第三話




「つまりは、物の怪の仕業だよ」

「だから何?」


 そこそこ広い森の手前に、そこそこ大きな村がありました。

 その村の出入り口には、こんな片田舎には珍しいと思える旅装束を身にまとった貴族が立っていました。

 彼はなにやら一枚の紙を手に持っており、目の前の尼僧を相手に大仰に喋っていました。

 しかし、尼僧はひどく退屈そうに、貴族の言葉を聞き流していました。

 
「だから何、ではないだろう? 危険なのだよ」

「自分の身くらい、自分で守れるわよ」

「君は尼だ。仏道を行くものだ。物の怪を怖がらないという姿勢をとることは分かる。だが、しかしだ……」

「物の怪だけじゃなく、たとえ山賊だろうが海賊だろうが、ぶん殴って見せるわよ?」


 騒ぎ立てる貴族に、尼僧は腰に下げている太刀(注・片刃の剣。この場合は直刃のもの)を見せました。

 それは女性が持つには少々大げさなもので、

 目の前にいる貴族の体も簡単に二つにすることが出来そうなものでした。

 貴族は太刀を見て、小さく笑いました。その笑いはひどく乾いたものでした。


「……白拍子よりも立派な太刀だ」

「立派かどうかなんて、どうでもいいわ。よく斬れるのなら、短くても構わないもの」

「人を斬ったことがあるのか?」

「ないわね」

「そうか」


 尼僧の言葉に、貴族はほっと胸を撫で下ろしました。

 しかし、そんな貴族に尼僧は物騒な言葉を続けて放ちました。


「畜生道に落ちた山賊や餓鬼は、たくさん斬って来たわ」


 感慨を一欠けらも浮かべずに言う尼僧に、貴族はどう言葉を返したものか分かりませんでした。

 しばらく黙って考えてから、貴族は言葉を口に出しました。


「…………末法とは言え、尼僧が殺生をしてもいいのか?」

「それも救いの一つの手立てでしょう? まぁ、考え方次第ね」

「なるほど、君には確かに警告など無駄なことだったのかもしれない」


 尼僧から一歩後ろに下がって、貴族はそう言います。


「女の一人旅は危ういと思っていたが、君にそんな心配は不要なようだ」

「ええ。女だろうが男だろうが、貴族だろうがただの農民だろうが……一歩山や森に入れば、そんなものは関係ないわ」

「私も気をつけることにしよう。もっとも、私には部下に大勢の武士がいるが」

「何人連れてきているのかしら?」

「護衛だけで二十だ」

「それなりの数ね」

「旅費が馬鹿にならないけれどもな」

「その旅費はあなたの命の代金ね。惜しむことのないようにね」


 尼僧はにっこりと笑って、貴族に頭を下げました。


「情報をくれたことには感謝するわ。それじゃ、失礼」

「ああ。道中、気をつけて」


 村の出入り口で貴族に捕まっていた尼僧でしたが、そんな言葉とともにようやく開放されました。

 ふぅっ……と一息吐いて、彼女は村の外に出、野原を歩いて行きました。

 彼女がしばらく歩いていると、すぐに川を見つけることが出来ました。

 その川の川原には、一体の他縛霊(注・幽霊のことです。この場合、他者に強い因縁があり束縛される幽霊を指します)が寝転んでいました。

 他縛霊は近づいてくる尼僧に気づき、その身を虚空に躍らせました。


「で、どうだった?」

「つまらない話よ」


 尼僧は歩みを止めず、他縛霊はその尼僧に歩みについていくように空中を流れていきました。


「力は?」

「なかったわ。ごく普通の官人みたいね。あれじゃ多分、アンタの事も見ることが出来ないわね」

「そっか。じゃあ、わざわざ隠れる必要もなかったな」

「幽霊一つ見えないのに、妖怪探しをさせられる……無茶な話ね」

「まぁ、厄介払いじゃないか? どういう人間かは知らないけれど」

「少なくとも、助平で腰抜けね。私を見る目がアレだったもの」

「葛乃葉は普通に美人だし、男ならその反応で当然だろ」

「…………あ、うん」

 
 他縛霊の言葉は尼僧の容姿を手放しに褒めるようなものだったので、彼女は少しだけ照れました。

 しかしそれを他縛霊に悟られるのはしゃくなため、彼女は咳払いをして話を進めます。


「とにかく、大したことない奴よ。行くな、どうせなら私の元に……みたいなことを言っておいて、太刀一つで引き下がったわ」

「ふっ。それでは一流の色好みとは言えないな。やっぱ俺みたく、いつも攻めで……」

「アンタのは色狂いって言うのよ」


 調子に乗り始めた他縛霊に冷たい言葉を浴びせて、尼僧は話題を変えました。

 内容は、先ほど貴族から聞いたこの近辺での不審な出来事です。


 あの貴族はもともと、京の都で確認された妖怪狐の足取りを掴むため、地方派遣されたものでした。 

 本隊はあとから京を発つのかも知れませんが、現状では彼が妖怪の調査の第一人者でした。

 その彼はこの近辺で、村人全てが焼き殺されている村を見つけたそうです。

 山火事でもなんでもなく、人だけが焼け死んでいたらしく、それはあまりに異様な光景だったそうです。

 他にも、いくつもの骸骨が落ちている村など……北に向かった妖怪狐は残虐な行為を楽しんでいるようだ、とのことでした。

 よって仏道を行く尼僧と言えど……いえ、むしろ尼僧だからこそ、その徳の高い肉を妖怪に狙われるかも知れません。

 だからあの貴族は自分たちと旅をともにしないか、と尼僧に持ちかけていたようです。

 もっとも、尼僧はにべもなくその誘いを断ったわけですが。


「なぁ、その焼き払われた村はともかく、骸骨の村って……」


 他縛霊は川の流れを見やりながらに、尼僧に質問しました。


「私たちのしたことよね?」

「いや、葛乃葉が一人でしたことだろ」

「アンタ、止めなかったじゃない、同罪よ」

「止めようがないしな、この身体じゃ。と言うか『同罪』って、罪悪感があるのか?」

「ん? …………ないわね」

「だと思った」


 他縛霊はからからと笑って、空中で体勢を整えました。

 そうこうしているうちに、二人は森の中へと足を踏み入れました。

 川は二人とは違う方向に曲がり、せせらぎも遠くなっていきます。

 うっそうと木々が生茂った森の中は、静かなものでした。

 鳥や虫の声が聞こえてきても良さそうなものですが……特にこれと言って聞こえてきませんでした。


「にしても、若藻さんも意外と近くにいるのかも知れないな。もう蝦夷まで行っているかと思ってたけど」

「本気になって逃げる必要がないから、のんびり歩いているんじゃない? 私みたいに、人間のフリでもしながら」

「ん? ……あれ? 葛乃葉って若藻さんのこと、知ってたっけ?」

「見たことはあるわよ。ところで、なんで妖狐に敬称がついて、私にはつかないのかしら?」

「大人の女と小娘の魅力差かな」

「この私を、小娘? いや、まぁ……確かに生後一年経っていないけれど」

「葛乃葉には落ち着きが足りないよな、落ち着きが」

「年中無休でふらふら浮いているアンタに言われたくないわよ」

「優しさも足りないな。大人の女のは、包容力があるんだぞ?」

「悪かったわね、なくて」


 尼僧は不機嫌そうにそう呟きました。

 他縛霊はそんな尼僧に、小さく苦笑しました。

 二人はのんびりと道なき森の中を進んでいきました。

 しばらくすると、人が作ったのか、それとも獣が作ったのか……細い道がありました。

 地面を二本の足で歩いている尼僧は、これ幸いとその道を進むことにしました。

 そしてそのまま森を進んでいると、左右に道が分かれていました。

 尼僧と他縛霊は少しだけ沈黙した後で、同時に言いました。


「右ね」「左だな」


 意見は道と同じように真っ二つに分かれていました。

 他縛霊は頬を膨らませて、尼僧に言います。


「たまには、俺の意見を聞いてくれてもいいんじゃないか?」


 しかし、その他縛霊の言葉に、尼僧は答えませんでした。

 彼女はすたすたと、足を自身の言った方向の道へと進めていきます。

 他縛霊は取り付くしまもない尼僧に嘆息してから、その後を追いました。 


「おいおいおいおい。待てよ。何で一人だけ進むかなぁ」

「私は右がいいのよ」

「何の根拠があってだよ」

「ないわよ」

「なら、左でもいいじゃん」

「私は右に行きたいのよ。そう直感で決めたの。嫌なら、ついてこなければいいでしょ」

「ゴーイングマイウェイだなぁ。しかも高速道路」

「毎度毎度、人の耳元でワケの分からないことを言うの、止めてくれない」

「一人静かに森を歩くのって、暇だろ?」

「別に」

「…………? 何か怒ってる?」

「別に」

「不機嫌じゃないか?」

「別に」

「そうか?」

「そうよ」

「そうかなぁ」

「しつこいわね」

「だからさ、こう言うおしゃべりは必要だろ? 人間関係の潤滑油だ」

「じゅんかつゆ?」

「必要なものと言うこと」

「ふぅん?」

「で、不機嫌な理由は俺が小娘扱いしたから?」

「私はそんなことですねるほど、馬鹿じゃないわよ」

「? じゃあ、なんだよ?」

「何でもないったら。別に」

「本当に?」

「ああもう、しつこいわね。なんなら、滅してあげましょうか?」

「もう死んでるもーん」

「この私が幽霊一体、消せないとでも?」

「永遠の愛を誓った相手を消すと言うのか……」

「いつ、どこで、誰が、誰と、何を誓ったって?」

「愛を」

「……まだ言うか」

「と言うか、そっちこそ早く俺の願いを叶えろよな。契約と言う呪に縛られているから、漏れなく俺の魂が手に入るぞ?」

「それって、現状とどう違うのよ? 私の前をうろちょろする幽霊の状態が、ちょっと変わるだけじゃない」

「まぁ、そうだけど」

「今更、使い道もないし」

「ひでぇ。あっ、道と言えば……新しい分岐だぞ。ほら」


 他縛霊の言葉どおりに、また道が分かれていました。

 もしかすると、この森には狩猟者が多く出入りし、彼らが自身の移動用に道を作っているのかもしれません。

 尼僧は今度は立ち止まることなく、左方向に曲がって進んでいきました。

 道は決して直線的ではないので、結局はくねくねと曲がりながらも、一定方向に向かって進行していることになりそうです。

 つまり言ってしまえば、どう曲がろうと結果に大差はないのかもしれません。


「…………」
「………」


 勝手に道を選択し、進んでいく尼僧。

 彼女が後ろを振り返ると、すぐ後ろに他縛霊が浮いていました。

 彼は森の中をきょろきょろと見回しながら、黙って尼僧についてきていました。


「今度は文句を言わないのね?」

「ん? ああ」

「何で?」

「何でと言っても……。実際、どうしても曲がりたい方向があるわけじゃないし」

「そう。もういいわ。聞きたいことは聞けたから、黙ってなさい」

「へいへい。口にチャックをしときますよ」

「……? ちゃっく?」

「閉じておくと言うこと」

「……………あっそ」

 
 会話はそれだけでした。

 他縛霊は尼僧の質問に答えると、すぐに口を閉ざしました。

 森を進む尼僧の足音や衣擦れの音だけが、森に小さく染み渡っていきました。

 双方が黙りこくると、何もかもが静まり返っているように、尼僧には思えてきました。

 音はするけれど、それは歩く自分が立てる音だけです。

 浮かんでついてきている他縛霊は何の音も立てません。

 何も喋らない他縛霊。 

 それはそこらかしこにいる動物霊や、あるいは浮遊霊と大差ない存在でした。

 尼僧は自分についてきている霊の気配が、他縛霊だと考えています。

 しかし、もし他縛霊がどこかで足を止めていたら?

 もし、ついてきている霊がただ気まぐれに、尼僧の下へと寄ってきた浮遊霊だったら?

 不意にそう考えてしまい、尼僧はなんだか寂しくなってしまいました。

 確かに他縛霊の言う通り、おしゃべりは必要なのかも知れません。


「ねぇ」


 尼僧は足を止めず、視線も前に固定したまま、背後にいるはずの他縛霊に声をかけました。


「…………ねぇ?」


 返事は返ってきませんでした。

 尼僧は恐る恐る、後ろを振り返っていました。


「………………すぴー……すぴぃー」


 他縛霊は浮かんだままの状態で、尼僧の方向へと流れながらに寝ていました。

 どうやら、会話がなくなって退屈したため、自然と昼寝状態に移行してしまったようです。

 もしかすると、尼僧を待つために川原で寝転がっている時から、すでにかなり眠かったのかも知れません。

 実体のない幽霊。休ませなければならない脳の存在しない幽霊。

 幽霊の一種である他縛霊には、もちろん睡眠など必要がありません。

 しかし生前の性格さ故か、他縛霊はよく眠り、そしてよく寝坊します。


 とにかく、他縛霊は眠っていました。

 今しばらくは、起きそうにもありませんでした。

 そのことを旅をともにしてきた尼僧は、よく知っていました。


「……こんの、馬鹿」


 尼僧は立ち止まって、宙を流れていく他縛霊を見つめます。

 彼は道の上を川の流れに沿うように、移動していきます。

 止まった尼僧の頭上を追い越して、ゆっくりゆっくりと、進んでいきます。

 それは尼僧が歩いていれば、それに従う程度の速さでした。

 尼僧は道を勝手に進んでいく他縛霊から視線を離しました。

 なんだか、ひどく他縛霊の存在が腹立たしく感じられました。

 同時に、さきほど自分の中に『寂しい』などと言う感情が湧きあがったことも、ひどく腹立たしいのでした。


「…………なんなのよ」


 何故、自分が寂しいなどと感じなければならないのか。

 挙句、こちらにそう思わせていて返事をせず、何事かと思えば……暢気に寝ている。

 これは私のことを馬鹿にしているのではないだろうか……と、尼僧は考えました。

 そしてそう考えてしまうと、腹立たしさはさらに募りました。


「ふんっ!」


 だから尼僧は、その場で回れ右をして、他縛霊とは反対の方向へと走っていきました。

 それは、ここ最近では珍しいくらいの全力疾走でした。


 尼僧は自身の身体能力を解放し、思う存分駆け抜けていきます。

 目の前に邪魔な木が出現すれば、片手の爪で簡単に斬り倒して進んでいきました。

 斬られた木は綺麗に断面にそってすべり、そして地面にその鋭利な尖りをもって、刺さりました。

 ずんっと言う音とともに、小さく森が揺れました。

 もっとも、空中を浮いている他縛霊は振動をまともに感じることはなかったので、未だに寝たままでした。 


 尼僧はすぐさま森を抜け、通ってきたはずの村を越え、わざわざ山を迂回していきました。

 二人は京の都を出てから、初めて別々に行動することになりました。

 尼僧の心の奥底には、別行動に対して少々の後悔も湧こうとしていました。

 しかし彼女はその湧き始めた感情に大きな石を載せ、封印しました。


 彼女は足を止めずに、一人旅路を急ぎました。




      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「うん? あれ?」


 尼僧が森を離れて数分後、他縛霊は目を覚ましました。

 ついうとうとしてしまった……と言いつつ頭を振り、彼は周囲を見回します。

 しかし、周囲には誰もいませんでした。


「…………あれ? 葛乃葉? 葛っちゃん? メフィスト? おーい!?」


 返事は当然返ってきませんでした。















            第三話      小さな満足感によって












 走りに走った尼僧は、やがて大きな村……いえ、大集落にたどり着きました。

 恐らくここは、最北から京の都に向けて送られる献上物資を、一度集めるために作られた集落なのでしょう。

 都と称して遜色ないくらいの人々が、往来を行き交っています。


 視線を巡らせば、小規模な市とも取れるくらいに店が並び、物売りがその前を通っていきます。

 売っている物は、煮魚か何かなのでしょう。かすかに甘露な匂いが漂ってきます。

 ここまで必死に走ってきた尼僧は、ふと我に帰って、そしてしばらくその喧騒を前に呆然としました。


「…………」


 人の声が、やけに懐かしいものに思えました。

 思えば旅を始めてから……他縛霊と四六時中一緒にいたものですから、彼女は人の声から離れたことはありませんでした。

 他縛霊が眠り、その彼を見捨てて走り出して、この集落にたどり着くまでの間。

 それが彼女にとって、久しくも珍しい静寂でした。


「…………」


 彼女は黙りこくったまま、集落の中を見物します。


 現在は、末法と騒がれている時代です。

 末法とは仏教が廃れ、ひどいことが起こるとされる時代のことです。

 教養のない貴族以外の人々は、末法と言う言葉を正しくは分かっていないものの、

 とにかく何か縁起でもない事が起きるのだと、不安に思ったり、心配する人も多かったのです。


 そんなわけで、小さな村では人々が希望を見失ったりすることもあるそうですが……この大集落では、どうやら末法も何も無縁のようでした。

 皆、実に気力に溢れています。人と物が集まれば、自然と活気は帯びていくものだと言うことでしょう。

 しばらく尼僧が集落内を歩いていると、鶏合などが行われているのも、見ることが出来ました。

 鶏合とは、もともと鶏を戦わせて吉兆を占う行事でしたが……ここでは単に賭け事のようです。

 激しい鶏の戦いに人々は熱中しており、勝敗が出るごとに一喜一憂しています。


 本来、尼僧としてはその見世物に憤るべきなのかもしれません。

 神事としてならばともかく、ただの見世物……遊びで動物を戦わせ、傷つけているのです。

 これを見てみぬふりすることは、仏道に背くことになるのではないでしょうか。

 尼僧は意気込んで、その鶏合の責任者の元に歩いていきます。

 そして、はきはきと言いました。


「掛け金はいくらからかしら?」


 尼僧は神も仏も、信じてはいませんでした。




      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 尼僧にはしっかりとした眼力がありました。

 それは実戦の経験から来る、相手の能力を読み取る力でした。

 彼女はその眼力をもって、どの鶏が勝つかをしっかりと予測し、

 掛け金……物々交換の場面の方が多かったですが……を増やしていきました。

 しばらくすると、彼女の腰の立派な太刀は四本に増えていました。

 彼女はその結果に満足し、賭け事の場を去りました。

 言ってしまえば、賭け事に飽きてしまったのです。

 結果が分かってしまうことが多い。

 それはつまり、作業的に掛け金を設定するだけのことになってしまいます。

 また一般人にとっては白熱する鶏の戦いも、彼女にしてみればさほど面白いものでもありませんでした。

 実戦を経験している彼女からすれば、鶏同士のケンカなど退屈なことこの上ありませんでした。

 彼女は少しだけ重くなった腰を気にしながら集落の外れに赴き、手ごろな石の上に腰を落としました。

 ぼうっと、集落内を眺め、その喧騒に耳を傾けます。


「……退屈ね」


 そう。尼僧はひどく退屈をしていました。

 賭け事で遊んでも、物売りから珍しい料理を買って食べても、さほど面白くもありませんでした。

 それこそ、他縛霊の戯言を聞き流しながらに歩いていた時の方が、今よりも退屈はしていませんでした。

 今頃、あの他縛霊は何をしているでしょうか?

 起きているのでしょうか? それとも未だに寝ているのでしょうか?

 あるいは…………気づけば姿の見えなくなった尼僧を、探しているのでしょうか?

 尼僧の中で、他縛霊の行動が推測されていきました。

 もちろん実際にどのような行動を取っているのか、遠く離れたここからは測り知ることはできませんでした。


「あら、珍しい顔に出会うわね、こんなところで」

「…………?」


 尼僧が考えにふけっていると、突然声がかけられました。

 顔を上げてみれば、尼僧の前にはひとりの少女が立っていました。

 誰だろう……と思案したところで、尼僧は彼女の正体に気づきました。


「アンタ、妖狐ね」

「ええ。その通り」


 尼僧の目の前にいるのは、十歳になるかどうかと言う年頃の、少女。

 しかしその体の奥底を注意深く探って見れば、人間にはない『力』が感じ取れました。


「京で見たときより、随分と縮んでいるようだけれど」

「貴女も京にいた頃より、ずいぶんと人間じみた格好ね」


 尼僧が京の都で見た妖狐は、十三、四の少女の姿をしていたり、

 あるいは金の髪を持つ美女の姿をしていました。

 そのことを踏まえての言葉でしたが、妖狐は全く気にしませんでした。


「なんなら、姿を変えたほうがいいかしら?」

「いいわよ、別にどうでも。それで……私に何か用?」


 尼僧は警戒するように眉を寄せながら、彼女に質問を投げかけました。


「別に。少し気になることがあって、様子を見に来ただけ」

「気になること?」

「貴女は気にならない? 大きな力が、突然自分のいる場所に接近してきたら」


 そう言われれば、この大集落に来るまでの間、尼僧は自身の身体能力を解放していました。

 人外である尼僧ですが……妖狐は彼女よりさらに上の領域にいる存在です。

 尼僧の接近に気づき怪訝に思っていても、それは当然のことでした。


「なんで貴女はここにいるのかしら? 京はあの後どうなったの?」

「知らないわ」

「じゃあ、もう一つ。高島はどうなったの? 貴女が山に連れて行ったでしょ?」

「……そんなことまで知っているの?」

「多少、気になる男だったからね。ちょっと様子を見させてもらったわ」

「死んだわ。まぁ、それ以前にアンタの言う高島は、死ぬ前にいなくなったのだけれど」

「? とにかく死んだんでしょう。どうにしろ少し残念ね。面白い男だったのに」

「アシュ様に殺されたわ。即死だった」

「アシュ……ああ、彼ね」

「アシュ様まで知っているの?」

「それなりに。次に会う時は一緒にお酒を飲む約束なんかもしたわね」

「……そう」

「それにしても……そっか。死んじゃったの、彼」

「幽霊になってしつこく現世にいるけどね」

「そうなの? 相変わらず面白い子ね。どこにいるの?」

「どこかの森」

「どこか?」

「いちいち森の名前なんて、知らないわ」

「何で離れているの?」

「途中まで旅を一緒にしていたけれど、鬱陶しくなった」

「そうなの。じゃあ、私が貰っちゃおうかな。貴女の匂いの道筋を辿れば、すぐ見つかるでしょ」

「あんなのが、欲しいの?」

「いい子じゃない。面白いし、退屈しなくていいし」

「馬鹿なだけよ」


 尼僧は妖狐の言葉に、少しだけいらついたのでしょうか。

 彼女の言葉には、少なからずの怒気が含まれていました。

 そんな尼僧の様子に、妖狐は苦笑しました。


「ケンカでもしたの?」

「してないわよ」

「怒っているでしょ?」

「怒ってないわよ」

「意地っ張りって言われないかしら?」


 尼僧は他縛霊にそう言われたような記憶がありましたが、あえてそれは無視することにしました。


「ないわね」

「そう」

「そうよ。何か文句あるわけ?」

「別にないけれどね」


 そこで会話は途切れ、しばらくの静寂が訪れました。

 妖狐は尼僧の瞳から自身のそれを離さず、ずっと見つめ続けました。

 尼僧はそこはかとなくばつが悪くなって、視線を逸らしました。


「…………」

「……」

「………………」

「…………」

「………………ああ、もう! なんなのよ!」

「何も言っていないでしょ?」

「じゃあ、何か用なわけ? ないならどこかに行きなさいよ!」

「行ってもいいの?」

「はぁ!?」

「私がどこかに行ってもいいのかしら?」

「いいわよ!」

「じゃあ、行こうかしら。どうせなら、高島を向かえにでも」

「……勝手にしなさいよ」

「そうするわ」


 妖狐はその場で回れ右をして、一歩足を踏み出しました。

 尼僧は視線を元に戻して、妖狐の背中を見つめます。

 その視線に気づいたのは、あるいは最初から尼僧が自身を見るだろうと予想していたのか、

 妖狐はにっこりと笑って、また振り返りました。


「本当に行ってもいいのかしら?」

「何が言いたいの?」


 話したくないのならば黙っていればいいのだろうに、尼僧は律儀に聞き返しました。


「意地を張るところは考えないと、損をするわよ?」

「張っていないわ」

「その答えそのものが、多分意地を張るということなのよ」

「…………そうなの?」


 妖狐の言葉に、尼僧は眉を寄せました。


「私の言葉も一理あると、そう思わない? 全く思わない? 心の底から思わない?

 もしかするとそうかも知れないと、少しくらい考えてみる価値すらないかしら?」


 その言葉を受けて、尼僧は眉をさらに寄せました。

 そして、考えてしました。

 しばらく考えてから、尼僧は妖狐に問いかけます。


「…………何で私を諭すの?」

「面白そうだから」

「はぁ?」

「面白そうだから」

「聞こえているわよ。二回も言わなくても!」

「あはははは」

「笑わないでよ!」

「高島も面白かったけれど、貴女も存外面白いわ。声をかけて正解」

「…………私が面白いなら、アンタは変な女ね」

「そう?」

「そうよ」

「それはありがとう」

「褒めてないわよ」

「そう? 私は褒めているのよ。いいわね、若いって」


 そう言うと、妖狐はひとしきり笑ってから、前へと進んでいきます。

 尼僧は少しだけ焦って、妖狐を引き止めました。


「どこに行くのよ」

「男探しかしらね」

「高島?」


 妖狐は尼僧の言葉に、首を横に振ります。


「いいえ。彼には手を出さないわ」

「? 何故?」

「いまは放っておく方が、面白そうだから」

「面白いか、面白くないかだけでアンタの世界は回っているわけ?」

「そう単純でもないけれど、まぁ、そういう面は少なからずあるわね」

「馬鹿じゃない?」

「そうかしら? じゃあ、貴女の世界は何のために回っているの?」

「私は…………」

「主に捨てられたんでしょう? もう存在意義なんて、ないじゃない」

「…………」

「若いんだし、考えなさい。まぁ、縁があったらまた会いましょう。それがいつになるかは、知らないけれど」


 言いたい事を言い終えたのか、妖狐は集落の中へと帰っていきました。

 尼僧は妖狐を再度呼び止めたのですが、彼女は止まりませんでした。


「勝手に自己完結して、勝手に去って行って……なんなのよ」


 取り残された尼僧は、そこに座り込んだまま、しばらく黙り込みました。

 そして、考えます。

 考えて……取りあえず叫びました。


「ああもうっ! 何かムカつくわね!」


 その声はとても大きなもので、集落の中を行き来する人たちは、驚いて足を止めるほどでした。

 そしてその中の一人の少女は、小さく笑っていました。




      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「メフィスト! どこ行ってたんだよ!? いや、マジでびっくりしたんですけど!」


 まだ森の中にいるのだろうか?

 もしかすると、すでにどこか他の場所に行ってしまったのではないだろうか?

 色々なことを考えながらに森まで戻ってきた尼僧。

 そんな彼女を迎えるために他縛霊が発した言葉は、そんなものでした。

 薄暗い森の中が心細かったのでしょうか? 他縛霊は幽霊にもかかわらず、その眼に涙を浮かべていました。

 尼僧は他縛霊の情けない顔を見、苦笑して言いました。


「まぁ、その、アレよ。気づいてら後ろにいなかったから、びっくりしたわよ」

「いや、すまんです。何か寝てました」

「どうやったら移動中に寝れるのよ」

「浮かんでるだけでいいもんで、つい……な」

「何で私を探さなかったの?」

「森の中で迷って、まず出られなかったと言うか、何と言うか」

「高く飛んで、上空から地形を把握すればいいでしょう?」

「……………………………………あっ」


 言われてからようやく気づいた他縛霊に、尼僧は呆れてしまいました。


「普段からずっと浮いているくせに、何でそういう考えが出ないの?」

「んなこと言われても。こちとら幽霊歴一ヶ月と少しだぞ?」

「まぁ、いいけどね」

「いやぁ、葛乃葉が迎えに来てくれて、助かった。一時はどうなるかと……もちろん、信じてたけど」

「取ってつけたかのように」

「マジだって。惚れ直したって」

「そりゃどうも。んじゃ、行きましょう」


 尼僧は他縛霊に声をかけて……ついでに他縛霊がしっかりとついてきていることを確認するため、横に並んで歩き出しました。

 他縛霊はそんな尼僧の心遣いに気づいて、嬉しそうに笑みを浮かべました。


「あれ? 何か葛乃葉……優しくないか?」

「私はいつだって優しいわよ」

「…………そうだったっけ?」

「そうよ。馬鹿なヤツがお供だから、私が優しくちゃんとしてやんないと、駄目でしょ? 仕方なくよ」

「お供?」

「自分のことでしょ? 自覚ないの?」

「いや、うん」


 尼僧はごく自然に話していましたが、他縛霊にしてみれば今の彼女の言葉は、驚きに値するものでした。

 お供。つまりは従者。付き従う者の事です。

 尼僧は自身が主人だと暗に言っているようなものですが、問題はそこではありません。

 重要なのは、尼僧が他縛霊のことを一緒に旅をするものとして、初めて言葉で認めたということです。

『さっさと成仏しろ』や『嫌なら、ついてこなければいい』と言っていた人間が、『お供』と言ったのです。

 これは二人の距離が少しだけ近づいたことを意味します。

 他縛霊は小さな満足感を感じました。

 ああ『やっとここまで来たか』とか『大きなダムも小さな穴で決壊する』とか、

『ツンデレ具合から言って、もう落とせたも同然ではないか?』とか『ぶっちゃげもう惚れてない?』などと思いました。


「? 何に黙ってるのよ?」

「いやぁ〜。喜びをかみ締めているんだよ、うん。野生動物を懐かせた気分と言うか」

「はぁ?」

「はっはっは。気にしない、気にしない」


 他縛霊は死んでいるのが嘘のように、実に朗らかに笑いました。

 しばらく尼僧はそんな他縛霊の馬鹿な行動を観察しました。

 そして……気づきました。

 他縛霊の体が、何故か不自然に発光しだしていたのです。


「ちょ、なに? どうしたの、高島?」

「ああ、もう、俺は精神的に今満足しているというか……」

「な、何言ってんの、アンタ!?」

「何か、我が人生に一片の悔いも無し」

「待ちなさい! 何をいきなり成仏しかかっているのよ!?」


 そう、他縛霊は成仏しかかっていました。

 尼僧は慌てて他縛霊の身体を掴んで、前後に振りました。

 ちなみに……他縛霊は実体に触れませんが、

 もともと人外である尼僧は、触ろうとさえ思えば幽霊もしっかりと触ることが出来ます。

 尼僧は激しい勢いで、何度も何度も他縛霊を揺すりました。

 しかし、他縛霊はなにやら満足げな表情のまま、どんどんと薄くなっていきます。

 思考も薄れてきたのか、尼僧の言葉もまともに耳に届いていないようでした。


「私はアンタにまだ惚れたわけじゃないわよ!? 何を勝手に納得してるのよ!

 大体、アンタの希望って、その程度なの?

 普段の無駄なまでに多い欲望は、どこに行ったのよ!?

 裸になれとか何とか、もっとイッパイ叶えて欲しい願いはあるんでしょ!?

 勝手に消えかかってるんじゃないわよ! ちょ! 待ちなさい、高島っ!

 アンタ、私のお供でしょ!? 主人の許しもなしに、どこに行く気よ!」 


 尼僧は、隣にいるのがあまりに人間らしい他縛霊であったため、ある誤解をしていました。

 幽霊は幽霊であり、生きている人間ではないのです。

 他縛霊がこの世にわざわざ残っている理由は、尼僧に対しての願いが叶っていなかったからです。

 それが叶ってしまった以上、もう彼にこの世に残る理由はないのです。

 生身の人間ならば、さらにそこから願いが湧き上がるのでしょうけれど、彼は幽霊です。

 一つの強い未練だけで、この世に執着しているのです。

 一つの未練が終われば、それよりさらに新しい執着は……生まれはしないのです。


 また、尼僧は『自分は惚れていない』と言っていますが、それも関係はありません。

 他縛霊本人が納得できれば、それでいいのです。事実関係は、さほど重要ではないのです。

 仮に、林檎が食べたいと言う未練で、この世に残る霊がいたとします。

 そこに梨を『林檎です』と言って供えた場合……。

 そして霊がそれを林檎だと思い込み、それで未練が解消された場合……。

 例は何の問題もなく、成仏してしまうのです。


「…………嘘、でしょ?」


 尼僧は呆然と呟きました。

 今、彼女の前には物言わぬただの魂がふよふよと浮いていました。

 それは呪の契約により、他縛霊の魂が『加工しやすい状態』となったものでした。


「何か、言いなさいよ」


 彼女の目の前に浮かぶ魂は、何も言いません。


「ねぇ」


 他縛霊は、今やただの加工素材でした。


「困るのよ……。いきなりこんなことになっても」


 尼僧は地面に膝をつきました。

 所有者である尼僧に行動に応じ、魂も高度を下げました。


「…………アンタがいないと、つまんないでしょ?

 だから、せっかくこの私が、わざわざ迎えに来てやったって言うのに。

 何よ、これ。新手の嫌がらせ? 勝手に自己完結で、こんな……。

 馬鹿よ、アンタ。大馬鹿よ。最低だわ。主を置いて、何を勝手なことしてるのよ」




 どれだけ尼僧が愚痴を呟いたところで、魂は何も言いませんでした。






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