第五話

日常の開始と



 寝汗をかいて居心地の悪くなった俺は、布団から這い出た。

 いまいち覚醒しきらない頭を抱え、乱れた息をなおすよう、努める。

 気分が悪く、喉が渇いていた。

 辛い。何か悪夢を見て、うなされでもしたか?

 ふらつきながら障子を開けると、月は天の頂点を追いやられ、傾いている。

 夜明けが、近いのかもしれない。



 部屋を見渡す。



 見慣れた部屋だ。実質過ごした時間が特別長いわけでもないが、

 俗に言う『青春』を謳歌した場所だ。思い入れは強くて当然だろうな。


 ひなた荘、管理人の間。

 今日、いや、日付は変更しただろうから、昨日か。

 昨日から、俺の部屋となった場所。

 天井を見上げれば、穴が開いており、そこは『成瀬川なる』の部屋と繋がっている。


 ・・・・・・早いとこ、塞がないとな。


 朦朧とする頭は、しかし、どこか冴えていた。

 おかしな気分だ。自分が、他の何かに変わっていくような。


 『マスター・・・・・・』

 「・・・・・・TAMAか。どうした?」


 タイムラグが存在しないはずの、脳内の思考会話で、言葉がとっさに出なかった。

 ・・・・・・かなり調子は悪いらしい。


 『身体に異常が発生しています。ホルモンバランスが急激に乱れています。

 生命維持の許容範囲内ではありますが』

 「・・・・・・この苦しさは、それが原因か?」

 『血液中ナノマシンの活動に不鮮明なところがあります』

 「つまり、分らないか」

 『はい。ナノマシンの構成及びプログラムの解析は進んでおりませんから、

 その活動内容も解明できません。

 また、マスターとの状況比較が可能な個体もありませんので、

 推測しか導くことも出来ません』

 「まぁ、今に始まったことでないがな」


 しかし、こういう『軽い発作』は初めてだな。

 意識は一応ハッキリしているし、息苦しいだけで、特に支障はない。

 今、戦闘行動に移ることも、まぁ、無理ではない。

 ・・・・・・だからといって、安心も楽観も出来ないが。


 「ひなた荘に来て・・・・・・緊張・興奮したというのは?」

 『原因の一部かもしれませんが、全てとは思えません。

 事実、マスターは、今現在自身に自制は効くと思いますが』

 「確かにな。・・・・・・なんだ。無理して寝直すしかないじゃないか」


 原因が不明な以上、どうすることも出来ない。

 安心も楽観も出来ないこの身体だが、俺が用心して何かを出来るわけでもない。

 早い話が、気を張り詰めても、気を抜いても、死ぬときは死ぬと、ただ、それだけなのだ。

 ・・・・・・たとえ原因が解析されたとしても、それに対応する設備はここにはないのだから。


 「現在時刻は?」

 『午前3時52分です』

 「4時間は寝たな。あきらめて、ベランダに出て、朝日が昇るのを見てくるか。いや・・・・・・」


 せっかく地球にいるのだから、とも思うが、先にすべきことを思い出した。


 『どうかなさいましたか?』

 「うん? ああ、刀を取りに行くか。今なら人目につかんだろう」

 『・・・・・・はい。現時点で、この館内で活動している人間はマスターのみです』


 だろうな。気の流れが静かだし、そもそも、常識から考えても、一般人は寝ている時間帯だ。


 「いくか」


 俺は布団をたたんで、部屋を出ることにした。

 調子は悪い。息苦しい。とても寝なおせそうもない。

 ならば、せめて今後のためになる行動をしよう。

 どこかで倒れるようなことになったとしても、問題はないだろう。

 俺は家を追い出されたばかりで、精神的に疲れていたのだし、
 また、他人から見ればここは不慣れな、『初めて来た』場所なのだ。

 トイレを探しているうちに気持ち悪くなって倒れた。そう言えばいい。

 仮に、倒れ、目を覚まさなければ。

 所詮、俺はそこまでなんだろう。

 布団にいても、死ぬときは死ぬ。

 ナノマシンに振り回される俺に、安静と言う言葉は、あまり意味がない。

 眠り続けても、ナノマシンは異常反応を起こすことがあるのだから。

 ・・・・・・実家にいたころの1週間は、やけにおとなしかった。

 もしかすると、この身体に最適化し、ナノマシンの暴走はなくなったか、とも思われたが。

 なんということはない。病気でいうところの、単なる潜伏期間だったか。


 「・・・・・・だが、俺にはまだ、五感がある」





 俺は、廊下で静かに呟いた。




            ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 マスターがひなた荘に住むに当たって、色々なことが起こりました。

 まず、ついたその日から『成瀬川なる』の手により、

 追い出し作戦が敢行されることとなりました。

 内容は『あんた、今日から何日かここのお世話になるんだし、

 ここの家事を手伝いなさいよね』と言うものでした。

 館内全ての廊下と窓を水拭き・乾拭きし、

 屋根の修理をし、露天風呂の掃除をし、粗大ゴミを片付け・・・・・・まぁ、様々なものです。

 途中から『まだ、何かあるのか』とマスターが聞くと、

 『えーっと・・・・・・あ、そうそう!』と、かなり無理矢理用事をひねり出していました。

 まぁ、追い出すべき対象が与えられた仕事を、完璧に近い状態でこなしてしまっては、

 成瀬川なるとしても、立つ瀬というものが見当たらなくなるのでしょうし、

 何とかしてミスをさせたいと思うその心理も、理解できないことはないのですが・・・・・・。

 それにしても、マスターに食事を与えないことに、私は腹を立てました。

 自分たちが食事をしているにもかかわらず、です。

 何故仕事をしたマスターに対し、その行動の対価として食料が支給されないのでしょう。

 マスターは、空腹を抱えていました。




 私は今、マスターの補助脳内にいるのですが、

 なぜかB・MTの搭載時と同様に、機能を稼動させることが出来ます。

 レーダー索敵はその最たるものなのですが、そこで、ふとある可能性に気づきました。

 搭載されている相転移機関により、エネルギーを発生させ、

 それをマスターの身体に供給できないものか、と。

 せっかく味覚があるのだし、

 マスターも食事をしたいでしょうが、今ない以上仕方がありません。


 私がマスターにそのことを進言すると、安全性の確立は不確かなので、と却下されました。

 確かに、前例がないので仕方ないことです。

 あきらめて、マスターには空腹を我慢してもらうことになりました。

 マスターは空腹であることが多少辛いようでしたが、

 私には『感覚』がないので、そのことがよく理解できません。


 なお、成瀬川なるの仕打ちに対して、

 私が率直な感想・・・『彼女は意地悪です』・・・を述べたところ、


 「意固地になっているんだな。負けん気が強いからな、なるは」

 マスターはそう言い、苦笑していました。

 「昔は、そうだな。馬鹿なことしないかと、ほうきを持って監視されたからな」

 私はマスターの過去を知りません。知らされてません。

 過去はマスターにとってなくすべきものであり、

 思い出してはいけないものですから、私も記録を持ってはいません。

 マスターが自分から、過去を話してくれる以外に、私は過去を知る術を持ちません。

 この時代に来た当初、

 いくらかの情報を与えてもらいましたが、それでもその数は少ないものでした。


 大きな時代の流れ。

 それをなぞっただけの情報が多く、

 また、私自身の持つ現代年表データを重視した、比較対照としての過去の情報でした。

 『ほうきを持って監視』などという些細な事象は、全くの守備範囲外です。

 そういったことを話してくれるようになっただけでも、

 精神的な健康上、マスターの状態が、過去より安定したといえます。

 これが、人に与える場所というものの影響の大きさなのでしょうか?



 ・・・・・・肉体と精神は比例する。



 肉体が傷つき、疲弊すれば、精神もその活力を失います。

 逆に、肉体が生命に溢れていれば、精神も活性化します。

 そういう意味では、マスターは感覚を取り戻し、精神的にゆとりが出たのかもしれません。


 しかし。

 それは私が肉体を手に入れられない以上…………、

 これ以上、マスターの補佐をすることは、不可能だということです。

 私はマスターの感情を認識することと、客観的に考察することが可能ですが、

 マスターが『感覚』を持つようになった以上、

 これまでのリンクシステムによる『認識共有』では齟齬が発生します。


 つまりこうなると、私が『感覚』を感じることが出来ない以上、

 マスターにとって私のもたらす客観的考察は、

 常に的をはずしたものになる可能性がある、ということになります。



 最近、私は多くの物事を考えます。

 私自身も、多少は感情が分ってきました。



 でも、まだ私には分りません。

 いずれ、私はマスターに必要とされなくなるでしょう。

 今のマスターでしたら、生体リンクシステムは事実上不要ですし、

 起動兵器が入手できない以上、戦闘支援能力や、電子的能力も不要です。

 必要なのは、周囲の確認のための索敵能力や、マスターの身体状況把握能力のみ。

 それのための専用プログラムを、私はマスターの補助脳内に作成することが出来ます。

 つまり『自立している私』が必要ないのです。

 『ルーチンとしての私』がいれば、『主観を持つ私』は不要物。

 私は、どうなるのでしょう。

 なんだか、よく分らないのですが、そう、・・・・・・これは不快なのです。

 ひどく、不快なのです。私自身の存在する意義が、なくなるのですから。




 数日が過ぎ、成瀬川なるの、

 私には嫌がらせとしか思えない超過業務命令は、いつしか終わりを告げました。

 「まぁ、根は優しいからな。ちょっと、強情なだけで」

 マスターが彼女の行動を解説してくれましたが、

 私には、マスターがなぜそうも寛容なのかが理解できません。

 これが、人の言う愛というものなのでしょうか。


 ちなみに、他の住人は、大してマスターに思うところはないようです。

 紺野みつねは傍観者として、マスターの働きを見ていただけですし、青山素子も同様です。

 なお、私の母親であるカオラ・スゥと前原しのぶ両名は、

 まだひなた荘にやってきてはいません。

 「スゥちゃんは、昔はとっても明るい子だったよ」

 先日手に入れた妖刀の手入れをしつつ、

 『だが、俺が変えてしまった』と、少し後悔しながらマスターは語ってくれました。

 話しによると、大阪・関西地域の特殊なイントネーションで会話をするそうなので、

 カオラ・スゥと出会うまでに、私も学習しておく必要があるかもしれません。

 人の感情の動向を、より理解していくために。



 なににしろ、現状では、平和です。



 マスターは一日のうち、何回か瞑想し、

 遺跡の共鳴を感じようとしていますが、まだ発見には至ってません。

 まぁ、発見できたとしても、日本国内になければ、なかなか出向くのは難しいのですが。


 「駄目だな。最悪、今度それとなく瀬田に聞いてみるか。なるの家庭教師に来ているのだし」


 というか、マスターの『過去』でも行動も問題です。

 過去において、

 マスターは日本周辺で確認された遺跡に関して、全くのノータッチでした。

 マスターは世界を飛び回り、日本周辺は全て瀬田夫婦に任せていました。

 彼らからの報告も詳しいものを受けず、

 『で、破壊はしたのか』など、そんなことばかり言っていましたから。

 ちゃんと報告を受けていれば、今頃、一つや二つの『遺跡』を巡れたでしょうに。

 ・・・・・・まぁ、このような状況に陥ると分るはずもないので、落ち度であるとは、言いませんが。 
 言いませんが、内心少しだけ、思わせてもらいますよ、マスター。



 結局、最近は普通の一日を過ごすだけです。



 「・・・・・・今日は、調子がいいな・・・・・・」

 マスターは自身の身体と、過去と今と未来に苦悩しながら。



 『はい。活動維持に問題はありません』

 そして私は、そんなマスターを見、成長しつつ、自分が不要になるのを感じながら。



 私は、いつまでマスターの隣にいてもいいのでしょうか?





            ◇◇◇◇◇◇◇◇




 
 気がつけば、その男は居ついていた。

 何の違和感もなしに、である。

 不思議なことに、私自身、あまり違和感を感じていない。

 一体何者なのだろう? 浦島という男は・・・・・・。

 そんなことを考えながら、お湯に肩までつかる。

 熱い。熱が、身体に深く浸透していく。


「ふう・・・・・・」


 私・青山素子は嘆息する。

 入浴のために長い黒髪を、今は編んでいる。

 半身である刀『止水』は、お湯につけるわけにいかないので、

 手の届く岩のくぼみに突き立ててある。

 そういえば、この温泉の管理も、浦島がしているのだな・・・・・・。ボイラーが使えるのか?
 
 以前より、お湯の温度が多少上がった気がするし、全体的に小奇麗になった。

 洗い場の据え置きシャンプー類まで、常に8割まで補給されている。


 「よく気が回るやつだ・・・・・・」


 心底、感心してしまう。

 浦島景太郎がやってきたときの印象は、最悪だった。

 住人であり、先輩である人間から、

 『いいとこの、性根の曲がった坊ちゃんが来たわ』と紹介されては、それも仕方ないだろう。

 また、その紹介を受けても反論しなかった浦島の態度にも、問題があったのだ。


 「・・・・・・浦島だ。今日から少しだけ世話になる」


 やつはそう、無愛想に自己紹介をした。

 目の前で自分の文句を言われて反論しない人間。

 私はその時、「ああ、小心者なのだな」という評価を下した。

 もしくは、下らない虚を張るだけか。

 まぁ、なんにしろ、言外に『嫌なやつだ』と言われ、

 否定しなかったのだから、それだけで印象はよくない。


 だが、違う。今になって考えると、やつは本当に気にしてなかったのだろう。

 言葉で表現するに、『なる先輩の戯言など、歯牙にかけない』のである。



 「あんた、今日から世話になんだし、家事手伝いなさい」



 確か、そんな台詞。

 なる先輩はおばあさんの言葉には逆らえないので、

 浦島に『可及的速やかに、かつ自主的に』退寮を促すため、

 家事という名の重労働を押し付ける作戦に出たのだ。

 なる先輩から雑巾を受け取りながら、

 「もっともだ。出来うる限り、手伝う」

 と浦島が賛成した時、なる先輩はこちらを向き、浦島に見えないように笑った。


 にやり、と。


 「で、どこを拭けばいい?」

 「この廊下ぜーんぶ! あと窓も!」

 ロビーから大浴場へと続く長い廊下を指し、どこか誇らしげに宣言するなる先輩。

 「他は?」

 「は?」

 「他の階や場所はいいのか?」

 多分、なる先輩の予想してた言葉は、

 『え・・・・・・こんなに長いのか』などという、後ろ向きなものだったのだろう。

 清掃の量の増加を促され、先輩はしばしの間、固まった。

 ・・・・・・私もこれは意外だった。

 この時点での浦島に対する印象は『小心者』であったため、

 拒否はしないと踏んでいたが、量の増加を聞いてくるとは思ってもみなかった。


 「あ、あるわよ。えーっと」

 「今ここで、して欲しいことは全て伝えてくれ。できる限り、善処する」


 とりあえず、全館の水拭きと乾拭きを命じられ、浦島はロビーから姿を消したが、


 「終わったぞ」


 30分もしないうちに戻ってきた。


 「は、はやぁ〜」

 キツネさんは、率直な感想を漏らした。

 「あんた、さぼってないでしょうね!」

 私たちと『追い出し作戦』の相談中だったのに邪魔され、怒るなる先輩。

 「見てくればいいだろう? 

 塵一つ落ちてないとは言わないが、手を抜いたつもりもない。

 足跡が残らないよう、後ろ向きに拭いたからな。雑巾も片付けてきた」

 「なんやぁ、あんさん体力見かけによらず、あんやなぁ」

 「高校生男子の標準的な体力があれば、問題ない。多少腰は痛いが」

 わけもなく言う浦島。

 「・・・・・・じゃ、終わってすぐのところ悪いけど、屋根の修理、頼める?」

 「分った。工具セットか何かあるか?」

 「そこ曲がって、突き当りの『元事務室』に確かあるわ」

 「修理箇所は、この館の屋根か?」

 ロビーの天井に視線を向けながら聞く浦島。

 「うーん、この建物、実は結構古くて、いろんなとこから雨漏れするの」 

 「そうか。それらしい箇所を見つけ次第、順に塞いでくる」

 そんな適当な指示で、修理していくつもりなのだろうか? 

 時間的なこともあり、私は心配になった。

 「う、浦島」

 私は、別に浦島を擁護するつもりはなかったが、一応の忠告をすることにした。

 もうすでに日は傾きかけ、あたりは薄暗い。

 早い話が、素人が屋根などに上る時間ではない。

 「もう辺りは暗いからな」

 追い立てるなる先輩と、

 それをただ面白がりつつ傍観するキツネさん、という構図が成立する以上、

 私はせめて、一般常識的な境界での忠告をすべきなのだ。 

 「気をつけろよ」

 「ああ、ありがとう」 

 そんな思いからの私の言葉に、礼を浦島は述べた。

 そして、どこか薄く笑いながら、ロビーから玄関へ。そして一度外に出る浦島景太郎。

 ・・・・・やつの笑顔を見たのは、あれが初めてなのだな。

 ・・・・・・最も、あれから笑顔など全く見んが。

 そういえば、やつはどうやって屋根に上ったのだろう。

 私があとから様子を見に行ったときは、ちゃんと屋根の上にいたが。

 まさか、よじ登ったわけでもあるまいし。

 

そして2時間ほどして、屋根の修理が終わって帰ってきた浦島に、

 「ごめん、あんた、急に来たからご飯用意してないの」

 そう、いけしゃあしゃあとなる先輩は言った。

 本当は、夕食の用意は、やつが来てからしたのだから、

 別に一人前を追加することなど、わけないのだが。


 少々悪いことをしたか、とも思ったが、

 私はこの時点で、どちらかと言えば追い出し派だった。

 詳しく言えば、なる先輩が追い出し派で、キツネさんが中立。

 そして私も中立で、まぁ、どちらかと言えば、追い出し派だった。

 よって、全会一致で追い出しが可決されるまでは、

 なる先輩の家事作戦が続けられる予定だったので、

 やつの視線を無視して食事を続けた。


 「かまわない。じゃ、俺は眠る。管理人の間を使ってもいいか?」

 「え、あ、うん。いいわよ」

 「そうか。有難う。それじゃあみんな。おやすみ」


 文句を言わないのは、単に『小心者であるから』だけでは、ないのではないだろうか。

 やつは、いきなり人の生活に乱入した自分を気にし、遠慮しているのではないか。

 つまり、ちゃんとこちらに気を利かせてくれているのではないだろうか。


 そんなことを、私は同居開始1日目の終わりに考えた。



 そして、やつとの生活が始まったわけだが、

 数日すれば、なる先輩もやつの追い出しに固執することはなくなった。

 多分、浦島という人物が自分にとって無害であり、

 生活していくに当たって問題がないと認めたのだろう。

 ・・・・・・こう言うと、なる先輩が野生動物のようだが・・・・・・まぁ、いいか。


 実際、浦島は無害だ。

 こちらに必要以上に干渉してこないし。

 近すぎず、遠すぎず、適度な距離にいる。
 
 逆に適度すぎて、違和感がないのだ。

 まるで、長い間私たちと生活をしてきたかのように、振舞うから。

 いいところの人間で、性根が曲がっていると言うなる先輩の説明は、不適切だった。


 もし、今の態度が全て虚構で、

 あの無関心な顔の下で、私たちに害をなすことを企んでいるのだとしたら……。

 それはもう、騙されても、ある意味仕方がないかもしれない。



  「・・・・・・ん?」



 がちゃ、と。脱衣場のドアが開き、誰かが入ってくる。

 その気配に、私の意識は思考から浮上し、外界に注意を向ける。

 なる先輩も、キツネさんも先に上がった。ならば、まさか・・・・・・浦島か? 


 「誰だ?」


 逆光と湯煙に遮られる人影に、私は問うた。


 「素子ちゃん? キツネさんは、もう誰も入ってないと言ったんだがな」

 「・・・・・・私が入っている」

 「みたいだな。すまなかった」

 キツネさんか。

 今の浦島の発言が『なるが言った』なら信用しないが、キツネさんでは、な。

 頭の中に、『浴場で鉢合わせた私たち二人が慌てる様』を想像し、

 一人静かに笑うキツネさんが、思い浮かんだ。


 「後ろ、向いてるから」


 後ろ向きに湯に浸かって来る浦島。

 私は止水を片手に、隅に移動する。

 距離は、これで10m近く開いた。

 もしも浦島があるまじき行為に出れば、対処できる距離だ。


 「浦島・・・・・・出て行こうとは思わないのか」

 「見る気はない。それに、な・・・・・・」

 「・・・・・・どうかしたか?」

 「最近急激に視力が低下しだしてな。自分で測ったら、両目とも0.01以下だった」


 ・・・・・・だから見えない。だから気にするな、とでも言うのか。この男は。


 「それでよく生活できるな」

 「細かいものを見る必要が無いからな。本とか」

 「・・・・・・そういえば、お前は日中なにをしているんだ?」


 私が学校に向かう時間、こいつはいつも朝食の後片付けをしている。

 そして、私が帰ってくるころには夕食の用意や、庭の掃除をしている。

 日中の行動は、まったくの謎に包まれている。
 

 「最近は、ぼうっとしている。今はまだ、動くときじゃない」

 「・・・・・・どういう意味だ?」

 「今まで、生き急いだからな。充電期間だ。まぁ実際動く当てがない」


 いまいち、意味が判然としないが、

 まぁ、のんびりと今の自分を見据えている、と私は解釈することにした。


 「ふむ。・・・・・・時に浦島、お前、家を追い出されたのだろう?」

 「ああ」

 「その、悔しくないか」

 私も、精神的に未熟であるから、と、精神修行のために家を出た。

 しかし、修行とはいえ、当初は悩んだものだ。

 もしかして、自分は家に必要なく、遠まわしに追放されたのではないか、と。

 では、眼前で追放を言い渡されたと言うこいつは、どう思っているのだろう?


 「俺は、俺の都合で家を出たんだ」

 「追い出された、と聞いているぞ?」

 「ああ。俺は、自分のしたいことをするために、わざと追い出されたんだ。

 だから、特別な感慨や後悔と言う感情は、一切無い」

 「そうか」

 「ああ」

 「羨ましいな」

 「そうでもない。そうなるにいたる道筋に、色々なものを置き、捨てた」

 「そうか」

 「ああ」

 「大変だな」

 「ああ・・・・・・喋りすぎたな。のぼせるぞ? そろそろ上がるといい」

 「・・・・・・そうだな。浦島は?」

 「もう少しあったまる」

 「そうか」




             ◇◇◇◇◇◇◇◇




 私は寝巻きに着替え、脱衣場を後にする。

 熱のこもった頭。足取りが、少しだけふらつく。


 「おーい。素子」


 私は後ろからキツネさんに声を掛けられた。

 「どうやった?」

 「・・・・・・なにがです?」

 「はぇ? ケータロと会わんかった? 風呂で」


 浦島が嘘をつくとは、これまでの生活で思ってはいなかったが……これで裏が取れた。

 やはり、浦島は誰もいないと本気で思って、風呂に入ってきたのだろう。


 「会いませんよ」


 私は表情を変えないよう、胸中で構えつつ、言葉を返した。

 ごく普通に、何事もなく入浴を終えられたと言うのに、

 ここで下手に騒いでは、浦島に迷惑がかかると思ったからだ。

 浦島に悪気はなくとも、入浴の件がなる先輩に知られれば、

 浦島に対する風当たりは、また強いものに逆戻りしてしまうだろう。


 「おりょ? おかしいなぁ。ちょいずれたか?」

 「何の話です?」

 私は声に、少しだけ怒気を含ませた。

 「んにゃー、なんでもないんやー・・・・・・・たはは」

 キツネさんは、そう笑いを残して去っていった。

 あれで誤魔化しているつもりなのだろうか。



 まったく。

 何を考えて、浦島を風呂にやらしたのか。

 …………いや、大して何も考えていないのか。



「……そう言えば」



 私はのぼせた頭で、ふと、あることを思い出す。

 あの男は、違和感がない。

 いつも、自分たちのそばに当たり前のようにいる。

 だから、風呂場で出会った当初こそ、少し驚いたが、そのあとは普通に接していた。

 浦島は私がいると知ってから、常に後ろを向いていた。

 私も、浦島の背中しか見ていない。




 ・・・・・・。




 だが、だがしかしだ。
 
 今思うと、二人ともやはり裸なのである。

 おかしい。異常である。年頃の男女が、風呂を共にするなどとは。

 ・・・・・・ああ、そう言えば、浦島は全く気にしていないようだった。

 ちらり、と寝巻きの下の自分の胸を見る。さらしを巻いた、薄い胸を。


 あの浦島の態度は、私に女として魅力がないということか?



 自問し、意識を内面へと向ける。

 が、しばらくすると、思考が客観的になる。

 

 廊下で、男のことを考えながら胸を凝視する自分と言う図。



 (・・・・・・なにをしているのだ、私は)




私は、顔を赤らめながら、部屋へと帰った。



第五話 終


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