第二十二話


夕闇が、もうそこまで迫ってきていた。

完全に夜の帳が下りれば、この世界にも少しばかりの魔が漂い始め、霊的存在の活動が活発となる。

目の前で展開される横島の両親のド突き漫才をみながら、私はどうしたものだろうかと、一人思案する。

魔界より圧倒的に魔素の薄い人界。しかし、夜になれば、多少はその濃度が上昇する。

世界に満ちる魔力の量が多くなればなるほど、私の体調はより完璧に近づく。

だが、しかし。そこで私は、またしても逆説語を使う羽目になる。

何しろ、私を襲うものの最有力候補が、私と同じ種である魔族なのだ。

奴らも夜になれば感覚が鋭敏化し、私のことを目ざとく見つけるかもしれない。


(…………少し、状況を整理しよう)


私は二つの思考を同時に進行させる。

一つは百合子の質問に答えるためのもの。

そしてもう一つの思考で、現状を確認していく。

それは少々頭に無理を強いる行為だが、

まぁ、大樹が無駄に茶々を入れて話の腰を折るので、問題ない。


ああ、大樹に百合子のドロップキックが決まる。

狭い部屋であると言うのに、よくやるものだ。

…………頭から押入れに突っ込み、ぐったりとする大樹。

そして伸びた大樹の尻を叩きつつ、『あらあら、見苦しいところを』などと愛想笑う百合子。

見苦しいも何も、先ほどからこのようなやり取りしか、私は見てないんだけどね。

これが、一般的な人間の夫婦か?

ふむ、なるほど。

情報誌などで描かれる恋愛や夫婦論などと言うものは、都合のよい理想の物語でしかないのだろう。

おそらく、これが本当の夫婦と言うものなのだ。

これならば、私も横島と夫婦関係を続けられそうな気がする。

百合子と大樹、そして横島と私の関係は、現状を考えるにそう違うものではないだろうし。

人間。魔族。小さな価値観まで一つずつ上げていけば、まだまだ問題は出るはずだ。

けれど、私ももともとは人間であった頃もあるし、

現実的な話をするなら、横島の両親とも、こうして問題なく会話が続けられている。

魔族としては問題が少々あるだろう。今の私に上級魔族としての誇りは、ほとんどないに等しい。

魔族として主のために命を捨てるかと問われれば、答えはNOだ。

いつからそうなったのかは知らないが、今の私にとってはアシュ様よりも横島の方が重要な存在なのだ。


(まぁ、それはそれとして)


少しばかり自身の未来像などを想像しつつ、私はもう一つの思考も推し進める。

今の私は、体調が本調子ではない。何故かと言えば、怪我をしているからだ。

では、何故怪我をしたのか。それは仲間……と表現するのもなんだが……に裏切られたから。

では、何故裏切られたのか。理由はいくつか考えられるが……まぁ、どうでもいいことだ。

それなりに野心があり、現状に不満があった。だから目障りな私を消そうとした。それだけだろう。

魔族であろうと人間であろうと、やってもおかしくはない至極普通の行動だ。

とにもかくにも、私は私の株を裏切りにより奪われ、かつこの世から消された。

しかし、奴らは私を完全に殺したと言う、確定的な物証を得ていない。

今も恐らく、どこかで生きていると考えているかも知れない。

そうなれば、それほど積極的にではないにしろ、捜索行動は取るだろうし、罠や網も張るだろう。

そういう意味では、この横島のアパートに来たのは間違いだったと言える。

まぁ、私の場合、そんなことは承知の上で来ているのだが。


(自分から見つかりやすそうな行動を取っていれば、世話ないね)


嘆息し、私は思考をさらに推し進める。

今、ハエどもはどう言う行動を取っているのだろう?

風水盤計画を推し進めるつもりならば……すでに香港に渡っていてもおかしくはない。

もしそうであれば、日本国内で身を潜めていれば、発見される可能性は割りと低いと考えてもいいかもしれない。

しかし、いまだに日本にいるならば…………。


考えても栓のないこと……とも言えるのかもしれない。

私は奴らの思考を完全にトレースできるほど、親しい間柄ではない。

また、奴らはそのプライドからか、プロの仕事人とも差異のある思考形態をしている。

プロの仕事人ならば、その行動には良くも悪くも『ルール』があるので、先を見ることも可能なのだが。


『勘九朗、聞こえるかい?』


私はやああって、勘九朗へと念話を飛ばした。

今日までの数日間、すでに有り余る時間があった。この程度のことは、何度も考えた。

今更それを煮詰めようとしたところで、成果は見込めない。

何しろ、すでにその鍋に水分は残っていないのだから。

だからこその、念話である。

私が逃走した後……その後の一部始終を知る勘九朗から得られる情報は大きい。

もちろんこの念話をどこかでキャッチされ、居場所を感づかれる恐れもある。

そう考えて、これまで勘九朗との接触も避けていた。

だが、今はそう深刻に考えなくてもいいだろうという気になっている。

そう。なんとかなるだろう。根拠はないが、そう思う。

目の前で終始漫才を続けられているせいか、どうも思考が深刻化しないようだ。

いや、むしろ深く考えることが馬鹿らしくなって、大丈夫だと思えてくるのだ。

これも夫婦の愛が作り出す雰囲気だとするならば、偉大だと思う。

……愛。

愛か……。

愛などと言う言葉を使うのは、魔族の私には胸糞が悪いものだと思っていたが、そうでもない。

少し意外だ。

部屋の中が大樹の血の匂いで満たされているために、受け入れやすいのかも知れない。

私の目の前にある光景は…………乳繰り合いとか、おままごとと言うより、

拷問だとか折檻と評した方が正しい……そんな光景だしねぇ。


『メドーサ様? お久しぶりです。どうです、お体のほうは?』

『……問題ない。一応は平時とそう変らない』

『あらまぁ、それはそれは。致命傷かと思っていましたけれど』

『危うく死に掛けたけれどね。お前は今、どこにいる?』

『六道家で研修中ですわ』


今回のGS試験では、色々と騒ぎがあったものの、

GS試験に合格していた者に関しては、そのまま合格の事実を取り消さない。

それについてはサバに買ってもらった新聞にて知っていたが、

白竜会の人間についても、それがしっかりと適用されているということらしい。

となると、いまだに横島が帰ってきていないのは、学校で居残っているというよりも、

学校帰りに何処かのGS事務所へ、研修に出向いているのかも知れない。

そう私が当たりをつけると、勘九朗が私の思考の表層を読んで、それを肯定した。


『横島は美神除霊事務所で研修ですわ。今日からですね』

『間が悪かったな。道理で会えないわけだ。それで? ハエどもはどうしている?』

『すでに日本は経ったようですが……申し訳ありません。まだ情報収集不足ですわ』

『かまわないよ。まだGS試験から数日。風水盤は1ヶ月やそこいらで、発動までこぎつけられるものじゃない』


発動にこぎつけるまでには、何人もの風水師の生き血が必要となる。

逆な物言いをするならば、多くの風水師を生け捕りとし、血を抜かなければならない。

その作業は、基本的に殲滅戦を得意とする奴らには、いささか面倒な作業だろう。


なお、言うまでもなく、風水師の生き血が必要であると言うことは、

今この瞬間も、風水師が命を狙われていることを意味するのだが……そんなことはどうでもいい。

顔も名前も知らない人間の命で時間が稼げるならば、安いものだ。


『メドーサ様。風水盤に関してはどうなさるおつもりで?』

『発動させない。私には『今の人界』が必要だ』


仮に、今の人界に魔界が構成され、どんどんとその領域が広がっていったとしよう。

つまり、これまでは魔族が人界に侵入していたという状況が逆になり、

人間どもが魔界に侵入した……という状況になるわけだ。

そうなった場合、今ある人間の文明は間違いなく壊れる。

彼氏と一度入ってみたいランキング一位のレストランも、ホテルも、全て壊れる。

これは非常によろしくない。須狩お勧めの小さなカフェも、なくなってしまうわけだし。


『必要な理由が、随分と可愛いものになられましたね』

『あのメドーサも堕ちたものだ……とでも?』

『いいえ。私は今のメドーサ様も好きですわ。かなり萌えますもの』

『…………萌え?』


私は、なにやら勘九朗から不穏なオーラを感じ取った。

大の男が頬を上気させながら身をよじるイメージと言うのは、少々いただけない。

いや、大の男でなく、女でも少々気持ちが悪い気がする。


『ああ、申し訳ございません。取り乱しました』

『……いや、いい』


私はそれから少々の話をして、勘九朗との念話を打ち切った。

ハエどもがおそらく、日本にいないこと。
横島が帰ってこないのは、研修に行っているから。

この二つの項目が分かれば、今はそれでよかった。


勘九朗の居場所も六道家であると分かったので、

今後のことについては、後々直接の話し合いをして、考えていけばいい。


能力値の高い風水師を生け捕りにするのは、困難であるはずなので、

少なくとも数週間は……いや、予定外の事態を考えて余裕を持つとして、

一週間はハエどもに対して、どう打って出るかを考えることが出来る。


私に致命傷を与えたのは、小竜姫。

しかし、その小竜姫に攻撃させるための隙を作ったのは、ハエ野郎だ。

アイツが私の腹を貫通しなければ、私はこのようなことにはならなかった。

……………この礼は、きっちりと返す。要らんと言われれば、押し付けてやる。


(それにしても、横島は研修か)


恐らく、愛子も横島についていっていることだろう。

人間が能力獲得のために、どのような研修をするのかは、よく知らない。

GSと言えば一種の職業であるため、経営的なことも教えるのだろうか?

だとするならば、白竜会の修行とは、全く方向性の違うものになるだろう。

………研修。

早く終わればいいのだがね……。


一人で待っているわけでもないので、退屈はしていない。

だけれど…………退屈ではないから待っているのが苦痛ではないかと言えば、そうでもなかった。

もう少し待ってみて、それでも帰ってこない場合は、自分から美神の事務所に出向いてみよう。

私は、別に大樹と百合子の二人とともに、横島の帰りを待つ必要があるわけではないのだから。











            第二十二話      魔王とロボットと、そして……











「あいやー! 美神ちゃん! ひさしぶりあるねー。今日は何ね?」

「別に、少し店の中を見学しに来ただけよ」

「たっぷり見て行くよろし。ワタシも美神ちゃんの乳で眼福あるね〜」


呪術的なアイテム、除霊アイテム、あるいは単純に価値のある骨董品。

それらを扱うオカルト専門店『厄珍堂』は、繁華街の一角にある。

俺が個人的に分かりやすい地理を言うならば、

二車線の国道沿いの……大型デパートの三河屋のすぐそばって感じかな。

何でまた厄珍堂に行くことになったのかと言えば、仕事が早く終わったから……ただそれだけだ。

発案者は、言うまでもなく美神さん。

予定よりも時間がかなり余っているので、このまま帰るのもなんだから寄ってみましょう……ってことだ。

仕事後のギャラ釣り上げとかは、どーするんですかと聞いたところ、

そう言った具体的な話は、霊障害がないかを不動産業者がその目で確かめてからとなるため、明日以降なのだろうだ。


そんなわけで、寄り道に厄珍堂なわけだ。

交通費は美神さん持ちだし、わざわざ郊外まで電車で出向いたのだから、俺としても反論する気はない。

美神さんの後姿を追って、俺も厄珍堂の中へと入っていく。

唯一問題があるとすれば、背負っている荷物のせいで、狭い店内で移動し辛いって事くらい。

と言うか、この厄珍親父。美神さんの乳は俺んのだぞ。むしろこの世の美乳は全て俺のモンだ!


「誰がアンタのよ!」


無駄にスケールの大きい夢をつい口から漏らしてしまった俺に、美神さんのツッコミが振り下ろされる。

痛いのだが、殴られることは俺的に一向に構わない。

美神さんとかメドーサさんクラスの人が、激しく動く。

すると……なぁ、言わなくても分かるだろう?

愛子ではなかなか起こりえない、乳揺れと言う現象が起こったりするわけです。


「あー! GS最弱小僧あるね! どーしてここに」


手を振り上げる瞬間の美神さんの胸を反芻しつつ、地面に沈む俺。

そんな俺を、チビでヒゲな厄珍はようやく視界に納めたらしく、叫ぶ。


「今日から私の弟子なのよ。見学は、この子の学習を兼ねて」

「美神ちゃん、止めといた方がイイあるよ? このガキは将来性無しね」

「まぁ、霊波量は、確かに洒落にならないくらいだけど……」


厄珍は美神さんの紹介に要らない事を言い、かつ美神さんはフォローなし。

ったく、グレるぞ。

と言うか、弟子が馬鹿にされたら起こるのが師匠でしょ、美神さん。

まぁ、確かに俺の出す霊波量が、他の研修生たちよりかなり下なのは、事実なんだけど。


「事実だからこそ、美神さんは許せても、そっちの厄珍は許せん!」

「言うあるねー、小僧。でも、お前さんじゃワタシに勝てないあるね!」

「ふっ! 何を言う! 試験の時の実況の恨み、ここで晴らす!」

「無理無理。絶対無理ある」

「…………妙な余裕だな、アンタ。実は強いとか?」

「強さと言うものは、単に腕っ節とかじゃないあるよ? お分かりかね〜?」


そう言うと、厄珍は懐から携帯電話を取り出した。

へらへらと笑ってパイプをふかし、俺に対して余裕を見せ付けてくる。


「あちゃー、ウチの店で万引きが出たあるね〜。大変あるね〜。訴えて勝つあるよ?」

「最悪だろ、それ! 冤罪だと言うか、それ以前に俺は両手がふさがってるっつーの!」

「あーもー、止めなさい! 厄珍も! 人の弟子をからかわない」

「………あいやー、美神ちゃんに怒られたある」


俺に助け舟を出すと言うより、自分の近くで騒がれることにイラだったのか、

美神さんが声を張り上げて、俺と厄珍の間に立った。

美神さんには弱い……と言うか女には弱い性格なのか、厄珍は引き下がる。


やつはそのままカウンターから降りると、何やら店の奥へと引っ込む。

そしてごそごそと何かを動かしてから、こちらへとまた姿を見せた。

その手には、薬局で見かけるような、小さな市販薬の箱のようなものがあった。


「しかたないある。小僧、仲直りのシルシに受け取るあるよ」

「……カタストロフ−A?」

「誰でもエスパーになれる、魔法薬ある。超能力使い放題よ、お客さん! フツーなら、数千万あるよ?」

「て言うか、薬事法違反品って、思いっきり箱に書いてあるんだけど」


しかもそれは、品物の名称『カタストロフ−A』の次にでかい文字で、

箱の表面積の8分の1くらいを占める大きさだった。

小さな注意書きとか言うレベルじゃないぞ、この文字の大きさは。

本当に買う奴がいるのか? こんなもんを数千万も出して?

と言うか、数千万って、また微妙に曖昧だなぁ。つまり、いくらなんだ?


考えれば考えるほど、怪しい薬だった。

箱を見て固まったようになっている俺に、厄珍は軽い調子で言葉を続ける。


「んなモン、当たり前ね。魔法薬に使う薬草の多くは、そう言うモンね」

「…………カタストロフって、悲劇的結末とか言う意味じゃ?」

「大丈夫あるよ〜。とりあえず飲んでみるよろし!」

「薬事法無視の毒を、とりあえずで誰が飲むか!」

「………………ちっ。無駄に知識があるヤツあるね」


俺は厄珍にその魔法薬をつき返した。

薬事法違反品で、悲劇的結末なんて名前の薬を飲もうと思うやつは、どーかしてる。絶対アホだ。

と言うか、今までに買った奴がいるのか、これは? 

大体、何の苦労もなく誰でも超能力が獲得できる薬なら、神通棍よりも主流になっているはず。

でも、こんな薬は、今日美神さんの事務所で、荷造りしているときにも全く見かけなかったしな。

俺は厄珍に胡散臭そうな視線を向けてから、次に美神さんを見る。

すると美神さんは苦笑するような表情を浮かべてから、言う。


「とまぁ、厄珍は変った品をお客で実験しようとするから、注意することね」

「……ここで買い物して、大丈夫なんすか?」

「大丈夫なように、せいぜいアイテムに詳しくなることね」


まぁ、少し前まで食品なんかでも、誤表示やら偽装表示があったしな。

本当にいい商品を買いたいなら、消費者がしっかりとその商品を品定めしなきゃ駄目だ。

そーゆー理論は分かるけど、ここで買ったものが不良品だと、マジで命に関わるからなぁ。

当分は自分の判断で買おうなんて考えないで、美神さんが何を使っているかとかを、

じっくりと観察しておこう。折れやすい半額神通棍なんて買わされたら、マジでヤバイ。

と言うか、この厄珍は、不良品も何のためらいもなく売りつけそうな気がする。

特に男には絶対に売るね! 間違いない。俺には分かる。この厄珍はそーゆーヤツだ。


「ミスター・厄珍・作業・終了しました」

「おー、ご苦労さんあるね」


厄珍を睨んでいると、なにやら店の奥から黒尽くめの女の子が登場する。

手には何やらデコレーションケーキ。この女の子が作ったのか?

すると厄珍はその女の子に、男には絶対に見せないであろうバージョンの愛想笑いで答える。

何だろう、この女の子。最近、どこかで見た気がする。

いやいや、そんなことよりも、この女の子と厄珍はどーゆー関係なんだろうか?

父と娘には、到底見えん。と言うか、この厄珍はどこの国の人間なんだろうか?

『あいやー』とか『あるよ』とか、あからさまなまでに似非中国人だが……。

日本人のような気もするし、しかし、うーむ……。

まぁ、厄珍なんて言う名前の出身国不明者については、今はどうでもいい。

それよりも目の前の美少女だ。

娘じゃないなら、バイトか? 作業完了した、とか言っているし。


マジで可愛い子だな。ニコッって、小さく笑うのが似合いそうな顔立ち。

残念ながら今は無表情で服装も真っ黒だけど、

でもネガティブな印象を受けさせないのは、その髪が鮮やかな赤だからか?

80年代のロボ風のカチューシャも、実に個性的だ。

と言うか、やはり微妙に拙いその口調から察するに、外国人なのかもしれない。

……留学生とか、そう言うのか? 

いや、下宿先が厄珍堂ってのは、あり得ないっぽい気もするけど。


「やぁ、僕の名前は横島さ! たった今からここの常連で!」

「ミスター・横島?」

「いや、シャイボーイの横島っす!」


そんなことを言っていると、美神さんが俺の後方で小さく呟く。

曰く『高らかに名乗りを上げる人間の、どこがシャイなのか』

しかし、俺はそんな美神さんを無視して、女の子から名前を聞きだそうとする。

…………が、さらにしかし。

彼女は俺を無視して、俺の後ろにいる美神さんに話しかけた。

いきなり嫌われましたか、俺?


「ミス・美神」

「こんにちわ、マリア。どう、バイトは順調?」

「イエス。ミス・美神の提示額まで・あと・28万4千円です」

「あら、意外と早く払い終えてくれそうね。頑張ってね」

「イエス、ミス・美神」


どうやら、美神さんとこの子……マリアと言うらしい……は、顔なじみらしい。

まぁ、厄珍堂に関係している子なら、それで同然だろうけれど。


「美神さん、この子とはどーゆー関係ですか?」


何となく無視されたままでは寂しかったので、

俺は無理矢理美神さんとマリアちゃんの間に入り込む。

ちなみに今この場で一番寂しそうなのは、

先ほどから微妙に置いてけぼりの厄珍だったりする。


「説明するのが少し面倒なんだけど……横島クン、ドクターカオスって知ってる?」

「え? ………………ああ! 思い出した。ええ、知ってますよ!」


どこかで見たような気がしていたと思ったら、そう言えば、前に一度見たことがあったんだ。

GS試験の始まる少し前に、広報部ってのに魔王カオスがインタビュー受けてて、

その隣にこの子……マリアがつき従っていたんだ。

………ってことは、確かこのマリアって娘は、数百年前に作られたロボットなんだよな?

うわぁ、遠目から見ても分からなかったけれど、近場で見ても分からん。全然分からん。

愛知万博の時のロボットより、50年近く先を行ってそうだよな。数百年前に作られたそうだけど。

俺はGS試験のときのことを思い出し、それを美神さんに説明していく。


「そう言えば、神父に聞きましたよ。一緒に仕事をしたことがあるって」

「ええ。ピートの故郷とかで少しね」

「美神さんも顔が広いっすよね」

「この業界が微妙に狭いのよ」


とまー、そーゆー美神さんの説明によると、

俺も知っての通り、ドクター・カオスはGS試験で銃刀法違反により逮捕。

で、出所するには取り敢えず相応の保釈金がいるわけだけど、

マリアちゃんまでも証拠品として押収され、魔王カオスはどうしても払えない。

そんな時、顔なじみのよしみで、美神さんがそれを肩代わりしたんだそうな。


「へー。美神さんも意外と優しいっすね」

「騙されるな! 小僧!」


俺がポツリとこぼす言葉に、過剰反応気味の声が重なる。

厄珍堂に響くその声に釣られて皆が振り返ると、店の奥から一人の老人が出てくる。

この人が……ドクター・カオスか。

1000歳を越え、今なお生き続けるヨーロッパの魔王。

銃刀法違反で捕まるポカをやらかしたが、

逆に考えれば、マリアちゃんに銃系統装備を追加したってことで……やはり天才だな。


俺は、自分の願いを聞いてもらうため、魔王カオス様の前に膝をついた。

土下座しようかとも思ったが、相手は一応外国人なので、目を見据えて話すことにする。

さぁ、魔王に届け、俺の熱き願い!


「高名はかねがね聞いています! ドクター・カオス!」

「大体その女は……って、何じゃ、小僧?」

「不死で深遠なる知識を持つ貴方に、ぜひともお願いが!」

「むぅ? とりあえず聞いてやろう! 天才のこのワシに不可能はない!」

「俺にもマリアちゃんみたいなロボを、作って!」

「うむ! 無理じゃ!」

「即答で無理ですか!?」

「材料費がいくらかかるとおもっとる!」

「あ、俺が料金払えなさそうだからっすか」

「いや、実はマリアの作り方など、とうに忘れて、この前も2号機の製作に失敗したわ!」

「そんな……今俺、メイドロボが手に入るかと、マジで期待したのに!」


俺の熱い願いを即座に切り捨てた魔王カオスは、

『っていうか、アンタんちには、すでに愛子ちゃんがいるじゃない』なんて呟く美神さんを睨みつける。

ちなみに美神さん、アナタは何も分かっちゃいない。

メイドさんとメイドロボは、それはそれでまた微妙に違うんですよ。

翡翠色の瞳のメイドさんと、そのメイドさんをモチーフにしたメカメイドじゃ、全く違うんです。

俺がそんな下らないことを考えているうちにも、魔王カオスはどんどんヒートアップしていく。

1000年生きたとか、魔王だとか……そんな形容が全く似合わない感じだ、魔王カオス。

なにしろ、魔王様はかなり本気でマジ泣きだった。

それにメイドロボを作ってくれない魔王に、俺はもう、特に興味ないです。

不老不死の秘密とかも聞きたいけど、なんかどうせ忘れていそうな気がする。このじーさんは。


「美神! 保釈金の利子が雪だるまと言うか、なんかそんな感じなのは何故じゃ!?」

「先に説明したでしょ? 利子の計算は私独自よって。それでいいって言ったのは、そっちよ」

「…………もう十分じゃろ? 28万なんぞおぬしにすれば、はした金じゃろ?」

「駄目。全額返済で遺恨を残さずが、人としての常識よ」

「今日中に28万作らんかったら、来週にはまた100万まで増えそうな感じなんじゃが……」

「仮にも魔王でしょ? 根性見せなさい」

「エンドレスじゃよぅ……。鬼じゃ、貴様は」

「だから、借金の代わりにマリアを私に出してくれれば、それでいいって言ったでしょ?」

「マリアが居らんかったら、誰がワシの面倒を見るんじゃ!」

「アンタ、仮にも魔王でしょ? 自分でどうにかできないの?」

「無理じゃ! 大家のばあさんにすら、最近はボコボコニされる有様じゃぞ!?」


しくしくと泣く魔王。最後の台詞には威厳はないものの、妙な迫力があった。

どうやら話から察するに、とにかく利子が法外らしい。

優しいなんて言ったけど、まぁ、実際美神さんだしなぁ。

それこそ骨と皮になるまで搾取されるのかも知れない。

…………借金苦に魔王が自殺なんてなったら、嫌だな。いや、マジで。


「ほらほら。さっさと魔法薬を作って売りなさい! 私のために!」

「ドクター・カオス。さっさとするよろし。美神ちゃんは怖いあるよ」

「人事みたいに言うんじゃないわよ、厄珍。テレサの分はアンタにも貸しなんだしね」

「あいやー、商売上手あるねー、美神ちゃん」


へらへらと笑う厄珍。

テレサなんて言う、明らかに女の名前を聞き逃しはしない俺は、

それについても美神さんに質問してみた。

美神さんが説明するには……と言うか、研修中ってこともあって、美神さんは説明しっぱなしだな。

意外と教師とか似合っているのかも知れない。色っぽい家庭教師の秘密の授業、とか。

………えーっと、そうじゃなくて。

何でも、テレサと言うのはマリアの妹で、厄珍とカオスがつい最近製作した娘らしい。

さっきカオスの台詞にあった『2号機製作』ってやつのことだな。

が、しかし。

高性能になるようにと、色々念をこめすぎたのか、あるいは呪術的失敗があったのか、

マリアのように言うことを聞いてくれずに、父親たるカオスたちに殴る蹴るの暴行。

挙句にはマリアちゃんを襲おうとし…………紆余曲折の末、撃破されたそうだ。

で、その製作費の一部は美神さんが出資したものなので、

厄珍も美神さんには、それほど大きな態度を取るわけには行かないらしい。

……はぁ。

ここまでの話を総合するとだ。

マリアちゃん2号機は、マジで無理ってことか。

経費削減のためにオートバランサーを搭載していない、

すぐにこけるドジドジなメイドとしての価値は基本的にない、

そんなミソッカスなロボでもよかったんだけど………

それですら、今の魔王カオスには作れそうもないなぁ。

つーか、魔王じゃなくて、借金王カオスじゃん。怖くないし、赤貧だし。

こんな魔王なら、王国から伝説の勇者も旅立ちはしないなぁと思う。


「まぁ、カオス。頑張って薬を作れよ」

「いきなりタメ口か、小僧!」

「頑張って借金を返そうね、おじいちゃん」

「老人扱いもせんでいいわ! 全く、ワシを誰だと思うとる!?」

「昔は美少女ロボを作った天才で、今はモーロクじいさん?」

「過去は稀代なる錬金術師で、現代では生ける秘法の体現者じゃ!」

「イヤだなぁ、じいちゃん。飯はさっき食べただろ?」

「お前、分かっててボケとるじゃろ!?」


今の会話から察するに、日常的な部分ではかなり正常らしい。

と言うか、今も魔法薬を作って、

それをここで売って金策を講じているなら、それほどボケてはいないんだよな。

もしかすると、マリアちゃん2号機のテレサでこけたのは、

長生きしすぎたせいで霊力がかなり衰えて、まともに呪術的な儀式が行えてなかったのかも。

俺はカオスの肩を慰めの意思を込めて、ぽんぽんと叩いた。

カオスはそんな俺の態度にムカついたらしく、ふんっと鼻から息を出す。


「お前のような生意気なヤツに食わすケーキはない」

「ケーキって、マリアちゃんが持っているやつ?」


「そうじゃ。疲労には糖分がよい。それにケーキは商品にもなるしの。

 今マリアがもっとるヤツは、その商品のあまりの材料で作ったワシらの休憩用じゃ」


「さーて、お茶あるね。美神ちゃんも食べるよろし」

「そう? じゃあ頂くわ。仕事帰りだし、微妙にお腹減ってるのよね」

「魔王様、俺には?」

「今更様付けされても、やるもんはない」


何やら、俺を除け者にして狭い店内はティータイムの雰囲気になっている。

厄珍はカウンターに、どこからともなくティーカップを並べ、

マリアちゃんはケーキを切り分け、カオスもそれを手伝っている。

お客さんな美神さんと除け者な感じの俺は、それを見守っているだけだ。


……どう考えても、カオスのじーさんが作ったケーキじゃないよな。

厄珍もずっと椅子に座っていたんだし、作っていないはず。

となれば、やはり作業が完了したって言ったマリアちゃん本人が作ったと考えて、間違いないはず。

マリアちゃんはロボだが、女の子であることに変わりはない。

そう、女の子だ。美少女だ。

愛子は基本的に洋菓子を作らないし、女の子の手作りケーキなんて、俺は食ったことがない。

ああ、そう言えば……一応、去年のクリスマスケーキは、愛子とメドーサさんの合作だったな。

でもまぁ、クリスマスケーキは年中行事の特殊ケーキであるため、カウントから除外。

白竜会の関係者がみんなで食う、かなり大型の規格外ケーキだったしな。


とすると、やっぱり日常で女の子の手作りケーキを食ったことは、なしってことになる。

で? ……………ここで指をくわえて見ているほど、俺は諦めのいい男か?

美少女の手作りケーキを、自分以外が胃に収める光景を、ただ静かに見守る男か?


否。断じて否。

ふっ。いいさ。除け者にするがいいさ。

俺は誰にも注目されないままの状態で、背中のリュックやら、両手に持ったカバンを下ろす。

そのまま何気ない様子で、美神さんの背後まで移動し、チャンスを待つ。

ケーキが配られ、最初の一口を美神さんが食べようとした瞬間、俺が背後からそれをいただく。

それ即ち……ちょっと変則的ではあるけれど、間違いなく美神さんに『あーん』してもらった……である!

美神さんがケーキを一口サイズに切って、口に運ぶんだ。

いきなり後ろから出てくる俺の口に! 

間違いなく『あーん』だ。本人にそうする意思がなかったとしても、事実的に!


「ボーズ。お茶あるよ」

「あれ? くれるの?」

「カオスもお茶やっちゃ駄目とまでは、言わなかったある」


厄珍はなみなみと紅茶が注がれたカップを、俺に差し出す。

俺は少しばかり『じ〜ん』と感動しつつ、それを受け取った。

もらえないと思っていたものがもらえるのは、かなり嬉しい。


「今度から口には気をつけるよろし。目上の人間には、特にね」

「……実況で散々俺を小バカにしたアンタには、微妙に言われたくないなぁ」

「ワタシはボーズより年上だからいいね! 何ならお茶も没収するあるよ?」

「ありがたく飲ませていただきますです」

「変な日本語あるね」

「…………それはマジでアンタに言われたくないなぁ」

「んじゃ、いただくあるね!」


最後に俺が言った言葉を軽く無視して、厄珍はみんなにケーキとお茶を勧めた。

皆とは言え、ケーキを食べるのは美神さんと厄珍とカオスのじーさんだけどな。

マリアちゃんはやっぱりロボットだからか、紅茶すら飲む気配はないし。

俺はふと気づいて、素早く視線をマリアちゃんから美神さんへと戻す。

危ない危ない。

下手に他のことに気を取られていると、ファーストアタックのタイミングを見逃してしまう。

人間、やはり一番隙が出来るのは、最初の一口目だろう。

二口目以降でないと間接キスにならないのは惜しいが、二兎追うものは一兎を得ない。

今日はマリアちゃんの手作りケーキを、美神さんにあーんしてもらう。

それを、どうにかして任務完遂だ。


ある意味、GS試験の一次試験より緊張するな。

……チャンスは一度きり。当てても外しても、まず間違いなくボコられる!

同じボコられるなら、任務を完遂だ! 

ちなみに、最初からボコられる様なことをするな……と言う突っ込みは、

ノーセンキューなのであしからず。


さぁ、美神さんがフォークをケーキに突き刺した。

真後ろからだと見難いので、視線を外さないよう、少しだけ斜めにずれる。

美神さんの顔が見える微妙な位置に移動すると、美神さんはちょうど口を開いたところだった。


今しか、ない!


俺は神速の歩みで、美神さんの背後に立った。

そして美神さんの両肩に手を置いて、右肩の方からにゅっと顔を出す。

美神さんの右ほっぺと、俺の左ほっぺをくっつけつつ、

こちらへと向かってくるケーキ付きフォークを口を開けて待ち構える。

そう、さながら餌を前にした魚……特に鯉のように、大きく開ける。


「なっ、ちょっ……」


美神さんの口から、驚きの声が漏れる。

多分『ちょっと、いきなり何するのよ』とでも言いたかったのだろう。

だから俺は行動で示した。ケーキが入ると同時に、口を閉じて、もぐもぐと味わう。

…………うん、甘い。

なんか微妙な風味があるけれど、むしろそれがアクセントになっている感じ。


「うまい。そーいや、ケーキなんて最近食ってないしなぁ」

「アンタねぇ……。どうやら行儀とかマナーって物を躾けて欲しいようね!」

「手取り・足取り・腰取りお願いしまぶばっはぁ!?」


まず、美神さんの右肩に乗せた俺の頭に、容赦のない裏拳がヒット!

「ごぶっ!?」

次に倒れこんだ俺の脚を、美神さんが両腕で掴み、こちらの身体を反転!

「べぎゃ!」

さらに、うつむけになった俺の腰に美神さんの蹴りがヒット!

椎間板を突き破れと言わないばかりに、ヒールの先がキレーにヒット!

まさに、コール・ミー・クイーン!

眼にも止まらない、流れるような連携攻撃でした。

ちょうどケーキも食べたとこなんで、こう言っておきます。

ご馳走様でした。


「まぁ、マナーも守れないんじゃ、少しばかりの体罰は必要よね」

「…………これが少しっすか?」

「足りないくらいよ。ったく。今度同じような真似したら、ただじゃ置かないわよ」

「今度からは二口目以降で、間接キスを狙いますよ!」

「アンタとは当分食事しないわ」


美神さんのどこか疲れたようなその言葉から、

一連のツッコミが終わったことを悟り、俺は立ち上がった。

すると、俺と美神さんのやり取りを見ていた厄珍とカオスのじーさんが、固まっていた。

ああ、完全に固まっていた。マジで驚いた感じだった。

二人とも一口目をフォークに突き刺したまま、ポカーンとしている。

…………そんなに驚くようなことだったか?

うーん。慣れちゃっている方がおかしいのか?

このくらいで美神さんに『あーん』してもらえれば安いとか、そう思える俺が変なのか?

そう言えば、俺も去年までは親父がおふくろにされたと言うお仕置きを、非常識だと思ってたんだよな。

『おいおい、ウチの親父は何をして、そしておふくろにどういう折檻されたんだよ!?』とかな。

でも、今は『別にまぁ、それぐらい普通にあるだろ』とか思えるようになっているので、

俺の常識ってモンは、なんか微妙に成長しているのか、それともおかしくなっているのか……。


「っていうか、おーい。大丈夫か?」


ボコられた人間が、それを見ていた人間を心配するというのもおかしな話なんだが、

とりあえず俺は固まる二人に対して、そう呼びかけてみる。

それでも反応がないので、振り返って美神さんを見てみると、

美神さんも少し怪訝に、固まる二人を見つめていた。


「ぼ、ボーズ。味はど、どーだったある?」

「うまかった! マリアちゃん最高!」

「あ、そ、そうあるか。で、身体の方に異変は?」

「…………それはどーゆー意味だ、おい?」

「深い意味はないあるよ?」

「浅い意味でいいから言ってくれ」

「……………」

「黙るなよ! マジでなんなんだ!?」


何やら不穏な事を言い出す厄珍に、俺は白い眼をしながら聞いた。

ちなみに、俺の後ろにいる美神さんからも、

何やら不機嫌そうなオーラのようなものが伝わってきた。


「いや、怒らないで聞いてほしーある。もともと美神ちゃんを狙ったわけであって……」

「………私を狙ったって、どういうことかしら?」

「あ、えーっと、その、色々あるあるよ。なぁ、カオス」

「そうじゃ。色々じゃ。詳しく言う気はないぞ」

「そう、そうあるよ! 別に身体に異変がないなら、それでイイあるよ」

「よくないだろ。何を入れやがったんだ、あんたら」

「いやー、もう忘れちゃったあるよ〜。ねー、カオス」

「そうじゃな、厄珍」


厄珍とカオスは、どうやら開き直ったらしい。

かなり真剣な表情の美神さんから、視線を逸らして口笛なんぞを吹いている。

そんなカオスに対し、美神さんは半眼で嘲笑。それから小さな声で呟く。


「カオス。じゃあヒントとして、知識の足りない私に一言だけ何か教えて」

「ふっ。そうじゃな。秘密なのじゃが『時空消滅内服液V2を混入』とだけ言っておこうか」


煽てられている事に気づいているのかいないのか、何やら余裕たっぷりにそう言うカオス。

これは一種の誘導尋問……のうちに入るのか? 語るに落ちてないか?

と言うか、時空消滅って、なんだ? かなり物騒な名前だけど……。

美神さんの表情を伺ってみると……先ほどまでの余裕のある半眼から、真剣なものに瞳が変っていた。

…………もしかして、かなりヤバイ物が混じったもの、俺は食わされましたか、美神さん?


「何でまた、そんな薬を?」

「それは秘密なんじゃが『厄珍と借金チャラについて話し合った結果』とだけ言っておこうか」

「つまり、私をこの世から消して、借金の事実を消そうと?」

「まぁ、それも秘密なんじゃが、つまりはまぁ、そういうことじゃ」

「………でも、おかしいわ。魔法薬の匂いなんて、さっきのケーキには……」


「これは秘密中の秘密なのじゃが『V2の気配隠蔽効果』とだけ言っておこうか。

 以前仕込んだやつは、お前が食う前に気づいて、捨てられたようじゃからのう。

 そのためのV2! 同じ轍を踏まないV2! 

 さらには、ワシらも同じように食すように見せると言う、天才的な演技付き!

 まさか試作ケーキ第一号が完成した今日、たまたま実行の機会が訪れようとは!」


コントかよ。全部しゃべっとるぞ、このジジイ。

しかも、途中からは誘導もクソもなく、ただ単に一人芝居だ。

でも、そのカオスの馬鹿げた一人上手を、笑うことは出来ない。

何しろ、話を聞いていた美神さんは、なにやら真剣だったから。

もし、本当にやばい薬なら、俺はどうすればいいんだろう? 

まぁ、こんな馬鹿なじーさんの作る薬が、そんなに凄いとは思えないけど。


そう考えていると、美神さんが怒鳴った。

厄珍でもカオスにでもなく、その場でぼうっと突っ立っている俺に。


「バカ! 何をぼさっとしてるの! 横になりなさい!」

「ふえ?」

「ふえ、じゃないわよ! あんたは今、毒入りケーキを食べたのよ!?」

「でも、ぴんぴんしてますよ?」

「いいから!」


モーロク魔王の作った毒で、本当に俺がどーにかなるんだろうか?

腹壊してトイレに駆け込むって言う感じの、のほほんとしたオチじゃないのか?

そうは思うものの、とりあえず反論する理由もないし、

俺はリックから寝袋を出して、その場で……狭い店の真ん中で、寝た。

呪術アイテム満載の店内の真ん中で、毒入りケーキを食って寝る俺。

うわ〜、さながらイケニエですか?

そんなことを思いつつ、俺は厄珍とカオスのじーさんを見る。


「ていうか、時空何とかってどういう毒なんだ?」


美神さんは分かっているみたいだけど、俺はよく分からない。

消えるとか何とか物騒な印象だけは受けるけれど、具体的にどうなるんだろう?

質問されたカオスは、なぜか嬉しそうに俺に説明を始めた。

ふむ。こうやっていると、年老いた天才科学者にも見えなくもないな、カオスのじーさんも。


「まぁ、簡単に言えば、お前が生まれてこなかったことにする薬じゃ」

「本当は美神ちゃんに行くはずだったあるけどね」

「そう。美神令子が生まれてこなければ、ワシがひどい目に遭い、借金をすることもなかったのだ」

「あの乳と尻を失うのは惜しいあるが、今後の事を考えると、今のうちに縁を切ったほうが得ある」


なんだか随分と勝手な言い草だなぁ。

そもそも保釈金が必要になったのは、カオスじーさん本人が現代の法律の違反したからだし。

あるいは、もっと何か根深い恨みでもあんのか? 

うーん。あったとしても、魔王がするにしては地味と言うか、情けない仕返しだよな。

ケーキに毒を盛るって……昔の火曜日のサスペンスじゃあるまいし。


「しかし、まさか小僧が邪魔をするとは」

「こうなると、薬がしっかり効いてくれないと困るね」


カウンターに置いたティーカップを持ち直し、厄珍が口を付ける。

このチビヒゲ親父……。

あった瞬間から感じてたが、マジで男はどうでもいい人種だな!


「ふむ。この小僧が生まれてこなければ、

 ワシらが間違えて、無関係の少年に毒を持ったという事実そのものも消える。

 それに、生意気なガキじゃしのう。消えても何ら問題ないわい。はっはっはっは」


「馬鹿言ってんじゃないわよ!」


厄珍の言葉に納得するカオスじーさんに、美神さんの鋭いツッコミが冴える。

そう、全くその通りです。

目標人物じゃない人間に毒を食わせておいて、お前ら無責任すぎ!

と言うか、まず毒を盛るな! 

あと美神さんも、相手が毒を用意するまで、利子で追い詰めないでください!


俺がそう美神さんたち全員に突っ込んでいると、美神さんは俺を睨んだ。

内心が見透かされたのかと思ったが、どうやらそうでもないみたい。

美神さんは店内の戸棚から勝手に持ってきたらしい小瓶を、俺の口に突っ込む。

………くわっ、無茶苦茶な! なんて苦さ!?

俺は吐き出そうとするが、美神さんはそれを許さなかった。


「この手の毒に完璧な解毒剤はないから、とりあえずこれを飲み干しなさい!」

「…………っかはぁ、はぁ、はぁ。って、解毒剤ないんですか!?」


口の中に汚泥を詰め込まれた気分……それをしっかりと味わっていた俺に、美神さんからびっくり発言。

普通、薬があれば毒があって、毒があれば薬があるもんじゃないですか?

特に人間が造った、何らかの用途がある薬や毒には。

なぜなら、作っている最中に自分のミスで毒をうけた場合、それを中和しないと駄目だから。


「時空消滅なんて効用、はっきりと効いたか確認できないでしょ?」

「あ、そうか。しっかりと効いたら、この世から消えて、誰も知らないと」

「そう。だから、とりあえず使われている薬草の効用を抑える薬くらいしかないの」

「間接的なモンしかないってことっすか。と言うか、このまま薬の効き目が出たら、俺はどうすれば?」


そんなことを言っていると、何となく胸が苦しくなってきたような気が……。

さ、錯覚だよな? 心臓の鼓動をいつもより大きく感じるのも、多分。

だって、時空が関係する毒だろ? 

胸が苦しいなんて、そんなの……今の話を聞いて、俺が少しびびったからだろ!?


「おお、効いてきとるようだのう」

「魔法薬の匂いをごまかす為に、V2は少し構成いじったから心配だったあるが」

「ワシはやはりまだまだ天才じゃ。古代暗殺魔法薬を、現代で進化させた!」


人が苦しんでいるってのに、横でジジイが喧しくはしゃぐ!

ええい! マリアちゃん2号機の製作でこけて、何でこんな毒で成功するんだ!

人間いつか死ぬもんだが、こんな消え方は全く納得いかんぞ! いや、マジで!


「み、美神さん……お、れは、どう、すれば?」

「よく聞きなさい! この薬は縁を断ち切る効用があるの!」

「……ういっす」

「だから、この世との縁の結びつきを強化して、薬の効果を乗り越えるのよ!」

「ぐ、具体的には、何を?」


なんか、微妙に息まで荒くなり始めた俺に、美神さんは説明を続ける。

出来れば、あんまり難しくないのをお願いします。


「多分、横島クンはいきなり生まれる前まで時間を遡って、消えてしまう……ってことはなくて、

 ゆっくりとこれまでの時間を遡って行くはず。さっきの薬が効いていれば、だけどね。

 だから、そうね……。

 現在で、今日一日で一番印象に残ったことを、もう一度過去でも再現しなさい。

 現在と過去に置いて、同じ事柄を繰り返すことで、縁が強化される可能性があるわ」


えーっと、今日一日で一番印象に残ったこと?

朝は普通に起きて学校に行ったし、学校で特に『これはっ!?』ってことはなかった。

研修中に見たあの霊のドギツイ顔はかなり印象に濃いといえば、濃いけど。

…………って、今日一番印象に残ったことって…………うわぁ〜〜。


「あ、あの、美神さん。過去に遡った場合の、話なんですが」

「何? 今のうちに質問は全部すましなさい」


頼りになると思える。そう感じさせるだけの雰囲気を持った美神さん。

仮に俺が中学まで過去に遡ったなら、美神さんは高校生か?

俺は今より少し幼い美神さんを想像しつつ、今目の前にいる美神さんに聞いた。


「……美神さんが、もし見知らぬ高校生か中学生の男に、

 『密着して、ほっぺまでくっつけつつ、一緒にケーキを食べて』って言われたら、どうします?」


「……………………あー……正直な話、ぶん殴るわ」


どこかすまなそうに、額に汗を浮かべながら答える美神さん。

そんな美神さんに『ですよねー』と答えようとしたその時、俺の目の前の風景はぐにゃりと歪んだ。



(う、うおぉうおぉおおおおおぉおぉお!?)



一瞬の落下感。

一体、どこに落ちるというのだろう? 

地獄?

借金まみれの魔王の作った毒で、過去と言う地獄に堕ちるのか、俺は!?

いやいや、どうせそんなに話がうまく行くはずがない!

所詮、くだらんポカで警察の世話になるモーロク魔王の薬!

しかもそれは、実況で散々人を小ばかにした似非中国人との協力製作物!

すぐに起きて『なぁーんだ、全然OKじゃん』って言うオチだ。

さぁ、目を開くんだ、俺! 落下感覚は、すでに俺の身体を包んでいない!

一人額に眉を寄せて怖がっている俺を、美神さんたちが見守っているはずだ。


「起きろ横島! ったく、俺の授業はそんなにくだらんか?」


目を開けば、そこにいたのはメガネをかけたボサボサ頭の教師だった。

手にしている教科書には、数学と書かれている。


「…………はは、はははは、あーっはっはぁ!」


俺はその教科書を見て、笑った。

ついでになぜか着ている詰襟の制服を脱ぎ捨て、踏みつける。

外を見やれば、まだ春が訪れていなかったはずなのに、実に陽気な天気。

5月か6月か……と言うか、もうすぐ夕方と言う時刻だったはずなのに、太陽はなぜか午前中な感じ。


「行くんかい!? うまく行くんかい!? そうか、そうかよ!」

「よ、横島、ど、どーした!?」

「先生! 俺の人生って何スカ!? モーロクジジイに負ける価値ですか!?」

「お、落ち着け、落ち着くんだ、横島!」


俺は担任教師の……高校入試では大変お世話になった……あるいはこれからなると表現すべき?

そんな恩師の襟首を掴んで、がくがくと前後に揺さぶった。


誰か、実はドッキリですと言ってくれませんか?










………………………しばらく待ってみたが、誰も言ってはくれなかった。



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