第二十三話



突然騒ぎだした俺のせいか……と言うか、間違いなく俺のせいで、教室内は騒然としていた。

だが、だがしかしだ。これは不可抗力だろ?

皆だって、朝起きて過去にいたら、そりゃあびっくりして授業どころじゃないさ!


俺は相も変らず先生の首を締め上げたまま、今後どうすればいいかを思案する。

どうしよう、どうすれば、どうする? どうするよ? どうしよう?

まず、今こうして過去に戻っているのは、現実らしい。

かなり現実感はないが、間違いなく夢じゃないらしい。

あの毒でラリって、幻覚を見ているという可能性を完全に否定することは、もちろん出来ない。

でも、何と言うか、多分現実なのだ。受け入れなくちゃいかんモノなんだ。うん。

現実感は全くないが、背が縮んで厄珍堂から中学校に瞬間移動してりゃ、認めざるを得ない。


とまぁ、とりあえず現実を受け入れたところで、次にどう動くかだ。

まず俺が『現在』に戻るためには、

美神さんの説明によると、『縁の結びつき』を強化する必要があると。

で、その強化は、現在にて最も印象に残ったことを、過去にて再現すればよしと。

ぶっちゃげると、初対面の過去美神さんと、仲良くケーキを食えと。


……………無理。ギブ。不可能だろ、絶対。


かなり弱気な意見が、俺の頭の中を占めていく。

冷静な俺が『無理だな』と言い、熱血な俺も『そりゃ無理だぜ!』と言っている感じ。

……ま、まぁ、この教室でゴタゴタ言っていても、何一つ事態は好転しない。

まずは美神さんを見つけて、事情を説明。

んで、もし信じてもらえなかったり、シカトされた場合は、そこはもう力づくで行くしか……。


「…………て言うか、せっかくつけた筋肉までなくなってるし!」


無理矢理美神さんを……と考えて、そこで俺はある重大なことに気がついた。

現在の俺なら、先生の首をしめ上げるっつーか、

その気になればアイアンクローすら出来そうな勢いなはずなのに!

全然無理。絶対に無理。不可能。インポッシブル。

大人の体重を片手のクローで持ち上げられるはずがないと、過去の俺の上腕二等筋は訴えてくる。

高校に入ってから鍛え始めた体は、中学の頃の俺に完全に戻っている。

力づくで本当に美神さんを抑えきれるか?

あの人、小さい頃から痴漢とか軽く倒してそうな感じだぞ?

武術は筋肉じゃない。ないけど、ある程度は必要なわけで。

で、中学の頃の俺には、そのある程度の筋肉も、ない感じなわけで。


「って、霊能力は? 符術は!?」


俺は先生を放して、机の上に広がっているノートとシャーペンに視線を投げる。

ノートは今さっきまで寝ていた『俺』のよだれで、かなり汚い。

どう考えてもノートは無茶苦茶『不浄』で、和紙でもない再生紙。

符を無理に構成しようとすれば、間違いなく暴走するだろう。


…………暴走でも何でもいいから! 頼むから使えてくれよ!


何も起こらなければ、まず霊能力を目覚めさせる事から、再出発と言うことになる。

しかし、もう一度基礎鍛錬から始めて、そういった感覚を覚え直す時間もない。

頼むから、使えてくれ! 答えろ、俺の煩悩霊力!

美神さんのほっぺの、あのなんとも言えない滑らかな柔らかさを思い出すんだ!


「うおおお! 五感五塵! 螢惑招来!」


そう叫んだ途端、俺のノートは燃え上がった。それはもう、かなりの勢いで。

よし! よしよしよし! どうやら霊能力関係に問題はなさそうだ。

身体は過去のものに戻っても、魂自体は変化していないからか?

あるいは、大した時間の移動をしていないかもしれない。

もしもカオスのじーさんが14歳の頃まで戻ったら、

やっぱ体の感覚のギャップにも驚いたりするだろうしな。

そして驚いたら驚いたで、精神集中とかも今の俺よりままならんだろうし。


「先生、俺はもう早退します!」

「ちょっと待て横島! バリバリ元気じゃないか!」

「いやいや、持病の発火能力が暴走しまして!」

「いつからお前は超能力者に!?」

「……まぁ、高校に入ってからです」


最後に先生にすればわけの分からない、しかし紛れもない事実を述べてから、俺は教室を出る。

時間がない。いつまでこの時間にいられるのかが、分からない。

あと何時間? 何分? 何秒? 

三日間くらいあれば、まだいいんだけど……どうだろう?

まぁ、長くいられると考えて行動するのは、はっきり言って馬鹿だ。

ここはもう、あと数時間で消えちゃうとか、そうシビアに考えて行動するしかない。


廊下を走る俺を、教室の扉から先生が顔を出して呼びとめようとする。

だけど、俺は止まらない。止まっていられない。

一刻も早く、美神さんを探し出さないと……。


俺は『16歳』だけれど、今は『14歳』の中学生。

美神さんは俺と4つ違いの20歳だから、今は18歳か……17歳?

となると、今高校3年か? 

…………美神さんの家も学校も分からないけど、

高校の頃は、唐巣神父の教会で研修してたって言ってたな。

今年卒業だし、仮にもう研修が終わっていたとしても、

神父ならちゃんと話せば力になってくれるだろうし。


「はぁ、はぁ、はぁ。こっからだと教会はどっちだっけ?」


…………あっ。カバンを教室に置いてきちまった。

やべ、俺ってば今、無一文だよ。

よくよく考えると、電車とかで移動した方がいいのに、これじゃ電車にも乗れない。

しかも、もう息が切れてきてるよ。

かなりの運動不足ってわけじゃないけど、いきなりのマラソンに耐えられるほどの体力もないか。

つくづく白竜会の修行って、俺を鍛えてくれてたんだな。

最近じゃ、あんまり実感なんてなかったけど、やっぱ高校の俺って、中学の俺より格段に強い。


「早くしないと、次は小学校か?」


もしそこまで戻れば、マジで美神さんがどこにいるか分からなくなる。

と言うか、俺は東京生まれの一時関西育ちの、また東京育ちと言うよく分からん経歴の持ち主だ。

つまり、出産は東京で、小学校高学年までは関西・大阪。

それからまた再度引越しして、東京に戻ってきている。

つまり小学校低学年辺りまで時間を遡ってしまうと、まず東京にいないってことになる。

これはかなり洒落にならない。

東京に向かおうと電車に乗って、その途中でまた時間を遡ってしまうかもしれない。

小学校低学年から遡ると、もう幼稚園か、生まれてすぐしか残っていないわけで。

そこからさらに遡られると、胎児になって、そして生まれる前に戻ってしまう。

生まれる前に戻ると言うことは、俺と言う存在が保てなくなること。

そして縁の強化も不可能になって、つまりは消滅。

俺は最初からいなかったと言うことになる。

暗殺薬とか言ってたけど、マジで洒落にならないな、時空消滅の毒薬って!

くそ! モーロクした老人ってのは、ろくなことをしない!


(はぁ、はぁ、はぁ……くっそ、横腹が痛い……)


しかし、のんびりしていたら、消えてしまう。遡ってしまう。

でもって、その先に待つのは、天国でもなんでもなくて、この世からの消滅。

無慈悲に、俺と言う存在は消されてしまう。


だから、速く! もっと速く動け、俺の脚!

呼吸困難になってもいい! 酸素欠乏したっていい!

へタレこむのは、神父の教会についてからでいい。


(うおおお!)


すでに俺の口は酸素供給の通気口でしかなく、声を出す余裕なんてなかった。

だから俺は胸中で精一杯叫ぶ。祈りよ、届け、加速しろ、我が脚よ!


(でやぁあああああああ……ぁあっ!?)


そして、俺は神父の教会へと走っている途中に、またしても何処かへと落下した。

世界は情け容赦なく歪んで、俺の足をすくい、何処かへと放り出してくれる。

掴める所なんてなく、手足をばたつかせても何も変らず、俺は抵抗することが出来ない。


(せめて、せめて小学校高学年でありますように!)


この時の俺に出来ることと言えば、祈るか、願うか。

あるいは、諦めるか……だった。

どれもこれも、俺の性格にはあわない選択肢だった。













            第二十三話      時間の逆行の先に












ふと気づいてみれば、なぜか私は寝袋を凝視していた。

なんで? どうして? いつこの寝袋を広げたのだろう?

いや、今広げられているのだから、さっき広げたのだろう。

問題は……何のために広げたのか、と言うことよね。全く思い出せない。


湧き上がる疑問とともに後ろを振り返ってみれば、そこに立っていたのは厄珍とカオス。

二人も私と同じように、何かを怪訝に感じているのかも知れない。

しかし、彼らもそれが『何』なのかは、結局のところ分からなかったらしい。

いつの間にか冷めてしまったティーカップの中身。

一口だけしか食べていないケーキ。

私はその二つをマリアに片付けるように頼んだ。

何故だか知らないけれど、食べる気が失せてしまったのだ。

見た目はおいしそうなのに、味が悪かったのだろうか?

そう考えて味を思い出そうとするけれど、どんな味だったのかを思い出せない。

それとも、私は食べていなくて、他の誰かが食べたのだろうか?

でも、この場には私と厄珍とカオスしかおらず、もちろんマリアは食事をしない。

そしてその場にあるケーキの数が3つなのだから、

やはり、私が出されたケーキを一口食べたはずなんだけど……あれ?


記憶に何か小さな差を感じる。でも同時に、その差は大したことではないようにも思える。

人間は多くの記憶をもって生活するもの。

だから、一度体験した経験をふとしたことで思い出して、既視感を覚えたりすることもある。

あるいは、単にど忘れすることだってある。

思い出せないなら、大したことじゃないわよ。どうせ『思い出せない程度のこと』なんだし。


「えーっと、今日は何しに来たんだっけ?」


寝袋の前にしゃがみこんでいた私は、立ち上がって、そう呟く。

今日は仕事をして、そしてその帰りにこうして厄珍堂へ寄った。

でも、何で? 別に注文した商品がここに届く、荷物受取日でもないのに。

そう言えば、私の足元に広げられている寝袋だけど、これって私の事務所のよね?

いやいや、それ以前にこの寝袋が入っていたであろう登山リュックは、私が担いできたっけ?

この私が? あり得ない……あり得ないと思うけど、じゃあ他に誰が担ぐの?


考えれば考えるほど、ワケが分からなくなる。

仕方なく、私は眼を閉じて、取り敢えずの結論を出すことにした。


「………まぁ、いいか」


そう、どうせ思い出せない程度のことだし、仮に何かあれば、そのうち思い出すわよ。

そして思い出すまでは、微妙に気になることなんて放っておけばいいわ。

それで本格的に忘れてしまうなら、所詮その程度の気がかりでしかないわけだし。





      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





夢から覚めたような感覚を、私は起きながらにして味わっていた。

あるいは、呆然として不鮮明だった視界が、

突然鮮明なものに治った……とでも表現するのがいいのかしら?

何にしろ、私は気がつけば巫女姿の女の子と、無言のままに顔をあわせていた。


「…………」

「………………」


えっと、私の名前は愛子。

学校に凝り固まった生徒の思念が、机として具現化された学校妖怪。

で、目の前にいる巫女姿の女の子の名前は……そう、おキヌちゃん。

300年前にイケニエとして山に捧げられて、最近美神さんに保護された幽霊。

私と同じく、この人の世の中に生きる人じゃないもの。

何で、今ついさっきまで話をしていた人の名前を、私は突然忘れてしまっていたのだろう?

さっきまで……そう、なぜか無言になる前まで、

私たちは世間話に、これでもかと花を咲かせていた。


おキヌちゃん曰く『最近では、商店街の人もよくしてくれます』

曰く『昨日も、秋刀魚をおまけしてもらったんです』

曰く『でも、美神さんは事務所では、夕御飯とお夜食しか食べないんですけどね』

おキヌちゃんは、GSの美神さんの補佐として、かなり快適な幽霊ライフを営んでいるらしい。

専属の秘書と言うか、メイドさんと言うか……そんな感じよね。

そう考えると、私もそう変らないのかも知れない。私もメイドのようなものだし。


……………………? なんで? 何で私がメイド?


不意に湧き上がった何かに、私には首を傾げる。

私は学校妖怪で、決してメイドではない。

………あれ? じゃあ、妖怪の私が、何でGSの事務所にいるの?

悪さをして美神さんに捕まった……と言う覚えはない。

おかしい。何で私は、今ここにいるんだろう? 

早く帰って………って、あれ? どこに帰るの? 学校?


『どうかしました?』

「ねぇ、私って、今日どうやってここに来たっけ?」

『え? 歩いてじゃないんですか?』

「……どこから来たっけ?」

『学校が終わったから来たんですよね?』

「そう、そうよね……」


そう。放課後になったから、私はこの事務所に来たんだ。

何でわざわざ来たのか思い出せないけれど……多分、おキヌちゃんと世間話をするためよね?

放課後になったら学校には誰もいないから、寂しいし、暇だし……。

でも、私はいつ、どこでおキヌちゃんと出会ったっけ?

友達とどういう出会いをしたかすら思い出せないほど、私って薄情な存在だったかしら?


『あの、愛子さん』

「もう、だからさっきから言ってるでしょ? さん付けは止めてって」

『そうですか?』

「年齢的に言えば、おキヌちゃんのほうが私より年上でしょ? ね、300歳超えのおキヌさま」

『そうですね。じゃ、愛子ちゃん。ちょっといいですか?』

「うん、なに?」

『もうすぐ美神さんもお仕事が終わると思うんで、お夕食の用意を手伝ってくれません?』

「いいわよ。家庭料理一般なら、私は何でも作れるから、任せて」


おキヌちゃんの提案に、私は気合を込めたガッツポーズで答えた。

私は今、何かを忘れている気がする。それはとても不快な感覚だった。

忘れてはいけないのに、忘れていく自分が、ひどく不誠実なように思えるのよね。

実際、おキヌちゃんとどうやって出会えたかとか、色々忘れているし。

だから、何か没頭できる作業があるって言うのは、とても嬉しかった。


『よかった。これで今日は味見してくれる人がいます』

「おキヌちゃんは料理は作れても、味見できないのね」

『はい、だから目分量なんです。いっつも』


苦笑するおキヌちゃんに、私も微笑み返す。

そうして私たちは美神さんの御飯を作るため、キッチンへと向かった。

そして、私はまたしても気がつく。


…………………一体、私はいつから料理を作るのが得意になったんだろう?

まともに作ったことなんて、なかったはず……ない……ないよね? あれ?


私は、何を忘れていっているんだろう?

思い出そうにも、何を忘れているのかさえ、私には分からなかった。





      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





何かの強制力によって、俺の体はどんどんと『何処か』へと引きずられる。

すでに落下するような浮遊感はなくなっていて、今はひたすら引きずられている。

上でも下でもなくて、右でも左でもない方向に、俺の魂が引きずられる。

俺は過去と言うものは、きっと下の方向にあるもので、

未来と言うものは、きっと上に方向にあるものだと、何となくそう思っていた。

でも、現実はそうじゃないらしい。まぁ、考えてみれば当然か。

穴を掘っても過去にはたどり着けないし、大気圏外に脱出しても、未来には行けない。


「おりゃー、どーすればいいんだ?」


このまま流され続ければ、やっぱり存在が消えるのか?

しかし、こうして引きずられている以上、『現在の強印象行動の再現化』なんて、出来ないわけで。

あー、俺の体に毒が……魔法の毒が回って、今こうなっているわけだ。

じゃあ、ここで出来る限りションベンするなり何なりすれば、毒が抜けるか?

…………うーん。どうにかなる見込みは、かなり薄そうだなぁ。

仮に何とかなりそうだとしても、それは人として……男としてどうだろうし。

次元の狭間に永遠に浮く、誰の物とも知れない糞尿。

うわぁ、最悪だ。やっぱ止めとこう。

死ぬかどうかの瀬戸際でも、さすがにやっちゃいけないことってあると思うな、俺は。


「って、バカなこと考えてないで……どうすればいいかな」


もしかするとこのまま消滅してしまうかも知れないつーのに、なんか微妙に危機感がない。

これは多分、アレだ。

目の前に超強い敵がいるわけでも、体の何処かが苦しいわけでもないからなんだろうな。

強敵がいて、その攻撃で死にそうになっていたり、

あるいは何処かが痛かったら、俺はもっと必死になるだろうし。


えーっと、さっきは高校1年から、中学2年へ移動した。

16歳から14歳に移動したわけだ。

2年の移動なんだから、次は12歳……小学6年か、ギリギリ中学1年か。

でも、もし時間の遡りに加速度があるなら、下手すると4年とか6年の移動かも知れない。

さっきからずっと引きずられていて、『過去』に舞い戻る気配が、もうしばらくなさそうだし。


………6年移動したら、8歳か。間違いなく小学生なワケで、しかも大阪にいる頃だ。

瞬間移動なんて出来ないし、身体も出来ていないし、金もない。

東京の何処かにいるであろう美神さんは、間違いなく捕捉出来ない気がする。

弱気になっちゃ駄目だってのは分かるんだけど、考えてもループするだけなんだよなぁ。


ああ、でも、美神さんも小さい頃は、あそこまでお金に汚くもないだろうし、

それにナイスバディーでもなくて、そんなに男を警戒しないかもしれない。

考えようによっちゃ、高校や中学の美神さんより、

小学校や幼稚園の美神さんのほうが、一緒にケーキを食いやすいかも。


「やれるだけのことを、やるしかないよな!」


俺はネガティブに染まらないよう、元気にそう宣言する。

そして両手で頬を叩いて、気合を注入。


「っ!? もう次の過去につくのか?」


するとそれを待っていたかのように、俺を引きずる力は弱まり始める。

ずっと目は開いていたが、移動中の俺の視界は闇に閉ざされていた。

しかし闇は真っ白に染まって、咄嗟に眼を閉じようとする俺の視界まで光で満たしていく。

眩しい。とんでもない眩しさだった。

まるで太陽を直視しているかのような、そんな眩しさだった。


「……ふあっぁ」


ここは? そう口から言葉を発したはずなのに、漏れたのは意味のない音だった。

いや、ここはマジでどこだ? 俺の過去に、こんな場所があったのか?

俺の目には強い光しか見えなくて、他には何も……一切映らない。

…………まさか、ここが天国ってヤツ?

かなりビビリながら、俺は自分自身の身体を確かめようとする。

しかし、手は動かず、そして脚も動かず……挙句に首すらほとんど動かせそうにない。

どこからが俺の体で、どこまでが俺の体なのか。それがなんだか、無茶苦茶曖昧だった。


「あらあら、起きたのね」


不意に、俺の耳に女の人の声が聞こえてきた。

そして、光しか入らなかった俺の視界に、人型の影が入り込む。

…………まさかとは思うが、おふくろ? 

もしかして、今の俺は赤ん坊ですか!? 

日向ぼっこか何かしていて、んで寝てしまって……起きたら高校生の俺がその中にいると!?

仰向けに寝ているから、目を覚ましたところで太陽しか見えなかったと?

…………この俺は、何歳の俺? 1歳? 2歳? まさか、生後数ヶ月か?

混乱しだした俺を我に帰らせてくれたのは、不意に聞こえてきた女の子の声だった。


「あー、あかちゃんだー」

「あら、こんにちわ、お嬢ちゃん」


あかちゃん、か。と言うことは、俺は今、マジで赤ん坊なわけだ。

こうなったらもう、1歳だろうが2歳だろうが、生後数ヶ月だろうが関係ないか。


自分の状態をあかちゃんという言葉で悟り、俺はとりあえず無駄に焦ることをやめた。

そう、今の俺はあかちゃん。OK。認めよう。

自分の現状を正しく把握しないヤツの足元に、死は静かに近づくって言うしな。


(…………正しく把握しても、もうどーにもならん気もしてくるが)


少しだけ泣きたくなったが、それに何とか耐える。

そして俺の先の焦りを沈めてくれた女の子に、胸中で感謝しつつ考える。

今の状態の俺に出来ることは、とりあえず考えることだけだ。

どうせ駄目だと、そう頭のどこかが告げてもいるけど、でも諦めるのはまだ早い。

生まれる前に戻って消滅してしまえば、考えることだって出来なくなるわけだしな。


さて……俺は今、どこにいるんだろう? 

太陽が見えて、知らない女の子の声が聞こえてくるってことは、公園か何処かか?

視覚情報は太陽があるので『ここは屋外で、空は晴れている』ってことを伝えてくる。

だも、逆に言えばそれだけのことしか分からないので、俺は女の子の声から必死の想像を働かせた。

甲高いなぁ。この女の子の声も。

3歳か、4歳か……少なくても小学生には、まだなってないと思う。


「ねぇ、赤ちゃんにさやってもいい?」

「いいわよ。ね、忠夫ちゃん」


おふくろが俺をチャン付け。すんげぇキモチが悪いです、はい。

ああ、でも、俺を産んだばっかの頃のお袋って、まだ若いんだよな。

今のおふくろじゃ気持ち悪いけど、15年以上前のおふくろなら、そんなにおかしくないのかも。

傍目から見てても、若いママさんなんだし。

そんなことを考えていると、視界にもみじの葉っぱみたいな形の影が、入ってきた。

そしてそれは俺の頭を撫でていった。

どうやら、おふくろに話しかけてきた女の子が、俺に触れたらしい。

どうにもこの身体は、まだ幼いせいか感覚が曖昧なところがあった。

高校生の俺なら、額とかほっぺを触られれば、間違いなく分かるってのに。


「令子! 行きますよ!」

「あ、はーい」


女の子のお母さんだろうか? 俺から見えない遠くから、女の人の声が届いてくる。

………いや、ちょっと待て!? 令子!? 美神さん!?

本人か、それとも赤の他人か……でも、そう言えば、

今の女の子の声は、どことなく美神さんを幼くした感じにも、聞こえなくもないというか。

つーか『令子』って呼びかけた女の人の声も、微妙に美神さんに似てた気がする!


「じゃあねー!」

「はい、バイバイ。ほら、忠夫ちゃんもバイバイーって」


おふくろが俺を抱いて、そして右手を振らせようとする。

そこで、俺は見た。不鮮明な視界だけど、あれは確かに美神さんだ!

独特の光沢のあるあの髪! 背格好は小さいけれど、間違いない!

手を振らされている場合じゃない! どうにか、どうにかして接触しないと……! 


気づいてくれ、美神さん!

俺はここだ!

美神さんは知らないだろうけれど、俺は知ってる!

俺と一緒にケーキ食べてください!

そうじゃないと、俺は、俺は、俺はぁぁっ!


しかし、結局俺にはどうすることも出来なくて……。

気がついたら、俺の視界はまたしても闇に閉ざされていた。


まぁ、生後数ヶ月じゃ、どうしようもないよね、実際。


………………。


…………………………。

えっと…………あの、さ。




……………………俺、死んだ?




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