第二十二話


とくん、とくん、とくん。

音が聞こえる。
初めて聞いた音なのに、何処か心地よく感じる。

初めて?

いや、それは違うのかもしれない。

これまでに、何度も聞いたような気がする。

それがいつの事だったかは、思い出せないけれど。



とくん、とくん、とくん、とくん、とくん。



その音は、途切れることなく聞こえてくる。



とくん、とくん、とくん。

とくん、とくん…………。









            第22話      聞こえてくる音









人にて人ならず

鳥にて鳥ならず

犬にて犬ならず

足手は人、かしらは犬、左右に羽根はえ、飛び歩くもの。


そのように表現されたことのある拙僧は、一言で言えば天狗である。


もともとは修験者として、

ただただ修行を積んでいただけの存在であったが、

今では天と地の狭間で、永遠なる修練を積む存在である。


数百年前より、人間は面白い論を説き始めた。

仏教において、六道あり。

それはつまり、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六つの道である。

すべての魂は永遠にその六つの道に従って転生し、永遠不滅を繰り返す。


繰り返すはずなのだが…………。

天狗は、そのどの道にも、属しはしないというのだ。

なぜなら、修行によって仏道を知った天狗は、地獄に堕ちることはない。

だがしかし、邪法を扱うため、天に逝くことも叶わない。

そう。天にも地にも居場所のない、無限に縛られし存在だというのだ。


ふむ、なかなかに的を射ていると言える。

他に存在する天狗はどうか知りはしないが、

少なくとも拙僧は、

こうして天界と人界の狭間である異界で、永遠に修行を積んでいるのだから。


拙僧は、人と交わることもない。

拙僧は、ただひたすら高みを目指すのみ。

修行を積んだ天狗は、その知識量からか、人間に物事を教授したがるという。

自慢の権化とも言われており、鼻が高いのは、その証拠だとさえ言われる。


しかし、拙僧に邪念などない。

拙僧の鼻は、霊力の蓄積の象徴である。

拙僧はただ、高みを目指すのみ。



「おい、何か、同じところをずっとくるくる回ってないか?」


「何だ、陰念。今頃気づいたのか? 

 さっきからとっくに迷ってるぞ? な、ユッキー」


「なんだと!? 横島! お前、分かってて歩いてるんじゃないのか!?」



どこからか、人間の声が聞こえてくる。

拙僧は木の上にて佇んでおるので、眼下を行く者の声であろう。

拙僧は、人と交わることのない、高みを目指すもの……。

こちらから話しかけることもあるまい。

会話を聞く限り、迷ってはいるようだが、まだまだ余裕はありそうであるし。


さすがに見て見ぬふりをし、拙僧の庭で野垂れ死にされては目覚めが悪い。

まぁ、泣き言を言い合い、

飢え始めてもここを脱せないようであれば、手を貸そう。


ここに来る以上、

なんらかの異能の欠片を、その身に宿すものなのだろうが……

しかし、その異能に気づかず生きている者であれば、それは力ないただの民と変わらぬしな。



「道なんて知るわけないだろ? 帰ってこれたのだって、運なんだし。

 ここは魔界にも通じてるかもしれない、異界だぞ?

 どこがどうつながってるかなんて、よー分からん」


「くっ! 横島なんかの方向感覚を頼ったのが、間違いなんだよ!」


言い合いを続ける人間。

ふむ、罪のなすり合いか?
というか、この異界の森の中、一人の感覚のみに頼るもの、どうかと思うが。


「落ち着け、陰念! 焦っても、どうにもならん! 

 …………って、横島? お前はお前で、何でそんなに落ち着いてるんだ?」


「大丈夫だって。ぐるぐる回ってるけど、なんとなく近づいている気がするし」


「どこから来るんだ、その自信は……」


……本当に、大丈夫なのか、こやつらは?

声と気配からすると、3人組のようだが……まったくかみ合っておらん。


このまま放っておけば、十中八九、野垂れ死にではないか?

食料が残り少なくなったら、分け合う前に、総当たり戦でもしそうなくらいな勢いだ。

若さか。血気溢れると言えばいいのだろうが、少し無鉄砲でもあるな。

…………ここは、拙僧から声をかけたほうが……


いやいや、しかし。

拙僧は、人と交わることのない、高みを目指すもの……。

本当の危機に陥るまで、こちらから話しかけることも、あるまい。

拙僧の薬を求め、勝負をしに来たと言うのであれば、また話は変ってくるが。



「天狗さぁーん! 聞こえてたら、出てきてくれませんかー!」

「馬鹿か、横島。そんなもんで出てくるはずがないだろ」

「何だよ、陰念。もしかすると、耳に入るかもしれないだろ?」



…………思いっきり呼ばれてしまったな。

というか、この声。つい最近、聞いたような気がする。

うむ、間違いない。最後に出会った人間……あの小僧の声だ。


そう、妙神山からの帰りだという、あの道に迷っておった間抜けな小僧。

人数が増えたということは、

一度人間界に戻り、それからもう一度やってきたのか?

拙僧の体感時間では大したときは経っていないが、それは人間には適用しない

あの小僧は、あれからどれくらいの時間を過ごしたのだろうか?

1年……は、まだ経っていないだろう。数週間というところか。


拙僧に、何用だろうか?

まさか、拙僧を妙神山までの道案内に使おうとでも、考えているのだろうか?

あるいは、薬が目的か。

どうにしろ、やはりここは静観だな。

どんな目的で拙僧を尋ねてきたのかは知らない。

だが、どうであろうが、拙僧の気配くらい見つけられないようでは、会うに値しない。

何度も言うが、拙僧は高みを目指す孤高の存在。

やすやすと人の前に姿は現さんのだ。

例え、あの小僧どもに勝負を申し込まれたとしても…………おそらく、勝負にならんな。

まだまだ、未熟さが体中から匂ってきておる。



「よし、じゃあ、こうしよう」

「どうすんだ、横島?」

「霊力ギリギリでできたんだし、多分いけるだろ」

「いや、だから何をするんだよ?」

「見てのお楽しみだ♪」


横島と呼ばれる……あの迷子の小僧が、何かをするらしい。

木々の上を移動し、あの小僧の頭上へと拙僧は移動する。


眼を細めて小僧を見やれば、

小僧は友人になにやら札を手渡してもらい、

何かの術を発動させようとしているところだった。


ふむ? 


よくよく見ると、小僧の腕の様子がおかしい。

どうやら、石と化しているようだな。

というか、あり得ない方向に曲がっておる。

あれを拙僧の霊薬で治したい、と考えておるのか?

ふむ、石化の症状の進行を抑える薬はある。

また、石を軟化させてしまう妙薬もある。

拙僧を捕らえ、そして打ち負かすことができるのならば、譲ってもよいのだが……。

いや、完治できるわけでもないので、努力次第で考えてやるか。

いやいや、それは少し甘すぎるな。薬学は、あくまで修行の副産物である。

下手に薬を与え、人間界に拙僧が医者であるという噂を広められては、堪らない。



…………などと考えていると、小僧の声が森に響いた。



『歳星招来! 木々よ! でかい気配を、拘束せよ!』


小僧の声に反応し、木々がざわざわとうごめき出す。

むうっ!? 符による任意対象の制御か!?

迷子の馬鹿な小僧にしては、なかなかの術を使いよるわ。

拙僧の立つ木の枝も動き出し、まるでツタのように、こちらの足に絡み付こうとしてくる。

刀を抜き、こちらもその枝の動きに応じる。

だが、多勢に無勢。

なかなかに、しんどいな。

ここは異界の森である。

仮に、拙僧がここ周辺の木々を切り倒したところで、

それは森全体からすれば、小枝の葉が一枚落ちるよりも少ない損失である。

つまり、そこに生える木々すべてが、あの小僧の味方であると言うことだ。

人間の小僧の霊力で、どれだけ長時間、木々を操れるか?

また、連れの人間との連携で、どこまでこちらを追い詰めることができるか。

ふむ。これならば先に姿を表して、

そこから薬をかけて勝負をしたほうがよかったな。

迷子の小僧、という印象が強すぎたせいか、少々過小評価しすぎたようだ。


こちらがそんなことを考えている間も、木々の動きが止まることはない。

霊力を遮断し、気配ができる限り殺しているというのに、だ。

おそらく、術者の持つ感覚…………いわゆる『眼』がよいのであろう。

無意識下では、すでにこちらを捉えておるのだろう。


さてさて? 連れのほうはどうかな?



「こんのぉ! クソ横島! てめぇ、さっさとこれを止めやがれ!」


下では、陰念と呼ばれた小僧が、叫んでおった。

なお、そやつの体は、横島の放った木々により、拘束されていた。

霊力の保有量はそこそこ大きいが……

……純粋に関節を締め上げられておるため、振りほどけんのだろう。


「陰念の言うとおりだ、横島! 早く止めろ!」


もう一人の小僧……ゆっきーと言ったか。

そやつの方は、いまだ迫る木々より己が身を守っておった。

少々荒削りだが、なかなかよい動きをしよる。


「そう言えば、止め方って習わなかったな。どうしよ……」


「今がぶっつけ本番じゃないんだろ!?

 前使ったときは、どうしてたんだよ!?」


「術を放つだけ放って、崖からダイブしたからな。

 ……術をかけた木がどうなったかは、実は知らないんだ」




「っざけんなよ、てめぇぇぇぇ!?」

「なんじゃそりゃぁぁぁぁぁ!?」





…………むう。遊んでおるのか?

………………一体、何をしに来たんじゃ、こいつらは。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「お久しぶりです! この前はどうもありがとうございました!」

「いやいや、別にかまわぬ」


元気がよい挨拶とは、おそらくこう言う者の挨拶ことを言うのだろう。

そう思わせるほど晴れやかに、かつ爽やかに横島と言う小僧は、拙僧に笑いかける。

惜しむらくは、その頬がはれ、左右の口の端から血が零れているところか。

うむ。ゆっきーと陰念と言ったか。なかなかによい打撃であった。

殴られた横島本人も『ないすつっこみ』などと、よく分からぬ言葉で褒めておった。


会話に拳打を取り入れた生活か。

しかし、それでいて殺伐としておらぬところは、天晴れと言えよう。


「…………それで、何用か?

 拙僧は修行に励みしもの。人の頼みなど、普通は聞かぬぞ」


自分の修行場で、これ以上無駄に騒がれては堪らぬので、とりあえず機を見て姿を現した。

しかし、今の言葉どおり、拙僧はそうやすやすと人の頼みごとを聞く気はない。

また、拙僧はすでに、この小僧らの願いに予想がついておる。

この小僧は、石と化したその腕を治せと言うのだろう。

……むぅ。会話の先が読めている状態など、何の面白みもない。

そう胸中で嘆息しつつ、拙僧は言葉を続ける。


「どうせ、その石と化した部位の治療薬が欲しいのだろう?」

「違う! そんなもんはどうでもいいんだ。

 つーか、横島の手なんぞ、腐って落ちちまえばいい!」


「…………いや、さすがにそれは言いすぎだろう、陰念」


「ふん、知るかよ。それより雪之丞。リュックからメイドの机を出すの手伝え」

「ああ、にしても、でけぇリュックだな……」




……手が石になっとるのに『どうでもいい』じゃと?

何を考えとるんだ、この小僧とその連れどもは。


呆気にとられる拙僧を軽く無視し、小僧の連れどもは、

小僧の担いでおる背負い袋より、なにやら木でできたものを取り出す。


机、と言っておったな。

今の人界では、このような机を使用しておるのか?

いや、それよりも、足が壊れておるぞ?


「天狗さん、お願いです」

「な、なんじゃ?」

「こいつを、愛子を助けてください!」

「………………」

「あ、や、やっぱ、駄目ですか……?」

「い、いやいや、しばし待て!」


文保の頃より、拙僧は今まで六百年近い修行を積んできた。

自己を苛め抜き、鍛え上げ、

この異界の森に住む動物の生態、あるいは薬学にすら精通するに至った。

しかし満足はすることなく、いまだに修行を続け、高みを目指しておる。

…………で、そんな拙僧に、机を直せと?


そんなもの、わざわざ拙僧に頼らずとも、

人界の大工にでも頼めば……………………………ん?



もしや、この机は、妖怪か?



この異界の森の空気により、

また、この机の持つ気配自体が薄いことにより、

少々分かりづらいが…………むぅ、確かに、この机は妖怪であるな。


おそらく付喪神か。


長きに渡る年月を経て、人の念が凝り固まった存在だな。

しかし、この机はせいぜい20年程度しか、経っていない様に思えるが。

よほど人が集まり、様々な念の渦巻く環境に置かれておったのだろうか。


「この机の妖怪を、助けろと言うのじゃな?」


「はい! お願いできますか!?

 この前、俺に会ったとき薬とか言っていましたし、

 天狗さんの持ってる薬なら、妖怪のこいつにも効くと思ったんス!」


「薬は多種あるが……この付喪神……愛子と言ったか?

 このものに効くような薬は、残念ながら、ない」


現世にとどまるための『器』が損傷の果てに朽ちれば、魂は天に逝く。

人間ならば、その身体。付喪神ならば、その物品がそれにあたる。


拙僧の作り出す薬の中には、

回復力をとみに上げるものもあるが、

それでも過度に壊れた肉体は、元には戻らぬ。


折れた腕は、元に戻ろう。

削がれた皮は、また生えよう。

だが、もぎ取られた腕は、もう生えてはこんのだ。


この机の脚は折れておるが、

しかしこれは人間で言えば、四肢をもぎ取られたに等しい。


ここが付喪神の脆さよのぅ。

妖怪化した武具は、まだ強い。

霊刀や妖刀などは、もともと何かを壊すための存在であり、その強度はかなりのもの。

しかし、茶碗、つづら、ひしゃく……そして机などは、

どれも地面に叩きつければ、壊れる程度のものでしかない。

素地からして、脆弱なのである。


「じゃあ……どうにもならないんですか!?」

「薬ではな。失った部位が再生することはない」

「そんな…………」


「そう気を落とすな。小僧。

 この森の木々の中には、実をつけるものもあるのだが、

 その多くは甘味などなく、人間の口には合わぬ。

 お前らでは、食えたものではないだろう。

 さて、そういう時、お前ら人間は、どうすればよいと考える? 

 答えは簡単じゃ。

 甘い実のなる木の枝を1本、探し出せばこと足りるのだ。

 もっとも、甘い実がなるには、人間にすれば少々の時間が必要となるが」


拙僧が説明してやると、小僧は首をひねった。わからないと、その顔で表現しておる。

その隣におるゆっきーと呼ばれる者も、

同様に首を傾げておるが…………しかし、陰念というものは分かったらしい。


「そりゃ接木だな。そんなことも知らんのか、横島。園芸の基本的な知識だぜ」

「つぎき? つーか、お前ってガーデニングが趣味なのか?」

「黙りやがれ! サボテンが好きなだけだ。俺は尖った針が好きなんだよ! 悪いか!」

「…………微妙に似合っているのか、似合っていないのか……」


まぁ、確かに拙僧も、小僧と同じく、

かぶき者であることを全身で表現しとるようなこの者が、

そういった知識を持っておるとは、思わなんだが。


いや、そう言えば、小僧の格好もゆっきーの格好も……

……この者らに、まともな格好を求めるのは、

間違いなのではないかと言う気がしてくる。

その羽織っとる黒い着物は、何なのじゃ? やけに光沢が鋭いが。


まぁ、この者らの衣服に対する観念は、今はいいだろう。

拙僧も、人のことは言えぬ。

この数百年、同じ服を着続けておるのだから。


さて、接木であったな。

そう、これはもととなる木に、他の木を接ぎ挿すことで繁殖させる方法だ。

それを応用し、この机の脚を修復すれば、またもとの通りになろう。


普通、木で作られた机に、

他の木の枝を挿したところで、枝が成長したりはせん。

その枝が、そのうち枯れておしまいじゃ。


しかし、この机は妖怪であり、まだ生きておる。ただの木製机ではない。

枝を折れた足に添えてやり、その上から霊符を貼り付けてゆき、固定する。

さらにそこに霊力を注いでやり、

回復を促進してやれば、木の枝はこの机の一部として癒着していく。

接着しておる机の足と木の、そのお互いの面に、

霊力の連絡路が形成されれば、後は放っておいてもよいくらいじゃ。


ただ、気をつけなければならぬのが、木の枝の選別じゃ。

その辺に落ちておる木々の枝を使用しては、駄目なのじゃ。

ある程度以上の霊力を含んでおらねば、新しき足としては不十分なのじゃ。

また、包帯の代わりとなる霊符も、相応に力の込められたものでなければならぬ。


長い時を生きた御神木。

その枝がふさわしいであろう。

小僧が木の枝に霊力を注ぎこんで、

それを使うと言う手もあるが……それはあまり勧められぬな。


やはり、自然の中で集約された霊力が好ましい。

世界にある御神木の中には、

竜の遊び場になっておったものもあるほどで、

その木に含まれる霊力の質の良さは、疑う必要もない。


「そうなんすか! じゃ、天狗さんは、その御神木の枝を持ってるんすか?」


「持っとらん。この異界の森に、そのような木は生えておらんしな。

 なお、今の人間界の動向はさして知らんが、御神木とは本来、清らかなるもの。

 つまりは繊細な存在なのだ。少しでも穢れておれば、その力は弱まってしまうだろう」


「…………今の人間界、酸性雨とか降りまくりなんスけど」

「…………排気ガスの問題もあるな」

「…………結界で守られてるもんとかもあるだろうが、その枝を取るのか?」


むぅ。拙僧の助言に対し、小僧どもは非常に参ってしまったらしい。

まぁ、妖怪のからだになるほどの霊力がある木々は、結界などに守られて当然じゃな。

その木々を削り、多くの木刀が作られれば、問題となるからの。

霊力のある武器の氾濫は、世の騒乱につながりかねんし。


祭られておる御神木の枝を取るかのが、一番早いのだろうが…………道は、困難だな。

神木のもとに集う僧の中には、非常に強い力を持つものもおる。

天台の僧に、拙僧のような天狗が負け、無残に逃げ延びたと言う話もあると聞く。


ここは一つ、もう少し簡単に物を手に入れる話しを、教えてやろうか?

いやいや、拙僧は教えたがりの普通の天狗ではない。

高みを目指すものなのだ。むやみに人に手を貸すわけには……。

いやいやいや。

ここは早く教えて、帰らせ、そしてさっさと修行をするほうがいいのではないか?

うむ。道理である。すでに姿を現してしまったのだし、薬を与えるわけでもない。

勝負に勝てば治療する、と言う条件を拙僧は提示するのだが、

この場合治療するわけではないので、命を懸けてこちらと戦えと言うのも、酷であろう。


ほんの少し、知恵を授けるだけだ。

別段、長い講義で物を教えるわけではない。

そう、自分の知識をひけらかし、自慢するのではなく、

さっさと修行を再開するために、ほんの少し、口を開くだけじゃ。


「……世にある御神木の枝では、いざ手に入れても、それが合わぬ場合もあるやもしれぬ」

「じゃあ、頑張って手に入れても、駄目ってことも?」


「合えば問題ないが、合わぬ場合も考えられるということじゃ。

 そこでじゃ。少々遠い地まで行かねばならぬが、確実によい品が手に入る場所を教えよう」


話し始めは、少々昔の物の語りになるのじゃが……。

元禄の頃、ある土地に大きな力を持つ妖怪が住み着き、大地を揺らしたことがあった。

この異界におる拙僧にも、その力の欠片が感じ取れたほど、強き霊力を持つ妖怪であった。

すると、土地を荒らされ、

困り果てたその土地の人間は、ある能力者に頼み込み、その妖怪を山に封じ込めた。


その妖怪は今も、その地で眠っておる。

その妖怪の本体は、ちょうどよいことに草木である。

これならば、ご神木よりも、その机に対して親和性が高いかも知れぬ。

そう。今も眠るその妖怪の欠片を得られれば、確実にこの付喪神は完治することじゃろう。

もちろん、そのままやっては、

その妖怪の邪気の影響が、付喪神にも出てしまう恐れがある。


妖怪の欠片を手に入れたなら、小僧が符を使って、霊力をろ過するのじゃ。

小僧の霊力を込めてはならぬぞ? 

それではわざわざ妖怪の欠片を手に入れる意味が無い。

ただ、その机に合うよう、質を整えるだけじゃ。

先ほど木々を操っておったのじゃ。そのくらいできよう?

できぬなら、月光のもとで邪気を消せばよい。

少々時間はかかるが、符で操作できぬのなら、それも仕方なかろう。

その妖怪は、まだまだ眠りの時間を過ごすはずじゃ。

お前らが近づいたところで、目を覚ますことはまずない。

結界がないわけではないが、僧が集団で守っておるわけでもない。

山へと上り、少し中へと入り、後は素早く帰ってくれば、問題はなかろう。


「あの……参考までに、その妖怪の名前って、何て言うんすか?」


「さて…………時折気にしておっただけであるがゆえ、

 拙僧もよくは知らんのだが……確か…………」


「確か?」

「死津喪比女……とか言ったかの?」





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





人との交わりは、随分と久しいものじゃった。

拙僧の薬を求めて、時折妖怪は来るのだが……

……その多くは人語を解せず、会話など成り立たぬからのぅ。


若い者は人の話しを聞かぬものだが、

よほどあの付喪神が大切なのか、

一言も聞き逃すまいと言う姿勢で、こちらの話を聞いておった。

なかなかに楽しい歓談であった。


ふむ……しかし、所詮は拙僧も知識を集め、

それをひけらかしたい者であるということか。

ついつい、余計なことまで話した上、石軟薬までも、与えてしまった。

その場での雰囲気に流された……とでも言うのだろうか。


……いや、あれは未来への投資なのだ。


小僧は、魔眼なる珍妙かつ面妖な能力を持つがゆえ、ああいう手になったと言う。

しからば、また後々に会ったとき、あの小僧は強き者になっているかもしれない。

拙僧がその折に手合わせを申し込めば、小僧は恩ゆえに、受けぬわけにも行くまい。

そう言う、先を見越しての投資であったのだ。小僧に与えたあの薬は。


大体拙僧は………………………ぬっ?



「む? この気配…………」



自身の感覚に引っかかったものに、違和感を覚えた拙僧は、

木々を渡り、こちらへと近づく気配のもとに走った。


随分な気配だ。

鬼気迫る、とはこのことか。

何のつもりかは知らぬが……目的は拙僧らしいな。


単純な手合わせか? 

いや、あるいは功名心に駆られた若造か?

どうにしろ、拙僧と戦うことだけは、心に決めた者だろう。


先ほどの小僧どもは、

道に迷っておったためか、その気配に闘志はなかった。

しかし、今感じる気配には、明確なる闘志が感じられるのだ。


最初から勝負を目的としてここへやってきた以上、姿を現さずに試す必要もない。

体から吹き出る闘志から、その実力は十分に感じ取ることができる。

本人は押さえ込もうとしているようだが……逆に言えば、押さえ込んでこれなのだ。

暗殺者は、気配を殺し、己が感情をも殺す。

この者は、そのような存在とは、ちょうど反対に位置する者であるな。


正々堂々、か。

その心意気や、よし。




「……拙僧に用か?」


拙僧は木の枝の上より、この森へと足を踏み入れた者へ、話しかける。


「それがし、犬塚と申す者」


白き着物で姿を整え、腰には刀。

ふむ、ある意味では、見慣れた格好である。

拙僧の修行場から、最も近くに集落を作る者らの一員であろう。


「ふむ、人狼の里の者か。して、何用か?」

「それがしの娘が、高熱を発しておりまする。是が非でも、天狗殿の霊薬を頂きたい」


「拙僧の霊的治療と霊薬は、己が修行の副産物。

 しかし、おいそれと他人に渡すわけには行かぬ。

 どうしてもほしいと言うならば…………その腕のほどを見せてみるがよい!」


「……御意のままに。いざ!」



今日は、実に客人の多い日であるな。

第一陣は、迷子の小僧を筆頭とした、3人組。

そして第二陣は、娘の命を助けようとする人狼か。


先の小僧は、本当に望む治療もせぬゆえ、

少々便宜を図りすぎた気もするが……やはり、こうでなくてはな。

手合わせの少ないままに、高みを目指す拙僧にすれば、こういった機会は嬉しいものだ。



「うぉぉおおおおっ!」

「むぅ!?」



よき眼である。

狼は、群れで生活をする生き物。

よって、家族を守ろうとする人狼は、何者にも勝る気迫を発する戦士である。


さぁ、来るがよい! 

娘を持つ、人狼の戦士よ! 


その力、とくと拙僧に見せよ!





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





空を茜色に染めていた太陽が、もう沈もうとしていた。

山々に囲まれたこの地域は、夜が近づくにつれセミの声が静まっていく。

そしてその代わりに、今度はコオロギやら鈴虫の合唱が始まるのだ。


つい先ほど、寺を訪れたときには、まだ鳴き始めていなかった虫たちが、

寺での用事を済ませ出た今は、鳴いている。


それほどまでに時間を使っただろうか。

時刻は午後7時を回ったところである。

夏になり、日が長くなったので時間が分かりづらいが……

確かに冬ならば、夜と言っても差し支えのない時間帯である。


そうか、もう、夜か。

一日の時間が経つのは、早いものだ。


そんなことを考えつつ、私は帰り道を急ぐ。

坂道の多いこの地域では、ちょっとした移動も一苦労だ。



「無計画にここまで来ちまったけど、どうする? このままだと、野宿だぞ?」


「この辺に民宿か何かねぇのか?
 
 そういや、駅にあった看板に、この辺に温泉があるって書いてなかったか?」


「お、そうなのか、陰念。よし、じゃあ横島。今日は温泉だな」

「…………お前らなぁ。ここまでの電車賃だって人にたかってるくせに……」

「しかしよ、この中じゃ、貴様が一番金持ちだぞ、横島。なぁ、雪之丞」

「ああ。道場で住み込み修行の俺たちに、金があるわけないしな」


「いや、そんなこと言われても、

 さすがに3人も旅館に泊まる金なんてないぞ」




ふと、私の背後が騒がしくなる。

振り返ってみれば、そこには………………な、何者なのだ、この若者たちは?


一人は巨大なリュックを担ぎ、しかし平然と歩いている。

その格好は、至って普通のシャツにG−パンなのだが、

背中にある登山並の重装備が、異様さをかもし出している。


もう一人は、その少年の後ろで、悪態をついている。

その姿は、ロックンロール族とでも、言うのだろうか。

ぼさぼさの髪に、黒いジャケット。

夕日を受けてキラリと光るシルバーのアクセサリーが、アクセントとなっている。


最後の一人は、リュックの少年の隣を歩いている。

日中からずっと着ていたのだろうか? ブラック・ロングコートである。

仮に登山をしにきたのだとすれば、

確かにロックンロール族の子のように、手足を露出させるのは得策ではない。

しかし、これは行きすぎだろう。

機能性の面から見ても、問題があると思われる。



…………で、何なのだろうか、この若者たちは。



一体、こんな小さな田舎町に、何の用だろうか。

いっそのこと、バイクで私の隣を爆走してくれれば、

『まったく、近頃の若い者は!』という、憤り一つでことはすむのだが。



「はぁ、野宿か……。まぁ、この辺りなら生死の危機も、心配する必要ないしな」

「何気に含蓄のある台詞だな、横島」

「そりゃ、な。色々遭ったから、愛子もこんな眼にあってるんだし」


そういうと、リュックの少年は、自分の背を見つめる。

愛子? まさか…………あ、あの背のリュックの中には、女の子が?

この怪しげな若者3人組は…………

少女を拉致、監禁、暴行、殺害、死体、損壊、遺棄……!?

ま、まさかな。

考えすぎだろう。

私は段々とこちらへ近づいてくる若者3人組を凝視しつつ、苦笑する。


ほら、あのリュックの中の気配を探ったところで、何も感じられは…………。


…………!? 


ほ、ほのかに何かの気配が!?

しかも、これは生きた人間のものではないぞ?


まさか、あのリュックの中では、愛子と呼ばれる少女の遺体が、

少年たちに対する恨みにより、生ける屍になりかけて……!?



「き、君たち! ちょっといいかね!」



私は語尾が少々震えるのを自覚しつつ、

こちらへとやってくる3人組に声をかけた。

3人組は、きょとんとした表情をし、足を止める。


「えっと、何すか?」


そして、リュックの少年が、代表して私の声に応えた。


「そのリュックの中身は……一体何かね?

 いや、私は今、このような格好をしているから分からないだろうが、

 この先の神社で、神主をしておってね。

 なにやらそのリュックに、微妙な気配を感じたのだよ」


「あ、そうなんすか。

 いや〜、愛子って言う、俺んちのメイドが入ってるんですよ」


「ちなみに、いつか俺のメイドに予定のメイドだ」


「誰がお前なんかに渡すか、このサボ念」

「ンだと、横島ァ……」


「……くだらねぇこと言い合ってんじゃねぇって。

 神主なら、ちょうどいいじゃねぇか。

 ここは一つ、300年前の妖怪について、聞いてみようぜ」


リュック君とロック君が言い合いを始めるのを、ブラック君がおさめた。


「300年前? 君たちは、一体何者かね?」

「見ての通りの……」

「いや、悪いが見てもさっぱり分からんよ」


私の疑問に答えようとしてくれたリュック君には悪いが、私は一言で切り捨てる。

実際問題、一目見てこの3人組が何者か分かるものは、いないだろう。


言葉の頭を抑えられ、これ見よがしにリュック君は落ち込んだ。

地面に『の』の字を書いたりと、かなり芸が細かい。

そのリュック君の頭を、ロック君が小突く。

何気に仲が悪いのだろうか?


「俺たちは東京から来た、GSの卵だ」


そんなリュック君らを無視し、ブラック君が話し出す。


「ほう? GSの……?」


聞いてみれば、リュック君……本名・横島クンの眷属、

というか、専属メイド……である机妖怪の愛子君が怪我をしたらしく、

その怪我を治す品を求めて、ここまでやって来たということだった。


本当にGSの卵なのだろうか、と疑ってみたところ、

ブラック君こと雪之丞君が、霊力の片鱗を見せてくれた。

確かに、一般人ではありえず、私よりも大きな霊力を、彼は持っているようだった。


さらに話を聞いたところ、

その愛子君の怪我を治す品とは、妖怪の欠片であるらしい。


300年前、この地方を襲った妖怪・死津喪比女。


その話は、私もよく知っている。

なぜなら、彼らの言う

その妖怪を封印した能力者の子孫が、私なのだから。

当然、私も当時のことは、よく知らないのだが、

しかし、文献などでしっかりと事件のことは把握している。

この地に封印された死津喪比女。

その封印を見守るため、

我が家系は神社と土地を与えられ、この地に住み続けているのだ。


なお、今も私は寺に行ってきた帰りなのだが、

その寺は、我が神社の境内におられる神を祭る、別当寺なのだ。

何故、神社の境内の神を祭る寺が、神社の外にあるのかと言えば、

江戸時代に立てられた我が氷室神社だが、

明治時代の神仏分離令によって、こういう状況に陥ったのだ。

…………まぁ、その辺りのことは、蛇足か。


「そうなんスか! じゃあ、死津喪比女とか言う奴にも、詳しいっスよね!」

「ああ。氷室神社には古文書が残されているからね」

「じゃあ、結界とか、本体の一部のある場所とか、色々教えて……」

「残念だが、それはできない」


私は横島クンの言葉を、またしても途中で切り捨てた。

すでに、最初の封印から300年というときが経っているのだ。

何の拍子に、死津喪比女の眼が覚めるか、分かったものではない。

結界の強力さを疑うつもりはないが、

それでも、私は私の孫の代より先まで、この結界を守る義務がある。

不用意なことは、言えないのだ。


「こ、ここまで来て関係者にダメ出し……?」

「まぁ、そう気を落とさずに。代わりと言っては何だけれど……」


「うう。そう言われて、ここまで来たのに。

 今度はどこに行けばいんだ。る〜るる〜」


「うちに来なさい」

「……へ?」


「泊まる宿などないと、言っていただろう。

 今晩、泊まるといい。それに…………少々足りないかもしれないが、

 御神木の枝でよければ、君たちに上げよう」


「ま、マジっすか!? 枝、もらっちゃっていいですか!?

 いや、絶対にもらえるはずがないって、諦めていたんですけど!」


目を輝かせて喜ぶ横島クン。

そう言えば、先の説明によると、

御神木を手に入れられそうにないから、

死津喪比女の欠片を得ようとしたのだったな……。

私は横島クンの満面の笑みに押されつつ、さらに説明を続ける。


「…………さ、先に言っておくけれども、

 君が今から斧を持って木に登り、枝を取るわけではないぞ?」


御神木は本来、切り倒されることなどあり得ない、神聖なる木である。

しかし、御神木が古来より御柱や、

仏像を彫るために使われてきたのも、また事実である。

我が神社でも、ご神木を数年前に、御柱とするため伐採したのだ。

そう、神事を行い、斧のみで数時間かけて、御神木を切り倒した。


その後、御神木は尺取りをし、柱となった。

しかしその折……御柱の曳行の折に、

柱として不要な部分の枝などは、切り落とされた。

そして、それらはすべて、我が神社の神棚にて今も祭ってある。

そのうちの使えそうな枝を、横島クンに分けようというのだ。

神棚で祭っていたので、

今も霊力はたぶんに含んでいるはずであり、問題はないだろう。


また、こんな昔話も残っている。

その神木でよく、当時のお姫様が遊んでいたというのだ。

お転婆ではあるが、非常に心優しい姫であり、民にも慕われていたらしい。

そんな姫が好んだ木でもあるのだ。

きっと、怪我の治りもよかろう。



「ありがとうございます!」



私の説明に、横島クンは大きな声で礼を述べた。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





「ただいま〜……」



今日は少々、帰りが遅くなってしまった。

まぁ、今は夏休みだし、

父ちゃんたちも大目には見てくれるだろうけれども……


しかし罪悪感とお説教に対する不安からか、

『ただいま』の声はついつい小さくなる。


何をして遅くなったというわけじゃない。

ただ、明子ちゃんらと、

ぺちゃくちゃ喋っている間に、時間は刻々と過ぎていただけ。

夕闇が迫り、月が顔を出したところで我に返っても、時間は巻き戻りはしなかった。


「……ん? あれ?」


ふと視線を下にさげると、

何故か玄関には見知らぬ靴が2足、あった。

誰の靴だろうか? 

首をひねってみるものの、答えは出ない。


お客が来るなどという話しは、

朝食の時には少なくとも聞かなかったし。

また突然の来客にしても、この靴は少々不自然だ。

何しろ、その靴は両方とも、若い男の履く靴だった。

父ちゃんの友人、あるいは母ちゃんの友人、もしくは神社や寺の関係者。

そのどれもが、当てはまりそうにない靴。

汚れに汚れ、まるで森の中でも駆け回ったかのような、靴。


一体、誰がうちに来ているのだろう?

もしかすると、お客のおかげで、帰りが遅くなったことはうやむやになるかも?

そんな下らない期待で、胸を小さく膨らませていると、


「おお、お帰り、早苗」


なかなか部屋に上がってこないことをいぶかしんだのか、父ちゃんが玄関まで顔を出した。


「あ、うん。ねぇ、誰か来とるべさ?」


私は帰りが遅くなった理由を聞かれる前に、言葉を放つ。


「ああ、3人ほど。お前とそう年は変わらないだろう、少年たちだ」

「……3人? 靴は2つしかないけど」 


「一人は、神社の境内で、月が出るのを待つと言ってな。

 まぁ、連れがうるさくて、逃げたというのかもしれないが」


「?」


私が疑問符を浮かべていると、

居間のほうから声と、大きな霊力の気配が伝わってきた。


『邪魔すんじゃねぇ、雪之丞! 俺は横島に代わって、あのメイドを!』


『お前が邪魔しないよう、頼まれてんだから、

 俺がお前を邪魔すんのは当然だろ。

 下手すると、起きた愛子の姐さんからも、恨まれそうだしな』


『寝起き一番に見る顔が、俺ではダメだってのか、お前は!』

『そうだ!』

『んだと、こらぁ!』



…………騒がしい客だ。

遠慮とか言う言葉は、

生まれてくるときに捨ててきたような感じだ。


まぁ、それでも私は、

遅れた理由をうやむやにしてくれたこのお客に、感謝した。




で、あと一人は、境内で何をしているんだろうか?




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




月が、綺麗だった。

その光は冷たく、神苑を照らす。

俺は月の下、愛子の机を抱えて、ただひたすら時間が過ぎるのを、待つ。


神木を手に入れた。

霊符も、氷室の神主さんがくれた。


愛子の机に枝を包帯代わりの霊符で取り付け、固定した。

本当に、これが前の机の脚のように、なるのだろうか。

そんなことを思いはするけれど、俺には信じるしかなかった。


愛子の机を抱える腕に、力を込める。

しっかりと抱えたことは、これまでなかったな、そう言えば。

変な形で、腕が石化してたし。


天狗さんのくれた薬のおかげで、

俺の腕は今、前よりはマシになった。


手首と肘の中間。

その辺りに新しい関節が増えた上で、石化して固まってた。

しかし、石が軟らかくなると言う薬をかけたところ、

外見上は石なのだけれど、しかし本当に軟らかくなった。

で、普通の骨折時のように、添え木をして処置した。

軟らかくなろうが、石は石なので、重い。

重いが、今まで程の不自由さはない。

指は前から曲げられたけれど、より動かしやすくなったし。


なお、足のほうは石化したまま。

特に深い意味があるわけではなく、

単にもらった薬じゃ、足にまでかける量がなかっただけだ。


まぁ、そういうわけで。

愛子の机も、これまでよりしっかりと抱きしめられる。

これって、愛子の本体が机である以上、熱烈な抱擁なんだよな。


…………固い。固いよ、愛子。温かくもないし。

愛子は、いつになったら、目覚めるんだろう。

枝を付けてから、数日後なのだろうか?

それとも、数十日後? 数週間後?


TVドラマとかだと、

昏睡状態から意識が回復するのは、手術後しばらくしてから。

愛子も、ある意味手術をしたようなものだけれど……数時間で眼を覚ますかな?

それとも、この神木じゃ、

愛子の体質というか、霊質にあわず、ダメなのだろうか?

愛子の机に、俺は自分の胸板を押し付ける。



とくん、とくん、とくん。



そんな自分の心音が、やけに大きく聞こえた。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




とくん、とくん、とくん。

音が聞こえた。

初めて聞いた気のする音なのに、何故か心地よく感じた。


初めて……?

いや、それは違うのかもしれない。

これまでに、何度も同じ音を、聞いたような気がするから。

それがどこでの事だったかは、思い当たらないけれど。



とくん、とくん、とくん、とくん、とくん。



その音は、途切れることなく続いていく。



とくん、とくん、とくん。

とくん、とくん…………。



その音につられて、目を開けようとする。

まだまだ眠たかった。

でも、起きなければならないと思った。

起きるのを待ってる人がいる。

それが、分かった。

その音が、伝えてくれたのかもしれない。



とくん、とくん、とくん、とくん、とくん。



目を、開こうとする。

起きなければならないと、そう思ったから。

でも、開くべき目が、ない。

体が、ない。

体を、作らないと。

そう、体。

そうしないと、喋ることもできない。

でも、何故? 

何で、体がないのかしら?

どうすればいいのだろう。

分からない。ないものは、ない。

どうすればいいのか、誰か教えてほしい。


とくん、とくん、とくん、とくん、とくん。


悩んでいるときも、音はずっと聞こえる。

体がないはずなのに、何故、聞こえるの?

…………この音につられて、どこまでも行けば、体が見つかるだろうか?

とくん、とくん、とくん、とくん、とくん。

聞こえていると感じている、その事実に注意を向ける。

つまりは、音に耳を傾ける。

身を任せる。

いい音。

安心できる。

温かいと感じる。



この感じ…………知っているわ。



「……………横島クン?」



気がつけば、私は一つの名前を口にしていた。




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