香港編
神族は人を導き、魔族は人を堕落させると言われています。
魔族は人を誘惑したり、恐怖させたり、陥れたりする実に卑劣な存在です。
上級な魔族ともなれば、下級の魔族を惑わし、陥れ、手の平で玩ぶ存在だとも言われています。
下級魔族からすら、恐れられる上級魔族。下級魔族の嫌がることを、平気で成す上級魔族。
怠惰で快楽主義的で、本能の欲求を抑えることなく、どのような大罪をも犯そうとする下級魔族。
その下級魔族の嫌がること……本能を抑え、怠惰な快楽主義に染まらぬよう、奨めてくる上級魔族? あれ?
怠惰から精進に至るように思考を惑わし……そしてそう成るように仕事を与え、手の平の上で管理する上級魔族?
そう考えると、上級魔族と神族は、意外と近しい存在なのでしょうか? そもそも魔の最高指導者は、元は神族です。
と言うか、多くの上級魔族は、元は土着の神であったりします。欲にまみれた下級魔族とは、少々違う存在です。
さらに言えば、神族が堕落して魔族化することもあります。そのような前例はいくらでもあります。
先にも言ったように、上級魔族の多くは、元は神族であったと言ってもいいのですから。
神とは? 魔とは? 正義とは? 悪とは? それは実に根源的な問題です。
――――――とまぁ、そんなことを神族である私・小竜姫が悩むようになったのは、メドーサとの出会いがきっかけでした。
そして紆余曲折の末、私は彼女から『元始風水盤が起動しようとしている』との情報を手渡されました。
GS試験での騒ぎも、メドーサの動向を陽動とし、風水盤の起動を容易くする為の策でしかない。
その話を信じるかどうかは、私の自由意志に託されたのです。
この件を調査するため、メドーサは自身の弟子を香港に派遣させると言った。
だから私はメドーサを通じて、そのお弟子さんに勾玉を手渡すことにした。
つまり、私はメドーサの言葉を信じたのだ。
これまでならば『聞く耳など持たない!』の一言で、斬って捨てていただろうに……。
しかし、この決定は決して間違いではなかった。
何しろ、風水盤が起動されようとしていたと言うのは、紛れもない真実だったのだから。
香港では名の知れた風水師が何名も行方不明となり、日に日に不穏な空気が強まって行ったのだから。
そしてメドーサと情報交換をしたその翌日、元始風水盤は起動し、妙神山にいる私にまでその余波を感じさせたのだから。
しかし幸いというか何と言うか、地脈のエネルギーは枯渇しかかっていましたが、世界の魔界化が始まりはしませんでした。
魔族が世界を混沌に陥れるために起動させたであろう、風水盤。しかし、即座に実質的な被害は出ませんでした。
あるいは上手く起動できず、無為にエネルギーを消費してしまっただけなのかもしれません。
それはあくまで希望的観測ですが……仮にそうなのであれば、再起動を防ぎさえすればこちらの勝利です。
私は勾玉を通じ、即座にメドーサの弟子―――名は陰念と言う、男性―――の元に転移しました。
香港での活動時間は極めて短い私ですがが、休眠状態であれば居続けることは出来るのです。
さらに休眠状態とは言え、文字通りに眠っていることもなく、外部の状況は把握可能です。
勾玉を通じて妙神山で状況の推移を見守るくらいならば、この体制の方がよほどいい。
すでに風水盤が起動してしまった以上、それは当然のことです。
なりたてのGSが2名では、いざという時に戦力的な不安が湧き起こりますし……。
さて、そんなこんなで私は香港に飛んだのですが――――――……
香港大夜総会
〜〜〜〜〜
ショウ&リュッキー 〜〜〜〜〜
「メイドをはべらせ、神族の小竜姫を懐に入れて街を闊歩する。もはや俺に敵はないな!」
…………本当に、この体制でよかったのでしょうか? 陰念さんの着物の内側で、角化した私は嘆息する。
彼は何と言うか、威張り散らしたがる類の人間のようで、ひどく高圧的だ。
いえ、前々から知っていましたが……改めて身近に接してみると、何と言うか嘆息しか漏れません。
メドーサは何を考えて、彼を香港に派遣したのでしょうか? 情報収集は、不向きだと思うのですが。
風水盤が起動しても、何処にあるのかまではまだ特定できていません。
よって結局のところ、今は地道に情報収集を続けるしかないのです。
だと言うのに、この陰念さんは真剣さにかける気がします。本当に事態の重さが分かっているのでしょうか、この人は?
あぁ、こうしているうちにも、もう一人のお弟子さんである伊達さんは、妙神山を目指しているのでしょうか?
香港の異変の方が重要であるため、妙神山で彼を待ち続けるわけにも行きません。
そもそも私は代理の管理人であり、妙神山には本物の管理人が存在します。
よって、私が香港に来ても管理問題はありません。むしろ今のように進んで行かなければならない状況です。
しかし……しかしですよ?
陰念さんの着物の中にいるくらいなら、伊達さんの修行を見ていたいと言うのが本音です。
「必要に応じて、神を呼び出す。もはや小竜姫は俺の使い魔も同然だな」
………………………いつから私は、彼の使い魔になったのでしょうか?
あれですか? メドーサの弟子は皆、私のことを舐めていませんか? 横島さんと言い、陰念さんと言い……。
いえ、私に対して必要以上に畏まりなさいとは、言いません。しかし、親しき間柄でも礼儀は必要です。
親しくない間柄であれば、それこそ礼儀は必要となるでしょう?
大して親しくもない神族。しかも実力を考えれば、どう考えても自身より上の神族。
それを使い魔扱いですか、そうですか。無礼千万ですよね。
「と言うか、神を自由に扱う以上、もはや俺が神だ」
何だか物凄いことを真顔で言っています、この人。大丈夫なのでしょうか、色々と。
「十二神将とか言うらしいが、六道の式神すらものたりんくらいだな、うん」
「さすがはご主人様です。きっとご主人様は、後世まで名を残す英雄になられるに違いありません」
「そうだろ? そうだろっ!? うむ、よく分かっているな、ナターシャ!」
「私のご主人様ですもの。当然ですわ。そう、よく知っています。身体の隅々まで」
「よし、帰国したら六道を乗っ取ろう。小竜姫ならおそらく楽勝だ」
「素晴らしいアイデアですわ!」
――――――お願いですから、誰かこの二人を止めてください。
無論、私が式神に負けるなどと言うことはありませんが、そう言う問題ではありません。
どうして私が帰国してからも、彼につき従わなければならないのか? 理由がありません。まったく。
陰念さんは自身に頭を垂れる従者のナターシャさんのおかげで、機嫌をさらにウナギ昇らせます。
もはや無敵の王様。無論、全裸です。ナターシャさんは絶対に、欠片も陰念さんを「すごい」などとは思っていません。
アレです。子犬のじゃれあいを見る大人の目です。じゃれあいに勝った子犬が「すごいでしょう?」と目で語ったのに対し、
頭を撫でながら「すごいですね。きっと貴方は最強です」というような風情です。
わざと陰念さんを調子に乗らせて、その滑稽さを際立たせている当たり、性質が悪いと思います。ついでに性格も。
本当に主人のことを考えるのならば、注意をするべきでしょう? それが真に出来た従者と言うものです。
「いえすまん」では、行けないのです。
私の経験から言えば、仮にはるか高位の殿下であっても、諌めるべきは諌めます。道は正さねば成りません。
ふと思うのですが、メドーサの弟子にはまともな人間がいないのでしょうか?
陰念さんは、この通りです。非常に失礼な物言いかも知れませんが、人としての器が小さいようです。
ナターシャさんも、この通りです。色々な意味で、微妙に性質が悪いです。
と言うかこの人は、鎌田さんです。男性なのに、陰念さんと同衾していたりするようです。
こっそりと陰念さんに隠れて、聞いてみました。何故、女性の姿なのかと。
すると答えは『趣味ですわ』だった。やはりヘンな人です。女装癖と言うそうです。
でも完璧に身体変化を成しているので、すでに女装とか言う程度ではないと思います。
それを趣味の一言で終わらせる感性には、絶句するしかありません。もはや私には理解不能な領域です。
私はそう言うと、彼女は実に嬉しそうに自身の趣味を語って――――――……いえ、何でもありません。
えーっと、考えが脱線してしまいました。今はメドーサの弟子についてですね。
ちなみに情報収集のために彼らが繁華街をうろついている時などは、私は割と暇だったりします。
陰念さんが偉そうにずんずんと歩き進み、その後ろを鎌田……もといナターシャさんが注意深い視線で続く構図です。
時折、生気無き者―――いわゆるゾンビですね―――が、路地裏をこそこそと移動していたりします。
しかし、さすがに二人はそれを見逃しません。間違いなく、風水盤に通じる重要な手がかりですしね。
私が警戒を強め、いつでも飛び出せるように構えるのは、そのゾンビを見つけてからです。
それまでは無駄な力を浪費しないためにも、こうして静かに思考を練る程度です。
…………再び考えがあらぬ方向に飛びました。
えっと、メドーサの弟子。横島さんですね。メドーサのお気に入りです。
能力的には確かに有能かもしれません。性格的には少し微妙です。
しかし陰念さんと歩いていると、横島さんがまだ割りといい人なのでは……と思えるから不思議です。
最後に伊達雪之丞さん。あまり接点がないので、よく分かりません。
GS試験でちらりと見かけた程度で、会話もそうはしていない間柄です。
しかし性格的には、一番私が好ましいと考える思える人ではないでしょうか?
自己鍛錬を積むことを良しとし、妙神山を目指していることにも好感が持てます。
魔装術を行使できると言うことは、悪魔と契約したと言うことですが、しかし逆説的に考えれば、
悪魔に触れても、自身の精神を飲み込まれなかったと言うこと。精神的な強さは十二分だと言えます。
彼がこれから正道の強さと精神を学びたいと考えるのであれば、協力は惜しまないつもりです。
まだ若いのですから、道を間違えることもあるでしょう。安易に力を求めることもあるでしょう。
その結果、正道を知らずに邪道に染まり、逆に上手く力を伸ばせなくなることもあるでしょう。
それを正す手伝いが出来るのであれば、私としても嬉しい。
後日『ママァーっ! 僕はやったよっ! はぁーっはっはぁ!』と高笑いする伊達さんを見て、
何とも言えない虚脱感に襲われるのですが、この時の私が知るはずもありませんでした。
メドーサの弟子は、やはりヘンな人ばかりです。
「……ところで、ふと思ったんだが」
「はい。何でしょうか。ご主人様?」
しばらく歩き進んだ後、陰念さんは嘆息混じりに立ち止まりました。
「そろそろ、宿に戻ろうかと思うわけだ。疲れたしな。腹も減ったし」
あまり悠長に休んでいる暇がないはずの状況で、陰念さんはそう言いました。
やっぱりあまり事態を重要視していない気がします。
香港が魔界化してから慌てても、襲いのですが……まったく。
「いや、体調は万全にすべきで、しかも俺より虚弱なお前を気遣っての提案だがな! 俺は疲れてないぞ」
「お気遣い、ありがとうございます」
「うむ、ありがたがれ。それでだ。アレだ。何と言うか……ここは何処だ?」
歩き進んでいれば、道に迷うことはあるでしょう。
現代の都の中心を歩いた時には、私とてどう進めばいいのかと思ったほどです。
ここ香港は、東京に勝るとも劣らない街。人通りも多く、迷いやすいのです。
情報収集のために神経を研ぎ澄ましていたのだから、ついうっかり道を見失っても仕方ないのです。
――――――と、私は自身に言い聞かせます。重要な情報を得ようと、些細な異変を見逃さないようにと、
注意を払っているからこそ、道に迷うはずがないだとか……そもそもこの人はずんずんと先を急ぐだけで、
別に注意して街を歩いていなかったような気がするだとか、そう言うことは努めて意識にあげないようにします。
そうしなければ、彼の懐にいる私は、何ともやるせない気分になってしまいます。
同時に、やはり彼の傍にいなければならないと言う事実を、突きつけられる気分です。
「こっちから来たんだから……むぅ? あっちか?」
街の人々の歩く流れを遮る形で棒立ち、陰念さんは首を傾げます。
せめて道の脇によってはどうでしょうか?
「お前は分かるか、ナターシャ」
「申し訳ございません。存じ上げません」
目を閉じてニコニコと、実に他意のなさそうな笑みを浮かべるナターシャさん。
しかし陰念さんがキョロキョロと左右を見やったその瞬間、すぅっと目蓋が持ち上がります。
その奥にある目に灯る光は、他意に溢れていました。
まさに草原を夢中で駆けていた子犬が、ふと我に返ってオロオロする様を微笑ましく見るような……。
これは絶対に地理を把握している目です。道を知っているのであれば、教えるべきではないでしょうか?
「あくまで推測なのですが、あちらから来たのではないでしょうか?」
私の思いに全く気づかず、あるいは気づいたとしても軽やかに無視して、ナターシャさんはある方向を指差す。
「はっはっは! 実は俺もそんな気がしていたぞ!」
9割方、見栄でしょう。誰が見てもそう思うであろう取り繕った笑みで、陰念さんは歩き出しました。
ナターシャさんは「さすがですわ」などと呟きつつ、その後に続く。
ちなみに、無論と言うべきなのでしょうか?
ナターシャさんの指差した方向は、どことも知れない明後日の方向でした。
いいのでしょうか? このような情報収集で。しかし私は単独では動けませんし……はぁ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
散々道に迷った私たち……と言うか、陰念さんですが……風水盤に至る重要な手がかりを入手しました。
怪我の功名と言うか、棚から牡丹餅と言うか。路地裏でどちらに進むかを検討中に、ゾンビを見かけたのです。
スーツを着込み、目深な帽子をかぶった、一見するとただの人にも見えなくないゾンビ。その数は3体。
ある程度の知能が与えられているようですが、さすがに単独行動が可能なほどではないのでしょう。
1体が目的地まで誘導。1体が現場での作業の主導。1体が拠点への帰還を誘導……という役割分担でしょうか?
その足取りはしっかりとしていました。これから仕事に出向くのか、それとも拠点に帰還するのか……。
どちらにしろ、構いません。前者であればこれ以上、風水師が行方不明になる事を防ぐことができるでしょうし、
後者であれば、風水盤を起動させようという計画者そのものに繋がる手がかりになりえます。
陰念さんが意外な慎重さで、ゾンビを追いかけました。
目標を見つけるや否や、大きな足音を立てて接近するかもしれない。そんな危惧は、さすがに杞憂だったようです。
「まぁ、俺ほどの人間ともなれば、あんなクソ弱そうなゾンビに恐れなんてモンは欠片も感じんが、
か弱いただのメイドであるお前のことを考慮するとだな、このくらいの距離は取ってしかるべきなんだ」
言葉通りの意味であることを願います。魔装術を行使可能だと言うのにゾンビを恐れるなど、笑い話にもなりません。
実際に実力から考えて、陰念さんがあのゾンビに後れを取るとは思えません。油断さえしなければ。
よく見てはいませんでしたが、GS試験会場で起こったゾンビ騒ぎでも、戦えていたはずですし。
「クソッ、こういう仕事は猪の雪之丞がやればいいんだ。
インテリジェンスな俺は、後ろから指揮を取るべきだってんだ。
どうしてこの俺が、ゾンビの追跡なんざ……ちっ、なんてツイてないんだ」
どうしても何も、情報収集をするために香港に来ているのですから、追跡は当然です。
「あんなモンさえ見つけなければ、延々と香港観光が出来たってのによ。クソッ!」
「ご主人様。神族である小竜姫様がおられますので、あまり雑言は……」
「そう言や、そうだったな。俺は角を持ってたんだな」
忘れないで下さい。と言うか、つい先ほどまで、人を使い魔扱いしていたと言うのに、この人は……。
そんなことを考えていると、陰念さんは懐から私の自身である、竜神の角を取り出しました。
「なぁ、コレはその辺に捨てて、ゾンビの見なかったことにしねぇか? 喰いたいモンも見たいモンも、まだあるしよ」
何てことをさらりと言うのでしょうか、この人はっ? 仏罰が下りますよ!? って言うか、下しますよ!?
あぁああぁ!? ポンポンと角を手の平の上で遊ばせないで下さいっ! なんですか、その扱いは!
神ですよ?! 一応、武神なのですよ!? 音に聞こえる神剣使いですよ!?
………………いえいえ、ダメです。落ち着きなさい、小竜姫。
怒りの衝動に身を任せ、発現してはなりません。深呼吸です。今は呼吸をしていませんが、深呼吸です。意識的に。
今、この場で発現しては、無駄に力を使うことになります。そしてゾンビにも気づかれてしまいます。
あくまで、ゾンビには目的地まで移動してもらわねばなりません。
ここで気づかれ、戦闘となり……そして倒してしまっては、手がかりが途絶えます。
「ご主人様。その角は小竜姫様ご本人と言ってもいいものですので、粗雑な扱いは……」
「っと、そうだったか。石ころとそう変わらんし、ついな。つーか、ご神体とかって石が多いよな」
路傍の石ころ扱いですか、そうですか。初めてです。そんな風に言われたのは。
「知ってるか? 夏目漱石だか誰かは、子供の頃にご神体の石を、その辺の石と交換したらしいぞ」
何やら嬉しそうに知識を披露する陰念さんでした。誰でしょうか?
私が知らない以上、強き武道家や退魔師ではないのでしょうけれど。
「私の記憶違いでなければ、その話は夏目漱石ではないと思いますが」
「むっ? そうだったか?」
「ええ、確かそのお話は――――――」
「まぁ、そんなことはどうでもいいな! 今は私語を謹んで追跡だ!」
「…………そうですわね。行きましょう、ご主人様」
知識の訂正を受け付けないと言う態度は、人として褒められたものではないような気がします。
しかしまぁ、すでに私の中で陰念さんはメドーサよりも嫌いな類の位置に落ちているので、どうでもいいですが。
いえ、ダメです。そんな考え方はダメです。神族として、そのような考え方はいけません。
それこそ、他の多くの人が彼を見捨てたとしても、私が最後まで味方になるくらいの気概を持たなければ。
「それじゃ、さくさく進む――――――って、あっ!」
べちゃり。前に進もうとした陰念さんは、誤って手の平の中から角状態の私を落としてしまいました。
路地裏はジメジメとしていました。水溜りが出来るほどではないですが、湿っていました。
コンッでも、カツンでも、ドンでもなく……べちゃり。ぐちょりでもいいですが、そんな感じです。
私は、角状態とは言え、泥だらけです。いえ本当に泥だけでしょうか?
人の吐瀉物とか、そう言ったものがこの地面には混じってないと言う保障はありません。
「あーあ、きったねぇな。うわっ、拾いたくねぇ。クソっ、何でこんなことに」
何でこんなことには、私の台詞です。本当に、どうしてこんなことに?
なんだか怒りを覚えると言う領域を通過して、泣きたくなってきました。
ヒャクメがいてくれれば、わざわざこんな情報収集をしなくても、千里眼でどうにかなるのに。
いえ、なる……かもしれない。なると思いたい。きっとなる……はず?
…………はぁ。うっかりなヒャクメのことですから、断言できません。
でも、ヒャクメが視てくれたならば、今のこの状態よりはマシだったと思います。
どうしてこの重要な時に、顔を出してくれないのでしょうか?
普段は実にどうでもいい時に、ひょっこりと遊びに来るくせに。
「っあぁ! ゾンビを見失っちまう。さっさと追わねぇとな!」
私たちがごちゃごちゃとやっているうちに、ゾンビは路地裏を先へ先へと進んでいます。
陰念さんの言葉通りに、もうゾンビの後姿は見えなくなりかけています。急がねばなりません。距離が開きすぎです。
「急ぐぞ、ナターシャ!」
そう言うと、陰念さんは――――――私を蹴りました。私は汚い路地裏の地面を、水切りのように進みました。
いえ、怒りません。わざとではないのですから。拾って進もうとした時に、勢いづいた足が当たっただけなのですから。
「よっ! ほっ! 何か、ガキの頃、学校帰りに家まで石を蹴ったのを思い出すな! 懐かしいぜ。ほぅら! ドリフトゥ!」
わざとでした。ええ、三回続けば、偶然とは言いませんし。そもそも本人が懐かしいとか言っていますし。
ドリフトなる言葉が何を意味するか分かりませんが、きっと侮蔑の言葉なのだと思います。ええ、そうに違いありません。
とりあえず、この風水盤の一件が片付き次第、陰念さんとは色々と深くお話をしようと思います。
えぇ、色々と。深く。おもに拳や剣などで。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ゾンビは路地裏から古びたビルの地下へと潜りました。続いて行ってみれば、そのビルの地下室には穴が開いており、
そこからさらに奥深くへと進めるようになっていました。陰念さんは持ち前の慎重さ……と言うか、
早い話が臆病さを持って、実に慎重に進んで行きました。私を蹴り進んだ時の快活さは、すっかり息を潜めていました。
弱い者や無抵抗の者には威張り散らすけれど、実力のある者や未知数な者に対しては、とたんに顔色を窺う。
小心者という言葉を練り固めたかのような、実に分かりやすい性格の人なのだなぁと、私は再認識しました。
機会があれば、人を導く神族として、全力でその性質を矯正してあげようと誓いました。やはり、拳とか剣で物理的に。
さて……地下は実に荒々しい道となっていました。人々が計画を立てて工事をしたと言う風情ではなく、
もはや自然の洞窟に近い状態です。左右を見やっても、とても通路の壁とは言えません。むき出しの岩肌そのものです。
それゆえ、陰念さんの歩みはより遅々としたものになっていきます。気配で近辺に何もいないのは、分かっているはずなのですが。
ある程度の距離を進んでいくと、地面や壁が再び整地されたものになって行きました。電灯も点けられているようです。
「なんだ、こりゃ? まさに悪の秘密基地か?」
「別の建物の地下同士を、わざわざ強引に繋げたようですわね」
「どうしてそんな面倒な真似をしたんだろうな、ここを作ったやつは?」
「出入り口の偽装だと思われますわ。しないよりはマシと言う程度ですけれど」
実際、明確に『不審点を探そう』と言う気がなければ、ここに至る人間はいないでしょう。
一般人は用のない古びたビルの地下室を探って、隠し通路を発見したりはしないのですから。
あるいは、本当はもっと複雑な偽装……例えば地下迷宮でも作りたかったのかもしれませんね。
労力に見合わなかったのか、それともゾンビの知能ではその迷宮が突破できないと考えたのか。
何にしろ、手がかりが掴めましたね。この奥に風水盤に関わる情報があるはずです。
「行くか。より慎重にな」
陰念さんはそう呟いて、進んで行きます。
ちなみに彼に何かを言われずとも、ナターシャさんの隠密動作性能は優れています。
陰念さんはその性格からか、どうも不必要な警戒をし過ぎです。
「むっ! こんなところにプランターが!」
「何なのでしょうか? ただの雑草にしか見えませんが……ご主人様はご存知で?」
足音を消すため、踵から地に足をつけて進む陰念さんが、ぴたりと足を止めた。
その視線の先には、ぷらすちっく製の植木鉢がありました。
植えられているのは、ナターシャさんの言う通り、ごく普通の多年草に見えます。
何かしらの効能のある薬草ではないでしょう。だと言うのに……何を考えているのでしょうか?
あろうことか、陰念さんはその草を引き抜き、挙句には口に含んでしまいました。本当にどうしたのでしょうか?
「うがっ! にげぇ……まっじぃ……うえぇ〜〜。だが、良薬は口に苦し!」
当然だと思います。甘いはずがありません。
「あの、ご主人様? 一体何を?」
さすがにこの行動は想定の範囲外だったのか、ナターシャさんが額にも汗が浮かびます。
「知らんのか? ゾンビ、地下の謎の施設、そしてプランターとくれば、この草はハーブに違いない」
斜め上どころではない発想でした。ある意味、横島さんよりも意味不明な思考回路です。
仮にこれがハーブと言う種の植物であるとしても、何故口に含んでみなければならないのか?
「ハーブは体力回復には欠かせん。見つけたら、即ゲットだ」
「ご主人様。私にはそれが、ただの雑草にしか見えないのですが」
「ふん。黙れ。何も知らない素人は口をはさむな。全く、近頃のメイドは……」
陰念さんはもしゃもしゃと雑草を咀嚼しつつ、道を進んでいきました。ヘンな光景でした。
早く帰りたい。帰って眠りたい。そんな気持ちが胸中に湧くのを、私は止めることが出来ませんでした。
いっそ、メドーサと二人きりで行動している方が、疲れないような気がします。タイヤキが食べたいです。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ここはロックがかかっていないな。気配もない。よし、入るぞ」
「と言うか、ご主人様。電子ロックは危険ですが、普通の錠は破壊してしまえばいいのではありませんか?」
機械的な処理が施されている扉を破壊すれば、警報が鳴る可能性が高いそうです。
結界などと同じ効果だという認識でいいのでしょうか?
「ダメだ。鍵が掛けられている部屋に入るには、鍵がいる。これは鉄則だ」
「非常時なのですから、ここはその常識を曲げるべきだと愚考いたしますが……」
「常識じゃねぇんだ。鉄則だ、鉄則。様式美と言ってもいい。ともかくダメだ」
よく分からないこだわりでした。しかしまぁ、今は部屋の内部が気になります。
陰念さんが慎重に進入して行くと…………そこは私の見慣れない部屋でした。
なんとも無機質で乾燥した印象を受ける部屋です。
そしてたくさんのテレビ―――ではなく、きっとパソコンと言うものでしょう―――が、並んでいます。
ナターシャさんはそのうちの一つを動かしました。どうやったのかは、詳しくは分かりません。
妙神山のテレビを点けるよりも、かなり複雑な工程を踏んだ……と言うことしか、私には分かりませんでした。
「パスワードが必要なようですわ。まぁ、当然といえば当然ですが。いかがなさいますか、ご主人様?」
「その辺に散乱してる書類の数字を組合せりゃ、何とかなるだろ。あるいは部屋の壁の落書きとかな」
「重要な情報を、人目につくところに残さないと思うのですが」
「いいから、試してみろ。そうだな、233119か。そこのメモに書いてあったぞ」
「あっ…………パスを突破しました。PCが立ち上がります」
「ほれ見やがれ。言った通りだろうが」
「色々と納得が行かないのですが」
パソコンの画面が、青色になって……そして風景画になった。
これから何か手がかりが得られるのでしょうか?
先のゾンビはまだこの地下施設内のどこかにいるはずなのです。
特に情報が得られそうでないのなら、早く先に進んだ方がいいような気もします。
「色々とデータがありますが、どうやら専門的なデータのようですわね」
「ゾンビの管理データか何かか? どっちにしろ、見てても分からんな」
何度か画面を切り替えては、二人とも首を傾げていました。無論、私にもよく分かりません。
「マイドキュメントのフォルダとかに、日記はないか?」
「日記ですか? ゾンビの管理をしている者がいるのは確かなようですが……日記など書くでしょうか?」
「こういう施設で働いている人間は、日記に色んなことを書くと決まっている。すでに鉄則を超えて、真理だぞ?」
「…………そう言うものでしょうか? 納得が行かないのですが」
「それで、あるのか? ないのか?」
「お待ちくださいませ。あっ……ありました。何故か」
「何故かも何も、真理だって言ってるだろうが」
陰念さんは胸を張ります。これでもかと。対するナターシャさんは、少々不機嫌そうな顔です。
しかし何を言っても詮無いことだと思ったのか、無言のままに彼女は、日記を表示しました。
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今日からここで働くことになった。何故だ? 意味が分からん。どうしてこう、俺はトラブルに巻き込まれるのか?
そもそもこれは就職じゃない。どう考えても拉致である。これが誘拐や拉致でないと言うのなら、この世にその類の犯罪はなくなると思う。
まぁ、どれだけ嘆いても、なんら状況は変わらない。何しろ従順に働かなければ、殺されるのだ。せいぜい頭を下げつつ、黙々と作業しよう。
愚痴が言えるのは、この日記だけだ。作業中どころか、待機中ですら私語は慎まなければいけない職場環境というか、監禁状態。最低だ。
唯一の救いは、こうしてディスプレイに向かってタイピングをしていれば、とりあえず仕事をしているように見えることか。
アイツらは電子機器の取り扱いどころか、この文字の羅列すら理解出来ないだろう。最上級の魔族だどうとか言っていたが……。
しかし、この文明の利器を扱えない以上、俺からすれば野蛮で下等な存在だ。その下等存在に顎で使われると言う事実。最悪だ。
だが、死にたくない。それは絶対だ。だから今はとにかく命令を聞いていよう。まだ俺には、利用価値があるはずなのだから。
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「どうやら、望んでゾンビを作っているわけじゃないようだな」
「そのようですわね。GSでもなさそうですわ」
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今日はゾンビを6体も作った。頭がおかしくなりそうだ。何が目的なのかは知らないが、あいつらは手駒が必要らしい。
ハエのヤツは分裂出来るとか言ってたんだから、素直に分裂して自分で働けばいいだろうに。俺も分裂体が欲しい。疲れた。辛い。
そんな意見を言ってみようかと思ったが、やめておいた。どう修飾しようが、要約すると『自分で動けよ』なので、きっと怒りを買う。
だから俺は、ゾンビを作り続ける。そりゃ、マニュアル通りに作ればいいんだから、俺に霊能力は必要ない。
でも、GSでも何でもないのに、延々とゾンビを作り続けるって、どうなんだ? きっと俺はそのうち呪われる。
いや、何かの拍子に呪われたから、こうして香港でゾンビ製作する羽目になっているのか。助けて、須狩先輩。
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日記には、延々と一人の男性の精神が削られていく様が記載されていた。
日記があるという陰念さんの言葉に対し、最初は半信半疑だったのですが……これなら納得です。
毎日毎日、魔族の監視下に置かれ、多大な精神的な負荷を感じているのに、愚痴すらも零せない。
何らかの形でその負荷を発散させたいという気になっても、それは当然です。
それにこの人物は、魔族側に配慮して情報を隠蔽しようと言う意思が見受けられません。
むしろ、今のように……この文章を誰かに読んで欲しかったのでしょうね。
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ゾンビの行動設定の再テストをした。施設内があまりに無味乾燥なので、外から草を入手してくるように命令してみた。
花屋で買い物は不可能だろう。俺自身も無一文だし。まさか銀行強盗をさせるわけにもいかん。
よって公園かどこかで、雑草を引っこ抜いてこさせることにした。命令は出来る限り単純化しておいた。
人目につかないように、外部から草を入手する。ただ、それだけだ。そしてゾンビはその命令をやり遂げた。草を持ち帰ってきた、
しかし、犬のフンがついていた。イジメか? ゾンビは命令に従う以上、他意はないはずだが。
とりあえず、放置されていたプランターに植えておいた。あまり潤いにはなっていない。最低だ。
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「……………………」
陰念さんが何とも言えない表情で、沈黙した。
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今日も助けは来ない。当然と言えば、当然だが。今日は俺を取り巻く状況が少しだけ明らかになった。よって書いておく。
書きたくもない内容だが、俺自身も少し混乱している。思考をまとめるためにも、書いておこう。嘆息しか漏れない日々が憎らしい。最低だ。
俺は日々ゾンビを作っている。工場制手工業だ。職場には俺一人だが。会社帰りに拉致られて、延々とゾンビ造り。改めて考えるが、最悪だ。
さて、そのゾンビを作る理由だが、俺を拉致した魔族どもが手駒を欲しているらしい。そして重要なのは、何故手駒が必要なのか……だ。
ガキの姿をしたやつと、ハエ野郎の楽しそうな会話によると、あいつらは風水盤という『何か』を作っているらしい。
それの作成には風水師の生血が必要らしいのだが、その量が半端ないそうだ。つまり、早い話が『大量の生贄が必要』ってわけだな。
いまいち、よく分からない話だ。真実であると言う確証もない。聞くわけにも行かないからな。
正確には風水盤の重要パーツに血がいるんだったか? 嘘なら、むしろいいんだがな。
どうにしろ、人の血がなければ作れないパーツとは、随分と悪趣味だと思う。機械で代用は出来ないんだろうか? まぁ、無理か。
あいつらも最初は楽しみつつ風水師を狩っていたそうだが、さすがに飽きたらしい。あまりに弱過ぎて、話にならないらしい。
風水師は殺さなければならない。しかし、狩りにも飽きた。誰かに風水師の殺害を任せてしまいたい。まさに悪魔の思考だ。
そこでヤツらは殺した風水師をゾンビの素体に回すことにしたらしいのだ。つまり、俺はホカホカの死体を弄って、ゾンビ化させている。
そして俺の手作りゾンビは街に出て、風水師の血をさらに集める。挙句、血の抜けたその死体をゾンビの材料として、持ち帰ってくる。
時間が経てば経つほど、ゾンビの数が増えて効率的に物事が進む構図だ。俺は日々頑張って、風水師を狙う暗殺者を量産しているわけだ。
いや、いいさ。自分の命が大切だ。香港の風水師がどれだけ死のうが、知ったことじゃない。赤の他人より、自分の命だ。
それに俺が『殺人を幇助している』なんて下らない罪悪感から自殺したとしても、どうせアイツらは代わりを拉致って来る。意味はない。
だから俺は、ゾンビを作り続ける。それしか手はない。仕方ないことなんだ。そう思っていたら、新しい死体が運び込まれた。
小さかった。
女の子だった。
風水師の見習いらしい。
ついでとばかりに殺されたのだろう。正直…………嫌になる。
厳ついおっさんが戦いの果てにゾンビ化って状況ばかりが続くはずもないから、これは当然の流れなのだろうけれど。最悪だ。
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「重要パーツか。つまり、アレだな? それを盗めば、とりあえず風水盤は動きそうにないってワケだから……」
「風水盤の位置を特定し、該当部品を奪取して帰国。その後、戦力を調整して具体的な対策を取ると言うことですわね?」
「あぁ、そう言うことだ。俺はまさにそれが言いたかったんだ。さすがだな、ナターシャ」
「ご主人様のことですもの。当然ですわ」
「うむ!」
画面から目を離し、陰念さんは胸を張って頷いた。
なお、日記はまだまだ続いている。
そこで、ふと思った。書いた人は、今この時はどうしているのだろうか、と。
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ぶんぶんとハエが飛んでいたので、ファイルで叩き落そうとしたら、怒鳴られた。あのハエ野郎の分裂体だったようだ。知るかってんだ。
しかし数十や数百に分裂可能で、さらに身体の大きさも自由自在。やはり魔族は洒落にならない。人間以上の存在だと、思い知らされる。
ハエ様がどうしてこんな地下の陰気くさいゾンビ製作工場にお越しになられたのかと言えば……どうやら、俺の監視らしい。
作業効率が落ちているから、サボっているのかと疑われたようだ。俺はあくまで一般人なんだ。今日まで良くやった方だろ?
経験を積んできた司法解剖や検死の専門家じゃなく、あくまで普通の人間だ。
大学の専攻は工学部だった。物性微細素材とかな。死体に見慣れてなくて、何が悪い?
そりゃ、心霊武器や何やらの開発には、確かに関わっていた。
でも俺のメインはぶっちゃけ神通棍の新規のグリップ開発とか、そんな感じだ。
ゆくゆくは制圧兵器としてのゴーレムの前面強化装甲の開発に回りたいと思っていたが、俺は入社一年どころか数ヶ月の新人でしかない。
霊的な特性を付加した特殊素材がどうだとかは、まだほとんど概念を理解していない状態だったし……。とにかく、俺は『普通』なんだ。
にもかかわらず、拉致られて。マニュアルを叩きつけられて、ゾンビを作れと言われて。と言うか、どうせ盗んだものだろ、あのマニュアルも。
魔族のあいつらが、あんな理路整然とした書類をタイプして、プリントアウトするはずがない。そもそもこの施設も、どうせ乗っ取ったんだろ?
俺は一般人だった。そのはずだった。その俺が最低の状態で、今日までゾンビを作ってきた。
あの女の子も初期処理は終わらせた。何とも言えない気分を味わいながらだ。
好みの可愛い女の子の裸を見た。でも、死体だった。しかも改造しなければ、自分が殺される。
何だ、この状況は? 最悪だ。いっそ殺せ。
しかもそれでちょっと作業が遅れたら、監視を強化だと? ふざけんな。
死ね。魔界に帰れ。死ね死ね死ね死ね死ね。
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「随分と追い込まれていますわね」
ナターシャさんが、痛ましげな表情でそう言った。同感です。表示された文字からも、辛さが感じ取れます。
ところで神通棍とは、美神さんの使用しているあの武器ですよね?
この日記の人物は、それらの開発に携わっている人物ですか。
しかし、ゴーレムを販売する計画まであるのですか? 商魂逞しいと言うか、何と言うか。
現代では精霊石の販売会すら行われているそうなので、新たな商品が計画されるのは、ある意味当然なのかもしれませんが。
ふと、美神さんがお金にモノを言わせて、鬼門のような大きさの高級なゴーレムを所持した光景を想像する。
…………販売は見合わせて欲しいような気がしました。
いえ、別に美神さんが悪用すると決め付けているわけではありませんが。
私はこの日記の人物の悲哀を感じつつも、ついそんなことを考えました。
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今日は『ゾンビの数がそろったので、そろそろ他の心霊兵器でも作ってみろ』と言われた。どうやらアイツらはケルベロスがお望みらしい。
俺にそんなモノを作るだけの技術力はない。そう素直に言ったら、午後には何やらたくさんの仕様書を持ってきやがった。窃盗か、強奪か。
どっちにしろ、まともな取引で得た書類じゃないだろう。とは言え、逆らえない俺は素直にそれを受け取るしかなかったが。
様々なマニュアルと一緒に初期のゾンビ計画の草案もあることに気づき、読み進めてみたのだが……色々と納得が行くものだった。
そもそもこのゾンビも、大量生産が計画されていたものらしい。そう言えば、前に聞いたことがある。
一時は開発グループが、かなりの数を試作して、集団行動をとらせたりとか、色々テストしてたって。
でも生モノであるゾンビはケアが面倒で、崩壊速度も個体差によって微妙に違うから、実に扱いづらいものだったって。
そんなわけで、初期の試作ゾンビがタンスの肥やし状態になっていると。
だが、その試作型はある日突然大量消費されて、空になったんだよな。確かあれは……そうだ。GS試験のあった頃か。騒ぎになってたよな。
どうせ眠っていたその試作ゾンビも、アイツらが盗んだんじゃないか? 魔族に脅されている上層部の人には頭が下がる。頑張れ、先輩。
いや、もしもアイツらにそれを尋ねたら、どうせ『厚意によって無償提供を受けた』とか、厚顔無恥に言い放つんだろうけどな。
…………ふと思ったが、頑張れとか言ってる場合じゃないな。今の状況だと、俺の方が先輩より、よほどシビアじゃないか。
ともあれ、死を恐れない兵士。それは何とも魅力的だ。すでに死んでいるんだから、動かなくなっても使用者には罪悪感が湧かない。
しかし、やはり問題は死体をいじると言う面。それくらいなら、素体が無機物であるゴーレムを製作した方がいい。法的にも。
だから、南部ではゴーレム開発が主流になっていた。
あの魔族どもにゾンビを増産しろと脅されても、曖昧な態度で拒否し続けた……と思う。
多分、そのはずだ。本社がどこかでゾンビを大量生産してくれていれば、俺は今こんな目に合わなかったはずなわけだし。
しかしまぁ、本社に文句を言うつもりはない。俺が開発責任者でも、ゾンビよりゴーレムを選ぶ。自身の技術の畑関係なしに。
ゾンビの大量生産体勢を整えろとの命令と、新型ゴーレム開発。どちらかの計画につけと言われたら、まず全員が後者選択だろう。
まぁ……ともあれ、今考えるべきはケルベロスか。あいつらの持ってきた書類に書かれているのは、犬型のゴーレムだ。
直鎖状特霊媒質によって、鏡面装甲を形成するゴーレムの試作品。ケルベロス状に形成したことにさした意味はなく、開発者の趣味だろう。
鏡面装甲は、霊波砲などの攻撃を無効化する画期的な装甲だ。これは実働すれば、確かにアイツらの動きをGSや神族が察知したとしても、
十分な足止めをすることだろう。あるいは、コイツとゾンビだけで倒し切ってしまうかもしれない。しかし、それは俺の本意じゃない。
とりあえず、俺に実現できる限りの鏡面装甲を製作した。代わりと言ってはなんだが、物理防御を最低限に抑えておいた。
小学生の1クラスが一斉に石を投げれば、撃破出来るかもしれないくらいの脆さだ。いっそ、搬入時に壊れてしまえばいいと思う。
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「つまり魔装術で直接ぶん殴ればいいわけだな。フッ、楽勝だ」
陰念さんはニヤリと笑ってから、ぱんっと手を叩いた。
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名前も知らない、女の子。死体になって運ばれてきた、あの子。
あの子の第2段階の作業を始める。ゾンビ作りには、慣れた。だから、きっと出来るはずだ。
蘇えらせてはあげられないけれど、そこいらのゾンビとは一味違うゾンビにしてあげよう。
自律行動が可能なゾンビ。いや、一時的な死を踏まえた、強化の儀式だ。目を覚ませば、人外の力を手に入れているのだ。
身体は人ではなくなっても、呼び覚まされた精神は以前と……生前と同じ存在なはずだ。きっと、そのはずだ。成功さえすれば。
競争の中で、技術力は加速していくと言う。戦争がいい例だ。なら、今の俺なら、きっと出来る。
俺は今、人生の中で一番苛烈な状況にいるはずだから。生きるか死ぬかの、瀬戸際だから。追い込まれているから。
生存のために、持てる技術を全てつぎ込む。大丈夫だ。あの子を、新しく生み出してみせる。あの子は、きっと目を覚ます。
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「ゾンビと言うより、改造人間だな。殺して、血を抜いて、そのまますぐ処置してんだから無理じゃない……のか?」
「私に聞かれても、お答えのしようがありません。私はメイドであって、専門家ではありませんもの」
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……失敗した。どうすればいいのだろうか? 時間がない。もう、時間がないんだ。
風水盤とやらを動かすために必要な鍵は、もうほとんど出来ているらしい。俺自身が、そろそろ殺される。
ケルベロスも完成した。起動準備があるとかどうとかで、運搬はまだ先になりそうだが……。
ケルベロスの搬送が終われば、俺は殺されるだろう。もう何も作らせる必要がなさそうだからな。
電気の供給なども停止し、きっとこの地下施設ごと潰されるんだろう。
何しろ、ハエの野郎が嬉しそうにそう言っていた。あくまで『そうなったらどうする?』と言う疑問系だったが……。
アレは絶対に、呆然とするこっちの顔を見て楽しんでいた。本当に悪魔だ。考え方も、言葉も。
ケルベロスの搬送まで、あと数日。それまでにあの子を完成させ、ここから逃げなければならない。
いや、正確ではないな。あの子を完成させ、あの子に守ってもらって……ここから逃がしてもらわなければ。
俺はまだ、死にたくない。死にたくないんだ。
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――――――日記はここで終わっていました。
「電気の供給が成されてるってこたぁ、まだ搬送は終わってないんだよな?」
左右を見回しつつ、陰念さんがそう呟く。周囲にはこれを書いていたと思われる人物の姿も気配もない。
普段の様々な作業は別のところで行っているのでしょう。あるいは……もうこの施設から、逃げ出したのか。
そんなことを考えてた、まさにその瞬間でした。天井の照明も、パソコンの表示も、全てが消えてしまいました。
「って――――――おいおいおいおいっ!? くそ!」
どんっと音が鳴ります。陰念さんが苛立ち混じりに、机を叩いたようでした。
「あのゾンビどもが犬を搬送するヤツらだったのか!? ちぃ、先を急ぐぞ」
「はい。ライトを用意いたしますから、お待ちください」
「あんのかよ、そんなモン」
「ええ、こんなこともあろうかと」
と言うか、陰念さんが特に何も持っていないと言うのは、どう言うことなのでしょうか?
陰念さんの今の持ち物は、財布と角化している私とあの雑草のみです。衣服は宿に置いてあるようです。
陰念さんは魔装術を行使出来るため、特に武器や道具の携帯は必要ないと考えたのでしょうけれど……。
特筆すべき持ち物が私以外には雑草のみと言うのは、何とも言えない情けなさがあると思います。
ちなみにナターシャさんはライトを胸の谷間から取り出しました。どうでもいいことですが。ええ、どうでも。
「早くしないと、自爆装置が稼動するぞ! 急げ!」
「確かに地下施設を一時的に隠蔽するには、爆破も一つの手かもしれませんが……しかし本当にするのでしょうか?」
「当然だろ!? グダグダ言ってんじゃねぇ! するっつったら、するんだよ! 制限時間はきっと5分だ!」
「納得が行きませんわ!」
怒鳴りあいつつ、施設内を走り行きます。意外と余裕はあるのではないでしょうか?
すると道すがら、3体のゾンビの後姿を発見しました。背格好から考えるに、先のゾンビに相違ありません。
彼ら(?)は、何やら大きな鉄製の箱―――コンテナと言うそうです―――を、トラックに積み込んでいるところでした。
車の運転が出来るのでしょうか? きちんとした思考能力のある、私ですら出来ないと言うのに……。
そんなことを考えているうちに、車は発進しました。携帯電話の使用も可能そうな勢いです。少し感心しました。
陰念さんとナターシャさんは、トラックの荷台にこっそりと潜り込みます。
こうして私たちは、風水盤があるであろう、敵の本拠地に向かったのでした。
ちなみにコンテナを強引にこじ開けて、中のケルベロスを撃破しました。敵戦力、減点一です。
「鏡面装甲とやらは、剥がしてもらって行くか。それなりの盾になるだろ」
意外と抜け目のない陰念さんでした。少しだけ見直しました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
心の底から、見下げたものだと思いました。
誰のことかと言えば、無論陰念さんです。それこそ、言うまでもなく。
「クソッ! これを解きやがれ、このクソガキ!」
「ふん、よく吼えるな。貴様の命がこちらの手の平の上にあることを忘れたか?」
「へっ! んな脅しなんかに屈するかよ。死ね!」
「…………そうだな。ここまで潜入した人間だ。覚悟はあるのだろう。ならば死を懇願するまでなぶり続けてやろう」
「嘘だ! いや、ケフィアか何かだ、さっきのは発言は! へなちょこの俺に覚悟なんてないぞ、デリヘル様!」
「デミアンだ! 間違えるなっ!」
「すまん、馬鹿なんだ、俺は! 高校とかも行ってないしな!」
ニヤリと笑みを浮かべて迫る童子姿の魔族・デミアンに対し、陰念さんはあっさりと命乞いをしていたりします。
つい数十秒前は『所詮、ガキとハエだ! この俺様の魔装術には敵うまい!』と大見得を切っていたのですが……ご覧の有様です。
自身が絶対に敵わないと分かれば、それこそどこまででも下手に出られる彼なので、もうしばらくは全自動的に言い訳を続けそうです。
取るに足らない力量の者が、必死に命乞いをし、自身の機嫌をとり続けようとする。その状況は、魔族の嗜虐心を満たすのでしょうか?
デミアンはいやらしい笑みを浮かべたまま―――時折、陰念さんの言葉に頬を引きつらせたりもしつつ―――話を聞き続けます。
考えようによっては、陰念さんは自身を囮にして、時間を稼いでいるとも言えるのかもしれません。
今と言う時間は貴重です。ここはどうにかして、状況を打差する策を考えないといけません。
ですが、何と言うか……そもそも、何故危機的な状況に陥ったのかと言えば、陰念さんの行動のせいであり……はぁ〜〜。
色々と嘆きたい気分なのですが、現状を確認するためにも、まずはここまでの動きを整理してみましょう。
敵は風水盤起動を成すために、香港での活動を開始。第一段階として、風水師の誘拐と殺害を実施。
第2段階として、技術者を拉致。殺害した風水師をそのままゾンビ化させ、自身の手駒として効率化を図る。
余裕が出来た後は、ゾンビ以外の手駒の製作を支持していた……とまぁ、そんな感じです。
メドーサから噂話と言う形でこの件を聞いた時点で、敵はすでに第2段階へと移り始めていたのでしょう。
私たちは、どうにも初動が遅すぎたのでしょう。
不幸中の幸いとも言えるのは、地下施設から風水盤の傍まで移動するトラックの最終便を発見できたことです。
もしもこのトラックを発見できなければ、私たちはいまだに風水盤を探し求めていたことでしょう。
そして、何一つ物事を達成することなく、魔界と化す香港で呆然とすることになっていたでしょう。
ですが……まだ間に合います。間に合うはずです。間に合うはず……でした。
トラックに乗り込んだ時点では、そう思えたのですが……。
風水盤の重要部品。それは恐らく一目見て分かるくらいの禍々しさを持つ……幾人も後を吸った『何か』です。
それを奪い取って、妙神山まで転移すればいいのです。幸い、それだけの力は温存しています。
難しい話ではありません。こちらは殲滅戦を行う戦力を用意していませんが、大丈夫です。何とかなります。
奪って、転移。ただ、それだけ。それが達成できれば風水盤は起動せず、香港が魔界化することはありません。
あとは日本で決戦の準備を改めて整え、再度この香港を訪れて決着をつければよいのです。
間を置かずに襲来されれば、敵ももう一度その重要部品を作る暇はありません。
美神さんも地脈の異常には気づいているはずですから、協力を願い出れば頷いてくれるでしょう。
あるいは老師も出撃してくださるかもしれません。現在はデタントが進む時勢ですが、地上が魔界化するとなれば話は別です。
デタントが主流であるからこそ、地上を魔界化させるなどという決定を、魔の最高指導者が下すはずがありません。つまりは、独断専行。
私や老師が騒ぎを鎮圧したところで、魔界の上層部から不当な責めが来ることはまずないでしょう。
――――――と、そう考えていたのですが……。
そんな私の考えなど、すでに木っ端微塵でした。奪取して転移などと言う段取りは、事実上不可能です。
何故か? 答えは簡単です。私は陰念さんの懐にいます。そしてその陰念さんは土塊に封印された状態です。
頭と指先だけが外部に露出した状態で、陰念さんは全く身動きが取れません。実に強力な封印です。
当然、彼の懐にいる私も発現できません。
これが檻状の封印で、空間に余裕があれば、突破する手がないわけではありませんが……。
敵本拠地。その最奥で今にも起動しようとしている風水盤上に立っているのは、たった二体の魔族でした。
一体は童子の姿をしており、もう一体は蝿の化身とも言える姿でした。彼らはぼそぼそと、何やら呟きあっています。
重要部品の奪取。それには素早さが求められますが、しかし闇雲に突撃するのも愚の骨頂です。
より良い隙を窺うためにも、こちらの息を整えるためにも、情報を得るためにも……一先ず魔族の声に耳を傾けましょう。
短時間とは言え、すでにあの風水盤は一度起動してしまったようです。
その影響もあり、ここの気はひどくかき乱されています。
注意を怠らなければ、まず発見はされないでしょう。実際、魔族たちは面白いように会話を続けてくれました。
「しかし、本当にこの前のあいつは何だったんだ? こちらを知っているようだったが」
「デミアンの本体がその体の中のカプセルに入っていることも、俺の分裂と言う特性も知っていたな」
ふむ……デミアンなる魔族の本体は、あの童子の身体の何処かにあるカプセルなのですか。
つまり、仮に四肢どころか頭を切断したとしても、油断は出来ないということですね。
それが分かっただけでも、有意義だと言えます――――――などと考えた、その時でした。
「所詮、ガキとハエだ!」
そんな言葉とともに陰念さんが魔装術をまといつつ、風水盤の中心に向かって突撃したのは……。
懐で会話の意味を噛み砕いていた私は、驚きのあまり発現する暇がありませんでした。
「この俺様が! 貴様らの野望を打ち砕いてぶろばらっ! がっご!? ぐはっ! ちょ、タイム! タァーイムッ! へぶっ?!」
もちろん、陰念さんはあっさりと撃破されました。使うかもしれないと持ってきた鏡面装甲の出番も、ありませんでした。
そして話は少し前に戻りまして……土塊に封印された陰念さんとその懐の私という状況が出来上がります。
現状打破という意味では、ナターシャさんに一縷の望みを託したいところなのですが……。
「おい、こんなところに女がいたぞ」
「くっ! ナターシャ! 逃げろ、早く逃げやがれ!」
「逃がすと思うのか? ふん、つくづく馬鹿なヤツだ」
あっさりとナターシャさんを見つける蝿に、叫ぶことしか出来ない陰念さんに、嘲笑するデミアン。
ナターシャさんは私たちが身動き出来ないせいで、どう行動したものか悩んでいたのかもしれません。
戦うべきか。それとも撤退するべきか。しかし撤退するにも、ただただ退くだけでいいのか?
停止している風水盤の中央には、剣のような『何か』が浮かび上がっています。
恐らくはあれが要の部品。何とか奪取出来ないものか。
誰もが悩んでしまうであろう、そんな状況です。
当然わずかながら隙が出来てしまい……そこを突かれてしまいました。
もっとちゃんと打ち合わせをしてから動き出していれば……聡明な彼女のことです。
最初の方針を守り、戸惑わずに行動してくれたでしょう。
つくづく、陰念さんの軽はずみな行動が悔やまれます。
「貴様の女か? ならば貴様を甚振るより、あの女を甚振った方が楽しめそうだ」
「こんのクソガキがぁぁっ! 止めろ! あいつには手を出すな!」
「くくく。いいぞ、もっと嘆け。魔に逆らったことを後悔しろ。もっと怒りを吐け。今だけは許すぞ」
「あいつに手を出してみろ! 殺してやる! 絶対に! 聞いてるのか、クソガキが!」
「聞いているぞ。実に耳に心地良い。先ほどまで震えていた小物が、よく吼えたものだ」
そう言いつつ、デミアンは自身の両の指をしゅるしゅると伸ばしていきます。
本体は別にあり、その身は仮初。どこまででも自由に操作できるのでしょう。
伸びた指は、まるでヘビのようにナターシャさんの身体に巻きつき、這い上がります。
暗い大洞窟とでも表現するべき、地下空間。風水盤が先の起動の余韻を現すかのように、微弱に光っています。
そこで魔の者の手によって宙吊りとなり、全身を玩ばれる美しい少女。それはおぞましくも、ある種の幻想を感じさせました。
「んくっ! あっ……くぅ……はぁ、はぅ、うぁ……うぅ」
デミアンの指が、ナターシャさんを苛みます。
いつもの慇懃な声ではなく、官能的な色を含む物が口から零れました。
「はっはっはっは! 貴様の女は、俺の手の中で鳴いているぞ! どうだ? 何を思う、小物!」
「悪趣味なヤツだな、お前も。とは言え、俺もそう変わらんが……」
「どうだ、ベルゼブル? その女の血は美味いか?」
「いいや、まだ分からん。楽しみは最後まで取っておくもんだ。まずは汗から味わおう」
もっと恐怖と恥辱を与え、アドレナリンを分泌させてから出なければ、血は要らない。
そう呟きつつ、数体に分裂した蝿―――どうやら蝿の王の分霊のようです―――は、ナターシャさんにまとわりつきます。
「ひゃうっ!? あ、はぁ、はうぅ! ら、らめです! そこは……んくぅ!?」
そして長めの舌でもって、彼女の頬を、腕を、太股を……舐めやりました。
指と舌に攻められ、ナターシャさんは身体を揺らします。
しかし、拘束は解かれません。解かれるはずがありません。
「くそがぁぁぁぁあぁぁあああ! うぉぉぉおぉぉぉぉ!」
陰念さんは全力で持って、自身を覆いつくす土の壁を破壊しようとします。
しかし、びくりとも土の壁は動きません。ひび一つ、入りません。この封印を前に、彼はあまりに無力でした。
仮に彼よりも力と経験のある美神さんであっても、ここまでの封印は解くことが出来なかったでしょう。
陰念さんの怒鳴りを受けて、デミアンは嘲笑を強くします。そしてより力強く、ナターシャさんを責めていきました。
「ん、あっ、あ……はうぅぅぅ〜〜〜っ!?」
やがてナターシャさんは一際大きく声を上げ、身体を弛緩させました。
頭をがくりと垂らし、はぁはぁと荒く息を吐きます。
自身の手の平の上で彼女を嬲りきったことに満足したのか、デミアンはニヤリ笑いのまま陰念さんを見やります。
「自分の女が他者の、しかも魔族の慰み者になる。それを見続ける気分はどうだ? ん?」
「………………………殺してやる」
「出来もしないことは、言うものではないと思うがな。ちなみに、まだ終わりじゃないぞ?」
デミアンは両手を挙げて、ナターシャさんの身体をさらに高く吊るしました。
「よがれ! そして狂え! 今から壊しきってやる! 快楽の内に死ねることを感謝するがいい!」
「あくぅっ!? ら、らめ! いま、ひんかんにらってるから、らめぇ! はぅ!?」
舌足らずな口調で、礼儀正しさなどかなぐり捨てて。ナターシャさんは目に涙を浮かべつつ、声を発します。
そして再びデミアンの責めに耐え切れなくなったのか、全身を大きく痙攣させ――――――
「むぅぅ!? な!? 何だと言うのだ!?」
――――――彼女は……彼女の身体は……強い光を発しました。
それはまるで、新生の光。薄暗いこの地下を丸ごと地上の太陽の元に移動させたかのような、それほどまでに強い光でした。
光が収まるとそこには、ナターシャさんがいました。
もとい、鎌田勘九朗さんがいました。
半裸でした。極めて全裸に近い、半裸でした。
細い腕はがっしりとした上腕二等筋が見て取れるようになり……それは足も同様です。
細く頼りなさげな、しかしきちんと丸みを帯びた柔らかそうな太股は、これでもかとむっちりとした大腿に。
胸元も以前の丸さは微塵もなく、がっちがちの大胸筋となり、着ていた従者服をびりびりの布切れに変えています。
「ふふふ。私も修行が足りないわね。イッちゃったくらいで、あの姿を維持出来ないだなんて」
彼女と言うか、もはや彼というべきその人物は、『ふんぬぅ!』と短く気合を込めると、
自身を拘束するデミアンの指を、それはもう……いとも簡単に引きちぎりました。
なお、その時の漏らしたデミアンの一声は『ひぃっ!?』でした。
勘九朗さんは固まっているその場の全員に向かって、その、何と言うか、スカートの裾をたくし上げて、こう言いました。
「中々気持ちよかったわよ? ほら、まだこんなに滾ってるもの」
見せないで下さい。いえ、見てません。ええ、見ていませんとも。何しろ私は陰念さんの懐の中ですので。はい。
勘九朗さんが何をスカートの裾から見せたのかは知りませんが、その何かは以前にちらりと見た横島さんの何かよりも大きいような……。
いえ、何でもありません。と言うか、奮い立つとはよく言ったものだと思います。何な風になるのですね。何がとは言いませんが。
「お、起こったことを有りのままに話すぜ。デミアンがナターシャを責めていたと思ったら、いきなり勘九朗が現れた。
俺が一体何を言っているのか? そりゃ、聞いているそっちも分からないと思うが、一番混乱しているのはぶっちゃけ俺自身だ。
ハーブだと思っていたら、実は雑草だったとか……美少女フィギアを手にとったはずが、実はアメコミフィギアだったとか……
そんなちゃっちなモンじゃねぇ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったんだ。なぁ、横島。そこに愛子はいるのか?
愛子。俺はもう、疲れたよ。助けれくれ……俺の色んな思いが……汚された。汚されちまったぜ、あの勘九朗に……」
ふと気づけば、陰念さんは虚空に向かって、この場にはいない横島さんたちに話しかけていました。
ちなみに陰念さんの思いを汚したらしい勘九朗さんは、逞しい筋肉の鎧と言える胸部に両手を添えて、
『飲みたいって言っていたわね? 遠慮なく吸い付いていいのよ?』などと言いつつ、蝿の王を追いかけていました。
ちなみに、むちむちとした太股の間で何か棒状のものが揺れていましたが、私は外界が見えないのでよく分かりません。
やがて蝿の王を追い回すのにも飽きたのか、勘九朗さんは封印中の陰念さんに近寄ってきます。
ちなみにそばにいたデミアンは、額に汗を浮かばせつつ、布切れとなったメイド服をまとわせる勘九朗さんから距離を取りました。
その様は、何と言うか、アレです。一見すると、何も知らない純情な子供が、変態じみた巨漢から逃げているようでした。
「もう、ご主人様ったら、いつまでそこでぼうっとしているのですか?」
「その格好で俺をご主人とか呼ぶな!」
「うーん? おはようのキスが必要かしら?」
「人の話を聞け! お、おい!? やめろ、勘九朗! キスするな! ふざけんな!」
「私はナターシャ。ご主人様より名前を頂いた、一人のメイドに過ぎませんわ」
「ただのメイドが魔族の指を引きちぎるかよ!? やめ……ちょ、マジで待て! 勘九朗! む――――――ぐっぅ!?」
一同、沈黙。
ちゅぅぅぅう〜〜〜〜〜ちゅぱっ……くちゅ……ぅぅうううううっっ……ちゅっぽんっ!
しばらくお待ちください。ちなみに繰り返しますが、私は角状態なので何も見えていません。
「……ウフ♪ さて、お目覚めになられましたか、ご主人様?」
「………………あ、あははは……はは」
「あらあら? どうしたのですか、ご主人様? まだお目覚めになられませんか?」
「もはや殺意の波動に目覚めたわっ!」
「もぅ、何がお気に召さないのですか?」
「全部だよ、馬鹿野郎! ブっ殺!」
陰念さんのその怒声とともに、土の壁に幾筋もの亀裂が走りました。
そして盛大な破砕音が、洞窟じみたこの場に反響します。
「あらま、ご立派ですわね〜」
感情の爆発によるものでしょうか?
陰念さんは自身を押さえつける土塊から、飛び出すことに成功しました。
そして全身を力で覆いつくし、鎧を着込んだ状態となります。魔装術の発動です。
しかし、その鎧は不安定さのない、完成された物質的な重さがありました。よくよく見ると、鎧の表層が煌いています。
まさか、所持していた鏡面装甲の影響を受けたのでしょうか?
あるいはより一層の力を求めて、取り込んだとでも言うべきでしょうか?
さすがに神族であり、意思のある私の力は取り込めなかったようですが……これは驚異的な成長と言えるでしょう。
「はわわ〜、魔装術のレベルが一段階上がりましたわね」
「何がはわわ〜だ! 余裕ブッこいてんじゃねぇぞ、こらぁ!」
「あ〜〜れぇ〜〜、ご無体なぁ〜〜〜」
「殺す殺す殺す殺すっ! 絶対に殺すぅっ!」
「ふふふ。本当に殺せますか、この私が……」
ゆったりとそう言いつつ、勘九朗さんは自身の姿を変えていきます。あのナターシャさんの姿に。
途端に怒気が揺らいで、陰念さんは眉を寄せます。
外見上は自身が間違いなく好いていて、同衾さえした女性です。先の勘九朗さんとは、姿があまりに違います。
彼からすれば何とも厄介な状況ですよね、これは。振り上げたくとも……手は、動きません。
「あら? 何を赤くなっているのですか? ご・主・人・様? 私を殺すのでは?」
「くっ、ひ、卑怯な! 破れたメイド服による計算外の脅威のチラリズムだと!? そっちこそ萌え殺す気か!」
どこにも火の気はないのに、どうして燃え死ぬのでしょうか。と言うか…………何なのでしょうか、この状況は。
そんな私と同じ思いを抱いたのか、デミアンとベルゼブルも大声を上げました。
「お、驚かせてくれたな、人間! しかし余興もそこまでだ! 潔く殺されるがいい!」
堂々と言い放ったはずですが、微妙に声が震えていました。ついでに勘九朗さんからは視線がそらされています。
もしや、今が勝機でしょうか? 私は陰念さんに念話で角を取り出すように指示します。
ナターシャさんのチラチラと見える肢体のおかげか、かなり怒りの治まった陰念さんは、素直に指示に従ってくれました。
目の前の陰念さんと言い、いつかの横島さんと言い、ゲームばかりの老師と言い……男性は馬鹿ばかりなような気がします。
そんな失礼なことを考えつつ、私は行動を開始しました。
発現し、即座に超加速で『剣のような形状の何か』を引き抜き、そして風水盤と天井に向かって最大出力の霊波砲を放ちます。
「んなぁ!? 何事だ!? まさか崩落か!? 有り得んぞ!」
「待て、デミアン! 神族だ! 神族がいるぞ! あれは神剣使いの小竜姫だ!」
「なんだと!? 神族の侵入を許したのか!? えぇい!」
私は陰念さんとナターシャさんの隣に降り立ちます。
崩れ落ちてくる岩石の隙間から、対面にいるデミアンたちは叫んでいました。
それに構うことなく、私は妙神山への転移に取り掛かります。
極めて短時間とは言え超加速を使用し、さらには全力の霊波砲を放ったのです。
すでにこの香港で発現していられる時間は、わずかとなっています。戦闘を仕掛けるべきではないでしょう。
と言うか、自分だけではなく陰念さんたちを連れて転移となると、かなりギリギリです。
ちらりと、もうほぼ埋もれかかっている風水盤へと視線をやる。ふむ、あれならば再起動は当面不可能でしょう。
「くそ! 逃がすか!」
デミアンが苛立ちを隠さずにそう言いますが、待つ理由はこちらにはありません。
私は剣呑な視線を流し送ってから、妙神山へと転移しました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
こうした紆余曲折の末、香港での風水盤の一件は、一先ずの終わりを迎えることになりました。
デミアンとベルゼブルと言う、放置できない危険な魔族の存在も明らかになりました。
もちろん枯渇しかかっている地脈の復活も、どうにかしてなさねばなりません。
また、彼らに拉致された人物の行方も調べてあげたいところです。問題は山積みです。
――――――その時、私は知りませんでした。
私の知らぬところで、まだまだたくさんの問題が発生していることには。
例えば、人狼族の過激派が狼王・フェンリルの復活を目指しているなど……。
殿下が妙神山で起こしてくれた脱走騒ぎが、とても可愛らしいものだったと思える今日この頃です。
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