第十二話



周辺を警戒している間の時間は、ひどくゆっくりと流れているように感じられる。

別段、気を抜いているわけではない。

実際に私は、気の警戒網をしっかりと張り巡らせている。

ただ、その警戒網に不穏な気配が引っかからない上に、この土地は私の生まれ育った場所。

身近だと思える気に満たされた場所であるからこそ、気をめぐらせても、大きな疲労感を感じない。

それどころか、ついつい安心感を覚えてしまう。

だから……警戒中ではあるが、時間がゆったり流れていくように感じる。


(可奈子。浦島可奈子か。浦島……)


私は視線を近くに佇む少女に向けつつ、思考を展開する。


今回は突然の命による帰郷であり、色々と慌しくはあった。

だが、いざ京都についてみれば、なんとも言いがたい懐かしさも感じた。

以前なら、懐かしさ以上に、居たたまれなさを感じていたのかも知れないのにな。

何しろ私は、自分がこの家には居てはいけないと思うようにすら、なっていたから。


(精神修養のために、外の世界を知れ、か)


私は能力的に落ちこぼれであり、誰からも期待されていないのかと思っていた。

外に出て、寮に入り、そしてそこで生活しろと言うのは、

落ちこぼれを厄介払いしたいからではないかと、そう考えたこともあった。


多分、必要以上に私がそう感じていたのは、姉上がいたから。


姉上のことは、決して嫌いではない。好きだと断言できるし、尊敬もしている。

だけれども……姉上の能力は私の比ではない。象と蟻の大きさの差など、測るまでもないのだから。

誰が見ても象は大きいし、蟻は小さい。

蟻の中では大きな蟻の場合でも、象の中では小さい象にすら、全然敵わないほど小さい。

そう。姉上は神鳴流がこれまで輩出した者の中でも、最高域の存在だと言われている。

その姉上が結婚した。まだまだお若いのに。

そして私は、姉上の結婚の儀の後、程なくして実家から旅立たされた。

もちろん、強制ではなかった。命令ではなく、それは提案だった。

だから、家を出たのは私の意思であると言えば、確かに私の意思であった。


何故、私は家を出たのか。それは、私が一つの想像をしてしまったからだ。


姉上は結婚した。結婚相手も、私と比べるまでもない強力な存在。

お二人の息子……あるいは娘の才能は、どれほどのものになるだろう?

神鳴流は結婚すれば、継承権を失うことになる。

したがって、姉上が継ぐ筈だった神鳴流は、私が継ぐことになる。


……現在継承者である私を、何処か外界へと追いやり、

お二人の子を次期継承者として、教育していくつもりではないのだろうか?

姉上がそんなことを考えるとは、思えない。思いたくない。

しかし、人の精神の動きは、はっきりと見据えることが出来ない。


…………私は、落ちこぼれで、邪魔者なのだろうか?


一度湧き上がったそんな想像は、私の心にこびり付いて、離れることがなかった。

もしかしなくとも、姉上や父上が指摘する私の心の弱さとは、下らない想像に悩まされるまさにその部分。

気になったのなら、正面から聞けばいいのに、聞く度胸もない。

ただただ、自分の中の想像に怯え、自分で自分を追い込み続ける。

結果、剣に迷いが出る。その迷いの出る剣を素振って、自分は修行をしていると自己満足する。


私のその考えが変化しだしたのは、ひなた荘で浦島と出会ってからだ。

周囲からは『親から追い出された』と言われる浦島。

しかし、やつは『自分の成すべきことのために、家を出た』と言う。

それは強がりではなくて、純然たる事実を告げる口調だった。

浦島と私は、年はそう変らない。しかし、浦島はひどく老練された存在のように感じた。

人と人との距離を実に的確に保ち、常に一歩後ろから、ひなた荘の人間を見守っていた。

あと数年で、私はあそこまで落ち着いた精神を、手に入れることが出来るのだろうか?

浦島は、そこに至るまでに多くのものを置いて、捨てたと言うけれど……。


そんな浦島は、動くべき時期が来たと言い、ひなた荘を出た。

そこからだ。私が本格的に前へ進むことが出来たのは。

私とそう年の変らない浦島が、何かの目標を達するために生きている。

それを感じてしまっては、ただの想像に悩んで前に進めない自分が、ひどく馬鹿らしく思えた。

だから、私は前に進もうとした。

前に進もうとして、心をきちんと構えることが出来たから、

突然の帰郷の命にも、慌てることなく落ち着いて受け止めることが出来た。


そして、屋敷についてみれば、懐かしいと感じるまでに至った。

おどおどと父上や姉上の顔色をうかがうことも、もうない。

私は与えられた今回のこの任務、しっかりとこなして見せる。

姉上や父上に自分の成長を見てもらうために、ではない。

そう思う気持ちが全くないわけではなけれど、しかし、違う。

私が与えられた任務を遂行するのは、自分のため。

私はいつか、姉上を越える術者になる。

そのために、一つ一つ、任務をこなしていくのだ。的確に、確実に。


「そう決心したと言うのに……人生は試練に事欠かない」


自分とパートナーを組むことになった少女は、いきなり姿を消した気になる人間と、同じ苗字。

これは、どんな状況でも任務に集中できるかどうかを、誰かが試しているのではないかと、そう思えてくる。


「? 何がですか?」

「なんでもない、可奈子」

「………そう言えば、素子さんって、私のこと名前で呼んでくれるんですね」

「おかしいか?」

「いえ。ただ会って間もない人を、ファーストネームを呼ぶタイプには見えなかったと言うか」


私の言葉に呼応する少女。

まぁ、確かに。私は簡単に人を名では呼ばない。

いや、普通の日本人ならば、会った瞬間からファーストネームで呼ぶ人間の方が、少ないのかも知れない。

建前と本音を有し、近しくなれば本音を明かすのが日本人と言うものなのだ。

そして私も日本人であり、その類。親しくなれば、名で呼ぶ。それまでは、苗字で相手を呼ぶ。


だが……先ほどから胸中で何度も呼んでみているが、可奈子の苗字は浦島と言うのだ。

どうにも、しっくりと来ない。浦島は浦島であり…………そう、つまりは先入観とでも言うのか。

私にとって浦島と言う呼称は、あの浦島に適応されるものであり、可奈子には適応されないのだ。


(単なる同姓と言う可能性も、あるにはあるが……)


浦島。あの浦島なのだろうか? 

質問してみたいが、もしそうであった場合……

……可奈子と浦島が兄妹であった場合、彼女はどう言った対応を取るだろうか?

自分から追い出されたと言う浦島。

そして浦島よりは年下であると思われる、浦島流柔術正統後継者。

浦島の表の顔は、そこそこ有名な和菓子屋なのだから、

なる先輩が浦島を『いいところの坊ちゃん』と評したことと、合致すると言えばする。


(追い出したとか何とか言われる以上、ゴタゴタしていたのは確かだろうし)


結局、私は可奈子に浦島のことを問うのを止めた。

そして、その悩みを取り敢えずは意識しないよう、胸中の奥底に追いやる。

正直なところ……確証はないが、私は浦島と可奈子が兄妹であると、確信してしまっている。

浦島と言う苗字が珍しいと言うものあるが、それ以上に……なんだろう? 

勘でしかないが……今ここで聞けば、可奈子が何かしら取り乱すような気がしてならない。


まぁ、これから何者かが侵入してくるかも知れず、そしてその者と戦闘になるのかもしれないのだ。

下手に波風を立てる必要はないだろう。


「………っ! 来たな」

「どうやら、そのようですね」


私が考えをまとめるのを見計らったかのように、私たちの警戒網に、何者かが侵入する。

強い敵意や邪気は感じない。だが……どこか、そう、これは……使命感か?

何らかの意思は感じる。少なくとも、侵入者は遠隔操作の機械でも、誰かに操られた人形・式神でもない

確固たる意思を持った、人間だ。

そして敵意と邪気が微塵も感じられないことから、侵入理由は単純な怨恨の類ではなさそうだ。


しかし……それにしても、何故殴りこむかのような侵入をするのだろう?

手違いにより見つかったと言うならば、意外と抜けているのかも知れない。

だが、仮にわざわざ見つかるように動いたとなれば……突破する自信があると?

まぁ、犯行予告的な情報を流したかも知れないのだ。自信はあるのだろうが……。


「なんにしろ、確かに厄介そうな相手だな」

「…………ですね」


私は可奈子と頷きあうと、その場で脚を折り、飛び上がる。

賊が侵入してきた気配の方角を見やりつつ、屋敷の屋根に上って、瓦の上を駆ける。

ある程度距離を稼いだ後に、目を凝らす。まだまだ遠いが、全く見えないわけではなかった。

小さな人形のような何かが、空に伸びる緑色の線の間を踊っている。


「ちっ。夜間の迷彩効果の狙った服装か。視認しづらいな」

「……………あっ」


黒い服装をしているらしい侵入者に悪態を吐く私に対し、可奈子はただ意味のない音を漏らす。


「まさか………もしかして……」

「? 何が、まさかだ?」

「あっ、いえ。あの、なんでもありません」


可奈子はあの黒尽くめに、心当たりがあるのだろうか?

まぁ、独自の情報網を持つ浦島家だ。

彼女は彼女で、何らかの情報を手にしてから、ここに来たのかも知れない。


「なっ!? なんだ、今のは?」


可奈子の反応に私は少し戸惑いを覚えたが、それもすぐに打ち消すことになった。

黒尽くめは突然動きを止めたかと思うと、やつに向かって伸びた緑光が、曲がったのだ。

…………有り得ない。光を屈折させるには……いや、あれは屈折と言う感じではない。


なんなのだろう? 

わけが分からないが、とにかくやつに光線は通用しないらしい。

その時点であの場に居る火器を持たない警備は、ほぼ無力化されたのと同義だが、

しかし彼らは、充分にその役目を果たしたと言えた。

足止めされた侵入者の下に、姉上が到着したのだ。


「速い。さすがですね」

「姉上だからな」


私は少しばかり自慢げに答える。

そしてそんな私を嘲笑うかのように、侵入者は剣を振るった。


「あれは、岩斬剣?」

「………神鳴流の流れを汲む攻撃ですか?」

「基本の技の一つだ。しかしあれは……私より少し錬度が高いように思える」


神鳴流は、誰もがおいそれと学ぶことが出来る流派ではない。

仮に学ぶ機会があったとしても、そう簡単には習得できはしない。

私とて、幼少の頃より修行を積んだからこそ、一通りの技を使えるのだ。

…………流派内に、裏切り者が?

屋敷内部のことを知る何者かが、自己の益を得る為に、謀反を起こした?

しかし、本家の子の私ですら、天照のことはよく知らない。

それを知るとなると、かなりの高位の存在となる。

だが、今回の襲撃前に一族の会議が開かれた時、流派内の高位の存在の方々は、軒並み議場に居たはず。

あるいは、その会議の席ですら、我々を謀っていたのだろうか?

姉上や父上たちですら、それを見抜けなかった?


思考を展開するだけの余裕は、そこまでだった。

突如として、その侵入者の姿が消えたかと思うと、

それまで居た場所からはるか彼方……むしろ、遠距離から見守っていた私たちに近い位置に、侵入者はいきなり出現する。

かと思えば、それまでやつの居た場所は、天空から大きなハンマーで潰されたかのように、ぼこりと陥没する。

なんなんだ、あれは? どのような術だ? どうやって発動させた? 

瞬間移動的な術は、存在する。しかし、それはあくまで極めて短距離の話だ。

障害物をすべて無視し、500m以上の距離を移動する術を、私は知らない。


「あ、姉上が、負けた?」

「素子さん、追いましょう! 今ここにいる私たちなら、追いつけます!」

「あ、ああ」


私は可奈子の言葉に、何とか相槌を打つ。姉上がどうなったか、気になる。

だが、今この場から姉上の元に向かえば、間違いなく侵入者を取り逃がしてしまう。

それに……姉上が殺られたとは思わない。

何しろ、姉上どころか、多くの人間の気配が、一応感じられるのだから。

死んではいない。生きている。ならば今は、追跡を優先するべきだ。

私たちに止められるかどうか、正直怪しいところだが。


「あんな移動が出来るにもかかわらず、最初から使わなかった」


走り出すと、可奈子が正面から視線を外さずに話し出す。


「つまり、何らかの制限があるのだと思います。使用回数か、距離か」

「便利には使えない。だから、最初に兵を集めて、一気に……か?」

「あれは、人を倒すことに喜びを感じるタイプではありません」

「確かに、邪気は感じなかった」

「なら、理由があって、合理的に行動している可能性が高いでしょう?」


可奈子はそう言い、唇を噛んだ。


「理由があるはずなんです。絶対」


口の端から血を零し、そして開かれた可奈子の口。

私には、彼女が泣いている様に、見えた。







 





            第十二話      天照宮、崩壊












表現し辛い疲労感が、俺の身体を覆う。

跳躍による疲労は運動などによる疲労とは違い、ひどく独特なものだ。

もちろん、鶴子さんと正面きって戦えば、この程度の疲労ではすまない。

また、俺の身体を蝕むナノマシンが起こす発作に比べれば、多少のだるさなどは可愛いものだ。

だから俺は、体が発信する休憩要請を無視し、脚を進める。

…………どのみち、もう動けないレベルの疲労や怪我であっても、進まなければならないのだ。

今日で、全てを終えなければならないのだから。足を止めるわけにはいかない。

ここで足を止めれば、間違いなく面倒なことにしかならない。


『マスター。後方より、急速接近物2』

「素子ちゃんと、誰かか」


俺は歩みを止め、背後を振り返る。

すると、俺の後方10数mの位置に、空から二人の少女が舞い降りる。

一人は俺が呟いたとおりに素子ちゃん。そしてもう一人は……いささか、予想外の人物だった。


可奈子。


そうか。浦島のほうにも話が行ったのか。

俺は嬉々として要請を受けたであろう親父を想像しつつ、可奈子を見やる。

可奈子はうすうす俺の正体に気がついているのか、その視線は素子ちゃんとは別の意味で厳しい。


可奈子。この時代の可奈子。そして、俺がもといた時代の可奈子。

どの可奈子にも、俺は迷惑をかけることになるのか……。


だが、これも例に漏れず考えても栓のないことだ。

後悔や反省は、今すべきことではないのだから。

一番の問題である鶴子さんは潰したが、他にも多くの有力者がいるのがこの屋敷。

この二人は俺より格下であり、ある程度の余裕をもって倒せるだろうが……

だが、その時間も惜しい。

時間をかければ、鶴子さんが回復してしまうという、厄介な事態になりかねない。

可奈子から視線を離し、俺は足を上げる。


「止まってください」

「…………」


震える可奈子の声。だが、俺は止まらない。


「なら、力づくで止めます!」

「無駄だ」


可奈子が両腕を交差させ、振り下ろす。

するとその手の中には、いつの間ににやら荒縄が納まっていた。

その荒縄は、先ほど俺に伸びた光のように、実に直線的に俺へと突き進む。

可奈子お得意の捕縛術。だが、俺の呟きが示すように、無駄だった。

縄は見えない何かによって捻じ曲げられ、俺には届かない。


「ならば、岩斬剣」

「無駄だと言うのに……」


背後で剣を振るう素子ちゃんを無視し、俺は歩く。

二人とも俺を警戒してか、ある程度の距離を置いてしか攻撃をしてこない。

そんな攻撃など、フィールド出力を少々上げるだけで、楽に対応できる。

もちろん零距離まで接近して攻撃をしてくれば、俺のフィールドを破ることは出来るだろう。

そう、この時期の素子ちゃんが使えるかどうかは分からないが、

奥義である雷の光の剣を使えば、間違いなく俺に大ダメージを与えられる。。

だが、してこない。あるいは、やはりまだ使えないのか。


俺は二人を無視し、どんどん進んでいく。

砂利を踏みしめ、庭園内に現れる鳥居をくぐり、扉を開ける。

屋敷の中でも別格な寝殿造りの建物。

その内部……天照の第一層に、俺は侵入を果たした。


内部の風景は……白い壁に、赤い柱と言う、何処か神社然としていた。

まぁ、天照と呼称される場所なのだから、間違いなく神の宿る社なのだが。

数歩歩くごとに、扉は俺の前に現れる。俺はその扉と開けていく。

開かないものは、刀をもって、斬り裂く。

扉を開けるごとに、足元が僅かに傾斜していく。そして、やがて階段に到達する。


地下。何を隠すにも、地上より地下。

それが古代からのものであるならば、余計である。


俺は特に感慨もなく、その階段を下りていく。

後ろから二人もついて来ているが、こちらに攻撃はしてこない。

俺に攻撃をして、天照の内部を破壊してしまうことを恐れているのか。

あるいは、天照内部の独特の雰囲気に飲まれているのか。


……………近い。間違いない。俺の体が、震える。共振・共鳴している。


「見るのは、勝手だ」

「…………っ」

「………………」


一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚、七枚、八枚、九枚。

全ての扉を……重厚なものだろうが、呪術的な防壁だろうが……開き、破壊し、

そして最後の扉をも、俺は突き抜ける。

ようやくたどり着いたそこは、実に狭い部屋だった。

畳で言えば、八畳程度の部屋。

その部屋の中心に、キューブ状態の遺跡……微小機械群が浮かんでいる。

浮かんでいると言うことは、間違いなく『稼動中』である証拠だった。


部屋の入り口で固まる二人を尻目に、俺はそれを掴み取る。

………回収終了。

あとは、この遺跡とこれまで収集した全ての遺跡を始末すれば、それで終りだ。


「………………?」


不意に、気配が湧いた。俺は遺跡をバックパックにしまいこみつつ、後ろを振り返る。


「っ! 可奈子! 素子ちゃん! 避けろっ!」

「なっ!?」


部屋の入り口……可奈子と素子ちゃんの背後に、いつの間にか一人の人間が立っていた。

室内の三人の中では、一番最初にその存在に気づいた俺が、声を張り上げる。

俺の正体に予想がついていたらしい可奈子は、すぐさまその指示に従い、その身を前転させる。

しかし、その場で戸惑ったまま固まる素子ちゃんに、その人間が剣を向ける。


「っ!」


敵意を向けられ、ようやく背後の存在に気づいた素子ちゃん。

それでも全ては刹那の出来事であり、充分に速い反応速度だった。

しかし……今この場に置いては、遅すぎた。

その人間の振るった剣の刃は、

回避しようと背後に向かって半身の構えを取った素子ちゃんの、左腕と左足太ももを薄く裂いた。


「ぅあっ……」


しかし、遅くとも回避行動を取ろうとしたおかげか、致命傷にはならなかったようだ。

素子ちゃんは転がり、追撃をかけようとするその人間から距離を取る。

俺は近くに転がってきた素子ちゃんを庇い、前に出る。


「お前らは関係ない。さっさと逃げろ」

「……その声、お兄ちゃんですよね? やっぱり、お兄ちゃんでしょう!?」

「そいつを連れて逃げろ」

「お兄ちゃんだから、今も『可奈子』って!」


俺は可奈子には取り合わず、ひなを手に突如現れたその人間に切りかかる。

その人間……不気味な眼光を灯しており、

その身はなにやら特殊な繊維で出来ているらしいスーツに覆われていた。

俺は先ほど、そいつが手にしている武器を剣と称したが、よくよく見れば、長いナイフであった。

グルカナイフ……いや、少し違う。何だろうか? 

まぁ、何であろうと別にどうでもいい。敵が持つ武器には変わりないのだから。


その敵は、俺の剣をナイフで受け、そして弾く。

俺は弾かれるままに後退し、距離を取った。

位置関係は、突っ立つ可奈子、地面で怪我を押さえようとする素子ちゃん、

そして二人を庇う俺に、入り口でこちらを見やる敵……。

俺が攻撃する前の状態と、少しも変らないものに戻っている。

ふむ。この状況では、少々戦い辛いな。


それにしても、この敵は何処かに所属しているエージェントか?

ラズの素体が開発されていたこと。

また、様々な機関や組織で、遺跡の一部が解析されようとしていたこと。

それらのことから考えれば、今日この騒ぎに便乗して、

天照の宝を手に入れようと動く者がいてもおかしくはない。

俺は情報操作により、青山に今日と言う日を警戒させたが、それは完璧ではない。

青山以外の者に、俺の流す情報を聞き取られる可能性は、大いにあるのだ。


…………黒マントに草で編んだ笠をつけた男。俺を地獄に連れて行った男。

あいつも独立研究機関の特殊ラボに所属していたエージェントだったな。

この時代では、いつくかのラボを潰しても、会いはしなかった。

まだ遺跡関係の任務についていないだけか、

それともこの世界では、そういう類の仕事をそもそもしていないのか。

出来れば、後者であってほしいものだ。


「お前は誰だ?」

「…………」


どうやら、答える気はないらしい。

まぁ、ぺらぺらと喋るプロと言うのも、おかしな話だがな。

そう。冥土の土産なんてものは、もらえないのが相場だ。

事実、俺はこれまで殺してきた人間に、土産をやったことなどない。


俺が刀を構え、敵は大型のナイフを構える。

にらみ合いは、さほど長い時間ではなかった。

そのはずだが……敵の背後からは気配がどんどんと増えていく。

どうやら鶴子さんや青山の人間ではないようだ。そういう気配ではない。

気があまり充実しておらず、どこか無機質な印象を受けることから、この敵の援軍らしい。

敵が喋らずとも、この部屋の音声は何処かに流れでもしているのだろう。

つまり、もうすぐ入り口から大量の敵が入ってくると言うことだ。

狭いこの室内。敵がなだれ込んでくれば、こちらが負けるのは目に見えている。


俺がちっと舌打ちすると、敵は笑ったようだった。

それは目に見えた表情の変化ではなかったが……空気が変ったのだ。

ここまで案内してくれてありがとうと、敵はそう言いたげだった。

奴の頭の中では、俺と可奈子たちがこの内部で激戦の末にともに果て、

そして宝は戦いの最中に紛失し、行方が知れないというストーリーが組み上がっていたのかもしれない。


「多勢に無勢だな。逃げ場もない」


俺は足元に倒れる素子ちゃんの肩をつかみ、立たせる。

そして背後に立つ可奈子の隣に立ち、可奈子の肩に手を回す。


「浦島……なのか? お前は」


素子ちゃんが戸惑いながら聞いてくるが、俺は答えなかった。

答える必要はない。今は、この状況を乗り切ることが重要だ。

敵はこちらを殺す気らしいし……普通ならば、まず生き残れないだろう。

何しろ、今の俺たちは火炎瓶一つに右往左往しなければならないほど狭い場所にいるのだ。

繰り返すが、まともに戦えるはずがなく、状況は絶望的なのだ。


(とは言え、反則技があるんだがな)


俺はそのまま数歩後ろに下がり、距離を取る。

そして、自分と可奈子と素子ちゃんの体を、フィールドの圏内に収める。


「ラズ、グラビティ・ブラストを発射用意! 手加減はいらない! 天照ごと、半径100mを潰せ!」

『ケイ、でも脱出はどうするのですか?』


俺の叫びに、ラズがインカムを通して言葉を返してくる。


「問題ない! やれ! 3、2、1……」


一人で跳べるのだ。少しぐらい人数が増えたところで、跳べないはずがない。

さすがに1000人などと言う人数になると、『跳べる』と言うイメージが湧かないが、

2人や3人ならば、十分『一緒に跳べる』と思える範囲である。


また、他にも跳べるであろうと言う根拠を挙げるのであれば、

跳躍の詳しい原理は不明だが……服や装備も、一緒に跳んだことがある……というのが上げられる。

そう、俺が『一緒に跳びたい』あるいは『跳んで当然』だと思うものは、ともに跳ぶはずなのだ。

どこからどこまでが俺とともに跳ぶのか。

それは俺の周りに囲わせたフィールドの範囲で、具体的にイメージすることも出来るしな。


「……ゼロッ!」


その俺の言葉。

それを合図に、天井部分に強大な圧力を感じる。

まるで地震のような、強烈な大地を壊す圧力。

戸惑う敵。俺は敵に対してニヤリと笑ってから、一瞬で『外』のイメージを組み上げる。


(イメージ、イメージ……外。青山の屋敷……庭……そして)


空は夜。ここから離れた場所……ラズのいる場所。高台。森。土。




(ジャンプ……)




そして俺は、また、跳んだ……。

視界が歪む瞬間、崩れた天井の破片に押しつぶされる敵が、見えた気がした。





            ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





お兄ちゃんが、私の肩に手を回した。

いや、正しくはお兄ちゃんだと思われる人。

この人の気配は、昔から感じたことのあるはずのもの。

でも、何処かが違う。昔からずっと馴染みのある……あの穏やかな気配じゃない。

もっとも、今のこの雰囲気は、出て行く前のお兄ちゃんから感じたことは、あった。


…………結局、分からない。この人は、誰?

有るまじきことだけれど、私はこの時、天照防衛なんて、ほとんど頭から消えうせていた。

気になるのは、私の目の前を歩く黒い服の男の人のことだけだった。


声はお兄ちゃん。気配も、どうやらお兄ちゃんらしい。

でも、お兄ちゃんは刀を振らない。瞬間移動も出来ない。『お前らは関係ない』なんて、言わない。

そもそも私の縄を回避できるはずがない。

お兄ちゃんは打たれ強くはあるけれど、俊敏とは言えない人だったはずだから。

この人はお兄ちゃんじゃない? 他の人? 悪い人?

天照の中にある何か。それを奪取するために襲来した、極悪非道な犯罪者?

でも、この人は攻撃をされそうになった私と素子さんに、回避を促そうとした。


(この人は、誰?)


素子さんと屋根の上で、その姿を見た瞬間、遠目ながらに『お兄ちゃんでは?』と思った。

何故と聞かれても、分からない。直感的な閃き、とでも言えばいいのか……。

その時点ではまだ確信も確証なんてなかった。

そして屋根から飛び降りて、その正面に立った時は『やはり』と思った。確信が湧いた。


……よくよく考えれば、直感で『そうだ』と感じたことに、確証なんて要らないのかも知れない。

確信さえあれば、確証なんてなくても、私にとっては真実になるのだから。

分かりやすく、断言してしまおう。

私はこの人を『お兄ちゃんだ』と、そう感じたのだ。そうではないとは、もう思う気がなくなったのだ。


(……? あれ?)


お兄ちゃんに肩を抱かれて戸惑って……何がなんだか混乱して……。



ふと気がつくと、私は森の中に立っていた。



首をかしげて視線を右に向けると、木々の隙間から、夜の京都の街が見えた。

なら、ここは山の中腹なのかも知れない。視線が平地のそれより、うんと高いから。


「あっ!」


視線をさらに動かしていくと、青山の屋敷らしき建物を見つけることが出来た。

まるで隕石か何かが落ちたかのような、大きなクレーターが出来ていた。

この大穴……らしいところからは、もうもうと土煙が上がっている。


そう。そうだった。

私の肩を抱いた人がお兄ちゃんかどうかと言うことも、とても大事なことだった。

でも、それと同じくらい重要なことがあった。

それは……私たちは今まで天照の中に居たはずなのに、何故こんなところに立っているかと言う事。

視界が歪むその瞬間、私は確かに頭の上……地上に大きな力を感じた。

あのわけの分からない力の気配が……えっと、あのクレーターになって

その……つまりは、あの力が引き起こした、その結果がクレーター?

ああ、まだ私の頭は、どうやら混乱したままらしい。


「範囲を限定して出力を限界まで上げれば、海溝クラスの深淵をあけることが出来そうだな」

「本当によかったのですか? 海溝とは行かないまでも、かなり深い穴が開いてしまいました」

「いいさ。それにしても、そのサイズであの威力か」

「機動兵器サイズなら、まとめて100本くらい腕部に取り付けられそう……」

「機動兵器なら、このサイズはオモチャだからな」


「前は特に調べもせず、片っ端から捨ててましたが……

 一度性能を見てしまうと、捨てるのが勿体無く思えてきますね」


「だが、非人道的な何かの火種になるくらいなら、最初からないほうがいい」


声に気づき、私は視線を土煙の上がる青山家の一角から放す。

そして声のした方向を見やると、そこにはお兄ちゃんと、お兄ちゃんに担がれた素子さんと、

さらに見たこともない、闇の中でも輝くような、白い妖精が居た。

その妖精は、背格好に似合わない……彼女の体と同じくらい大きなライフルを抱きかかえていた。

あれが、天照を地上から消すほど攻撃を可能にする兵器?

外観だけで判断するなら、とても無理そうだ。

そもそも普通のライフルでも、小さな彼女では反動を抑えきれず、まともに的に当たらないはず。


疑問が疑問を呼ぶ。でも、答えは与えられない。

素子さんを降ろすお兄ちゃんの元へ、私はとぼとぼと歩く。

声をかけて、そして返事が返ってくることを願って。


「おに……」

「おい」


でも、残念。私より先に素子さんが口を開いた。

私はお兄ちゃんに声をかけようと、口を半開きにした状態で、立ち止った。


「お前は、浦島なのか?」

「……………止血しなければならない」

「答えろ! これが、これがお前のすべきことだったのか!?」


お兄ちゃんは、答えない。

すると、素子さんは手を伸ばして、お兄ちゃんの目元を覆うバイザーを剥ぎ取った。

私はすでに確信していたけれど、素子さんの行動により、確証も得られた。

この人は、やはりお兄ちゃんだった。

突然お父さんに逆らって、いきなり神奈川に引っ越して、

それから行方不明になったはずの……私のお兄ちゃん。間違えようのない、顔だった。


「その声。聞いたときに気づくべきだった」

「俺のことなんて、もう忘れてくれてよかったのに」

「さすがに三日以上同じ家で暮らせば、そう簡単に忘れない」


素子さんの言葉に、お兄ちゃんは苦笑で答えた。


「…………浦島。もう一度聞く。これがお前のすべきことだったのか?」

「そうだ。遺跡、微小機械の塊……つまり天照の秘宝だが、それを回収して廃棄するのが、俺の役目だ」

「あの浮いていた立方体が、本当に秘宝?」

「ああ。瞬間移動から大気成分の調整、果ては無限のエネルギーまでひねり出す、オーバーテクノロジーの塊だ」

「そんなものが、私の家に……?」

「信じようと信じまいと、どうでもいい。まぁ、あれがガラクタなら、あそこまで警備しないだろう?」

「確かに、ただのガラクタは宙に浮かびはしない」


お兄ちゃんはバックパックから包帯を取り出し、素子さんの手足を圧迫止血していく。

手馴れた動作だった。何しろ、お兄ちゃんは手元を見ていない。

お兄ちゃんは素子さんと私に、視線で少女の持つライフルを指していたから。


無限のエネルギー。


さっきの会話内で限界出力とか言っていたから、一定時間に湧き出す量は、一応決まっているのかも知れない。

でも、それでも一定量のエネルギーが、何もしなくとも絶えず湧き出る機関があるなら……それは凄まじいとしか言えない。

人は永久機関を作ろうとした。でも、作れなかった。作れるはずが無かった。

でも、誰の目にも触れない地下で、小さな箱が浮いていた。

そしてそれが浮いていた部屋は、強大な圧力で大穴に変えられた。

信じられない話だけれど、でも私たちの目の前には、無条件で信じたくなるインパクトがあった。


「分かると思うが、これは人では制御しきれない。だから、回収して捨てる」

「…………」

「黙っているということは、納得できないか?」

「やり方が、強引過ぎる! 前もって話してくれれば、きっと父上も……」

「手放さないさ。絶対に。断言できる」

「何故!?」

「俺に信用して預ける人間が居れば、そいつは阿呆だ」


確かに、お兄ちゃんの言うような夢のようなものが、本当にこの世に存在していて、

そしてそれを人の手に余ると言って回収している人がいたとしても、

普通はそれを信じる人は居ないだろう。お兄ちゃんの言うとおりだと思う。


私がもし、青山のトップで、お兄ちゃんのような人からそう話を持ちかけられても、絶対に信用しない。

仮に秘宝をオーバーテクノロジーの塊だと知っていれば、余計に手放せない。

と言うか、何がどうって……それ以前に、今のお兄ちゃんは高校中退した住所不定者。

社会的な信用とか言う話をすると、お兄ちゃんが信用できないと言う事実は、否定できないと思う。

そして社会的に信用があったからと言って、やはり預けてもらえるようなものでもない。


「他にもっとやりようがあったのかもしれない。だが、時間もなかった」


そう言って、またお兄ちゃんは視線で少女の方を指した。


「歯止めが利かなくなる。いずれ、人道的とは言えない実験を、人は行う」

「…………お兄ちゃん、その子は?」

「まぁ、色々いじられた身体だ。中身は独立型の戦闘支援ユニットだった」

「ユニット?」

「………………おしゃべりが過ぎた。俺はもう行く」

「待ってください、お兄ちゃん! どこに行くんですか!?」


「強いて言えば、地獄か? 俺は消える。もうやることもない。
 
 ああ……時間がないと言ったが、それは俺の体に関してもそうだ。

 確証はないが…………多分、俺の体は、もう持たないところにきている」


何を言っているのか、全く分からなかった。

多分、最初からお兄ちゃんは、私たちにまともに説明する気なんてないのだろう。

でも、それでも聞き逃せない言葉があった。

地獄。消える。もう身体が持たない。

それはつまり…………


「………もう死ぬと、そう言う、ことですか?」

「そうだ。俺の体はもう持たない。一人では立てない。目も見えん」

「そんなっ! だってお兄ちゃんは今!」


「今普通に行動できているのは、ラズ……その娘と感覚を共有しているからだ。

 仮にラズが死ねば、俺はもう、寝て死を待つだけだ。立ち上がることも出来ないだろう」


お兄ちゃんはライフルを持つ少女……ラズと言ったか……その子の元に歩み寄る。


「可奈子。ごめんな。お前との約束は果たせない。もう俺のことは忘れろ。

 ……と言っても、まぁ、無理だと思う。俺自身、忘れられないからな。

 仕方ないといって諦められるなら、そもそも俺はこんな遺跡回収なんて、しなかっただろう。

 でも、俺はもう行く。全ての遺跡を廃棄する場所には、俺しかいけない。

 今この世界で、生身で目の前のモノを宇宙に飛ばせる人間なんて、いないだろう?

 でも、俺は出来る。俺の体はそういうことが出来る身体だ。

 頭の中を弄り回され、無茶なものを埋め込められ、したくもないのに出来るようになってしまった。

 俺はもう、俺みたいなヤツが出ないように、遺跡を集めた。後は捨てれば終りだ。

 終われば……俺にはもう、何もすることはないし、する気力も無い。

 本当は死にたくないと、そう思う気持ちがないわけじゃないだろう。でも……な。

 …………俺がこれから行く場所は、何もない次元の狭間だ。比喩じゃなくて、な」


お兄ちゃんしかいけない場所。

もしかしなくても、お兄ちゃんがさっきやってみせた瞬間移動に関係があるんだろう。

だとするなら、確かにお兄ちゃんにしか出来ないことなんだろう。

少なくとも、私の知る人の中に、お兄ちゃんと同じことが出来る人はいない。

でも、だからと言って、納得することは出来ない。


「でも!」

「ちょっといいか」


とにかく何か反論しようとする私に代わって、素子さんが軽く手を上げた。


「少しばかり、私の意見を聞いてほしい」

「なんなんですか、素子さん」

「いや、大した話じゃない。意見の前に……浦島。少し聞きたい」


遠慮しがちな声で……しかし瞳はまっすぐお兄ちゃんを見据えて、素子さんが言う。

するとお兄ちゃんも素子さんの瞳を受け止めて、小さく頷いた。

そんなお兄ちゃんの様子に満足したのか、素子さんも一度頷く。


「話が見えない。だから、まずは整理させてもらう。

 浦島がしたことは、褒められたことじゃないと思う。少なくとも、私は浦島の行動に腹が立つ」


素子さんの言葉に、お兄ちゃんは反論しない。自覚しているんだろう。

どんな理由があっても、人の家に入り込んで、その家の人を倒して、そして何かを奪う。それは泥棒だから。


「だが、浦島の言うことも、分からなくはない。実際、目で見せてもらったからな。

 その娘の持つライフルのような武器は、他にもあるのだろう?」


「世界中にな。一部では研究が進められていた。この娘もそうだ。

 天照と同種のものを身体に埋めこめられ、人工的に生み出された。

 俺が見つけたとき、試験管の中で浮いていた」


「…………兵器がある。戦争の火種になる。なら、全て捨ててしまえ。

 乱暴だが、確かに一理ある話だ。だから、浦島がやろうとすることは、分からなくはない。

 だが分からないのは……なぜ、そこでお前が死ぬという話になるのか、だ」


「俺だって、死にたいわけじゃない。誰だって、死にたくはない。

 幸せになりたい。愛するものと一緒にいたい。家族と一緒にいたいと、そう思うだろう?

 自分にはその資格がないと思っているが、それでも正直に言えば、俺は……」


「そこまで言うなら、何故何処かに消えなければならないんだ?」


「…………どうにしろ、ここは俺がいるべき世界じゃないからだ」

「……わけが分からないぞ、浦島」

「分からなくていい。どうせ俺は、もう消える」


素子さんの言葉に、お兄ちゃんはまたしても苦笑で答えた。

暖簾に腕押しとか、ぬかに釘とか、まさにこういうことを言うのだろう。

他人から何を言われようと、お兄ちゃんは何処かに消えるつもりらしい。

私は、一歩前へと歩み出た。

出来るだけ近くにいないと、お兄ちゃんが今にも目の前から消えそうだったから。

比喩じゃない。何しろ、お兄ちゃんは瞬間移動が出来る人だから。


「…………とにかくお前がこの場から消えると言うなら、そうだな。浦島……連れて行け」

「? なんだと?」


前へと進み出た私を見ながら、素子さんが言う。


「簡単な話だ。お前は本当は家族の元にいたいけれど、それを我慢する気らしい。

 でも、そこにいる可奈子は、お前に消えてほしくないらしい。

 なら、お前が行く場所に、可奈子を連れて行けばいいだろう?」


それは、少なくとも私にとっては魅力的な解決案だった。

お兄ちゃんが何処かに行くのを、絶対に止めないと言うなら、私がついていけばいい。

言葉だけを投げかけて、結局去っていくお兄ちゃんの後姿を見るくらいなら、

いっそ、お兄ちゃんの体にしがみ付いて、どこまでもついていけばいい。

そうすれば、少なくとも一人で悶々とした時間を過ごす必要はないのだ。


この場から消えると言う言葉が、もう二度と日常に戻れないという意味でも、私は何ら問題はない。

この世界……私の日常と、お兄ちゃん。天秤にかけて重いのがどちらかなど、私の中では決まりきっている。

もともと私は、その気になれば世界とも戦って見せるつもりだ。

いくら血が繋がっていないとは言え、兄は兄。

世間や日常と言うものの目を気にして、そちらを重視するくらいなら、

お兄ちゃんを好きだなどと、最初から言うはずが無い。


「駄目だ」


しかし、お兄ちゃんは素子さんの案を一蹴した。


「何故?」

「道ずれにするわけにはいかない」

「そのラズと言う娘は?」

「ラズは……俺の支援をすることが存在意義だ。言うなれば、道具だ」

「それが本心の言葉なら、私はお前を軽蔑する」

「…………してくれて構わない」

「頑固だな」

「どうとでも言ってくれればいい。そもそも、可奈子」

「はい」


突然、お兄ちゃんは視線を素子さんから私へと移した。


「お前にとって、俺は本当に浦島景太郎か?

 俺にとってお前は俺の妹だ。でも、お前にとっては違うんじゃないか?

 可奈子にとって、俺と言う存在は、もっと違うものだろ?

 今の俺は、もう可奈子の知る俺じゃない。

 成績が悪く、情けなくて、運動音痴で……大学受験に何回も失敗するような人間。

 それが、浦島景太郎だろう? 今の俺は、もう浦島景太郎じゃない」


先ほどから続く、お兄ちゃんとの長い言葉の交し合い。

思えば、こんなに長くお兄ちゃんから言葉をかけられることは、珍しいことだった。

お兄ちゃんは一人で悩んで、私には特に自分の心の中を語ってくれる人じゃなかったから。

お兄ちゃんの考えをまともに聞かされて、嬉しさはあった。

でも同時に、私に向けて話してくれた内容が否定的ものなのは、悲しかった。


「…………確かに、今のお兄ちゃんは、私の知るお兄ちゃんじゃないです」


しばらく考えてから、私はそう呟いた。


「今のお兄ちゃんは、前のお兄ちゃんより、何か、そう、精神的に……」


成長しているような気がする。

そう言葉を続けようとした私を、お兄ちゃんは手で制した。


「中身は26歳で考古学者だ。

 東大にも、何回も落ちてからようやく合格したよ。

 アメリカに留学もした。結婚もした」


それは、衝撃の告白だった。

10歳近くも、お兄ちゃんの中身が突然年を取ってしまっているなんて。

でも、それを馬鹿な話だと否定することが、私には出来ない。

だって、そう言われれば信じられるくらいに、お兄ちゃんは確かに変ってしまっているから。


(私の知らない10年近くの時間。お兄ちゃんは、一人でどんな未来を?)


お兄ちゃんが結婚……。相手は誰なのだろう?

私がそれを尋ねるのが、どうしても怖かった。

私……なのだろうか。

でももし結婚してたなら、もっと私に対する態度も変る気が……。

それとも……10年間に何かが変ったから、今こういう態度を取っているのだろうか?

まごまごしているうちに、素子さんが口を開いた。端的に『相手は誰だ?』と。


「素子ちゃんは知っているな。可奈子はまだ会っていない。

 可奈子が彼女に会うのは、俺が留学で米国に言っている時に、

 ひなた荘を訊ねて来た時……だったはずだから」


つまり、私でも素子さんでもないということ。

では、誰なんだろう?

今現在ひなた荘に住んでいる誰かなのだろうか?

それとも、今後何年かのうちで、ひなた荘にやってくる人?

ああ、そうか。

お兄ちゃんがひなた荘に行きたくなかったのは、そのお嫁さんに関係があるから?

あ、でもでも、いや、うん……よく分からなくなってきた。


「浦島と結婚しそうな奴など、私は知らん」

「俺だって、最初は付き合うとすら思わなかったさ」


混乱する私をよそに、素子さんは実にあっさりと感想を告げる。

多分、お兄ちゃんに強烈な恋心を抱いていない素子さんからすれば、

お兄ちゃんの結婚相手は、私ほど重要な問題ではないのだろう。


一方で困惑する私。もう一方でクールなままの素子さん。

そんな私たちの違いに、お兄ちゃんは小さく苦笑した。

その表情は、童顔なお兄ちゃんにはあまり似合わないものだった。

何処か疲れを感じされる……そんな表情。


「……俺の知っている素子ちゃんと可奈子は、この世界にいない。

 素子ちゃんは大学のことなんて、まだ考えてもいない時期だろう?

 でも、俺の知っている素子ちゃんは髪をショートにしたり、

 大学受験に励んだり、色々していた。

 つまり、俺にとっても、君たちは本当の知り合いでも、妹でもない。

 だから、君たちにとっても、俺は紛い物だ」


苦笑を打ち消したお兄ちゃんは、再びまっすぐな視線で、私たちを見やった。


「つまり……浦島は未来から来た、だからこの世界の浦島かどうかを言えば、偽者だと?」

「未来どうこうは、実際分からない。俺はSFに大して興味がないから、知識もないしな」

「この世界には、どうやって来たんだ?」

「遺跡の暴走だ。来たくて来たわけじゃない。目が覚めたら、高校生だった」

「この世界から消えると言うのは、元の世界に帰るということ…………じゃないんだな」


素子さんは言葉の途中で、気がついたらしい。

お兄ちゃんはこの世界から消えると言っていた。

帰るとは、言わなかった。行く先は、白い何も無い世界だと言っていた。


「自分と妻を実験動物にする世界。素子ちゃんだったら、そんな世界に戻りたいか?」


何処かおどけるように……少しだけ軽い口調で、お兄ちゃんは言う。

思い出したくない過去。

あえて軽く言うことで、お兄ちゃんはそれを胸の奥に押し留めようとしたのかも知れない。


「……………その世界に、お前を待つ者はいないのか?」

「…………………」

「お前が捨ててきたものとは、その世界の思い出や家族か?」

「…………」


その質問は答えづらい質問だったのか、お兄ちゃんの表情が歪んだ。

素子さんもその顔に思うところがあったのか、口を閉ざす。

そして私も、その場の雰囲気に飲まれて、何も言えない。


その沈黙を動かしたのは、ラズと言う少女の一言だった。


「ケイ。一緒に行けばいいんじゃないですか?」

「…………何を言っている、ラズ」


まさか、自分の隣からそんな言葉が飛び出すとは思っていなかったみたい。

お兄ちゃんは呆気に取られた表情で、少女……ラズを見やる。


「私はケイに置いていかれたら、生きている意味がない。多分、可奈子もそうです」


「違う。可奈子は、まだ若い。いつかお似合いの伴侶に出会う。俺に付き合う必要はない。

 俺はもう、後は死ぬだけだ。白い世界を漂い、ただ朽ちていくだけだ」


「それは不確定な未来。私なら、ケイとともに生きられる確実な未来を選びます」

「余計なことを言うな、ラズ」

「余計じゃないです。私は、生きるか死ぬかのとても大事な話をしています」

「…………」


「一人が死んで、もう一人が後追い自殺をするなら、一緒に心中する方がマシです。

 少なくとも私は、ケイが一人で何処かで死ぬくらいなら、一緒に自爆したいと思います」


「可奈子は俺がいなくても生きていける」

「それを決めるのは、ケイじゃなくて、ケイがいなくなった後に、可奈子が決めることです」


いとおしい人と生き別れるか、ともに抱き合いながら死ぬか。

そのどちらかを選べと言われて、どちらを選ぶのか。


このお兄ちゃんは、私の本当のお兄ちゃんじゃない。

でも、本当のお兄ちゃんって、何?

そんなことを言い出したら、そもそも私とお兄ちゃんは血が繋がっていない。

本当の兄妹じゃ、ない。


大事なのは……そう。

私が目の前のこの人を『お兄ちゃんだと思えるかどうか』だと思う。

どれだけお兄ちゃんらしくても、私がお兄ちゃんだと感じられなければ?

どれだけ変ったように見えても……それでもお兄ちゃんだと感じることが出来れば?


私は目の前のこと人を、お兄ちゃんだと感じた。直感的に悟った。

そしてこのお兄ちゃんは、何処かに……誰も行けないような場所に行くという。

そんなお兄ちゃんについていくらしい少女は、一緒に来ればいいと言う。




私の選択肢は、決まっている。言うまでも、ない。




素子さん。後のこと、よろしくお願いします。

私、もうこの世界からいなくなりますから。

戦闘で行方不明とか、そう言うことにしといてください。


おばあちゃん、お母さん、お父さん。ごめんなさい。

何も言わずに、私は旅立ちます。

これじゃ浦島を継ぐ人がいなくなっちゃうけれど……ごめんなさい。

何も言わずに消えれば、皆が悲しむって言うのが分からないほど、私も馬鹿じゃない。



でも、ごめんなさい。

私は今から、お兄ちゃんにしがみ付かないといけないですから。



駄目だと言われても、勝手についてきます。

そのラズと言う少女の言うとおり。

私の生きる道は、私が決めます。






行方不明になった人が何処かで生きていることを願って、毎日生きる。

それが、どんなに辛いことか。





待つより、行動あるのみです。







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