独身の横島さん





俺はその日、朝から忙しい時間を過ごしていた。

どのくらい忙しいかと言えば……結婚式当日に寝坊してしまったくらいに、忙しかった。

と言うか、比喩ではなしに、今日は本当に結婚式当日だったりする。

どう考えても寝坊してはならないはずの日なのに……。

いや、悔いても仕方がない。とにかく、今は準備を終えなければならない。


まずシャワーを軽く浴びて寝汗を落とし、髪が完璧に乾くまでの間に、朝食をとる。

トーストと言う軽い飯を食べ終えたら、歯を磨いて、乾ききった髪を改めてセット。

正直食べたりないが……2次会3次会まであるはずなので、後々食欲は満たされるだろう。

今は我慢だ。悠長に座ってTVニュースを見ながら朝食……なんて余裕はない。


それから、これから俺の出かける間、家で留守番をしてくれるペットのご飯の用意だ。

水もたっぷり用意して、エアコンも26度で室内を常温設定。

間違っても俺の帰ってこない間に何の問題もないよう、細心の注意を払う。

サラリーマンの俺は、普段から家を夜まで留守にしているんで、この辺は手馴れたものだ。

あえて言うならば、問題は……やはり食事の分量だろう。

そんなわけで『ちょっと大目かな』と思える分量を、用意しておくことにした。

別に泊りがけで行くわけじゃないが、飲んで騒いでいれば、帰宅が深夜になる可能性は十分に考えられる。

その間、家で飢えた奴がいると思うと、全然安心できないしな。


「よし」


全ての準備を終えた俺は、鏡の前で自身の顔を再確認。

そこにあったのは、もう大人であると思える男の顔だった。

俺はいつの間に、こんな顔になったんだろう?

バンダナを巻かなくなってから、急に老けだした気もする。

やはり、会社勤めと言う立場は、人に少年の心を忘れさせるのだろうか?


「……っと、やばい!」


考えは、そこまでだった。

結婚式当日と言うことで、色々と考え込んでしまう心境なのは仕方がないと思う。

だがしかし、それで式に遅刻することは『仕方ない』では済まされない。

何しろ、結婚するのはあの人なんだから、遅れれば半殺しにされるかも知れない。

いや……俺が年を喰った分、あの人も年を喰った。

まさか、そんなことは…………。


「やっぱり、あるかな?」


俺は上着のポケットから、結婚式の招待状を取り出す。

その正体はがきを裏返すと、そこには写真と自筆のメッセージがあった。


『横島クンへ。私たち、結婚することになりました』


見慣れた、軽やかな文字と、それを書いたであろう女性。

その女性は、幸せそうに笑っていた。


「美神さんが、結婚か……。って、また感傷に浸ってる場合じゃなくて! んじゃ、留守番頼むな!」


俺ははがきを上着にしまい直し、きびすを返した。

ついでに玄関の扉を開け、振り返り際にそう一声。

返事は返ってこなかったけれど、気にすることなく外に出る。

空は、美神さんの結婚を祝福するかのように、快晴だった。




      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




美神さんから結婚式のお知らせが来たのは、つい先日のことだった。

俺はその日、ごく普通に会社に出社して、ごく普通に自分のデスクに座り、PCを立ち上げた。

来期のFWにあわせたCUDのアレを優良店に卸すかどうかが、

営業部の言い分なんだから、P進行のこっちとしてはやっぱり……とか、なんとか。

気づけば思考は、随分と会社員のそれらしいものになっていた。

そしてその思考を、美神さんは一通のはがきで簡単に停止させてくれたと言うわけだ。


「横島さん宛に郵便が届いていますよ〜」


俺はその声に、PCから視線を外した。

そして俺が視線を横にずらすと、そこに立っていたのは事務員の女の子だった。


「ああ、ありがと」

「不必要だと思われるダイレクトメールは、いつもどおりこちらで処分しておきました」


俺は視線だけじゃなく、椅子を一回転させて彼女の方を向き、俺宛の郵便を受け取った。

受け取った郵便物を、俺は素早く目を通す。

その内容は、特にこれと言って特筆すべき様なものはなかった。

ただ一枚……『私たち、結婚することになりました』と、自筆のメッセージが添えられた件の結婚式招待状以外は。

はがきには自筆のメッセージよりも、俺に美神さんの意思を伝えてくるものがあった。

それは美神さんと、俺の知らない男が肩をそろえて笑っている写真だった。

そう、笑っていた。あの美神さんがお金を持つでもなく、ただニコニコと笑っていた。


「……結婚するんだ、美神さん」

「綺麗な人ですねー」

「おいおい、見るなよ。人のはがきを」

「横島さんの友人……って感じもしないんですけど?」

「人の話はちゃんと聞いてほしいんだけど……。まったく」


事務の女の子は、30代手前になった上司の俺の女関係に、興味津々らしい。

そう言えば、俺も彼女と同じような年頃なら……彼女は高校を卒業して、すぐに就職した口なので、今19歳か。

19歳の俺なら……10年近く前の俺なら、美神さんが見ている書類どころか、体重計の内容すら覗き見ていた。

それを思えばこの子の覗きなど可愛いものか、とそんな風に苦笑する。


「もう、何を笑ってるんですか?」

「いや、別に。ちょっと昔を思い出して」

「思い出しって言うと、やっぱり昔の彼女さんですか?」

「そう言うわけじゃないけどね」

「あれ? うーん。どこかで見たことあるんですけど……」

「GSだから、TVで見たんじゃないか?」

「あー、そう言えば……そっか、GSの美神さん!」


彼女は記憶の中に美神さんの情報を見つけ出したのか、手をぽんっと叩いた。

俺は一人納得している彼女から視線を離し、写真の美神さんを見やる。

綺麗になったと、そう思う。

今思えば、昔はもっと『可愛らしかった』とも思う。

30手前の今の俺からすれば、昔の美神さんも20そこそこの『女の子』だしなぁ。


「でも今の美神さんは、もうギリギリで30前半って感じだったっけ」

「えー、見えません! もしかして、それもGSの特別な何かですか?」

「気を操作するから、多少はあるだろうけど。俺も割と年より下に見られるし」

「そう言えば、横島さんって、いくつですか?」

「28。来年で29」

「…………24くらいだと思ってました。大学を出た、私よりちょっと年上の先輩かと」

「そりゃどうも」

「で、この美神さんと横島さんの関係って?」

「前世からの付き合いかな?」

「もう、真面目に答えてくださいよ!」

「……今の俺と君。簡単に言えばそんな感じかな? そう変んないよ」

「え、横島さんって、昔GSだったんですか?」

「そうだぞ? けっこう強かったし」


ほら、と言いつつ、俺は霊波を手に集中させる。

集中した霊波は、明るい室内でも見える程度に光り始める。

俺は彼女の目の前にゆっくりと手をかざす。

彼女は花火を見る小さな子供のように、目を輝かせた。


「へぇー。なんかすごーい。でも、じゃあなんで会社員なんです?」

「なんでかなぁ……」

「怪我のせいで、もうマウンドには立てないとか、そういう感じですか?」

「除霊中の事故で戦えないって? まさか。ないない。別に五体満足だよ」

「? じゃあ、何でわざわざ、GSじゃなくてこんなしけた会社に?」

「しけとって悪かったな!」

「え?」


気づけば、くっちゃべっている俺たちの後ろに、課長の姿があった。

大企業の個人デスクなんかじゃなくて、小さな会社の一室。

騒げば、そりゃ説明なんてわざわざする必要がないくらい、目立つよな。

他の社員も数名、こちらをそれとなく覗き見&聞き耳状態だった。

事務の女の子は『あはは』と笑ってごまかし、その場を去っていく。

……課長の相手は俺にしろってことか? 

まったく、これだから若い娘は……なんてな。

俺は女の子に対して『仕方ない子だな』と呟きながら、課長の方に向きを直した。


「課長」

「何だ、横島?」

「そーゆーわけで、有給ください」


課長は面を喰らったようだったが、すぐに返事をくれた。


「一日だけでいいんだな? いつだ?」

「えーっと……」


物分りのいい課長の胸中で礼を言いつつ、俺ははがきに再度視線を落とした。




      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




美神さんが結婚する。

それに対し、俺はいまだに独り身で、しかもGSを辞めてしがない会社員。

何で自分は、こんな未来を歩んでいるんだろうと、首を傾げないでもない。

昔の俺なら、美神さんとの結婚にももっと執着しただろう。

あんなはがきが来れば、『美神さんは俺のもんだ!』と、

一人で腹を立てて、大声で騒いでいただろうとすら思えてくる。

それこそ会社内であろうと、何処であろうと……絶対に騒いでいただろう。

それが……そんな俺が、『結婚するんだ』の一言だ。

実に余裕を持って、突然の結婚に対応したもんだと、自分で感心してしまう。


昔からすれば考えられない。

でも、よくよく考えると……昔って言うのは、いつのことだろうか? 


一年前の俺なら、もうこんな対応だろう。

二年前、三年前……それでも、もう今の俺に近い対応をすると思う。

しかし、五年以上前なら、今日みたく落ち着いて捉えられなかったかも知れない。

じゃあ、五年前に何か特別俺に変化があったのかと言えば、否だ。

ゆっくりと、俺は大人になった。ただ、それだけだと思う。


GSとして生活を続けなかったのは、何故だろう?

多分、いつまでも美神さんの下で働くのが、嫌だったからだ。

普通の会社じゃないから、俺がどんどん出世して、

いつの間にか先輩で上司の美神さんを追い越しちゃって、そこでようやくプロポーズ……なんて言う、

オフィスラブ・ドラマにありそうなシチュエーションは、絶対に起きないからな。


だから、まず高校卒業とともに、俺は美神さんの事務所を辞めた。

美神さんの領域から逃れ、独り立ちする場所を探し始めた、とも言える。

よく漫画なんかで『このままでいいのか?』と自問するシーンがあるけれど、まさにそんな感じだ。

わいわいといい感じの美神さんの事務所で、このままずっと働くのか? 本当にそれでいいのか?

高校卒業が迫った時にそう考えると、答えはやっぱり否だったんだ。


美神&横島除霊事務所。


昔はそんなネームに憧れもした。

でも、今から考えれば、随分と低い志にも思える。

いや、心の奥底では、やはりもっと上を望んでいたと思う。

それこそ、俺が外で働いて帰ってくると、美神さんは夕飯を作って待っている……みたいな。

別に男は外で女は中とか、そう言うことを言うつもりはない。

ただ、俺の家は俺が帰っても、誰もいない。誰もいないんだ。

だから、帰ったときに暖かく迎えてくれる人がいることに、憧れていたんだろうと思う。


そのためには、美神さんと同じ職場と言うのは、まずい。胸中の憧れなんて、まず実現は不可能だ。

もちろん、当時はそこまで深く考えていなかっただろう。しかし、漠然とそう考えて行動していたのは確かだ。

何も思わずに行動も起こさなければ、今みたくサラリーマンになった俺は存在しないからな。


そんなわけで、俺は美神さんの事務所を辞めて、高校卒業後に新しい働き口を探した。

でも、知り合いの事務所に勤めると言うのも、『なんだかなぁ』と思った。

と言うか、何処の事務所に勤めても、GS界で影響力のある美神さんからは、逃れられない。

すごい親のもとで育った子供みたいな心境ってヤツだろうか?

さすが『美神の弟子だった横島』とか言われてもなぁ。結局、俺はずっと美神さんを越せない。


それって、男としてどうよ?

親子ならともかく、男と女としては、どうよ?

親父は同じ職場のオカンを口説き倒した上、仕事でも最終的には上司のオカンを抜いた。

じゃあ、俺は? 同じ職場で、美神さんの上司にはなれない俺は?

男として……と言うか、対等な夫として、どうよ? いや、マジで。

いつまでたっても丁稚って、正直洒落にならない。


そんなことを考えながら、俺はバイトをしながら日々を過ごしていた。

早い話が、GSとは別の分野で、俺の価値を見つけたかった。

美神さんの事務所で鍛えられたおかげか、肉体労働系はまったく苦しくなかった。

そうして根を上げずに、世間で言うところの重労働に耐えていると、

現場のおっちゃんから『見込みがある』とか言われて、新しいバイト先を紹介してもらえた。

おっちゃんの友人の町工場ってヤツか? 

そこで俺は新しいバイトをし、そしてまた紹介を受け…………

そして気づけば、いつの間にかある会社の正社員になっていて、さらに今じゃそれなりの立場。

平でもないけど、販売事業部のP課主任。

美神さんの事務所での労働経験とか、色んなことがあった結果、俺は今こうしている。


やっぱり、GS業界にいれば、何をしても『美神さんの弟子だから』だっただろうけれど、

こういう一般企業なら、決して『美神さんの弟子であるおかげ』だけじゃない。

それに、みんな俺がGSしてたことなんて、ほとんど知らないしな。

つーか、事務の若い子なんて、俺が美神さんの後ろを引っ付いていた頃は、

まだ小学校の低学年レベルだ。

そりゃ、もし俺が美神さんと一緒にTVなんかに映っていても、覚えてないだろう。

美神さんは、今でも時折おキヌちゃんとともに、除霊姿がTVに映るけどな。


まぁ、とにもかくにも、俺は主任さん。

部下からの信望もそれなりに厚く、上司にも頼られてる。

もちろん、主任だろうが何だろうが、収入的には美神さんにまったく及ばないけどな。

でも、俺は今、これも一つも選択だったんじゃないかなーと思っている。

満足している。普通に暮らす分には、何にも問題ない給料だし。

肉体的にも精神的にも、無茶苦茶辛い仕事って言うわけじゃないし、職場の雰囲気もいい。

スリルなんてないけれど、仕事がうまく行ったときの達成感は、ちゃんとあるから。


それに職場の雰囲気に関して、ついでに言えば……意外と若い女性が多い。

少なくとも、美神さんの事務所より多い。

美神さんやおキヌちゃんクラスはいないけど、それでも多い分、何か華やかっぽい。


もちろん、昔みたく地面這いずり回ってでもナンパ……なんて真似はしていない。

適切に距離を取って、相手にとって心地よい会話を続けている。

そうしていると、けっこういい感じに仲良くなれるんだよな。

なんと言うか…………俺も親父に似てきたのかも知れない。

まぁ、自分では老けたとは思っても、まだまだ若い印象を相手に与える俺だから、

親父ほどのダンディさは、まだ醸し出せてはいないと思うけどな。


つまりは、まぁ、満足していると言うことだ。今目の前にある現実に。

ただ、贅沢を言うなら……寂しい…………かな?

美神さん、おキヌちゃん、雪之丞、ピート、神父、エミさん、タイガー、愛子……その他大勢。

そのほとんどに、会社勤めを始めてからは会っていない。

まぁ、仕方ないよな。GSと会社員じゃ、会いたくても時間が合わないんだし。

妙神山なんて、本当に一度も行く機会がないし。



皆どうしているのかなぁ、とか考えると、時間の流れなんか感じてしまうよな。

なんと言うか、空虚だ。けっこう仲良かったのに、全然会わない。

こんな体験は、今思えば転校した時にも、味わっているな。

小学生だったこともあるだろうが、転校後に改めて会った友人はいなかった。

例外的に銀ちゃんには会ったけど、でも、あれは別に俺を尋ねてきたわけじゃないしな。

それに、一度会ったあの時以降、やっぱり全然会う機会はないし。


独身。まさに孤独な身体って感じ?

それを紛らわせるために、ペットを飼っているけれど、

やっぱりペットと恋人……あるいは奥さんは全然違う。


俺もそろそろ、結婚を考える年齢かな?

柄にもなく、ふとそんなことを思った。




      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




結婚式は、実に華やかなものだった。

純白のドレスやら真っ赤なドレスやら。さすがは美神さん。

何度もお色直しをして、周囲を沸かせた。

自分を輝かせようと、金に糸目はかけなかったみたいだ。

30代に突入したとは言っても、その美しさは全然衰えていない。むしろ、絶好調だった。

母親からして、まだまだ現役なんだから、あの美神さんが輝かないはずもないんだけど。

でも、久しぶりに会ったからかも知れないけど、俺には少し眩し過ぎる気もした。


「綺麗でしたね、美神さん」

「もう、美神さんじゃないんだろーけどね」


結婚式の2次会で、俺とおキヌちゃんは式での出来事を思い出しあっては、笑いあっていた。

カウンターにかけて、ウイスキー片手にだ。

久しぶりの再会に、大きなイベント…………話すネタはいくらでもあった。


なお、美神さんは式の終了とともに、そのまま1週間新婚旅行に行くらしい。

その間事務所は一時休業だそうで、おキヌちゃんも休暇となる。

だからだろうか? おキヌちゃんも今日はとことん飲むつもりらしい。

何しろおキヌちゃんのペースは、俺が酔わそうとしているわけでもないのに、随分早い。


まぁ、俺はおキヌちゃんの普段のペースを知らない。

あのザルな美神さんのそばにいるおキヌちゃんだ。

晩酌につき合わされたりなんかして……すっかり鍛えられたのかも知れない。

ああ、そう言えば、一度だけオカンが来た時に、パーティーで飲んでいたな。

あの時はコップ一杯でぐでんぐでんになっていたはずだけど……これも時間の流れかな。


「何、思い出し笑いしているんですか?」

「いや、ちょっとね。ほら、俺がアメリカ行くって話の時のパーティーのこと」

「あの時は私、コップ一杯でしたもんね」


おキヌちゃんもしっかりと覚えているのか、苦笑を返してきた。


「10年前には想像しなかったね」

「こうして二人で飲むなんて、ですか?」

「二人っきりでもないけどね」


カウンター席に座っている俺とおキヌちゃんだが、

その背後では酔いつぶれたものや、いまだに騒いでいるものがたくさんいる。

俺たちは最初、単に他人のふりがしたいから、

こうして二人きりのムードに浸ろうとしたんだよな。

でも、気がつけば二人してそれっぽいムードに入り込んでいる。

10年間のうちに、それっぽく精神が成長した証…・・・だろうかね?


「美神さんが、俺らの知らない人と結婚、か」


おキヌちゃんは美神さんの結婚相手を知っているんだろうか?

俺はおキヌちゃんに、視線でそう聞いてみた。


「2年くらい前から、よくお仕事を請けてて……」

「何処かの社長?」

「メディアにはあんまりでない人ですけど、けっこう大きい会社の人ですよ」

「普通のサラリーマンの俺には、雲の上の話かな?」

「……横島さん、何でGS辞めちゃったんです?」

「なんでだろ? 分かんないな。気づいたら、こうなってた」


それは……聞かれたところで、俺自身も明確な答えが見つからない問いだった。

だから俺は、特に気負うでもなく、普通に分からないと返す。

もっとも、おキヌちゃんに知れみれば、何かそれなりに納得できる理由がほしかったのだろうけれど。


「気づいたらって…………何度も復帰しませんかって、私は言ったのに」

「まぁ、俺はもともと、一般家庭に育った人間だしな」


そう。美神さんの家のように……もともとGSを生業としていた家系ではない。

俺の親父はサラリーマンで、俺のお袋は主婦だった。

だから、俺にとって一度始めたサラリーマン生活は、妙に庶民的で性に合っていたんだろう。


「仕事に行ってきまーすって言うサラリーマンな俺。

 それを見送る普通の主婦な奥さんと、普通の幼稚園に通う子供。

 そんな未来は、GS家業じゃまず考えられないだろうしなぁ」


「…………奥さんの席、まだ空席ですか? 私って、主婦が似合うタイプだと思うんですけど」


おキヌちゃんが、妙に色っぽい視線で、俺を見やってくる。

俺はそんなおキヌちゃんの表情一つにも、何だか時間の流れを感じた。

10年か。長いよな。

昔なら、こんなこと正面切っては、おキヌちゃんも言わなかっただろうし。


「そう言えば、あの子たちは元気ですか?」


俺がちょっとした感傷に浸ってしまったことに、気づいたんだろう。

おキヌちゃんは微笑とも苦笑とも取れる曖昧な表情で、話題を変更してきた。

気を使わせてしまったことに対する後悔。

あるいは、とりあえず話題が変ったことに対する安堵。

色んなものを胸中に抱えつつ、俺はおキヌちゃんの質問に答える。


「元気だよ。今日のお留守番は、ちょっと可哀想だったな」

「つれてくるかと思ったんですけど。ちょっと会いたかったなぁ」

「ダメダメ。結婚式で誓いの言葉を言うときに騒がれでもしたら、俺が半殺しだぞ?」

「そうですね」

「いや、ここはフォローしてあげてよ。いくら美神さんでも……って」

「でも、美神さんは変りませんから」

「子供産んだら、もう少し落ち着くかな?」

「美神さんの子供って、どんなのでしょうね? 女の子ならきっと可愛いと思いますけど」

「今生まれれば、今度は美神さんの子供が10歳になるころに、ひのめちゃんが結婚式かな?」


美神さんの妹である、ひのめちゃんを思い浮かべる。

もちろん、今この場にひのめちゃんの姿はない。

まだ10歳そこそこの彼女は、この2次会には参加せずに、早々に帰っている。


「よく抱っこしてあやしたりしてあげたあの娘が、もう少しすれば中学生なんだよなぁ」


さらにここから10年後と言えば、俺も40手前になってしまう。

そうなれば、今こうして隣にいるおキヌちゃんにも、もう子供がいたりとかするんだろうか?

そう考えて視線を隣にやると、何だかおキヌちゃんがこっちを睨んでいた。

なんと言うか、その視線には

『さっさとはっきりしてください! 待っていると、こっちもおばさんになっちゃいます!』

………とでも言うような、そんな非難っぽい感情がてんこ盛りだった。


「え、えっと、もうこんな時間か」


何だか居たたまれなくなった俺は、これ見よがしに腕の時計を見、腰を浮かせる。


「あら、もう帰るんですか? 久しぶりに会ったのに……」

「あいつらに留守番させとくのも、悪いから」


久しぶりに会った、好意を寄せてくれる元同僚……と言うか、仲間。

それよりも留守番しているペットを心配するって言うのは、確かに理由になっているのか、なっていないのか。

あるいは、ペットじゃなくて家族だ、と言っても……やっぱり、そそくさと帰る理由には弱いかもしれない。


「そうですか。残念ですけど……」


でも、俺をここで責め立てても意味が無いと思ったのか、おキヌちゃんは視線の質を変えてくれた。

今度は『優しい』と断言できるような微笑を浮かべて、おキヌちゃんは俺の言葉に答えてくれる。


「じゃあ、また今度お会いしましょ、横島さん」

「ああ、また今度」


俺はおキヌちゃんに別れの言葉を述べ、2次会会場を後にした。

おキヌちゃんと結婚、か。

いや、何か理由があって嫌だってワケじゃないんだけど、今一歩踏み出せないと言うか……。


(ごめんな。また今度、ゆっくり会おう)


俺は胸中で再度別れを告げて、自宅を目指した。





      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




ふぅっと、俺は息を吐いた。

そんなにガバガバと酒を飲むタイプでない俺にすれば、

今日は普段より4割増以上と言うくらい、よく飲んだ日だろう。

そのせいか、少々足元が覚束なかった。かなりフラフラだった。

……格好悪いなぁ、俺。

そう自嘲しつつ、俺は自宅であるマンションに到着。

ふらふらとエントランスを抜け、エレベーターに乗り、自宅の階へ。

鍵を開けて中に入り…………まず第一声は、こんなものだった。


「ただいまー」


誰もが言うであろう、有り触れた帰宅の言葉。

その声に応じて、部屋の奥から、のそのそとこちらに移動してくる物体が2つ。

おそらく、俺が帰宅するまでの間、暇を持て余して熟睡していたのだろう。

何だか、冬眠明けの熊のようだ。

まぁ、もちろん本物の冬眠明けの熊を見たことはないので、イメージだけれど。




「いい子にしてたかー? シロタマ?」




俺の言葉に、俺の『可愛い2匹のペット』は、それこそ可愛らしい声で返事をしてくれた。

俺はそんなシロタマに目じりを下げ、彼女たちを抱きかかえる。

少々重たいが、まぁ、体の丈夫さやら何やらには自身がある俺だ。

難なく抱き上げ、ほお擦りする。

心地よい感触が、俺の左右の頬に広がった。



「結婚ねぇ……」



多分、俺が積極的に結婚を考えないのは、こいつらに満たされているからだろうなぁ。

俺の首筋に擦り寄ってくるシロタマの頭を器用に撫でながら、俺はそんなことを思った。




















≪あとがき≫
読む人の立場によって、色々捉え方が変るお話。
ごく普通に考えれば、
『独身の横島クンは、その寂しさから結婚を考えているけれど、
結局ペットのシロちゃんとタマちゃんにメロメロで、結局はまだ真剣に考えるほど寂しがっていない?』と言うだけの話。

ただ、読む人の考えようによっては、
『独身の横島クンは、犬娘と狐娘を監禁し、ペット扱いでウハウハ生活中。そりゃ、結婚する気も起きないだろうさ』と言う感じのお話に。

帰宅後の横島クンがペットを呼ぶところで、
『おいおい!?』と思っていただければ、いたずら成功って言う感じです。

文章だからこそ出来る感じ。イラストがつくと捉え方のあれこれなんて、出来ませんし。
ちなみに、基本的に単発の小ネタですので、設定を深く考えてはいけません。(←これは読書上の注意です)




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