第三話





「やぁ、よく来たね。長旅ご苦労さま……とでも言うべきだろうかね?」


「知らん。俺自身は別に大きく移動したという気はしていない」


その部屋は一面ガラス張りで、まるで展望室のような雰囲気さえあった。

太陽はさんさんと照り輝き、室内にちょうどよい分量の光を注いでいる。

ガラスの向こう側の広く大きな街も、その光に煌いている。


独特な建築物の多い、香港の街。やはり、ここは日本じゃないか。

――――――そんなことを考えながらに、俺はアシュタロス……いや、芦優太郎と対面する。

ルシオラに案内されたここは、『芦優太郎』の所有物件の一つであり、香港での経済活動の拠点らしい。

洞窟の奥に描かれた陣からどこに飛ばされるかと思えば、この拠点ビル内の部屋の一角だった。


香港のGSに通報してやろうか? 

芦ビルの部屋には、地下に通じる陣が描かれて、その地下には魔族がいると。


下らないことを考えつつ、俺はアシュタロスを睨んだ。

よって、アシュタロス……芦優太郎は随分と気楽に言葉を発したが、対する俺は無愛想で声も重い。

魔王になれるようなヤツが相手である以上、少なからず緊張はする。


そもそも俺はこの大物を倒すためにココに乗り込んだわけじゃなく、


ワケの分からないうちに、ただつれてこられただけなんだ。まだまだ動揺もしている。

しかし、頭の一部が冷めていることも確かだった。


「大きく移動はしていないというが、10年近い時間を飛んだのだ。大した移動だろう。

 まぁ、現代から平安と言う、あの時間移動に比べれば、大したことも無いかな」


芦優太郎……いや、面倒くさいな。いいや、アシュで。こいつは俺にしたらアシュタロスだ。

特徴的な長髪も、神経質そうな顔の作りも、俺の知るアシュタロスそのものだ。

コイツがどう名乗っていようと、俺にとっては知ったことじゃない。


「……アシュタロス。俺をこの香港に呼んだ理由は何だ?」


「いきなり本題に入らないで欲しいものだね。会話はキャッチボールだ。そう聞いたことは?」


「あるような気がしないでもないような気がするかもしれないかもな」


「なかなか難解な答えだ。しかしどこか幼稚でもある。愚者と賢者の同居だろうか?」


「そんな高尚な考えの下に返した答えじゃない」


俺は嘆息し、目の前に座るアシュタロスを見る。

なお、ルシオラは一人部屋の片隅で紅茶なんかを淹れているが……気が気じゃないかもしれない。

俺がどう思っていようと、あのルシオラにとってコイツは父親らしく、

そして俺はあのルシオラに、初対面で『君の父親を殺す』と言ったのだから。

出来ればルシオラには嫌われたくない。

例え、どうやら俺の知っているルシオラじゃなくても……。

ああもう、なら、何であんなことを言うかな、俺は。

アシュタロスの答えが遅いせいか、俺はついつい余計な事を考える。

ええい、さっさと喋れよ。アンタは多弁なヤツだろ?


「……返答は無いのか?」


俺は手の平の中に文珠を発現させ、それをちらつかせる。

沈黙は……さっきのルシオラとで、腹いっぱいだ。

いいかげん黙りこくられると、イライラが積もり過ぎて耐えられそうに無い。

繰り返すが――――――こっちは今、ワケの分からない状況なんだ。


「その気が無いなら、その頭の中をコピーするぞ」


「ふむ、そうしてもらってもいいが、貴重なソレを下らないことで浪費はしたくないな」


「だったら答えろ。最初からだ。まず……この時代・場所に俺を呼んだのはお前なんだな?」


「YESだ」


「……次に、ここは俺のいた世界とは違う世界か? それともこのやり取りはあったものなのか?」


あっさりと答えるアシュタロスに、俺は矢継ぎ早に質問を飛ばす。

少なくとも俺の知る限り、過去に『大人の俺』がアシュタロスと密会していたと言う情報はない。

また、この時点でルシオラがいることも、俺の知る世界を考慮すればかなり不可解だ。

可能性としては、大人の俺はまだ子供だった俺に何も告げず、


義母の美智恵さんの如く動き回っていた……と言うもの考えられるのかも知れないが。

――――――まぁ、現状で俺は分からないことだらけだ。

こちとら、妖怪を退治して体液を手に入れに来ただけで、まさかアシュタロスと対峙するなんて思ってもいないし。


「YESだ。ここは君のいた世界ではない」


「…………じゃあ次に、俺を呼んだ理由は何だ? まさか世間話じゃないだろ?」


「それもYESだ。君に少しばかり力を貸して欲しくてね」


「たかが人間の俺に何を?」


「自分を小さく見る必要は無い。君は優秀な存在だ。今もこの私に臆していないのだから」


「これはただの開き直りって感じだがな。それで? 俺に何をやらせたい?」


「この世界の君への文珠生成方法の伝授だ。この世界の君は、文珠を作れない」


「この時期なら、まだ作れなくて当然だろ?」


俺が文珠と言う能力に目覚めたのは、自発的に妙神山に修行に行ってからだ。

美神令子に必要なのは戦士。ともに戦う仲間。戦えない足手まといは不要。

そうワルキューレに言われ、悔しさを感じた俺は、雪之丞とともに特訓へと旅立ったんだ。

だが、今はどうだ? 霊能に目覚めたばかりで、さらにワルキューレとも出会う前だ。

おキヌちゃんはまだフツーに幽霊をしている頃だ。

ワルキューレが事務所に来たのは、おキヌちゃんが蘇って人として生活しだしてからだったな。


「それとも、俺の世界とは時間の流れが違うのか?」


「いや、おおむね変わらない。この世界の君も順調にGS試験を突破し、美神令子事務所で研修中だ」


「じゃあ、気長に待てばいい。そのうち妙神山に行って、修行でどうにかするだろ。俺はそうしたんだ」


「現状でその可能性はない」


「……言い切るな? 何でだ?」


「君の霊能の基礎部分の設定が、そもそも違う」


「分かりやすく説明してくれないか? 俺はただの高卒でね」


皮肉めいた笑みを浮かべてそういうと、目の前をティーカップが横切った。

ルシオラがお茶の用意を済ませてくれたようだ。

彼女は何とも言えない表情で二つの紅茶を置き、そしてアシュタロスを見やる。


「ああ、ありがとう。もう下がっていい」


「ですが、その……」


「ベスパだけでパピリオのお守りは大変だろう? 早く行ってあげるといい」


「…………分かりました」


ルシオラはぺこりと頭を下げると、そのままそそくさと退室して行った。


「……パピリオとベスパもいるのか」


「もちろんだ。パピリオは4歳になったばかり。ベスパは8歳だな」


「あのベスパが8歳か。ちょっと想像が付かないな」


「なに、可愛いものだよ。小学校ではいささか浮いているようだがね」


「……小学校?」


「人間の少女である以上、通学して当然だろう? 本人はかなり渋ったが」


「ちなみに何て言っていた?」


「こんなガキどもと一緒に、何故私が……と言っていたな」


その時のベスパの顔でも思い描いたのか、アシュタロスはくすくすと笑った。


「……どうしてルシオラたちを人間らしく扱っている?」


「促成栽培的な存在は、与えられた知識と体感した経験がアンバランスになる」


「だから惚れっぽく、人間に恋をして主を裏切る……か?」


「ああ。表向きにはそういう理由だ。部下にもそう説明してある」


「…………じゃあ、裏はなんだ?」


「単に私が娘を欲しいと思ったからだ。ああいう存在も、なかなか良いものだ」


「本気か?」


「どう取ってもらっても構わんよ」


アシュタロスは言いつつ、紅茶を口に運んだ。


「さて、そろそろ話を本題に戻すことにしよう。霊能の基本部分についてだったね」


俺も紅茶で喉を潤しつつ、話の先を待った。

この世界の俺が文珠を覚えられない理由……それは一体なんだ?


「君は漫画家の道を進んだ。その末に文珠と言う極めて優秀な技能を体得した……としよう」


「どんなペン捌きか、ちょっと聞いてみたい気もするな。それで?」


「こちらの君は小説家の道を歩んでいる。小説家の道を進んでいる以上、文珠にはたどり着かない」


「確かに、基本的な部分からまったく違うな」


「あるいは、野球で素晴らしい魔球を習得した君と、サッカーで素晴らしいシュートを習得した君と言うかね」


「同じ人間で、同じ霊能と言う分野で、そこまで違うのか?」


「野球もサッカーも、どちらも『運動』というカテゴリーだ。同じ『球技』だとも言える」


『運動が好きな少年・横島忠夫』と、資料か何かで書かれていたとしても、

野球をするかサッカーをするかで、その実態はまったく違う。そう言われれば当然だ。

『霊能を有する人間・横島忠夫』でも、進む流れが違えば、まったく違うタイプの術者になる。

GSであるということには違いないが、しかしその実態はそれぞれ違う……と言う事だろう。


「それはそうと、魔球とシュートを比べるのはどうかと思うぞ」


「例え話だ。重要なのは、こちらの君が文珠を習得しない可能性が極めて高いということだ」


「でも俺が文珠を使えれば、アンタには不利になるだろう?」


そう、そこが不可解だ。俺はアシュタロスを止める側であって、味方じゃない。

おおむね世界の流れが同じだというなら、この世界の俺を何故気にかけるのだろう?


「この世界の俺もGSになって、いずれアンタと戦うんだろ?」


「いや、そうでもない」


「……そうでもない?」


「ああ、ちなみに私の願いを君は正しく知っているか?」


「何となくな。ただ魔王になって世界を征服したいワケじゃないんだろ?」


詳しくは聞いてないが、それでもいつしか耳に入ってきた。

アシュタロスは適応不全存在であり、自身が魔族であることに耐え切れない存在だったと。

そして自身が邪悪な存在であることを拒み……逆説的にコントロール不能な凶悪存在となった、と。


「その通りだ。私は……永久に茶番劇を演じるという連鎖を打ち切りたいのだ」


「そのためには、完全に存在を抹消させられるだけの大罪を犯す、だったか?」


「もちろん、あわよくば自身が打ち勝つつもりだったさ。もっともそれは当初のプランだが」


「じゃあ、今現在推進しているプランは違うと? GSとも敵対しないと?」


「むしろ、うまく行けば賛同してもらえると思っている」


「じゃあ、あの風水盤は何だ? 起動していたぞ? あれを操作されれば、この世界は……」


「アレは君を呼ぶためのものだ。それ以上に私は使うつもりは無い」


「時間移動中の俺を召喚するためだけに、アレを用意したと!?」


「その通りだ。私としては、もうあの風水盤に何ら興味はない」


「…………仮にアンタがそうだとしても、あのオカッパとハエがアレを放置するのか?」


「せんだろうな。彼らにとって、アレは魅力的なオモチャだ」


「くっ……『凍』『結』でも打ち込んで来ればよかったな」


「構わんよ。どうせしばらくはまともに動かん」


「どうしてそう言える?」


「君の召喚でかなりの負荷がかかった。その影響だ」


アシュタロスはそう言い、また優雅に今日茶を飲みだした。

どうやら、とにかく風水盤については気にしなくていいと言うことらしい。

これ以上問いかけても、もうこいつは話す気はないようだ。

俺は気を取り直して、先ほど湧き上がったキーワードについてを尋ねる。


「……まだ色々と疑問も残っているが、一番大きな質問をさせてもらう」


「構わんよ。私が今推進している『プラン』だろう?」


「ああ。あとから『模』で確認を取るからな。嘘は無駄だぞ」


「私が自身に自己暗示をかけて、知識などにロックをかけていたらどうするつもりかな?」


「…………信じるしかないってことか。まぁいい、話してくれ」


「聞かないと言う手もあるが?」


「わざわざ召喚までして俺を呼んだんだ。簡単には帰してくれないだろ?」


「ふむ。美神令子と結婚した場合、横島忠夫はこうなるのか……」


「何を言ってる?」


「別に大したことではないが? 何か気になったかね?」


「令子と結婚した『場合』ってのは何だ?」


「まるでこちらの君は、美神令子と結婚しそうにないと、そう聞こえたかね。いやいや、安心したまえ」


「……そうか」


「こちらの君はこのまま行けば、第1夫人に性転換した勘九朗を迎えることだろうからね」








「はぁぁ!?」










――――――衝撃が駆け抜けた!





令子でもおキヌちゃんでも、冥子ちゃんでもエミさんでも、ましてやルシオラでもなく!

勘九朗だと!? この世界の俺よ! 一体お前は何をしている!?






「ちなみにこれが現在の勘九朗だ。ナターシャと名乗っている」



「は!? え? っえぇぇええぇ!?」





――――――衝撃が駆け抜けた・第2波!





そこに写っていたのは、美しい髪の映える美少女だった。

何気にメイド服なんて着込んでいたりする。

何も知らなければ、俺だってフツーに可愛いと絶賛するだろう。

一体何があったんだ、勘九朗! お前は筋肉満載の大男だっただろ!?


「本当はナスターシャだったそうだがね。名前を付ける際、覚え間違いをしていたそうだ」


「いや、そんなところはどうでもいいだろ!? そもそも誰だよ!」


「『シャドーモセスの真実』を執筆した、フリーの軍事アナリストだが?」


「マジで誰だよ!? それよりもだ! 本当なのか、これは!?」


「嘘だ」




――――――うっわぁ、殺してぇ……。

その時俺は、心の底からそう感じた。

そして同時に、安堵もした。

――――――勘九朗じゃなくてよかった……嘘でよかった……。

いや、どこまでが本当で、どこまでが嘘なのかは分からん以上、

あまり安心しない方がいいのかも知れんけど。


複雑な思いを胸に固まった俺を見、アシュタロスは一人楽しそうだった。

わざわざ呼んだ客人をいじめて楽しいか、お前はっ!?


「冗談はほどほどにしてくれ。と言うか、偉大な魔神が冗談を言うな……」


「はっはっは。おふざけが君だけのモノだとでも思ったかね?」


「なら、のっぴょっぴょーんと叫びつつ、部屋を這いずり回ってくれ。遠慮せずにな」


「断る。それは私の芸風ではないのでね。いささかエレガントさが足りない」


「……どこぞの閣下か、アンタは」


「その言葉の意味が高位の総称だと言うなら、もちろんそうだが?」


言い合いでは勝てそうもない、か。

まぁ、殴り合っても多分勝てないだろーが。くそっ。





俺は胸中で一人静かに嘆息した。

はぁ……どっと疲れたぞ、マジで……。



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