第一話





その予想もしなかった災厄は、ある日勝手に、唐突に、何の断りもなく……何処からか飛来した。

普段なら、その災厄をかぶるのは俺の役目だった。

自慢じゃないけれど、俺はトラブルメーカーにして、トラブルレセプターだった。

自身でもそう感じているし、当然周囲もそう思っていることだろう。

大小様々な……大変だったりどうでもよかったりする危機と苦労を乗り越えて、今の俺がある。

恐らくはこれからも、定期的に苦難が訪れるのだろうと、俺は時折苦笑混じりに考えもした。

俺と言う人間の人生とはそう言うものなのだと、一種の悟りを開いていたと言ってもいいだろう。

ただ断っておきたいのは、俺がそれを忌避していないと言うことだ。

苦難があってこそ、人生は面白い。

苦難があったからこそ、俺は今の俺となり、その手の中に色々な人々との縁も手に出来たのだから。


だが、今回の災厄ばかりは……俺もどうすればいいのかが分からない。

単刀直入に言おう――――――妻が病魔におかされた。


これは反則だろう。何故、俺ではないのだ?

入院生活や闘病生活も、面白おかしく乗り切って見せてやろう。

病魔進行による体重の低下と、それに伴う体力の低下も、

すぐにリハビリで克服すると、そう街中で大々的に宣言もしてやってもいい。

だから……出来ることなら、災厄は……俺に降りかかって欲しかった。


どうして、俺じゃないんだ。

これが『魔王を倒して来い』などと言う難題ならば、まだ代わってやることも出来る。

しかし……体のことばかりはどうにもならない。

俺がどんなに気を揉んでも、妻の代わりに苦痛を請け負うことは出来ないのだ。

しばらく悩んだ俺だったが、しかしやがて持ち前の明るさで、思考を転換した。

悩んでいても無意味なら、早く妻の病魔を退散させるように努力しよう、と。

小さく弱いバックアップでしかないのだとしても……何もしないよりはいい。


俺はまず日本各地……あるいは、世界各地にいる友人知人に知らせを出す。

内容は『妻が病魔におかされた。回復のための手がかりが欲しい』と言うものだ。

日本の地方国立病院だけでは不可能な、特効薬的な【何か】を求めたのだ。

何か先進的な治療法、あるいはその法を研究する病院・国家。

どこかの秘境の伝わる呪いでも、漢方薬でも魔法薬でも、何でもよかった。

ある山の頂にある満月の夜にしか咲かない花があり、それが万病に効く。

そう言われれば、取りに行ってやるつもりだった。

かぐや姫は求婚者に無理難題を吹っかけたそうだが、その難題も全部解いてやろうと言う気勢だった。

――――――だが、知人友人からの知らせは、俺をさらに失意のどん底に突き落とす。


『こちらでも彼女の状態に関して考察したのだが……特効薬となるものはないだろう』
『君たち夫婦には大変言いづらいが……友人として嘘は突かずに言おうと思う』
『現状で、彼女を救う手立ては、まず無いものと考えられる』
『だが、諦めないでくれ。彼女には余命が残されているのだから』
『こちらでも、何かしらの改善策が無いかは検討しよう。諦めるな』


たいそうな励ましの言葉である。

だが、励まされれば励まされるほど、目の前が真っ暗になる。

自分よりも頭のいい人間に、どうしようもないと言われると……な。

もちろん、こういう返事が返ってこることは、想定の範囲内だ。

こちらの医者も、半ばさじを投げているのだ。

今の彼女に施されている治療は、ある意味延命的なものでしかない。

根本的な問題は、解決されること無く、彼女の体内に潜み続けている。



「……でも、俺は諦めない。諦めるなんて、俺らしくないもんな」



そう。これまで俺は、ずっと無理難題に付き合ってきた。

不可能を可能に変える男なのだ、俺は。

残念ながら、そんな二つ名では、誰も呼んでくれないが。

ああ、そうだ。俺は3枚目どころか、4枚目の人間だ。格好なんてつかない。

今回も泥に塗れて、解決策を探すのさ。

そして俺が苦労して解決策を用意して妻の病室に帰ってきたら、そこにはたくさんの人間がいるんだ。

それはもちろん、妻の身を案じてやって来てくれた知人友人たちだ。

彼らはボロボロの俺を見て、きっとこう言うんだろう。


『何やってんだ、遅いぞ? お前が遅いから、もう俺たちで治してしまったぞ』とかな。


そして俺はその場で倒れるんだ。『俺の苦労は一体なんだよ?』って呟いてな。

最後はそんな俺を見て、皆がくすくす笑ってハッピーエンドだ。

ああ、きっとそうなる。そうしてみせる。

このままベッドから起き上がることも出来ずに、がりがりに痩せて死んでいく彼女なんて――――――

俺はそんな未来を認めない。



――――――国立病院の総合待合室。

娯楽用に設置されたTV画面の見えづらい位置の椅子に、俺は腰掛けていた。

両手を組んで、深呼吸。髪のセットは問題ない。スーツも決まっている。

一見して日本のサラリーマンと分かる俺は今、何の問題も無い状態だ。

気力も充実している。余裕を持つためにも、仕事は今日から1週間、休暇を取ってある。

自宅のガスや電気も、きちんと落とした。

長らく留守にするため、貴重品の管理も信頼できる友人に任せた。

そして最大のやり残しである妻との面会も、先ほど済ませた。

精神集中が終わり次第、俺は病院を後にし、ちょっとした旅に出る。

妻の病魔を打ちのめす特効薬を手に入れるためだ。

無いはずの、特効薬。だが、つい先日それの入手方法に俺は気がついた。

あとは――――――入手を実行するだけだ。

もっとも、それが簡単なことでないから、俺は未だに病院から出発していないのだ。

ここから見えるあの正面玄関の自動ドアを出た瞬間、俺は幻の薬を求める旅人だ。

すぐに帰ってくるつもりだ。瞬時に帰ってくるつもりだ。いつまでも妻を待たせるつもりはない。

だが、その短いはずの旅を始める最初の一歩が、まだ踏み出せない。

いつもは妻が俺の背中を押してくれるのだが……今は……病室のベッドの上だから。


「俺は、本当はこんなに臆病で……ダメな人間なんだな」


俺は自嘲的な呟きを零す。

そしてそれは、偶々俺の前を通りかかったナースの耳に入ったようだ。

若いナースは俺の顔を見、少しだけ驚いたような表情を浮かべた。

それは偶然に愚痴を聞かされることになったからではなく、

今の俺が普段の俺とあまりに違っていたからだろう。


「今日は、お元気が無いんですね」


「そうらしい。俺にも、神経質になる日があるみたいだ」


ある意味皮肉とも言えるナースの言葉に、俺は力なく笑って言葉を返す。

そんな俺に、またしてもナースは驚きの表情だ。

口が少しだけ開かれ、白い歯が見えた。

確かに、俺は静かであるべき病院で、一人元気に騒いでいた。

見舞いに来るたびに、妻やナースに注意され、まるで子供のように頭をかいたものだ。


「馬鹿だと思ってもらえたなら、それでいいんだ。迷惑だろうとは思うけど」


俺が注意されるのは、すでにこの病院の日常的なイベントだろう。

妻の病室に到達するまでに通りかかる小児科の区画では、変なおじさんとして有名になっているほどだ。

そんな時、俺はこちらを指差す子供に、『まだお兄さんだ』などと月並みな反応を示すのだ。

そのやり取りを見、苦々しく……あるいは弱々しく笑う人間は、少なからずいただろう。

そう。俺は様々な人に眉を寄せられると同時に、小さな笑いと言うものを提供してきたつもりだ。


「少々やりすぎだったとも思っている。すまない」


俺は自嘲的な笑みを浮かべて、ナースに対して言葉を続ける。


「だが、あれくらいやらないと……あいつの前で泣いてしまいそうだったから」


そう。俺は決して与えていただけではない。こちらも受け取っていたのだ。

子供の忌憚ない言葉と、それに微笑むナースから、俺は明るさを貰っていたのだ。

一人で黙って廊下を進んで妻の病室に入るなんて、出来そうになかったから。


「………………」


俺には内容の理解できない書類を抱えているナースは、どこか悲しげに顔を歪ませていた。

手の打ちようがない病魔におかされ、死んでいく。医者は……何の役にも立てない。

そんな凶悪な病魔に好かれた人間が、絶世の美女ともあれば必ず話題になる。

直接妻に関わらない担当外のナースであるらしい彼女でも、こちらの状況は重々知っているようだ。


そうだよ。下手すりゃ俺は、見目麗しい妻に先立たれる哀れな男だ。

俺はまた小さく自嘲の笑みを浮かべて、ナースに頭を下げる。


「いや、君にこんなこと言うつもりじゃなかったんだ。本当に、すまない。

 ただ、これからしばらく面会にこられないかも知れないと思うと……弱気になって。

 自分がいない間に、アイツが、その、一人でさっさと…………いや、何でもない」


逝く。情事の折に言われれば嬉しいその一言が、今はなんて悲しいのだろう?


「……こんなに愚痴るなんて、本当に俺らしくないな……」


「あの、明日からはお仕事が忙しいんですか?」


気まずい空気を換えようとしたのか、ナースは違う話題を振って来る。

俺はそれに曖昧に答え、ナースの顔を見やった。

何故か彼女は、俺よりも悲しそうな顔をして、眼には涙を溜めていた。

ああ、そうか。この娘はまだ……若いんだ。本当に、若いんだ。

多くの経験を重ねたナースなら、悲しみに同調はしたとしても、こうも簡単に泣きはしないだろう。

あるいは、まだ自身の担当する人間や、それに近しい人間の死に対面したことがないのか。


「はは。そんなことでこの仕事、やっていけるのか?」


何事もなければ、まだ両親も健在だろう。祖父母も、まだまだ若々しいかもしれない。

ともすれば、このナースは人の死から遠いどこかで育ってきているのかも知れない。

俺は年下のナースが、かなり頼りない存在に思えた。


「俺たち夫婦に、そんなに感情移入はしなくていいさ。はは」


「そんなに苦しそうな顔で、笑わないでください」


「俺より、君の方がよっぽど苦しい顔をしてる。下らない話を聞かせたからだな」


「そんな! 下らなくなんかありません!」


院内だと言うのに、彼女は感情をあらわに声を出す。

受付にいる数人のナースが、こちらに視線を寄越した。

俺は周囲から注目されたことに対して、苦笑する。

ああ…………笑ってばかりだ。苦々しく、どこか悲しげに……。

自覚する。今の俺の笑みは、どこか儚いであろうと。


「ありがとう。俺のつまらない話を聞いてくれて」


俺は立ち上がり、ナースの肩に手を置いた。彼女はビクリと震えて、俺の目を見る。


「人に弱音を吐いて、少しだけ気分がすっきりしたよ」


「そ、そうですか……」


「でも、まだ足りないんだ」


「? 何が、ですか?」


「一歩を踏み出す勇気が。いつもはアイツがくれるんだけど……今はいないから」


俺は弱々しく呟いて、俺より年下のナースの顔を見つめる。

月並表現かも知れないが……涙で濡れた彼女の瞳は、ゾクゾクするほど美しかった。


「俺に、勇気をくれないか?」


「え。あ、あの……!」


「唇に触れてくれるだけでいい。それだけで、俺は、まだ頑張れるから」


「あ、あの、あの……!」


俺は彼女の肩を持つ手に力を、少しずつ入れる。

やがて彼女は、眼を閉じた。目じりの端から、つぅっと涙が零れ出る。

俺はそれを微笑とともに拭ってから、彼女の唇に自分のそれを合わせようとした。





――――――が、そこで俺の体は3回転ほどしつつ、廊下の奥へと吹っ飛ばされた。





しかも、突き当たりの壁に正面から激突した。

むぅ、痛い。鼻血が出た。一体何なのだろう?

とりあえず、体に突いたほこりを払いつつ……かなり嫌な予感はしたが……背後を振り返る。


………………魔女がいた。


「な〜にをやってんのかしら? このトーヘンボクは?」


魔女は長い金髪を闘志によって物理的に揺らめかせ、手には車椅子を持っていた。

どうやら、あれで俺の頭部をぶん殴り、あまつさえ吹き飛ばしたらしい。

それはそういう風に使うものではない。今後のことも考え、取扱説明書には明記して欲しいものだ。

『この車椅子は鈍器として使用しないでください』とな。

何しろ、かなり痛い。つーか、そういう問題じゃないか。

彼女はふぅっと一息つくと、持っていたその車椅子に座った。

車輪のフレームが一部曲がっており、少々傾いていたが、彼女の威厳を損ないはしない。

むしろ、半壊したその車椅子が彼女の激しい性格を物語っている。

ああ、言うまでもないだろうが、紹介しよう。これが俺の妻です。

病魔におかされて、最近痩せ始めて手が細くなって、見ているのが悲しくなってしまう病弱キャラです。

決して嘘ではない。彼女は現在進行形で、不治の病に体を蝕まれている。

ただ、まだ夫である俺にキツいツッコミを入れられる程度には、元気らしい。


「アンタ、さっき私にお別れ言いに来たわよね?」


「えーっと、あの……はい。申しましたです」


「で? 何で未だに出発せずに、ナースと乳繰り合ってんの?」


「それは、その……スキンシップ?」


「何が『勇気をくれ』よ! 私にはそんなこと言ったことないくせに!」


俺がそんなクサい台詞を吐いたら、どうせ呆れるか馬鹿にするくせに。

そう思いはしたが、言えば追撃が来ることは必死なので、胸の中にしまいこむ。

彼女はブツブツと文句を連発し、やがて反応の薄い俺に見切りをつけたのか、今度は標的をナースに変える。


「アンタもアンタよ! 何でコロッと騙されるわけ!? 最近こいつにセクハラされて困ってたんでしょ!?」


ちなみに、小児科の子供たちに『ナースへのスカートめくり』を流行らせたのは、誰であろう? 

言うまでもなく、俺である。


「いえ、でも、その、あの……何て言うか……普段と雰囲気が違ってて……どこか弱々しくて、つい」


「じゃあ何? アンタは雨の日に子犬に優しくしてた番長に、いちいち惚れるワケ!?」


「……ば、番長?」


微妙にと言うか、かなり古い比喩に対し、ナースは首をかしげた。

確かに、分かり辛いだろう。番長じゃなぁ……。

リーゼントに木刀に……後はモヒカンとか何だとかだろうか?

……うん。今時そんな部類の不良は、いないだろう。


「えーっと、とにかくよ!」


外したことを自覚したのか、彼女はこほんと気まずそうに咳払いをした。


「こいつはあたしのモンだし! 手出しは無用よ! で、アンタもよ! 私のモンなんだから、私以外に手ぇ出すな!」


言葉の後半から、彼女は俺を睨みつけていた。

はい、ごめんなさい。でも、本気じゃありませんでした。

まぁ、うん、浮気と言われればそうかも知れないけど、決して不倫レベルじゃないと思うんで。

出来れば執行猶予をください。そしてさっきの一発で終わりにして、これ以上のお仕置きはナシの方向で。


これ以上は、俺の方が先に逝きかねないです。


「…………はぁ、もういいわ。さっさと行きなさい!」


「え? あ、わ、分かった」


どこか、気だるげ。やはり何だかんだ言って、調子は悪いんだろう。

だと言うのに、こんな風に怒らせて、大量を消耗させて…………やっぱり、俺は馬鹿だ。

ちょっと自己嫌悪。

ついでにさっきのキス、惜しかったよなぁ……なんて思っている頭の一部分を切除したいとも思う。

猛省、猛省。


「向こうに行っても、くれぐれもバレないようにね。バレたらきっと……アンタは殺されるわ」


「うぃ」


「……信じて、待ってるからね」


信じるか。これでしくじったら、俺は最低だな。

大丈夫。任せとけよ。俺は、絶対に裏切らないから。


「……じゃあ、行って来ます」


「ええ、行ってらっしゃい」


俺の出発の挨拶に、妻はここ最近で一番の笑顔を見せてくれた。

そして、思う。頬や首の肉が、確実に減っていると。

彼女は初対面の時から出るところは出て、それ以外には無駄な肉の無い良いスタイルだった。

しかし、今の彼女は……やはり痩せすぎている。

急ごう。背中は、もう押してもらったのだから。



ああ……そう言えば、自己紹介がまだだったな。


俺の名前は横島忠夫。現代日本における最高ランクGSが、その一人。

そして妻の名前は横島令子。旧姓は美神令子。

同じく最高ランクGSの一人であり、元・俺の雇い主にして師匠。

今回の俺のミッションは、過去に時空間移動し、ある妖怪の体液を入手すること。


彼女はいつかに請けた仕事で、ある妖怪によりちょっとした傷をつけられた。

その傷から侵入した遅効性毒により、彼女の体は今、確実に死に向かおうとしている。

だが、妖怪の体液があれば、その毒に対抗する薬も製造可能だ。

まさに、時空間移動が可能な者にだけ許された、反則技だ。

だが、反則でも何でもいい。死なせたくない人物を、救えるのなら。

すでに死んだ者を助けるために、過去に戻ることは許されない。

時空間移動が危険だということもあり、以前に神々からは注意を受けた。

決して、過去には跳ぶなと。これは神界はもとより、魔界上層部の決定でもあると。

魔神アシュタロスの起した騒乱の最後の、美神美智恵の跳躍が、この『世界』における最後の跳躍だと。

――――――だが、生きている者のために過去に戻るのであれば、文句は無いだろう。

別に死んだ人間を蘇らすわけじゃない。俺の主観時間では、まだ令子は死んでないんだ。

俺が薬となる体液さえ手に入れられれば、令子の死なない世界は問題なく続いていくんだ。

筋は通っているだろう? 文句のつけようは、どれだけでもあるが……

仮に文句を言われたところで、俺は移動を止める気は無い。

さぁ、俺の最高の能力の結晶……文珠よ。

俺を過去に飛ばしてくれ。





     〜 横島クンのお仕事・番外 〜
                

               横島サンのご苦労











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