人間の結界構成可能範囲は、その程度のものなのだろうと思っていたが……。

突然、魔眼を使用したのちは、その範囲が6割以上増している。

これはあまりに不自然だ。



「あの人間は、メドーサの何なんだ?」



あの人間には、何かがある。

そう私は確信していた。

先ほどまでの逃走劇は…………そう『逃走』ではなく『逃走劇』なのだ。

必死になり、怪我を負い、

しかし本当に危険なところでは、魔眼という奥の手で、余裕を持ってまた逃げ去る。

まるで、事前に打ち合わせをしたかのような展開。

あの人間の形相は、おそらく演技。

本当はもっと余裕があるのだろう。

あの人間は、明らかに私たち『観客』を意識していた。

そのはずだ。

私の直感は、なかなか外れないのだ。



「俺は少し知っているぞ。奴は確か……」


私の疑問に、蝿の王はゆっくりと答える。

ベルゼブルはその身体細分化能力により、

メドーサのいろいろな行き先へも、出向いていたからな。


「奴の名前は、横島忠夫だ。白竜会にメドーサがスカウトした人間だ」

「ふむ。道場内でのレベルは?」

「中の下だ。まだ魔装術にすら達していない」

「……どう思う?」

「ふん、メドーサが単に、あの男に入れ込んでいるだけだろう」

「…………いや、それはないだろう」


ベルゼブルの意見を私は一蹴する。

先ほどの姿のみを見れば、

確かにメドーサは横島忠夫に、ただ入れ込んでいるだけだろう。

だが、物事はもっと多角的に捉える必要がある。


「どういうことだ?」

「あのメドーサの態度は、本当に本心からのものか?」


聞き返してくるベルゼブルに、私は静かに自身の疑念を並べる。

まず、あのメドーサの性格だ。

あいつが魔族化した理由は、確か恋愛での騒動に起因していたはず。

そしてその騒動の後は、永きに渡る孤独に耐えてきた女だ。

そんな女が、いまさら人間のガキに入れ込むか? 答えはNOであるはずだ。


また、奴は使えるものは何でも使う、狡猾な女だ。

その上、人間界での人造魔族計画で、企業との折衝も担当している。

これらから考えるに、だ。


あの横島という人間は、

メドーサが個人的に作り出す『次世代型人造魔族:試作一号』なのではないだろうか。

道場での中の下の実力や、先ほどの無様な逃げっぷり。

それらはすべて、ピエロとしての役柄を演じているに過ぎないのではないか?



「考えすぎではないか? 

 人間の魔族化などなら、魔装術や今後の『針』を使った計画もあるのだぞ?」


「それはあくまで、画一化した魔族化・人造魔族だろう?

 最高の性能を追求するわけではない」



つまり私は、メドーサが人をベースとした最強の人造魔族を作り、

自身の眷属として使用しようとしているのでは、と考えているのだ。

あの魔眼。その性能からして、間違いなくメドーサの与えたものだ。

魔体を石化させて見せる。

これはもう、一種のデモンストレーションだろう。



それらから考え、あの横島という人間の今の姿は、やはり擬態だろう。

魔装どころか、本体はほとんど魔族化しているかもしれない。



「もしそうなら、少なくとも人間界での活動隠密性は、間違いなく最高性能だ。

 ……だが、メドーサの先ほどの態度が、演技だというのか?」


「あのメドーサが、理由なく道化に成り下がるはずがない」


「確かに。しかし……あれが、演技とは。

 だが、そうだな。あの女は、計算のできる女だ」



わざわざ人間をベースにする理由は、何だろうか。

人界である以上、人間を使用するのは当然だとも言えるが……。

ふむ。

我々魔族の多くは、その寿命から永き時を紡ぐため、魂を磨くということがない。

だが人間の中には、転生をうまく繰り返して魂を磨く者もいる。

その人間の魂を発見し、現世での身体を改造することができれば、あるいは……。



「メドーサめ。侮れんな」


「ああ。さすがは『知恵』だ。

 おそらく人体精製についても、独自のノウハウをすでに確立しているのだろう」



考えてもみればいい。

今日、たまたま私たちはメドーサを呼び出した。

すると、メドーサの弟子が、たまたま私たちの議題の中心地にいた。

そしてメドーサは、たまたま現地いた弟子を助けるといい、試作魔体の停止任務に志願した。


普段の奴ならば、現地にすでにベルゼブルのクローンがいるのだから、

そのクローンに任せればいいだろうとでも言って、さっさと帰ってしまうだろうに。

たまたまの呼び出しで、たまたまのアクシデント。

……これは偶然ではなく、仕組まれた必然だ。


おそらくメドーサは、今回の呼び出しを

前もって独自の情報網で察知しており、わざわざあの横島を、島に行かせたのだろう。

人造魔族である横島のお披露目、そして連絡役の私に対する機密漏洩の忠告。

そんなところが、主な目的だろう。


くそ、味なまねを。


しかも、こちらが何かを言おうにも、本人はさっさと島に行ってしまっている。

『たまたま危険地に入り込んでしまった、自身の弟子を助けるために』

……下らない、そんな見え透いたお題目を掲げて……。



ふ、まぁ、いいだろう。



このことは忘れないさ、メドーサ。

そして貴様の造る横島とやらが、

最終的にどの程度の性能になるか、これからもじっくり拝見させてもらう。

あと、メドーサ。

あんたはよくベルゼブルをハエ野郎と馬鹿にしているけれど、

今日のことを考えると、それにはかなり賛成したい気分だな。

お前の演技にまんまと騙され、この男は物事の裏をまったく測れていない。


『ふん、メドーサが単に、あの男に入れ込んでいるだけだろう』


この台詞は、しばらく私の中でブームだ。

ふ、なんとも、愚かなものだ。

私の指摘がなければ、

この男は道化の振りをした悪女に騙された、本物の道化だったわけだ。

メドーサよ。

私に暗に物事を忠告する前に、

この男に何か言ったほうがいいかもしれないな。

まぁ、言ったところで通じるかどうか、知らんがな。



はっはっはっは。












          第18、5話      戦場でのおしゃべりタイム











俺に制御できるギリギリの範囲まで、レイヤーを展開する。

俺を中心に2体の敵すべて囲えるほどのレイヤーは、

つい1時間前の俺には展開できなかった。


しかし魔眼コーラルが、

最大レベルで俺の霊力をコントロールしてくれるので、何とか可能だった。

ちなみに『最大レベル』とはどういうことかというと、あまりにそのコントロールが厳しいのだ。


『ああ、霊力が足りん。根こそぎ奪うからな』


……その台詞とともに、俺の体にある霊力を、本当に根こそぎ使います。

俺みたいに暴発させることはないのですが、でも、これはかなりキツイ。


『とりあえず、フルマラソンしろ』と、

そんな言葉を、フルマラソンした後の選手にかけるようなものですよ。何回も続けて。

『使う分がないから、かき集めろ』…………この台詞、何回言われたことか。

でも、不足分を補うために、妄想して何とか捻出しようとすると、

『阿呆。造りすぎだ。押さえろ。相手に位置がばれる』と、

そんな言葉で、俺の妄想をいきなりかき消します。

なんとも手厳しい。



まぁ、でもそんな魔眼さんのおかげで、

俺の周囲にいるはずの敵2体の感覚を混乱させ、かつ瞬時に石化視線連発に成功。

そして石化した木の根のしたの空間で、息を潜める。


…………そんな俺のことを探して、周囲を歩く超巨体ゴーレム。

見つかってない、見つかってないけど……むっさ近い。こ、こわ過ぎっ……!



『本当に、これで大丈夫なんだろうな?』


『完璧とは言わないが、おそらく大丈夫だ。

 少なくとも、数分の時間は確実に確保できた。

 この時間は大きい。今のうちに休めるだけ、休んでおけ』


『……不安だ』



しかしまぁ、実際に今のところはバレていない。

このまましばらくここで体を休めることができれば、本当に何とかなるかもしれない。

少なくとも、精神的にはかなり楽になった。

今の今まで、本当に張り詰めていたからな。



『はぁ、でもホントに、逃げられてよかった』

『うむ。もし俺が起きなければ、あのまま死んでいたな、主よ』



俺は目を閉じて、胸中でコーラルと会話する。

自分の眼と会話するというのもおかしな話だよな。

もし俺が眼をくりぬいたら、

その眼からは手足が生えてきて、茶碗の風呂に入ったりするのだろうか。

そしてちょっと甲高い声になって『おい、タダオー』とか言ったりとか。

もしそうなったら、俺は下駄をはいて、

髪の毛を針のようにして、飛ばさなきゃいかんか?

いやだなぁ、そんな霊能力。



『不安だと言っていたのに、もう思考がおかしな方向に走っているぞ。

 少しは真剣さを持続させろ。張り詰める必要はないが、節度を知れ』


『だって、俺の霊気の源って、煩悩だし。

 すぐオフザケとか、怪しげな方向に考えが……』


まぁ、さすがに今ここで、先ほどの愛子の水着姿だとかは、想像できませんけど。

いや、できるかな? 

でも、愛子の状態が芳しくない今、

そういうことを考えるのは、ひどく不誠実なような気もする。

美神さんも、冥子ちゃんも、行方は知れないままだし……。

あの二人は大丈夫かな? 

あのゴーレムの類似品に、会ったりしてないかな?


『…………うん。いくら俺でも、

 この状態でいきなり、萌えを想像することはできんな

 あ、でも危機的状況になると、人の性欲はすごいことになるんだっけ?』


『どんな状況でも、性欲があること自体に問題ない。問題は節度だ。

 雄になるな。男になれ。盛るだけでは駄目だ。

 性欲が溢れるようにあるならば、それをコントロールして見せろ』


『難しいんだよ、それ』



俺はコーラルの言葉に苦笑し、そして愛子の机を抱く力を緩めた。

木の根の隙間から外の様子を伺うと、

あのゴーレムが、こちらから離れて行くところだったのだ。

ふぅ。これでさらに安心度アップだな。


『……えっと、そろそろ色々と聞いていいか?』


周囲の状況の観察結果から安心した俺は、

気を取り直し、外部から内部へと意識を向けなおした。


『ああ。体を休めている間は、暇だろう。俺でよければ、話し相手になろう。

 それに、俺はこの騒動が無事に終われば、

 その後はまたしばらく、眠りにつくつもりだからな。

 聞きたいことは、今のうちに聞いておけ』


『ん、分かった。えっと、それじゃ……』


うーん。また眠るって、どういうことだろうか? 

会話するたびに、聞きたいことが増えるな。

う〜〜ん。

いろいろ聞きたいことはあるのだが、そうだな。

まずは自己紹介だろう。

向こうはすでに俺の名前も知っているというのに、

俺は名前どころか、その存在すら、今の今まで知らなかったのだ。



『俺は魔眼コーラル。名前は先ほど決めた』

『何か、物語があると言ってたよな』


『ああ。下らん伝説だが、それを思い出した。だからそこから取っただけだ。

 ところで逆に聞かせてもらう。

 お前は、メドーサについて、どの程度知っている?』


『いや、あんまり。

 本とか色々調べようかと思ったんだけど、

 本人が目の前にいるのに、そういうのもなんかなーって思って』


メドーサ。あるいは、メデューサ。

RPGの攻略本なんかでは、まず雑魚キャラとして紹介されてるしな。

雑魚じゃなくても、せいぜい中ボスだし。

少なくとも、実はラスボスでした……なんてことは、俺の知る限りない。

そういう先入観もあるし、いまさら神話や伝説の本を読もうなんて、思えないのだ。

眉唾な話もあるだろうし、余計にな。


まぁ、一応ぱらぱら〜……と、

本屋で立ち読みしたことはあるけど……この俺が隅から隅まで、読むはずがないとですよ。


『では、俺がメドーサから受け継いだ記憶と知識、

 それらをあわせて、少しばかり物語を話してやろう

 まずは、俺の生みの親がどういう人物か。そこからだな』


そう言うと、コーラルは俺の視界に様々な風景を映し出した。

…………なんだか映画でも見ている感じ? 

ああ、ヘッドディスプレイって、こんな感じなのか?



『これは……』



眼を閉じているはずの俺の眼前には、大きな川があった…………。



◇◇◇◇◇◇◇◇



では、メドーサについて話してやろう。

メドーサの髪が蛇であることは、お前もよく知っていると思う。


『ああ。知ってるも何も、

 あの蛇に喰われたこともあるぞ。溶ける前に吐き出されたけど』


メドーサの髪はもともと、大地を流れる河だった。

つまり蛇とは、大地を流れ行く恵みの河を表したものだったのだ。

そう…………魔族となる前のメドーサは、大地と水の少女神だった。


それが後の世になり、一人の少女と成り果てた。

なぜかと言えば、その時代に台頭した神が、古い神であるメドーサを追いやったからだ。

古代からの少女神であったメドーサは、

男性神の優勢な時代に突入すると、その地位を奪われたのだ。


『えーっと、例えるなら……昔はアイドルだったんだけど、

 新しい子に押されて、出る場面がなくなって、今は普通の主婦してますって感じ?』


……いや、どういう例えなのだ、それは?

まぁ、『追いやられた』ということさえ認識していれば、問題はないか。

それでだ。

追いやられて一人の少女となったメドーサは、しかし人の身になっても、美しい存在だった。


『そうだよなぁ。今もすっごい美人だしな。乙女とは、ちょい言えない感じだけど』


人としての美しさの盛りにあったメドーサは、今の比ではない。

もともとが大地と水の少女神だ。

放つ波動は正であり、人の身でも、その名残があった。

魔族化した今とは、随分性質が違う。何しろ、正反対だからな。


……その美しさと可憐さを持ってして、メドーサは海神ポセイドンの寵愛を受けた。

なお、語彙の少ないお前に分かりやすく説明すれば『高位の存在に愛された』ということだ。


……先に言っておくが、

俺はお前を導く存在だからこそ、こういう言い回しをするのだ。

『回りくどい言い方をしないでくれ』などと言った日には、

隙をうかがって、お前の男性器を強制石化させるから、そう思え。



『う、ういっす。先生、よろしくお願いします』



よろしい。

それで、メドーサはポセイドンの子を、その胎内に宿すこととなった。



『……め、メドーサさんって、子持ちだったんだ……』



昔の話だ。気にするな。

言っておくが、メドーサは今の体になってから、男と関係を持ったことはないぞ?



『ええ!? じゃあ、今のあのメドーサさんが、実は処女っスか!?』



何を期待しているのやら……。

男と関係を持ったことはなくとも、お前の想像しているようなものはないぞ?

たとえば、そう、処女膜だとか。

今のメドーサは、すでにただの蛇の魔物の化身だ。蛇に膜などあるはずないだろう?

これも意味のない知識だが、

処女膜というものが存在するのは、人と土竜くらいなものだ。

犬や猫などにも、処女膜というものはない。



……話がそれたな。



ポセイドンの子を身篭ったメドーサだが、そのメドーサを快く思わないものがいた。

その者のことは、いろいろな表現をすることができるが、

あえて今の人間界に伝わる伝説とおり合わせるなら、

アテナとアムピトリーテーと呼ばれる女神たちだ。


ポセイドンがメドーサを孕ませたのが、アテナの神殿だった。

そこまで言えば、おぼろげにも分かるだろう?

自分の神殿で乳繰り合ったメドーサとポセイドンに対し、アテナは激怒したんだ。

また、アムピトリーテーはポセイドンの妻となる女神であり、

彼女からすればメドーサは邪魔者だった。


その結果、メドーサは、人の夫を寝取った誘惑の女とされ、厳しく責め立てられた。


しかし……俺は少し問いたい。

では人の身で、どうすればいいというのだ?

すでにただの人と成り下がったメドーサが、

海神ポセイドンからの誘いを、断れるというのか?

もしその誘いを断り、ポセイドンの怒りを買って、

世界の海が荒れたなら、またメドーサが責められるのか?

というか、浮気性のポセイドンが悪いのではないか?



『実際のところ、ポセイドンってどんな奴なんだ?』



全知全能の神と言われるゼウスの兄で、

豪快で欲張りで熱しやすく冷めやすく、妬みと嫉みに傾きやすく、

そのせいか喧嘩をしやすい神で、機嫌をそこねると、その場のノリで嵐を巻き起こす。


『い、いい所がないな』


可愛く気に入った女性をさらってくると言う、そんな悪癖を持つ。

孕ました女の数は、メドーサの記憶にあるだけで、かなりのものだ。


『現代なら、犯罪じゃないか、それ』


そうだ。

……主・横島忠夫よ。お前の煩悩など、可愛いものだ。

メドーサの人として生きた時代の神は、それはもう、種馬のようなものが多かった。


『…………俺の神族のイメージが、何かこう』


ポセイドンの弟にして、全知全能のゼウス。

この神は兄以上の浮気性だ。

いや、男性の神は、どれだけ子供を作れるかを、競っていたようなものだがな。

それで……ゼウスの妻ヘラは神々の女王だが、

そのゼウスの浮気に対する凄まじい復讐を行っている。

慈悲、寛容……そんな言葉は、ない。

夫の浮気相手や、その浮気相手の生む子供を動物の姿に変えることもしばしば。

時には、

その浮気相手の女性の名前を思い浮かべると言う理由で、同名の街を滅ぼしたこともある。


『思いっきり八つ当たりじゃないか、それ』


考えようによっては、メドーサの運命は、当然なのかもしれないな。

美しければ好色の神に目を付けられ、好色の神に愛されれば、その妻から復讐される。

それはすでに、一つの決まりごとのようなものだ。



『………………ひどい話だな、それ』



あの時代のあの地は、そういうものだったのだ。

だから、メドーサに選択権など、なかった。

元が女神でも、その頃ではただの人の少女。

海神にその身が欲しいと言われ、拒否できるはずがなかったのだ。

だと言うのに、アテナはメドーサを許すことはなかった。

海神に罪はなく、すべては人であるメドーサの罪となった。

よってアテナは、メドーサを怪物と変化させ、さらには前人未到の地へと追いやった。

それでも腹の虫の収まらないアテナは、英雄を立ててメドーサを討ち取らせた。

メドーサは死に、地獄へと落とされた。


『…………それが、神様のすることなのか?』


主が描いている神族のイメージは、清廉潔白、正義の代弁者……というところか?

神族が本当に正しいなどと、思うな。

仏の顔は3度までと言う言葉もあるが、3度すら我慢の持たない者は、ごまんといる。



『あー、そう言えば小竜姫ちゃんも、けっこう沸点が低かったなぁ。

 まぁ、あれはあれで潔癖っぽくて、可愛かったけれど』



……なお、メドーサには姉妹がいた。

その姉妹はアテナの裁量に文句をつけた。

可愛い妹が、情状酌量の余地を無視して、怪物にされたのだから、当然だな。


『それで、どうなったんだ?』


言うまでもない。姉妹も、その姿を変えられてしまった。

神に抗議するなど、人の身ではおこがましいと言うのだろうな。

ギリシアの地の神は、こんなものだ。

いや、何度も言うが神の歴史など、そう清く正しいものではない。


今のメドーサの知り合いの魔族に、ベルゼブルという者がいる。

そいつはもともと天界でも最高位の天使だった。

それが何を間違えたのか、今では魔界の王子だ。

まぁ、メドーサの知るベルゼブルは、魔界の王子の本体ではなく、その欠片だがな。


…………まぁ、何にしろ、神も戦うのだ。

そして負けた神は、地位を下げられたり、あるいはその姿を怪物に変えられたりする。



『なぁ。地獄に落ちたメドーサさんは、どうなったんだ?』



怪物化し、すでに人でなかったメドーサは、人の魂の集う地獄ですら、除け者にされた。


『……そんな』


外見が人ではなく、見れば石になるほど恐ろしい。

そんな存在に、居場所などない。

天界から人間界に落とされ、

そして人間から怪物にされて地獄に落ち、そして地獄でも除け者にされた。

やがて、深い孤独の中で、メドーサは地獄の底より、更なる深遠の魔界へと落ちて行った。

もともとは、大地と川の流れを見守っていた少女神であるにもかかわらず、だ。

だから、メドーサは神族が嫌いなのだ。


『嫌いにならないほうが、おかしいと言えばおかしいよな』


ああ。当然だろう? 

天から地の底より深く自分を落とし、

そして現代では、すべての正義の代弁者のような顔をしているのだからな。神族は。

しかも、今の天界と魔界について言っておくと、今はデタントの時代を迎えている。



『デタント? えーっと、何かTVで聴いたことのある単語だな』



緊張緩和。早い話が今の状態を保ち、無用な対立はするな、ということだ。

つまり魔族は絶対的な悪で、神族は絶対的正義。

この構図を崩すことなく、永遠に続けよう、というのだ。

メドーサは永遠に魔族として、決して神族に戻ることなく、魔界をさまよう。

そう、運命が決まっているのだ。

その運命とは、神族の最高者と魔族の最高者が取り交わしたものだ。



『…………救いが、ないな。なんか……』



メドーサは、救って欲しいのだ。誰かに。

もう、今のメドーサの存在は、女神でも人でもなく、魔族だ。

そして魔族は絶対的な悪として、運命から決まっている。



『俺で、本当に助けられるのか? 本当に支えになれるのか?』



なれるように努力することだ。

今のお前では、助けることも支えることもできない。

そんなことは、分かっているだろう。

それに、メドーサはお前のことを嫌っていない。


メドーサがその身の美しさを人に褒められたのは、それは久しいことだった。

しかもお前は、蛇化したメドーサの髪を見ても、

さらにそれに飲み込まれても、態度を変えなかった。

結界というメドーサの領域で、

誰にも助けも呼べない状態で石化させられても、それでもお前はメドーサを慕った。


それが、どれだけメドーサにとって、喜ばしいことだったと思う?

それが、どれだけメドーサにとって、一種の救いになったと思う?


メドーサはお前のことを、嫌っていない。

むしろ、お前の存在が自分にとって重要であると、自覚しているだろう。



『…………なぁ、メドーサさんのことについては、分かった。

 じゃあお前はさ、その、メドーサさんに生んでもらったんだろ?

 話の流れからすると、お前ってポセイドンの子供なのか?』



…………お前は、俺の話を理解しているのか?

それとも、今の話に照れて、強引にでも話題を転換したいのか?

…………まぁ、いいだろう。今はお前の問いに答えよう。


今のメドーサは、すでにその頃のメドーサとは別物だ。

そう俺は先ほどから、言っていただろう?

魂そのものは断絶せずに連綿と続いてはいるが、すでにメドーサは数回死んでいる。

女神として死に、人として死に、そして怪物として死に、魔族となった。

人の頃に身篭った存在を、いまさらキスの一つで他人に移せるはずがないだろう。

俺は伝説に残る存在ではない。

名前もコーラルといったが、これは先に言ったとおり、

切り取られたメドーサの首から血が堕ち、

それが赤き珊瑚になったという話から取っただけだ。

……伝説に残るメドーサの子供は二人いるが、有名なのはペガッサスだな。

天馬。そう言えば分かるだろう。



『ふぇー、ペガサスの母親って、メドーサさんだったのか』



下らない感心だ。

伝説にそうなっているので言っただけであり、実際のところは、俺もよく知らん。

俺はメドーサの記憶を受け継いでいるだけの存在だ。

人としてのメドーサが死んだとき、

その死んだ体から何が生まれたかなど、主観的に記憶しているはずがない。


ちなみに、メドーサの子供をたどると、随分と面白いことが分かる。

メドーサの孫に、エキドナと呼ばれる蛇の魔物がいる。

上半身が美女で、下半身が蛇の半人半蛇だ。

この女から、キマイラやヒュドラー、ケルベロスやスフィンクスが誕生したと言われている。

実際、あったこともないので、よくは知らんがな。


『ケルベロスにスフィンクスは、俺も聞いたことがあるな』


そう。知識のないお前でも知るほど有名な魔物が、メドーサの子孫だ。

大地と川の少女神であった頃なら、

このような子孫は絶対に生まれなかっただろうにな。



『なぁ、メドーサさんは死んじゃったから、

 顔をあわせたこと、ないんだろ? 何か寂しいな、それ』



ああ、そうかもしれないな。

もっとも、今出会ったところで、血族の情など湧きもしないだろう。

少なくとも、俺は湧かないと思う。


それはそうと、主よ。

俺はメドーサの話しをしたが、これはひどく主観的なものだ。

知識としては、あまり参考にしないほうが、いいかもしれない。



『どうしてだよ?』



悲しんだ記憶、辛い記憶。

それはすべてメドーサの主観であり、それは現実ではない。

場所と時代が変れば、メドーサの扱いも多少違う。

ためしに伝説を調べればいい。色々なものが出て、混乱することだろう。

今のメドーサは、天界では竜神の一種としてすら、捉えられているほどだ。

だから知識としては、あまり……



『メドーサさんが悲しかったことは、事実だろ?

 なら、それでいいよ。それが分かっただけでも、な。

 俺、メドーサさんが悲しんだり、

 寂しくないよう頑張ろうって、そう思ったから。もっともっと頑張るって、そう思えたから』



…………そうか。そう言ってもらえると、助かる。

正直なところ、俺はメドーサであり、しかしメドーサではない。

今の話も、話していて正直、辛く感じた部分もある。

客観的に語ってはいたが、思い出したくない嫌な記憶だったからな。

だから、礼を言う。未熟な主よ。

これからも精進してくれ。



『ああ。でさ……となるとお前って、男? それとも女?』



貴様は、眼球に性別を求めるのか……?

俺は無性だ。男性でも、女性でも、中性でもない。

まぁ、言っておくとメドーサが主体になっているので、知識的には女性のものが多い。

しかし性格的には、お前を補佐し、セーブする存在にならなくてはならなかったため、

直感的な女性的思考ではなく、論理的な男性的思考の構成をなしたつもりだ。


本当は、まだまだお前の中で眠り、

お前の霊気を吸収し、お前を知り……そしてあるべき形に成長するはずだった。

お前を未熟と称するが、俺も十分に未熟だな。


なお、俺はメドーサとお前が幸せになればいいと思っている。

メドーサは生みの親であり、お前は俺の主人だからな。

しかし、別段直接的に行動するつもりはない。

あの従者……愛子だったか。

あれと主人がどうしても運命をともにしたいと言うなら、俺は別に引き止める気はない。

勝手にやれ。

俺に霊能は相談しても、恋愛はするな。



何度も言うが、俺はメドーサの記憶と知識を受け継いでいる。

だから色恋には、俺はまったく関わる気はない。

俺はメドーサの好みも何もかも、知っている。

だから俺がお前に過剰に干渉することは、一種の洗脳にもなるだろう。

それに、メドーサの生き様は悲哀の記憶に満ちている。

メドーサの人生をあまりに詳しく語れば、同情を集めることなど、容易いからな。

同情と恋愛は別物だ。恋愛は、自分の意思でやれ。

メドーサはお前にもしものこと……それこそ、今回のような状況や、

あるいは今後の起こるであろう大きな戦闘のため、俺を植えつけたのだ。

分かったな?

俺はメドーサ用の恋愛補助器具ではない。


『ああ、分かった。

 そういう風に言われると、やっぱりコーラルもメドーサさんっぽいよな。

 何か、何事にも毅然としているというか』


そう思うなら、せいぜい強くなって、甘えさせてやれ。

背筋を張り、毅然とするのも、疲れるものなのだから。


『おう、俺はやるぜ! でだ。

 …………さし当たって、どうやってここを脱出する?

 強くなるのも、このままの状態じゃ無理っす。

 さっさと帰って、修行ないとな。それに、愛子も心配だし……』



確かにその通りだな。

それで……今の長話の間で、お前の体は、どの程度回復した?



『ほとんどしてないっす。

 つーか、石化連発のせいで、まだ腰が抜けたまま。

 身動きしろって言われても、むしろ今は動けない……そんな感じ』



まぁ、仕方がないといえば、仕方がない。

俺も目覚めたばかりで、主の補佐をする存在としては、かなりお粗末だ。

たとえば、霊力を暴発しないように行使はできるが、しかし手加減ができない。

使うとなると、基本的に最大出力だ。


むぅ、これは致命的な欠陥だぞ。


先までは主が危機状態ゆえ、極度の緊張状態を保てていた。

だからこそ、視線の先の対象物を石化できていたが、

下手すると今後は、視界に入るものを片っ端から石に変えるかもしれない。

今は霊力が未回復で、

石化が使えない状態なのでいいが……もしそうなれば、昔のメドーサと大差ないな。

いや……霊力が回復次第、石化が自動で発現した場合、

主は膝を抱えて木の根の下のいるので、

その場で石となり、永遠に身動きが取れなくなることも……。



『おいおい。洒落にならないぞ、それ』



まったくだ。体が完全に石化した場合、思考能力が残ればいいが、

残らなければ、本当にただの石像でしかない。

しかも永遠に成仏できず、魂はこの場にとどまり続ける。

破壊されれば、どうにかなるのだろうか。

メドーサの記憶の中には、人間を石化させた事例がいくつかあるが、

その後、その石像と化した人間がどうしたかは、見届けたことがない。

…………どうしたものか。



『つーか、どうするつもりだったんだ?』



姿を隠す。体力の回復を待つ。

そして、体勢を立て直し次第、できる限りの速度で、この島を脱出する。

……まぁ、口で言うのは簡単だな。実際その予定通りに、ことが進むはずもない。

メドーサの知識でも、あのゴーレムの存在は確認できない。

いや、そもそもあれはゴーレムなのか?

むぅ。俺もメドーサの情報を、すべて引き継いでいるわけではないからな。

メドーサは横島に渡って不都合が起きそうな情報を、あらかじめ消していたし。



『俺に渡って、不都合?』



…………気にするな。

消された以上、当然分からないが……おそらくプライバシーだ。

好きな下着の色などまでお前に知られては、色々とまずいだろう?

俺が知らなければ、お前がどんなに聞いてきたところで、答えようもないし。

消された部分は………………魔界での記憶が一部ないな。

そこだけ空白で、連続していない。

あと……? むぅ、やはり色々消えているな。

何を消されたか、分からない部分も多々ある。


『一部とは言え、ごっそり記憶がないって…・・・なんか嫌だな』


まぁ、なくなった記憶は、

今考え込んだところで、どうなるものでもない。

放っておこう。この騒動が終われば、しばらく眠るのだ。

そのときに、夢にでも見ればよかろう。



さて。どうする、主よ。

彼我戦力差だが……言うまでもなく、かなりのものだ。

……こちらの石化魔眼で奴を足止めして、最大出力の霊弾でも食らわせてみるか?

俺が出力制御を手伝えば、これまでにないほどの出力が可能になるぞ。


『それでダメージを与えられるか?』


…………正直に言ってしまうと、おそらく無理だ。


『ですよね。俺もそう思います。正直『戦う』と言う選択肢は、いらないと思う』


ああ。敵の霊力は、お前の霊力の5000倍近くあるはずだ。戦いにならん。

先ほどは石化に驚いてくれたおかげか、逃げる時間を稼げた。

しかし、2度は通じまい。

相手が固まるだけの時間、見つめることもできずに、やられてしまうだろう。

しかも、敵のその強さは最高ではない。

あのゴーレムが出力を上げようとさえ思えば、

5、100、500倍……というくらいのペースで、力は増大していくことだろう。

……うむ。メドーサでも正面からやりあったら、おそらく勝てまい。

というか、やはりこの出力を見るに、あれはゴーレムなどではないぞ?


『なんつーか、絶望的なんですけど』


主が言うように、『戦う』か『逃げる』という、この2個の選択肢では、駄目なのだろう。

『戦う』=『死亡確定』なのだから、そもそも選択の余地がない。

ここは、もっと斬新な選択肢が必要だな。

さぁ、考えるのだ、主。

お前はこれまで、色々なことを考えてきたのだろう?

俺は基本的に分析、観察、そして制御をする存在。

とっぴなことを思いつくのは、お前の領分だ、主よ。

メドーサすら予想しなかった、あの街中での抱きつきのような行動に走れ。



『余計なお世話だ! つーか、かなり無駄なことも知ってるな』



ああ、記憶は意図的に消されていない部分以外、かなり克明に保持している。

お前がメドーサに抱きしめられて、赤くした顔も、俺は知ってる。



『んなこと忘れていいから、お前もなんか考えろよ!

 あー……誰か助けに来てくれないかなぁ。

 美神さんとか、冥子ちゃんとか……今何してるんだろう。

 メドーサさんの顔が見たいなぁ。あと、胸も』



主は嘆息した。

まぁ、今は体を休めるべき時間である。

ゆっくり対策を考えよう。

見つかるその瞬間まで、そう、ゆっくりと。

どうせ今策を思いついても、体は動かないのだから。



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