第十八話





私の体の損傷は、すでに見過ごせない領域に到達していた。

今も出血は止まらず、ひどい鈍痛が私の意識そのものに揺さぶりをかけている。

出来うることならば、今すぐ傷の手当てをし、十分な睡眠を確保したい。

しかし、それはいくら望んだところで、実際には手に入ることのない願いだ。

何しろ、私は元の顔の形が分からないようになった状況であるにもかかわらず、

強制的に歩くことを続けさせられているのだ。


まさに、奴隷のような状態だ。

道を行けば、多くの人が私に様々な視線を向けてくる。

同情、失笑……それらに晒されれば晒されるほど、ひどく情けなくなる。

これでも私は、それなりに社会的地位のある人間なのだが。

こんな姿を、もし誰かに見られたら……。

具体的に言うならば、美奈子君、恵子君、小枝子君、真理子君……。

ああ、彼女たちとはもう終わったとは言え、ナイスミドルたる、この私が……。



ああ、自己紹介が遅れた。

私の名前は、横島大樹。そして、私の前を歩いているのが、妻の横島百合子だ。

私の顔を地面に叩きつけた粘土細工のようにしてくれたのも、言うまでもなく妻だ。


まぁ…………こうなった理由は、かなり私自身にあるのだが……。


ふぅ……。今、自分が歩いていることが、奇跡だと思える。

我ながら、日々辛い思いしているせいで、かなりの耐性を得ていたのだろう。

なんにしろ、私は炎天下の道路を、ネクタイを引っ張られて歩き続ける。

逃げることは出来ない。

逃げたいと思わないわけではないが、それを実行するのは愚かなことだ。

私のネクタイを引っ張る『監視者』にして『断罪者』にして、

『最愛の妻』は非常に冷酷で、そして厳しいのだ。

仮に一時的に逃げることが出来たとしても、いずれは見つかり、そして折檻が待っている。

そもそも、今私は『断罪』と言った。

そう、確かに、罪があるかどうかで言えば、私には罪があるのだろう。


私は善良な一市民であり、そして一人の男子の父親だった。

父親である以上、息子が夢に邁進していれば、それを手助けするべきだろう?

だから私は、息子の夢を応援した。

仕送りも秘密裏に増額したし、

息子が夢をかなえるために試験を受けたいと言えば、

その受験に必要な、保護者が書くべき資料も、全て書いてやった。


その結果が、今の私だ。

私が行っていた息子への秘密裏の支援は、最悪の形で露呈してしまったのだ。

それは今から数日前のこと。

仕事から帰宅した私に、妻は一枚の書類を片手に、こう言ったのだ。


『これは……何かしら?』

『な、なんだい、いきなり。俺は疲れているんだ、百合子』

『そう? じゃあ手早く済ませないとね? で、これは何?』


その書類とは、息子の受験書類作成のため、

ネットで調べた資料をプリントアウトしたものだった。

仕事の種類と同様にしまいこんであり、

間違っても妻には発見されまいと思っていたのだが、それは甘すぎる見通しだったらしい。

木の枝を隠すには、森の中へ。

だが、妻は干しわらの中に隠した、小さな一枚の葉すら、すぐさま見つける存在。

最近の私は、そんなことを忘れて油断していたようだ。

それを思い出した今の私ならば、

書類は全て暗記し、読後は全て焼却処理位するだろうに。


悔やんでも、意味はなかった。

私は見る見るうちに追い詰められた。

そして、是非もなく、息子がGSになりたがっていることを白状した。

妻は怒り狂った。何故、自分に一言も相談しないのか。

GSと言えば、非常に危険な職業なのに、何故勝手に受験させるのか?

私は、そう言ってくる妻に何も答えられなかった。

妻が手にする試験の資料にすら、受験者が再起不能になることもあると、

そう物騒な事実が書かれていたから。


……永久に若い、ぴっちぴち妖怪美女ハーレム建国が、俺と忠夫の夢なんだ!


私は、妻に何も言ってやれなかった。

書類に危険だと言う事実が書かれているからではない。

妻には色々と言えないアレやコレな考えが、あったからだ。


その時点で、妻はまだ冷静だった。

いい加減にしろ、と。

あの子はまだ高校生なのだぞ、と。

GSになるならないは、高校を卒業してからで十分だろう、と。

大事な思春期に、もし体を壊したらどうするのだ、と。

子供が無茶をしそうになれば、それを止めるのが親だろう、と。

にもかかわらず、私に隠そうとは、どういう了見なのか、と。

何かやましいことでも考えているのか、と。


さすがの私も、YESと答えることは出来ず、ありきたりな言葉でお茶を濁そうとした。

奇しくも、その日はGS試験の2日目。

いまさら試験を辞めるも、辞めないも、息子は受験した後なのだ。

運がよければ、今日中に電話がかかってきて、

『受かった』だの、『……落ちた』だの、言うだろうと、そう考えていました。


まさにその時、家の電話が鳴ったのです。

険悪のムードを一変させる、神からの救いであると、私はそう思いました。

恐らく、忠夫からの電話でしょう。

ああ、今日本は何時だっただろうかなどと考えつつ、私はその電話を取ろうとしました。


「……はい、横島です」


しかし、私が取ろうとしたその電話は、先に妻に取られてしまいました。

妻は電話に耳を傾けつつ、じろりと私を睨みます。

恐らく、妻は私が電話に出て、その後話題を逸らそうとするのを防ごうと考えたのでしょう。


まぁ、いい。そう私は考えました。

事後承諾になりますが、もし息子が試験に受かっていれば、妻も喜ぶはずです。

仮に落ちていれば、息子ともども、妻に叱られて終了です。

どうにしろ、私一人が妻に説教される状況よりは、事態がよくなっています。

………………………まぁ、その考えも今思えば、非常に甘かったのですがね。



『よ、横島忠夫君のお母様ですか!? わ、私! 担任の……ええ、そうです!

 横島クンの高校の担任の教師です! そ、それでですね、お気を確かに聞いてください!

 ほ、本日横島クンが受験しておりました、その、試験の会場で、ば、爆発が……!』



しゅ〜〜〜〜〜りょ〜〜〜〜〜。

そんなサッカー実況者の幻聴とともに、私は全てが終わったことを理解した。


まぁ、そんなこんなで、まったく反論する余地もなく、お仕置きされたわけです。

そしてその足で、ナルニアから私と妻は日本に向けて旅立ったのです。

もちろん、出国には相応の準備が必要ではあったし、

その準備中に日本のメディアの発表する情報を集め、

その会場爆発騒ぎでの死者や重傷者がいないことは、分かっていました。

まぁ、それが分かったからと言って、

私に対する妻の風当たりは、まったく弱まりませんでしたがね。


「ゆ、百合子。この顔で、出国と入国の手続きをしろと?」

「なら、ティッシュでも鼻に詰めときなさい!」

「いや、さすがにそれは…………いえ、なんでもないです」


そして、そんなこんなで日本へと到着し、息子のアパートに向けて歩いているわけです。

…………というか、この時点で、私はいまだに妻に隠し事があります。

それは、学校の担任教師が、電話で言いそびれたからでもあるのだけれど、

息子と同居している『愛子』と言う、あのメイドさん妖怪っ娘についてですよ。


………………………………どう、説明したものか。

そう考えるのですが、出国のときも、飛行機の中でも、日本についても、

今こうしてアパートへと一歩一歩向かう途中でも、いい案は何一つない状態。

黙っていると、発覚したときが怖いし……どうすれば……。











            第十八話      真・巨頭会談開催!












「……というか、アパートが見えているし」



何一つ有効的な対策案が提出されないまま、私は審判が下される地へと向かっている。


しゅ〜〜〜〜〜りょ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。


またしても、私の頭の中には試合終了の幻聴が。

諦めたら試合終了とは、よく言われる名言だけれど……

よくよく考えてみれば、私は試合をする以前から負けていたような気もする。


「どうかしたのかしら? さっきから足の進みが悪いわよ?」

「百合子、お前が俺の膝を砕いたんじゃなかったか?」

「…………そんなことはどういいわ。何か、隠していない?」

「ないないない! これ以上はない! と言うか足が痛いんです! マジで!」

「そう? まぁ、忠夫が学校から帰って来るまでの間、あの子の部屋でゆっくり休みましょう」

「いや、それはさすがに息子のプライバシー侵害かと……」

「……………………………………忠夫の部屋に何かあるのかしら?」

「え、あ、そ、そりゃ、年頃の男の部屋には、母親に見られたくないものの一つや二つ!」

「そんなもの、日本にいたときから知っているわよ。気にしないわ」

「…………気にしてやって欲しいんだが」


私が何を言おうと、無駄です。

妻の足は止まらず、そして妻にネクタイを引っ張られているため、私も止まれません。

息子よ。頼むから、愛子君のメイド服は押入れにしまっておいてくれよ?

洗濯を干してから学校とか、行くんじゃないぞ?

あ、ああ。そう言えば、アパートには洗濯機などなく、コインランドリーだったか?

そうであれば、少なくとも愛子君の下着が干してあったりする緊急事態だけは……。


「? あれ? 誰かしら?」

「ん? おぉう。美人さんだ……げふっ!?」


息子のアパートに到着すると、息子の部屋の前に長身の女性が立っていた。

男物の黒いシャツに、黒のスラックス。

アイロンをかけていないのか、少々くたびれた格好だが、

それが女性本人の気だるさと妙にマッチしていて、非常に濃い色気を発していた。

なお、私が彼女を美人と評したところ、妻からは肘鉄で返事がきた。


「貴女、どちら様? 忠夫の部屋に何か用かしら?」

「…………アンタらは……ああ、そうか。横島の両親か」


鋭さを増す妻の眼光をものともせず、美女はやはり気だるげに、そう言う。

まるで寝起きのような、あるいはまだまだ起きる気がなさそうな、

そんな雰囲気が、やはり彼女からは漂ってくる。

彼女は髪をかき上げつつ、嘆息した。


「はぁ。横島なら、いないよ。扉が閉まっていて、留守だ」

「そりゃ、そうでしょうね。今は学校の時間だから」


…………メディアで調べた限り、

試験会場の爆発はかなりのものだったらしいのだが、

それでも息子はしっかりと学校に行っているらしい……。

もしかしたら、ショックで寝込んでいるかもしれないとも、考えてはいたのだが……。

動じないその姿は、天晴れと言えばいいのか、鈍感と言えばいいのか。

私がそんな風に息子のことを考えていると、妻は一歩前へと歩む。

どうやら、今はとにかく、目の前にいる美女が気になるらしい。

ちなみに美女は、妻のことは気にせず、一人呟いていた。


「……学校、か。考えてみれば、時間的に当然だな。

 回復符で外に出られるようになったせいで、少々浮かれすぎていたか……」


「悪いけれど、こちらの質問に答えてくださいません? どちら様?」

「…………ああ、すまなかったね。私は横島の師匠。メドーサと言うものさ」

「……貴女が、忠夫のお師匠さま? 失礼ですが、おいくつかしら?」

「女性に年齢は聞かないでくれないかい? 悪いけれど、実は数えていないのでね」


メドーサと名乗った美女は、気だるげに微笑んだ。


「メドーサさん、貴女とはもう少し話がしたいわね。

 どうかしら? 忠夫の部屋で、あの子が帰ってくるまで色々お話できません?」


「それはありがたいね。正直、まだ立ち話は辛いんだよ」


妻が息子の部屋の扉を開けると、

メドーサと言う名の美女も、妻に続いて部屋の中へと入っていった。








………………………。

水面下で、二人の女が互いに値踏みとか、

色々していた気がするのは、私の気のせいだろうか?


妻の前だということを考慮に入れても、美女を前にこの私がここまで何も言えんとは。



「……と言うか、口説けそうにないオーラが、こう、ひしひしと……」



その小さな呟きは、女二人にかき消された。



次へ

トップへ
戻る



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送