第二十八話





紀家に移動した陰陽師・高島は、何やら重要警戒対象者たる女狐とともに会話を続けていた。

そしてその裏で、女狐の気配に気づいた他の陰陽師が、着々と捕縛の準備を進めていた。

陰陽師・高島は、何をもって女狐を引き寄せたのだろう?

何かを喋っていることだけは分かるのだが、

半里は離れたここからでは、さすがに視力強化のなされている私でも、唇の詳細な動きは読めない。


……まぁ、とにもかくにも、あの陰陽師・高島は女狐の捕縛の重要な役目をになっているらしい。

それなりの実力を持ち、良質な魂を持つだろうと当たりをつけた私の眼力は、正しかったと言える。


さて……どうしたものだろうか?

アシュタロス様の命を達成するためには、もっと高島に接近しなくてはならない。

遠距離から魂の質をうかがう必要は、もうないのだから。

とは言え、今あの場に突入しては話がややこしくなるだけだ。


…………ふむ。高島がうまく人から隔離される状態には……ならないだろうか?


私はそう胸中で願いながら、紀家の庭園の観察を続ける。

一人静かに、悟られぬように。



私の名前は、メフィスト・フェレス。

創造主であるアシュ様の命により、加工可能な魂を収集するものだ……。














            第二十八話      懲戒免職で死罪直行コース











「出会え! 出会え! 火と矢を持て! 

 邪気は抑えているが、恐らくあの女は物の怪だ!

 そして、よくやった、高島君! そのまま捕まえるんだ!」



高島とのそれなりに面白い語らいは、遠方から響いた声により強制的に終了させられた。

突然の声に、私は視線を高島から外す。

そして声のした方向を見やってみれば、陰陽師の指示の元、警備のものが私を包囲しつつあった。


やはり、はめられたか?


一瞬そう思いもしたが、私同様に突然の言葉に驚いている高島を見、思い直す。

高島に近づいて抱きついたのは、あくまでぶつぶつと呟く彼の独り言に興味を持ったからだ。

つまり、今私と高島がこの場に立っている状態は、偶然によって成立していると言っていい。


どう考えたところで、独り言で妖怪をおびき寄せる作戦など実行するはずがない。

実行しようにも、妖怪が興味を引く独り言を話すこと、

それが芝居であると悟られないこと……などなど、乗り越えなければならない問題があまりに多すぎる。


となれば、高島と話す私に気づき、包囲を完成させつつあるあの陰陽師を評価すべきかもしれない。

また、その陰陽師を手配することの出来た紀貫之も、それなりに評価すべきか。

まぁ、もちろん高島が有り得ない全知全能さで、この私を任意で引きつけたと言う可能性は、全くないわけではないけれど。


そんなことを考えていると、高島が私の前に出、声を張り上げた。


「西郷さーん。もう撤収しません?」

「何を言ってるんだ、高島君!?」

「だって、若藻さんには別に敵意とかないし」


先ほどからそう言っているように、彼は本当に私を捕まえる気がないらしい。

一体、どういう経験で、このような人間に育ったんだろうか?

私は彼と言う人間に関して、少しばかり興味が湧いた。


彼のような人間。

人とそれ以外を特に区別するわけでもない人間は、

私がこれまで出会った人間の中にも、何人かいた。

だけれど、それはこの国ではなく、もっと価値観が洗練された国に住まうものだった。

この閉鎖的な仕組みの国の中で、こういった価値観を持つに至る……。

それはかなり凄いことなのではないだろうか?


「良くないだろう!? 君も陰陽師なら、その責務を果たしたまえ!」


面白い人間に対して、旧来どおりの人間が叫ぶ。

まぁ、心情的には彼の言うことは分からなくもない。


人間は脅威を恐れて、街を作る。そして街中からは危険を排除しようとする。

そして街の中の排除しきれない脅威から身を守るため、屋敷を……家を作る。

その家の中に、敵意がないとは言え、私と言う妖怪が侵入したのだ。

つまり私は人間にとって、取り除くべき不確定要素であり、脅威なのだ。

言ってしまえば、あっさりと不確定要素である私に心を許し、挙句に交際の申し込みまでする高島が異常だ。

自分の見る目に自信があるのか、ただの馬鹿か。

あるいは、彼が好きになった魔族の女性が、

よほど彼を飼いならし、魔族に関する悪感情を取り除いたのか。


高島は自身が西郷と呼んだ男に、特にやる気のない声で反論する。

どこかむくれているように思えるのは、もしかすると私との語り合いを邪魔されたからだろうか?


「責務って言われても、祓うべき魔物なんていないんだし」

「君のそばにいるだろうが!」

「そう言われても、若藻さんを祓う理由って、俺にはないしなぁ」


『そうっすよねー』と、高島は私のほうへと振り返って、笑う。

もともと腹は立っていたのだろうが、それにより火に油が注がれたのだろう。

陰陽師よ、五行の理を解して冷静たれと言う言葉をかなぐり捨て、西郷と呼ばれた男は叫ぶ。

多分、今この場でもっとも雄々しく獰猛そうな鬼に近しいのは、西郷と言う男ではないだろうか?

そう思えるくらい、彼は怒っていた。


「物の怪を祓うのに理由など必要ないだろう?

 よもや、あの女の色香に惑わされたということはあるまいな?」


彼は私のそばに立つ高島に、鋭い視線を向ける。

怒りは少しだけなりを潜め、その代わりに疑惑がその視線には込められていた。


…………しかし、私の色香に惑わされたことを、彼は本当に考慮する気があるんだろうか?

もし惑わされたとするなら、それは匂いか? 眼力か? 

色々と考えて動くべきだろうけれど、西郷と言う男は高島に向かって言葉をぶつけるだけだ。

まぁ、彼が無能と言うわけではなく、高島との相性が悪いのだろう。

…………相手に一度乗せられると、そのまま自信を保てずに負けてしまう人間ね、彼。

少しばかり落ち着きは取り戻しかけているけれど、平常時の冷静さは発揮できていないのだろう。

よくいるのよね、ああ言う部類の男。かわいそうなのは、彼の部下かしら?

…………あれ? もしかして、高島が彼の部下なのかしら?


「悪いクセをこんなところで出さずともいいだろう!?」

「色香!? いや、そんなことはないすよ!?」

「じゃあ、どこが違うというんだい!?」

「話が通じるんだったら、話し合いで妥協点を探るって手があんでしょ!」

「物の怪と口約束をし、それを信用しろと?」


高島と西郷の話し合いが白熱する。

西郷が次の指示を出さないため、その後ろでは弓を構えた警備のものが、おろおろとしていた。

………ところで物の怪との口約束は信用できないという彼は、

人間同士の口約束であれば、しっかりと信用できると言えるのかしら?


「いちいちイヤな言い方を……。まぁ、でもそうっす。

 俺は祓うべき魔物もいるけど、祓わなくていい魔物もいると思うんです」


西郷の言葉に、高島がそう締めくくった。

だが、高島が意見を言い終えても、西郷は意見をまだまだいい足りないらしい。

彼は『ふんっ』と息を吐いてから、再び言葉をつむぎだした。


「……餓鬼が祓えて、あの女は祓えない。君はそう判断するわけだな?」

「そうっス」


「何様のつもりだい? 何故君が祓うべき存在と、そうでない存在を区別できる?

 神仏になり、生殺の権限を手に入れたわけでもないだろう? 私たちは人間だ!」


「えっ……」


「そうである以上、退魔すべき対象は、すべて陰陽寮がその審議にて決める。

 君が祓う祓わないを決めるのではない。

 ましてや、君個人の考えで、祓うべき魔を見逃すことなど出来ない!

 だからここは陰陽寮の指示の元、その女を捕縛し、祓う!」


「いや、でも……」


先ほど調子を狂わされたことの反撃とばかりに、

西郷が次々と言葉をぶつけ、話の流れを作っていく。

高島はその流れに上手く乗れなかったのか、しっかりとした反論を返せないでいた。

何を言えばいいのか。迷う高島に対し、西郷はにやりと笑った。





「……はっ。気に入らないわね」





気がつけば、私は眉間にしわを寄せて、そう言い放っていた。

自身の背後から責める口調の声が響いたせいだろう。

振り返った高島は、口をもごもごとさせて、私に何かを言いたそうだった。

そんな高島の無様な様子を目ざとく見ているらしい西郷は、離れた場所から笑い声を浴びせてきた。

庭にある池を挟んでの笑い。まさにそれは高笑いだった。

…………まったく。ムカつく笑い声ね。


「はっはっは! 君が護ろうとした物の怪本人にも笑われ……」

「気に入らないのは、そっちよ」

「何?」


私は西郷の言葉を、自分の言葉で途切れさせる。

そう、気に入らないのは高島ではなく、西郷だ。


「この私と餓鬼程度を同一に、一括りするって言うのが、気に入らないわ」

「なっ! どちらも物の怪だろう!」


私は視線を鋭角化させ、彼を睨みつける。


私と餓鬼の間には、言うまでもないけれど何の関係もない。

私は自分が何によって発生した存在かは、もう遥か昔のことなので忘れてしまった。

けれども、この都の負の空気から、次々と生み出される餓鬼と同じ発生起源ではないはずだ。


そして餓鬼の目的は、死肉を貪ること。

それが成せないならば、生きた人間を殺してでも肉を獲ようとする。

しかし、私は死肉を貪りはしない。

生きる目的を求められたところで、明確な答えを返すことは難しいけれど、

しかし……やはり、餓鬼と同一の程度ではないことは確かだ。

つまり、生まれた理由も、生きる理由も、何もかもが違う。

そもそも私など、過去には神と崇められたことすらある存在なのだ。


その私を餓鬼と同一して、祓う?

陰陽寮の基本方針が『物の怪は全て祓う』であることは、知っている。

しかし、こうして面と向かって言われると、かなり腹が立った。

すぐ隣になかなかよい価値観をもつ人間がいるせいで、なおさらだ。


まぁ、今ここでそれを説き聞かせたところで、すぐさま状況は変らない。

それが分からないほど、冷静さを欠いていたわけではない。

ないのだが……やはり黙っていられなかった。


「私の容姿が餓鬼と同じに見えるなら、あんたの目のほうが腐ってんじゃない?」


妖狐として恐れられるのであれば、まだ納得は出来る。

でも、餓鬼程度との同一視は、やはりいくらなんでも許容できないわ。

一人の女としてもね。


私はここ10年ほど出したことのない大声で、西郷に言葉をぶつける。


「この私と有象無象の、知能もない餓鬼がどちら物の怪?

 そう言うなら、人間も犬も馬も牛も、どれも同じ動物でしょう!?」


「人間と畜生を同一と言うのか!?」

「あんたが言った『物の怪と言う分類』は、つまりはそう言うことよっ!」


とりあえず言いたいことを一通り言い終えた私は、西郷から視線を離して、高島を見やる。

高島は私に対して、きょとんとした馬鹿面をさらしていた。


「高島の考え方は、いいと思うわ。

 話が通じるんだったら、話し合いで妥協点を探る。

 それなら、うまく行けば共生できるものね?

 まぁ、もちろん実現はしないと思うけれど。

 何故なら、人と物の怪は決して能力的に対等ではないし、

 そもそも人間は、本来対等である隣人とも戦争を起こすのだから」


語る私に反応を示したのは、高島ではなく西郷だった。

遠方からご苦労なことに、いちいち叫んでくれる。


「物の怪が知ったような口を!」

「40年生きるかどうかの人間ごときが、1000年以上生きるこの私に知ったような口を?」


私の言葉はそんなに軽いだろうか?

ふと、そう自問してみる。

だが、西郷が今の私の言葉で押し黙ったことを考えるなら、それなりの重さは秘めているのだろう。

実際、私は西郷よりも遥かに多くの国の政治と権力者を見て、その仕組みを理解しているのだ。

彼の語る世界に中身が、この平安京内部だけでしかない以上、私の語る世界の方が、遥かに大きい。


「1000年以上も生きてるんすか……」

「思っていた以上に、年上過ぎた?」


押し黙った西郷に代わって口を開いたのは、高島だった。

彼はなにやら考えをまとめているらしく、

あごに手をやりながら、こちらに質問してきた


「いや……それだけ長生きで狐の妖怪と言うと、

 もしかして、ご出身は中国……じゃなくて、唐だったり?

 んでもって、太公望とか言う名前を知ってたりとか……」


その高島の言葉に、私は眼を見開いた。

吉備についてこの国にやってきたことすら、

ほとんどの人間がすでに忘れ去っていると言うのに、何故彼が太公望の名前を知っているのだろう?

もしかすると、彼が心酔している魔族が、知識を与えているのだろうか?


『……陰陽師をしている理由も、ある意味その人にあるかなぁ……』


あの言葉を考慮するなら、まぁ、あながち外れてはいない想像かも知れない。


「………もしかして、九尾の狐?」


知識の出所に納得の出来る想像ができた私は、

高島がそう呟いてきても、もう驚きはしなかった。

表情を作り直して、私は余裕たっぷりに高島に答えてやる。


「正解よ。よく知っているわね」

「うわ、俺って凄い!? 伝説級だよ、おい!? 妲己だよ!」


予想はしていたが、半信半疑だったのか……。

私が肯定すると、今度は高島は驚愕した。

……恐れや畏怖からではなく、純粋な驚きから騒ぐこいつは、大物なのだろうか?

見込みのある馬鹿は、評価が難しいわね。

ただの馬鹿で終わる可能性も、化ける可能性も秘めているから。


「九尾かぁ。玉藻前が出てくるのは、鎌倉時代のちょっと前だったと思うけど……。

 そっか、そりゃそうだよな。

 鎌倉時代にいきなり発生したわけじゃないんだから、平安時代にもそりゃいるよな」


なにやら一人で小声で、高島は納得している。

深い知識を持つ割りに、どこか馬鹿っぽさの抜けない人間。

頼りにはするには心許ないが、遊び相手にはちょうどいいかもしれない。


もっとも、何だか今日は遊ぶという気にも、もうなれない。

柄にもなく、大声で人間と口論をしたからだろうか?

このまま高島をお持ち帰りしても、燃える夜と言う雰囲気にはならないだろう。


「何だか、興が冷めたわ……」


私はそう呟いて、虚空に身を躍らせる。

そばで突っ立っていた高島はただ戸惑い、そして私たちから離れた場所にいる西郷は怒っていた。

『え? いきなり帰るんすか!?』と聞く高島。悪いけど、女心とは移ろいやすいものなのよね。

『逃げる気か!?』と叫ぶ西郷。悪いけど、どうとでも思って頂戴。

私は高島には苦笑を、西郷には睨みを与えてから、言葉をつむぐ。


「……今日のところは引いておいてあげるわ。

 追いかけてくるなら、追いかけてきなさい。そして捕まえてみなさい。

 それくらい出来る相手じゃないと、私は興味を惹かれないわよ?」


それは高島と西郷の、両方に向けた言葉だ。

高島には純粋に追いかけっこのお誘いを。

そし西郷ら陰陽寮そのものには、ただの挑発を。


「そうね……。北方に逃げるわ。私が蝦夷に行くか、飽きる前に捕まえて見なさいよ」

「いいだろう! 陰陽寮の威信にかけて、貴様を捕まえ滅してみせる!」


矢を射るように指示を飛ばしつつ……しかしそんなもので、

どうにかなるまいと予想はついているのか、西郷がそう宣言する。

彼が私の前で発した中で、それは一番大きな声だった。

私は自身に飛んでくる矢を狐火で燃やしながら、喚く彼を眺める。

……少々、注ぐ油の量の度が過ぎたかもしれない。

馬鹿にしすぎても、男は空回るだけだし……。空回れば、刺激のある相手にはならないし。

難しいところよね?


「……煽りすぎたかしら。暇は潰せそうだけど、面倒と言えば面倒かしら?」

「結局、何しに来たんすか……」


考える私に、足元の高島がそう聞いてくる。

頭を左右に振ったりしているのは、飛んでくる矢の巻き添えを食わないようにしているのか……。

それとも、頭上にある私の脚や、その先にある秘所を覗こうとしているのか。

常識に考えれば前者だけれど、こいつの場合は後者っぽいわね。


それにしても…………確かに、何をしに来たのだろう?

この屋敷に来て私がしたことと言えば、会話だけではないだろうか?

にもかかわらず、いつの間にやら、時間はずいぶんと過ぎ去ってしまっている。

まぁ、あの議論も含めて、今日は割りと楽しい時間を過ごせたので、後悔はないが。


「何をしに来たのか……。ま、一応は第一に男探し。第二に暇つぶしだったのよね」

「つまり、おちょくりに来たってことっすか?」

「言ってしまうと、まぁ、そうね。最近退屈してたのよ」


私の言葉に、高島はやれやれと嘆息する。

もっとも、深々と嘆息しているようで、視線は私の身体を捉えたままだったが。


「……さてと。それじゃ高島。縁があればまた会いましょう」


私は高島に向かって、軽く手を振った。

高島はぶんぶんと、元気よく手を振り返してくる。

その姿は、何故かとても幼い子供のように思えてしまい、少し面白かった。


「…………貴方の考え方、それなりに好きよ?

 貴方程度に全面保護されるつもりなんてないけど……でも、頼れる相手が欲しいのも事実。
 
 もちろん私みたいな考えを持つような存在ばかりじゃないから、難しいところだけれど。

 ついでに……魔族相手で好きな存在がいると言ったわね? うまく行くよう、祈っといてあげるわ」


「どうもっす」


「じゃあね」


私は高度を上げながら、そう高島に呟く。

なお、私の高度に比例するように、飛来する矢と怒号は増加して行く。

…………高島以外の人間は、何だかかなり怒っていた。

高島が言ったように、私は人の家に入り込んで、

警備をおちょくるだけおちょくって出て行くようなものだから、当然ね。

となると、高島は私が帰った後に、怒りの矛先をぶつけられる可能性が高いわね。



「頑張りなさいね。色々と。例えば……そう。脱獄とか」



とりあえず、最後に励ましの言葉を、私は高島に送った。


「へ?」


私はきょとんとする高島を尻目に、金の髪を広げて、飛んでいく。

眼下には、きょとんをしたままの高島と、

その高島の元に……正確には私のいた場所に……殺到する警備の乱闘じみた騒ぎが広がっていた。

……あれは大変そうね。高島は切り抜けられるかしら?



まぁ、これで死んじゃうくらいなら、理想論を語るだけの馬鹿だったってことだしね。

頑張っていきなさい、高島。

縁があったら、来世ででも会いましょうね。





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