第二十六話






流れる川の中に、三日月が映し出されていた。



空に浮かぶ月の形は、満ち欠け以外に全く変らない。

だが、川に映る月は、ふらふらと所在無さげに揺れる。

まさに、何も変らない天と、移ろいゆく地を現している…………などと、少し感傷に浸る。


「ふぅ」


私の口から、嘆息が漏れた。


あれからどのくらいの年月が経っただろうかと、ふと考える。

これまでわざわざ数えたことはなかったので、いい機会だから数えてみることにした。

一、二、三、四、五……十、二十、三十、四十、五十……百……。

数えてみれば…………大よそで150年と言う時間が、

すでに過ぎ去ってしまっていることに、私は気がついた。


150年。


これを長いと思うかどうかは、存在それぞれだろう。

40年生きるかどうかと言う人間にしてみれば、とても長い時間であり、

そして100年は裕に生きることも出来る物の怪の類からすれば、それほど長くはない。


人ではない存在である私にとっては、あっという間であったようにも思える。

いや、存在の種別は、この際関係がないのかもしれない。

150年間の間に、特にこれといって大きな思い出がなかった。

よって、長い時間であっても、振り返るのにさほど手間を必要としない。

だから、あっという間に過ぎ去ったように思える。

ただそれだけのことなのだ。恐らくは。


「そうか……甘い思い出がないのよね」


風景を鑑賞する。新鮮で美味な食べ物を食す。つまりは、様々な贅を尽くす。

しかし、そんなものは強く心に残る思い出にはならない。

やはり、心に残る思い出は恋愛の類だろう。

それを裏付けるかのように、私はこの150年間、まともに心をときめかせた事がない。


「いい男は、いないものかしら?」


この私を支えるだけの器を持った男。

150年前には、いた。

私はその男を頼って、この国にやって来たのだから。

彼は有能な人間だった。

未熟なこの国に、その頭脳と行動力で、それなりの知恵をもたらした。

そして彼は、この国に置いて陰陽道の祖とされた。


だが、彼はもう死んだ。

80年近く生きたのだから、人間としては長命な部類だろう。


そんな彼も、まさか私が巫覡として適当に金を稼ぎ、

その日暮らしをすることになるとは、さすがに思っていなかっただろう。

そこまで予見して私をこの国に招いたのならば、問いたい。

何故、私をこの国に連れてきたのか……。

まぁ、私が『ついて行きたいかな』と、

そう呟いたからだと言われれば、それだけなのだけれど。


今現在、巫覡家業をしている私は、ある組織から追われている。

その組織とは、中務省陰陽寮。

陰陽の祖と言われる彼の後継者たる組織だ。


……陰陽寮に追われる、私。

組織と個人を結び付けて考えるのは、もちろん愚かだとは思う。

例え国を作ろうとした者がいたとしても、

国として成立してしまえば、一個人の所有物ではなくなるのだから。

国は王のものではない。

その証拠に、王が無能であれば、国は王の首を刎ねて、新たな王をすえるのだから。

しかし、彼が連れてきた私と言う存在に、彼の置き土産の組織が迫ってきているこの構図は、笑えるものがある。


「最初の頃は、神様扱いだったのに……」


150年のうちに、私と言う存在に対する見方が、随分と変ったものだ。

私は、私の性格は、150年前から変っていないはずなのに……。


「勝手よね」


人間は短命で、すぐに代替わりをする。

代替わりすれば、それまで神と崇めてきた物も魔物と呼ぶようになる。

何故か? 

まぁ、後を継いだ人間の価値観が、先の人間と全く同様じゃないから。

仕方がないと言えば、仕方がないことだ。

それこそ、もう10年もすれば、もしかするとまた奉られる側に回るかも知れない。

しかし…………そうなるまで待てるほど、私はおっとりとはしていない。


「……適当に見繕うことにしよう」


そろそろ、また家庭に入る事を考えてもいいだろう。

もともとは緩慢と流れる日々の時間に腹を立て、それを発散するために始めた巫覡だ。

職業的な思い入れなど何一つないし、別に無理をして続ける必要もない。

陰陽寮との追いかけっこは、それなりに刺激があって楽しくはあったが……最近はもう飽きた。

飽きた以上、やはり続ける必要などないのだ。


「これから10年は恋愛期間ね」


私はそう決意する。

頼れる人間に寄り添って、抱かれて寝たい。

そんな思いは、自覚すれば強まっていくばかりだ。

問題はやはり…………それだけの器の人間がいないということだ。

有能な人間に寄り添うのは苦痛ではないが、無能な人間に迎合することは苦痛でしかない。

いや、多少馬鹿であっても構わない。その方が可愛いと思える場合もあるのだ。

………………そう、馬鹿と無能は、また微妙に違う。


「まぁ、いないなら展望がありそうな子を育てるってのも、いいかもしれないわね。

 久しぶりにそうしてみようかしら? まぁ、どっちにしろよさそうな人間を探さないと……」


川を眺めていた私は、考えがまとまったこともあり、立ち上がる。

背を僅かに逸らし、筋肉を伸ばす。

そして艶やかな黒髪に手を差し入れ、穏やかな風に乗せるように梳く。

一度、二度、三度……九度ほどその行為を続けると、私の髪は本来の色を取り戻す。

髪が本来の色を取り戻せば、自身によって封印された本来の力も戻り始める。


「馬鹿な貴族の中で、まともな人間を探すのは骨が折れそうだけど……」


そう呟いて、私は身体を虚空に躍らせる。

私に対して、能力的に抵抗出来るかもしれない貴族と言えば、陰陽寮の人間だ。

恋愛をするならば、私と対等とは行かなくとも、近しい能力を持つ存在が好ましい。

さて? では陰陽師によさそうな人間はいただろうか?


「考えるまでもなく、いないわね」


ここ最近追いかけっこをしていたが、いまだに誰一人、私を見つけることすら出来ていない。

ある程度追跡に必要な痕跡は残していると言うのに、こちらにたどり着けない。

考えれば分かるかも知れない状況を作ってから、逃げ回っていると言うのに……。



全く、馬鹿ばかりだ。

最近など、捕まえる気がないと正面から言う馬鹿もいたほどだし。



「もしかして、名の韻が悪い? 今度変えようかしら……」


私は150年使い続けた名前をどう変えるか、悩みながらに跳ぶ。

昔から変ることのない私の金の髪は、悩みなどないかのように、私の周りで揺れた。












            第二十六話      高島クンのお仕事












ぱしんっと、木製の盤上に碁石の打たれる音が、響く。

現代にいた頃の俺の姿からは、全く考えられないことなんだが……

……俺は今、囲碁で西郷さんと対戦中だったりする。


そろそろ日が傾こうかと言う時間帯。

ここ数日の生活サイクルから見ても、

西郷さんがこんな時間帯にわざわざ高島の家まで出向き、

そして碁を打つと言うのは……珍しいことだと思えた。

有り得ない事ではないと思うが、でもやはり碁を打つためだけに来たというのは、納得が行かない。


何か言いたいことがあるんだろうか?

もしかして、俺の正体がばれたんだろうか?

そんな風に胸中でかなりビビリながら、俺は盤上の石の動きを眺める。


(……いまだによく分からん)


白と黒の碁石は陰と陽を表してて、盤の目は19×19で……361になって、

昔の暦での一年を表すとか言われているらしい……と言うのが、俺の持つ囲碁の知識。

正しくは、囲碁の知識と言うか、陰陽の知識の中に少し碁に関する部分があっただけか。

そんなわけでルールなんてまず知らないんで、当初は負けっぱなしだった。

まぁ、多少ルールを把握した今でも、しっかりと負けているんだが。

仕方ないだろ? ルールが分かっただけで強くなんかなれない。


(でも付き合い上、イヤでもやらにゃいかんしなぁ)


嫌な上司に飲みに付き合わされたサラリーマンのような感想しか、俺には思いつかない。

相手は貴族の嗜みとして、これまでずっと碁をやってきた人間。

対する俺は正真正銘の、完璧素人。

どれだけ対戦してもボロ負けで、しかも相手は指導の碁なんて打ってくれないから、

俺の碁の成長速度はきわめて遅く…………結果、楽しくも面白くもない。

まぁ、西郷さんは俺のことを『これまで貴族として生活してきた高島』と認識しているんだから、仕方ない。

貴族である高島が、実は碁のルールを知らない………それは普通に考えれば、有り得ない事だしな。


なお……一応、囲碁のルールを簡単に言うと、

黒石と白石を交互に盤上に置いて、置いた石で盤上の部分を囲い、陣地を作る。

で、作った陣地が相手よりも広ければ勝ち……と言うのが、もっとも基本的なルール。

基本だけ言えば単純なゲームに聞こえるけど、難しい。俺の頭では難解すぎる。

悪いが神の一手を極める光る碁の漫画も、ルールを知らずに立ち読みしてたからな、俺。

頭を悩ませるゲームと言うイメージは、全く外れない。

正しく頭の運動になる遊びだ。つーか、遊びか、これ? 頭脳『労働』だと思うぞ?


とは言え、さっきからも言っているけど、

この時代における遊びの代表のようなものなので、出来ないって言うのは不自然。

西郷さんが『高島がふざけて、真面目に打とうとしない』と思っているうちに、

腕を上げて、それなりに出来るようにしなければならない。

高島の中身が別人なんてばれたら洒落にならないから、こっちも必死だ。

全然本気そうじゃないふざけた表情の下では、色んな不安もあいまって、もう嫌な汗かきまくりだ。


(現世に戻る方法で悩むんじゃなくて、碁で悩むって言うのも……何がなんだか)


深く深く考え込むと、時折回りまわってある考えが湧いてくる。

『いっそ、全部ばらしちゃって、協力を仰ぐか』とかな。

でも、その湧いた考えはすぐさま俺自身によって、却下される。

もともと荒唐無稽な話だし、それに色々説明していけば、コーラルの存在を隠しとおせるとは思えない。

で、コーラルの存在が露呈した時、上手くやり過ごせるかといえば……どうだろうと、色々不安が残る。

話して状況が好転するという確証があれば別だけど、

話して状況が悪くなりそうな気がしてならない今は、とりあえず下手なことを言わないのが一番だと思う。


「高島くん、そろそろ本気になってきたかい?」

「いやー? どー思う?」

「打つ手が割とまともになって来たじゃないか」

「最初からこっちは真面目に打ってたんだけど」

「嘘をつけ、嘘を。最初から手を抜いておいて、負けたときの言い訳にするのはよくないぞ」


碁のこと以外にも思いを向けつつ、石を持つ。

これはかなり対局者の西郷さんに失礼なんだろうが、

しかし碁だけに純粋に集中する余裕もないのも、事実。


(順応できるレベルってのがあるよな……)


今の俺には『現世に帰れるのか?』って不安はもとより、

生活スタイルのギャップによるストレスもあるんだ。


そう。この囲碁もそうだけど、平安の生活スタイルって、現代人の俺には全く合わない。


俺の魂が間借りしている高島は、貴族であるせいで日課がかなり面倒くさい。

例えば朝は……属星の名を七回唱えて、鏡を見て、暦で吉兆を見て、西に向かって洗顔して、

仏の名前を唱えて、神社に向かって念じたりして、暦に前日の日記を書いたりして……ようやく始まる。

高島がもともといい加減な人間なんで、少しくらいミスしたり省略してもOKだったけど……。


他にも御湯殿関係とかな。

いや、たっぷりお湯を張った風呂に入る習慣がないんですよ、この時代。

そりゃ、俺は別に極度の風呂好きわけでもないけど、

それでも何日も湯に肩まで浸かれないとなると、疲れが取れないってもんですぞ?


極めつけはトイレだ。

桶殿とか桶筥とか……名前が漢字で偉そうで、

作りが漆器の豪華そうな箱でも、基本的におまるはどこまで行ってもおまるですよ!?

現代人にとって、イジメだ……。この文化の差は。

そりゃストレスもうなぎ登りってもんだ。

衣食住全般に関して、ほとんど不満しかないんだからな。

あー、カップ麺が食べたい。コンビニで買える友。

お湯を入れるだけですむ、安くて美味しい大発明。

もちろん愛子の料理も食べたいけど、今は工場生産された画一的な食べ物をむさぼりたい!


「そんなに辛いかい?」

「は?」

「まぁ、もう勝負は決まったようなものだからね」


俺がへこんでいる理由を、西郷さんは盤上の情勢にあると思ったらしい。

余裕のある笑いを浮かべつつ、俺のほうを見やってきている。


しかし、その表情も石が置かれるにつれ変っていく。

余裕の笑みが消えて、真剣な何かが宿り始めていた。

俺はカップ麺への考えを打ち切って、西郷さんの表情を観察する。


(やっぱ、ただ遊びにくるはずないよなぁ、この人が)


社交辞令的な勝負がすでに終わろうとしているので、西郷さんは本題に入るつもりなんだろう。

俺は西郷さんの表情の変化を見つつ、

『もし縁があっても、現世でこの人の来世には会いたくねぇなぁ』とか思った。

だって、西郷さんみたいなタイプは、食事を奢ってもらいたくないタイプナンバーワンだと思う。

絶対上手い飯を食わせてもらったあとには、聞きたくない話が待ってるって感じだしな……。


西郷さんは盤上から視線を離して、俺を見やる。


「さて。ところで高島くん」

「うわ、やっぱ来たよ。何か厄介そうな話が」

「察しは着いていたのか」

「家を訪ねてきた時点で、うすうすは」

「まぁ、何だかんだで君とも長い付き合いだからな」

「俺としては、男と長い付き合いって言うのは……」

「私だって、君と長い付き合いと言うのは、少々不本意だよ」

「…………で? お小言を言いに来たんすか?」

「仕事の話だ。真面目に聞いてくれ」


西郷さんは俺を見る視線を鋭いものにした。

俺は『へーい』と返事をして、少しだけ背筋を伸ばす。

ちなみに、話し方が砕けたものになっているのは、西郷さんにそう頼まれたからだ。

真面目になれとは言った西郷さんだけれど、

俺に敬語を使われるのには、どうしても慣れないんだそうだ。

と言うか、正直な話をすると………真面目くさった敬語を俺が喋ると、

気色悪くて……何と言うか、真面目になったというより、

むしろ何かを企んでいるような気がしてならないらしい。


俺に分かりやすく考えるなら、

いきなりサボ念が『言葉使いを直す』とか言って、口調を丁寧にする感じなんだろう。

確かにそれは気持ち悪いよな、うん。何を企んでやがるって感じがするな。


で、結局……高島として不自然なら、敬語は使わない方がいいと言う結論に達して、こんな感じに落ち着いた。

あと、その結論とは別に、俺自身『くだけた口調の方がいいかな』と、思っていたりする。

普通に考えれば、高校生の俺からすれば、西郷さんはかなり年上の人だ。

それに胡散臭い厄珍や、借金魔王のじーさんとは違って、

しっかりとした真面目な人なんで、ちゃんと敬意をはらえる気分になれそうな人だ。

だから、普通ならタメ口を使うのは気が引けそうなところだ。

それでなくても、なんか色々と世話になっているわけだし。


でも、何故かは知らんけど、尊敬する気にはなれないんだよな、この人。

まぁ、それこそ前世の影響でもあったりするのかもしれない。


「最近、君の悪い癖が出てないようじゃないか?」

「ぅて……仕事の話じゃないぞ、それ。それに悪い癖って、何が?」

「何がって、女に関する君のクセさ」


俺の問いに、西郷さんは当たり前だろうと言わんばかりに答える。

女に関する悪いクセ……って言われてもなぁ。

実際、俺が高島の中に入ってからは、どこの家にも夜這いに行っていないのは事実だけど。


俺は確かに女好きだ。

けど、これも文化と言うか、時代の分厚い壁があるせいで、どうにもなぁ……。


この時代、まだ結婚っていう意識が、ほとんどないみたいです。

特に身分が低くなればなるほど顕著で、一般民の人なんか、恋人と夫婦がイコールの状態。

別に式を挙げるわけでも、新婚旅行に行くわけでもないから、当たり前と言えばそうだよな。

だから誰と誰が引っ付こうが、誰と誰が別れようが、基本的に自由。離婚調停とかもないし。


高島は貴族で、そして狙った相手が身分の高い藤原系だったから問題になったみたいだけど、

ずっと庶民の娘だけをつまみ食いしているんなら、たぶん西郷さんも口煩くは言わなかっただろう。

つまり、相手が庶民の娘さんなら、声をかけて、

OKなら家に連れて帰って、そのまま夫婦って言うのが許される時代。

貴族に関しても、無茶苦茶高い身分にさえ手を出さなきゃ、けっこう自由気ままに行けるって時代。

これはもう、ある意味男の夢状態! 平安京は、恋の都ですよ……って言うのが、この時代。


…………でもなぁ。

そうは言っても……現代人の俺からすると、喜べない時代でもあるわけです。


だって、この時代の貴族の娘さんって、髪の毛が長いじゃないですか?

あまりに長いんで、ちゃんと全部洗うのって、数日置きなんだそうですよ?

毎日お風呂に入ってる女の子がいる時代に、俺はいたわけです。

数日に一度しかまともに髪洗わないって言うのは、考えられないつーの。


それになんか……皆、お寺のお香のニオイがするし。

柑橘系とか、甘い香水が『女の子のニオイ』って思う俺からすると、全然そそられないわけで。

むしろ、お断りしたいなぁと思うわけで。


じゃあ貴族じゃなくて、庶民の娘さんにすればって話になる。

そんなわけで庶民の娘さんに目をやると、貴族よりも寺院とかの薬草風呂に入っているので、

それなりに清潔で、髪の長さも貴族ほどじゃない…………が、体つきが微妙だったり。

早い話が、女の子の体は柔らかって言うのが、俺の中の常識なんですが、

栄養事情の悪さからか、スレンダーと言うにしてもやせ過ぎな娘さんが多いんですよね。


…………平安京の政治が悪いと思います。 

誰だ、政治を動かしているヤツは? 

まだ藤原道長は出てないんだよな? 

となると、実権は天皇か? しっかりして下さい。


「ところで、今現在帝の命により、和歌集が紀貫之殿を中心に編まれている事は知っているだろう?」


俺が『この時代の天皇って誰だっけ?』とか考えていると、ちょうど西郷さんが近い話を話し出した。


「和歌集? あー……」


西郷さんのその言葉に、俺は思い当たるところがあった。

紀貫之は、確か土佐日記で有名な人で……で、その紀貫之が執筆に携わった和歌集と言うと、古今和歌集だよな?

いや、新古今和歌集? あれ? 古今和歌集であっているよな? ええい、紛らわしい。


いやいや、和歌集の名前はいいとして、とりあえず日本初の勅撰和歌集が平安時代に書かれたはず。

成立は905年頃だったはず…………まぁ、名前をちゃんと暗記できてない知識だし、合っているかどうか不明だけど。

で、その905年って言う知識が当たっていれば、成立前の今は、900〜904年くらいってわけだな。


「知ってるけど、それが?」


俺は西郷さんの質問に答えながらに、考える。

900年代だとは思っていたけど、今の西郷さんの言葉のおかげで、かなり自分のいる年代がはっきりした。

はっきりすれば、それだけ見えてくるものもある。

例えば……最高の陰陽師である安倍清明は、921年の生まれとされているはず。

それが微妙に間違っていて、前後に5年ずれたとしても……生まれるのに、あと10年は確実にかかる。

……………安倍清明に会って、その知識と術を借りて現世に戻ると言う案は、まず無理ってことだな。

清明が立派な術師になるまで待ってたら、俺は中年親父なってしまう。


「知っているなら話は早いね。その紀家に不穏な動きがある」

「……不穏って、和歌集の編纂に見せかけて、実は裏で謀反の計画とか?」


「そうじゃない。紀家に邪気が入り込もうとしているらしいんだ。

 家の者の中に、邪霊の類に敏感なものがいてね。陰陽寮に相談が来た。

 そこで陰陽寮としても調査をしたわけだ。そして、確かに人ならざるものの気を感じた。

 重大な仕事を行っている紀家に、不要な心労をかけるわけには行かない。そこで我々が……」


「紀家の入り込もうとしている邪悪なその『何か』を祓う?」


「ああ。そしてその任には、君にも当たってもらう。

 近年の京は魑魅魍魎が多い。菅原殿の怨霊と言う噂まであるほどだ。

 気を引き締めて任に当たってほしい…………のだが、だがしかしだ!」


西郷さんは言葉を途中で逆接にしたかと思うと、いきなり立ち上がる。


「紀家の警備に行くわけだが、紀家の者には手を出さないように頼むよ!? 
 
 邪気が入り込んできていると言うのに、従者の若い娘にでも手を出し、

 力が必要な時に床に入っていようものなら、

 私は君をこの手で殴り殺してから斬首だよ、高島君!」


「いや、さすがに俺が女好きとは言え、そんなことは……」

「絶対の自信を持って、ないと言いきれるかい?」

「な、ない! ないぞ? さすがに!」

「しかし、私はその言葉を信用できない!」

「…………絶対の自信を持って、言い切られても」

「頼むから、私の自信を裏切ってくれよ!?」


迫力に戸惑う俺にかまわず、西郷さんは唾を飛ばさん勢いで言葉を投げてくる。

俺って……前世の高島って……上司からの信用ゼロか。

まぁ、俺の前世らしいと言えば、らしいけど。

……とにかく、自分の意思をしっかりと表明しないと、

このままじゃ西郷さんの顔がどんどんと俺に近づいて、そのうち零距離になってしまう。

俺は息を吸い込んで、声を張り上げた。


「分かってますって。俺、女には興味ありませんから!」


胸中で『この時代の』という言葉を付け足して、俺は宣言する。

だが、胸を張ってそう宣言する俺に、西郷さんは全く感銘を受けなかったらしい。


「どの口がそんなことを言うんだい?」

「いや、俺は生まれ変わったんですよ、ええ!」


不安げな西郷さんに、俺は再度胸を張って答える。

まぁ、嘘じゃない。本当の本当だ。

そもそも、この時代の女の子で気になる娘なんて………………あ、一人いたな。

金髪の巫覡・若藻ちゃん。体つきもスレンダーって感じだし、貴族より清潔そうだし……。

何処に住んでんだろうなぁ、あの娘。

捕縛対象の巫覡ってことらしいけど、陰陽寮のほうでも情報は掴んでないみたいだし。

まぁ、簡単に分からないところが、神秘的でイイ感じだよな。

若藻なんて言う術者が905年ごろに活躍したなんて、文献にも残っていないし、

多分、深い深い歴史の地層に埋もれた、それこそ伝説的な何かって感じで……。


「た・か・し・ま・く・ん!?」

「な、なんすか!?」


頭に若藻ちゃんの顔を思い浮かべようとしたところで、

眼前に西郷さんの顔が迫る。

零距離大迫力ドアップになる前に、俺は背を逸らして、なんとか距離を取った。


「一体何を妄想していたのか、言ってみたまえ! 頬が緩みっぱなしだぞ!?」

「そういう西郷さんは、なんかこめかみが緊張しっぱなしで、そのうち切れそうな感じが……」

「そう思うなら、私の心労を少し減らしてはくれないか?」


俺は西郷さんからの言葉を、とりあえず笑うことでごまかすことにした。

イヤ、いつもフォローありがとうございます。









何にしろ、俺は『紀家庭園内 特別警備陰陽術師』としての任を受けることになった。

…………紀貫之って、930年代に土佐日記を書いてたはずだし、

邪気がどうしようが、多分大丈夫なはずだ…………と思う。

だって、俺がいた時代の歴史で、紀貫之は邪霊に取り付かれたとか、そんなことは言われてないし。

いや、まさか俺がここでミスをしたら、歴史が変ってしまうとか、そういうことはないよな?

て言うか、俺がミスしてやばい状況になるってことは、俺の命もやばくなるってことだよな。

……餓鬼程度なら大丈夫だけど、平安時代のレベルの高い邪気と、まともに戦えるのか?


菅原道真の怨霊とか言ってるけど、あの人は確か学問の神様って話しだし、大丈夫だよな?

もし本当に怨霊だったりしたら……陰陽寮は俺がごまかしておくから、

今日のところは丁重にお取引を願いたいなぁ、とか………………無理か?



あー、出来れば話が通じる相手がいいな。

物分りのいい怨霊。

………言ってて無理があるよなぁ。





大丈夫か、俺?





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