第一話


 
 あるところに、小さな小さな村がありました。 

 その村は、大変困っていました。

 いつの頃からか、その村には悪霊が住み着くようになってしまったのです。

 その悪霊はどこにでもいて、しかしどこにもいない……ひどく不可解な存在でした。

 だから、誰も退治することが出来ず、どうすることも出来ませんでした。


 そして村はどんどんと歪んでいきました。

 どんどんと、どんどんと。

 そう。もう、自分たちではどうすることも出来ないくらいに、村は歪んだのです。


 村人たちは願いました。

 誰か助けてください、と。

 誰か、私たちを助けてください、と。


 そんなときです。

 その村に二人のおかしな旅人がやってきたのは……。


















            第一話      皆が困っている村で……















 青い空が、延々とどこまでも続いていました。

 その青一面の空に太陽が煌々と輝き、自身の眼下に広がる大地に光と熱を注いでいました。

 山々は凛々しく聳え立ち、そしてその山々の隙間から流れてくる川の水は、きらきらと輝いています。


 そんな天気のよい昼下がり。

 太陽を見上げながら、一人の他縛霊(注・幽霊。この場合、他者に強い因縁があり束縛される幽霊を指します)が、呟きます。


「あー……熱いとか寒いとか、そういうのが無くなるのも可笑しな感覚だな」


 烏帽子を被り、貴族衣装で身を固めた男の他縛霊でした。

 彼はぷかぷかと宙に浮きながら、その身体を前に進めていきます。

 そんな彼の下には、旅装束に身を包んだ女性がいました。

 旅帽子に隠れてしまっていますが、垂髪を背中辺りで綺麗に整え、尼削と言う髪形をしていました。

 彼女の格好は、諸国を漫遊する尼僧のそれでした。

 ただ、仏門には少々物騒とも思える太刀(注・片刃の剣。この場合は直刃のもの)を、腰から下げていました。


「一人で喋っているのも、馬鹿みたいだろ? 何か言えよ、メフィスト」

「他の人間に見えないアンタに答えてたら、私が馬鹿みたいでしょ。大体、今の私の名前は葛乃葉よ」

「ネーミングセンスがないなぁ。その名前」

「…………何を言ってるのか分からないけれど、取りあえず馬鹿にされたことだけは分かるわ」


 未来の自身を垣間見たことにより、多くの知識を得ている存在。

 そして、ある程度の知識しか与えられずにこの世に生み出された存在。

 暢気に浮かぶ他縛霊と、旅する尼僧の会話は、ひどく奇怪なものでした。

 そのせいもあるのでしょうか? 同じ進路を取るはずの二人の気分は、正反対のようです。


「さっさと成仏しなさいよ」

「メフィ………葛乃葉が俺の願いを叶えてくれたらな」

「私がアンタに惚れろってヤツ?」

「ああ。ゾッコンLOVEになれって言う、アレだな」

「らぶ? ぞっこん? 意味が分かんないし、それに私に惚れられて、嬉しいわけ?」


 ふぅっと嘆息し、尼僧は自身についてくる幽霊に尋ねます。


「当然じゃん! 心通いあわす真の恋人。愛し、愛され、温かい布団にINだ!」

「…………まぁ、私が惚れた瞬間、アンタは成仏するわけだけれど?」

「そう言えば、そうだったっ!?」

「仮に成仏しなくても、アンタは実体なんてないわけで? 自分でもそう言ってたでしょ?」

「確かにっ!? ダメじゃん! ダメダメじゃん!?」


 歩みを止めることなく、続けられる会話。

 しかし、片方は霊体であり、実体を持つものの声ではないため、響きはしません。

 どれだけ叫んだところで、誰にも咎められることはありませんでした。

 もっとも、京の都から遥かに離れた辺境の細い道に、人通りなどありませんでした。

 彼らの会話を聞くものと言えば、草やそばを流れる川の中の魚くらいなものです。


「さっさと成仏しなさいよ」

「でも、俺がいなくなっちゃうと、寂しいぞ?」

「寂しくなんかないわよ! ったく、鬱陶しい」

「うわぁ。天然のツンデレだな! うん、悪くない」

「何をワケのわかんないことを」

「来世の俺の知識さ」

「つまり、馬鹿は死んでも治らないってことね」

「そんなこと言って。自分だって俺と同じ時代に転生してたっぽいくせに」

「知らないわよ。そんな先の話」


 彼らはその後も、痴話喧嘩じみた会話を続けながら、道を歩きました。

 彼らは今、北へ北へと向かって旅をしています。

 旅。それ自体には深い意味などありません。

 ただ、家も財産もない彼らは、一箇所の土地に留まることに大きな意味を見出せませんでした。

 よって、自身により多くの経験を積ませるために、

 彼ら……主に彼女。他縛霊は付き添いとして……旅に出たのです。

 なお、何故北に向かっているかと言うと、この国の南には大宰府と言う組織があり、

 その組織では以前、菅原道真と言う人物が死んでいました。そして彼らは、その人物が少々苦手でした。

 そこで、南が駄目なのであれば、北に行けばいいという結論が下されたのでした。




      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 しばらく歩いていると、彼らの前方に小さな集落が現れました。

 それに気がつくや否や、他縛霊は声を上げました。


「お、村だな! 規模は……意外と大きいな。こんな辺境に」


 京の都を出て、いくつかの集落は超えてきた二人ですが、村と呼べるものは今日が初めてでした。

 他縛霊は自身の体の高度を上げ、空から村を観察し、感嘆の息を漏らします。

 しかし、ともに旅する尼僧の答えは、大した感動などないものでした。


「あれで?」

「都と比べるのは、可哀相だろ」

「貧弱。弱い魔物相手でも一晩でやられちゃうわよ、あんなの」

「今まさに、人の皮を被った妖怪が入ろうとしているところだしな?」


 尼僧の顔を覗き込みながら、他縛霊は言います。

 
「…………何が言いたいわけ?」

「別に」

「……まぁ、いいわ。疲れたから、ちょっと寄って行こうかしら? わざわざ迂回する必要もないし」

「客でも取る気か?」

「何を言ってるの?」

「普通、旅をしている尼の路銀の主な内容は、夜の相手だぞ?」

「夜の相手?」

「つまり、男と寝てお金を稼ぐってことだな」

「別にそんな気はないわよ?」

「向こうはそう思わないと思うぞ」

「知らないわ。寄って来たら、叩くだけよ。あ、でも……うん」


 言葉途中で歩みすらも止め、尼僧は考えだしました。

 その様子を怪訝に思った他縛霊は、空中で体勢を整え、胡坐をかいて彼女に問いかけます。


「どうかした、葛乃葉?」

「いや、アンタが私より余裕のある理由が、男女の肉体関係に起因するなら、ここで経験しておいた方がいいかしら?」

「なっ……」

「ついでに路銀が増えるなら、一石二鳥よね? あって困るものでもないし」


 大したことではないように喋る尼僧に、他縛霊は絶句しました。


「……………頼むから、止めてくれ。見せ付ける気かよ?」

「私の勝手でしょ? 別にコトの最中は、アンタどっか行ってればいいじゃない。それこそ、女の家の覗きにでも行けば?」

「いや、頼む。止めてくれ。くそ、んなことになったら、俺は全身全霊をかけて、呪うぞ」

「呪うって……今だって似たようなモンでしょ。私に憑いて来ているわけだし」

「とにかく、いやだ! 駄目! 却下!」

「あー、はいはい。五月蠅いわね。まぁ、別にどうしてもやってみたいわけじゃないし」


 むきになり始めた他縛霊に、尼僧は苦笑しました。


「大体、歩くのが面倒なら、俺にみたく飛んで行けばいいだろ」

「力はあまり使いたくないのよ。バレたり見つかったりして痛い目を見るくらいなら、人間のふりをする方が楽」

「バレるもなにも、あのマント男……アシュとか言う奴は、もういないだろ?」

「何でいないのかが分かんないじゃない。丁度その時、私たちは何も見ていなかったんだし」

「まぁな。俺も死体から魂が出て、幽霊化しようとしてた時だったし」

「用心に越したことはないわ」

「まぁ、俺はどうでもいいけどね。一回死んだ身だし。つーか、一緒に死んで転生してしまおうぜ」

「お断りよ。誰がアンタなんかと心中するか」


 吐き捨てるように、尼僧は言いました。


「……一回くらい、俺の願いを何か聞いてくれてもいいだろ?」

「イヤよ」

「これじゃ、俺が成仏するのはいつになることやら。一回願いを聞いてくれさえすれば、未練がなくなって成仏するかも、だぞ?」

「嘘つきなさい。する気なんか、ないでしょ」

「俺は生まれて死ぬまで、嘘ついたことはないっ!」

「それこそ嘘でしょ」




      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 村の中は、やけに静かでした。

 そう。それはそれは不自然なほどの静けさで、生気というものが感じられませんでした。

 怪訝に思った二人は、村の中を細やかに観察していきました。


「飢えて全滅でもしたのかしら?」

「それなら、人骨が落ちてたりしても良さそうな気がするぞ?」


 閑散とした村の中を、疑問を浮かべながら二人は歩いていきます。


「……本当に人の気配がしないな」

「そうね。ついでに言えば、人骨も落ちていないわね」

「つーか、家がぼろいなぁ。こんな床でよく寝れるなぁ」

「さすが、一応は貴族だった男ね。庶民の辛さを知らない台詞ですこと」

「いや、だって、屋根に穴開いているぞ、あの家なんて」

「ふさぐだけの余力がないんじゃない? 飢えで」

「別問題だろ?」

「じゃあ、屋根に上る体力が残されていないのよ」

「…………だったら、マジでヤバイな。とも喰いとか起きてんじゃないか?」

「骨まで残さず食べるってこと? まさか。だって、骨って固いのよ? 衰弱した人間が噛み砕けるわけないじゃない」

「俺は別に、そんな冷静な答えが欲しかったわけじゃないんだけど」

「そうなの? あっ……井戸があるわね」


 村の中央から少し外れたところには、尼僧の言葉通りに井戸がありました。

 尼僧は適当に石を拾って、その井戸の中へと石を放り込みます。

 こんっという乾いた音が、小さな穴の中で何度も反響しました。


「渇きで滅ぶ?」

「ついさっき、川を通ってきたぞ? 汲みに行けばいいだろ?」

「そうよねぇ。井戸が一つ枯れた程度で、村一つ全滅はしないわよね」

「うーん。あの川が氾濫して、洪水が起きたとか?」

「なら、家々がこうして原形を留めている理由がないでしょ」


 少々くたびれた感の大きい家々だけれど、それでも一目見て家だと分かるくらいには、形がありました。

 もしも村の人々全てを押し流し、そして死なせてしまう規模の洪水が起きたのだとしたら、

 家々も完全に壊れきっているはずです。


「ごもっとも」


 他縛霊は尼僧の説明に、小さく相槌を打ちました。

 二人はそれからも、いつも通りに会話を続けながら、足を進めます。

 すると村の外れに、多くの人々が集まっていました。

 この小さく静かな村に、よくこれだけの人がいたものだと思えるくらいの人だかりでした。


 二人は視線で頷き合うと、その場へと走っていきました。

 もちろん言うまでもなく、他縛霊は尼僧の上を飛んでいきました。


「どうかしたのかしら?」

「……その姿は……尼僧か?」


 尼僧が問い掛けると、村の長らしき老人が口を開きました。


「旅のものよ。まぁ、尼僧でいいわ。で、何をしているのかしら?」

「最近、山に不穏な空気が漂い始めておっての……」


 村長は旅人である尼僧にも、きちんと説明をしてくれました。


 なんでも、この村は呪われているらしいのです。

 そしてその原因は悪霊の存在にあり、その悪霊は今、どうやら山にいるらしいのです。

 そして村人はこうして集まって、その悪霊を退治する策を考えているところであるらしいのです。


「ふうん? 悪霊ねぇ? 誰かが姿を見たのかしら?」

「いや。じゃが、悪霊は間違いなくおるのじゃ。不穏な気配を感じる」

「ここ最近で見た者がいないなら、気のせいかも知れないでしょ?」

「悪霊は人の心を油断させ、その隙間に潜り込もうとするのじゃ。警戒に越したことはない」

「まぁ、分からなくはないわね」

「……そうじゃ。出来れば、我々に力を貸してくれぬか?」


 村長は尼僧にそう持ちかけます。

 しかし尼僧はひどく冷めた視線で、村長を見下ろしました。


「人々の善行を施すのが仏門の道理だから? お断りよ。私は見ての通り、旅の途中なの」

「謝礼は用意しよう。今年は例年になく、豊作じゃ。もちろんほとんどは群司に収めるので、さしたる余裕はないが、それでも多少は……」

「要らないわ」

「では、何が欲しい? 銭か? あまりないが、全くないわけでもないぞ」

「何も要らないわ。別に私には欲しいものなんて、ないから」

「銭も、米も、何も要らぬと? では、男はどうじゃ? 村一番の若者を用意してもいい」

「お・こ・と・わ・り! そんなの、むしろその若い男がラッキーじゃない。私みたいな綺麗な女の相手なんてさ」


 尼僧は村長に顔をこれでもかと近づけて、そうのたまいました。


「まったくだな。つーか、北に行けば行くほど、銭なんて流通量が減るだろうから、意味なくなるし」


 それに同調した他縛霊も、声は聞こえないだろうと自覚しつつ、呟きます。


「では、おぬしは完全に満たされておると?」

「そうは言わないけれどね。まぁ、欲しいものなんてないわ」

「では、何故山に悪霊退治をしに行くのがイヤなのかのう? 自身が満たされておるならば、少しくらい他者にも……」

「面倒くさい。絶対イヤよ。毎日どれだけ歩いていると思ってるの? 私は疲れてるの」

「じゃ、じゃあゆっくり休んでからでもいいのじゃ。それに、山を越えるのであれば、通り道じゃろう?」


 村長は尼僧が来たと思われる方向と、これから行くと思われる方向を指差しました。

 それからその指を少しだけ上へと上げて、その方向にある山を指差しました。
 

「あの山を越えるんじゃろう?」

「確かに、そのつもりだけど」

「ならば、ゆっくりこの村で休み、疲れが取れ次第、我が村の者と登るがよい。途中、悪霊が出れば、少しだけ力をかしてくれればよい」

「どうしても私に力を貸して欲しいようね」

「それはそうじゃ。悪霊には、我らのような普通の人間より、尼の方がよい」

「…………まぁ、いいわ。じゃあ宝の一つでも用意してもらいましょうか」

「お、おぬし。さっきは何も要らんと言わんかったか?」

「言ったわね」

「では、宝とは?」

「人に物を頼む時は、そのくらいの用意が必要ってことよ。欲しい欲しくないに関わらず、誠意よ」

「なんと言う尼なのじゃ、おぬしは」

「不服? じゃあ、遠回りになるけれど、あの山は迂回することにするわ」

「ま、待て。出さぬとは言ってないじゃろ」

「…………って言うか、本当にあるの? こんな貧相な村に」

「な、ないこともないと言ったじゃろう。幸いにして、過去にこの村を通過した旅人が残していったものもある」

「何でもいいわ。貰える物は貰っておくつもりだし」

「それにしても……まったく。なんと言う尼僧じゃ」


 村長は、苦虫を噛み潰したかのような顔をしました。

 それに対し、尼僧はにっこりと笑っていました。

 その光景はまるで、悪魔に無理難題を押し付けられた人間と、その悪魔のようでした。




      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 夜も深けて、家の外からは虫の声が聞こえる時間になりました。

 日中は雲ひとつない天気だったので、恐らく今は星々が輝いていることでしょう。

 そんな心地よい夜の一時。

 褥に横になった尼僧と、その彼女の上に寝転びながら浮かぶ他縛霊。

 彼らは山で悪霊を退治すればもらえることになる宝について、話をしていました。


「で、結局何がもらえるのかしらね?」

「さぁ? こんな片田舎に、宝も何もないと思うけどな?」

「何にしろ、貰えるモンは、貰っておきましょう」

「ホントに強欲な尼さんだなぁ」

「いいのよ。本気で仏門に下ったわけでもないし」

「うわぁ、今の発言、絶対後から神様に反感買うぞ?」

「知ったこっちゃないわね。この格好だって、都合がついたから着ているだけだし」


 尼僧は神も仏も信じる気などないと、そう締めくくりました。

 その台詞に、他縛霊は苦笑するやら、嘆息するやらでした。


「まぁ、葛乃葉に信じられたら、神様もびっくりだろうな」


 他縛霊はそんな言葉で、お茶を濁すことにしました。

 そして、話題を元の物に戻しました。


「まぁ、明日は頑張れ。悪霊退治だぞ」

「そうなるみたいね。面倒くさいことに」

「大した報酬も得られるわけでもなさそうなのにな」

「一泊ゆっくり出来ただけでも、感謝すべきかしら? たとえ、天井に穴が空いていたとしても」

「多分そうだろうな。まぁ、これが人間の世界の旅と言うもので」

「何を分かったフリしてんのよ。アンタだって、都から出たことなかったくせに」

「しかも、生まれて初めての旅は、死んでから宙を浮かびつつ、だもんな」

「アンタは快適かしら?」

「まぁ、牛車や馬よりは飛ぶほうが楽だな。でも……」

「何よ?」

「目の前に綺麗な女がいるのに、手を出せないのは悲しい。死ぬ前はそれなりの陰陽師だったつーのに、何にも出来んのも、悔しい」

「幽霊として長く過ごせば、そのうち実体っぽく振舞えるんじゃない?」

「それは、いつだろうな? 物がつかめたり、人に触ることが出来るようになるのは」


 他縛霊は、自身を縛る原因でもある尼僧に、手を伸ばしました。

 その手は尼僧の体を突き抜けて……何にも触れることはありませんでした。


「冷たさが無い代わりに、温かさもないってのは、寂しい」

「…………何を深刻ぶってるのよ」

「ぶってるんじゃなくて、深刻なんだ。手が出せん」


 その他縛霊の言葉は、いつになく真剣なものでした。


「……馬鹿。未来永劫、出さなくていいのよ」


 だから彼女は、少しだけ照れて、そう言いました。

 言ってから『本当に出されなかったら、それはそれで寂しいことなのかも知れない』と、彼女は思いました。

 心の、本当に片隅で。小さく、自分でも気づかないくらいに。

 あるいは気づいていたのかも知れませんけれど、彼女は無視したのかも知れません。




      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 翌日も、昨日に引き続き快晴でした。

 尼僧は起きるなり、抜き身にしておいた太刀を確認し、刀身についた露を払います。

 なお、太刀を抜いたまま寝るのは、一種の習慣であり、そして風習でした。

 刃には魔を払う力があると信じられていたため、

 枕元に抜き身で置いておくことは、この時代に置いて有り得ない事ではありませんでした。

 また、こうしておけば即座に危険に対応できるという利点もあります。


「律儀なのか、それともただの馬鹿か……? まぁ、いいんだけどね」


 呟きながらに太刀をしまい、朝の身支度を彼女は進めていきます。

 まずは髪に櫛を通し、毛先まで丁寧に流していきます。

 これは長い髪の毛先までを荒れないようにするための行為で、

 この少しばかり特殊な存在である尼僧には、必要がないと言えばない行為です。 

 何しろ彼女の体は普通の人間とは違っているのですから。

 それでも、人間らしく振舞うことにより慣れようと、

 ちょっとしたことでボロを出さないようにと、彼女は丹念に髪を梳かしました。


「ったく。こっちはこっちで未だに爆睡しているし」

「う〜ん……何が? あれ、もう朝?」


 尼僧が呟くと、それに呼応するように他縛霊が目を覚ましました。


「やっと起きたわけ? 起きるのが相変わらず遅いわね」

「さっさと起きたら、着替えが出来ないとかどうとか、怒るくせに」

「って言うか、何でアンタが私と同衾しなきゃいけないのか……って言う話だけれどね」

「ふあぁ〜。俺には外で眠れとでも?」

「夜露に濡れるわけでもないでしょ? 大体、欠伸して意味あるわけ? 新鮮な酸素の送り先は?」

「気分の問題。はふぅ」


 二度目の大きな欠伸をしつつ、他縛霊は尼僧の質問に答えました。

 確かに尼僧の言うとおり、休ませる脳が存在しないので、彼は睡眠など必要ないはずです。

 実際のところ、彼はつい最近まで、尼僧が眠った後に彼女の寝顔を見つめていたりしました。

 しかしそのことを悟った彼女が不機嫌になって以降、彼は眠るように心がけるようになりました。

 結果、生前の大らかと言える性格のせいもあり、今では彼は立派な寝坊屋さんとなっていました。


「じゃあ、今日は山を越えるわよ。ついでに、悪霊退治ね」

「了解。まぁ、俺は別に疲れているわけでもないし」

「いいわよね、アンタは」

「疲れない代わり、死んでるわけです。これ、素人にはオススメできないね。諸刃の剣よ」

「私だって、オススメされたくないわよ」 


 軽口を叩きあいながら、彼らは外に出ました。 

 すると、外では村人と朝日が彼らを待っていました。

 他縛霊は、大勢の村人たちを見やりながら、尼僧に尋ねました。


「実際、疲れは取れてるのか? 体調は?」


「大丈夫よ。疲れた疲れた言っても、ただ歩いているだけだしね。

 精神的な退屈さが苦痛ではあったけれど、肉体的には問題ないわ。でも、どうして?」


「いや、悪霊退治は何だかんだで大変だろうし」

「問題ないわよ」


 尼僧は他縛霊の言葉に、自信をこめて答えた。




      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 険しい山道を、一行は進みました。

 天気はよいのですが、生茂る草木が陽射しを遮るため、足元は多少薄暗くもありました。

 先頭は、村の若者。

 その後に、村長。

 次に尼僧。

 そのさらに後ろに、村の強い若者たちが数名。

 なお、村人は各々荷物を持っていました。

 それらは悪霊退治用の道具や、退治終了後に尼僧に渡す報酬であるそうです。


「そろそろ山の中腹だよな」


 他縛霊は尼僧から離れて、一行の最後尾でそんなことを呟きました。

 彼は視線を尼僧に向けます。

 すると、その視線に気づいたのか、あるいは声が聞こえていたのか、尼僧は後ろを振り返りました。

 彼は自身の方向を向いた尼僧に対し、『言葉で答えなくていい』と言ってから、尋ねました。


「気づいている? 敵に」

「…………」


 質問に言葉で答えず、尼僧は表情にて答えました。


「何だよ、その人を馬鹿にしたような顔は」


 尼僧は他縛霊の言葉に苦笑して、歩みを止めました。

 そして太刀を抜き、自分の前を歩く村長に斬りかかりました。

 何の躊躇もなく、一気に。


「ひぎゃぁっ!?」


 村長は突然のことに、何ら反応を示すことも出来ずに、彼女の太刀によって斬り裂かれました。

 意味を持たない無様な悲鳴とともに、村長は吹っ飛んで、先頭を歩く青年の背中にぶち当たります。


「?」


 自身の背中に決して軽くない衝撃が走ったからでしょう。

 一番先頭の青年が、背後を振り返ります。


「?」


 振り返る青年の顔には、特にこれといった感情は浮かんでいませんでした。

 そしてそれが、青年の浮かべた最期の表情でした。

 振り返った青年の顔に、尼僧の太刀が振り下ろされました。

 青年は顔から胸、そして腹に至るまでを切り裂かれ、地面に転がりました。

 一瞬にして、二体の死体が転がりました。


 いえ、違います。


 最初に斬られた村長はむくりと身体を起こし、そして斬られた青年は骸骨へと姿を変えてしまいました。

 転がったはずの一見して死体と分かる死体は、これで消えてなくなってしまいました。

 苦しみもせず立ち上がった村長さんと、骸骨になってしまった青年。

 どちらも口を開きません。その場に、ちょっとした静寂が訪れました。


「何をするのじゃ!?」


 その静寂を乱したのは、村長さんでした。
 
 怒声を放つ村長さんに、尼僧は嘆息交じりに答えました。


「何って、悪霊退治よ」

「なっ! ワシが悪霊だと気づいておったのか!」


 村長はその顔に大きな驚きを浮かべました。

 それに反応し、また嘆息。

 今度は尼僧ではなく、列の最後尾から物の成り行きを見守っていた他縛霊でした。


「気づかれないと思っていたのかな、こいつ?」


 地面に転がる骸骨を見やりつつ、他縛霊が尼僧に話しかけました。


「そうね。気づかないはずが無いでしょうにね?」


 尼僧は面白くもなさそうに、村長と他縛霊の両方の質問に答えました。


「どこで分かった?」

「最初からよ」


 村長は視線を厳しくして、尼僧に尋ねます。

 ついでに他縛霊も口を開きました。

 彼の声は村長の緊迫した表情をよそに、実に能天気なものでした。


「俺も。葛乃葉と似たようなタイミングだと思う。

 生活感の無い家々に、枯れた井戸に、しかし今年は豊作と言い張る村長。

 しかも、その上で何が何でも山に連れて行きたがってたし、

 何より、気配が胡散臭かったよな。

 まぁ、都の餓鬼に比べれば、うまく隠していたほうだけれど」


「ついでに言えば、村長しか喋らないっていうのも、不自然よね。

 まぁ、そんなことはどうでもいいわ。お望みどおり、私は悪霊の退治をするだけよ?」


 他縛霊の言葉を引き継いだ尼僧は、村長に向かって刀を構えます。

 村長はびくりと身体を震わし、そして次にいやらしい笑みを浮かべました。


「くくく。ワシを斬るか? お主に出来るかな? 背後におる村人は、全てワシの意のままに……」

「はいはい。じゃあ、先にそっちから」
 

 村長の言葉途中で背後を振り返った尼僧は、突っ立っている村の若者を次々に斬り倒しました。

 村長はその光景に一瞬だけ我を忘れ、唖然とします。

 さらにその隙を突くように、尼僧はまやかしの肉を被った骸骨を地に伏して行きます。

 容赦などありませんでした。

 まるで不必要な雑草でも切るかのように、尼僧は若者たちを斬り裂いていきました。

 
「…………って、待てい! ワシはまだ操っとらん! 無抵抗じゃろう!?」

「知ったこっちゃないわ」

「貴様、それでも人か! 戸惑え、躊躇せい、慄かんか! この似非尼め!」

「悪いけれど、尼じゃないのよ。それ以前に、人間でもないから」

「な、なんだと?」

「あら……もう駄目ね、この刀」


 尼僧の持っている太刀は、何人目かの村の若者の頭に叩きつけた時に、使い物にならなくなってしまいました。

 彼女は完全に折れ曲がった太刀を捨て、指の関節を鳴らしながら村長に向き直ります。


「言ってしまえば、私はアンタと同じ側よ」


 それが、村長の聞いた最後の言葉でした。

 正しくは、村長の乗り移っていた悪霊の聞いた、最後の声でした。

 悪霊は村長の頭ごと、尼僧に握りつぶされ、消滅させられてしまいました。

 固い骨の砕ける音が、木々の隙間によって反響し、何度も山に鳴り響いたような気がしました。


「はい、終わりっと」

「とっくに気づいているなら、最初っから潰せばよかったのに」


 肉が消え、頭部のなくなった白骨死体となった村長。

 それを適当に放り捨てる尼僧に、他縛霊が質問をしました。


「大体、何でわざわざ刀を使うんだ? 実は前から気になってたんだけど」

「人間は普通、武器を使うでしょう? だからよ」

「そんなことにこだわらなくても。結局止めは人外の力を使っちゃったわけだし」

「でも、無計画に霊波砲を撃っていたら、それこそ疲れるじゃない?」

「ああ、それには納得。俺に身体があれば、御符を作った上げられるんだけどなぁ」

「いいわよ。太刀って言うのも、中々面白いから。まぁ、折れちゃったけど」


 ひとしきり喋ってから、尼僧たちは骸骨たちが持っていた荷物を検分しました。

 すると、その中からは片田舎にあるものとは思えない、鉄製の高価な道具が入っていました。

 その道具を見るなり、その価値の分かる他縛霊は感嘆の声を漏らしました。


「うわ、すごっ。鉄だぞ、鉄。いや、鋼かこりゃ? しかも……人の血と脂付き」

「この血と肉片は、割と最近のものね」

「これで人を解体して、喰って、残った骨で仲間を増やすわけだな。うん、無駄が無い」


「村人を食い尽くした後は、旅人が目標だった……ってわけね。

 村の中でやってしまわないのは、作業中に他に旅人が来たら都合が悪いからかしら?

 力は大したことないくせに、知能だけはある奴等ね。どう思う? 元・陰陽師としては」


「餓鬼と人の怨念が結びついたのかも? 

 俺の存在にも、葛乃葉の正体にも、全く気づいてないみたいだったし、能力的には弱かったけど。

 ああ、そう言えば、操っているという割りに動きが変だったな。と言うことは、呪いか何かも……。

 となると、まだあの村にいる残りの村人たちは、彷徨っているのかも知れないな。

 俺と違う点があるとすれば、自意識がないという……うわぁ、可哀相だなぁ、それ」


 効果で貴重な鉄製の道具を適当に捨て、尼僧は背筋を伸ばした。

 そして、足を山を下る方向へと彼女は向ける。


「夜のうちに襲ってくれば、いっそ清々しかったのに。バレてるとも思わないで、策を続けた愚かさよね」

「普通の旅人やら、自分の農地から逃げてきた農民なら、十分騙せたんだろうけどな……って、どこ行くの?」

「村に戻るのよ?」


「なんで? まさか、哀れな村人たちを迷いから救ってあげるとか? うわ、葛乃葉ってば優しい!」

「ううん。こいつらの持ち物がしょぼかったから、あの村全体を探索しようかと思って。探せば何かあるでしょ?」

「わざわざ引き返してまで? この鉄鋸では駄目なんか?」

「私が欲しくないんだもの、そんなモノ」

「わがままだなぁ」


「いいのよ。貰えるモンは、貰っとくのよ。旅に置いては、それくらい図太くないと。

 そう。それこそ生ける屍としての運命から救ってあげるんだもの。感謝の印が欲しいわ」


 悪しき運命から救うと言っても、お前のやったことは惨殺だけやん。

 これから村に行ってすることも、ほとんど無抵抗の村人に対する虐殺やないんかい?

 そんな風に胸中で彼女の言葉に反論を浮かべた他縛霊だったけれど、

 どうせ言っても無駄だろうと考え、その反論を飲み込みました。


「……で? 具体的に何が欲しいんだ?」

「さぁ?」

「銭?」

「要らないわ」

「米?」

「要らないわ」

「なら、なんだ? 俺の愛は?」

「一番要らないわね」

「ひどいな、それ」

「まぁ、太刀の代わりが手に入れば嬉しいわね」


 尼僧は山を下り、村に向かいました。

 他縛霊は少しだけ落ち込みながら、それについていきました。




      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 本当に虐殺しやがったよ、こいつ。
 
 指示する者がいなくなり、のろのろと村の中をうごめく存在を、ばったばったと薙ぎ倒したよ。

 容赦も躊躇もなく。

 ああ、やっぱり物の怪って、根っこの部分で怖いなぁ、おい。


 先に村に着いた尼僧。

 その彼女を追って山を降りてきた他縛霊は、村に入るなりそんなことを考えたりしました。


「…………これ、貰っとこうかしら」

「意外とあるもんだな、貴重品が」


 結局、尼僧は村中を引っ掻き回して、鏡と太刀を手に入れました。


「朝廷に送られる物品の内、届けられる途中で行方知れずになるものって、こんな感じなのか?」


 鏡で自分の顔を眺める尼僧の隣で、他縛霊は小さく呟きました。

 彼の呟きには、誰も答えはしませんでした。 

 
「さぁ、行きましょうか。こんな陰気臭くて、悪霊でも出そうな場所は、私には似合わないわ」

「…………って、葛乃葉も物の怪の類だろうに」


 彼らは暴れただけだけれども、村に転がる骸骨たちからは、どこか嬉しそうな空気が湧き上がっていました。

 しかし、村に転がる骸骨たちがどのような空気を発しようが、暴れただけの二人は何ら気にはしませんでした。

 こうして、二人の可笑しな旅人は去っていきました。






 あとには、骸骨の残る村だけが残されました。

 ですがその後、その村が再建されるまでの間、

 悪霊が出たという話は、ついに聞かれることがありませんでした。




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