第十六話




外は、雨だった。最近晴れが続いたため、久々の雨だった。

大粒の雨が大地を叩いて、黒い雲が太陽を覆い隠している。

しかし、外の天気がどうあろうと、私のすることはさして変わりない。

今日も今日とて、綺麗とは言えないソファの上で、まどろむだけだ。


横島がとりあえず無事だとは分かったし、

それに新聞から得られる程度の情報には、もう意味がなくなってしまった。

……横島は、どうしているだろうか?

生きているだろうけれど、今何をしているのか、それを知る術がない。

あいつも、私のことを案じてくれているだろうか?


「…………まだ長時間立っていられないからねぇ」


無理をすれば、立ち上がることも出来る。

さらに無理を重ねれば、横島の家を捜し歩くことも、出来なくはないだろう。。

しかし、その途中で厄介ごとに巻き込まれた場合、

そのトラブルから逃げ切れるとは限らない。

身体の回復は、ようやく3割に達するか……という具合だからね。


よって、私はソファから立ち上がらない。

あとどれだけ、ここで静養すればいいのだろうか?


「暇だね」

『酷使した身体には、十分な静養が必要ですよ?』

「分かってはいても、暇だ」

『暇を潰すようなものは、今のこの屋敷にはありませんから』

「それについては文句はないよ。居候の身だしね」


暇を持て余す私に時折話しかけてくるのは、この屋敷の魂である人工幽霊のサバ。

話題は、さして意味のあるものではない。

私が『雨だな』と呟けば、サバがそれにそうですねと答える。

その程度のものだ。

何しろ、私が今一番知りたいことは、横島の状況の詳細と、デミアンの動向。

このどちらにも、サバは答えられない。


そしてサバは紳士を矜持としており、かつ、この私を珍しく女扱いする存在だ。

そのせいか、私が答えに困るような質問は、もとよりしてこない。

例えば、そう。何故人界にいるのか、だとか……。

そして私も、サバにはさして深い質問をしない。

だからそこ、余計に会話は薄い内容になるのだろう。


『横島さんの住所は知らないのですか? 分かれば、私が……』

「知らないね。アパートであることは確かだが」

『では、学校の名前など……』

「それも知らないね」


過去に何回も、私は横島のアパートや学校に、

監視用のビッグ・イーターを使わせたことがある。

だが、だからと言って、それらがどこにあるかを人に説明できるものではない。

そもそも、私は今自分がどこにいるかも分からないのだ。

……今になって思う。

横島のアポートの住所くらい、覚えておくべきだったと。

住所さえ言えば、実体化したサバが、部屋の様子を見に行ってくれるのだ。

もちろん、何度も頻繁に行かせる訳にはいかないし、それはツケになるが。

しかし、何度か行くうちに、横島を捉まえられるかも知れない。

そうなれば、現状は少し変るかも知れない。

横島がここに来て、私に詳しい情勢を説明。

そしてサバに『料金』を払った後、ここを出て、何らかの具体的な行動に出る。

…………くっ。

そう考えると、住所を知らないことが、余計に不甲斐なく思える。


「…………」

『………………』


会話は、そこでまた途切れた。

私もまだ、長く話をするほど回復したわけではないので、

沈黙がちょうどいいと言えば、いいのだけれどね。


首を動かして、視線を窓の外へと向ける。

窓を叩く雨は、一向に弱まる気配を見せない。

それどころか、少しずつ強くなり、ごろごろと雲の中で何かが唸っている。



そして、閃光と、轟音。

電気をつけていない薄暗い室内が、瞬間的に、蒼い光で照らされ、

その後、腹にまで響く重低音が鳴った。


「随分と近いところに落ちたようだね」

『と言うか、我が屋敷の庭に落ちました。しかも…………どうやら、来客のようです』


サバがそう私に言うが早いか、屋敷の正面玄関が開かれた……らしい。

私は奥の部屋のソファに腰掛けているので、玄関がどうなったかなど、分からない。

ただ玄関の方から、『ばたん』と何かが動く音がしたのだ。


「来客ねぇ……。予定には?」


『もちろん、ありません。そもそも本来、この屋敷は無人です。

 父上亡き後、来客は貴女が初めてで、今日で二人目です』


私は再度嘆息してから、立ち上がる。

私はこの家の人間ではなく、

ただの居候なので、もちろん来客の応対をする気はない。

私は、警戒したのだ。

感じ取れた気配だけで判断するなら、来客者は人間。

生きた人間であると言うことは、少なくともデミアンどもの手駒ではない。

奴らは『生きている人間』は、使わないだろうからね。

しかし、落雷とともに尋ねてくる人間が、普通の人間だとも思えない。

そもそもここだって、普通の屋敷ではないのだから。

…………もしかすると、私の逃走経路を察知したGSだろうか?



立ち上がった私は、再度来客者の気配を探る。

来客者からは、かなり強い力が感じ取れた。

その力は『人間にしてみれば強い』のであって、

私が本調子で、かつ全力を出せば、決して怯えるほどのものではない。

……しかし、残念なことに、私は本調子ではなく、全力も出せない状態だ。

今、この来客者が私を攻撃すれば、私は大した抵抗が出来ないかもしれない。

また抵抗することで、どこかのハエ野郎に察知される恐れもある。

状況は、よくないな……。



「誰か、誰かいませんか!」



私は慎重に気配を殺して、歩を進める。

もっとも、消そうと意識せずとも、今の私はそれほど気配を放っているわけでもない。

生命力はほとんど回復しておらず、言うなれば死にかけの数歩手前だからね。

よって、私は壁に背をつけ、

来客者の視野に入らないことを、せいぜい気をつければいい。


「くっ。嵐が……雷雲が行ってしまう」


私は壁に密着したまま、来客者を見やった。


「……GSの美神? いや……」

「……っ! そこにいるのですか!」


GS美神とよく似た顔をしたその人間は、随分と感覚が優れていた。

あるいは、私の感覚がかなり低下しているのかも知れない。

どうしにろ、あっさりと見つかった私の元へ、その人間はやってくる。

胸に何かの荷物を抱いている。

よくよく見ると、それは小さな人間だった。

親と子……という関係だろう。とてもよく似ている顔立ちだ。

子供の方は、あのGS美神をまるで小さくしたような……。


「お願いです、この子をあずかっ………令子じゃない!?」

「令子というと、やはりGS美神の関係者かい?」

「しかも、魔族!?」

「先に言っておくけれど、私には戦う気はないよ?」


軽く両手を挙げて、来客者を私は見つめる。


「そっちも、戦うわけには行かないだろう?

 その胸に抱いた子供を放り捨てて、武器を装備して、そして私を祓うかい?

 さすがに、そのアクションよりは早く動ける自信は、あるつもりだよ?」


「………………くっ!」


「そんなに悔しそうに舌打ちするんじゃないよ。

 別に私がアンタを陥れたわけじゃないんだからね。

 アンタは人のうちに勝手に入り込んだから」


『それは貴女も同じですよ?』


来客者と言うか、侵入者と言うか……。

その人間と相対する私に、サバが天井から茶々を入れた。


「余計なことを言うんじゃないよ。家賃はいつか払うさ」

『忘れないでくださいよ? ちゃんと払って頂きますよ?』

「大丈夫。踏み倒しゃしないよ」


『それでは……とりあえず立ち話もなんですから、

 椅子に座ってはいかがででしょうか?』


私はサバの提案を受け、こくりと頷いた。

そして、来客者の顔を見やる。

来客者は私に尖った視線を向けた後、それを玄関の外へと向ける。

外は、少しだけ雨脚が緩やかになっていた。

その様子を見た来客者は、嘆息する。


「次の雷雲を呼び寄せるまで、時間がかかりそうね……。

 いいわ。とりあえず、椅子に座って話をしましょう」


だが、その子供を抱く腕は少しだけ動かされて、コートの中へと入れられていた。

私が下手な動きを見せれば、神通棍でも出てくるのかねぇ?

来客者は、私に向ける視線の鋭さを、まったく緩めずにテーブルへと足を進めた。











             第十五話   第一次巨頭会談













「アンタ、美神令子の母親だろう? そして、時間移動能力を持っている」


埃まみれの使っていないテーブルと椅子。

私は手で簡単に埃を払って座った後、そう切り出した。

そう考えられる点は、二つ。

まず、先ほど来客者本人が『令子』と口にしていたこと。

次に、この女の抱いている子供の気配が、

私の知る美神令子に酷似していると言うか、同一であること。

成長によって、精神は少しずつ変化するが、魂そのものが変るわけじゃないからね。

人の魂から感じ取れる気配と言うものは、基本的に似せたり変えたり出来ないもんさ。

例外があるとすれば、死んだ体に他の人間の魂が乗り移るとか、そういう場合だ。


「間違いのない推論だろう?」


美神令子と同様の気配を持つ子供が、これまた美神令子に似た女に抱かれている。

この状況を前に、そのような霊的な常識を持って、

私はこの女が、時間移動能力で、

過去から現代に来たのではないか、と推測したわけだ。


「貴方たち魔族は、何故か時間移動能力者を追っていますね?

 やはり、今ここで私と戦いますか?」


いまだに名前を名乗りもしない来客者は、

娘のことを少しだけ気にしつつ、コートの中に入れた手を動かす。

やはり、武器が入っているのだろう。

私は血の気の多いその人間に対し、再度両手をあげて見せた。

正直、人間に降参の意を見せるのは楽しい気分ではない。

だが、ここで争っても、私には何ら得などない。

プライドなど、今は特に気にすべきものでもないので、無視だ。


「最初から私は戦う気がないと言ったのに、

 どうやらあんたは耳が悪いようだね?

 それに、アンタが時間能力者なら、余計に戦う気はないさ」


今、この時間に、現代に美神令子は生きている。

その時間に、過去の……子供の美神令子がやってきた。

この時、子供の美神令子を殺すことが出来るかといえば、答えはNOだろう。

絶対に殺せない。

いや、もしかすると殺せるのかもしれないが、

私はそれを試そうとは思わないね。


大人の美神令子が、今この時間に生きていると言うことは、

即ち、子供の頃に『殺される』と言う危機に直面し、

それを『乗り越えた』と言うことなのだから。

つまり、あの美神令子は、『過去』に私と会っているはずなんだよね。


こう言うことを、確かパラドックスと言うのだろうか?

今ここで、この美神の母親と、子供の美神令子を殺せば、

現代に生きる大人の美神令子の存在は、霧のように消えなくてはならない。

そう。もう一度言うが、大人の美神令子が現代に生きている以上、

少なくとも私は、この子供の美神令子は、絶対に殺せない…………はず。

はず……というのは、なんとも曖昧だが、

やはりそれを確かめる気なんて、まったく湧かない。


(実際、この女が襲い掛かってきたら、私は勝てるか?

 ……勝つ負ける以前に、逃げ切れるか? 

 無事逃げ切れるかどうかは、五分あればいいほうだろうね)


私自身の力のなさはひた隠し、

とにかく戦う意思がないことを私が説明すると、

来客者はとりあえず、少しだけ警戒を緩めたようだった。


「一応、信用しましょう」

「なら、名前の一つでも聞かせてもらおうか? 私はメドーサ」

「……美神美智恵です」


「で? 何故この時代に? 

 私は貴重な昼寝の時間を、邪魔されたわけだが?」


「……私からも、一つ聞きたいことがあります。

 まず、こちらの質問に答えてくれますか?」


「なんだい?」


「貴女は、何故ここにいるのです?

 私は確かに、未来の令子のいる場所をイメージングしたはずなのです」


「アンタの予知では、ここに美神令子がいたと?」


「ええ。令子と、少年と、後は巫女姿の幽霊が。

 私は自分の見たその未来の『絵』を頼りに、時空を跳んだのです」


「別の未来を、見間違えたんじゃないかい?

 私は時間移動なんざ持っちゃいないし、知らないがね。

 詳しくは知らないけれど、美神令子は……確か、

 都内のどこかのビルに、自分の事務所を持っているはずだよ」


「……それで、貴女は何故この屋敷に?」

「仲間に裏切られてね。逃走中にここを見つけたわけさ」


「それを信用する根拠は?

 貴女が私を先回るようにして時間移動をして、

 令子を殺し、私を待ち伏せていたと言う可能性も……」


「だったら、アンタが屋敷に踏み込んだ瞬間に、不意打ちを食らわすよ」

「…………疑い出せば、きりなしか」

「それで、アンタのほうは何故未来にわざわざ?」

「ハーピーと言う魔物に襲われて。この子が心配だったもので」


「未来に置く事が、一番安全だと考えたわけかい?

 アンタ、自分で分かっているくせに質問したね?」


未来に生きる娘の元に、今自分の元にいる過去の娘を預ければ、

その身体の安全の保障は、ほぼ間違いなく完璧だ。

そう考えた以上、私が先に考えたパラドックスも、一応考慮に入っているはずだ。

にもかかわらず、私に質問をしてきたと言うことは……こちらを試したのだろう。

本当に敵意がないか、と。

…………少々、しゃくだ。

試されると言うのは、見くびられているようで、気分が悪いね。


「それにしても、ハーピーか……」

「お仲間?」


「いや。ただ、アホなヤツだと聞いたことはある。

 もっとも、攻撃力はそこそことも聞いたことがあるがね」


「……何故、魔族は時間能力者を狙うの?」


「さぁね。それに魔族全体が狙っているわけじゃない。

 そう主に指示された手駒の魔族が、人界に来て能力者を狩るんだ。

 そうだね。そういう指示が広まったのは、千年から数百年前だね」


「数百年前に、魔族の大きな力を持つものが、そう指示した?」

「何故と聞かれても、そこまでは私は知らないよ?」

「…………貴女は、何故そこまでぺらぺら喋るのかしら?」

「アンタが忍ばせている武器で殺されちゃ、堪らないからさ」

「私と戦おうとは?」

「くどいねぇ。思わないよ。そもそも、アンタを殺して得られるメリットは?」

「時間能力者を、一人殺せるわよ?」


「だから、それにメリットはあるのか?

 アンタの首を持って、魔界に帰って、私は得をするのか?

 私は魔界での地位も宝も、何も欲しちゃいないよ。

 私が今欲しいのは……安息。心休まる時間が欲しい。それこそ、数日前に帰りたいよ」


「変った魔族ね」


「私はもともと魔物ではなかった存在だからね。

 人喰いも破壊衝動も、他のヤツよりは少し弱いんだよ」


「もし、私がここで貴女を殺そうとすれば、貴女は私を殺す?」


「悔しいが、尻尾を巻いて逃げるね。勝てる要素がないよ。

 今死ぬぐらいならば、いくらでも無様に這い回るさ」


隠すつもりだったが、いっそのこと話してみることにした。

これで私は自分の弱さを、自身の口から相手に伝えたわけだが……

しかしまぁ、弱いと自分を言える存在の方が、時には賢く見えることもある。

この女が、美智恵が私を『話せる存在だ』と思ってくれれば、もうけた物だ。

こんな雨の中、逃走劇なんてゴメンだよ。

ここは知的な話し合いをし、力での解決はぜひとも避けたい。


「熱くはならないのね」

「観察するのは止めてくれないかい?」

「悪かったわ」


「分かればいいさ。で? 

 その美神令子を置いて、過去でハーピーを退治するのか?」


「そう。大人の令子に、この令子を預ける予定だったのだけれど……」


私の問いかけに、美智恵は嘆息する。

その視線は私から外れて、胸の中で眠る子供の美神令子へと注がれていた。

なお、子供の美神令子は、母親の胸の中で幸せそうに眠っている。


「預ける予定だったが、さすがに魔族の私には預けられない、と。

 まぁ、私としてもガキのお守りなんて、ごめんだね」


どうしたものだろうか。私と美智恵はそろって頭を抱えた。

今言ったとおり、私は子供の世話などする気は、まったく毛先ほどもない。

そして、それは美智恵も同様だろう。

私に敵意がないことは認めたようだが、

美智恵も子供を預けるほど、私を信用してはいない。


「いっそ、ここから大人の美神令子の事務所まで、行けばいいんじゃないかい?」

「その必要はないわね」


私がそう提案すると、美智恵は即座にそう返してきた。

何故だ、と私が視線で美智恵に問い返すと、

美智恵はきょとんとした視線で、私の視線を受け止める。


「今、アンタが……」

「い、いえ、私じゃないわよ?」


私、美智恵、子供の美神令子。付け加えるならば、サバ。

この場には4つの存在がいる……はずなのだが、気づけば気配が一つ増えていた。

美智恵は視線を、玄関の方へと向け、私もそれに倣う。

気づけば、玄関からこの部屋へと続く扉の前に、一人の人間が立っていた。


「………誰だい?」
「……誰?」


私と美智恵は、そのいつの間にか侵入を果たしていた人物に、そう声をかけた。

その人物は美智恵と同じようなコートを着込み、

顔は室内の薄暗さのせいでよく見えなかったのだが……。


「ごめんなさいね? 少し演出にこりすぎたかしら?」


そう、顔は見えなかった。

だが、その声は美智恵とほとんど変らない……いや、同じものだった。




「私よ。こんにちわ、過去の私。そしてメドーサ」




やがて顔が明らかになると……そこにはもう一人の美智恵が立っていた。




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