研修記




「あ、コンちゃ〜〜ん。おはよ〜」

「あ、おはようございます」


間延びした口調で、黒髪の女性は黒髪の少女に朝の挨拶をした。

時刻は午前6時31分。

この時刻を早いと取るか遅いと取るかは人それぞれだが、

少なくともこの黒髪の女性にすれば、今日もいつもと変わらないごく普通の朝だった。

山裾から顔を出した太陽が、ようやく人の住む街に光を注ぎだしたらしい。

彼女たちの立つ六道家の長い廊下にも、窓の外から朝日が差し込んでいた。


「今日の予定って〜〜、ど〜なってたかしら〜〜?」


黒髪の女性……六道冥子は、すでに着替えも朝食も済ませていた。

間延びた口調ではあるけれど、彼女自身は眠気を感じてはいない。

そのことを十分に知っていた少女……コンは、小首をかしげて思考する。

なお、コンはメイド服を着用しているのだが、少々身長が低いことも相まって、

その姿はメイドと言うより、ただ単にシックな系統でおめかしをしている少女でしかなかった。


「えっと、お仕事は今日は入ってなかったと思います。その代わりの予定が、ぎっしりです」


記憶の掘り返しを終了させたコンは、自身の主人に向かって言葉を発する。

外見的に頼りない彼女だが、しかしその役目はしっかりと果たしていた。


「あれ〜〜? 何かあったっけ〜〜?」

「はい。伊達さんが、模擬戦の時間を空けておけよ……って」

「あぅ〜〜」


心底面倒くさそうに、冥子は嘆息した。その様子に、コンは苦笑する。


「駄目ですよ、ちゃんと相手してあげないと」

「そうね〜〜。研修生からの希望だものね〜〜。でも〜〜私〜、戦闘訓練って嫌いなの〜〜」

「僕も、戦いは嫌ですけど……」


彼女たちがそのまま廊下で話しこんでいると、不意に遠方から衝撃音が響いてきた。

大して驚くこともなく、二人は廊下の奥へと視線を向ける。


『な、な、何やってんだテメェ!』

『何って……やぁねぇ。寝ぼすけさんを起こしに来て上げたんでしょ? もう』

『頬を膨らますな! 気持ち悪い! つーか、何だその格好!』

『メイド服よ?』

『そうじゃなくて!』

『可愛いでしょ?』

『だから! そうじゃなくて! な・ん・で! 着てんだよっ!』

『予定より早く仕上がったの。頑張ったわ〜〜』

『もっと他の事に回せ! その労力を!』

『そうね。夜這いとかに……』

『なんでだっ! してみろ! 本気でぶっ殺すぞ!』

『ふふ。雪之丞。貴方に私が殺せるかしら?』

『ぜってー殺す!』

『正直に言わせてもらうと、もっと頑張って実力を上げないと、無理よ』

『言われなくても、上げてやる! 上げてやるよ!』

『……で、頑張って修行して疲れたところを、私がパクッと』

『いただくな! いや、もう、頼むから、俺に近づくな!』

『そんなこと言って。昨日のオーバーワークで筋肉痛でしょ? 私がマッサージを……』

『いらん! ああ、いい天気だ! 朝のジョギングに行かなきゃな!』

『あらあら、無理は身体に毒よ?』

『ケツの穴を広げられるよりはマシだっ! くそっ! 死ね!』

『イヤよイヤよも、好きのうち……。分かってるわ。好きな娘には辛く当たる。これを人は心理とも真理とも言うのよ』

『だれが『娘』だ! ああ…………いや……もういい。勝手に言ってろ……』


唐突な衝撃音から始まった会話は、やるせなさをたっぷりとこめた少年の声で終わりを告げた。

そして扉が開く小さな音の後に、足音が断続的に廊下に響く。


「ユッキーと勘ちゃんは今日も元気ね〜〜」

「……伊達さんが可哀相な気がします」


自分たちとは反対の方向へと遠ざかっていく足音を受けて、二人は感想を漏らす。


「僕、伊達さんの気持ち、ちょっと分かります。だってタイガーさんも……」


コンは大柄で豪快な友人のことを思い出しつつ、嘆息した。

その嘆息には同情や呆れなどが多分に含まれていた。

彼女の友人は気のいい男なのだが、調子に乗って人の体をまさぐることがあった。

そういった部分が、彼女の中で勘九朗と重なるのだろう。


「そう言えば、トラちゃんは〜〜?」

「まだ寝ています」

「そう〜〜。お寝坊さんね〜〜」

「大丈夫です。鎌田さんが伊達さんの後に、起こしに行ってあげるって言ってくれましたし」

「コンちゃんは起こしに行ってあげないの〜〜?」

「はい。何か最近、僕を見る目が本気で怖いですし」

「そ〜〜なの〜〜?」

「ええ」

「よく分かんないんだけど〜〜」

「分かんなくていいと思います」


どこか残念そうに呟く冥子に、コンは苦笑した。


「ところで〜〜」

「何ですか?」

「ユッキーはなんで〜〜お尻のこと気にしたのかしら〜〜」

「えっと、その……それは……」


主人の疑問に、コンは顔を赤くして言葉を探す。

もちろん適切な言葉など、見つけることは出来なかった。

窓の外に広がる広大な庭では、困惑するコンとは比べ物にならないくらい、鳥たちが気ままに囁き合っていた。
























                  一つの術を研ぎ澄まし、そして極めるということは……























山から顔を出し、その後順調に太陽は空を上っていく。

やがて太陽が天の頂に昇った頃だろうか? 

六道家に大きな声がこだました。


「冥子〜〜! 待ちなさ〜〜い!」

「イヤ〜〜〜〜」


前者は母。後者は娘。

これほどなく分かりやすい主張をぶつけ合いながら、二人の母娘は広い屋敷の中を駆けていく。

普段はおっとりとした動きしか見せないはずの二人だったが、やはり本気になると違うのだろう。

六道家の分館の一つの前を通過するのを機に、二人の疾走速度は信じられない加速を見せた。

その速さたるや、二人の鬼ごっこを見守っていたギャラリーも、仰天するほどのものだった。


「速いな……」

「そうね」


六道家の庭の一角で鍛錬していた伊達雪之丞と、同じくそれに付き合っていた鎌田勘九朗。

二人は頷きあい、六道母娘の白熱するチェイスを観戦する。


「あの木の所から、あそこの入り口までって、50mくらいあったよな?」

「ええ。大体、そのくらいだったと思うわ」

「……約20秒か。蛇行していることを考えれば、実質15秒か?」

「普段の倍以上のスピードよね」

「…………あっ。消えたぞ?」

「空間転移ね」


二人の視線の先で、六道冥子は突然姿を消す。

眼前で消えた自身の娘に対し、母親は地団太を踏んで悔しがった。

『待て』と『イヤ』と言う言葉しか聞こえてこなかったので、

そもそも何故、追いかけっこにまで発展したのかは、雪之丞と勘九朗には分からない。

だが、あの母娘があそこまで真剣になるのだ、よほどのことだろう。

考えてみれば、六道家は名家である。親子間にそれなりの騒動がおきたとしても、何ら不思議はないだろう。


「ま、俺らには関係ないだろ」


そう適当に推測をつけた雪之丞は、鍛錬を再開する。


「そうねぇ。私たちはたかが研修生だし」

「ああ。模擬戦さえしてもらえりゃ、俺はそれでいいしな」

「バトルジャンキーね」

「変態にどうこう言われたくない」


勘九朗の言葉に答えた雪之丞は、呼吸を整え直し、

自身の体から発散されるエネルギーの効率を、様々な倍率に変化させる。

言ってみれば、足を鍛えるために緩急を織り交ぜたロードワークをこなすようなものである。

時に大きく、時に小さく。

大きなエネルギーの放出と言う負荷とともに、

小さなエネルギーの放出と言う繊細な力の制御を、身体に覚えこませていく。


なお、そんな雪之丞の隣で、勘九朗はうっとりとしていた。

体から大小様々なエネルギーを放出していく雪之丞の体は、ひどく緊張している。

その緊張は雪之丞に汗を流させ、彼の素肌をじっとりと湿らせていく。

青春に汗を流す少年。上半身裸である。女子ではないからこその、無防備さである。

ごく一部の趣味嗜好の者からすれば、確かにうっとりものである。


「…………」

「………………」

「……」

「…………」


勘九朗の視線を感じるものの、雪之丞は無視を続ける。

彼は今、胸中で『気にしたら負けだ』と言う言葉を繰り返していた。

ちなみに精神を集中させようと努力しているものの、雪之丞の発散しているエネルギーはひどく不安定だった。

やはり他者から他意を含んだ視線をぶつけられ続けられれば、無視するのも容易ではないのだろう。


「……」

「…………」

「……………うふっ♪」

「………っだぁ!」


結局、三分もしないうちに伊達雪之丞の堪忍袋の尾は、切れた。

彼は大きく唸りを上げ、勘九朗に指をびしりと突きつける。


「邪魔すんな! 楽しいか!? 俺の邪魔をして楽しいかっ!?」

「いやぁねー。見学してるだけでしょ?」

「今更、俺の修行を見て、お前が、一体、何を、学・ぶ・ん・だっ!?」

「可愛い乳首よねー。ためになるわ」

「やめろ! 虫唾が走る! 大体、なんのタメになるんだ!」

「それは………ねぇ? 聞きたい?」

「やっぱ言うな! 喋ったら殺すぞ! 言うなよ! 頼むから!」

「実は強気な雪之丞くん。でも、実は受け……」

「がぁぁああーーーーーーーーーーー!」


制止を聞くことなく、勘九朗は言葉を続ける。

その内容は雪之丞には判然としなかったが、不吉なものであると言う印象だけは受けた。

だから彼は再度大きく唸り、勘九朗の声をかき消した。

いきなり叫びだす雪之丞に勘九朗は『仕方ない子ねぇ』などと、実に慈愛に満ちた微笑を浮かべたのだが、

それすら雪之丞は気に入らなかった。

彼は勘九朗に突きつけた指を大きく振りつつ、言う。


「お前は! 道場にいたときはまだマシだったのに、何でだ! なんでここ最近はブレーキが効かないんだ!?

 つーか、その服装は何だ! 胴着を着ろ、胴着を! 今すぐ脱げ!」


雪之丞の指摘どおり、勘九朗は未だにシックなメイド服姿だった。

屋敷の庭に立つには不自然ではない……もちろん筋肉質な男子が無理矢理着ている様は不自然な……格好だが、

肉体的・精神的な鍛錬を積むための格好では、どう角度を変えたところで、見えはなしない。。


「ついでにけじめをつけろ! 研修期間は、終わるまでが勉強する期間だ! 

 遊びじゃないんだぞ! 遠足と同じだ! 家に帰るまでが研修だ! いや、遠足は遊びだがな!」


激昂する雪之丞に、勘九朗は小さく息を吐いた。

そしてまたしても『もう、仕様のない子ね』と呟いて、自身の着ているメイド服に手を伸ばす。

ボタンを外し、ネクタイリボンをほどき、ゆっくりとその身体を露出させていく。

鎖骨から肩にかけてが、その服の下から現れる。

健康的と言うか……実に筋骨隆々だった。

擬音で表現するならば、ピチピチよりもムキムキと言った風情である。


「ここですぐに脱げだなんて、せっかちね。太陽が見てるわよ……」

「俺は、着替えろと言ってるんだ!」

「生まれたままの姿に……」

「修行をする格好に、だ!」

「いちいち怒っていると、寿命が縮まるわよ? 冗談が通じないわね」


雪之丞は沈黙して、勘九朗にかざしている手の先に力を込めた。

そしてその力を圧縮し、瞬時に打ち出す。

きゅぼっ……と言う音ともに、勘九朗は突然発生した小さな太陽に飲み込まれた。

その熱の余波が、六道家の庭の芝生の一部を炭化させ、黒く染め上げる。


「…………冗談じゃなくて、隙があれば本気で俺を喰う気だろうが」

「もちろん、私はいつも本気でアタックよ?」


攻撃した雪之丞の背後から、勘九朗の声が零れる。

忌々しげに舌打ちしつつ、雪之丞は振り返った。

勘九朗が今の攻撃で致命的なダメージを受けるなど、彼自身も思ってもいない。


「っな!?」


彼の背後には、彼が考えたとおりに無傷の勘九朗が立っていた。

恐らくは攻撃を打ち出す瞬間に、とんでもないスピードで逃げ出していたのだろう。

まぁ、それはいい。雪之丞の予想の範囲内である。

ただ、勘九朗の衣服は、実に微妙な加減で、焼け焦げていた。

一部などは芝生同様に炭化しており、ぱらぱらと地面へと落ちていく。


「いやん、大事なところが見えちゃうわ」

「……勘九朗。お前はどこからどこまで本気でやっている?」

「無論、全てよ」

「なぁ、今は大事な時期じゃないのか? メドーサとかGS協会の動向やら何やら、色々あるだろ?」

「だから、馬鹿な真似をしている場合じゃないって?」


勘九朗は雪之丞の言葉を受けて、その場で感慨深げに頷く。


「そうね。もしGS試験会場での騒ぎが、私たちが大きな事を起こそうとして、

 結局それを失敗してしまったことによって起きたものなら、

 さっさと再起を計るためにも、こんな馬鹿なことをしていられないわよね?」


そんな勘九朗の言葉に、雪之丞は静かな声で聞く。


「まさか、わざと道化を演じているというのか……」

「ええ。私は要らない疑惑をかけられないためにも、こうしてメイド服を……ね。どう、貴方も一緒に」

「それこそ、ワケの分からん要らない疑惑が持たれるだろ? つーか、お前の場合、正直なところ、自分の趣味だろ」

「趣味と実益を兼ねるって言葉は、美しいわ」

「捨てろ、そんな言葉」


静かではあるが、熱さを秘めた声で、雪之丞は呟く。

そして彼は、すでに今朝から数えて何回目になるか分からない嘆息をする。


「こうして今日も時間は過ぎていくんだな。なんて……実りのない……」


六道冥子に仕事の依頼がある場合、実地経験と言うことで、それに同行することが出来る。

また時間を見て、研修者である二人には講義の真似事も行われている。

しかし、それ以外は基本的に、やるべきことなどない。

そう。GS協会から色々と疑惑を向けられている以上、

『六道家にてGS研修中』と言ったところで、その実態は『六道家の屋敷に軟禁中』なのである。

もちろん屋敷は広く、息が詰まるほど閉鎖的ではない。

だが、もちろん屋敷の全てを勝手に使用できるはずなく、様々な制約がついて回る。

そんな状況の中で、雪之丞にとって重視すべき事柄といえば、言うまでもなく自己鍛錬である。

しかし、現実はどうだろう?

目の前にいるボロボロのメイド服をまとう変態のせいで、自分の修行は全くはかどらない。

六道冥子に追いつくどころか、目の前にいるボロボロのメイド服をまとう変態にすら追いつけない。


「陰念……」


雪之丞は青がどこまでの広がる空に向かって、そう呟く。

同門である陰念は、メイド服が好きだと公言してはばからない人間だ。

頼めば代わってくれるだろう。

絶対、多分、恐らく……九部九厘……いや、三割二分くらいの確率で。


「もう。暖かい食事に寝床に、六道冥子と言う手ごろな目標の存在。この研修の何が不満なわけ?」

「お前だ。似合わん服を着ているだけで、鬱陶しい。考えてもみろ。男にウエディングドレスが似合うか?」

「大丈夫。人それぞれよ? そう、着てみたいのね、雪之丞。それを打ち明けられなくて、ずっとイライラして……」

「断じて違う!」

「分かってるわよ?」

「なら、言うな。頼むから……」

「確かに、今の私じゃ、ウエストとか二の腕が太すぎて、エレガントさに欠けるのよね。サイズも考えて仕立てたはずなのに、ぴちぴちだし」

「そこより、まず根本的に欠けている部分と言うか、余計な部分があるんだが」


げんなりとする雪之丞に、勘九朗は胸を叩いて言った。


「大丈夫よ。善処するわ」

「言っておくが、俺の言う問題は服のサイズを大きくしても、解消されないぞ」

「だ・か・ら・大丈夫! 見てなさい。私だって、ここ数日ずっと遊んでいたわけじゃないのよ?」

「……………………不安だ」


雪之丞は勘九朗に聞こえないよう、小さく小さく言葉を放った。

ああ、精神修養と言う意味では、自分は今、すごくよい環境にいるのかもしれない。

だって、アレだぞ? 男なのに、身の危険を感じて毎日過ごしているんだぞ? すごくないか?

ここは刑務所か? 錬度の低い軍隊か? どこかの映画館のトイレか?

なぁ、横島、陰念。

お前らのとこはどうだ?

美神令子は、厳しいか? 唐巣神父は、厳しいか?

少なくとも、アレだな。勘九朗よりは、マシだろう。



雪之丞が悲しみに暮れている頃、

美神除霊事務所では、横島忠夫が美神令子相手にセクシャル・ハラスメントを実行し、殴られていた。

その様子に横島の眷属である愛子は嘆息し、美神の助手である幽霊キヌは戸惑っていた。

よくよく考えなくても、男女比は……1:3だった。




      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 今日と言う日にどれだけの価値があるのだろうか?

 それとも、連綿と続いていく『毎日』と言うものに、

 いちいち価値を見出そうとすること自体が間違いなのだろうか?


 それは取り留めのない思考である。

 答えはどこにでも転がっているように思えるし、どこにもないようにも思える。


 唯一つはっきりと言えることがあるとすれば、

 白竜会道場で皆とともに修行に励んでいた毎日と、

 モノトーンの服装にその筋肉を包み込んだ変態にからかわれる毎日……

 そのどちらを過ごしたいかと尋ねられた時、

 自分は後者を心の底から選択したくないと言うことだった。


 そうだ。価値はあるのかもしれない。

 鎌田勘九朗と言う変態に慣れることが出来たならば、

 強大な敵と相対した時、その敵がたとえ女王様ルックでも自分は怯まないだろう。

 何ら油断などしないだろう。

 むしろ、鎌田勘九朗と言う前例を元に、警戒心はうなぎ登りに上昇するだろう。

 変態は手ごわい。そう、手ごわいのだ。様々な意味合いで。


 そう考えれば、価値はあるのかもしれない。


「とは言え、その対価にカマ掘られる可能性が付きまとうのだとしたら、どう考えても割に合わん……」


 勘九朗の相手に疲れた雪之丞は、彼を適当に撒くと、その足で書庫に向かった。 

 彼の呟きは名家六道家の廊下には、決して馴染まないはずのものだった。

 しかし、すれ違ったメイドたちがそんな彼の呟きを咎めないのは、

 彼の表情が本当に憔悴しきったものだったからかも知れない。


 雪之丞は書庫を扉を開ける。

 なお、一つ一つの規模が大きい六道家では、小さな書庫であろうとも、ちょっとした図書館並の広さがあった。

 壁一面を覆う本棚と、その前に置かれた机と椅子。

 本好きの人間ならば、一ヶ月程度入り浸ったくらいならば、なんら不満が出そうにない施設だった。


(一般的な本だけで、よくもまぁこんだけ……)


 扉を閉じて中へと入る雪之丞は、そんな感想を胸中で漏らす。

 なお、彼の感想の通り、一般的でない書物……つまりは六道家秘伝の書物は、もちろんこの書庫には置かれていない。

 この書庫は、あくまで市場に出回っているレベルの書籍が保存されているだけである。
 

「おお、ユッキーじゃないですかノー」


 本を物色している雪之丞に、声がかかった。

 視線を動かして見れば、勉強道具を机の上に広げている大柄な男が、彼に手を振っていた。


「? どうかしたんですかいノー? ユッキー?」

「お前まで俺を……いや、いいが」


 自身の愛称に瞬間的に腹を立てたものの、結局雪之丞は声を荒げはしなかった。

 声をかけた人間……タイガー寅吉は、そんな雪之丞に自身の前の椅子を指差した。

 雪之丞は本棚から適当な本を抜き出し、その席へと移動する。


「勉強か、タイガー」

「そうですケン。来学期から、わっしも高校に通うことになりましてノー」


 昨年の夏に事故から漂流と言う憂き目に遭い、最終的に地球を一周することで、なんとか自宅まで帰還した六道冥子。

 その彼女が旅先で廻り合った人間が、彼・タイガー寅吉だった。

 彼は今現在、六道家の雑用係として生活しているが、

 今後日本社会で生きていくのならば、せめて高校卒業資格は必要だろうということになり、こうして進学を目指している。


「残された準備期間は、もう僅かだな。どうだ?」

「わっしの頭じゃ、六道の人が推薦している私立は無理そうでしてノー。はっはっは」

「公立へ行くのか」

「行けると……いい……です、ノー」

「無理っぽいんだな」

「ところで、ユッキーは今日は一人ですかいノー」


 詳しく話したくはないのか、タイガーは唐突に話題を変更した。

 もっとも、その選択は雪之丞の機嫌をさらに悪くするものだったが。


「俺はいつも一人だ」

「いや、じゃけんども」

「何だ、タイガー? 俺がいつも勘九朗をつるんでいるとでも?」

「小耳に挟んだ話なんじゃが、イクとこまでイって……」


 タイガーの発音は、他意を多分に含んでのものだった。


「どこだ、それは! 誰だ! 誰が言った!」

「いや〜、メイドさんらの世間話と言うか、なんと言うか」

「…………あらぬ噂を流しやがって」


 頭に来たのか、雪之丞は机に拳を叩きつけた。

 しかし一応の加減は忘れていないのか、その被害はタイガーの鉛筆が転がるだけだった。


「くそ、本を読む気分でもねぇな」

「本当に読む気だったんですかいノー」

「なんだ、そりゃ? タイガー、俺を馬鹿だと思ってないか?」

「多少は思うとりますノー。正直、わっしと同レベルじゃ?」

「自慢じゃないが、俺は記憶力はいいぞ? そのおかげで不得意科目もほとんどなかったぞ?」


 現在のタイガー同様、高校には通っていない雪之丞だったが、その知識量はかなりのものである。

 それは彼がそう口にしているように、その優れた記憶力に起因している。

 そう。彼は自身が本当に幼い頃に母親が口にしていた呟きさえも、しっかりと覚えているほどの記憶力を持っていた。

 彼が高校に通っていないのは、学力が不足しているからではなく、あくまで彼が自身で修行の道を選択したからである。


「じゃ、この問題は分かりますかノー」

「分からん」


 数学の問題を適当に指差すタイガーに、雪之丞ははきはきと答えた。

 その答えに、タイガーは肩を落とす。


「大見得きって、それですかいノー?」

「待て。公式を見せろ。覚えて当てはめるだけだ」

「教科書を斜め読みで分かるもんですかいノー」

「……分かった」

「はやっ!?」


 雪之丞はタイガーに答えを突きつける。

 タイガーは教科書と、その解答集の内容を見比べる。

 ごく普通に書き出されたその内容は、解答集のそれと全く同じものだった。


「あ、当たっとります」

「当たり前だ。初歩的な計算ミスがなけりゃ、間違うはずないし」


 事もなさげに言う雪之丞。

 タイガーの眼には今の雪之丞が、ひどく頼りになる存在に映った。

 結果、タイガーは雪之丞に弟子入りすることを決めた。


「センセー、頼みますケン! あと二ヵ月! 二ヶ月で合格ラインにぃ〜!」」

「はぁ!? 俺は研修に来てるんであって、お前の家庭教師をしに来てるわけじゃねぇぞ!?」

「もうYUKI NO JYOセンセーしか、頼める人がおらんのじゃぁ〜」


「発音よくして誤魔化そうとしてんじゃねぇよ! 

 大体! 俺がお前に教えるために、無駄に勉強する必要が出てくんだろうが!」


 その後、タイガーと雪之丞の間で、長きに渡る交渉が行われた。

 雪之丞にとっては、まさに時間の無駄でしかない交渉だった。

 結果として……。

 雪之丞の苦労が増えた。

 得たものは、タイガーからの信頼だった。 


「嬉しくねぇなぁ、おい」


 雪之丞は一人呟いた。

 もっとも、誰も聞いておらず、同情などしてくれはしなかったけれども。




      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「いつにも増して疲れたな、今日は」


 今日と言う日に、どんな意味や価値があったのだろうか?

 変態に不穏な朝を迎えさせられ、

 変態に日課を邪魔され、

 知人には無駄な勉強を強いられ、

 その上に、疲労感だけは普段より多く覚えた今日と言う日…………。

 
 無価値ではない。

 そう。ゼロではない。

 むしろマイナスではないだろうか?


 そう自覚すると、ますます気分が重くなってくる。

 雪之丞は嘆息交じりに自室の扉を開けた。


「はぁ。もう、今日はさっさと寝て……」

「きゃぁっ!?」


 雪之丞の呟きに、小さな悲鳴が重なった。

 戸惑いつつ部屋の中に視線を這わせて見ると、悲鳴の主はすぐに見つけることが出来た。

 悲鳴の主は、雪之丞のすぐ前方……つまりは部屋の中心に立っていた。

 何故か、全裸で。

 その背後にあるベッドの上に衣服が無造作に置かれているので、どうやら着替えの途中だったようだ。

 まぁだからと言えども全裸である状況は、かなり不自然なのだけれども。


「も、もう……急に入ってこないでよ!」

「黙れ! 何でお前がここにいる!? ええ、勘九朗!? ここは俺の部屋だ!」
 

 他人の自室で、全裸で、着替え中で、鍛え上げたのが一目瞭然とした身体の、そんな男。

 それが……自分と同じ道場の兄弟子である。

 そんな事実を再確認した雪之丞は、何故か無性に泣きたくなった。

 普段よりも疲れているせいだろうか。

 彼の胸中には『もう、いっそ死んでくれ。無理なら俺を殺せ……』と言う、なにやら物騒な思いまで湧いたりした。


 人知れず胸中で泣く雪之丞。

 しかし彼とは全く正反対の、実に生き生きとした口調で、勘九朗は言葉をつむぐ。


「ここは雪之丞の部屋じゃなくて、正確には六道家が白竜会の研修生のために貸し出した部屋の一つ。

 つまり私がここで着替えをしていたとしても、何ら不思議はないわけよ。分かるかしら?」


「御託はいいから、さっさと服を着るなり何なりしろ! ありえんだろ!? 何で裸なんだ!?」

「ウブねぇ。そんなに私の体は眩しい? 顔を真っ赤にしちゃって……」

「誰が照れるか! これは怒りだ!」

「ま、分かってるけどね。からかっただけよ」

「こっんのっ! …………い、いや、落ち着け。落ち着け、俺。からかってくる相手に怒ったら、こっちの負けだ」


 雪之丞は深く深く呼吸を繰り返し、精神を落ち着けた。

 怒りに任せて叫び続けるのではなく、冷静さを取り戻そうとする。

 それは精神的な成長を意味し、十分に賞賛に値する事柄だろう。

 もっとも、全裸の筋肉男の前で深呼吸を繰り返す少年と言う絵柄は、珍妙なことこの上なかったが。


「とにかく、勘九朗はこの部屋で着替えをしているわけだな? それは分かった。で、その理由は?」

「昼間に言ったでしょう? その約束を果たしに来たのよ。で、着替える前にアンタが来たってわけ」


 こともなさげに言う勘九朗に対し、雪之丞の中では様々な疑問が湧いた。

『それは新しいメイド服を作り終えたということなのか?』

『つまり、お前は俺にちょっかいを出さなくなった後、ずっと裁縫をしていたのか?』

『と言うか、お前は下着までわざわざ女物に変えてんのか?』

『それを普通、世間では変態と言うのではないか?』

 少しばかり例として上げただけでも、このような感じだった。

 複雑な思いが、雪之丞の中には渦巻いていた。

 しかし、そんなことに気づく気配もなく……気づいたところであっさり無視して、雪之丞は勝手に話を進めた。


「さぁ、雪之丞。魔装術の真髄、見せてあげるわ」


 勘九朗はそう言うと、自らの体に気力を充実させ始めた。


「ちょ、待て! 勘九朗! いきなり術を発動させてんじゃねぇよ!?」

「ああ、そうそう。扉を閉めないとね。忘れてたわ」

「そうじゃないだろ! つーか、そう思うなら、最初から鍵をかけとけよ!」

「だって私、持ってないもの。雪之丞、鍵お願いね」

「…………いや、待て。じゃあ、どうやって入った? そう言えば朝もだ。どうやって入った?」

「それはまぁ、ねぇ? 放送禁止用語と言うか? 自主規制と言うか? ずばりピッキング」

「ああ、そうかよ」


 では今後は鍵ではなく、許可なしに開けた者が爆破される結界を張っておこう。

 そう固く決意しつつ、雪之丞は勘九朗の指示に従い、部屋に鍵をかけた。

 もう反論するのは止めよう。

 好きなようにやらせ、さっさと納得させて帰らそう。

 それが一つ決意とともに、雪之丞の心の中でたった今下された結論だった。


「……鍵、かけたぞ? だが、六道の屋敷の中で、いきなり魔装術を発動させて大丈夫か?」

「大丈夫よ。魔装術を極めるということがどんなことか、教えてあげると言ったでしょう?」


 勘九朗は充実させた気力を自身の内部で魔力へと転換し、そしてそれを結晶化させ、鎧としていく。

 自身でより効率的な力の制御方法を発見したのだろうか?

 勘九朗は本人の言葉通りに、実に繊細に術を発動させて見せた。


「どう、魔装術を発動させたけれど、そんなに余波は響かないでしょう?」

「ああ。確かに」


 夜を迎えた屋敷内に、突然魔力が発生すれば、絶対に騒ぎが起こる。

 そう考えていた雪之丞だったが……その予想は今、覆された。

 爆発的な力の発生はなく、静かに勘九朗の体は熱くなっていた。


「でも、なんだ、その姿は?」


 雪之丞は勘九朗の姿に首をかしげた。

 勘九朗は今、まるで岩の破片を身体に取り付けただけであるような、そんな実に不恰好な姿だった。

 もっとも、もとは全裸であったので、多少マシになっているという見方も出来るのだが。


「焦らないの。これが第一段階ね」

「ああ。分かる。魔力を体の外に出せて、鎧っぽく形成できる段階だな」

「ええ。そしてその次が……」


 雪之丞の言葉に頷き、勘九朗は魔装術の第二段階目を発動させた。

 岩の破片くらいにしか見えなかった鎧の一つ一つが流線型に変形し、より洗練されたフォルムを描き出す。


「そしてこれが第二段階。今のアナタや陰念の扱えるレベルの魔装術ね」

「ああ」

「前に言ったわよね? さらに上の段階があると」

「言ったか? 聞いたような気もするし、聞いてない気もするな?」

「まぁ、どちらでもいいわ。で、これがその第三段階」


 勘九朗の魔力の鎧はさらに収束し、西洋甲冑と表現していいだけの精巧さを見せた。

 鎧の一部一部が信じられないほどの魔力を凝縮しており、その硬度は計り知れない。

 また、不完全な雪之丞の魔装とは違い、極限まで放出される魔力を凝縮しているため、実際に外部に漏れる魔力は驚くほど少ない。

 つまり、今の勘九朗は気配を殺している魔物そのもののような状態と言っていいだろう。

 それには雪之丞も驚き、感嘆の声を漏らした。


「これは……すごい。純粋にすげぇと思えるぞ、勘九朗」


 感動と同時に、雪之丞は深い悲しみも味わっていた。

 これが人間的に尊敬でき、自分の目指す領域だと思えればよかったのに……と。

 残念ながら、雪之丞が目指すべき領域にいる存在は、完全無欠の変態だった。

 表現を簡潔化すると『雪之丞の目指すものは、完全無欠の変態』だった。


「大事なことは、私はまだ、ここから二段階の変化を残しているということ」


 複雑な思いに駆られている雪之丞に、勘九朗は呟く。


「こ、ここから、二段階だと? つまり、最終的には……」

「ええ。私が最終変化形態と思う段階は、五段階目ということ。アナタの三段階上の領域よ」


 魔装術を覚えるとき。

 そしてその覚えた術を実際に、思うがままに行使しようとするとき。

 その二つの段階を上っていくことは、決して容易ではなかった。

 しかし、勘九朗はそのさらに三段階上にいる。

 その事実に、雪之丞は愕然とした。

 この変態は、一体いつの間に修行を積んでいたのだ、と。


「ああ、落ち込まなくていいわよ。私はあることに気づいたから、階段を簡単に上れただけ」

「…………コツでもつかんだ、と?」

「難解な問題でも、公式に当てはめればすぐに解けるでしょう?」

「…………そう、だな。俺にも覚えがある」

「まぁ、見ていなさい。これが第四段階よ!」


 勘九朗は小さく叫び、鎧をどんどんと薄くしていった。

 まるで全身タイツのように、固い鎧が勘九朗の体に張り付いていく。

 また、彼の黒く固められた髪は、白銀の流れるようなものに変化していく。

 そう、勘九朗の魔力出てきた鎧が変化すると言うより、本人の肉体そのものが変化したようだった。


「第四段階は、鎧が大きく変化し、自分の内面に近づいていくの。

 当然よね?

 霊力を自身の中で魔力に転換し、その魔力で鎧を作るのが魔装術。

 霊力・魔力・放出の変換&転換効率が100パーセントになれば、自分自身の魂の色や形をさらすようなものだものね」


「それはいい。いいんだが……ふと気づいたんだが」

「何よ?」

「いや、これがどう、俺の改善要求につながるのかと」

「最後まで待ちなさい。焦らないで。さてさて、お次に第五段階!」


 効率を100パーセントから、120パーセントへ。120から130へ。

 勘九朗はどんどんと、自身の力のパーセンテージを上げていく。

 霊力などを実体化させ、そのパーセンテージを上昇させるという事は、逆に肉体を精神の従属物に貶めると言うこと。

 精神は肉体に比例すると言うが、つまりはその逆なのである。

 肉体を、精神に比例させる。

 もちろん暴走すれば自我も人としての肉体も破壊され、ただ暴れるだけの出来損ないの魔物になってしまう。

 勘九朗はそんな説明を口にしながら、パーセンテージをついに200まで上げた。

 そして彼は、自身の肉体を、自身の精神に比例させ、同調させた。

 完璧に、何の暴走もなく、だ。


「これが、第五段階。最終形態よ」


 雪之丞の目の前には今、小さな少女が立っていた。

 そう、少女である。

 白銀の髪を腰元まで流し、蒼い眼で雪之丞を見据えてくる少女。

 小ぶりな胸の頂点には、これまた小さく可愛らしい桃色の蕾。

 有り触れた表現だが、それこそ抱きしめれば折れてしまいそうなほどに、腰は細かった。


「どう、雪之丞? これならメイド服の似合いそうでしょ? コンちゃんと並んで、黒と白とかね」

「…………なんなんだ、これ?」


「だから、魔装術の第五段階よ。私の精神に、肉体を比例させ、同調させ、安定させ、定着させたの。

 言い方は悪いけれど、分かりやすく言えば、私は小さな少女のぬいぐるみを着込んでいる、とか?」


「本物にしか、見えんぞ? 声も変わって……」

「私の思い描く、内面の身体になったのよ? 変わって当然。それより、いつまで見つめる気かしら?」

「うっ!」


 そう勘九朗に指摘され、雪之丞は慌てて後ろに身体を向けた。

 そんな雪之丞の反応に苦笑してから、勘九朗はベッドの上に置いておいたメイド服を着こんでいく。

 まずは、ショーツを。そしてつける必要がないくらいの小さな丘だけれど、一応ブラも忘れずに。


「頑張って想像すれば、胸も大きく出来そうね」

「なら、他の人間の姿にもなれるのか?」


 着替えを続ける勘九朗に、雪之丞は疑問を聞いてみた。

 勘九朗はしばし考えてから、答える。


「無理ねぇ。私の内面を外に出すのよ? 例えば私の性格が雪之丞と近くなければ、私は雪之丞の姿にはなれないわね」


 答えながらも、勘九朗は衣服に身を包んでいく。

 柔らかな体と、それを包む衣服の立てる音。

 音として聞くだけならば、どうと言うことのない音だ。

 しかし状況によっては、おかしな刺激が湧いてくる音でもあった。

 事実、雪之丞の頬は高潮した。

 自分の後ろで、今、少女が服を着込んでいる。

 少女が…………少女が……。


「……って、待て! お前は勘九朗だろうが!」

「そうよ?」


 何故、自分が顔を赤くしなければならないのか。

 たとえ少女の姿をしていても、勘九朗は勘九朗である。

 そう結論つけて、雪之丞が振り返ると、勘九朗はきょとんと首をかしげた。

 少女の声で。そして半裸……着替え途中の少女の姿で。


「どうかしたの、雪之丞?」

「くっ、うう……」


 雪之丞は、何をどう言えばいいのか、分からなかった。

 ただひたすら胸中で、彼は一つの事柄を繰り返していた。

『まずい。まずいっ。何がどうまずいのかは知らんが、まずいんだ。ああ、非常にまずい!』


「ねぇ、雪之丞?」

「な、なんだ?」


 半裸の少女……とは言え勘九朗なのだが……は、艶然とした口調で言う。


「どう、この姿。筋肉美もいいけれど、やっぱり肌は白くて、腕は細くないとね?」

「……って、えっ!? お前、筋肉は嫌いだったのか?」


「自分の体を鍛えたのは、もちろん大きな力を得たいと言う側面もあったけれど、

 でも、ちょっと不本意な部分はあったわ。自分で自分を抱きしめるのは難しいし。

 アレよ。ぽっちゃり系の男の子の胸を揉んでも、女の子の胸を揉んだことにはならないと言うか……」


「いや。ワケが分からんぞ?」


「まぁ、代償行為とでも言うのかしらね?

 太い腕と、熱い胸板に抱きしめられたいのが乙女だもの。

 ああ、可愛い男の子ももちろん好きだけれどね。

 鑑賞用、実用、結婚用、不倫用。乙女の求める男のタイプって、ホント色々あるわけよ」


「待て! お前は乙女じゃないだろうが!」

「あれ?」


 勘九朗は雪之丞の言葉に面を食らい、そしてしばしの沈黙の後……笑った。

 わざわざ着込み始めていたはずのメイド服に再び手をかけ、勘九朗はボタンを外す。


「これでも、ダメ? 私じゃ……ダメなの? 私なんかじゃ……ダメ、ですか?」

「だっ……く、うっ」


 うるうると瞳を潤ませつつ、勘九朗は言った。

 何の状況説明もなければ、完全に何の罪もないいたいけな少女にしか見えないだろう。

 事実、中身が自分より年上の筋肉男だと知っている雪之丞でさえ、反応に困るほどだった。

 駄目に決まっている……と言う、たったその一言が、少女になった勘九朗には言えなかった。


「………………すーはーすーはーすーはぁ……。目の前のは勘九朗、勘九朗、勘九朗っ!」

「でも、今は女の子よ?」

「勘九朗は筋肉男、勘九朗は筋肉男、勘九朗は筋肉男、勘九朗は筋肉男っ! 結論、お前は男だ!」

「…………そう? じゃあ一回、中の奥まで見てみる?」


 呪文のように繰り返す雪之丞に、勘九朗は尋ねる。

 彼女……正しくはもちろん『彼』だが……は、雪之丞のベッドの乗り、左右の足を大股に開いた。


「何をしている!? つーか、見せるってどこのことだよ!?」

「膣内だけれど?」

「やめんかっ!」


 雪之丞は右腕を振り上げ、そしてその手の平に力を集中させる。


「もう、何もかも! ふ・き・飛・べぇ!」


 彼の手の平から直線的に伸びる光は、勘九朗を飲み込み、そして窓ガラスを割り……六道家の庭に大穴を空けた。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

「あらあら。ガラスを割っちゃって」

「って……! 避けたのかよ? 今のをっ!?」

「魔装術第五段階。舐めてもらっては困るわね。今の私は、ほとんど魔族と変わらないのよ?」

「っちぃ! サキュバスかよ、お前は!」

「サキュバス? ああ、それいいわね♪」


 雪之丞の口にしたサキュバスとは、簡単に言えば男性の精を吸い、それを糧として生きる魔物である。
 

「そうね、いいわ。世の男性は皆、私で萌えるがいいわ! そう、皆の劣情、全て一身に受けてあげる! 誰か私を抱いて〜〜〜!」


 勘九朗は破壊された窓から裸に近い身体を晒し、声を張り上げる。


「私は受けか攻めかで言えば! 総受けキャラなのよっ!」

「夜空に向かって、何を言ってやがんだ、お前は!」

「どこぞの国の女王なんて『早く私を殺しにいらっしゃ〜〜い』って叫んだのよ? 私の宣言くらい、可愛いものでしょう?」

「うそつけ! どこの国の女王だよ、それは!」

「完全平和主義国家だったかしら、あの国って。確か……何とかキングダム」

「……物騒な女王だな、そりゃまた。ああ、もういい。勝手にしろ。俺は……疲れた」

「癒して欲しい? 私の、この小さな体で、包み込んで」

「いらんっ! つーか、死ね! 死んで来い!」


 こうして、六道家で研修を受ける白竜会のGS候補生たちの夜は過ぎていった。













「…………誰か、俺と研修先、変ってくれ……」


 一人の白竜会GS候補が、小さく呟いた。
 
 もっとも、それは誰かに聞かれることもなく、同情されることもなかった。






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