第十七話




目を小さな手で擦りながらに、今一人の少女が目覚めた。

その少女は、自分を抱く母親の顔を、寝ぼけた眼で見やり、

しばしの沈黙の後、舌足らずな口調で話し出した。


「ねぇ、ママー」

「なぁに、令子」


この少女が……いや、この幼女が、あの美神令子になるのか。

その幼女の声は『人は成長すると、色々と変ってしまうものだな』と、

そう私にも思わせるような、実に無垢な声だった。

あと十年と少しすれば、この子供は道端で『シリコン胸!』と言われ、

そしてそれに『悪質なデマを流すな!』と、大声で切り返すようになるのだろう。


「ママー。わたちが寝てる間に、お顔におちわが……」

「…………ごめんなさい、令子。もう一度言って?」


無垢な口調で、なんでもないように顔の小じわを指摘された美智恵は、

一瞬、その身を硬化させてから、瞳は笑っていない笑顔で聞き返す。


「お顔にね、おちわがね、できてるの!」


聞き返された子供の美神令子は、母親に聞こえるよう、元気に発言する。

だが、それが余計に母親を怒らす羽目になってしまったらしい。当然と言えば当然だが。


「……………………令子。そういうことを言うのは、マナー違反よ? 分かった?」

「う、うん! わかった! わかったよ、ママ!」


美智恵は失礼な娘に対し、優しく、しかし反論は認めない口調で、諭した。

子供の美神令子は、首をがくがくと縦に振り、頷いた。


「ふっ。何をやっているのだか……」


私は母親だけが年を取った親子の会話を眺めて、笑った。













            第十七話      第二次巨頭会談













現状を省みてみれば、

これまでずっと停滞していた時間が、突然加速したと言っていいのだろう。

毎日毎日、私は瀕死の状態を脱するため、長い沈黙を守って生きてきた。

それが今日になって、突然の来客者だ。

しかもその来客者二人は、

違う時間軸の同一人物であると言う、なかなかない特異なおまけつきだ。


私は起きた娘を再度寝かしつけた美智恵を、眺める。

この美智恵は最初に尋ねてきた者ではなく、二人目の美智恵。

最初のものより少しだけ年を取ったように見える、そんな美智恵。

それは決して勘違いではない。

実の娘である子供の美神令子も、美智恵の小さな変化にはしっかりと気づいていた。


この美智恵は、最初にやってきた美智恵に対し、美神令子の子守を申し出た。

最初の美智恵は、後から来た美智恵のその提案に対し、しばしの黙考の後、乗った。

その時、美智恵が何を考えて、未来の自分を信じたのか……それは分からない。

もしかすると、経験上、今と同じような事態があったのかもしれない。


どうにしろ、私の目の前から最初に来た美智恵は消え、過去へと戻り、

後から来た美智恵が、子供の令子の子守をするという状況が繰り広げられていた。


「で? あんたは『いつ』の美智恵なんだい?」


美神令子が寝付いた後、しばらく沈黙は保たれていた。

その沈黙を破ったのは、私自身だ。


「悪いけれど、あんまり具体的にはしゃべれないわね」

「何故だ?」


「私からすれば過去、貴方からすればこれからの未来で、色々あるの。

 それで、私は『全てが終わる日』が来るまでの5年間、

 基本的には関係者と連絡を絶って、貝のように口をつぐむ事になったのよ。

 もちろん、時間移動ももうしないわ。 

 神魔族最上層部から、これ以上の時間移動は禁止されているから」


「…………じゃあ、何でここに?」


「今日は特例。だって、私も過去で、未来の私に子供の面倒を見てもらったもの。

 もし今日、私がここに来なければ、それはそれで歴史が変ることになるでしょう?」


「あー……ややこしい」

「そうね」

「とりあえず確認したいんだが、アンタは今この現代を生きる美智恵なわけだね?」

「ええ」



私は人差し指を頭にあてつつ、考える。

話だけを聞けば、非常にややこしいものの、

美智恵の人生そのものを、一つずつ考えていけばいいだろう。

美神令子がまだ子供の頃、美智恵はハーピーから身を守るため、時間移動をした。

その移動先、つまり『ここ』で、未来の自分と会い、

その自分に子供を預けて、また過去へと戻り、ハーピーを撃退した。

どのように撃退したかは、現代にいる私からは分からない。

だが、今ここに、私と同じ時間軸に生きる美智恵がいる以上、

何らかの方法で、しっかりと撃退したのだろう。


で、今ここにいる美智恵も、そんな過去を体験しているからこそ、

ここに子守をしに、わざわざ出向いてきた……と言う事なのだろう。


私は考えつつ、椅子を立ち上がる。

そしてサバに『何か書くものを』と言い、万年筆と紙のありかを聞き出した。

部屋の片隅にある机の引き出しの中の、万年筆とメモ用紙らしき紙。

万年筆の方は、まぁいいとしても、

長い時間が経っているせいか、紙は少々湿っていた。

だが、文句は言えない。私は居候なのだから。


私は美智恵の腰掛けるテーブルに座りなおし、

万年筆でちょっとした図を描いてみた。

……しかし、美智恵の断片的な言葉だけでは、全てを網羅する図は描けなかった。

まぁ、仮に美智恵が自身の知る全ての情報をさらしたのなら、

それはそれで、情報量が多すぎて、図にはまとめにくかったかも知れないが。


「混乱した? まぁ、私自身、そうなるときはあるわ。

 自分がどこから来て、どこへ行くのか。

 自分が本当に生きる時間は、あくまで主観的なものでしかないから」


美智恵の言葉を聞き流し、私は簡単に描いたその図を握りつぶした。

握りつぶした紙は丸めて、テーブルの端へ転がす。

そして、しばらく考え込んでから、私は問いかけた。


「私がこれから体験するかも知れない未来。

 つまり、アンタはそれを知っているのかい?」


「どうかしら? 私としても、どう言えばいいのか……。

 私は、未来で貴女と個人的に関係があったわけじゃないし」


「それに、神魔族の上層から口止めされているか?」


「いえ、そういうわけじゃないのよ?

 だって、今ハーピーを倒しに過去にもどった『私』は、

 『ここ』でどんな話がされていたか、分からないでしょう?

 『ここ』で貴女が未来を知ったから、私の体験した状況になったのか、

 それとも聞かずにいて、知らなかったから、ああいう風になったのか。

 私にもそれは分からないわ。いえ、それは『誰にも』分からないのよ」


「私が話せと言えば、話すかい?」


「聞きたい? 本当に聞きたいかしら?

 私は全てを知っているわけじゃなくて、

 発生した一つの事件の、その欠片だけを知っているようなものよ?」


「……これから未来で何かが起こることだけは、確かなんだね」


「このまま時間が進めば、多分ね。

 仮に私の知る事件が起こらなくても、歴史には流れがあるというから、

 同じような種類の事件が起こる可能性が、極めて高いわ」


「…………退屈はしていたけれど、これまた厄介な話をしてくれる客が来たもんだね」


ここで私が美智恵に何かを聞けば、

私はその『未来』を変えようとして、動くのだろうか?

動けば、美智恵の体験した未来とは違う未来が、到来するのか?

あるいは、ここで何も聞かず、何も知らないままに生きれば、

世界は美智恵の体験した未来を迎えるのか、それとも否か……。


これから起こる未来を、美智恵はすでに体験した。

つまり、変えようのない未来である……はず。

いや、本当にそうか?

美智恵が今生きていると言うことは、

これから起こる未来は、変えられないだろうか?

『過去』で起こった『未来』とは、違う『未来』が……。


私は嘆息して、一度背筋を伸ばした。

考えたところで、栓のないことだろう。

聞けば変るのか、聞かなければ変るのか。

美智恵の言葉どおり、それは今ここでは、分からないのだ。

考えるだけ無駄だろう。


「全てを聞きたいとは、思わないね」

「まぁ、そうでしょうね」

「だから、質問させてもらおうかね。アンタの言う事件は、いつ起こる?」


「5年と言う数字しか、言えないわね。

 もっとも、もう残り時間は、2年あるかないかだけれど」


「……それは香港で起こるのか?」


「NOね。一地域の問題ではないし。

 まぁ、あえてどこか場所を言え……と言うなら、南極かしら?」


どうやら、デミアンが私に取って代わって進めている風水盤計画……ではないようだね。

また2年あるかないかということは、1年と半年以上は確実に時間があるのだ。

そう考えると、デミアンが今から1年以上もまごつくはずもないので、

時間的に見ても違うのだろう。


「……その事件を引き起こすものは?」


私は、今一歩踏み込んだ質問をしてみることにした。

神魔族の上層部が関連してくるような事件など、風水盤くらいしか思い浮かばない。

なにしろ、あの風水盤ならば、地上の神魔の勢力図を書き換えることが可能だから。


美智恵は私の視線から目を話さずに、静かに呟く。


「首謀者は…………アシュタロスと言う、魔族」


その名前を聞いたとき、私の肩が、震えた。


「アシュタロス?」

「ええ」


私の確認に、美智恵は否定することなく頷いた。

…………アシュさまが、事件を起こす?

一体、何をしたのだろう? いや、現時点では『何をするつもりなのか』か。


GS協会潜入、風水盤計画、人造魔族計画、それに魔体の製造。

私が知るアシュさまの計画と言えば、そんなものだ。

しかし、これはあくまで大事を成すための小事でしかなくて、

アシュさまの最終的な目標は、もっともっと高い位置にある。

そのはずだけれど、私はアシュさまの直属の部下と言うわけではない。

直属直系の、アシュさまの最終目標を果たすための部下は、

アシュさまご自身が、ここ最近になって、作成・調整をし始めていたはずだ。


私には、アシュさまの『真意』は見えていない。

アシュさまは、一体何をしたいのだろう?

これまでは深く考えたところで意味がないと、

アシュさまの考えを推し量ろうとは思わなかったが…………。

しかし、アシュさまが起こすとなれば、事件が一地域の問題ではないというのも、頷ける。

…………風水盤計画による事件ではなく、

あくまで風水盤計画を足がかりとして、今後2年のうちに、アシュさまが大きく動く?

しかし、今ここにアシュさまの事件を体験した美智恵がいると言うことは、

その事件は『未来』において、収束したのだろうか?


仮に、未来でアシュさまが起こした事件により、

人間にとって何らかの大きな損害が出たとする。

例えば、風水盤により地脈を操作された上、

混乱する地上に人造魔族が出現し、

もしそこでアシュさまが人界の征服に乗り出せば、恐らく……その企みはうまく行くだろう。

そして人界を足がかりとし、天界に攻め入ることすら可能となるかもしれない。


それを阻止するため、美智恵は過去に戻ってきたとも考えられないだろうか?

アシュさまの手駒である私が反乱すれば、内部崩壊が起こせると…………。

もちろん、この話の全ては、

あくまで美智恵がそう言っているだけで、証拠などは何も…………。


(……? 何かが、引っかかるな?)


そうだ。待て。

私は何か、重大な見落としをしている気がする。

そもそも、何故、美智恵はすでに未来を体験して、今この場にいるのだろう?

おかしいじゃないか?

何故、後2年しないうちに事件が起こると察知して、

早いうちからその『未来』へと飛び、アシュさまの起こすと言う事件を体験したのだろう?

つまり…………何故、美智恵はアシュさまが事件を起こすことを知りえて、

未来へと先手を打つように飛び、その事件に関わることが出来たのだろう?


「アンタは、何故……その、アシュタロスとか言う魔族が起こす事件を知りえた?」

「過去に……ハーピー退治のときに、『ここ』で貴女にヒントを貰ったから」

「なんだって?」


「魔族は数百年以上前から、時間移動能力者を探している。

 それは、なぜか? 数百年以上前に、何があったのか。

 そこから探っていって、私は千年前の平安京でアシュタロスを見たのよ。

 そして、影ながら時間能力者が追われる『理由』を知り、事件を予想したの」


「随分とまぁ、スケールの大きな追跡調査だね」


「私の娘……令子も時間能力を持つものとして、追われる可能性がある。

 娘の身に危険が及ぶかも知れない状況なら、

 私は奈良時代だろうが、飛鳥時代だろうが、

 中世ヨーロッパだろうが、どこにだって行くわ」


美智恵の言葉に、大きな矛盾は見つけられなかった。

先の私の会話で、数百年以上前から

時間能力者が魔族に追われていることを、美智恵は知った。

だからこそ、その原因を探るために色々と調べ、果ては千年前にアシュさまを見たと言う。

それが本当かどうか確認する術はないが、それが真実なら、

美智恵は私でも知りえないアシュさまの『真意』に、近づくことができたのかも知れない。


まぁ、とりあえずその辺はどうでもいい。

話を心の底から信頼できるわけではない以上、参考までに覚えておけばいい。

もしかすると、今後2年のうちに、大きな動きがあるかもしれない……と。


「…………ご苦労なことだね。じゃあ、最後の質問だ」


胸中で結論を出した私は、参考までにあることを聞くことにした。


「横島と言う人間を、お前は知っているか?」


「ええ、もちろん。

 そもそも、本当ならこの屋敷には、

 令子と横島クン、そしておキヌちゃんがいたはずなのよ。

 もっとも、私が見たその未来のビジョンは、外れてしまったけれど」


「アンタの体験した未来で、横島はどうなっていた?」

「……………GS見習いの高校生だったわ」

「…………そうか」


答えるまでに、少々の時間があった。

ただ単に横島のことを思い出すために時間が必要だったのか、

あるいは、何か私には伏せておいた方がよい出来事が、あったのか。

まぁ……参考までに聞いた話なのだ。気にすることもないだろう。


………………しかし、2年先と言うことは、

横島は18歳になって、高校を卒業しているはずだ。

それでまだGS見習いだと言うことは、

公務員試験に落ち、オカルトGメンには所属できなかったのか?

あるいは、オカルトGメンがこれから2年経っても、日本支部設立を果たせなかったのか。

……後者ならばいいが、前者であると少々情けない。

もし私の言葉どおりに、横島が今後もGメンを目指すと言うならば、

学科試験に受かるだけの知識を詰め込むよう、

ちゃんと言っておいたほうが、いいかも知れない。





私としては、横島が民間GSとなり、

その事務所に保護される形でもいいかな……などと、

最近はソファの上で考えていたのだが……実際、未来はどうなるのだろう?


その答えは、見えない。


「後、あなたにこれを渡しておくわ」

「…………? 符?」

「回復符よ。貴女の『昼寝』を邪魔した、過去の私のお詫び」

「私が弱っていることを知っていたのかい?」

「うすうすね。もしよければ、と思って持参したのだけれど」

「ありがたく貰っておくよ。後で使わせてもらう」


私は美智恵から符を受け取った。

符の表面を眺めてみると、随分と下手な字で『木行歳星 治癒』とあった。



随分と、下手な字だった。





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