第七話


動き出す従者



シャツにズボン。夜という時間帯に溶け込むよう、黒で色を統一した、単調な格好。

腰にウエストポーチを付け、その中に僅かな現金をいれる。

また、そのポーチのベルトに、俺は物の怪の化身が刀となった『ひな』をねじ込んだ。

ひなは、気性が荒い。昔、モトコちゃんが京都でどうにかこうにか、モノにしたものだ。

だが、その気性の荒さも、今の俺にはちょうどいい。

逆に素直な刀や馬などは、使い潰してしまうような気がするからな。

やはり、ある程度気丈でなければ、俺の道具は務まらない。

そうだろう、TAMA?


『私の気性は、荒いでしょうか?』

「俺に物言いをどんどんするようになった。昔に比べれば、かなり荒いと思うぞ」

『マスターも、昔よりは多少丸くなられたかと思います』

「…………俺も、年をとったのかも知れないな」


『今』のひなた荘にいると、自分が高校生でないことを、常に自覚させられた。

学生と言う未成熟な精神は、もう俺の中にはない。

良くも悪くも、凝り固まり、完成してしまっているのだ、俺は。

だから、若い彼女たちの近くにいれば、多少は丸くもなる。

…………あるいは、今の俺の変化こそ、ひなた荘の魔力か。


「どうにしろ、今日からは本業に復帰だ」

『無理だけはなさらずに』

「その注文こそ、無茶だな」


俺は今、あるビルの屋上にいる。

月は出ていないため、街に存在する電灯などが、俺の顔を淡く照らしていることだろう。

瀬田の情報と、俺の脳内の情報をもとに、遺跡に関係しそうな団体のビルを割り出した。

そして今から俺は、その団体に話を聞きに行くところだ。

もっとも、正面切って話を聞いたところで、彼らは答えはしないだろう。

だから、少々無理をして、荒い方法で話を聞く。


「いくぞ」

『了解。リンクシステム、感度上昇。情報伝達レベル4。オールグリーン』


俺はビルの上から跳躍し、落下しながらにひなを抜く。

銀の光が鞘から零れると同時に、俺はそのビルの窓ガラスを突き破り、内部へと侵入する。

降り注ぐガラスを踏みつけ、俺は膝を曲げて着地の衝撃を和らげる。

満足は出来ないが、大して不満もない動きだ。

ああ、俺はまだ、動ける。


「なっ! 何だ貴様は!?」

「ええい! 若い衆を集めるんだ!」


体についたガラスを気にすることなく、俺は立ち上がる。

一瞬送れて、聴覚が周囲の喧騒を俺に通達した。

どうやら、意味不明な突然の来訪者に、ビル内部の男供は、かなり混乱しているらしい。


「俺の名前は、倉島 清太郎……。少々聞きたいことがあって、やってきた。

 ああ、ガラスはすまないことをしたな。

 だが、下のドアからでは、中に入れてもらえそうにはなかったんでな。やむを得ず、な」


音の似た偽名を名乗りつつ、俺はひなを振る。

部屋の天井の蛍光灯の光が、美しく反射した。


「てめぇ! 何を言ってやがんだ! こっちにゃ、話してやること何ざ、ねぇんだよ!」

「そうか? 取引の相手についてだとか、色々しゃべることはあるだろう?」


俺は不敵に笑いながら、呟いた。

さて、俺がどのくらい荒れれば、このビルのパソコンにも入っていないような、

人の頭の中だけに保存される重要情報を、提示してくれるのだろうか。


まぁ、出来るだけ、早く口を割って欲しいものだな。

俺はこちらに突進してきた若い男をひなで峰打ちしつつ、そんなことを考えた。





            ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 
 自分は、運がいい。

 おそらく、そう思うべきなのだろう。

 東大に受かり、美しき妻を手に入れた。

 それは人からも羨ましがられる。「運がいいやつだ」と。

 
 そして……数々の人体実験を受けた。五感を日に日に失い、絶望し、発狂しかけた。

 これは、多くの人間が「運の悪いやつだ」と思うことだろう。

 だが、俺は運がいいのだ。


 死ぬ前に逃げ出し、そして復讐する機会が得られたのだから。

 さらに、過去に舞い戻り、やり直す機会を得たのだから。


 たとえ、この世界で俺がどういう行動を取ったとしても、

 それで『俺自身の過去』が消えるわけでもない。

 だが、自己満足は出来る。

 そして、世界の裏を知ることなく、

 ただただ普通の幸せを手に入れる妻の姿を、見守ることが出来る。


 世界の裏に回る自分は、その隣に立つ資格がないけれども。



 それにつけて、さらに、今の状況だ。

 俺は、運がいい。

 ・・・・・・最も、それを神に感謝などはしないが。



            ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 目の前にある、扉。

 俺は、運がいい。

 この扉の向こうに、遺跡がある。

 僅かだが、俺の補助脳もうずいているので、間違いない。

 この研究所を発見できたのは、全くの偶然だった。

 瀬田から得た情報をもとに、

 とりあえずいくつかの密輸組織を潰したのだが、そのうちの一つに、違和感があった。

 雰囲気が、少し違った。『密輸組織』というよりは、『研究者集団』という感じだったのだ。


 それが、ここ。


 裏の世界は複雑なので、これは想像でしかないが、

 おそらく、もともとは密輸集団だったものが、

 自分の手の流れた来た『遺跡の異物』か何かに興味を示し、研究者を囲って研究させた。

 そんなところだろうと思う。

 ・・・・・・遠からず、近からずだろう。そもそも、そんなことはどうでもいいのだ。

 俺の目の前に、あの遺跡、またはその一部がある。

 そのことが重要なのだ。

 どのような経路でこいつらが遺跡を手に入れたかなど、『今は』問題でない。

 それを考えるのは、

 こういった馬鹿なことが出来ないように、この施設を物理的にこの世からなくしてからだ。


 「も、もういいだろう。ここまで案内したんだ。や、約束だろう!?」


 俺の前で、男が懇願する。白衣を着た、色白な、そんな男。

 オールバックにした髪を崩しなら、そいつは俺の肩をつかもうとする
 
 が・・・・・・


 「触れるな」

 「ひぃっ!」


 一睨みすると、尻餅をついた。


 「案内してくれたことは感謝する」

 「そ、そうか」

 「だが、貴様らのしていることに賛同は出来ん」


 そこで言葉を切り、俺は刀を……ひなを握る。


 「施設最深部のここに案内すれば、お前だけは助けると言ったがな」


 静かに、抜刀。俺の刀に映るやつの顔は、絶望。


 「すまないが、あれは嘘だ」

 「ま、待て、私を殺しては、この研究所の電子的なシステム把握が・・・・・・」

 「優秀な助手がいるから、問題ない。心置きなく、死ね」

 この男に施設内を案内させたのは、

 TAMAがこの施設のシステムを掌握するまでのつなぎに過ぎない。

 言い終わると同時に、突く。

 刀が突き刺さる己の胸に、男が、手をを伸ばそうとする。

 しかし、それがかなわず、男は死んだ。血を、流して・・・・・・。

 
 この男にも、こいつなりの人生があった。

 親がいて、生まれて。笑って、悲しんで、成長して。

 もしかしたら、もう子供がいるのかもしれないし、または恋人がいるのかもしれない。

 それを、俺が殺した。他のやつらも。・・・・・・俺は、大量殺人犯だ。今も、昔も。

 俺が気に入らなかった、ただ、それだけだ。

 こんな下らない研究を、しているから。


 「TAMA。把握は?」

 『完了しています』

 「開けろ」

 『了解』






 扉が、開く。

 部屋の内部が、俺の出来損ないの視界に入る。


 


 一瞬、妻の顔がフラッシュバックした。


 俺は、息を呑んだ。



 『こういうもの』を見るのは、初めてではない。

 それは、循環される緑色の液体の詰まった、大きな試験管。

 無機質な部屋の中に、それだけが、ある。

 その中にいるのは、少女。瞑想するように、全裸のまま、液体の中で生きる少女。

 その顔は、穏やかな寝顔にも、死に顔にも見える。


 「・・・・・・なる・・・・・・」


 いや、違うな。今の、この現状が、妻を助けたときと近寄っているだけだ。

 第一、この少女は、妻と間違えるには幼すぎる。


 「TAMA、この子は・・・・・・」

 『・・・・・・使える』

 「TAMA?」

 『・・・・・・』

 「・・・・・・・なんだ?」


 脳内に、ノイズが走った気がした。

 それに、この部屋に入ってから、やけにTAMAの反応が遅い。

 この施設のシステムは、TAMAが掌握しているので、

 何らかの妨害がなされているわけではないだろう。

 また、ここの施設は、現代に置いては最先端でも、

 TAMAにしてみれば、時代遅れの塊に過ぎないはずだ。

 一度完全に掌握してしまえば、制御にそれほど能力をつぎ込む必要はないはずだ。


 ・・・・・・ならば、もう俺は。

 体だけでなく、補助脳にまでガタがきた、ということか?


 「おい、TAMA。反応しろ」

 『・・・ス・・・。テイ。・・・システム、安定。着床問題、解消。操縦者からの質疑。回答行為』

 「TAMA?」

 『はい、なんでしょうか、マスター』

 「何か問題が発生したか?」

 『はい。ですが、すでにその問題は解消されました』


 何があったのだろうか。気にはなったが、俺は取り敢えず保留することにした。

 今現在TAMAが動き、一応問題が解消したと言うならば、それで十分だ。


 「そうか。ところで、この子供は生きているのか?」


 『検索、身体状況把握、外部。生体探査、終了。

 はい。生体活動自体に、問題はないと思われます。

 しかし、自立的な活動は不可能です。

 たとえば、歩行に必要な筋肉組織が未発達過ぎます』


 「ここから出せるか?」


 『問題ありません。心肺機能に関する数値は、標準値を超えています。

 有菌空間での行動に制限はありません』


 「そうか、出せ」

 『了解。排出』


 試験管を満たす液体が、ゆっくりと水位を下げる。

 それに伴い、浮いていた少女の体が重力に従い、降りてくる。


 『03−212RAPIの意識は、まもなく覚醒すると思われます。

 しかし、筋組織の問題により自立歩行は不可能。

 排出の途中ですが、管門扉を開放します。マスターが支えてください』


 「03・・・・・・というのはなんだ?」

 『この実験固体の管理コードです』

 「二度と、それを言うな」


 『了解。しかし、それではこの実験固体の固有名詞がありません。

 『実験固体』でよろしいでしょうか?』


 「ふざけるな。名前が無いなら、俺がつける」


 この子供は、恐らく生まれた瞬間から、この管の中にいたのだろう。

 ならば、名前による固体の区別に関してなど、何も思わないかもしれない。

 しかし、名前は重要なものだ。個人の尊厳の、もっとも基本的なことだ。

 俺は浦島景太郎。

 そう名前があるにもかかわらず、1732などと、番号で呼ばれた。

 あれは……屈辱でしかなかった。


 「…………名前。名前か……」


 TAMAを黙らし、俺は排出を続ける試験管と、その中の少女を見る。

 造られた存在だけあって、その容姿は美しい。


 「・・・・・・むう」


 この子にふさわしい名前、か。なかなか思いつかないな。

 周囲に何かないか。試験管、多種の電子機具、扉のところの死体、そして、血。

 鮮烈な、赤。赤く、赤い。赤い、か。

 赤いといえば、血でないとすると、トマトジュースとか、ジャムとか。

 ジャムか。俺はラズベリージャムが好きだ。

 いや、それは関係ない。

 ……いや、花の名や、果物の名前から取るのも、ある意味洒落ているか。


 「・・・・・・ラズリ。それが今からこのこの名前だ」


 犯罪者に名前をつけられるのは、この子も不本意だろうがな。

 しかも、なんというか、血からジャムを発想して、そして、ラズベリーと来て、ラズリだ。

 もし聞かれたとしても、由来は決して言わない事にしよう。


 『ラズリ。瑠璃の石のラピス・ラズリ。了解』


 ・・・・・・TAMAは何か勘違いしたようだが。まぁ、造語だからな。

 リンクシステムが俺の感情を通したとしても、思考全てを完全に送るわけではないからな。

 にしても、『瑠璃の石のラピス・ラズリ』か。

 そのほうがまだ、名前の由来としてロマンがあるな。

 俺自身にロマンなど求めることが間違い、か。


 「よっ・・・」


 俺は、少女・ラズリの体を支えた。腕も、足も、腰も全てが細い。

 最低限の栄養しか与えれらず、ずっと試験管の中では仕方のないことだろう。


 『・・・・・・ん』

 「気が付いたか?」


 ラズリの口から、息とともに声が漏れる。

 そして、ゆっくりと両目が開かれた。

 琥珀色の、綺麗な、そして、遺伝に操作された証拠でもある瞳だった。


 「大丈夫か?」

 『・・・・・・あ・い・・・お』

 「言葉が通じないか?」


 この少女は言葉を喋ることなど、これまでにあったのだろうか?

 それに、言語を教えられていたとしても、日本語だとは限らない。

 それに、知らない俺を見て、警戒しているのかもしれない。

 俺が戸惑っていると、脳内にTAMAの補足説明がひびいた。

 ふむ。

 声帯を動かしたことがなく、

 発音することが出来ないだけで、意味自体は通じている、か。

 何故、そうTAMAは判断したのだろう。

 やけにきっぱりと断言されたが……。


 「俺が怖くないか?」

 『んん・・・』


 確認のための問いかけに、少女は首を横に振る。


 『あ、あう・・・・・・あ』

 「焦って喋る必要はない。外に出たんだ。時間はある」

 『・・・・・・ん』


 俺が言うと、少女は、ラズリは微笑みながら首を小さく縦に振る。

 可愛らしい笑みだ。こういう笑みは、絶対に実験の苦痛で歪ませたくはない。


 「・・・TAMA、それで、遺跡はどこにある? それらしいものが見当たらないが」


 『施設内データ検索結果提示。

 遺跡より発掘された微小機械を入手し、人工的に生み出した遺伝子強化型人類に融合。

 電子機器類をその意思の支配下に置く存在を創造する。

 そのための、相互接触実験用固体が、ラズリです。破壊することは、可能です』



「・・・・・・そうか、この子が、つまり遺跡か」



 確かに、遺跡を俺のようにその体内に含んでいるというなら、

 殺して、その体内から核となる遺跡の一部を取り出せばいい。

 だが、遺跡に振り回されている、俺と同じ存在のこの子を、俺は……。





 いや、感傷など、必要ない。

 『遺跡』だというなら、俺の破壊対象だ。





 殺さなくてはならない。それが少女だろうが、なんだろうが、関係ない。





 殺す。そして、『中身』を取り出させてもらう。




 




 「すまん、せめて、苦しまずにやってやるから」


 俺の腕の中にいる少女に、言う。

 小さく丸まり、俺の胸に頭を寄せる少女にだ。

 ・・・・・・俺は。





 腕に力を込めていく。


 「・・・・・・」

 『う、ん・・・・・・?』


 


 俺は。

 俺は?


 殺すのか? この子を? せっかく、試験管から、実験から逃れたこの子を?


 「いや…………」


 俺は。

 なんて身勝手なんだろう。

 先ほどまで容赦なく、何も感じずに人を殺していたのに。

 この子は、殺せない。力を腕に込め、刀を振るということが、出来ない。



 「TAMA、ラズリの実験データおよびこの施設データは全て俺に保存。その後、撤退する」

 『了解』


 俺は、ラズリを抱えて立ち上がる。

 立ち上がったその瞬間には、

 ラズリを殺して、打ち捨てていくと言う選択肢など、俺の頭の中から消えてしまっていた。



 名前など、付けるべきではなかったか。

 名前さえ付けなければ、ためらいが生まれる前に、殺せたかも知れないのに。


 …………いや、今からでも遅くはない。殺そうとさえ思えば、殺せる。

 ……もっとも、そう思うことは、出来そうにないか。


 さて、後はここを破壊して、帰るだけだ。

 ここが壊されたことにより、

 ここと繋がりのある研究所は、何らかのアクションを見せるだろう。

 ちなみに、今は、外部にダミーの情報を流している。

 だから、まだこの施設は『正常に』稼動している。

 俺が出た後に、突如として消滅するのだ。


 外部より襲撃された結果の崩壊ではなく、原因不明の崩壊なのだ。


 「TAMA、後の処理は任せる」

 『了解』



 俺は、運がいい。その運のよさに、少しいい気になっているかもしれない。

 俺は、人を殺し、物を破壊し、気まぐれで助け、・・・・・・神にでもなった気か?

 俺のしていることは、ただの自己満足だ。

 俺の殺した人間には、それぞれの人生があった。

 俺は、理不尽な存在だ。




 だが、俺は今、一人の少女を抱えている。

 この少女に、外の自由な世界を見せることが出来る。

 俺のしていることは、ただの自己満足だが。

 それでも。


 俺は脚を止める気はない。

 後悔は、死ぬ一寸前にすれば、それでいいと思うから。


 「ラズリ、行くぞ」

 『ん』





 ラズリが、短く返事をした。





            ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






 ぽつり、ぽつりと。空から零れ始めた水雫は、

 しばしの間に激しさを得て、地面に叩きつけられる。

 雨か。爆破、炎上している施設跡には、丁度いいかもしれないな。

 もともと地下部分が大半で、大して煙も上がっていないだろうが。



 今回の研究所襲撃は、なかなか実りのあるものだった。

 俺は、先ほどの研究所から奪った車を運転しつつ、そんなことを考えている。

 ちなみに、この車輌自体は施設を出るときにデータを改竄し、

 その上で施設を爆破したため、もう『存在しない車』である。

 まぁ、自分の痕跡を消す処理行為としてはまだまだ甘すぎるのだが、

 尻尾を完全に隠しきってしまうのも、な。

 後々のことを考え、ある程度の『ヒント』を残しておかないと。


 まぁ、そんなに長く乗り続ける気もないしな。・・・・・・適当に乗り捨てるつもりだ。

 視線を助手席に向けると、ラズリが窓に頭を預け、寝ている。

 外部に出て活動する時間が長かったとも思えない。おそらく、単純に疲れているのだろう。


 「これが車でなく、機動兵器だったらな。

 まぁ、そんなものがあれば、俺もてこずったかも知れんが。

 なんにしろ、足と武器の補給は出来ただけで御の字か」


 もともと余り期待を持っていなかっただけに、

 今、素直に俺はうれしく、そして珍しく機嫌がいい。

 独り言も、漏れようというものだ。

 こんなことに喜び感じる自分を、曲がっているとも思うけれども。



 まぁ、なんにしろ、収穫は大きい。

 まずは、いくつかの銃器を奪えた。

 接近以外の射程が手に入ったのは僥倖だ。

 もっとも、遠距離に攻撃をするだけなら、刀があれば出来ないことはない。

 俺は、神鳴流の一部を曲がりなりにもかじったのだから。

 岩を切り、空飛ぶ鳥を斬り落とすことは造作ない。


 だが、それでも静かな攻撃は不可能なわけだ。

 技の全体が広範囲射程であるため、目標物が小さいと使いづらい。

 つまり、狙撃などが出来ないわけで、隠密行動にはかなり適さない。


 次に、さまざまな情報。

 先ほど潰した研究所に物資を供給している会社や、その上部の組織、

 そして、それと協定を組む組織。

 今現在も、TAMAは取得したデータの処理をしている。

 当分、破壊する対象には事欠かないようだ。

 それに、あわよくば、

 俺のナノマシンの暴走に対する延命手段も、何か得られるかもしれない。




 そして、ラピス・ラズリという少女。瑠璃の名の少女。

 ・・・・・・決して、ラズベリージャムを略した名ではない。




 遺跡との、相互接触実験用固体。

 俺のように、遺跡を体内に保有する存在。

 ナノマシンの活動を意識下の置くことで、

 いずれは電子機器類全てを支配する存在となるかもしれない少女。

 こんな時期から、彼女のような存在が創られ始めていたとは、思っていなかった。

 馬鹿らしい実験の、犠牲者。そして、本当なら俺が殺すべき存在。

 ・・・・・・しかし、俺と同じく遺跡の被害者でもある。


 「難しいこと、考えすぎだな、俺は。実験を施されたいたいけな少女を、助けた。それだけだ」


 そう、そう思えばいい。

 この子が新しい可能性を手に入れたのは事実だ。

 そう。だが、な。

 どうしても俺は後ろを振り向いてしまうらしい。

 奇麗事でなく、俺は血で床を赤く染めて、彼女を試験管から出した。

 つまり、彼女・・・当初は遺跡・・・を出すために俺は、

 多くの研究者の、今後の人生という可能性を理不尽に、勝手に奪って。

 俺の先ほどの考えは、単なる『偽善』だ。魂の価値は、俺が相場を張るものではないのだ。

 研究者と実験体のどちらが、価値のあるものかなど、俺が本来『決める』ことではない。

 だが。少なくとも俺にとって、そう、あくまで俺の主観でしかないけれども、

 俺はこの子の人生のほうが、下衆な、下衆だと思える研究者より重要だ。

 それも、その思いも、俺にとっては確かな『真実』である。




 「本当なら、死んでいたんだろうな」


 俺は、この子と『過去』で出会いはしなかった。

 そして、彼女の直接の実験データにも目を通した覚えはない。

 つまり、実験は失敗し、

 この子は死んで、データは何処か別の実験の素材として流れたのだろう。

 この子は、『過去』において、死んだ。

 もしかすると、明日かも知れないし、明後日かも知れない。

 いつの日か、何らかの実験の暴走で、命を落としたはずだ。


 しかし、『今』俺の目の前で眠っている。

 おかしな話だ。誰にいっても、信用してもらえはしない。




 『少し、いいですか?』

 「どうした? 寝たんじゃなかったのか?」

 『いえ、生体構造の把握に努めていただけです』


 ラズリが、声をかけてきた。喉を押さえつつ、ゆっくりとだ。


 「声帯は、いいのか? 無理して喋る必要はない」


 『問題はありません。

 呼吸とともに筋組織を、ナノマシンで振動させて音を出していますから。

 普通の声の出し方とは、少し違いますけど、大丈夫です。

 そのうち、筋組織が正常化して普通に発音できるようになりますから。

 聞き取りにくいかもしれないですが、今はご了承下さい』


 「そうか」


 ずいぶんと、饒舌だな。こんなに喋るとは、思いはしなかった。

 意思の疎通や、言語理解はともかくとして、

 そもそも自発的に「喋る」概念が

 実験体として育成された「モノ」にあるかどうかが不安だったしな。


 『いろいろ考えていました』

 「試験管の中でか? 何をだ?」


 思考することが許されていたというなら、それは一種の拷問でしかないだろう。

 この少女が何を考えて生きてきたのか。

 俺は、四肢をくくりつけられた状態で、長い間地獄のような実験を受けたが、

 そこから生まれたものは憎悪だけだった。

 だが、それは俺が世界を知り、『価値観』を手に入れていたからだ。

 幸せを知り、その上で地獄を体感したからの、結果だ。


 ならば、生まれたときからああして実験を受け続けたこの子は、何を考えたのだろう? 

 俺は、脳内のデータをTAMAに検索させる。

 相互接触実験用個体、つまりラズリが生まれて、今日で4年と、216日。

 外見上の肉体年齢は12、3歳だが、それはあくまで『設定』されたものだということか。


 約5年。それを長いと見るべきか、短いと見るべきか。

 『実験期間』としては、かなり長いのだろうな。


 その時間を、実験を繰り返しながら生き続けられたのは、幸運だろうが。

 いや、データを、情報のみを受け継いだクローン体かも知れない。

 この子は、何人目のラズリなのだろう。

 再度、検索。身体情報、第342項、該当。テロメアは・・・・・・一部に欠損が見られる。

 これは、遺跡との接触による影響なのか、それとも、クローニングによるものなのか。

 残念ながら、それを特定するべきデータはないようだ。



 俺は、少し軽い口調で言葉を紡いだ。こういった『配慮』が、俺にもまだあるらしい。


 「まぁ、試験管の中は、退屈だっただろうしな」


 下らない台詞だ。慰めでもなく、励ましでもなく、単なる時間と言葉の無駄遣い。

 しかし、そんな俺の言葉に返ってきた返事は、俺が考えもしない言葉。


 『違います。もう、かなりになりますね。貴方とこっちへ着てからです』


 意味が分からない。『こっち』とは、どこだ?

 車に乗ってから、か? いや、「かなりになる」といっているので、それはないか。

 この少女の精神・知的な年齢は高いと見ていいので、

 時間的な文法表現を誤るとは思えない。

 無理して声帯を使うのではない、

 擬似的な発音を可能としたのだし、言い間違い、というものではないだろう。


 ・・・・・・それに、『貴方と』? 俺と、ラズリは初対面だ。


 彼女の物言いでは、俺とラズリがずいぶん前から知り合っていたことになる。


 『可愛い顔ですよ。貴方は今、戸惑いを浮かべています。

 すみません、少し、意地悪でしたか』


 戸惑い、か。正直、この世界に来てそれの連続だったが。

 まぁ、今ほどの戸惑いでは確かになかったかもな。


 「はっきりとものを言え」

 子供相手に、俺は少々大人げもなく、不機嫌になった。

 なんだろうか。はっきりとしない行き違い・・・齟齬、相違・・・そう、何かが違う。

 俺の隣に座る初対面の少女に対し、俺はおかしな親近感を持っている。

 こういったやり取りを、した覚えがある。


 『はっきりと、ですか。そうですね。

 ところで、感覚のほうの調子はどうですか? 

 車に乗り始めた頃から、

 私の感覚とのリンクを正式に開始しましたので、多少鮮明・鋭敏化、

 つまり「マシ」になっているかと思いますが』

 
 俺は、今回の襲撃のために購入した、

 顔を隠すための度入りの黒いサングラスに手をかける。


 「・・・・・・み、見える?」


 車を停車させ、サングラスを取った目で周囲を見る。

 外は夜、そして雨。フロントガラスの外は暗いが、だが、見える。

 夜であるということを考慮に入れたとしても、むしろ、度入りのサングラスが邪魔なほどだ。

 『視覚』による『視界』を、俺の脳が正常に、本来あるべきように『認識』している。

 いや、感覚として、捉えている?

 少女の言葉が本当ならば、彼女の感覚器が、俺とリンクしている?

 だから、俺に正常な感覚情報が、戻ってきているのか?


 この少女の仕業?


 何をした? 何が目的だ?


 ・・・・・・敵?





 『僥倖です』

 「おい。貴様、何者だ? 何故、俺の体に干渉できる?」


 自分で言っておいてなんだが、今更ながらの質問だな。



 『私は貴方の手、貴方の目、貴方の耳、貴方の足。・・・・・・貴方は私の全て』



 「答えになっていない」

 『そうでしょうか?』


 そういうと、少女は、くすりと笑みを浮かべた。

 年相応の、可愛らしい笑みだった。

 少々、悪戯心を混ぜたような、そんな印象もあった。

 ・・・・・・俺の脳が、疼いた気がした。


 『入れ物が落ちてたんです。ルーチン的な作業は、
 
 マスターの補助脳内に組んだプログラムに任せて、

 主観の私は、この体の中に入り込んで、定着したわけです』


 少女の説明に、俺は一瞬呆気に取られ、それからゆっくりと意味を租借していった。

 つまりこの少女は、俺の中にいた主観的な存在で、

 目の前に自分で使えそうな体があったから、

 俺の脳内から、この少女の脳内に移動したと…………それはつまり……。



 「TAMAなのか?」

 『今は、ラズリという名前を頂きましたけれどね』



 TAMA……いや、ラズリは、大真面目な顔で、俺の言葉に答えた。



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