第二十七話





俺の前世である陰陽師・高島は、陰陽寮に所属している。

術師としてはかなりの腕前らしいんだけど、

それほど高くもない家柄と性格のせいで、出世コースみたいなモノからは無縁らしい。

そんな俺IN高島は、上司西郷さんからの命令で、紀家の警備を任された………と言うのが現状だ。

えーっと、警備の主任は西郷さんだが、実際の戦力の主力は俺ってことらしい。

言うなれば、西郷さんが指揮官で、俺がパイロットって感じか。


俺と西郷さんは、今現在紀家に向かって歩いている。

残念ながら、牛車に乗って移動する身分じゃないからな、高島は。

まぁ、個人的には特に乗りたいと思うようなモンでもない。

何か遅そうだし。


「頼むから、真剣に頼むよ、真剣に」

「大丈夫、大丈夫。言われなくても」

「おや?」

「ん?」

「いや……本当に真面目そうな顔をするから、少し意外でね」


そう言う西郷さんに、俺は特に返事をしなかった。

『普段の俺は、そんなに腑抜けな顔ですかっちゅーねん!』と、

突っ込みを入れようかとも思ったが……でも、結局そんな気分でもなかった。

何でかと聞かれれば、やっぱり色んな意味で緊張しているんだと思う。


いや、だって……俺って実際、どのくらいの強さなんだ?

高いレベルで言えば、小竜姫ちゃんとこの鬼門とか、

小竜姫ちゃん本人とか、美神さんともモメたことはあるし、

よく分からないゴーレムからの逃走劇だって、繰り広げた経験がある。

低いレベルで言えば……この時代の餓鬼を何体も祓った。


でも、前世である高島の領域に辿りつけているとは、到底思えない。

西郷さんが高島のレベルに合わせてこの仕事を俺に任せたとなると、

紀家にちょっかいを出している邪気に、俺は歯が立たないかもしれない。 


平安時代に、陰陽師の家に生まれ、陰陽師として生きてきたやつ。

性格に問題はあるけど、しかし腕はそれなりだと真面目な上司にも認められているやつ。

それに対して俺は、前世が陰陽師とは言え…………GSの研修初日だぞ!?

美神さんについて行ってしたことって、基本的に荷物運搬だぞ?


中学の頃より強くなったって言う自信は、もちろんある。

でも、何でも来いって言えるほど、自信なんか持てない。

何でも来いって言って、メドーサさんクラスが来たら…………。

いや、美神さんクラスでも、勝てないですよ? 

でも、平安時代だし、割とゴロゴロそういうレベルがいそうな気もするし……。


(あー、無茶苦茶緊張する!)


夏のときのゴーレムみたいなやつが相手だったら、まず負ける。

てか、死ぬ。絶対死ぬ。

相手が話の通じるやつなら、交渉の余地もあるんだろうけど、

最初からそれを期待するって言うのは、やっぱダメだよな。


(ここは最悪の事態を想定して、ただ暴れるだけの知能ゼロが相手だとして)


俺は軽い頭痛を感じながら、自分の未来を考えてみる。


『負ける! マジ勝てない! 助けて!』(←勝てそうにない俺。けっこうボロボロ)

『ガオー! フンガー! ガァー!』(←とにかく暴れる鬼かなんか。体力馬鹿っぽい)

『遊んでないで、早く片をつけたまえ!』(←ふざけていると思って、助けてくれない西郷さん)

『いや、本気で勝てないんだって!』(←そろそろやばくなる俺。泣いてたりする)

『嘘をつくな。君なら勝てる鬼だろう?』(←取り合ってくれない西郷さん。挙句よそ見とかしたりする)

『グゴオオオォオォオ!』(←決め技のために、なにやらチャージに入る鬼かなんか)

『嘘じゃなっ! ちょ、待って…………ぃっぶ!?』(←人生最後の言葉な俺)

『んっ? まさか、本当に勝てないのか!?』(←驚きつつ、ようやく動く西郷さん)


……………だぁー! 

って、ヤメだ、ヤメ! 

考えても仕方がない。

大体、本当にやばくなったら、西郷さんだって援護するだろうし!

大丈夫、いざとなれば逃げればいいさ!

それに奥の手の『コーラルを起こす』っていう手もあるわけだし。


「高島くん? 何をぶつぶつ言ってるんだ?」

「え? いや、別に?」


気がつけば……俺が色々と考えているうちに、紀家に到着していたらしい。

西郷さんは俺の様子に首を傾げるが、屋敷前であるため不問にすることにしたらしい。

何か言いたそうな顔を、仕事用の真剣なものに変えて、西郷さんは足を進める。

俺も出来るだけシャキッとした顔を作って、西郷さんに続く。


大仰な門を抜けて中に入ると、

家子らしき人……屋敷の事務をする使用人みたいな人……が、立っていた。

西郷さんはまず、その人に向けて軽く頭を下げる。

俺もそれに続きながら、視線だけで屋敷の庭園を見回した。


この屋敷に邪気が入るのを防ぐ……つまり、場合によってはこの庭が戦場になるんだ。

何がどこにあって、ないのか。池の位置や木の位置を、俺は頭に叩き込んでいく。

しっかり見ておかなければ……自分が幽霊になるかも、だ。

ここで死んで霊になったら、俺は絶対自縛霊だよな。

こんな知り合いすらいない時代じゃ、まさに死んでも死に切れないし。


……いや、GS見習いとして、オカルトGメン志望者として、

こんなこと言うのは、非常に不本意と言えば不本意だけど……この仕事やりたくない。

だってさ、相手は餓鬼が蔓延る平安時代の邪気だぞ?

話し合いが通じなければ、ガチンコ勝負になるわけで。

でも、今の俺にはまず荷が重い相手だろうし?

あれだよ。分相応ってやつだ。

この時代で言うなら、俺は超下っ端つーか、陰陽師の任を受ける前の少年Aだぞ?

それに、紀貫之のために命かけて戦う理由もないわけで。

そりゃ、目の前で人の命がマジでやばかったら、助けたいとは思う。

例えば『車が突っ込んでこようとしてて、危ない!』とか言うシーンとか。

だがしかし、だ。

それとボディガードを買って出るのは違うわけで。

自分はそのガードには実力不足じゃないかと、すでに思ってるわけで。


「あー、せめて相手が女の子ならなぁ」


平安時代の女の子には興味がない。

確かにそう言ったけど、でも遠目から見ている分には、

お香の匂いとかも気にならないし、別に思うトコもないわけで。

つまり、どうせなら遠くから『頑張って〜』とか言われる方が、俺の霊力も上昇していくわけだ。


「おっさんの家の警護なんて、やる気でないよなぁ」


これから屋敷に上がって、当主の貫之に頭下げることになるんだろうけど……

おっさんに『頑張ってくれたまえ』なんて言われても、欠片も嬉しくない。


「高島クン? 君はそんなに私の顔を潰したいのかい?」

「へ?」


考えにのめり込みそうになる俺に、西郷さんが小さな声で話しかけてきた。

…………そう。声量こそ小さいが、怒りが満載の声でだ。


「今、自分が何を言ってたか、分かるかい?」

「あれ? また声に出してた?」

「…………なぁ、高島君。今、我々の前にいるのは誰だ?」


西郷さんのこの言葉で、『やべ、俺やっちまった?』という思いが湧いたけれど、

でも、俺はその思いをあえて握りつぶして、素知らぬ顔で答えた。


「家子のおっさん。あ、そっか。主人の悪口言われて、いい顔するはずが……」

「違う! 本人だ! 貫之殿だ!」

「本当に?」

「嘘を言う場面ではないだろう?」

「何で当主がいきなり最初に!?」

「当主だから挨拶に来てくださったのだろう!」


「いやいやいや、こう言う貴族のおっさんって、

 家の中でふんぞり返ってるじゃないすか! 普通!

 て言うか、和歌の編纂作業で忙しいんじゃないすか?

 何で普通に家の門の前に立ってるんだ、この人!?」


「何処の誰を指して普通と言ってるんだ、君は!?」

「いや、大体そんな感じないすか? 実際」


「ま、まぁそうだが……じゃなくて! 

 だからと言って、今ここで上層批判をすることはないだろう!?」


西郷さんは笑っていた。

いや、泣きそうな顔であり、頬の歪み具合が笑っているように見えなくもない感じだったと言うべきか。


……あー、あの、素直にすんません。

えーっと、言い訳していいっすか?

いや、あのね?

俺が紀貫之について知っていることなんて、ほとんどないと言っていいんですよ。

陰陽の術を学び始めて…………あるいは、愛子が勉強を教えてくれることもあって、

日本史に関しては、中学の頃からは予想できないほどの知識量が、今の俺にはある。あるよ?

でも、紀貫之って……マイナーすぎる。顔を知らなくても、仕方ないだろ?

いや、顔を知っている坂本竜馬とかだって、いきなり会ったら分からないって!

メジャーでそれなんだし、仕方ないですよね!? 不可抗力だって!


大体、紀貫之と言えば………

俺の知識では『土佐日記』を書いた人って言うレベルだけど、でもこれだって凄いぞ?

駅前で『紀貫之って知ってる?』って1000人に聞いて、明確な答えなんて返ってくるか?

やっぱ『土佐日記書いた人?』って答えられれば、十分だろ。うん。絶対そうだ。


よし、言い訳終了! 

結論……不可抗力で、俺は悪くない!


胸中で並べるだけ並べた言い訳を元に、俺はそんな結論を出す。

まぁ、過ぎてしまったことは、もう後には戻らないんだ。

ここは一つ、前向きに元気な挨拶からはじめようじゃないか。

俺は大きく息を吸い込んで、紀貫之に向かって背筋を伸ばす。

ああ、そうさ。元気よく。ただ、それだけだ。

別に勢いで全部ごまかしてしまおうとか、そう言うんじゃないぞ?


「初めまして、高島です!」

「…………ふぅ。高島、か」

「はい!」


声を張り上げて、俺は紀貫之の……いや、貫之殿の声に答える。

貫之殿は冷静だった。

突然無礼な事を言った俺に対して、静かな口調で話しかけてくる。

生まれながらの貴族は、俺みたいな庶民と違って、お心が深いですな!

怒鳴るでもなく、ただただ静かに俺に対応している。


「君の名前は覚えたよ。ああ、しっかりとな。

 決して忘れんぞ、君のやる気のない無礼な発言は」


…………………………怒り方って、人それぞれだよな。

怒ってました。やっぱり、当然のごとく怒ってました。

そりゃ、目の前であんだけ色々言われりゃ、

大声で挨拶しても、誤魔化し切れるはずがないよな。

静かに、怒っていました。肩がプルプル震えてました。

で、笑顔だけど、こめかみが引きつっていたりしました。

声に西郷さん以上の怒りがこもってました。


「…………ご、ごめんなさい」

「謝ってすまないだろう……」


俺の謝罪に、西郷さんがどこか諦めのこもる声で続いた。














            第二十七話     ゴールド・フォックス?














俺の高島としての仕事は、始まったその瞬間から、こけた。

幸先は非常に不安だった。

いや、仕事の話を聞いたときから、不安ではあったんだけど。


屋敷の主と西郷さんに、思いっきり睨まれた俺。

最高権力者の天皇とも面識のある貴族と、直接の上司の心象を悪くしたわけだ。

とりあえず、警備の仕事の任があるうちは紀貫之も矛先を納めているけど、

仕事が終わった後は……どうなるだろ? 何か罪に問われるのかもしれない。


俺が上手いこと現世に戻った時、目覚めた高島はどう思うだろう?

起きてみれば、何か勝手に時間が経っていて、かつ自分を囲む状況が悪化してるわけで……。

よし、帰ったら手紙を書いておこう。

ただひたすら平謝りな手紙を。


まぁ、高島でも俺と同じようなことを言うような気もするけどな。

何しろ前世の俺なんだから、おっさん相手にやる気を出すとも思えないし。

言い訳がましい思考を展開しつつ、俺は紀家の庭園を練り歩く。

そんな俺を、少しずつ円に近づいていく月が照らしてくる。

この時代の人間にしては珍しく夜型生活だよな、陰陽師って。


(月か……)


物の怪が活発になるのが夜と言うのは、いつどの時代でも変らない。

また月の満ち欠けも、いつどの時代の地上にも影響を与えている。

事前に西郷さんが収集した情報によると、

家の者が邪気のようなものを感じたのは、月が三日月の形を成した日かららしい。

そしてその邪気らしき気配は、月が満ちるにつれて強く感じられるようになったらしい。

……つまり満月になると強化される類の物の怪ってわけだよな?

なんだろう? 月と言うと、狼男とか? でも狼男は欧州のモンスターだし。

日本で言うと、犬神とかになるのか?

いや、それ以前に平安時代に伝説級な大物って、何がいたっけ?

紀貫之に会ったりするわけだし、伝説級の妖怪に会う可能性もあるわけだ。


(平安時代の妖怪……うーん……菅原の怨霊って噂があるって、西郷さんは言ったけど)


結局、記憶の中を探っても、特に思いつかなかった。

平安時代と言うと、陰陽師。

そして陰陽師と言えば、安倍清明を思いついてしまうせいかも。

インパクトが強すぎて、他がどんなだったか思い出せないって感じ?


俺は視線を庭に這わす。

俺が今立っている場所は、中央にある屋敷から見て、南。

何で分かるのかと言えば、寝殿造って言う構造は、なんかそう言うモンらしいからだ。

寝殿と呼ばれる中心的な建物が、南の庭に面して建てられてるのが基本。

で、俺の立っている位置から中央の寝殿が見えるんで、つまり南の庭にいるってことになる。

もちろん、高島家も例に漏れずそんな感じだ。ここよりスケールは小さいけど。


「こんな時代に、よくこんな家を建てるよなぁ」


歴史の教科書に載っていた建築ジオラマの実物の中に、自分は今いる。

そう思うと、何か見方も変ってくるよな。

俺は立ち止まって、警戒する視線ではなく、鑑賞する視線で庭を見る。

高島家より広い屋敷の庭が、薄い月明かりで浮かび上がっている。


「こうして見てると、何か和風って感じがするな」


江戸時代の建物を見ても、そう思うのだろう。

でも、江戸時代に建てられたものなら、現代にも残っている。

それに対して平安時代のこういう建物はほとんど残っていないから、物珍しさもあいまって新鮮だ。


…………こういう綺麗な部分だけ見ていれば、この時代って裕福だと思える。


でも、実際にそこまで綺麗で文化的な時代でもない。

ちょっと平安京の外に出て、田舎の方に目を向けてみると、

農民は家はテストにもよく出る、ナントカ式住居ですぞ? あの穴掘るやつ。

石器時代から何年経ったと思ってる? って時代なのに、まだ変らないわけだ。

よく暴動が起こらないよなぁ、と思う。

あるいは、農民の方々に起こす元気がないのか……。


「早い話が、貴族政治の体質を変えないと、問題解決にはならないんだよな」


これから長い時間が経てば、いずれ戦国時代になる。

戦国時代になれば、ゆっくりと治水工事をしたり、減税して生活向上させたりすることも出来ない。

何でかって言えば、まずは軍備増強ないと、他の国に侵攻されてしまうからだ。

でも、この時代は特にどこかと戦争状態だというわけでもない。

貴族が上で贅沢な暮らしをしようと言うことだけに躍起になっているから、こういう現状なわけだ。


「まぁ、俺なんかが改革案考えても、仕方ないんだけどな」


俺はそう呟きながらも、考える。

所詮は高校生の考える程度の事でしかない。

でも、今後の歴史を多少知っているものとしては、色々と『こうすれば?』と思うところはあるわけだ。

地方政治が乱れて、中央政治も形骸。これって幕末に似ていると言えば似てないか?

徳川にはもう超強大な権力がなくなってて、それぞれの藩……薩摩とか長州が強かったんだよな。

まさに歴史は繰り返すって感じ? ああ、これから繰り返すのか。まだ江戸時代は来てないし。


「貴方、なかなか頭が良いみたいね?」

「は!?」


考え事を続けていた俺の後頭部に、なにやら柔らかいものが触れる。

かと思えば、次に二本のほっそりとした腕が、背後から俺の首に回された。


「先の見る目があるわね。もっとも、それを自分で実行する気がないって言うのは、減点だけれど」


「あれ、俺ってまた口に出してた? いや、て言うか! 

 誰だ!? いつの間に!? てか、この柔らかな感触は胸だよな、胸!?」


いきなり自分の考え事に紛れ込まれた上に、抱きつかれしまった俺は、ただただ困惑する。

さらに抱きついてきた何者かが、スタイルが良いと思われる女の人なら、余計だ。

それに、なにやらイイ匂いまでしていたりする。香ではなく、もっと甘い、何か……。

俺はその匂いに頭がふらつくのを感じながらも、もがく。

いや、頭を動かして、胸だと思われるものの感触を楽しもうとしたわけじゃないぞ?

屋敷の警備として、いきなり背後に現れた誰かを警戒してのことだ。

それ以上でも、以下でもない。ないぞ? 


「もう、暴れないでよ」


俺を抱きしめていた誰かは、俺がもがいたことでその拘束を解いた。

どうせなら、よりきつく抱きしめてほしい……とか、

そんなことはまったくこれっぽっちも考えないで、俺はその誰かから距離を取る。

そして俺は、転びそうになったせいでずれた烏帽子を直してから、

こちらを抱きしめた誰かを見やった。


「…………金髪?」


戦闘状態ではないとは言え、それでも完全に気を抜いていたわけじゃない。

にもかかわらず、簡単に人の背後を取った相手だ。

しかも、女の人で胸はでかめらしい相手だ。

一体誰だ……と思っていたが、俺の目に飛び込んできた『誰か』は、予想もしなかった人だった。


「も、もしかして、若……」

「あ、なんだ。貴様か。前に一度会ったわね?」

「………………いきなり貴方から貴様に格下げだし」


いきなり俺に抱きついてきた誰か。

それは以前に見たことのある巫覡・若藻ちゃんだった。

彼女は大きな胸の前で腕を組んで、俺を見つめていた。

俺は久しぶりに感じた女の人の感触に頬が緩むのを自覚しつつ、言う。


「えーっと……高島です」

「聞いてないわよ」

「………確かに、聞かれてないけどさ」


自己紹介は完全な不発に終わった。

いや、よくよく考えれば自己紹介をしている場合じゃないな。

と言うか、俺はなんでいきなり名乗ってんだ?


突然のことによる混乱は、なかなか収まっていなかったらしい。

俺は一度大きく息を吸い、吐いて……気を取り直して、若藻ちゃんに話しかける。


「何しに来たんだ? この屋敷に来るって言う邪気のお祓いか?

 あのおっさん、陰陽寮以外にも依頼してたのか?」


その内容は、聞くまでもないことだと言えば、確かに聞くまでもないことかもしれなかった。

巫覡である若藻ちゃんが、ここにくる理由。

考えてみれば、一つしかない。

巫覡は霊を払う人間であり、そしてこの家には邪気が来ていると言われているのだから。


いや、しかし陰陽寮の人間もいるというのに、よく引き受けたよなぁ、と思う。

呪術全般は国家管理状態だから、もぐりである巫覡は捕まれば強制労働なのだ。

……あるいは、それだけの危険手当が報酬につくのかもしれないけど。


「おっさんって……。あんたより遥かに上位の貴族でしょうに」


若藻ちゃんは俺の質問には答えず、ただただ呆れていた。


「いや、身分とか俺はあんまり気にしないんで」


正直な話をすれば、単に俺が現代人なせいで、実感が湧かないだけだ。

上位の貴族とか言われても、

せいぜいでかい企業の社長さんとか、そう言うイメージでしか捉えられない。

そしてどっかの偉い社長さん相手なら、

無条件で頭こすり付けてへつらうのかと言うと……やっぱりそうでもないしな。

それに紀貫之とかなんて、俺にすれば教科書の人物でしかないからなぁ。

実は、現実感がいまいちないというか……。


そんなことを考えていた俺だが、ふとあることに気づく。


「と言うか、若藻ちゃん…………いや、若藻さん?」

「何?」

「いつの間にそんなに育ったんだ?」


俺は若藻さんの胸を凝視しつつ、聞く。

基本的な光源が月明かりしかないため、今の今まで気づかなかったが、

何だか、若藻ちゃんが若藻さんと呼んだ方がいいくらい、背格好も何もかもが成長している気がした。

いや、この前に会った時は、高校生くらいな感じだった。

それこそ、俺と同じくらいの年齢の子が、映画村でコスプレしてる感じだった。

だが、今はどうだ? もう5年くらい経って、すっかり成熟したかのような感じなんだ。

ナイスバディの金髪美女が、似合わない着物着ているって感じで、

着物の隙間から見え隠れする白い肌が、健康的と言うより扇情的だぞ?


もちろん、前は遠目から見ていただけだから、勘違いと言う可能性はないわけじゃない。

もともとこのくらいのナイスバディで、

俺が単に気づかなかっただけって言う可能性があるわけだ。

…………いや、でも有り得ん。まず有り得ん。フツーに有り得ん。

この俺が女の子のスタイルを見間違うなんて……。

確かに可能性はゼロじゃないけどさ……?

つーか、AカップのバストとD〜Eカップのバストを間違えるって、俺じゃなくても有り得んと思う。

150cmの人間と180cmの人間を見間違えるくらいの、あり得ない見間違えだぞ?


「今、成長期とか? 朝起きたら、いきなりぼいーんと」

「そんなはずがないでしょう? こっちの方が本当の姿なのよ」


首を傾げる俺に対し、若藻さんは余裕たっぷりに笑う。


「…………本当の?」

「鈍いわね? 大体目立つ金の髪を持つ私を、何であんたたちが捕らえられなかったと思う?」


そう言ったかと思うと、その白く細い指で、若藻さんは長い金髪を梳いていく。

すると、梳いた部分から髪の色は変化し、黒くなっていく。

十秒後。俺の前には先ほどより薄い体つきの、可愛らしいが『普通の黒髪の少女』が立っていた。

年の頃は13〜4歳って感じだろうか? 

さっきまで俺より年上にも見えた女の人が、今は俺より年下の女の子になっている……。

お姉さん属性も、妹属性も完備か。これは強敵……って、そうじゃなくて。


「幻術って感じじゃないよな、これ?」


俺の精神に何らかの術をかけた感じじゃない。

若藻さんの甘い匂いにふらっと来たけど、

あれもわざわざかけた術って言うより、自然に身についたフェロモンみたいな感じだったし。


となると、若藻さん自身の姿が変化しているとしか思えない。

俺はそう考えて、若藻さん……いや、この状態なら若藻ちゃん? ……に、手を伸ばした。

若藻ちゃんが特に何も抵抗もしなかったので、彼女の肩に伸びた俺の手が触れる。

ごく普通に、違和感なく触れることが出来た。

そう。俺の手は、俺の視覚が得た情報と差異なく、若藻ちゃんの肩に触れていた。


「まさか、これって変化?」


やっぱし自分自身に幻術をかけて、小さく見せかけているんじゃない。

本当に身長そのものが変動して、小さくなっている。


「そう、正解よ。ようやく私の正体が分かった?」

「………分かった」


『巫覡・若藻』を捕らえられない理由。

陰陽寮でもほとんど情報がなく、何処に住んでいるかも全く分からない。

しかし、何のことはない。本人が仕事と日常を完璧に別けていたんだ。

そりゃ、金髪の巫覡を探しても、見つかるわけがないよな。

本人は仕事が終われば屋根伝いに移動して、その後黒髪少女に変化するんだから。

あるいは、黒髪の少年に化けることもあったのかも知れない。


巫覡・若藻が巫覡としての仕事をしてない。

それはつまり、その時はこの平安京の『巫覡・若藻』が存在しないってことだ。

あんな目立つ姿で、何で逃げられるのか……じゃない。

目立つ姿だからこそ、逃げ切れるんだ。

輝きを放つデコイに群がってしまい、人々はその本体に全然到達できないってことか。


「まさに、まんまと化かされたって感じだなぁ」

「誰か一人くらい、見破るかと思ったんだけどね」


若藻ちゃんは、髪の色を本来のものであるらしい金の色に変え、若藻さんへと戻った。

俺はその華麗な変化を眺めつつ、嘆息した。


「変化……か。まさか若藻ちゃんが、タヌキの妖怪だったんなんて」

「……………………は?」








俺がそう言うと、若藻さんは突然固まった。









「……………………………えーっと、ちょっと待ちなさい」

「はい?」

「今、何て言ったかしら?」

「タヌキ妖怪?」


「何でタヌキなのよ!? 普通キツネ妖怪でしょう!?

 何でこの私が、金色のキツネである私がタヌキなのよ!

 この私の色っぽさを見なさいよ、あんた!

 ねぇ、化かすと言えば、キツネでしょ!?」


タヌキ扱いが心底イヤなのか、ネコ型ロボット並に若藻さんは反論してきた。

まぁ、確かに色っぽさならば、タヌキよりキツネの方があるような気が、

しないでもない気がするような気が? 多分、何となく。


「いや、俺としては、化けるというと平成のタヌキ合戦アニメが印象に強くて」

「何をワケの分かんないこと言ってんの、あんた?」

「あ、いや、いいっす」


とりあえず言い訳じみた言葉を口にしたけど、通じるはずもない話題だった。

仕方がないので、俺はこほんと咳払いをし、沈黙。

そして小さく前ならえをする。

次に前ならえした手を横へと動かして、『それは横に置いといて』とボディランゲージ。


「……で、何しに気たんすか?」

「いきなり黙って話題を変えないでよ。いや、まぁ、いいんだけどさ……」


俺が話題変換したのに対し、蒸し返しても話が進まないと思ったのか、

若藻さんは反論の矛先をしまってくれた。

そして彼女は両手を腰に当て、嘆息。


「…………あんたって、変よね? 何をのほほんと会話してるのよ」

「何がすか?」


苦笑交じりに言う若藻さんに、俺は問い返す。

そう言えば、自然と口調の語尾が『〜っす』になっている。

……今更かも知れないけど、俺っておねーさまキャラに弱いよなぁ。


「いや、普通は私を攻撃するとか、仲間を呼ぶとか……色々あるでしょう?」

「あー、前にも言ったけど、捕まえる気はないし」

「相手が巫覡じゃなくて、狐の妖怪でも?」

「ないっすね」

「そこがおかしいって言ってるのよ。陰陽師でしょう?」


何だろう? 若藻さんは俺に捕まえたり戦ったりして欲しいんだろうか?

でも、若藻さん本人からは、別に敵意を感じないし、戦闘好きっぽい感じでもない。

ユッキーみたいな『さぁ、戦いを楽しもうぜ!』的な空気は、若藻さんには微塵もない。

じゃあ、何で俺のことをおかしいとか言うんだろうか?

俺は首を傾げつつも、まずは自分の思っていることを口にしてみた。


「話が通じるんだし、最初から戦いだけで解決しようってしなくても、いいじゃないすか」

「普通は通じないんだけどね……」


キツネ妖怪と言うことで、過去に何かあったんだろう。

妖怪は寿命が長くて、見た目どおりの存在じゃないしな。

メドーサさんも20代後半から30代くらいにしか見えないけど、実際は無茶苦茶長生きしてるわけだし。

……下手に聞くと過去の傷とか、えぐっちゃいそうだな。

俺は若藻さんの様子からそう当りをつけて、とりあえず話題を戻した。


「で、何の用事で紀家に? と言うか、若藻さんがこの屋敷に近づく邪気の原因すか?」

「そうよ。ここ数日、色々と様子を探ってたのよね」


今こうして直接対面している状態でも、若藻さんからはほとんど邪気も妖気も感じられない。

多分、若藻さんは自分の力を押さえ込めるだけの能力があるんだろう。

そもそも、変化を用いて陰陽寮の追跡をかわして、

平安京内で気ままに暮らしているっぽいんだし、

邪気を不用意に漏らすって言う方が、むしろ不自然だ。


「……もしかして、わざと邪気を残したりとか?」

「正解。帰り際に少し……ね」

「なんでまた、んな面倒なことを」


「帝の勅命を受けるやつが、どの程度か見てみたくなったの。

 危険に対する対応の仕方で、人柄ってある程度測れるものだしね」


迅速な対応をすれば切れ者。

放置すれば馬鹿か、あるいは豪胆な者か……。

若藻さんは楽しそうに、人間の対応の仕方による区別を教えてくれた。


「で? それを見た後、どうするんすか?」


「今、婿探し中なのよ。

 一人身が少し寂しくて退屈にもなったし、どこかに良い男はいないかなぁって。

 で、どうせならそれなりの生活が保障される貴族の方が良いでしょ?」


つまり、危機に対してしっかりと対応できそうな男の貴族を探して、

そいつと恋愛しようって感じなわけか。

……紀貫之を試そうとした理由は『帝の勅命を受けた』からだそうだけど、

もっと他の事も重視すべきじゃないだろうか?

確かに時代の最高権力者からの命令を受ける立場って、かなり凄いと思う。

でも、若藻さんがあんなおっさんの妻になるってのは、納得できない。

豚に真珠、猫に小判じゃないか?

あんなおっさんじゃ、若藻さんの魅力は引き出せないってヤツですよ。


「とゆーわけで、俺なんかどうすか? 恋愛未熟者なんで、手取り足取りお願いしたい所存!」


俺は『紀貫之は年齢的アレだろ?』と言う理由を出して、若藻さんに一歩近づく。


「ほ、本気?」


若藻さんは一歩後ろに下がって、頬を引きつらせた。

あう。ちょっと唐突に迫りすぎたか? 何か引かれてる?

でも、ここから後戻りしても気まずいだけだろうと思ったんで、俺は畳み掛けることにした。


「マジです。ええ、心の底から本気っす!

 一夜限りの熱い夜を過ごしましょう! もちろん数日間でも可!」


「…………それは当然、私が妖狐と知ってのことよね? 気にしないの?」

「いやー、俺の好きな人も、実は魔族なんで」

「陰陽師のクセに?」

「と言うか、よくよく考えると、今こうして陰陽師をしている理由も、ある意味その人にあるかなぁ、なんて」


多分、メドーサさんに会わなかったら、俺は霊能力にも目覚めなかっただろうし、

GS試験も受けなかっただろうし、美神さんのとこで研修も受けなかったと思う。

そうなると、俺が平安時代に来るはずもないわけで。

やっぱり、メドーサさんは運命の人だったんだなぁ、と思う。

ちなみに若藻さんとの関係は、一夏のアバンチュールとか、何かそんな感じなんで!

やっぱり恋愛経験は、大いに越したことないしね!

少年が立派な大人になるためには、

色んな恋が必要だと何かの本にも書いてあった……と言えば、それっぽく聞こえるだろ?


俺は若藻さんの手を取って、瞳を見つめてみた。

すると若藻さんは苦笑した。

何を考えてのことか分からなかったけど、とりあえず俺もつられて笑ってみる。


「変なヤツね。でも、なかなか面白いわ。ただの馬鹿じゃなくて、見込みのある馬鹿ね」


若藻さんは俺の手から自身の手を離す。

そして、改めて俺の手を握ってきた。


「……じゃ、本命とは別に、しばらく私を囲ってみる?」


艶然と微笑む、若藻さん。

いつだったかメドーサさんも、同じような表情で微笑んでくれたことがあったように思える。

ああ、やっぱりいなぁ。美女の微笑。


俺が若藻さんの笑顔によって、平安時代に来てから最高の至福を感じていると、


「出会え! 出会え! 火と矢を持て! 

 邪気は抑えているが、恐らくあの女は物の怪だ!

 そして、よくやった、高島君! そのまま捕まえるんだ!」


西郷さんの怒声が、配慮も容赦もなく、それをぶち壊してくれた。





…………なにすんだ。あんた……。

馬に蹴られてどっか行ってくれ……。






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