第五話





その日、白竜会道場の前には異様な雰囲気が立ち込めていた。

少女といっていい年頃のメイドを従えた傷だらけの男が、

大きな声でどれだけ自分の人生がバラ色かを説明していたからだ。


「ふっ。羨ましいか、雪之丞! 下らん教会の研修が終わったかと思えば、いきなりの香港の調査だ!

 さらには助手でメイドまでついてくる……メドーサも……いや、メドーサ様も俺のことをやっと認めてくれたようだぜ?

 雪之丞。お前は勘九朗と一緒に、俺が情報を仕入れてくるまで、存分に乳繰り合ってくるがいいさっ! じゃあな、アバヨ!」


アバヨは古いだろう。俺は目の前の男の言葉に、そんなどうでもいい感想を抱く。


そう。俺の目の前で、陰念は喜色満面ではしゃいでいた。

俺はそんな陰念が、ひどく哀れな存在に見えてならなかった。

俺は、小さく息を吐く。肺の中に溜まった負の感情を、何とか押し出していくように。

しかし、陰念はそれをどう勘違いしたのか、『んん〜? 羨ましいか? だが恨むなよ!』などと能天気に騒いでいた。

違う。違うんだ、陰念。俺はお前を羨んで何かいない。哀れんでいるんだ。

そして、お前の力になってやれない自分自身を、不甲斐なく思っているんだ。


「……陰念。これを、持って行け」


先を急ごうとする陰念を、俺は呼び止めた。

そして俺は、薬局にて恥ずかしさを耐えて購入した薬を陰念に手渡す。

それは、桃色の優しい色使いのなされた箱に入っている薬だった。

主な使用用途は、患部に直接塗ることである。

そうすることで痛みを和らげ、そして傷を回復させていくれるのだ。

そしてその患部とは……ケツの穴だ。端的に言えば、痔の薬だ。

恐らく、これが俺に出来るお前への最後の手向けになるだろう。


「おいおいおい? なんだこりゃ? たかが香港だぞ? 痔になるほどフライト時間は長くねぇっつーの」

「いや、いざと言うときのためにだな……」

「ッたく、遠まわしな嫌がらせか、てめえ? もっとましな餞別を用意しろよな!」

「…………まぁ、いらんならいいが」


俺は薬を自身の胸ポケットに押し込んだ。

善意からの品だったのだが……本人が要らないという以上、いたし方がない。

もう、何も言うまい。いや、これ以上は何も言えない。


「よっしゃぁ! それじゃまずは空港に行くぞ!」

「はい♪」


陰念は俺から視線を離すと、後ろに立っていたメイドに声を掛け、その場を後にしようとする。

陰念とメイドは……これから二人で香港に行くことになる。

二人でだ。繰り返すが、香港だ。外国だ。勝手の利かない土地だ。

つまりは――――――……陰念に逃げ場など、ないと言うことだ。

しかし、陰念は何ら気にしない。

外見的には美しい少女であるメイドに、鼻の下を伸ばしている。伸ばし切っている。


「ああ、そういや、お前の名前はなんて言うんだ?」

「私は貴方様に仕えるただのメイドですわ。どうぞ、相応しき名前をお与えください。ご・主・人・様♪」

「ああ、そうだな! よし、エレガントなのを考えてやるぜ! 任せろ! この陰念様に!」

「はい。お願いいたしますね、陰念様」

「いや。俺のことはご主人様と呼べ!」

「はい、ご主人様♪」

「はーっはっはっはぁ!」


どちらが主人だろうか? どちらが相手を手玉に取っているのだろうか?

そもそも名前がないという不自然さに気づけ。フツー有りえんだろう? 名前を付けろって……。

いくらメドーサが用意した人材だとは言え……いや、そうであるからこそ、もっと疑うべきじゃないか、陰念?

俺は軽く手を上げて、陰念を呼び止めようとした。今なら、まだ間に合う。

お前のその隣に立つメイドが、何者なのか。たった5つの音を発音するだけで、伝えることが出来る。

か・ん・く・ろ・う。

ただ、それだけ。難しくなどない。言える。言えるはずだ。呼びなれた名前ですらある。

だが、俺は言えなかった。

メイドが……勘九朗が『言ったら、どうなるか分かってるわよね?』という目で、俺を見ていたからだ。

怪しく光っているようにさえ思える目に、俺の喉はひきつった。

魔眼か? 魔眼なのか、勘九朗? 聞いていないぞ、そんな能力に目覚めたなんて。


「よし。じゃあ、お前の名前はナターシャだ! 俺付きの美少女メイド・ナターシャ! これで決まりだ」

「まぁ、素敵な名前でですわ! ありがとうございます、ご主人様♪」


やがて、陰念と勘九朗……いや、ナターシャは俺の前から姿を消した。

何がナターシャだ。と言うか、勘九朗もメイドと言う役を楽しんでやがる。

あれはもう、ボロは出さないだろう。よほどのことがないと。

それこそ、ベッドの中で最高潮を迎えて、つい緊張の糸が途切れでもしない限りは……。

しかし、それが最悪の事態だろう……。


陰念。香港の調査は、確かにお前のバラ色の人生の始まりにもなりえるだろう。

色んな意味で、バラ色だ。性的な意味で、怪しげな意味でバラ色だ。最悪だ。


陰念。お前はいい友人ではなかったが、悪い友人でもなかった。

お前のことは、忘れないでおくぜ。


そして願わくば、無事に帰って来い。

お前にとっての敵は、メドーサをハメた魔族じゃない。すぐ、隣にいる……。

頑張れよ、陰念。

俺も修行に頑張るぜ……。

お前が香港に行くなら、俺は妙神山だ。



――――――アバヨ。マイ・フレンド――――――

















            第五話         それぞれの目指す先
















陰念に別れを告げてから、数時間が過ぎようとしていた。

アイツらはもう、香港に降り立ったのだろうか?

そんなことを考えながらに、俺は異界の森の中を歩いていた。

何故かは言うまでもないだろう。

六道家においての研修過程を終了させた俺は、めでたくこうして武者修行に出たわけである。


目的地は妙神山だ。これまでとは全く違う神族による鍛錬を積み、俺は新しい階段を上るつもりだ。

そしてゆくゆくは、勘九朗を完膚なきまでに叩きのめしたい。そして、六道冥子をハンデなしで倒したい。

結局、研修中に俺はどちらにも勝つことが出来なかった。

六道冥子には、様々なハンデを貰ったにも関わらず、全敗だった。

試合と言う形式となると、瞬間転移やら亜音速やら雷撃やら石化やら火炎やら……あの12種の式神は手に負えない。

半分の6種でも、それこそ十二分な脅威だ。

試合形式ではなく、日常生活で不意をつけば勝てるかも知れないが……そんな勝利は望まない。

アレだけコテンパンに負けたのだ。やはり試合形式で絶対に一勝はしたい。

と言うか、俺が思うに六道冥子は人間の中で最高クラスだろう。恐らく美神令子より、強いはずだ。

つまり、あいつを倒すことが出来れば、俺はとりあえず人間界最強を名乗ってもいいはずだと思う。


まぁ、とにもかくにも。そのためには妙神山だ。


そんなワケで繰り返すが……俺は今、異界の森を歩いている。

以前、横島は妙神山に行ったことがある。

そして妙神山からこの異界の森を経て、天狗に出会い、白竜会道場へと帰ってきた。

――――――で。俺は、愛子の姐さんの本体である机が壊れた時、

それを治すための薬を求め、天狗に会いにこの異界まで横島とともにやって来たことがある。


つまり、ここから妙神山へは行けるのだ。

紹介状もなければ、妙神山のある場所すら分からん。だが、行けるはずだ。

横島は帰ってきたのだ。よって、俺がその帰り道を逆走して、妙神山に至ることは出来る。

出来るはずだ。出来なければ困る。妙神山で修行して、強くなると亡き友・陰念に誓ったのだから。


「とは言え、こうも森が深いと……まいったぜ」


視界は、緑、緑、緑、茶、緑、茶と言う感じだ。どこまでも森が続いている。

正直、そろそろどちらの方角に向かって行けばいいのかが、分からなくなってきた。

いや、まぁ、最初から分かっていなかったのだが…………むぅ。

異界に入ってしまえば、妙神山までの道のりは半分を過ぎていると考えていたが、やはり甘かったか。

だが、俺は諦めない。この程度で根など上げない。

道がなければ、作ればいいのだ。


「はぁぁぁぁあああああっ! だあぁあっ!!」


右手に力を集中させ、霊波を最大限にまで圧縮し、そして放出する。

そしてその場で綺麗に一回転すれば――――――俺のぶち放った霊波により、森の木々は円形状に姿を消す。

よし、視界が開けたな……。

俺は自身の霊波の威力に満足し、また前進を開始する。


「……随分と派手な音がすると思えば、いつかの人間か」

「――――――天狗か!?」


数歩歩いたところで、俺は頭上から声が掛けられた。

するとそこには天狗が浮いていた。その視線は少々厳しく、俺を睨んでいると言っていい。


「人の立っていた木を、いきなり消すとはなんともはや……」

「ああ、そうか。すまんな」

「まぁ、構わんがな。どれだけ破壊を続けようとも、ここは異界なり。千年暴れまわったところで、木々はなくなりはせん」

「そんなに深いのか、この森は」

「だからこその異界じゃろう。それで、主は何が目的じゃ? また薬か? あるいは知恵が欲しくなったか?」

「アンタに用はないぜ? 俺は妙神山に修行に行くところだ」

「ふぅむ? さようか。また迷うとるのかと思ったが」

「迷ってるぞ?」

「………………何じゃと?」


俺の言葉が意外だったのか、少しだけ天狗の声は間が抜けていた。


「俺は妙神山がどこにあるか知らないからな」

「目的地が分からぬまま、よくもまぁ前に進むものじゃな」

「止まっているのは時間の無駄だ」

「急いてはことを仕損じるとも言うが?」

「……とにかく、俺は妙神山に行く。木を倒して悪かったな」

「構わぬよ。意外といい手だとも言える」

「…………どういうことだ?」

「空間のひずみ。天界に繋がる穴。霊波をぶつければ見つけることが出来るやもな」

「そうか。なるほど、一理あるな」


入り口である穴を、『自由に出られるが、しかし入ることは出来ない』などと言う類の

特殊な結界で塞いでいるならば、霊波砲をぶつければ、普通とは違った手応えなり反応なりを感じることが出来るだろう。

その穴がどこにあるのかは分からないが……しかし、それを探し出すのも修行だ。

自力で入って来れない者には、天界での修行を受ける資格などないと言うことだろう。

あるいは、紹介状があればもっと簡単に行けるのかも知れないが、ないものは仕方ない。


「よし。ここはやはり、手当たり次第絨毯爆撃が如く暴れまわるしかないな」


俺はにやりと口を歪ませる。思えば、思いっきり暴れたのはいつ振りだろうか?

手加減せずに存分に身体を動かせる……それは中々ない機会だ。


「……はっはっは。励め励め。静かな森が騒がしくなるも、また一興!」


俺は天狗の笑い声を受けながら、精神を集中させる。

次の瞬間――――――俺を中心に森が吹き飛んだ。


あぁ、気持ちいいな、この開放感……。


ママ? 俺はこんなにも強くなったぜ?

そして、これからもまだまだ強くなる!




「はあぁぁぁぁぁぁああああっ!!」




……――――――俺からの声と光が、森の一角に満ちた――――――……






      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇






今日の研修を終えた俺は、美神さんの事務所のソファーに腰掛けて、おキヌちゃんの入れてくれたお茶をすすっていた。

フーッと一息ついて部屋の中に視線を巡らすと、美神さんは所長デスクで事務仕事。

そして愛子とおキヌちゃんは姿が見えない……けれど、キッチンからきゃいきゃいと声が響いてくる。夕食作りの最中らしい。

今日の晩飯は何だろう? と言うか『最近は美神さんのところで飯を食うことが多くなったなぁ』などと回想して、ふと気づく。

なんで俺はまだ研修中なんだろう、と。

ちゃんと毎日学校帰りには顔を出し、あるいは学校を休んで研修に精を出しているのに、何故俺はまだ研修生?


「ユッキーもサボ念も研修が終って、サボ念なんか香港旅行だそーっす。よく知らないけど、ユッキーも旅に出たとか」


どこからともなく舞い降りてきた噂を、俺は美神さんに聞かせる。

もっとも、俺が聞かせなくても美神さんもすでに知っているらしく、反応はどうでもよさげなモノしかかえってこなかった。


「へぇ〜。そうなんだ?」


美神さんは事務仕事をしながら……顔も上げずにそう言った。


「俺、あと10件で止まったままなんすけどねー? いつんなったら終るんでしょー?」

「アンタが一人で仕事をやり遂げてないからねー」


ごもっとも。俺が自分一人の力で終わらせた仕事の件数が、100件になったら研修終了。そういう決まりだ。

俺が独力で仕事を終わらせない限り……つまり、美神さんの力を借りた場合、残りの件数は一向に減らないのだ。

それは重々分かっている。分かっているけれど――――――……。


「あの、美神さん。いや、師匠?」

「んー? 何?」

「このまま俺、ずっと研修生のままなんてこと、ないすよね?」


ちょっと真面目に、そう聞いてみた。


「………………な、何言ってんの? そんなことあるわけないでしょ?」


美神さんは、長く沈黙した上に、台詞をかんだ。

もう、怪しんでくださいと言わんばかりだった。

俺はさらに追い込みをかけてみた。

ついさっき、ビルの一室に取り付いた自縛霊との戦闘を思い出しながら……。


「今日の援護、いらなかったと思うんですけど」

「いやー、可愛い横島クンが傷つかないようにって言う、ちょっと過保護な師匠愛よ」

「うわぁ、嘘クセー」

「なによ? 師匠の愛を信じなさい」

「どうせなら、もっと他の種類の愛をください……」

「却下」


美神さんは、今度は沈黙することも、台詞をかむこともなく即答した。

はーふぅー……ちくしょー……。




俺も行きたいなぁ、香港。




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