旅日記 第七話




いったい、自分は何をどうすればいいのか。


そう戸惑うことは、人生において多々あります。

そして、特に六道冥子ちゃんは、その傾向の強い女の子でした。

冥子ちゃん本人も、自己を分析し、最近はなんとなく自覚しているようですが、

彼女は人から期待されるのは嫌なのだけれども、

しかし、全く期待されずに放って置かれるもの嫌だと言う、非常に難儀な性格でした。


もちろん、これは人間であれば、少なからず持つ感情です。

たとえば、クラスの委員長になど、面倒くさそうなので、絶対になりたくはない。

しかしだからと言って、

『お前は足手まといだから、何の役職もやらなくていい』とは、

誰しも言われたくないものなのです。


冥子ちゃんは自分に自信が持てず、自身は無力だとさえ思っている娘でした。

誰よりも強くなれる素養はあるのですが、それを使いこなせるだけの精神力がなく、

結果としていつも暴走してしまうという悪循環も、

その一種の無力感に、拍車をかけていたのかもしれません。


ですか、ここ最近の旅路での経験で、

冥子ちゃんは本当に少しずつですが、成長しています。


で、そんな成長している冥子ちゃんは、

自分はどうすればいいのだろうと、散々迷った結果、

木に頭を打つつけて、自ら失神したトラ男に対し、ゆっくりと近づいていきました。


「う〜〜ん、ちゃんと生きているわよね〜〜?」


逃げ出してしまおうと言う選択肢も、もちろん冥子ちゃんの頭には浮かんだのですが、

最終的な結論は、このトラ男を介抱して、少しお話をしようというものでした。

冥子ちゃんは、このトラ男から、どことなく自分と同じ空気を感じ取っていました。

もちろん、冥子ちゃんとトラ男に、

何らかの共通点があるのかどうか、今の時点では分かりません。

ですが、冥子ちゃんの霊感が、何かを訴えていたのです。


影内から白い大型犬のような外見をした式神……

……ショウトラを呼び出し、冥子ちゃんはヒーリングを開始します。

ついでに、ハイラをトラ男の頭に乗せ、軽く精神感応を開始します。


人の夢や心を覗くのは、あまり褒められたものではありません。


ですが、何故この人は、自分を見るなり、いきなり逃げ出して、

木に頭を打ち据えなければならなかったのか。

その疑問は、冥子ちゃん中で非常に気になるものでした。

また、気絶する前にこの人の言っていた、

「駄目じゃぁ! これ以上、あんなことになっては駄目なんじゃぁ〜!」

と言う、どこか後悔を含んだ叫びも、非常に気になるところでした。


冥子ちゃんは、ヒーリングを続けながらに、

トラ男の心の中に、少しだけ足を踏み入れました……。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





何故、自分はこんなにも駄目な人間なのだろう。

そんな後悔が、今彼の中には渦巻いていました。

彼の名前は、タイガー寅吉。


彼のこれまでの人生を簡単に述べるのならば…………、

アマゾン川の川幅はとても広く、かつてはゴム栽培が盛んな土地柄でした。

特に、中流域のマナウスは、天然ゴムの集散地として栄えていたほどです。


このゴム産業には日本人移住者も参加しており、

1900年前後に、ペルーやブラジルに移住した日本人の一部は、

ゴム採集やゴム工場の肉体労働者として働いていました。

このため、マナウス付近やボリビアのリベラルタなどには、

現在も日本人の子孫が多く暮らしているのですが、彼もそんな中の一人でした。


日系の、農場を営むおじいさん。それが彼の育ての親でした。

素敵に無敵なネームセンスで、タイガー寅吉と言う、

微妙に重複した名前を付けたのも、このおじいさんです。

また、まだまだ子供だった彼の額に、

『V』の無敵に素敵なタトゥーを施したのも、このおじさんです。


メロンが大好きな、そんなおじさんでした。


……で、彼・タイガー寅吉君は、

生まれたときより、強力な精神感応能力を持つ子供でした。

周囲の人間は、少しだけ彼から距離をとりましたが、

おじいさんの惜しみない愛情で、

彼はすくすくと育ち、無敵に素敵な日本語をもマスターし、

まるで九州男児が広島弁を使用するような、そんな口調の少年に成長します。

すでに10歳のときに160cmを超えており、村一番の怪力の持ち主でもありました。


そんな彼の感応能力は凄まじく、自分の想像を、周囲の人間に幻覚として見せ、

さらにその幻覚は、現実と全く区別がつかないと言う、恐ろしいものでした。

おじさんの食べるメロン。

それを『美味しそうだなぁ』と考えたタイガー君は、

メロンを想像し、それを幻覚として、おじさんに見せてしまいました。


おじさんは喜び勇んで、あるはずのないメロンにかぶりつきました。

結果、思いっきり舌をかんで、おじさんは瀕死の重傷を負いました。


「ベリィィイイイ・シィイイッットゥッ!」


そんなおじさんの悲鳴は、一時は村の伝説になったほどです。

そのような理由から、

タイガー君は小さな頃から、想像を自制することが求められました。

本人も、たかがメロンの想像でおじさんを失いたくないので、

理性を強く持とうと、心に固く誓いました。



しかし、やがて不幸が訪れます。



育ての親のおじいさんが何と…………

…………無茶苦茶若い女性と、再婚したのです。

しかも、村一番の美人さんでした。

タイガー寅吉君、11歳の夏でした。


そろそろ思春期にさしかかろうと言う時に、家の中は春爛漫なわけです。

色で表すと、オールピンク。

識別パターン桜、あるいは桃。間違いなく、色ボケです。


その小春日和な毎日に、

色々と思うところがあったのですが、彼は我慢しました。


彼は精神感応者なのです。

下手なことを考えてしまうと、それは幻覚として、相手に見えてしまうことがあるのです。

悶々とした幻覚を、新しいお母さんに見られては、堪ったものではありません。

思春期の熱いたぎりを、彼はどうにかして、その理性で押さえつけていました。


しかし、それもやがて崩壊を向かえ、彼は内なる野獣を目覚めさせます。


最後の理性が残っていたのでしょうか。

さすがに自分のおじさんの奥さんには襲い掛からず、彼は家を飛び出しました。

そしてその代わりとばかりに、村中の若い娘に抱きつきまくりました。

抱きつくだけではなく、もちろん色んなところを弄ったりしました。



もう、村中総出でぶちキレです。



抱きつかれ、セクハラをされた娘本人は言うに及ばず、

自分の恋人に手を出された男、あるいはその娘の親たちが、

タイガー寅吉君に制裁を加えました。


外見は大男ですが、中身は少年。

可愛いいたずらで済ませようと言う声もあったのですが、

娘たちからの強い嘆願と、しつけは最初が肝心だと言う意見から、

最終的にタイガー君は、逆さづりにされたりしました。


そして、これは後に『セクハラの虎:第1次暴走ハグハグ事件』と呼ばれました。


この件から正気に戻ったタイガー君には、『セクハラの虎』と言う不名誉な二つ名と、

女性に興味を持てば、恐ろしい目に遭うという、強烈なトラウマが与えられることになりました。


彼はその後、女性に対し、強い恐怖心を持つこととなりました。

ですが、女性のことを心の底から嫌っているわけではありません。

むしろ、彼はどちらかと言えば女好きなほうでした。

さらに、思春期真っ盛り。

露骨な言い方をしてしまえば、俗に言う『ヤリたい盛り』なのです。

肉体的にも、彼はこれから、もっとも精子を多く生産する年齢になろうとしているわけです。


そんなわけで、彼はその後、何度も暴走することになります。

そして暴走の度に我慢をし、我慢をし、我慢をし……そしてまた暴走。


自分は何故、こんな人間なのだろう。

彼は変れない自分に苦悩します。

一時は、座禅を組んだこともありましたが、効果はありませんでした。


彼の悩みは、少し行き過ぎているところはあるものの、ごくごく自然なものなのです。

むしろ、若い男が全く女性に興味を持てない方が、ある意味では不健全だとさえ言えます。


ですが実際問題、変ろうとしても変れず、無力感に悩む日々。

女性は怖いものの、惹かれてやまない日々。

村中からどことなく疎まれ、他の村に顔を出しても、

『セクハラの虎』と言う二つ名は、どの村にも広まりまくっています。


今日も、彼はふとあることで暴走してしまいました。

自己嫌悪と、村中からのブーイングを受けて、こうしてジャングルへと逃げてきたわけです。

もう、どうすればいいのか彼には分かりません。


彼のこの女性に対する強い感情、そして暴走。

それは彼自身も持て余すほどの、強い精神観応能力に問題がありました。


強い感情は、理性によって押さえつけなければならない。

そうしなければ、無差別に幻覚を見せてしまう恐れがあるからです。


しかし、常日頃から理性の糸を緊張させていると、

その糸はすぐに磨耗し、非常に脆いものになってしまいます。

彼が子供の頃は、そこまで強い感情を抱くことは少なかったのですが……。

やはり、思春期の男の子の女性に対する欲望は、何よりも強いものなのかも知れません。


そんな中、タイガー君は、冥子ちゃんに出会いました。

タイガー君からすれば、かなり年上のお姉さんなのですが、

しかし、外見的に言えば、同じような年頃の可愛らしい女の子です。


しかも冥子ちゃんは、突然現れたタイガー君に驚きはしたものの、

決して侮蔑の視線を投げかけたり、

『あ、セクハラの虎! 近寄らないで!』などとは言いませんでした。


これは、非常に久しいことでした。


すでにローカルなネットワークに置いて、彼の二つ名は広まりまくっています。

むしろ、広まりすぎて、国外から彼の能力目当てに、GSがやってくるほどです。

…………もちろん、彼が今こうしている以上、彼の能力を制御できたGSはいませんけれど。


閑話休題。


まぁ、そんなわけで、タイガー君はその場から逃げたわけです。

たった今出会った女の子は、

何故だかは知らないけれど、まだ自分のことをよく知らないらしい。

だが、ここで自分が暴走し、悪い印象を持たれ、

そして明日以降、出会い頭に軽蔑されたら、どうしよう。


それは、言いようもない恐怖。


そこで彼は、冥子ちゃんから逃げ去り、自ら意識を失おうとしたのです。

何、頑丈な体です。どれだけいじめたところで、簡単には壊れません。

むしろ壊れて、精神感応能力がなくなれば、どんなにいいことか。

この強力すぎる力さえなければ、自分は理性を何とか保つことが出来て、

いずれは不名誉な称号も、皆の心から忘れ去られるかも知れないのに……。



気に頭を打ち付けるタイガー君は、そんな思いとともに、意識を手放したのでした。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





「ん、ううぅ……。わっしは……?」



くぐもったそんな呟きとともに、タイガー君は目を覚ましました。

それはそれは、心地のよい目覚めでした。

ガスガスと容赦なく頭を木に叩きつけた割りには、何の痛みもありません。

むしろ、言いようのない爽快感すら、感じます。


怪訝に思っていると、不意に背後から小さく女の声が聞こえてきました。


(っ!?)


大柄であっても、度胸の量がそれに比例するとは限りません。

タイガー君は一度大きく、ビクリと身を震わせてから、恐る恐ると後ろを振り返ります。

女の人を怖がり、されど本心は渇望してやまない。

そんな微妙な思春期真っ盛りのタイガー君ですが、

さすがに女性なら誰でもいい……と言うわけではありません。

足のないようなお化けは、正直怖いのです。


「だ、誰ですカイのー?」


ゆっくりと振り返ると、そこには先ほど見た少女が、

えっぐえっぐと涙目ながらに座っていました。


ああ、よかったのぅ。ちゃんと足のある女子ですケン……。


…………などと安堵したのも、つかの間。

次の瞬間、タイガー君はその少女……冥子ちゃんから、

素早く後退して、すぐさま距離をとりました。

あまりに二人の距離が近すぎたのです。


もちろん、それは冥子ちゃんがヒーリングを行い、

またタイガー君の中に精神ダイブしていたからなのですが、

気絶していたタイガー君は、そんなことをもちろん知りません。


状況から考えて、気絶した自分を介抱してくれたのだろうと言う事は理解できますが、

その事実に思い当たった瞬間、彼の脳みそは瞬時に沸騰してしまいそうでした。


わっしを、見取ってくれたんですカイのーっ!

村で倒れても、女子は誰一人として、助けてくれんというのにぃ!


タイガーは感動しつつも、さらに距離をとります。

それこそ、感極まった自分が、何をしでかすか分からなかったからです。


「自分で変ろうと思っても変れない〜〜。それって、辛いわよね〜。分かるわ〜」

「っ!? 何でそのことを!?」


突然話し出した冥子ちゃんの言葉に、タイガー君は驚きました。

自分は、そんなことまで口に出していただろうか、と自問してみると、答えは否です。

気絶する瞬間までの記憶を掘り返しても、そんな台詞は一言も言っていません。

そんな風に戸惑うタイガー君に、冥子ちゃんは微笑みました。


「ごめんなさいね〜〜。ちょっとだけ、あなたの事を見せてもらったの〜」


そう冥子ちゃんが言うと、どこからともなく、

白い毛玉の……なんと言うのか、ぬいぐるみのようなものが現れました。

その毛玉はぴょいんと、軽やかにジャンプし、冥子ちゃんの頭の上に座り込みます。


「あ、あなたは能力者なんですカイノー?」

「うん〜。でも、自分の能力が大きすぎて〜、暴走しちゃうの〜〜」


どこかで聞いたような話だ。

生まれ持った能力が大きすぎて、手にあまる。

やはりどこかで聞いた話だノー。

タイガー君は、目の前にちょこんと座る冥子ちゃんに、そこはかとない共感を覚えました。

それは冥子ちゃんが、さきほどタイガー君に抱いたそれと、同じものでした。


「私でよければ〜〜、あなたの力を封印してあげようかと思うの〜〜」

「そ、そりゃ、ほ、ホントですカイノー!?」


ふって沸いた、突然の申し出。

もしも本当に自分のこの能力を抑えることが出来るのならば、こんなに嬉しいことはない。

タイガー君は、冥子ちゃんの申し出に、いたく喜び……そして落胆しました。

割と高名だと言われるGSすら、自分の能力を制御することは、出来なかったのです。

能力を持て余し、暴走すると自己申告してくる少女に、どうにか出来るはずがありません。


そもそも、この女の子は、何故こんなジャングルに半そででいるのか。

脚なんかもミニスカートで、露出しまくって、太ももが…………って!?



「……せ、成功確立はどんなモンですカイノ〜」


不穏な思考が湧き始め、なにやら頭に血が上り始めるタイガー君。


彼は冥子ちゃんから視線を外し、

自分の不穏な思いを打ち消すためにも、

一応、そんな質問を冥子ちゃんにして見ました。

あと数秒言葉を発するのが遅ければ、

思考は暴走し、臨界点を突破していたかも知れません。


「え、えーっと。成功確率が高いなら、是非お願いしたいですケン」


名前も知らない少女の自己申告成功率など、全然信用できないのですが、

やはり、自分を苦しめている能力の『封印』という言葉には、心ひかれるようです。

まぁ、それ以上に、言葉を続けるのは、

意識を冥子ちゃん自身に向けないようにするため……でもありますけれど。


「えっと、あなたの能力は強いし〜〜、私もそういうことが得意なわけじゃないから〜〜」

「ふむふむ」

「ハイラちゃんの頑張り次第なんだけど、多分80パーセントくらい〜〜?」

「そうですカイ。80じゃ駄目じゃノー……って、80!?」


10回やって、8回成功する。普通に考えて、かなりの高確率です。

もし本当なら、願ってもないことです。

タイガー君ははやる気持ちを抑えつつ、さらに冥子ちゃんに質問します。


「そ、それは自信を持っていえるんですカイノー?」


「ハイラちゃんには、最近がんばってもらってるし〜〜、

 私も少しはマシになってきていると思うから〜〜。その代わりなんだけど〜」


「何ですカイノ〜?」


「代わりに、私を案内して欲しいの〜。

 もうここがどこなのか、分からなくて〜、本当にどうしようかと〜〜。

 このジャングルから街まででいいから〜〜、お願いできない〜〜?」


何と、名前も知らないこの少女は、実は迷子でした。

その驚愕の事実に、再び肩を落とすタイガー君。

いくらなんでも、迷子の女の子に、自分が治せるとは思えません。





どうしよう。どうすれば。

世の中には、駄目でもともとと言う言葉もあるわけだし……。

もしかすると、もしかするかもしれないかも……。



「決めたんジャー!」



しばしの間、沈黙して悩んでいたタイガー君でしたが、やがて意を決したようです。

冥子ちゃんと自分に、何か不思議な共感を感じたのは、事実です。

そう。どこか似た者の匂いを、感じたのです。

確かに不安ですが、

決してこの少女は悪い人物ではないと、タイガー君は確信しています。

どうせ高名なGSでも失敗していたのです。

ワラにもすがる思いで、可愛い女の子にすがっても、いいのではないか。


そんな結論を下したタイガー君は、その場に正座し、大きな声でしっかりと一言。



「お願いしますケン!」

「うん、任せて〜〜」



そんなタイガー君に、冥子ちゃんは微笑みで応えました。

タイガー君は、その微笑から、視線を外しました。

理性の糸が、きりきりと悲鳴を上げているような気がしたからです。


危ない。本気で危なかったですケン。

今セクハラの虎と化したら、マジで洒落になりませんからノー。


なお、そんなタイガー君の葛藤をよそに、

冥子ちゃんは式神ハイラを抱きしめ、精神の統一を図っていました。



タイガー寅吉君。



あまりの精神感応能力により、理性がすくに切れ、

女性にセクハラをしまくってしまうために、

ジャングルで最低の二つ名である、『セクハラの虎』の名を持つ男の子。


彼の明日は、どっちでしょうか。

すべては、以前より少しは成長したかも知れない、と思われる冥子ちゃんにかかっています。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





実際のところ、タイガー君の能力は、別段それほど珍しいものではありません。

精神感応能力というものは、人間ならば誰しも、少なからず持っているものなのです。

一般人レベルで起こりうる現象で言えば、

背後からの視線を、ふと感じるだとか、

他人の笑顔につられて、自分の笑ってしまうだとか。


あるいは、集団ヒステリーの発信源なども、ある種の精神感応現象です。


そして問題は、彼のその精神感応の能力値が、異様に高いことです。

繰り返すことになりますが、

タイガー君のテレパス能力は凄まじく、

他人に現実と区別のつかない幻覚を見せるほどです。


幻覚と分からない幻覚は、現実と変らず、他人の精神に影響します。

催眠暗示による火傷で、実際に皮膚の炎症が起こるといったような、

そんなありふれた例は、今の世では誰もが知ることでしょう。


その能力を抑えるため、彼の理性は日ごろから悲鳴を上げています。

よって、外部からその能力を、少しだけ抑えてあげることが出来れば、

彼の理性……精神にも、多少の余裕が生まれます。

そして多少の余裕さえ生まれれば、すぐさま暴走することはなくなるでしょう。


強すぎる能力を抑える。

それはつまり、安定性のない自転車に補助輪をつけるだとか、そういうことを指します。

言ってしまえば、何とも簡単そうですが、しかし、実際これまで成功したことはありません。

あまりに規格外な自転車であるらしく、

既製品の補助輪……つまり、有り触れた封印では、

能力を安定させたり、抑えきることがどうにも難しいのです。


(頼んだものの、本当に大丈夫なんですカイノー?)


タイガー君は自身の頭に白い毛玉……式神ハイラを乗せつつ、

心臓のバクバクと言う大きな鼓動音を、焦りとともに数えてました。


これまでの経験から言うと、封印に失敗した場合、

術式の反動からか、突然暴走してしまうこともあったりなかったり……。

インディアン風のGSを半殺しにした末、またしても村の娘たちに対して、

セクハラの嵐を巻き起こしてしまった思い出は、それほど古いものではありません。


失敗して、自分の能力が封印されなかった。

それはまだいい。

だが、今回自分に術を施してくれるのは、可愛い女の子なのです。

失敗して暴走し、そのまま襲い掛かったら、どうなるのか……。

仮に……。

もしも、という過程の話だけれども、『イクところ』まで『イッて』しまったら……!?

この女の子は傷つくだろうし……というか、

人生に一回しかない初体験を、暴走でヤってしまったら、後悔しても仕切れません。


何しろ、暴走中の記憶は、非常に曖昧なのです。

『はっ!?』っと気づいて、周囲を見渡し、

そこでようやく自分が暴走したことに気づくのです。

後の祭り。

せめて、暴走中でも意識があれば……

……いえいえ、主観的な意識があったら、暴走とは言いません。

そんなものがあるなら、自制できるのだろうから……。


タイガー君の胸中は、一転、二転、三転……激しく転がりまくります。

額から頬にかけて、何本もの汗が流れていきます。

ああ、やはりその場のノリでこんなことを頼むのは、間違いだったのではないだろうか。

何故、頼んでしまったのだろう。

村の娘たちに『二度と顔を見せないでよね、このクソ虎!』などと言われ、

ちょうど弱気になっていたところだったからだろうか?

わっしは、わっしは……。



「はい、終わり〜〜」

「…………へ?」



タイガー君が深く深く悩んでいると、冥子ちゃんの能天気な声が、耳を打ちました。

間の抜けた声で返事をすると、冥子ちゃんは再度、『終わり〜〜』と言いました。



「お、終わったんですカイノー?」

「うん、終わったわよ〜〜」

「せ、成功したんですカイノー?」

「う〜〜ん。多分、大丈夫だと思うけど〜〜」


そう言いつつ、冥子ちゃんはタイガー君の頭からハイラを下ろしました。

そして右手でハイラを撫でつつ、左手でタイガー君の頭を撫でました。


なでなでなでなで…………。


タイガー君の頭に、血液が瞬間的に集結しました。

ジャングルの中なので、非常に分かりにくいのですが、

実際、タイガー君の顔は真っ赤になっていました。


タイガー君は、自分の意識が遠のいていくような気がしました。

どこかに走り去ろうとするその思考は、

『女子が、女子がわっしの頭をぉっ……!』と言うものでした。


非常にまずい兆候です。

このままでは、理性の糸がプッツンして、暴走してしまいます。


なでなで……。

なでなでなで……。


しかし、意識が遠のいたような気がしても、完全に不覚状態には移行しません。

どこか遠くに走り去ろうとする意識の後姿が、

消えてなくならず、ちゃんと彼の視界の中にあったのです。

確かに頭に血は上って…………そう、のぼせているのですが、ただそれだけです。

内なる野獣は目を覚ますことなく、タイガー君は今、ただただ普通に照れていました。



「ほら〜、大丈夫でしょ〜〜?」

「お、おお! わっしは今、暴走しちょらんですノー!」



これが、照れという感情なのか……!

タイガー君の胸中は、感動の渦でした。

彼はこれまで、今のように『照れ』を自覚する瞬間には、すで暴走していたのです。

生まれて初めての感情、と言うわけではありませんでしたが、

思春期に入り、女性に興味を持ち始めた後は感じられなかった、非常に久しい感情でした。


冥子ちゃんがどんな術を使ったのか、タイガー君には分かりません。

彼は式神というものさえも知らないのだから、それも当然でしょう。

しかし、冥子ちゃんが恩人であることには、なんら変りはありません。

外見が小さな女の子でも、迷子でも、

今この瞬間、冥子ちゃんはタイガー君にとって、まさに女神様でした。


女性に対する恐怖は、まだあります。

村の娘たちの前に立てば、今のような照れが前面に出て、

まともに話すことすらできないかも知れません。

しかし、これまでは娘たちの前に立つだけで、暴走するような状況だったのです。



「人類にとってはどーでもいい一歩じゃろうが、わっしにとっては、大きな一歩ですケン!」



これから誠心誠意、これまでの無様な行為を詫び続ければ、

いずれは自分も、女性とお付き合いが出来るかもしれない!?

う、うぅ、おっろろろ〜〜〜んっ!?


わっしは今、モーレツに感動しとりますゾー!?



「わっしは、わっしはイケる!? …………あっ! でも……」


ふと、タイガー君はある事実に気がつきました。

自分はこれまでの所業を無視したとしても、決して美男子ではありません。

一昔前の村の『いい男基準』ならば、

彼のような大柄な男性は、トップクラスの『いい男』だったかも知れません

実際、彼のおじさんは、決して甘いルックスではありませんでしたが、

若く美人な妻をゲットしています。



ですが、それも一昔前の話。

今の『いい男』の基準では、タイガー君は…………。


確かに背の高い男性が好まれるのですが、

それはすらりとした、いわゆるスレンダーな背の高さであり、

タイガー君のような、がっしりとした体型ではないのです。

長身で、細い腰で、かっこいい男。それが今、村の娘が求める、男性像。

タイガー君は長身ではありますが、腰は決して細いとは言えません。


もちろん、人間は顔や体だけが、重要なのではありません。

ですが、人間にとって顔や体が、どうでもいい物でないのも、また事実。


「あのー、ちょっと聞きたいことがあるんですがノー」


タイガー君は、感涙を拭いつつ、再度その場に正座し、冥子ちゃんに問いかけます。


「ん〜〜、何かしら〜〜」

「わっしは、男としてどーですかいノー?」

「え〜〜っと、どうって〜?」


「わっしの顔は、あんまりかっこよくないですケン。

 ぶっちゃげ、小さい子には怖がられたりしますケンノー」


「そうなの〜〜? 私は別に〜〜。

 ちょっと可愛いかなぁ〜、とか思うけど〜〜」


「…………い、今、なんと言いましたカイノ?」


「えっと〜〜、可愛いかなぁって〜……」


「う、うう」


「? う?」


「うおぉおおおおおお! 人生の春が来たんジャー!」



これまでのタイガー君の人生の中で、可愛いなどと言われたことは、

たったの一度もありませんでした。

お世辞で言われたことも、ありませんでした。


もしかすると、赤ん坊の頃には言われたことがあるのかもしれませんが、

タイガー君自身が覚えていない以上、やはりこれが初めてでした。


お世辞でもいい。社交辞令でもいい。

言われたという、その事実は嬉のだから……と、タイガー君は感無量です。



「このタイガー寅吉! 貴女にどこまででもついて行きますケン!」

「そう〜〜? ありがと〜。道案内、よろしく頼むわ〜〜」

「ジャングルから街までと言わず、家まで送りますケン!」

「わぁ〜〜、ありがと〜〜」

「お安い御用ですジャー!」



こうして、冥子ちゃんはタイガー寅吉君16歳と、お友達になりました。

この後、冥子ちゃんはタイガー君の案内の下、

ジャングルを抜けて、コロンビアの中心部へと向かいます……。



ちなみに……。

タイガー君が、冥子ちゃんの行き先が日本であり、

ビザもパスポートも持っておらず、

挙句、式神で太平洋を横断しちゃおう……などと

考えていることを知るのは、もう少ししてからです。



ちなみに……。

冥子ちゃんの基準で言うと、

にゅるにゅるとした感触で、どこか液体チックなマコラ、

ソフトボールくらいの大きさなのですが、全身とげとげなクビラ、

戦車並みの怪力を持ち、何もかもを丸呑みしそうなビカラ……

…………などなど、その他諸々も、『可愛い』のです。

全身が腐っていそうな、ゾンビ系の存在こそ気味悪がる冥子ちゃんですが、

それ以外は、かなり寛容な美的センスの持ち主なのです。


明らかに人外の異形である式神。

それと同列に『可愛い』と自分が表現されたことを、タイガー君は知りません。



でも、いいんです。

だって、彼は今、間違いなく幸せで……

そして喜んでいるタイガー君を見て、

取り敢えずわけは分からないものの、冥子ちゃんも拍手してたりしますから……。




この日、誰も知らないジャングルの奥地で、

美女と野獣の凸凹コンビが誕生しました……。





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