第六話





繁華街にある、特に目立った何かがあるわけでもない、普通の居酒屋。

そのトイレの洗面台の鏡の前に、俺は立っていた。

先ほどひねった蛇口からは、冷たい水が勢いよく流れていく。

俺は手でその水をすくい、顔を洗った。

そしてぽたぽたと水滴が垂れるのを無視し、鏡の中の自分を見やる。


――――――…………何をやってんだ、俺は。


有り得ない。何で俺は、あのアシュタロスとフツーに酒を飲んでんだ?

いくらここが異世界で、あのアシュタロスが俺の世界のアシュタロスと

完全な同一人物でないとは言え……有り得ないだろう、マジで。

アシュが無理にでも水を飲ませ、俺の酔いを醒まそうとしなければ……俺はどうなっていたことだろう?

裸踊りでも始めたか? あるいは、そのままの勢いで性欲に火がつき、風俗に直行したか?

どっちにしろ、洒落にならない。

アシュに見られるってのが、洒落にならない。

西条の野郎に見られるより、洒落にならん。かなり恥ずかしいし、腹立たしい。

……ったく。なんで、俺の無様な姿を、あいつにさらけ出さにゃならんのだ。

にしても、酔っ払うのが早すぎる。あまりに早すぎる。

密かに店員に、アルコール度数を上げとけとか、指示したんじゃないだろうな?


「ちょっと、気をつけないとな」


こうなったら、アシュのやつを酔わせるしかない。

今はただの人間だと言っていた。どんどん飲ませれば、酔うはずだ。

そしてけべれけで無様な姿を、さらすがいい。


……自分で酒を飲んだ以上、酔っ払ったのは自己責任。

アシュの野郎に何かを仕掛けるのは、八つ当たり的な行動に他ならない。

だがしかし、酒の席だ。無礼講だ。

そして俺は酔っ払いだ。歯止めは利かない、暴走列車だぜ。


見てろよ、アシュ。

今度は貴様が酔っ払う番だ!



      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



私・アシュタロスは、この閉じた卵の中の世界で、何度も人生やり直している。


「いや、知ってるから。言われなくても」


あぁ、私は魔族ゆえ、人生というのはいささか御幣があるだろうけれど、気にしないでくれたまえ。

とにもかくにも、打ち立てた計画が成功しようが失敗しようが、何度も繰り返すわけだよ。

その何度も何度も続く人生の試行の中で、美神令子にこう言われたことがある。


『自分の思い通りに宇宙を修正しようなんて、間違っている。

 それは宿題をやるのが嫌だからと、学校に火をつける馬鹿なガキを変わらない。

 アシュタロス。アンタはわがままなガキそのものよ。

 目的を達成したいのなら、世界そのものを書き換えるんじゃなく……

 この世界の中で戦って達成すべきなのよ!』


細部は多少違うだろうが、まぁ、おおむねこの通りだろう。

私はその時、宇宙意思と言う点から、

美神令子の言い分をある種では正しいと認め、その上で反論を展開した。

――――――が、今では少しばかり違う反論が出来そうな気がするのだよ。


「って、その反論はさっきから5回以上、聞いているわけだが?」


取り止めもなく呟く以上、これは間違いなく愚痴だろう。

だが、今現在の美神令子は、この発言そのものを知らない。

よって、本人に聞かせたところで、意味がないのでね。

だから君に聞いてもらいたい。退屈かもしれないが、どうか聞いてくれないか。


「…………なんでこう、面白みのない酔っ払い方をするんだ、こいつは」


…………美神令子は、私をわがままな子供だと言った。

宿題やテストが嫌で、学校に火をつける愚か者だと言った。

だが、果たして私は、本当にわがままな子供だろうか?

学校という例えを用いて、もう少し考えてみようではないか。


「さっきから同じことを、考えっぱなしなワケだが……」


学校が、世界。

入学が、誕生。

授業が、一生。

卒業が、死去。

留年が、悪霊化や、それに類する状態。


教職員が、神族。

一般生徒が、人間。

不良生徒が、魔族。


この例えで、話を進めることにしよう。


「まぁ、満足するまで勝手にしゃべってろよ。あっ……これ美味いな」


学校では、教職員が一般生徒を導いている。

入学した一般生徒はその導きのもと、授業を進め、やがて卒業する。

しかし時折、一般生徒は不良生徒の影響を受け、不良化して留年する。


この世界では、神族が人間を導いている。

誕生した人間は神族の導きのもと、一生を生き、やがて死去する。

しかし時折、人間は魔族の影響を受け、悪霊化するものも出る……ということだ。


なるほど、この世界の縮図と言える。

学校という例えは、なかなかよいものであるらしい。

さて、その学校内で言えば、私は不良生徒ということになる。

力の強い魔族であるのだから、それはもう、とびっきりの不良だろう。


さて、その学校には、あるルールが存在する。

それは教職員と不良生徒の間に敷かれた、秘密協定だ。


それは、不良生徒の中で力あるものは、永遠に卒業せずに不良を演じるというもの。

永遠に教職員から眼の仇にされ、悪の見本として生き続けると言うもの。


ああ、そうだ。デタントだ。

神族が善。魔族が悪。教師が善、不良が悪。

魔族は……不良は、永遠に終わらない茶番劇を続けるのだ。


不良生徒は、永遠に卒業が出来ない。

仮に善行を積んでも、評価はされない。

試験でよい点数をとっても、評価されない。

宿題をきちんと提出しても、評価されない。

不良生徒は、どこまで行っても不良生徒なのだ。永遠に、卒業は出来ない。

学校という場所において、不良生徒は『そう言う存在だと決まっている』からだ。


さて、私は不良生徒なのだが……卒業することを、心から願っている。

もう永い永い学校生活に、嫌気がさして来たのだ。

――――――だが、卒業は出来ない。

いくら良い成績だろうと、ボランティア活動に励もうと、評価されない。

『不良生徒である』と言う理由で、何をしても評価には繋がらない。卒業は出来ない。


私はどうすればいいのだろう? 

目標は卒業。それを達成するために、頑張った。

勉強もした。慈善活動もした。やれることは全てやったはずだ。

だが、学校側は……教師陣は、私を評価しない。私が『不良生徒』だからだ。

学校という仕組みの中では、学校という場では、私はそもそも戦えないのだ。

だから、学校という枠組みそのものを壊す。壊そうとする。そうするしかない。

そう考えても、仕方ないとは思わないかね?



      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


俺の視線の先では、アシュのやつがもう何度目になるか分からない説明を呟いていた。

顔は真顔。大して赤くもなっていない。一見すると、酔っ払っていないようにも見える。

だが、こいつは確実に酔っ払っている……と思う。

こっちの話は聞かないし、延々リピート状態だし、声が少しだけ感情的だし。

げらげらと笑ったり、泣き上戸だったりすれば、面白かったのに。

講釈を垂れ続けるって……なんてつまらない絡み酒なんだろうな? 笑えもしない。


しかしまぁ、言わんとすることは分かる。

何をしても評価されないってのは、辛いモンだ。

仮に俺がアシュの立場なら? そう考えると、多少は同情していい気分になる。

…………どれだけ勉強して、いい成績をとっても、

どれだけ部活を頑張って、どれだけ人に親切にしても…………。

まったく評価されずに、学校という一つの世界から抜け出せない。

それは学校総出で、イジメを敢行しているようなもんだよな。

学校という場所から逃げようと考えても、仕方がないだろう。

しかし、学校は俺を逃がさない。学校の定位置にあり続けることを、強制してくる。


実際、アシュは世界から逃れられない。

仮に自殺をしても、自動的に回復させられてしまう。

世界が、宇宙の意思が力のバランスを取ろうとするからだ。

そして何をやっても、アシュは魔族から神族に成ることはない。

下級魔族ならまだしも、アシュは力のある魔族だ。

やはり世界はバランスを取るために、アシュを縛り続ける。


努力しても、変わることも出来ない。

逃げることさえ、出来ない。

ならば、どうするか?

そういう仕組みの世界そのものと、戦うしかない。

――――――それが、アシュの出した結論。


俺なら、どうするだろうな?

これまでそう深く考えてこなかったが、学校という身近な言葉で言われると……気にもなる。

努力は無駄で、評価されない。不登校も転校も許されない。

不良として生きたくないと懇願しても、願いは通じずに不良であることを強制され続ける。


令子の下で働いていた時、俺は自分が過小評価されていると思ったことがある。

『美神さんは、俺のこと分かってくれへんのやー!』とか、言った覚えもある。

だから、他のバイトを探そうとしたこともある。

しかし結局は、あの事務所を辞めることはなかった。

なんだかんだで、気に入っていたからな。

時給が上がったこともある。仕事を任せてもらったこともある。

俺の成長とともに、ちゃんと状況は変化していったのだ。本当に、少しずつだが。

よく『辛い境遇だな、お前』と言われるが……アシュからすれば、マシなことこの上ない。

努力すれば評価されるという時点で。

そして、自分の意思で生き方を選択できた時点で。


しかしまぁ、だからと言って、コスモプロセッサには賛成出来るはずもない。

アシュには辛い世界でも、人間の俺にとっては、別に問題がないのだから。

その自分にとって問題のない世界を守るために、アシュのような魔族には犠牲になってもらうしかない。

嫌な言い方であり、アシュには残酷すぎる言葉だが、しかし事実だ。


「この世界の殻を破る。そのくらいなら、協力してもいいか……」


世界そのものを破壊するのではなく、世界を覆う殻を壊し、創造主から独立する。

それだけなら、この世界そのものはこれまで通りに回っていく。

だったら…………俺は別に、アシュの計画に異論はないな。

あんまり面倒なことを任されても、それはそれで嫌だが。


俺は残っていた焼き鳥―――最後の一本だ―――を、口に運んだ。


今日の酒の席は、俺から同情とより一層の協力を買うために、設けたのか?

串を口の端で揺らしつつ、俺はアシュを見やる。

アシュはいまだに、何かをぶつぶつと呟いていた。



      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「ああ、そう言えば……本題に入るの忘れていた」

「何だよ、今更」


宴もたけなわ。すでにアルコールと料理の消費線も、ずいぶんと下降気味。

他の店にはしごすることもなく、延々と居酒屋で飲んでは愚痴り、

あるいはぼけー……っとしていた俺たちだった。

ソフトドリンクだけで、ファミレスに長居した昔を思い出したぞ、何となく。

ふとそんな折に、アシュが正しく思い出したように話を振ってきた。


「君に少し、意見を聞いてみたくてね」

「面倒な話なら、また今度にしてくれ」

「いいや、すぐに済む話だ」


アシュは肩を軽くすくめ、そして話し始める。


「私にも、予想外だったのだ。あるいは、考慮外だったと言うべきか。

 風水盤を起動させ、極東の地脈エネルギーを根こそぎ奪ったのはいいのだが、

 そのせいで思わぬ影響が、思わぬ場所に出てしまっているのだよ」


「…………で、どんな影響なんだ?」


「分からないかね? ある存在が、復活のために地中でエネルギーを吸おうとしていた。

 そのため、風水盤が地脈のエネルギーを奪おうとした時、

 その存在までもが、地脈エネルギーとともに、風水盤に吸収されてしまったのだ」


「さっきから回りくどいぞ。つまり何なんだ?」


「死津喪比女。地中深くにある球根が本体の妖怪。覚えはないかね?」


「ああ。おキヌちゃんが封印してた妖怪だな?」


「彼女が封印式の場から離れ、美神令子について行ったため、死津喪比女は

 地脈にその根を伸ばし、エネルギーを吸い取り、復活を目論んだ…………のだが、

 風水盤の起動に巻き込まれ、すでに消滅してしまったのだよ。それはまぁ、いいのだが」


「問題はおキヌちゃんってことか? なんかまずい影響が出てるのか?」


「地脈の強大なエネルギーが消失したため、反魂術が成立しないのだ。

 つまりは、生き返ることが出来ない状態であるということだ。

 ――――――さて、参考までに聞きたいのだが、どうする?」


「いや、どーするって言われてもなぁ」


「おや? 無理にでもエネルギーを集め、生き返らせると言うかと思ったが?」


「生き返らせればいいって問題でもないだろ?」


もし『蘇らせてやろう。ただし記憶はなくなる』とおキヌちゃんが誰かに言われれば、

多分『別に今のままでもいいです』って言うのが、今のおキヌちゃんの答えだろうしな。

おキヌちゃんは幽霊の状態に、特に不満はないわけで……。

どうしても、記憶がなくなってでも生き返りたい理由ってのが、ないわけだ。

そう。皆との思い出が消えてしまうかもしれないのなら、今のままでいいと思うはずだ。


俺の世界と、違う俺がいるんだ。

だったら、この世界のおキヌちゃんが、俺の世界とは違う道を進む可能性もあるわけで。

でも、それはおキヌちゃん本人が決めることで、俺に意見を求められてもなぁ。

仮に俺以外に聞くとしても、この世界の令子さんや俺に聞くべきじゃないか?


「ふむ。そうか。では、保留ということにしておこう」


俺の反応をうかがっていたアシュは、そんな言葉で話題を終わらせた。

結構、どうでもいい感じだった。いや、実際どうでもいいのか。

アシュ的には、おキヌちゃんはさほど重要人物じゃないんだろう。

俺的にドグラやハニワ兵が、割とどうでもいいのと一緒で。


「…………って、おキヌちゃんとハニワを同列に扱うなよ、この野郎」

「いきなり何を言うのだ、君は」


いまだに軽く酔っている俺。それに絡まれるアシュ。

今日と言う日は、もしかすると割りと平和なのかもしれない。

ふと、そんなことを思った。



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