プロローグ




静まり返った生徒指導室の中で、俺は担任教師と対峙していた。

先生の眼光は非常に鋭く、こちらを射抜こうとする。

対する俺は……『早く終わらないかなぁ』と、さして真剣でもない。


生徒指導室にいるものの、別段俺は、何も悪いことはしていないのだ。

今日はただ単に、放課後に行われる進路指導の、俺の順番が回ってきただけなんだ。


進路指導室を4組が使用しているので、5組の俺はこの教室と相成っただけ。

ちなみ、ピートのいる6組なんかは、視聴覚室か何処かだったはずだ。

いちいち特別な部屋を使わないでも、

普段の教室でやればいいのに、と思うんだが……。

やはり雰囲気つくりとかに配慮してるんだろうか。


「横島。お前、これが何か分かるか?」

「今学期の成績表っすね」


机の上に置かれた紙を、先生は指差した。

俺はその紙を一瞥し、すぐさま答えを返す。

成績表の内容は、かなりよいものだった。

何だかんだで、今学期は皆勤しているし、しかも赤点がないのだ。


説明するまでもないが、赤点とは35点未満の、追試が必要となる点数だ。


1学期の中間は、国語などの一日目にやった教科が赤点だった。

期末のときには愛子がいたため、まだマシだったんだが。

で、今学期は、中間も期末もオールグリーンだ。

………いや、まぁ、印刷された文字は黒いから、正しくはオールブラックだけど。


「いい成績じゃないですか。俺が赤点なしなんて、快挙っすよ」


「…………37点とか41点とか、そういう50点未満の点数は、

 常識的に考えて、いい成績じゃないだろう、横島?」


「俺としてはいい成績ですって。卒業できりゃいいし」


「お前はまだ1年だからいいが、これが3年だったら、行く大学がないぞ?

 いや、程度を下げれば、行く大学はあるだろう。

 しかし、そんな大学には行っても意味がない。

 お前は将来、どういう進路を取るつもりなんだ?」


先生の口からは、質問がどんどん溢れていく。

夕日に染まった空。

空や風景を長方形に区切る窓には、ブラインドが成されているのだが、

その隙間から零れる赤い筋が、俺たちの顔を照らす。

…………なんだか、一昔前の警察の取調べだな。これじゃ。


『早く吐くんだ、横島』

『俺はやってないって、言ってるだろ!』

『……ふぅ、仕方がない。ほれ、カツ丼でも食って、まず落ち着け』


何故か、カツ丼なんだよな。天丼でも、中華丼でもなくて。

……うーん。そんなことを想像させられてるんだし、

雰囲気つくりと言うのは、ある意味で当たってるんじゃないだろうか。

そんな取り留めのないことを思いつつ、俺は先生の質問に答える。


「将来的には、横島妖怪王国を築き上げて、

 色んな妖怪やら幽霊の保護をやっていこうかなぁ、と。

 2月にGS試験があるんで、取り合えずその試験で、GS資格を取るつもりです」


「そういうと思ったよ。

 普段からお前が、何かとそう口にしてるのは、私も耳に挟んでいる。

 だから、わざわざ調べた。GS協会の広報課に問い合わせたりしてな。

 お前、GS試験の詳しいデータを知っているか?」


「いえ、あんまし。試験内容は知ってますけど」

「…………だろうなぁ。合格率とか、知らないだろ?」


そう呟くと、先生は成績表の上に数枚の紙を投げやった。

それは前回のGS試験の内容を記した紙だった。

総参加者1421名。

そして1次試験合格者が128名。

2次合格が32名。

そして、最終的にGS資格を申請し、無事取得した者が、30名。


資格申請をしなかった2名は、

試験試合の怪我により、GS生命を断たれたため、らしい。

つまりは、再起不能になった、と言うことだろう。


うわぁ、話には聞いてたけど、すごい倍率だな。

実際に、詳しい数字を見るのは、俺もこれが初めてだ。


えーっと?

1400を30で割ると……だいたい47倍?

俺の高校入試のときの倍率が、3.2倍だったんだけど……。

比べもんにならないなぁ、これ。


「それを見ても、まだGSを目指すと言うのか?

 諦めたほうがいいんじゃないか? 横島では、どう考えても無理そうだ。

 愛子君におんぶに抱っこ。彼女がいなけりゃ、お前、毎日遅刻してるだろう?

 そんな奴が、GSと言う過酷な仕事にだなぁ……」


確かに愛子の世話にはなりっぱなしだけど、

でも、俺はかなり実力がついてきているつもりだ。

ここ数ヶ月の鍛錬で、魔眼が暴走することはなくなったし、出力だってかなり上がっている。

わざわざ『C−マイン』とか叫んで、

時間をかけて繰り出してた霊弾も、瞬時に出せるようになった。

ユッキーにはやはり劣るけど、霊波砲だって、そこそこ行けてるつもりだ。


そう、俺は受かる。受かって見せるんだ。


倍率がどんな数字だろうが、関係ないさ!

と言うか、正直な話をすると、

絶対受かるって心に決めてるものの、

いざ現実を突きつけられると、萎縮しちゃいそうだから、

そういうすごい倍率は、もう見たくないと思うとです……。


「いや、つーか、ピートとかどうなるンすか?

 あいつだって、俺と同じGS志望ですよ?」


取り敢えず、俺はピートを話題に出すことで、先生の愚痴っぽい台詞を止めようとした。


「彼は真面目だし、実年齢は700歳だ。

 お前とは比べ物にもならんだろ? 

 GS試験は、お前得意のセクハラで、どうにかなるものでない」


「…………セクハラって、あんたなぁ。

 それはそうと、あんなロリっ子好きに、

 俺は一方的に負けるつもりはないっすよ?」


「何を言っとる。

 ピート君の年齢を考えれば、人間の女性などあまねく年下だろう」


「そーじゃなくてだなぁ……」


「まぁ、いい。

 とにかく、横島はどうあっても、GSを目指すと?

 私は嫌だぞ? 2月の半ばでクラスの皆に、

 『横島は夢に散ったので、もう学校には来れない』とか言うの。

 しかも、横島妖怪王国? そんなもの、本当にできると?

 夢に水をさすのは気が進まないが、現実を見ろ、横島」


「ムツゴ□ウに建国できて、俺にできないはずないじゃないスか!」


「…………そういうレベルなのか、お前の王国は?

 いやいや、そのレベルだとしても、色々と無理が出るはずだぞ?」


「世の中、無理なことなんて、何もないです!

 いや、力のレベルの差が大きいと、

 確かにどうにもなんないこともあるけど………。

 でもまぁ、俺は今、こうして生きているわけだし!

 それに、聞いてくれませんか! この前のクリスマスなんすけど!」


「な、何なんだ……?」


「女の人から、プレゼントをもらっちゃったり! 

 この俺がですよ!? 自分でも、最初信じられませんでしたよ!

 聖夜に奇跡が起こったわけです。こりゃ、試験にだって受かれます!」


「どうせ、愛子君からだろう?」


「年上の綺麗なおねーさまからっす! ちなみに、俺の師匠なんですけどね?」



おねーさまの名前は、言うまでもなくメドーサさんだ。



ちょっとだけ話をそらして、今年のクリスマスの話をすると……。

今年のクリスマスは、過去のクリスマスとは色々な意味で違うものだった。


まず、これまで、自分の作り上げる異界の中で、

ごっこ遊びのような青春をしていた愛子にとって、

季節の節目にあるようなイベントは、まったくの無関係だった。

愛子の異界の中が、常に春の日の日中なのは、俺もよく知るところ。

だから、自分が初めて生で体験できるクリスマスが

どういう行事なのか、愛子はここぞとばかりに調べ上げていた。


そんなわけで。


メドーサさんが魔族で、イエス・キリストの誕生を祝う日を楽しめるか、と言う問題に対しても、

『日本において、クリスマスは宗教的には、何の意味もない日よ!』と、

唐巣神父が聞いたら、泣いちゃうかも知れないような解決の台詞を放ちました。


さらに曰く、

『少なくとも、新約聖書には、キリストの誕生日に関する記述は無いもの!』


聖書まで理論武装に使う愛子に、隙などありませんでした。

まぁ、とにかく酒の肴なんだから、

深く考えないで楽しみましょうと言うのが、愛子の出した結論。


『みんなでクリスマスパーティー。まさに青春』


……そんなシュチュエーションに心を躍らせる愛子は、とどまるところを知らなかった。

愛子は自身のその結論に基づき、

白竜会道場でもクリスマスパーティー開催を提案。そして決定させた。


唐巣神父より髪の薄さが100歩ほど先を行っている、

我が道場の会長も、愛子の提案を退けられなかった。

白竜会は、大陸武術の流れを汲み、

神道系にも、少し関係のある流派なのだが…………そんなモンは関係ない。

食堂のおばちゃんたちも乗っちゃってたし、まぁ、実際止めようがなかったんだろうなぁ。

サボ念なんか、赤と白のクリスマス色メイド服までも用意していたし。


で、俺も来るべきクリスマスのために、プレゼントを用意することにした。

なんと言っても、クリスマスと言えば、プレゼントだし!

冬で一番のラブ・イベント発生日だし!


特にメドーサさんには、日ごろからお世話になってる。

こと魔眼の制御に関しては、9、10、11月の3ヶ月間、週末とかに集中訓練をしてもらった。

メドーサさんにも、色々仕事とかあるだろうに、かなり時間を割いてもらったんだ。


愛子もなんだかんだ言って、毎日家事やってくれてるわけで……。

愛子がいるから、俺のうちは人並みの環境を保ってるんだよなぁ。

いなかったら、今頃俺、ゴミに埋もれてるぜ、絶対。


この二人には、絶対にプレゼントを贈らねばなるまい!

……でも、よくよく考えたら、

俺の家の家計は、メドーサさんからもらってるバイト料で成り立ってたりする。

道場で鍛錬をした分、お金がもらえるという、わけの分からないあのシステムだ。

当初はすごく喜んだこのシステムだけど、

メドーサさんに色々と迷惑をかけるたびに、かなり申し訳のない気分になる。


それに、同じ道場仲間のユッキーとかが、

あんまり金を持ってないし、余計申し訳なさに拍車がかかったり。


メドーサさんたちにプレゼントを贈るにしても、

その金はどこから出たかと言えば、大本はメドーサさん。

『あれか? 俺って、ヒモ状態なのか!?』

そう思い、プレゼント代だけは、引越し業者の手伝いの日当のバイト代で購入しました。

以前、折神剣で額あてをぶち壊したので、

その代わりと言うのもなんだけど、シックな髪飾りを贈った。

なお、愛子にはエプロン。

俺としては、是非他に何も着ずに使用してもらいたいところだった。



……でだ。



そこで、何と、お返しがあったわけだ。メドーサさんから!

ちょっとは期待してたけど、ほとんど期待してなかったのに!


「そ、そうか。で、何をもらったんだ?」

「さすまた」

「……………………さすまた?」


さすまたとは、長い棒にU字型の金具がついている武器……というか、捕獲用具というか。

俺の目指す『妖怪にも幽霊にも優しいGS』に相応しいモノだと言って、メドーサさんはくれた。

メドーサさんも、同じような武器を持っているらしい。

もちろん、俺の力じゃ扱いきれないから、それとまったく同じものではないけど。


ちなみに漢字で書くと、刺股か、あるいは刺叉と書くそーです。



「……………そうか、さすまたか」

「はい」

「…………もらって嬉しいものなのか?」


「……………………実際、ちょっと……。

 でも、期待されてる証拠かなぁと思えば、嬉しいっす」


俺としては、自分の体にリボンを巻きつけた、

伝説のプレゼント『プレゼントは、わ・た・し♪』がよかった……。

ま、もらえただけでも嬉しいんで、文句はありませんけどね。

愛子からも、お守りもらったし。


他にも、クリスマスは色々あった。

愛子のクリスマスケーキ作りを、メドーサさんが手伝ったりとか。

料理できたんだなぁ、メドーサさん。

意外と家庭的? 結婚後の家事分担も、これなら完璧ですよね!


「まぁ、とにかく。

 お前の師匠さんがお前に期待していると言うなら、もう先生に言えることはない。

 公務員試験の対策なら手伝えるが、GS試験の対策なんぞ、知らんしな」


「先生相手に、戦闘訓練しても仕方ないですしねぇ。絵的には校内暴力?」


「来年の2月だったな? 大学受験と一緒の時期か。

 つまり、今が追い込みなワケだ。頑張れよ、横島」


「ういっす!」


「落ちてもいいから、死ぬんじゃないぞ」

「…………それは励ましなのか、応援なのか……」


「まぁ、横島がこの試験に受かれば、

 本当の地獄は、来年以降にやってくるわけだがな……」


「は?」


苦笑混じりに言う先生に、俺は首をかしげた。

そんな俺に、先生は苦笑を消し、驚きの表情を浮かべる。


「は、じゃないだろう? お前はGSになって、

 オカルトGメンとか言うのに入るとか、言ってなかったか?」


「あ、そんなとこまで知ってるんですか? そうっス!」


「オカルトGメンは警察だな?」

「? はい。そーですね」


「警察って、何だ? 公務員だろう?

 つまり、お前は3年生の夏に、国家三種に合格しなきゃならんわけだ。

 三種って言うのは、言うまでもなく、高校卒業見込み者が受けられる試験だな。

 この試験の倍率は、前年の退職者によって、少し変動する。

 つまり、退職者が多ければ、新しい新人を多く合格させるわけだな?

 逆に退職者が少なければ、その年の合格枠は、非常に狭いものになる。

 でだ。その倍率は、近年の不況もあいまって、GS試験並だ。

 しかも、1次試験の筆記に受かっても、2次試験の面接と言う2段構えだ。

 ある意味、勉強が苦手な横島にしてみれば、GS試験合格より難しいな」


担任教師からの怒涛の説明に、俺は一瞬、真っ白になった。


そう、俺は忘れていた。

と言うか、考えすらしなかった。


GS試験にさえ受かれば、そのままオカルトGメンに入れると思ってた……。


そっか、そうだよな。公的機関だもんなぁ、公務員だもんなぁ。

つーか、面接? 素の状態で受けたら、絶対に落とされるぞ、俺。


「ああ、ちなみに、去年の東京管区の総合格者は3桁だが、これもなぁ……。

 試験会場ごとに、合格人数が振り分けられるシステムになったから、

 受ける会場によっては、さらに合格者が少ないんだよな。

 たとえば、地方会場の北陸・金沢。ここからの合格者定員は、5名だ。

 金沢……つまり石川県以外の、

 福井や富山などの受験生・数百人が、集まって試験をして、

 そこから最終合格者は5名。狭き門だ。

 沖縄なんかじゃ、受験生300人に対し、合格枠1人の場合とかあったりするし……。

 よかったな、横島。

 東京の会場の合格者数は、全国的に見て多い方だぞ?」


どこか楽しそうに説明する先生に、俺は再び固められた。

と言うか、この説明は、俺を挫けさせる為の、止めの攻撃じゃないだろうか。

俺は目に見えないプレッシャーに潰されないよう、

なんとか気を張りなおして、言葉をつむいだ。


「せ、先生。お、俺はどーすれいいかな?」


「まぁ、2年生からは、必死こいて勉強するしかないな。

 と言うか今年落ちたら、来年もGS試験を受けるんだろう?

 もし、そこでまた落ちると、3年生のときに、二つの試験が重なるわけだ。

 そう考えると……確かに今回で受かっておかないと、後々大変だな。

 公務員試験とGS試験の受験対策の同時進行は、絶対不可能だから……。

 まぁ、あれだ。若いうちは、苦労を買ってでもしろというし」


「が、頑張ります……」


「ああ。頑張れ。さし当たって、今回のGS試験で死ぬんじゃないぞ、横島」


「う、ういっす! 男・横島、やって見せますよ!」





季節は移ろい、変わり行く。





青々と茂り、蝉時雨を耳にできた暑き季節は終わりを告げ、

風は冷たさを増し、人々の服の襟元をあわさせようとする。


夏は暑い。残暑も暑いだろう。

秋がないと言われるような年も、ある。


しかし12月に入ってしまえば、半袖で生活を営むのは難しい。

首都・東京はそれほどでもないが、

北陸の山間部や、あるいは北海道では、すでに雪が降り始めているのだから。


クリスマスも終わり、学校では学期末の進路指導が行われ……

まぁ、つまりだから何なのだと言えば…………そろそろ年の瀬なのである。




今年も残すところ、あとわずか。

GS試験まで、後2ヶ月……。












            横島クンのお仕事 2




            プロローグ   頑張る人を、応援するために……      










私の作った、慎ましやかなおせち料理とともに、正月を迎えた横島家。

元旦から三が日は、私も横島クンも、TVの前でごろごろとしていた。

お正月もクリスマス同様に、実際に体験するのは初めてだった。


街がどことない気だるさを含む喧騒感に包まれ、何ともいえない日々を過ごす。

元旦に届く年賀状の多くは、私宛だった。

横島クンは、私に送って、自分には送ってこないクラスメイトに、

ちょっと腹を立てたりとかもしていた。

横島クンのお父さんとお母さんからも、年賀状が来た。

お父さんからは、わざわざ2枚も送られて来た。

それ曰く『母さんに愛子君のことがばれないよう、お互い気をつけよう』とあった。

それを読んだ私が『お母さんに、私のことがバレるとまずいの』と、

横島クンに聞くと、彼は『まぁ、明日の朝日は拝めないな!』と断言した。


横島クンが言うには、

どんな理由があろうとも、女の子を連れ込んでる時点で、

横島クンと横島クンのお父さんに、反論できる要素はないらしい。


まぁ、私も高校生の男女が同棲するって言うのは、ちょっと……と思うけど。

でも、私と横島クンは、まだ健全な同居生活を営めてるわけだし。

横島クンのお母さんも、事情を説明すれば分かってくれると思うんだけど。

そんなに、怖いお母さんなのかしら?


あと、初詣にも行った。

横島クンはメドーサさんも誘いたかったみたいだけど、

さすがにクリスマスとは違い、メドーサさんは誘いに乗らなかった。


一年が経過すると、神様は新しい神様に生まれ変わる……という考え方がある。

だから、お守りなんかも、その効力は一年限り。

ちなみに、私がクリスマスに横島クンにあげたお守りは、

日本のお守りじゃなくて、アミュレットだから関係ないわよ?


それで……つまり、元旦というのは、

神様が新しく生まれ変わった最初の日で、最もその力が強くなる日とも考えられる。

そんな日に、魔族のメドーサさんが神社に行けるはずもないものね。


横島クンは初詣で何を願ったのだろう?

まぁ、考えるまでもなく『GS試験合格』だよね。

そして、そうこうしているうちに、

短かった冬休みは、あっという間に終わり、学校が始まった。


3年生はセンター試験を目前に控えているため、すでに学校には出てきていない。

横島クンも、毎日学校に通ってはいたけれど、

実際は道場のみんなと、少しでも鍛錬がしたかったんじゃないかな、と思う。


メドーサさんから刺股をもらったのが、去年のクリスマス。

試験本番まで、2ヶ月しか刺股を使った戦闘訓練はできなんだもの。

できるだけ長い時間、扱いこなせるよう訓練したいと思うのは、当然のことよね。


GS資格に、年齢制限は基本的にない。

自分で考えることができ、

GSとして仕事ができるのならば、何歳であってもかまわない。


でも、横島クンのなりたいオカルトGメンには、

高校卒業という学歴が必要なので、横島クンはちゃんと学校に行かなければならない。

GS試験前だからって、学校休んで道場に通いつめるわけにも、行かないのよね。


オカルトGメンはICPOの一部門。

つまり、国際的な刑事犯罪の防止のために、

世界各国の警察により結成された任意組織の一部門。

仮にオカルトGメン日本支部ができたなら、そこに所属する人は日本警察の所属。

言ってしまえば公務員なわけよね。

公務員かぁ。

なんだか、そう考えると、

横島クンには少しあわないような気がする。

横島クンは、どちらかと言うと、私立探偵か何かのほうが似合ってそうだし。


まぁ、どうにしろ、

私にできるのは、横島クンの応援だけだから……。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




私は今、商店街を一人でとことこと歩いている。

横島クンは今、道場にてGS試験に向けての最終調整中。

だから私は、自分で机を担いで、道場を抜け出してきたのだ。


私の目標地点は、商店街のお菓子屋さん。

そこでチョコレートを購入し、

横島クンの今日の鍛錬が終わるまでに、手作りチョコレートを作成する!

業務用のチョコレートを買えば、道場のみんなにも渡せるし。


今日の日付を言うならば、今日は2月の14日。バレンタインデー。

好きな人にチョコレートを送るという、何とも乙女チックなイベントの日。

これまで異界で時間を過ごしていた私には、またしても無関係だったイベント。


こんなことを言うのは失礼かもしれないけど、

横島クンはこれまで、

あんまりチョコを貰ったことがなさそうだから、きっと喜んでくれるわよね。


「うーん、何を作ろうかしら?」


チョコならなんでも喜んでくれそうだけど。

でも、できる限り励みになるようなものがいいと思うし……。


……それにしても、横島クンはGS試験、大丈夫なのかしら?

横島クンが弱いとは思わない。でも、強いとも思わない。


道場の中だけで言えば、一番強いのは言うまでもなく、メドーサさん。

その次に勘九朗さんが来て、

3位に雪之丞君が来て……4位を横島クンと陰念さんが争っている。


でも、GSって言うのは、

メドーサさんみたいな魔族を相手できる人……なのよね、多分。

そんな人になれるかどうか、判定するのがGS試験。

つまり、試験に合格できるような人は、

メドーサさんといい勝負ができる人ってことよね?


…………横島クン、ちゃんと合格できるかしら?


そんなことを考えつつ、私は商店街を歩いていく。

横島クンが普段から私の机を担いでいてくれるおかげか、さほど注目は集めていない。

街のみんなも、見慣れたってことなのかしら。


「えっと、ここね」


目的のお菓子屋さんの名前は、ニーニャという。

これはスペイン語で、小さな女の子って言う意味らしい。

私はスペイン語など、全く分からないのだけれど、

店先に並べられた何本かの旗には、そう名前の起源が説明されていた。


ドアを開くと、ドアの上部に付けられた小さなベルが、カランと鳴った。

天井に取り付けられた蛍光灯の数も多く、店内は非常に明るい感じだった。


「いらっしゃい……ませ?」


店の中に入ると、店員さんが笑顔で出迎えてくれた。

もっとも、その笑顔は、中途半端な形で固まってしまったけれど。


「お、お客様。そのお机は……」


「えっと、気にしないでください。リュックの代わりみたいなものですから」


「は、はぁ。そうですか」


私のことを知らないのか、それとも知ってはいるけれど、

まさか自分の店に入ってくるとは、思っていなかったのか。

店員さんは、何だかおろおろとしていた。

学校にやってくる教材関係の会社の人が、廊下で私を見つけたときと、同じ顔だ。

私までここで戸惑うと、事態は泥沼化してしまう。


仕方ないので、私は店員さんに曖昧な笑顔を向けてから、店の中を物色し始めた。

なお、机が引っかからないよう、ちゃんと気をつけている。


目的のチョコレートは、すぐに見つかった。

溶かして自分で作るタイプなので、特に飾り気のない包装がされている。

うん、後はラッピングね。

道場のみんなには、その場で食べてもらうとして、

横島クンには、家に帰ってから、ちゃんと包装を解いて食べてもらいたい。



カンッ、カラン…………。



どんなラッピングにしようかな?

そう迷っていると、お店のドアが開いた。

誰が入ってきたのだろう?

私はそう思い、ドアのほうを向いた。



「あ、愛子っ……!?」

「め、メドーサさん……?」



コートをはおい、サングラスをかけて。

小さな女の子という店名には、

全くそぐわない格好で、メドーサさんはドア先に立っていた。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



ちょっと繰り返すことになるけれど……、

クリスマス、お正月同様、私はバレンタインデーの事も調べていた。

簡単に調べた限りでも、バレンタインデーの歴史は古く、

もともとはギリシア神話のゼウスとヘラの結婚にも、関係しているとか、いないとか……。


クリスマスはメドーサさんも『酒の肴』として、一緒にパーティーをしたけれど、

まさかバレンタインデーのイベントにも参加するとは、思っていなかった。

ゼウスとか、ヘラとか、そういう古代の神に、

メドーサさんはいい印象を持ってないって、横島クンも言ってたし。


それにこう言ってはなんけど、

好きな人にチョコをあげる……って言うのは、ちょっと少女趣味っぽいし。


やっぱりメドーサさんは、横島クンのことを好きなのかしら?

横島クンがメドーサさんに憧れていて、

メドーサさんは横島クンのアプローチを、

軽く受け流しているのだと、最初のころは思っていた。


でも最近、メドーサさんもかなり横島クンのことを、気にかけているように思うのよね。


白竜会の食堂を戦場と決めた私とメドーサさんは、それぞれチョコレート作りに取り掛かる。

私は、横島クンにもらった淡い緑色のエプロンを、素早く装着した。

メドーサさんは、白竜会の食堂にある、白い普通のエプロンだ。

メドーサさんも、購入した量から見るに、

道場にいるみんなにもチョコを配るつもりみたいだ。


「まさか、鉢合わせになるとは……」


チョコをまな板の上に置き、角から斜めに、包丁で削っていく。

まず、一番最初の作業であり、かつ単純な作業。

そのためか、メドーサさんの口からポツリポツリと、言葉が零れる。


「しかも、一応張っておいた隠行まで、見破られるとは……。

 長い時間一緒にいたせいか、お前や横島は、私の気に慣れたみたいだね」


ざくざくざく。

そんな音が、響く。

すでに大雑把に切り終えた私たちは、

包丁の先端を押さえ、そこを軸にして、さらにチョコを刻んでいく。


ざくざくざくざくざく……。


私は包丁を動かしながら、一人呟くメドーサさんに話しかける。


「隠れてわざわざ買いに行かなくても、いいと思うんですけど」


「私は魔族だからね。用心に越したことはないのさ。

 神族に、いつ目を付けられるか、分かったもんじゃない」


「それだけ、ですか? 実は、恥ずかしかったとか」


「…………………ノーコメントだよ」


私たちは、刻み終えたチョコレートを、ボウルの中に移した。

普段から料理をしている私と、作業スピードがほぼ同じ……。

クリスマスのときも、そつなくケーキ作りを手伝ってくれたし。

もしかして…………実は、メドーサさんて、お料理上手?


「愛子は、横島が好きなのかい?」

「メドーサさんはどうなんですか?」


私は答えず、メドーサさんに聞き返した。


「私はお前の前で、熱いキスをして見せたと思うんだが?」


私の質問に対するメドーサさんの答えも、明確なYes・Noではなかった。

台詞の内容からは、少し勝ち誇っているような印象も受けるけど……。

私は鍋の中に生クリームを入れ、

それを温めながらに、メドーサさんを観察する。


メドーサさんの頬は、赤かった。


思い出して照れたのか、それとも、自分の台詞そのものに照れたのか。

どうにしろ、ちょっと大人な余裕を感じさせた先ほどの台詞は、台無しだった。

語るに落ちる、というより、語る前に落ちてしまった……って感じかしら。


「メドーサさんも、好きなんですね。横島クンのこと」

「っつ……」


メドーサさんは、チョコレートと温めた生クリームをかき混ぜていたのだが、

かなりの勢いで、その手を滑らせた。

私がこういう台詞を言うのが、予想外だったのかしら?

それとも、予想はしていたけれど、実際に聞くと、自分を抑えきれなかった?


メドーサさんの『好き』は、やはり恋愛の『好き』なのだろう。

メドーサさんを見ていると、それがよく分かる。

でも、逆に横島クンに対する私の『好き』はなんなのか。

最近、ちょっと分からない。

好きであることは疑いようがないんだけど、

でも、恋愛的な好きとは、ちょっと違うような気がしてきてるのよね。

何だか、本当に弟を見守る姉みたいな感じかもしれない。


メドーサさん横島クンが付き合うことが決定したら、

『不出来な弟を、お願いします』とか、私は言っちゃうのかしら?

う〜〜ん。それも何だか、違うような気がする。

もし家の中で横島クンが、他の女の人とイチャイチャしてたら……やっぱり、それは嫌だ。


私の横島クンに対する『好き』は、何なのかな?

家族愛は、あると思う。姉弟愛らしきものも、あるはず。

そして…………やっぱり、恋愛的な『愛』も、私の中にはあるのかしら?


そういう意味では、

自分の中の『好き』の方向性が分かっているメドーサさんが、ちょっと羨ましい。



「メドーサさん。横島クンは、GS試験に受かれますか?」



私は気を取り直して、全く別の話題をメドーサさんに持ちかける。

今日のチョコレートも、GS試験への応援をかねているのだ。

だから、私は横島クンのお師匠様であるメドーサさんに、一度は聞いてみたかった。

そして『横島なら、絶対に大丈夫だよ』と、言ってほしかった。


「……どうだろうね。実力的には、1次試験を受かれるだけのものはあると思うよ

 だが、それ以上は何とも言えないね。レベルとしては、今の横島はまだそれほどではない」


メドーサさんは、あくまで冷静に言葉を述べていく。


「2次試験は、試合なんですよね?」


「ダイスで決められる以上、どういう組み合わせになるかは分からないさ。

 それこそ陰念と戦い、雪之丞と戦い、

 最後に勘九朗と戦うという可能性も、ゼロではないね。運次第さ」


「運かぁ。横島クンって、運よかったかしら?」


「悪運はあるだろうね。いまだに生きてるんだから。

 運のない奴だったら、夏に死んでしまってただろう」


お互いが好きな人の話題なのに、どうしてこんなに実りがないのかしら。

私とメドーサさんだから、余計にそうなのかしら?

よくよく考えると、

こうして二人っきりで話をしたことって、ほとんどなかった気がする。


「……そ、それはそうと、メドーサさんも、バレンタインをちゃんとやるんですね」


そこはかとなく気まずさを感じた私は、さらに話題を変更した。


「ああ。去年の夏ごろに知ってね。来年はやろうと思ってたのさ。

 時期的にも、横島をやる気にさせるに、ちょうどいいイベントだしね」


「やる気にさせるのにちょうどいいって……。じゃあ、義理チョコなんですか?」


「義理だけしかないなら、わざわざ自分で作りはしないよ」


その言葉が意味することは、

義理だけではない感情も、しっかり入っているということだろう。

つまり、本命のチョコレートだと言っているのと同じなのだけど……分かりづらいわね。


「……メドーサさんって、しゃべり方が婉曲ですよね」


「性分でね。

 まさか、私がチョコレートを片手に

 『好きです』などと言う訳にも行かないだろう?」


「なんでですか?」


「私みたいな女には、似合わないよ」


「そうですか?」


「そうなんだよ。私は、可愛くはない女だ」


横島クンから、クリスマスにもらった髪飾りを、欠かさずつけてたりするし、

メドーサさんって、かなり『可愛い人』だと思うんだけどなぁ。

こういう考え方も、一種のコンプレックスみたいなものなのかしら?


あるいは、メドーサさんの言う『可愛い』は、

フリルのたくさんついた服が似合うような、そういう可愛いかしら?

それなら、確かにメドーサさんには似合わないと思う。

でも、同時に私にも、たぶん似合わないと思うけど……。

メドーサさんの言う可愛い女の子の理想と言うのは、冥子さんのような感じかしら?



『ヨコシマ〜〜、試験、頑張ってね〜〜』と、そんな風に横島クンを見送るメドーサさん。

………………ううん、これって、すでにメドーサさんじゃない気がするわ。

私は胸中に浮かんだ下らない想像を、かなぐり捨てた。



その後、色々とおしゃべりを交えながらも、作業は着々と進み、

私とメドーサさんのチョコレートは無事完成した。

本命チョコレートを作り、その余った分で、さらに義理チョコの体裁も整えた。

余った分というと、

かなり薄情な気もするけれど……まぁ、だから『義理』なのよね。


義理チョコしかもらえず、

本命チョコをもらえる人をねたむのも、それはそれで青春よね!


さぁ、あとは食べてもらうだけ!

鼻血を出さないよう、気をつけて食べてね、横島クン。



今日は2月14日。

バレンタインデー。

GS試験まで、残り数日。



横島クンは、試験に合格できるのかしら?




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




白い月が、窓から淡い光を部屋の中に注いでいた。

私は自分の作ったチョコレートの残りを、一人静かにかじる。


甘い。

随分と、甘ったるい。


横島は喜んで食べてくれたが……しかし、私には少々、合わない食べ物だ。

まぁ別段、辛いものが好きだというつもりもないが。


「メドーサ様?」


不意に部屋の扉が開かれ、一人の男が入ってくる。

私の部屋をちょくちょく訪れるものなど、そうはいない。

白竜会の一室ならともかく、ここは私の部屋。

私が仮の寝床としている、あるホテルの一室なのだ。

私の部屋を訪れたのは、言うまでもなく勘九朗だった。


「もうすぐですわね、GS試験」


勘九朗は私のもとに歩み寄りながら、口を開く。

わざわざ夜もふけ、みなが寝静まった後に、何を言いに来たのだろうか。


「…………横島は、どうなされるんですか?」

「試験には出すつもりだよ」


私は勘九朗の問いに、簡潔な答えを返した。

そう、今の横島ならば、

少なくとも第1次試験には受かれるだろう。

そしてうまく行けば、

2次試験でも勝ちあがり、GS資格を手に入れられるはずだ。

一つの道場から、何人までしか試験を受けられない……などと言う決まりごとはない。

どうせ、どれだけの人数が受験しようとも、第1次試験で振るいにかけられるのだから。

ならば、横島を受験させない道理はない。

まだまだ未熟な横島だが、もし落ちたとしても、今回の受験は大きなプラスになるはずだ。


「私が言っているのいるのは、そういう事ではありませんわ」

「じゃあ、どういうことだい?」


「情報漏れはないはずですが、

 最近神族の一部が動いているみたいですし、

 もし、GS試験にて、我々のことがばれたら……」


「そのときは、そのときさ。さっさと切り上げて、風水盤に力を注ぐよ。

 今回のGS試験には、失敗しても、風水盤から目を逸らさせるという効果がある」


「…………もしかして、わざとおっしゃられていますか?」

「なにがだい?」

「私が言っているのは…………横島に我々のことがばれたとき、どうなさるのですか?」

「………………」


私は勘九朗の問いに、すぐさま反応することはできなかった。

私が裏で行っているいる仕事。そのことがばれたとき、横島はなんと思うのか。


それは今まで、考えないようにしてきた事柄だった。

横島は、もともと『使えるのではないか』というくらいの気持ちで、拾った存在だった。

そして私は横島を、裏の事情を何も教えずに育て、

白竜会が健全な道場である象徴としようとした。

その試みはうまく行った。

少なくとも、横島の知り合いは、白竜会を魔族に支配された道場だなどと思っていない。

たとえば、現役GSの美神令子も。

たとえば、神に仕える神父と、その弟子も。

また、横島は妙神山にも連れて行かれたが……

……天竜童子に気に入られたことを考慮すれば、神族の目すら欺いてくれたとも言える。

デコイ。その役目は、十分に果たしている。


我々の裏事情が露呈し、

それにより横島が私のもとを離れても、当初の目的は十分に達している。

横島と言う駒を、私はこれ以上なく、上手く利用したことになる。


利用しきった駒は、捨てればいい。

駒が自分から使ってくれと、せがむならばともかく、

自分のもとを去る駒を、何故私が追わねばならない?

追うとするなら、それは口封じ……殺すためだけだ。


自分のもとを離れていく駒。

そんなものは、壊す。

壊さなければならない。

駒とは、そういう存在なのだ。



だが、しかし…………。

もう、私の中で、横島はただの『駒』ではなくなってしまって、いる……。

そう。駒ではないと、随分前に自覚して、自覚した後は…………言うまでもない。


人間など、どうなってもいいと思う。

何人死のうが、かまわないと思う。

…………そう思っていたはずなのだ。


だが、横島と会ってから、私は何処かが壊れてしまっているかのような……。

たかが人間。その人間に、大きな関心を払っている。

人間の女に助言を求め、人間の若い子供に、好かれたいと思っている。


………………私は…………。



「勘九朗」

「はい?」

「情報漏れは、ないな?」

「私が知る限り、ないはずです。メドーサ様のほうが、情報にはお詳しいでしょう?」


そう。私自身、神族に私の動きがばれたなどと、思っていない。

私はこれまで、慎重にことを進めてきた。

そしてそれは、GS試験が終わるその日まで、続けていくつもりだ。


だが、万が一ということもある。

仮に小竜姫などがでしゃばってくれば、私は……。



私は、チョコレートをかじった。

甘い、甘ったるいチョコレート。

子供の舌に馴染みやすい、そんな味のチョコレート。

だが、今だけはそれがひどく苦いものに思えた。



横島。

私は…………どうすればいい?




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「まだ起きてたんですか?」


その日…………夜はすっかりふけ、時刻は丑三つ時を迎えていた。

しかし、何故か不意に目が覚めた僕は、

仕方なくベッドから這い出て、部屋を後にする。


目的地は、食堂だった。

水の一杯でも飲んで、それから寝ようと思ったのだ。


その途中、扉と床の僅かな隙間から、光の漏れる部屋があった。


その部屋の中の人物を、僕はよく知っていた。

危ないところを助けてくれた、僕の恩人。

そして、今の僕のご主人様。


そんなご主人様は、何でこんな夜中まで起きているんだろう?

気になった僕は、失礼だとは分かっていながらも、

ドアのをノックし、部屋へと入った。

そして、聞いた。まだ起きていたのですか、と。


「うん〜〜。何だか〜、眠れなくて〜〜」


間延びした口調で答える少女。

これが今の僕のご主人様。

名前は六道冥子。

僕が住まわせてもらっているこの六道家の、正当なる次期後継者であり、式神使い。


「コンちゃんも眠れないの〜〜?」


部屋の入り口に立つ僕に、冥子さんはおっとりとした口調で問い返してくる。

コン、と言うのは、僕の名前。

冥子さんが付けてくれた、新しい名前。

書類上の正式名称は、

実はもう少し長いのだけれど、その名前はあまり好きではなかった。

まぁ、普段は『コン』か『コンちゃん』か『コンさん』としか呼ばれないので、問題はないけれど。


「ええ。でも、僕は妖怪ですから、

 そんなに長い時間、寝る必要もないんですけれどね」


「じゃあ、少し一緒にお話しない〜〜?」


「はい、いいですよ」


冥子さんがポンポンとベッドの一部分を叩いたので、僕はそこに腰を下ろした。


「私ね〜〜、今度GS試験の保健係りをするでしょ〜〜?」


その話は、僕もおぼろげながらに聞いていた。

冥子さんは諸事情で、ここ最近屋敷を留守にしていた。

でも、それは非常に六道家としては体面の悪いことなので、

対面上、『実は屋敷の中で、式神の修行をしていた』と言うことになっているのだとか。

そして、今度のGS試験の運営補佐的な役割を、しっかりと果たすことで、

修行の成果を見せて、ようやく社会復帰と言うか、職業的な復帰が認められるらしい。


…………分かりにくい説明だよね。ごめん。僕もよく分かってないから……。


「不安なんですか?」


よく分かっていないながらに、僕はそう聞いた。

なんとなく、冥子さんの口調が、弱弱しいものに感じられたからだ。


「う〜〜ん。多分、そうかな〜。少し不安なの〜〜」

「冥子さんなら、大丈夫ですよ。絶対」

「私もそう思うんだけど〜〜でも〜〜」


僕は今のところ見たことがないのだけれど、

冥子さんはこれまで、使い魔である式神の制御がへたくそで、何度も暴走していたらしい。

そのせいか、いまだに自分に自信が、あんまり持てないそうなのだ。


今の冥子さんしか知らない僕としては、そこまで思い悩むほどのことかなぁ、と思う。

僕の知る冥子さんは、式神を何の問題もなく扱う人なのだ。

瞬間移動も出来て、空も飛べて、精神感応も出来て。

冥子さんが何も出来ないなんて言うなら、僕の方こそ、何の能力もない妖怪だと思える。


「仕事の不安より〜〜、仕事の終わった後が、怖いのかも〜〜」

「? どうしてですか?」


今回の仕事が終われば、冥子さんは自宅謹慎の命が解かれ、自由の身となる。

社会的というか、職業的復帰を成したのだから、

閉じこもって修行をし続ける必要がなくなった、と言う風な話の流れになるからだ。


そして自由の身となれるなら、

すぐに行きたい場所があると、冥子さんは常々言っていた。

そこに行けるのだと言うのに、何を怖がるんだろう。


「私が行きたいって言ってた場所は〜、お友達のところなの〜〜。

 私は〜、お友達に謝りたいの〜〜」


「許してもらえないかも知れないから、怖いんですか?」


「うん〜〜、多分〜〜」


「大丈夫ですよ、絶対! だって、あんなことも乗り越えてきたじゃないですか」

「…………そうよね〜〜。色んなことが、あったものね〜〜」


「僕は途中からしか知らないけど、その途中からだって、すごかったんです。

 あれに比べれば…………と思えば、謝りに行く勇気くらい、すぐ湧いてきますよ」


僕は冥子さんと冥子さんの友達の間で起こったことについて、大して知らない。

知らない以上、安請け合いはするべきじゃないとも思ったけど……。

でも、今の冥子さんには励ましが必要だと思った。


「そうね〜。謝るために、ここに帰ってきたんだものね〜〜。

 ありがとうね〜〜、コンちゃん〜〜」


「いいですよ、僕は、話を聞くくらいしか、出来ませんから」


僕は苦笑交じりに、そう答えた。

そんな僕に、冥子さんは優しく微笑んでくれた。

それは先ほどの『ありがとう』に続く笑みなのかと思ったのだけれど……どうやら違うらしい。


「そんなことないわよ〜〜」


何しろ冥子さんは、僕の言葉を否定して、微笑んでいたのだから。


「え?」


「だって〜〜、コンちゃんにも今度のお仕事、手伝ってもらうもの〜〜。

 ちゃんとナース服も用意したのよ〜〜?」


「……………僕も、お手伝い?」

「うん〜。お願い〜〜」

「それはいいんですけど、ナース服で…………」

「うん〜。何か変かしら〜〜〜」


僕は、そのご主人様の言葉に、人知れず涙した。

…………これさえなければ、いい人なんだけどなぁ。

ナース服って言うことは、女の人の衣装なんだよね?


………………僕、こんなんだけど、一応男のつもりなんだけど……。

嫌って言っても、無理矢理着せるんだろうなぁ。


「どうしたの〜〜?」

「えっと、そろそろ僕も眠くなってきたので……お休みなさい、冥子さん」

「うん〜。おやすみなさい〜〜。お話、ありがとう〜〜」


のほほんとお礼を言ってくる冥子さんに手をふりつつ、僕は部屋を辞した。

…………GS試験かぁ。

その保健係りの助手かぁ。


GS試験って、雨で中止になったり、延期になったりしないなぁ。

そうなったらラッキーなんだけど、さすがに無理だろうなぁ。

まぁでも、お仕事もらえただけ、ラッキーと言えばラッキーかなぁ。

うん、そうだよね。嫌なことでも、お仕事ならしっかりやらないとね。


僕はそんな風に、明るく結論つけて、部屋へと戻った。

冥子さんと喋って、喉は余計に渇いていたのだけれど……。

何だか、途中でどうでもよくなっちゃった。







GS試験を望むもの。

GS試験を望まないもの。

あるいは、試験に関係なくして、他の事を考えるもの……。


人それぞれ、時間を過ごしているけれども……やがて、その日はやってくる。





GS試験まで、あと……4日。





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