第六話


動き出す主人




私の朝は、早い。

布団の中で、いつもどおりに自然な目覚めを迎え、起き上がる。

部屋に時計はあるものの、

それに付加されている目覚まし機能は、これまで使ったことがない。

理由はしごく簡単だ。使う必要がない、ただ、それだけのこと。

自身の体を、常に制御下に置く。

まだまだ未熟な私だが、だからこそ、

日々の気力の充実には、注意を払うことにしている。

よって、誰かに起こされずとも、私は決まった時間に目を覚ますことができるのだ。


身支度を整えた後は、半身である止水を手に、物干し台へと向かう。

これまたいつもどおりの、朝の鍛錬だ。

起き抜けの重度の訓練は、体調に悪影響しか及ぼさないし、

このあと学校もあるため、基本的には止水を振るだけのことだ。

体を鍛えると言うより、睡眠により鈍化した精神を覚醒させることが、主な目的だ。


「…………ん?」


いつもどおりの朝に、鍛錬。

しかし、何処か普段と違う。その違和感に首をかしげた。

何だろうか。何かが足りない気がする。

私がいつも物干し台に出たとき…………ああ、そうか。

普段は、下から浦島の気配が感じ取れるのだ。

物干し台はもともと旅館だったひなた荘の、2階部分を丸ごと使用する形だ。

よってここに立つことは、高台に立つひなた荘の屋上の一端に立つのと、ある意味同義だ。

そのため正面玄関前の庭や、ひなた荘に至るまでの長い階段なども、

視界に納めようと思えば、収めることができる。


普段通りの朝ならば、浦島はホウキを片手に、玄関前の枯葉を掃除している。


ひなた荘へと続く階段の両端には、多くの桜が植えられており、

春になれば近所の住民も巻き込んで、花見が行われるほどなのだが、

春以外の季節では、ごく普通の緑の葉が庭に乱舞いているのだ。

その葉の掃除も、今では浦島の仕事だった。


今の浦島は、高校中退者の家事手伝い…………と言えばいいのか?

私たちが学校に行っている間、

ずっとぼうっとしていると、本人は風呂で言っていた。

ぼうっとしている以外の時間は、掃除や温泉の管理か……。

このまま数年続ければ、立派な管理人になれるのではないだろうか。


いや、すでに立派な管理人なのかも知れない。

形式上、浦島は居候だから、家事を手伝うと言うことになっている。

しかし、今ここで浦島がもとの家に帰れば、このひなた荘はどうなる?

恐らく、成り立たないだろう。

ここ最近、風呂の掃除すら、私たちはした覚えがない。


「今日は寝坊なのか?」


ポツリと呟く。

私よりも早くに起きて、庭掃除をする『管理人もどき』が、今日はいない。


人間である以上、体調が崩れてしまう日もある。

それに一般的に言えば、まだまだ起きるには早すぎる時間だ。

もしかすると昨日夜更かしをし、

今日は7時くらいに起きるつもりなのかも知れない。


「…………」


私は気がつけば、刀を振る手を止め、黙考していた。

考えても栓のないことだというのに、あれこれと。




            ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




朝の鍛錬を早めに切り上げ、温泉へと浸かり、

学校へ行く身支度を整えた私は、食堂へと足を向ける。


「遅いっ! …………って、あ、モトコちゃん。ごめん、おはよ」


食堂に入るなり、私はまず、なる先輩の怒声に迎えられた。

何を怒っているのか知らないが、取り敢えず、私の朝の挨拶をする。


「おはようございます。何か、あったんですか?」

「どこぞの居候が、いまだに起きてこないのよ。朝ごはんも作ってないし」


その言葉を受けて、視線をガス台の上に向けてみると……

……確かに、普段ならあるはずの、湯気の立つ鍋などがない。


「起こしには行ったのですか?」

「キツネが、朝の用意が終わったら行くって。

 そろそろ着替えも終わっただろうし、もうすぐ行ってくれるんじゃないかな?」

「……なんとなく心配なので、私も行って来ます」


ふと、私の胸中には、寝坊している浦島の額に、

油性マジックで落書きをしているキツネさんの姿が思い浮かんだ。


「そう? じゃあお願い。私は朝ごはん作っているから」

「え?」

「……? 居候が朝ごはん作るの待ってたんじゃ、間に合わなくなるでしょ?」

「だからなる先輩が作ると?」

「? そうだけど?」


なる先輩の料理は、少々見た目が悪い。味は悪いと言うほど悪くもないのだが……。

一瞬、私が代わりに作る、

……と言おうかとも思ったのだが、取り敢えずその場は任せることにした。

なぜなら、もしなる先輩が渡しの代わりに浦島を起こしに行った場合………。

そこでもし、キツネさんが落書きやいたずらをしていた場合…………。

なる先輩は、一緒になってやりそうな気がするから。


まぁ、浦島が何をされようが、私には関係のない話なのだが、

しかし、武士の情けと言う言葉も、世の中にはあるからな。




            ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




くそ、どうすればいい?

それが朝起きた瞬間の、俺の第一声だった。

夜が明け、朝日のまぶしい時間帯がやってきたはずなのだ。

眼を開ければ、世界は光に満ちているはずなのだ。

しかし、俺の眼は、何も映さない。閉じていようと、開けていようと、ずっと暗いまま。

宇宙の闇と同じ闇が、俺の目の前にはあった。


まだ聴覚は割りとまともに機能している。

チュンチュンと言うスズメの声が、しっかりと聞こえているのだから。

また、雨音は聞こえてこない。

よって、朝日のまぶしい時間帯だろうと、推測しているわけだ。

これでもし、耳すら壊れていたら、

自分がどこでどうしているのか、ほとんど分からなかっただろう。


『マスター、視覚が……完全に機能を停止。

 復旧する可能性は……すみません。私には、なんとも』


「視力が落ちてきてはいたが、まさか完全に見えなくなるとはな」


じわじわと、壊される。それは何とも、たちが悪い。

何らかの格闘戦で、骨を折られるだとか、眼を潰されるだとかは、まだいい。

しかし、こんな風に体の機能を削られていくのは、正直大きなストレスだ。

なんとなく分かってはいたことだし、予想はしていたが、それでもだ。

くそっ。

ここ数日は、穏やかな日々が続いていたと言うのに。

俺なんかが、心休めようとするのは、おこがましいことだと分かってる。

だが、それでも、俺は…………くそっ。


『リンク、開始します。情報を認識することで、視覚の補佐を……』

「メインがないんだ。補佐もクソもないがな」

『マスター……』


TAMAが、力なく呟く。

合成音声だが、それでも随分と、感情豊かに聞こえるようになったものだ。

俺はそんな風に思って苦笑しつつ、立ち上がる。

……リンクがなければ、起きることも難しかっただろうな。

肉体的にもそうだが、精神的にも。



「んっ……」



ふと、そこで俺は、俺の部屋に接近する二つの気配を感じた。

この感じは……モトコちゃん、キツネさんか。

何の用だろう。ああ、もしかして、いつまでも起きてこないから、様子を見に来たのか?

部屋の外から、二人の声が聞こえてくる。


まず、第一声は何だろうな。ここはごく自然に、やり過ごさなければならない。

布団の上に立ったまま、俺は自分が彼女たちに放つべき言葉を考える。

やはり『すまない、寝坊した』か?





            ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





その日の昼から、俺は本格的に活動を開始することを、心に決めた。

もっといろいろなことを考える時間も欲しかったが、そんな余裕は俺にはないらしい。

そう悟らされたからこその、決心だった。



「TAMA、周囲の警戒は頼んだぞ。
 
 半径100M以内に侵入者を発見した場合は報告を。即刻撤退する」


『了解。警戒行動を開始します。レーダー、多重展開。ロジック・231、モードシフト』



TAMAの機能は、現在何の制約もなく稼動している。

いまだその原因はつかめていないが、

実害はなく、有益である以上、俺はあまり問題視していない。

むしろ、あきらかに感覚が鈍くなってきた俺の体のほうが、よほど問題だ。


もちろん『鈍くなって』といっても、

何も基礎的な鍛錬を怠り、運動能力が低下したわけではない。

朝の事例からも分かるように、五感自体の鋭敏さがなくなってきているのだ。

特にその傾向が強いのは、視覚。

ここ2、3日で急激に低下している。今朝のように、完全に見えなくなる時間は、まだ短い。

時間を置けば、多少は回復し、物の輪郭くらいは分かるのだ。

しかし、このまま行けば、完全に物を見ることが出来なくなるのは、明確だ。


だが、今は手元に眼鏡も補聴器も、そして当たり前だがバイザーもない。


仕方がないので、TAMAとのリンクシステムを使用し、

俺は今朝から『認識』と『感覚』という情報を、同時に処理している。


ぼやけた『視界』は、別角度からの『空間の構成図』、

遠くから自分を呼び止める『声』は、『空気の振動値』と認識していく。

なんと言うか、情報処理量自体は

自身の感覚のときより少ないのだが、慣れにくく、時に混乱する。

だが、それでも俺は、部屋でじっとしているわけにも行かない。

遺跡の場所を探り当て、そこに赴かなければならない。

少なくとも、日本国内のものだけでも回収しなくては、話にならない。

『俺の知る過去の世界』には、大小をあわせ含め、31箇所の遺跡があった。

そしてここに、わずかだが未確認分が入る。


だから、最終的な合計でおよそ40箇所程度。


ちなみに、未確認なのにもかかわらず、

何故遺跡の存在が俺に分るのかといえば、遺跡同士は共鳴するからだ。

俺は復讐を始めた当初は、

瀬田夫婦から遺跡の調査団などの情報提供をうけ、それらを襲っていた。

そして、それらから破壊できない遺跡を回収したのだ。

小さな『遺跡の遺物』などは、直接B・MTのバックパックに搭載していった。

すると遺跡の所有量が増えたため、

回を重ねるごとに遺跡の共鳴を強く感じるようになり、標的に困ることはなくなったのだ。


その共鳴反応は、ひどく感覚的なもので、理論的な説明はしづらい。

だが、五感を失った当時の俺にとっては、『何かを感じる』ことの出来る重要な反応だった。


だが……ここでさらに、現状では逆説を述べなければならない。


今、俺の持つ遺跡関係物は、補助脳のみだ。

場所を特定できるほどの強烈な共鳴反応など、どれだけ集中しようが起こりはしない。

だからこそ、地道な情報収集活動が、不可欠になるのである。



「・・・・・・とは言え、今やっていることは、こそ泥以下だがな。」



俺は今、ワゴン車の中で、ごそごそと『情報収集活動中』だ。

誰のワゴン車か。

もちろん俺のものではなく、なるに勉強を教えに来た瀬田が、乗ってきたものだ。

乱雑に置かれた書類に一通り目を通しながら、嘆息。

ちなみに、俺の視覚が現在捕らえている情報は、全て補助脳に録画している。

よって、さっと目を通しさえすれば、後はゆっくり自室で回想すればいい。

また、TAMAも情報を処理してくれている。


脳内の作業はなかなかのものだが、

やっていることは『テストの答案を見に、学校に忍び込んだ馬鹿』とあまり大差ない。


「・・・・・・情けなくなるな」

『しかし、これが現在マスターの取れる、唯一安全な情報収集手段です』


そうなのだ。

瀬田という男は、実はかなりの切れ者だ。・・・・・・自分の興味を持つものに対して、は。

よって、様々な状況を考えてみたものの、

『さりげない会話で遺跡のことを聞き出す』のは不可能である、と判断した。

善良とはいえ、彼は遺跡を研究する考古学者なのだ。

遺跡を回収、破壊する俺とは立場が違う。構図上は敵対関係にもなりうる。

しかも、彼はたった一人で、いくつもの盗掘団や、海賊、

または密輸組織などを物理的に壊滅させたことのある人間である。

現状で正面切って対立するのは、非常にまずい。

負ける気はしないが、無傷で余裕に楽勝できるとは、とても思えない。

相応の準備と、快調の体調と言う条件がなければ、

成すすべなくやられてしまう可能性すらあるのだ。


「・・・・・・何も、それらしいものがないな」

『マスター。そろそろ、瀬田の家庭教師終了予定時間です』

「そうか。じゃ、でるとしよう。それにしても」

『なんです?』

「いや、侵入しやすいからいいんだが、鍵がかかってないのは無用心だな、とおもってな」

『そうですね』

「まぁ、いいが。・・・・・・侵入痕跡を消して、帰るか」


俺は頭の中にある『記録』どおりに、物を配置しなおし、車から出て手袋をはずした。


「今からデータの処理は全部任せる。

 後で分類したものを報告しろ。ああ、もう通常モードに移行していい」

『了解』


さて、有力な、めぼしい情報はなかったが。


「これからどうしたものかな」


俺は、再度嘆息した。多いな。ため息。

ため息が幸せを逃がしていくというなら、俺は一体、いくつの幸せを失ったんだろうか。

ひなた荘に帰る途中、ふと、そんなことを考えた。


「幸せは、歩いてこない、だから歩いていくという陽気な歌があったな」


俺も、歩き続けるしかないな。

今手元にある情報が、とても少なく、頼りないものだとしても。

若返ったとはいえ、俺の身体は、やはり長くもたないかもしれない。


少量の情報で迂闊に行動することは、少々不本意だが。

「動けるうちに、動いておかないとな」

後悔というものは、その時するしかない。


今は、する時ではない。

今はまだ、動けるのだから。




            ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





その日の夕食は、少し遅かった。

いつもなら、私が瀬田さんとの勉強を終えて、その後すぐに夕食が始まるのだけど。

そして、一緒に食べていけばいいのに、とせがんでみたりするんだけど。

今日は遅いので、瀬田さんはもう帰っちゃった。


で、何故そうなったか。まぁ、たいした理由があるわけではく、

たんに今日は景太郎がどこかに行っていたため、遅れた。

そういえば、いつの間にか家事は全部こいつがやってるのよね。

今朝は寝坊してたけど……でも、よくよく考えると、ほんとにマメね。


「明日から、しばらく留守にする」


景太郎は何の前置きもなく、そう宣言した。

私は焼き魚を口に含んでいたために、嚥下するまで口を開くのを自粛する。


「・・・・・・なんや、えろう唐突やな」


キツネが、味噌汁を片手に言う。

ちなみに素子ちゃんは、我関せず、という感じ。もくもくと白米を口に運んでる。


「なに? 実家に帰る気にでもなったの?」


正直、今帰られると、少し・・・・・・いや、かなり困ったりする。

掃除とか、食事とか、誰がするというのだ。

前は当番制だったが、ここ最近、景太郎以外は誰もしていない。

・・・・・・私なんて、今料理をして、ちゃんと食べられるものが出来るかどうかわからない。

朝は失敗しちゃったし……。何故か苦かったのよね、お味噌汁が。


「いや、用事が出来た。おそらく数日かかる。あるいは、もうここには帰って来ないかも」

「あんたって・・・・・・なにしてんの?」


こいつの普段の行動内容は、まったくの不明。

家事をてきぱきとこなしたり、思い出したかのように、ぼぅ〜っとしたり。

私には今、目標がある。そして、日々それに向かっている。

でも、だ。目の前のこの男。

進学するでも、何かをするでもない。こいつ、何したくて生きてるんだろ。


「それは言えないな、なる」


景太郎はそこで言葉を切り、ご飯を口に運んだ。

ちょっとした、沈黙。

そして、かちゃかちゃと、食器の音だけが食堂に染みていく。


「・・・・・・お前の言う、動くときが来たのか、浦島」


視線を動かし、素子ちゃんを見る。

箸を合わせ置き、食事を終え、今はお茶に手を添えている。

『ただ単に聞いてみただけ』の様子で、素子ちゃんの目線は、お茶に注がれたまま。


「そう、だな。そのきっかけが出来たところだ。望んだものではないけれど」


なんか、意味深な会話ね。

素子ちゃんって、なんか、景太郎みたいなのが、その、好みなのだろうか? 

私やキツネには決して分らないような、そんな空気。

二人だけが、分かり合える、みたいな?

景太郎のやつ、いつの間に、素子ちゃんとそんなに仲良くなったんだろ。


「なんやぁ、なんか、ええ雰囲気やないかぁ?」


キツネが、冷やかす。

その手にはいつの間にやら味噌汁ではなく、ビールが。

・・・・・・あんた、また飲んでんの? 

学生って言う自覚は…………言うまでもなく、ないんでしょうね。

私がそんなことを考えていると、キツネはくすくすと笑った。


「やっぱ、裸のつきあいて、大切なんやなぁ」

「え、ちょっと、どういうことよ!」


何気ない重大発言じゃない。

な、何、素子ちゃん? 一体・・・・・・景太郎とどういう関係なの、今。


「どうということはありません、なる先輩」

「そうだ、どうということはない。単に誰かさんの策略で、風呂場で出くわしただけだ」

「ウチもおかげで、役得やったやろ? ケータロ?」

「相手がなるなら、俺は問答無用で殺されていただろうから、死ななかっただけ得か」


・・・・・・格好な物言いね。景太郎。むかつくわ。

でも、多分こいつが入ってきたら、問答無用で殴り倒すわね。理由も聴かず。

反論は出来ないわ。

でも、かなり腹が立つわ。なぜか。

私は気がつくと、握りこぶしを作っていた。







 バキッ・・・・・・。




「あっ……」




箸が、折れた。






「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」



「・・・・・・なる、限りある資源を、大切にな」


居座る静寂を、景太郎が押しのけた。


「まぁ、そういうわけだ。俺は明日からいない」


あー、もう。あんたなんか、さっさとどこにでも行きなさいよ!


「明日ははやいので、今日はもう寝ることにする。後片付けは、頼んだぞ。なる」

「何で名指しなのよ!」

「箸を折った罰だ。ああ、替えのものは、自分でちゃんと買っておいたほうがいいかと思う」

「・・・むうぅ」


お箸折ったぐらいで、とも思ったが、そこで反論すると、何言われるかわかんないし。

あうぅ、悔しいけど、仕方ないわね。折った私が悪いんだし。

いや。私がお箸を折る原因は、腹を立てたから。

その原因は、やつの台詞じゃん。やっぱ、景太郎が悪い!



・・・・・・というのも少し大人気ない気がする。

チェ、やっぱり仕方ないか。




私はみんなのお茶碗などをお盆にうつし、流し台へと向かった。


            

次へ

トップへ
戻る



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送