第七話




人狼の門番二人を抱えて、俺は山道を下る。半ば飛ぶように、木々を避けて進む。

先ほどの遠吠えを受けてか、人狼の里は遠目からでも分かるくらいに喧々としていた。

『子供たちを避難させろ!』やら『戦えるものは前へ!』と言う怒声が、風に乗り、響いてくる。


過去に部外者の侵入を許さなかった、人狼だけの空間。人狼だけが住まう里。

そこに人間が強引に侵入しようと試み、門番をぶち倒してしまった。

そして…………門番は最後の力を振り絞り、里に危険が迫っていることを伝えた。

そうである以上、里は騒がしくなって当然なんだろう。未曾有の大混乱ってやつだ。


……あー、いや、俺も何となく、ヘンだとは思っていたんだぞ? 

着物を着ていたし、刀を構えていたし、尻尾もあったし、鬼っぽくなかったし。

しかし、人狼と闘り合うのは初めてだったからな。

これがまぁ、妙神山の門番なんだろうと、強引に納得してしまったんだ。

…………むぅ。今更何を言おうが、全部言い訳だな。

さっさと里にこいつらを送り届けて、この騒ぎを鎮めんとな。

人狼相手に百人組み手ってのは、いい修行になりそうだが……

さすがに他人の里の平和を乱すのは、俺も本意じゃないぞ。

組み手をするなら、まず相手の了承をとってからだ。

このままじゃ、俺はただの襲撃者であり、極悪人じゃねぇか。


「おい、大丈夫か、お前ら?」

「問題ない。我らのことは気にするな」
「ああ。今は先に進むべきだ」


米俵か何かのように担いでいる門番に、俺は声をかけた。

二人はほぼ同時に声を放ち、俺に更なる加速を促してくる。

遠慮せずにぶつかり合ったんだ。身体に痛みはあるだろう。

俺が早く駆けようとすればするほど、その振動が痛みを増幅させるはずだ。

だが、こいつらは自身の身体より、混乱している里を心配していた。

それは何かを護るべき者としての、気高い姿勢だった。

だからこそ、何と言うか……余計に、罪悪感が湧いてくる。

いや、すまん。俺はお前らに何の恨みもなかったし、勘違いだったんだ。

今となっては、つくづく言い訳でしかないが。


「しかし……どうしたものか」
「ああ。この事態、収めるのは容易ではない」


「……俺に腹を切れとか、言ってくるのか?」


相談しだした門番二人に、俺は額に汗を浮かばせて、そう尋ねる。

勘違いとは言え、門番をぶちのめし、里に混乱を運んだ事実は変わらない。

襲撃者が来たって言う先の遠吠えで、怖さからガタガタ震えるガキとかも、いたかも知れん。

そう言うことを考えると、やっぱり俺は謝罪と責任を取る必要ってのがあるんだろう。

――――――だが、さすがに腹を切れと言われると、困る。

普通なら、そんなことは言われない……と思うが、

しかし、こいつら……武士っぽい格好をしているからな。

しかも、人狼だ。あっさりと切腹とかを要求してくるかも知れん。むぅ、困る。


俺は責任を取るのはやぶさかじゃない……が、しかし腹を切る気まではないのだ。

となれば、こいつらを里に放って、頭を軽く下げて、すぐにここから逃げ去るしかないか?

…………道場破りか何かか、俺は? まぁ、状況から見て、似て非なるものか?

つーか、そのテキトーな謝罪に、意味があるのかと聞かれると、かなり怪しいな……。


「悪いが、俺はまだ死ねんぞ?」


「切腹など、誰も求めはせぬ。我らが求めさせぬ」
「こうなったのは、我らの弱さが一番の要因だ」


「問題は、犬飼だ。我らは、やつに八房を手にする機会を与えてしまった」
「誰か他のものが、八房を手にしていればよいのだが…………」


物憂げに呟きあう門番に、俺には更なる疑問が湧きあがる。

犬飼ってのは、誰なんだ? と言うか、八房って何だ?

八房ってのは、先ほどの会話でも少しだけ出た名前だが――――――


「――――――そう言やぁ、妖刀とか言ってたが、どんな刀なんだ?」


「天才と謳われた刀鍛冶が鍛え上げた、秘宝の刃。それが八房」
「一度振れば、八つの斬撃が飛ぶと伝えられし、無敵の刀だ」


「そりゃ、確かに厄介そうだが、無敵ってのは言い過ぎじゃないか?」


刀は、所詮刀でしかない。いくら手数が多かろうと、遠距離には対応出来ない。

例えば……離れた場所から霊波砲で攻撃されれば、なすすべがないだろう?

仮に銃弾を弾ける腕前であり、なおかつ一度で八つの斬撃を出せたとしても、

こっちは馬鹿でかい『砲』を放つわけだからな。連続でぶちこまれれば、ジリ貧になる。

『そうだろう?』と、俺は抱えている門番二人にそう言った。

ついでとばかりに軽く胸を張り、ふんっと鼻から息を出した。

すると、門番二人は俺と対照的に、静かに息を漏らす。


「八房は妖刀。その刃より力を吸い取ることが出来るのだ」
「お主が霊波の砲を放てば、それを斬りて、自身の力とするだろう」


「霊波砲を斬る……? 洒落にならんぞ、それは」


「だからこそ、人狼の秘宝と呼ばれる刀なのだ」
「八房に斬れぬものなど、この世にはまず存在しない」


「まずってことは、例外もあるのか?」


「同格の霊刀や、神々の持つとされる神剣か」
「あるいは、我らが修行の末に生み出す霊波の刀」


例外がないわけじゃないが、対抗できる武器は簡単には見つけられないってことか。

人狼の秘宝と同じクラスの刀なんて、その辺に転がってはいない。

神剣も同様だ。あぁ、横島のやつが折れたものを持ってたような気もするが……。


「もっとも、我らの霊波刀は八房に斬れぬと言うだけだ」
「実際に対峙すれば、我らは負けることとなるだろう」


「一振りで、自動的に八斬撃が飛ぶから……だな?」


「その通りだ。自身の斬撃も加えれば、一度に九斬撃がこちらを襲うことになる」
「八房に勝つには、敵が最初の一振りを終えるまでに、こちらが相手を斬らねば……」


「スピード勝負ってわけか。面白そうだ」


八房を持った人狼と、一度闘ってみたいもんだ。

事情を説明した後、手合わせを…………いや、試合形式だと、俺の方が不利か?

一対一で対峙した状態からじゃ、初撃を奪うことは難しい。

何しろこっちが下手な攻撃をすりゃ、相手はそれを吸収するらしいし……。

…………むぅ。対戦するとなると、まず霊波刀が使えないとダメか?

つーか、霊波砲が斬れて、霊波刀が斬れないってのが納得がいかんが…………霊波の集束率の差か?

まぁ、どうにしろ問題は、今の俺には霊波刀は発現させられんってことだな。

俺は霊波を、身体から放出するばっかりだ。

刀の形状に留まるよう、集束させることは出来そうにない。

だが、霊波砲は斬れても、より集束した霊波刀が斬れないってんなら、俺の魔装術も斬れないんじゃないか?

充実させた気力を自身の内部で魔力へと転換し、そしてそれを結晶化させ、鎧としていく術。それが魔装術だ。

霊波と魔力と言う、術に用いるものの種類こそ違えど、力が集中していることには変わりないしな。

やっぱり、いっぺん闘ってみたいな。

魔装術があっさりと斬られれば…………それは窮地だ。そして窮地は、望むところだ。

勘九朗には、置いていかれたままだ。あいつは俺の上の段階にいる。

あいつに追いついて、そして完膚なきまでに叩きのめすには、窮地の一つや二つは乗り越えないとな。

俺がもし、今のまま足踏みを続けたら………………いつか、きっと喰われる。絶対に喰われる。

あいつが香港から帰ってくるまでに、俺は強くならなければならない。


「――――――動くな! 里の時を乱す侵入者め!」


考えながらに走っていると、俺の眼前に数人の男が現れた。

全員が手に刀を持っており、かつ鋭い眼光で俺を睨みつけている。


「若き人間よ。おぬしは何を望む? 何を求め、我らが里に?」


男たちの中心に立っているじじいが、俺にそう問いかけてきた。

俺は問いかけには答えず、まず担いでいた二人の門番を降ろすことにした。

門番は地面に足をつけると、ふらつきながらもそのじじいの元へ歩いていく。


「長老。すべては誤解だったのです」
「不甲斐なき我らをお許しください」


「…………どういうことじゃ?」


門番二人の言葉に戸惑うじじい。長老と呼ばれていることから、どうやら一番偉いやつらしい。

ちなみに、周囲に立つ男たちも、刀こそ降ろさないが、かなり戸惑っているようだった。

里に侵攻して来た人間が、あっさりと人質にしていた門番を解放し、

さらに解放された人質が『誤解』などと言ったからだろう。


周囲の目が、状況の説明を求めて俺に突き刺さる。

俺は一度咳払いしてから、そのじじいたちに向かって名を名乗った。


「俺の名前は伊達雪之丞。伝説の修行場である妙神山を目指し、異界の森へと入った。

 だが、俺は紹介状も何も持ってなかったんでな。自分で修行場の位置を探すしかなかった。

 …………で、かすかに術の気配を感じ、それを突破したところで、その二人の門番に遭遇したわけだ。

 妙神山には二人の門番がいると聞いていたし、ああ、これはここが修行場で間違いがないな……と」


俺が簡単に説明を終えると、じじいは頭に手を添え、嘆息した。

ひどく疲れた表情を、その手の下に張り付かせていた。

なお、その背後に控える男たちも、かなり微妙な表情をしていた。


「……それがつまり『誤解』だと言うことじゃな?」


「すまん。勘違いで、あんたらの門番を傷つけた」


「先にも言ったが……謝ることはない、伊達。負けた我らの修行不足」
「ああ。伊達ではなく、本当に好からぬ侵入者であったと思うと……」


謝る俺に、ふっ飛ばされた門番二人がフォローを入れる。

長老のじじいは、そんな二人に『確かに、おぬしらは鈍っておったのかも知れんな』と言った。

そして再び俺の方へと向き直し、話し出した。今度は苦笑が浮かんでいた。


「どこかおかしいとは、思っておったのじゃよ。

 過去に類を見ない危険な侵入者が現れたと言う割には、殺気も敵意も感じられんかったしのう。

 おぬしらが目の前に立つ者がどういう者か、しっかりと把握さえすれば……無用な騒ぎじゃったな?」


「むぅ。まったくもって、申し訳ありません」
「重ね重ね、お詫び申し上げます」


じじいの冷たい言葉と視線に、門番二人は改めて頭を下げた。


「今回の騒ぎは、俺の勘違いのせいだ。そいつらだけが悪いわけじゃない。

 出来れば、何かで罪滅ぼしがしたい。なぁ、何かして欲しいことはないか?

 力仕事とかなら、かなり役に立てると思うんだが」

 
「確かに、我らの見張りを倒すだけの力はあるのじゃ。相応に強かろう。

 じゃが、急遽人手が必要な仕事と言うのも、ないのでな……」


「そうなのか?」


「あえて言えば……我らとしては、部外者には早急に立ち去って欲しいのう。

 ここは人狼の里であり、人間の里ではないのじゃから」


「いるだけで迷惑……か。まぁ、しゃあねぇな。じゃあ、さっさと出て行くさ」


「悪いのう。おぬしは悪い人間ではないと思うが、我らはあまり人間が好かんのじゃ。

 人間は森を切り開き、何もかもを支配しようとし……挙句、その傲慢な心を悔いんからのう」


「――――――じゃあ、俺はこれで……。もう、会うこともないだろうさ」


じじいの説教じみた話を、苦笑交じりに途中で遮り、俺は回れ右をした。

じじいは俺のことを『悪い人間ではない』と言ったが、

俺は異界の森を霊波砲でなぎ倒し、その末にここまでやってきたのだ。

挙句、勘違いの末に、門番の人狼二人に傷を負わせたのだ。

俺は正しく、じじいが嫌う傲慢な人間そのものだろう?

あるいは、今しがた並べられた言葉は、俺に対する皮肉であったのか。

まぁ、反論のしようがないな。今はおとなしく、この場を去ろう。

人狼と手合わせする機会など、そうはない。人狼の里など、知られていないのだから。

同様にその里に秘宝と呼ばれる妖刀があることも、まず知られていない。

出来れば闘ってみたかったのだが……ここでそんなことを頼むわけにもいかん。

それでは、俺は最低な礼儀知らずだ。

自身が迷惑をかけた相手が、出て行くことを望んでいるのだ。さっさと出て行こう。

俺は走ってきた道をなぞるように、歩き進む。

しかし、その歩みは数歩進んだところで、止まった。


――――――背後から、殺気を放たれたのだ。

それは……隠そうともしない、無遠慮な感情の投げつけだった。

















                  第七話      人狼の秘宝――――――その名は八房



















俺は眉を寄せつつ、背後を振り返った。

そこには最初から立っていた数人の男やじじい……そして門番以外に、新たに二人の男が立っていた。

そのうちの一人が持っている刀から、強烈な威圧を感じる。あれが…………八房か?


「長老。この者が悪しき侵入者ですな?」


「いいや、それは誤解じゃった。彼はこの里に災いを運んできたわけではない。

 この里を妙神山、そして監視役をその門番と勘違いし、このような事態になったと言っておる」


「だから言っただろう、犬飼。先の遠吠えは誤報だったのだろうと」


八房を持つ犬飼という人狼に対し、じじいと隣の男が言葉を返す。

犬飼はそれに答えず、ただただ俺を睨みつける。

その身体からは、殺気が放たれている。放たれ続けている。

俺が人間だから。侵入者だから…………じゃないだろうな。

きっとそんなことは、どうでもいいのだろう。

その証拠に、仲間である人狼の『誤解』や『誤報』と言う言葉も、まったく聞いちゃいない。

こいつは、もう、決めているんだ。俺と闘う――――――いや、俺を殺すことを。

正しく、獲物を前にした狼の視線だ。


――――――犬飼。門番のやつらが、問題のあるやつだと言っていたが……。

なるほど、問題のありそうなやつだ。長老であるじじいの言葉すら、まともに受け取らない。

普段からこの調子だとすれば、そりゃ周囲のやつらも犬飼を警戒するだろう。

そして当然、俺も警戒するぞ?

俺は犬飼の殺気を受け流しつつ、身体の奥で自身の力を魔力に変換する。」

そして、相手がいつ飛び掛ってきてもいいように、備えた。


「犬飼。八房を元に戻せ。そして里の皆に異常がなかったことを伝えるのじゃ」


無言のまま俺と睨み合う犬飼に業を煮やしたのか、じじいがそう言った。


「長老。あの者をこのまま里の外に出すおつもりですか?

 あの者がこの人狼の里の位置を他の人間に教えたら、どうするのです?

 ここで口を封じておかねば、必ずや里に災いが起こる…………だから、俺が始末して……」


言葉の途中で笑みを浮かべつつ、犬飼は八房を構えた。


「――――――止めろ、犬飼! 八房を戻せと言われただろう!?」


「黙れ、犬塚! この人間はここで俺に殺されるべきだ!

 俺はこの里のことを、誰よりも考えているのだぞ?」


「それは、単なる口実に過ぎん! お前はただ、人間を殺したいだけだろう!」


犬飼に怒鳴った男……犬塚と言ったか……は、俺と犬飼の間に割って入った。

そして自身の刀を構え、俺を守るような姿勢を見せる。

俺は魔装術を展開しながらに、眼前に立つ犬塚に言った。


「おい、アンタ……邪魔だ。俺は自分の身くらい、自分で守れる」


「八房の恐ろしさを知らぬから、そう言えるのだ! 下がれ、人間!」


「ふんっ。どれだけ凄かろうが、所詮は刀だ。攻撃範囲は――――――」


次の瞬間、俺と犬塚の会話を断ち斬る形で、犬飼から刃が飛来する。

一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ――――――そしてさらに、九つ。

最初の犬飼自身の一振りと、それに呼応して巻き起こる自動の八連斬撃だった。

俺と犬塚は何かに弾かれたかのように、その場から跳躍する。


「…………随分と、攻撃範囲が広いんだな。斬撃が飛ぶのか」


俺と犬塚が元いた場所は、土が抉れ、その背後の木々が倒されていた。

犬飼からは数メートル以上離れており、

かつ犬飼はその場から一歩たりとも動いていないと言うのに……斬撃は届いている。

どうやら俺の予想に反して、遠距離戦にも対応出来るらしい。

さすがは人狼の里の秘宝である妖刀……と言ったところか。

しかも、こちらの遠距離攻撃である霊波砲を、吸収することが出来るそうだ。

――――――かなり、厄介だな。



「くっ……」



苦しそうな声が、どこからか漏れた。ふと隣を見ると、犬塚が肩から血を流していた。

先ほどの犬飼の斬撃を、すべて回避することが出来なかったようだ。

そんな犬塚の姿を見た犬飼は、八房を構えながら嘲笑を漏らす。


「弱くなったな、犬塚。片眼を失ったあの日から、貴様は劣化し続けている」


「…………どうとでも言うがいい。自身の子のために失った眼。後悔はない!」


「そうか? 死に際になっても、そう言えるか?」


犬飼の歪んだ口の端を、犬塚は睨みつける。肩からの血を無視し、刀を構え続けようとする。

どうやら、この程度の負傷でここを引く気はないらしい。


「……悪いが、正直に言って足手まといだ」


俺はそう言い、犬塚の首根っこを掴み、背後へ放り投げた。

俺を守ろうってのは、その意気だけ受け取っておく。

そして実際に守られんのは、辞退させてもらう。

誰かの後ろで縮こまってるのは、俺の性に合わないんでな。

つーか、そもそも怪我をしたやつが、犬飼から俺を守れるはずがないだろ?


俺は視線で、周囲に立っていた人狼に目配せをする。

すると数人が倒れている犬塚に忍び寄り、抱きかかえ、そそくさとその場から移動しだす。


「――――――お、おい、何をする!?」


「怪我人の助けなんざ、いらん。さっさと逃げろ。

 それにこうなったのは、多分俺自身の責任でもある」


「だがっ……!」


「自分の子供でもない俺なんかに、命を張るな」


俺は背後でわめく犬塚(運搬中)には、もう何も言わなかった。

意識は、拡散せずに集中する。ただただ、目の前に立つ犬飼を見やる。

犬飼はどこか……どこかどろりとした粘性を感じさせる瞳をしていた。

犬飼も俺だけを見据えていた。犬塚に対して、興味は失せたらしい。

怪我人を甚振ろうとされても面倒だ。これでいい。

八房を手にする人狼とは、闘ってみたいとも思っていた。ちょうどいい機会だ。


「おかしな術を使うな、貴様は。人間であるはず……だが、魔の気配が濃い」


「そう言う術だ。俺のこの装甲は、伊達じゃないぞ?」


「ふふっ、八房に斬れぬものなどない!」


「なら――――――試してみやがれ、この野郎っ!」


「言われずとも、もとよりそのつもりだ!」



犬飼が、八房を振るう。












――――――刹那のうちに、一筋と……八筋の斬撃が、駆けた――――――













身体を抱えられ、自身の意思とは関係なく、戦いの場から連れ去られようとしている。

その遺憾な事態に、身をよじることで抵抗を試みる。だが、あまり効果はなかった。

手負いの状態では、仲間の拘束を解くことは出来そうにない。

踏ん張ろうにも、こちらの脚は宙に浮いているのだ。

結局、どれだけ動こうが、意味はなかった。

ただただ、自身の身体に怪我の痛みが湧いただけだった。


「くっ、降ろせ! この状況で黙っておれるか! 犬飼はあの人間だけではない!

 やがてこの里を出、外界の人間を狩りに行くはず! 今ここで止めねば!」


そう……そうなのだ。犬飼の危険な思想は、すでに里の一部ではよく知られたことだ。

犬飼は狼王と言う絶大な力を欲しているのだ。

里の平和を守る……あるいは、自然の調和を乱す人間を断罪するなどと言う言葉を

やつは発したこともあった。しかし、そんなものは本音の含まれぬお題目に過ぎない。

あやつはただ、大きな力を欲しているだけだ。

自身より弱きものを生贄に、絶大な力を得て、それを振るうことを望んでいるだけだ。

そしてその機会を、今か今かと、ずっと待っていたのだ。

何とも性根の腐った…………武士の風上にも置けぬやつだ。

だからこそ、あの恥さらしを、この里から出してはならぬのだ。


「長老、このままでよいのですか! 犬飼は狼王の復活を目論んでいるのですぞ!」


先を進んでいる長老に向かい怒声を発すると、こちらを抑える手の力が少しだけ弱まった。

どうやら、仲間内にも現状に対して、動揺はあるようだ。


その隙を突き、身をよじることで地面に足をつける。

そして、長老の眼前へと進み出た。

長老は物憂げな表情で、こちらを見やった。


「確かに、太古の魔獣を目覚めさせたところで、我らに何ら益はなかろう……。

 だが、八房相手では、我らに勝ち目は薄い。おぬしでも、やはり勝てぬだろう?

 ただでさえ少ない人狼を、これ以上減らすわけにはいかんのじゃ。

 犬塚、分かれ……。我らは今、退くべきなのじゃ」


「死者が出ることを知った上で、座すと言うのですか!? それのどこが武士かっ!」


「しかし、そうは言ってもじゃな、犬塚……」


動こうとしない長老。動こうとしない仲間。

門番の二人だけが、かすかに身じろぎした。


…………確かに自身の胸中を顧みれば、人間に対して思うことはある。ないはずがない。

人間は人狼を神として崇めたこともあったが、その状況は時代とともに変わった。

そして最後には、対立し……決別した。

だからこそ、人狼は今こうして深い森の奥で暮らしているのだ。


――――――だが、過去に決別しあったからと言って、今動かずにいていいのか?

今この時にも、あの若い人間は、犬飼に殺されているかも知れんのだ。

伝説に聞く妙神山を目指し、ここをそうであると勘違いしたという事実は、なんとも間が抜けている。

だが、自己を高めようという心があり、さらにはそれを実践しているのだ。

人間であり、我らと同じ人狼ではない。

だが、我らと同じ人狼である犬飼などより、よほど褒められた存在ではないだろうか?

少なくとも、修行により力を得ようと言う心意気があれば、

安易に狼王の復活を目論みなど、しなかったはずなのだから。


「……例え一人でも、行かせて頂く」


「おぬしが行っても、どうにもならぬかも知れぬぞ」


「それでも、やはり座して待つわけには行きません」


先に犬飼との会話で、片眼を失ったことが惜しくないと言ったからだろうか?

彼はこちらに向かって『自分の子供でもない俺なんかに、命を張るな』と言った。

あぁ、もっともだ。自分の子供どころか、知り合って間がない間柄だろう。

だが、それでも見捨てるわけには行かない。

仮に見捨てれば……自身の誇りや、信念や、矜持というものを汚す。


敵わないからと、一人の人間を見捨てる父。子はそんな父を、どう思う?

――――――我が子に胸を張れなくなる。それは、許容出来ぬのだ。

言わねば、分からぬ? 子に嘘をつくのか? それもやはり、許容出来ぬ。


「止めても、無駄なようじゃな」


長老の言葉に、こくりと首を縦に振る。それから着物を破って、肩に巻きつけた。

すでに血は止まっているが、しかし完治には程遠い。

月が出ていれば、もう少し回復しただろうが…………。

いや、月が出ていれば、犬飼と八房の力も上がる。下手をすれば、斬り落とされていただろう。

手負いの状態で、どれだけ犬飼に対抗出来るかは分からん。だが、やるだけやろう。

あの若い人間は、足手まといだと言った。そうならぬよう、気をつけようではないか。

二十も生きていなさそうな若造め。修行の末に手に入れた我が力、見せてやろう。

これでも、天狗と対等に渡り合ったのだ。相応の自負がある。仮に、手負いでもな。


「――――――父上!」


傷の具合を確かめてから、あの若者…………名前すら知らぬ人間の援護に、向かおうとする。

すると、そこで近くの草が揺れ、着物を汚した子供……我が子、犬塚シロが姿を現した。


避難しろと言う令が出たと言うのに、勝手に抜け出してきたのだろうか?

おそらく、そうなのだろう。

さらには、無断で家から拝借してきたのだろう。不釣合いな刀を抱えていた。


「シロ……どうして、ここに?」


「何かが起こっているなら、拙者も役に立ちたいと……」


一応、どうしてこの場に来たのかを尋ねてみる。

返ってきた答えは、予想の範疇に収まるものだった。

元気と勇気が人一倍ある子だが……そのせいで、少々向こう見ずなところがある。

そこが、玉に瑕だな。まぁ、子は元気に越したことはないのだが。


「半人前以下の子供が、何を言うか。今はおとなしくしておれ」


こちらの言葉に、私の子であるシロは、しゅんと頭を垂れた。

ついでに言えば、その尻尾も同じように垂れ下がった。

あまり強く声を発したつもりはないが、これから戦うと言うことで、殺気が零れたのかもしれない。


「――――――シロ。その手に持つ刀は?」


こちらの殺気に触れ、可哀相なくらいに怯えたシロに、出来る限り優しい口調で呟いた。


「あ、あ、はい、父上! 蔵の中から持ってきて……」


「ふむ。借りよう。代えはあって困らぬ。敵は強敵ゆえな。よいか?」


我が子の前に手を伸ばし、その刀を催促する。

シロはおずおずと、こちらの手の上に刀を乗せた。


八房相手に二刀がどこまで通じるか分からぬが、戦法は多い方がよい。

刀が一本では切り抜けられぬ状況も、二本ならば、あるいは…………ということもある。


「シロ、助かった。礼を言うぞ」


「は、はい、父上!」


褒められたことが嬉しいのか……。

現金なものだ。落ち込んだ烏が、もう笑っている。

軽く口の端に笑みを浮かべ、シロの頭を撫でた。


「では、行ってくる。お前は待っていろ」


「あ、は、はい! 父上も、お気をつけて!」


我が子の声援に、笑みを浮かべる。

ああ、気力は充実した。


さぁ…………いざ、往かん。

待っていろ、犬飼。

貴様の野望など、この犬塚が打ち砕いてやろう。


何かを殺すことで力を得ることなど、誰にも認められぬと言うことを教えてやる!


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