番外
第22、5話 剛健たる巨人……
「…………んっ!? ……ん?」
首が俺の意思に関係なく、かくんと落ちた。
その反動に驚き、俺は間抜けな声をあげる。
どうやら俺は、いつの間にか、眠っていたらしい。
看病……と言っていいのか、この場合は分からないけれども、
一応は怪我人を見ている者が、眠りこけてどうするんだよ。
いかん、いかんと、目を何回か瞬かせる。
視線を上空に浮かぶ月に合わせ、その光で目を覚まさせようとする。
月は、俺がうたた寝を始めたであろうときより、さして動いてはいなかった。
よかった。そんなに長い時間、寝てたわけじゃないみたいだ。
せいぜい、10分かそこらだろう。
一時間も寝てると、月のかなり動いているだろうし。
「……今夜は、やっぱり起きないか?」
そうなのだ。
いくら新しい足を取り付けたからと言っても、今夜中に目覚めるとは限らない。
でも、もしかすると、って言う可能性はある。
これまでずっと起きられなかったのは、怪我のせいなんだ。
その怪我が一応は処置された以上、目だって覚ますかもしれない。
目を覚ましたときには、おはようと言ってやりたい。
後、今はもう、あのゴーレムに追っかけられてないって言って、安心させてやらないと。
それに、あのサボ念もユッキーに任せてあるんだ。
それなのに寝てたら、あとでユッキーに恨まれちゃうしな。
「よっ……ん?」
そして俺は、愛子の机を抱きかかえなおそうとして…………そこで気づいた。
柔らかく、温かい。
俺は、机を抱えていたはずなのに。
俺は恐る恐る、視線を月から自分の胸の中の、愛子の机へと向ける。
まず、視界に入ったのは、黒い何かだった。
何なのだろう、といぶかしむ前に、その黒い何かはさらさらと流れていく。
そしてその下から、白い肌と、閉じられた眼が出てくる。
ああ、愛子の、髪の毛か。
長く艶やかな愛子の髪。
日本人らしい、黒。
そしてその下の、白い肌。
モノトーンのコントラストは、月の光の下で、艶やかに映える。
久々に見ることになる愛子の顔は、あどけない寝顔だった。
可愛らしい、と思える顔だ。
萌えだとかエロだとか、そんな言葉は不釣合いだろう。
愛らしいのだ。それ以外に、俺は表現できそうな言葉を知らない。
神聖。
そんな言葉も、俺の頭のどこかに思い浮かぶ。
汚しては、駄目な存在。
まるで、生まれたばかりの自分の子供を見ているような、心境だった。
体を外に出せるくらい、回復したんだな。
………………よかった。よかったな、愛子。
そう心の底から思う。
俺の知る愛子は、非常にしっかりした女の子で、俺はいつも怒られていた。
母親代わりとまでは言わないが、姉代わりくらいの存在だったかも知れない。
俺のおかしな説得で、おかしな同居が始まって。
俺の行動や態度を、毎日毎日注意して、説教して。
でも、口うるさくも、優しかった。
ある意味、母親を除いて、俺に一番近い女の人だったのでは、ないだろうか。
メドーサさんとは、毎日同じ空間で生活できているわけでは、ないから。
何処か、俺を見守ってくれていた存在。
でも、この寝顔を見ていると、俺が守らなければという気になってくる。
そう、守らなきゃ、ダメだったんだ。
あの時みたいな事態には、もう二度とさせない。
俺は愛子の幼さを感じさせる顔を見つつ、そう思った。
「……………横島クン?」
「…………おはよう、愛子」
しばらくすると、愛子の目がうっすらと開かれ、そして口から声が零れる。
俺はゆっくりと静かな口調で、愛子の言葉に答えた。
「体のほうは、どうだ?」
「…………体?」
「お前、怪我してたんだよ。
一応、治したつもりなんだけど、大丈夫か?」
「怪我……………?」
愛子はまだ、完全に覚醒しきってはいないようだ。
俺の言葉には反応するものの、
その反応はすべて疑問であり、いまいち状況がつかめていないようだ。
当然だろう。長い間、ずっと意識がなかったんだ。
目覚めてすぐ、今の自分がどういう状況かなんて、分かるはずがない。
…………目覚めたと言うことは、
愛子の机と神木は、ちゃんとくっついてくれたのだろう。
だが、油断はできない。
ちょっとした力を加えただけでも、また折れてしまうかもしれないのだ。
今はまだ眠り、回復を待つべきなのだ。
「ねぇ、横島クン……私……どうしちゃったのかなぁ……」
「どうもしてねーって。大丈夫。何にも問題ないからさ」
ゴーレムから逃げ切れたことを、伝えなければ。
そう最初は考えていたが、やはり今は言わないことにした。
起きてくれたのは嬉しいけれど、今は寝かしつけるべきだと思い直したからだ。
下手にあのときのことを思い出すと、興奮して、傷に触るかもしれない。
「…………そう?」
「ああ、そうだよ。だいじょーぶだからさ。愛子はもう少し、寝てろよ」
「……うん、ありがと……」
目覚めたはいいが、限界だったのだろう。
愛子は俺に礼を言うと、そのまま眼を閉じた。
もしかすると、看病している俺を安心させようとか、
そういうことを何処かで思って、無理矢理一度起きたんじゃないだろうか。
すぐさま眠りについた愛子を見て、俺はふとそんなことを思った。
「まぁ、何はともあれ、よかった。
ずっと起きてくれないって言うのは、本当に怖かったしな」
呟きつつ、俺は愛子の体を再度抱きしめなおす。
ずっと眠る。起きない。
それは、傍から見ていると、まさに永眠だ。
しかも愛子の場合、古い机なのだ。
このまま時間だけが過ぎて、風化してしまうんじゃないか。
そんな嫌な想像を、してしまうこともあったのだ。
「よいしょっと」
愛子の体は、俺が抱えていた机の内側に、現れた。
つまり、俺と机で、愛子の体を挟んだような状態だった。
だから俺は、愛子の体を横抱き……いわゆるお姫様抱っこをし、
そしてさらに、愛子の背中や足の下に回した手で、本体である机を持った。
なんだか、夏休み直前になって、
学校の道具をまとめて持って帰ろうとする、大昔の子供のようだ。
そんな風に今の自分を考えて、俺は苦笑した。
愛子の体は、軽かった。
宙に浮かぶことのできる奴なので、それは当たり前の……………?
いや…………これは……?
地面に座り込んで、ただただ抱きしめ、
愛子の目覚めに喜んでいるときには、全然気がつかなかったけれど……。
愛子の体は、俺の知る愛子のそれとは、まったく違っていた。
愛子であることには、変わりがない、変わりがないのだが…………。
怪我のせいなのか、あるいは使った神木の影響なのか。
はたまた、他に何かの要因があるのか。
何にしろ、すっかり以前とは変ってしまった愛子を見て、俺は呟いた。
「…………なんか、小さくなってませんか?」
具体的に言うならば、
160cmからマイナスの45cmくらい?
あるいは、Bカップブラから、ブラ必要なしのレベル……って感じ?
寝顔が幼げで可愛いって……当然だ。
だって全体的に縮んでいるんだし。
セーラー服まで、ご丁寧に縮んでいる。
最後にあの島で着ていたものは、水着だったのだけれど……。
その辺は、愛子の中で調節がされたのだろうか?
愛子は生まれた瞬間から、セーラー服着てたわけだし。
いや、服のことは、今はどうでも言い。
それより……どうしよう……。
何処からどう見ても、小学生かそこいらだぞ?
そのうち、元に戻るのだろうか?
姉代わりの存在が、何故か妹代わりの存在に?
「…………ここで固まってても、仕方ないか」
とりあえず俺は、氷室の神主さんに相談するため、神苑を後にした。
「愛子。お前のことは、俺が絶対に守るから。
さし当たって…………何処かのサボテン野郎から!」
そのとき、
娘にたかる虫を払う父親の気持ちと言うものが、
まだ学生な俺だけど、ちょっと分かった気がした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ゆったりとしたソファに、私と彼女は腰掛けていた。
彼女は……私たちへの技術提供者にして、そして最大の脅威でもある。
そう。下手な対応は、その場で死に繋がってしまう。
だから私は慎重かつ大胆に、話しを進めていく。
慎重すぎてもいいのではないか。
大胆になる必要など、ないのではないか。
そう考えてはいけない。
あまりに慎重になり過ぎれば、
それは、おどおどとした態度だと見られてしまう。
あくまで、対等であるように振る舞い、
その上で相手から情報を引き出す必要があるのだ。
相手がそれを望んでいる節があるのだから、そうするしかない。
鬱陶しい。もう、殺そう。
そんな思考に相手がならないよう、警戒する。
私には、そうすることしかできない。
彼女が私を殺そうと思ったならば、その瞬間、私の首は飛んでいることだろうから。
しかも、それは比喩ではなく、あくまで物理的に。
「それで、製造過程には問題ないのかい?」
「ええ。今のところ順調。
しかし、ガルーダの成長促進には、2パーセントほどの遅れが」
「ゴーレムのほうはどうだい? あっちは、扱いやすいだろう?」
「すでに試作3号機の実戦テストに入っています。
茂流田が直接、本日未明にインドシナ方面へと飛びました」
私は、彼女の問いに素早く、そして的確に答えを返す。
彼女の名前は、メドーサ。
私たちの所属する南部グループ、その薬事部門の協力者だ。
まぁ、もう少し正確に言うならば、
薬事部門を隠れ蓑とする、軍事部門の協力者になるのだろうけれど。
彼女の持ってくる魔族の情報から、私たちは人造の魔族を作り出している。
今後、メドーサがどのような行動に出るか、私には分からない。
突然、こちらの造った人造魔族を奪い、人類を恐怖のどん底に陥れるのかもしれない。
しかし、南部グループのトップは、あまり事態を悲観しない。
人造魔族には、
それぞれ固有の制御プログラムが成され、こちらの操作を振り切ることはない。
またメドーサがうちの会社を襲ったところで、
すでに試作とは言え、ある程度の人造魔族が完成している我が社の戦力は、かなりのもの。
うまく兵を使い、メドーサを逆に捕らえ、オモチャにできるとすら考えている。
まぁ、私もそう考えているから、こうしてこの研究を続けている。
勝てるとは思わないけれど、負けるとも思わない。
自分の作っている人造魔族……つまり作品には、それなりの自信を持っているから。
それに、私は今までこのメドーサと言う魔族と、それなりの期間、付き合ってきている。
だから、こうも思う。
相手は話の通じないライオンやトラより、よほど安全な存在だ……と。
メドーサは、私が命乞いをすれば、
とり合えず止まって、話しを聞いてくれるかもしれない。
しかしライオンは、私がどれだけ叫んだところで、噛み付くのを止めないだろう。
「須狩、その試作ゴーレムの能力は、実際どうなんだい?」
ふと考え事をしていた私に、メドーサは疑問を投げてくる。
「ミリタリー仕様で、数多くの火器を搭載しています。
装甲面でも、霊力をコーティングすることで、低重量で重装甲を実現。
2足歩行と言うことで、
敵からの攻撃を受ける面積は大きいけれど、
しかし、敵の兵に与える心的プレッシャーは大きい。
しかも、撃破されればただの土に戻るから、機密保持も完璧♪
まさに、現状で完全な兵器に仕上がっているわ!」
「そうかい。で、実戦テストとやらはどこでやるんだい?」
説明をし始めると、ついつい興奮する私だが、
メドーサはそんな私の興奮をあっさり無視する。
「インドシナ海域付近の海賊相手に、ですよ」
「海賊? そんなものと戦って、テストになるのかい?」
「ええ。問題はありません」
海賊と言っても、
イーリアスやオデュッセイアなどの古代伝説に登場するような、そんな海賊ではないのだ。
現代の海賊は小型高速艇を取り揃え、重火器で武装した、一個の戦闘集団なのだ。
何しろ、大型石油タンカーや商船、
あるいは海底油田発掘隊を襲う存在なのだから、その程度の戦力は当然。
世にある海賊の艦隊の中には、
貧弱な国家の軍隊よりも高性能で統率の取れたものもある。
今回、試作3号機の系統をくむ、
3つのタイプを海賊と戦わせ、その実戦データを取る。
海賊は国際犯罪者であり、一応公的には、
どこにも泣きつくことのできない存在であり、あとくされがない。
それに、霊的知識がないものには、ゴーレムが何なのかすら、分からないだろう。
東南アジアに、強大な力を持った存在が出現すると言う、新しい伝説が生まれるだけだ。
仮にICPOのオカルトGメンが事件をかぎつけたとしても、
いまだ日本には支部がない状態なので、
南部グループにまで捜査の手が及ぶことは、まずないのだ。
「まぁ、バレなければそれでいいさ。
いい報告を期待しているよ。
使い物になってさえくれれば、私はそれでいいからね」
「はい、分かっていますわ」
「さて………仕事の話は、これでおしまいだよ。
だが、今日はここからが本題でもある」
「え?」
メドーサは、これまでよりも真剣な表情を、顔に浮かべた。
……な、何なのだろうか。
これまで、仕事以外の話しなど、したことがないと言うのに。
しかも、本題? 仕事の話は、半ばどうでもよかったと言うこと?
「あんたと茂流田は、付き合ってたりするのかい?」
「へ? あ、いえ。特にそう言う訳では……」
「じゃあ、付き合っている男はいるのか?」
「ええ、まぁ。仕事が忙しくて、たまにしか会えませんが」
「よし」
何がどういいのか分からないが、メドーサは一人大きく頷いた。
そしてどこからともなく、
一冊の本を取り出し、私のほうに見せてくる。
なお、その本の表紙には、こう書いてあった。
『都内食べ歩きマップ:旅行での楽しいひと時から、
あのデートスポットまで、まとめてご紹介♪』
「……で、実際この本とかで紹介されてる場所は、いいのかい?」
本を見せつつ、ずいっとこちらに顔を近づけ、聞いてくるメドーサ。
ここは、どう答えたらいいのだろうか。
そんな風に私が悩んでいるうちに、
メドーサは一人でどんどん話しを進めていく。
「あまり堅苦しい場所はどうかと思う。ホテルのラウンジなどは、やはり……」
メドーサならば、髪を整え、ちょっとしたドレスでも着込めば、
一流ホテルのディナーも問題ないと思うのだが、しかし、それはお気に召さないらしい。
食べ歩きマップとやらのページをめくり、
彼女は熱心にラーメン屋などの名前を凝視している。
…………ず、随分と庶民的な……。
というか、話の流れからすると、
彼女は、私にデートの行き場所を相談してきているのだろう。
相手は誰なのだろうか。同じ魔族なのだろうか。
いやいや、それ以前に、どういう趣味の男なのか。ラーメン好きなのだろうか?
「あの……デートのお相手は、どんな方なんです?」
「で、デートじゃないよ。単なる……えーっと、そう、餌付けだ」
そう答えるメドーサの頬は、赤い。
これは演技ではなく、素だろう。
自分が食べようとする人間を丸々と肥やすため、食事させる場所を探している。
彼女は魔族なので、
人間を餌付けすると言う言葉だけなら、そういうことも想像できるけれど……。
この表情を見る限り、それは絶対にないと思えてくる。
なぜなら、私にもこんな時期があったから。
まぁ、女の子ですしね?
ふと、彼女の姿が、バレンタインのチョコレートを、
どういう理由で相手に渡そうか考えていた、昔の私に重なった。
あの時は、結局『義理だ』と言うことにしたけれど…………クラス中にもろバレしてたわ……。
「餌付けだと言うなら、
何もそんなに悩む必要は、ないんじゃありません?
何処でもいいではないですか。
何なら、私どもが開発した薬でも混ぜるとか。
そうすれば、どんなに悪いゴハンでも、薬の幻覚効果で……」
「それは駄目だ!」
私のちょっと意地悪な台詞に、彼女は面白いようにすぐさま反応する。
魔族なのに、恋は正々堂々なのかしら? 意外と純情?
魔族と言うと、
無理矢理人の魂を食べちゃったり、相手を騙すようなイメージがあるのだけれど。
薬でも何でも使って、
相手の精神を壊して、操り人形に…………とか、そういうことをするつもりは無いみたい。
仕事のときのあの冷たい印象は、何処に行ったのかしら……。
ふと、視線を彼女の後ろに立つ、部下の勘九朗へと向ける。
彼……いや、彼も彼女と言うべきかしら……は、私に苦笑をして見せた。
どうか、話に付き合って、教えてあげて。
そんな言葉が、向こうの瞳から聞こえた気がした。
「取り敢えず、お相手のこと、少し教えてくれませんか?
年齢とか、仕事先によっても、やっぱり行く場所は変えないと駄目ですし」
「…………仕事先と言うか、学生なんだが……」
聞き間違いだろうか。
ものすごく、不釣合いな台詞を聞いたような気がする。
私がつい首を傾げると、
彼女はもう一度『? 聞こえなかったかい? ……学生だ』と言った。
「が、学生!? 無茶苦茶年下じゃないですか!」
「わ、悪いかい!? いいじゃないか!」
私が声を荒げると、メドーサは開き直った。
何がどういいのか、少し聞いてみたい。
魔族が未来ある若者の生気を吸って、どうすると言うのだ。
「私はまだ、ゴーレムの第3次中間研究報告書を仕上げなきゃなのに、
貴女はもう、デートの行き先を心配していて、しかも相手は学生!?
…………そ、それって、もちろん大学生ですよね!? こ、高校生ですか!?
犯罪じゃないですか! 思いっきり、不純な異性の交遊って域ですわ!」
「いいんだよ! 私は魔族なんだから、そんなものは関係ない!」
開き直った上に、
さらに独自の倫理観をぶちまけるメドーサ。
魔族だから関係なし、か。かなり便利な言葉よね、それ。
……そう言えば、結婚したら、国際結婚ならぬ異界結婚かしら?
…………いい感じにヒートアップした私とメドーサは、
その後2時間近く、話題のデートスポットやら何やらについて、話し合った。
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